薄暗い祭壇があった。
申し訳程度の灯りの中で、濡れた声を洩らすのは金髪の少女だった。
「くぁっ、ふ、ぁぁ、は……」
堪えようとする熱い吐息と上気する頬の赤みが暗がりの中でなお、その色がはっきりと見えた。
「くっ」
じゃらりと鎖が軋む。腕に繋がれた鉄の戒めが少女の体を吊り上げていた。
苦悶と快楽に顔が歪む。その顔すら淫猥だった。
洩れ出る熱と吐息に浮かされ、しかし自らを縛るものを振り払おうと体を弱々しく振る。
けれど、戒めは解けない。
「は……ぁ」
元は白かった肌が赤く染まり、その肌に合わせていた白のドレスが一層際立つ。スカートを揺らめかせ、必死に体を走る痺れを堪えながら、少女は苦悶を洩らしていた。
「……………………………………………………いい」
そんな少女の様子を見ていたのはフードを被った女だった。口元しか露にしていないその女は、目の前で悶える淫靡なその姿に陶酔していた。
少女――セイバーを手に入れたキャスターは、再契約を行いセイバーを自分の僕とした。ただ、目覚めたセイバーが暴れ出さないように令呪で動きを拘束しておくことも忘れなかった。下した命令は、『別命あるまで動かないこと』。
こうしておけば、恒常的に動きを抑制できる。元より魔力は豊富にあるのだ。強制力はどのマスターよりも高い。これが魔術で押さえつけようとするなら、セイバーの抗魔力で無効化されていただろう。
「始まったみたいね……」
キャスターは天井を見上げる。向こう側が見えるはずもないのだが、魔力の衝突が頭上で起こっているのだ。
「……宝具、かしら? なんだか、感覚が違う気がするけれど……」
宝具による魔力消費の感触はある。しかし、それは一方だけであり、もう一方に関しては、魔力感知が少し覚束ない。気を入れて感じているわけではないから正確なところはわからないが、
「まあ、宝具なら、そう言う事もあるかもしれないわね」
常軌を逸する幻想の具。その全てを知っているわけではない。だから、この不可思議な感覚はその宝具によるものなのだろう。
キャスターはそう結論を出すと、頭上の戦いから少し意識を逸らした。先ほどから、この境界に張った結界に侵入している存在を捉えていたのだ。
「――さて、この娘で遊ぶのは後に取って置きましょう。まずは、戦いを挑んできた愚か者の相手ね」
『奪還・禍根』
From "Fate/stay night" (C) 2004 TYPE-MOON
Presented by HIRO [TRASH BOX]
鋼の音が木霊する。
打ち付けられる刃。振りぬかれる刃。突き刺さらんとする切っ先。
そのどれもが神速の速さを持ち、そのどれもが絶大な力を秘めた一撃だ。
両者の膂力はほぼ同じ。剣技や体術においてもほぼ互角。全ての決着を決するには何かしらのきっかけが必要だった。
膠着状態が続く。
「オオォッ!」
「ラアァッ!」
左に持ったデュランダルが槍を叩く。硬質な音を立てて火花を散らし、闘争の華を咲かせる。
弾かれた槍を腰元を軸に回転させ、刃先の対極――柄頭で弓兵の頭蓋を砕かんと振り抜かれるが、寸前で上体を反らして躱す。
反った体を起こし、間合いを詰めるべく足を出すが、それよりも速く一回転してきた穂先がアーチャーの足元を薙ぎ払う。
間合い取りはランサーに長がある。槍の豊富な攻撃方法にアーチャーは槍の懐に侵入できない。だが、ランサーの攻撃を悉くいなして来たのだ。
接近しての一撃を狙うアーチャーと、それをさせず間合いの外から撃墜を謀るランサー。
互いに一撃を見舞うべく、最初の一手を求めて、攻めあぐねていた。
物静かな大理石の廊下を二つの足音が走る。
凛と士郎だ。
教会の構造は幼い頃から言峰綺礼に魔術の師事を受けていた頃から良く知っている。忌々しい記憶ではあるが、大幅な改修を行ったと言う話を聞いていないので、構造に変わりはないだろう。だから、凛は一目散に教会内で陣地を組みやすく、また敵を向かい打てる場所を特定できていた。
その後ろで、士郎はむっつりと黙って凛の後を必死に追いかけていた。背中の痛みは感じない。それよりも強い衝撃に打たれていたからだ。
――投影、開始。
奴は、そう言った。
魔術を行使する上で、術者が意図的に定める鍵がある。魔術回路を意識的に駆動させるための意識の切り替えを、その鍵を唱えることで行使する。
それは、術者において千差万別。他の術者と同じ鍵を使用することもあるだろう。それはただの偶然で片付けられる事柄だ。
しかし、唱える言葉が同じであっても、意味する言霊すら同じと言うことはありえない。そして、その結果が同じということもまたありえない。
ならば、ならば何故自分と赤い騎士は、同じ言霊を唱えたのだろう。そもそも、衛宮士郎は初対面から嫌悪感を撒き散らすような性格だったか。
考えろ。何故自分はあいつを毛嫌いしていたのか。仕草や言動そのものか? いや、違う。
あいつが心根に持っていた信念を見たからだ。九を助ける為に一を切り捨てる。
バーサーカー戦がいい例だ。強敵を倒すために、敢えてセイバーを巻き添えにした。その先の戦いにおいても重宝できるであろう強力なセイバー諸共消し去ろうとした。
被害は最小限に、しかし効果は最大限に。
一手を以って二体のサーヴァントを消すという選択をしていた。
そうだ。それだ。全てを助けられないと最初から決めつけて、だから損害そのものを飲み込んで助けられるだけの人しか助けない。助けられるかもしれない人たちを助ける努力をしない。
それがずっと引っかかっていた。それを何処かで理解していた衛宮士郎は、だからこそ赤の弓兵を嫌っていた。
そのアーチャーと自分が……、
「くそっ!」
悪態を吐く。そんなことがあってたまるか。そんなことになってたまるか。
そんな苛立ちが増す士郎を凛はちらちらを確認していた。凛は、士郎以上に確信していた。二人の関係を。
互いに毛嫌い、しかしアーチャーは衛宮士郎と言う存在を深く理解していた事実。そして、あの赤い幻想。
ライダー戦からずっと謎だったのだ。セイバーがしきりに士郎を戦力としようとしていたこと。そして、アーチャーが士郎の魔術の本質を知っていたこと。
魔術の構成も魔力の流れも見えた。そして組みあがったのは投影などと言うあたりまえの魔術ではなく、具現化とも言える完全に異能な力だった。
恒常的に存在し続ける投影など存在しない。それはもうすでに創造の域まで達した別の何かだ。投影と言う形をとっているだけで、やっていることは無から有を生み出す神業。
これほどまでの強力で非常識な存在が他にあるだろうか。生み出されるものは全て幻想。しかし、実体を持ち、確かな神秘を秘めている。
魔術師として嫉妬する。妬みもする。だが、それらよりも衛宮士郎と言う存在を哀れに思ってしまう。あれほどまでに荒廃した固有結界が、彼の内面なのだ。
もう認めても良いだろう。
聖杯戦争に呼び出されたアーチャーは衛宮士郎本人だ。その身に秘めた異能を手に、信念を貫き通して、英霊までに昇格した末路なのだ。
「……あいつ」
あそこまで荒れ果ててもなお、彼は戦い続けていたのだろう。ただ、護るということを、助けるということを続けていったのだ。自分を置き去りに、蔑ろにして。
そして、彼の中には何もなく、何も育たなかった。荒れ果てたのだ。
あの衛宮士郎に遠坂凛が関わっていたのかどうかは判らない。言動を見る限りでは、自分の存在を知っていたような口ぶりが見られたが、確認は取れない。
一つ言える事は、今ここには遠坂凛(この私)が居るのだ。ならば、士郎にあの悲しく虚しい世界を取らせてはいけない。あそこまで磨り減った世界を形作るまで頑張ったのだ。
ならば、報われなければならない。
「絶対に、報われなくちゃ、いけない」
自分に教え込むように凛はそう呟くのだった。
「――ここよ」
「…………」
凛は足を止めた。地下へ続く階段が目の前にある。
凛が予測したのは地下室だった。表向きは教会であるこの場所で、地上に陣地を構えると言うのは無駄に人目につく。もしかしたら礼拝者がくる可能性もあったから、見つからず怪しまれない場所を考え、結論としてたどり着いたのが地下だった。
「行くわよ」
「……ああ」
未だ、士郎はアーチャーのことでのショックが抜けきらないようだった。そんな士郎に凛は足を止めて振り向く。突然振り向いてきた凛に士郎は驚いた顔を見せた。
「悩んでるのは解るけど、そんなふ抜けた顔しながら戦う気? やる気がないのならここから引き返しなさい。でないと、死ぬわ」
殊更辛辣に言ってやった。凛が言った言葉は真実だ。このまま、別の思考に気を捕われたまま戦いに赴くなど、自ら死にに行くようなものだ。それに気付いた士郎は、拳を握りこんで自分の頬を殴った。
「ちょっと!?」
「良いんだ。今は、セイバーを助けることが重要だ」
硬い意志が篭った目を向けてきた。その視線に見覚えを感じた凛は、若干頬を赤らめるのを誤魔化すように階段へと振り返った。
「あー、もう。似てるっていうか、同じな訳だしねぇ」
「どうかしたのか?」
「助けに来たってのにその顔じゃあ笑い話だって言ったの」
そ、そうか? と疑問譜を浮かべる士郎に凛は苦笑を浮かべた。
「さあ、行くわよ」
「おし」
階段を音を立てずに下りていく。石造りなので、ちょっとした音でも反響してしまう。敵側に悟られないように、ゆっくりと進んでいき、細い通路から広い空間へと出た。
円筒形にくりぬかれた空間が見える。士郎達がいるのは丁度筒の中間地点辺りだった。ぐるりと階段が筒に沿って間場っている始まりの場所。中の空間を覗き込めるように階段横の手摺が切り取られている形だ。
姿を見られないように隠れながら、下の様子を伺う。
「いるわね」
「ああ、二人ともだ」
空間の真下――祭壇のようなものが祭られている前に、鎖でつながれている金髪の少女が見える。白いドレスは恐らくキャスターが誂えた物だろう。何をしているのか、士郎達が居るところでは解らないが、無事な姿を確認して安心できた。
「どうする?」
士郎が訊く。
「このまま、突撃ってのも悪くない手なんだけどね。慎重に様子見る選択はあるにはあるんだけど……」
しかし、恐らく様子見をしても意味はないだろう。頭上で展開される魔力の衝突に、キャスターが気付かぬはずがない。警戒は十分にされていると見た方がいい。 ならば、やれることなんて一つしかない。
「良い、士郎? このまま奇襲をかけて、キャスターとセイバーを分断するわ。キャスターの相手は士郎がして」
実戦経験が少なく、また知識も少ない士郎にキャスターの相手は恐らく無理だろう。しかし、もしセイバーに魔術なり呪詛なりがかけられている場合、解呪できる可能性があるのは凛だけだ。だから、この役目は士郎に任せる。
「倒せとは言わないわ。でも、数分は持ちこたえて」
「そうすれば、セイバーを助け出せるんだな?」
士郎の問いに凛は頷いた。キャスターが凛に理解できないレベルの魔術を使っていないことを祈るしかないのだが。
「私が先に飛び出すわ。士郎は階段を下りてそのまま突っ込みなさい。最初の隙を見せたときが勝機よ」
力強く士郎が頷き、凛は鼓舞するため、叫んだ。
「じゃあ――行くわよ!」
凛が階段から踊り出た。軽く二階分ほどの高さを軽やかに舞い、着地する。
「来たわね!」
「来たわよ!」
凛の侵入にキャスターが身構える。手をかざし、凛に向けて、真言を唱える体勢に入った。
「うおおおおぉぉぉぉっ!!」
「なっ!」
「もらった!」
キャスターが構えを取った瞬間を見て、士郎が飛び出した。手には硬き雷の剣を持ち、キャスター目掛けて剣を振り下ろす!
「くっ!」
キャスターは咄嗟に攻撃呪文をやめ、防壁を張った。先ほども斬撃を防がれた壁だ。だが、最初から敵う事がないなど承知の上。防壁の衝撃に体が吹き飛ばされるが、着地できた。
「まさか坊やまでが来るとはね。なかなか、骨のあるマスターじゃない!」
聞きなれない言葉が呟かれた。それが魔術の発動を意味することを瞬間的に悟った士郎は、回避を選択する。
前進――!
「なっ!?」
避けを選択する。ただし、それは戦うための一動作に過ぎない!
紫に光る魔力の塊を潜り抜ける。後方での爆発など耳にすら入らない。前方に居る標的をただ見据えるのみだ。
自分でも驚くほどの踏み込み。セイバーに習った、剣撃における初歩の歩法だ。
剣は無理に振り上げない。流れの中に少しの余裕と強引さを取り入れ、戦いを左右する。もう、頭に血を上らせるなんて愚挙はしない。セイバーの教えを守り、戦うことこそが、自分に出来る精一杯のことだから。
振り下げた剣を飛び込みと連動して斬り上げる。その動作を思い描いて、その通りに剣を振った。
――しかし。
「せ、んせい……?」
「――――」
斬撃は女に掠ることすらなく、受け止められた。それも拳にだ。
拳で剣を受け止めた男――葛木宗一郎は無言のまま剣を弾き、士郎に襲い掛かってきた。
「うわっ!」
「士郎!!」
音もなく、しかし鋭く速い接近に士郎は反応できない。凛の悲鳴がいやに響いた気がした。
葛木の腕がしなる。それだけを知覚できた士郎は拳の軌道に当てを作って体を横に流すが、
「ぐがっ!?」
突如としてその軌道が変わり、士郎の側頭部を殴りつけた。不安定な体勢のところを打たれた所為で、大きく体が吹き飛ぶ。慌てて受身らしきものを取ってすぐさま立ち上がって剣を構えた。
切っ先の前には静謐に佇む幽鬼が居た。
「なんだって、先生が……っ」
「お前達流に言うのならば、マスターとやらだ」
「聖杯が、目的なんですか」
「私に目的などない。彼女が欲しがったから、私は協力している」
彼女とはキャスターのことか。
「俺達は聖杯が欲しいわけじゃない! この馬鹿げた戦いを止めさせたいだけだ!」
「だが、戦わぬことには聖杯は手に入らない」
――よって、戦わねばならない。
葛木が拳を握りこんだ。ボクサーのようにやや前屈みになり、拳を上下に分けて構える。
「これが殺し合いだって解ってるの!?」
凛が叫んだ。だが、葛木は顔色一つ変えず答えた。
「承知している。しているからこそ、お前達と睨み合っている」
これ以上話すことはないとばかりに葛木が踏み込んできた。その静かな踏み込みに、士郎は葛木の姿を追いきれない。気が付けば目の前に暗い相貌が見えた。
そこから、撃ち出される拳に士郎はがむしゃらに突っ込んだ。
一発目を躱す。が、即座に後方から殴りつけられた。
一瞬で気を失いそうになりながらも、気合で意識を引き止めて剣を振る。しかし、ふらつきながらの斬撃など、この男にとっては脅威になりえない。剣の腹を殴り、軌道を変え、打ち付けた拳が蛇のようにのたくって士郎の右肩を打った。
痛みで思わず剣を落としそうになる。強く柄を握りこむことに意識が行った瞬間に今度は腹を殴られた。士郎の体が宙に浮く。そこを狙って、葛木が蛇の一撃を見舞った。
「――――!」
しかし、その一撃は咄嗟に持ち上げた士郎の剣で防がれた。だが、勢いまでは殺せず、大きく吹き飛んでいった。
「ぐっ、がはっ」
腹の一撃が内臓に響いたのか、咳に血が混じる。
「士郎、生きてる?」
「な、んとか……な」
どうやら、凛とセイバーが居た近くまで飛ばされたらしい。心配する凛に辛うじて返事は返せた。
士郎の様子を見ながら凛は伝えるべきことを伝える。
「良く聞いて。セイバーを縛る呪詛が解けないの。ただ、呪詛を保ってる力はキャスターが与えてるみたいだから、キャスターを倒せば、セイバーを助け出せるわ」
「そう、か……」
しかし、キャスターを倒すためには葛木を足止めしなければならない。対峙した士郎は実感している。あの男は並大抵の実力では太刀打ちできない。
だが、そんなことを言っている場合じゃない。
「先生は、俺が引き受けた。遠坂は、キャスターを……」
「もちろんよ。そのつもりだったしね」
二人して立ち上がる。
睨む先には長身痩躯の男と顔の見えない女がいる。
「任せたわよ」
「ああ!」
凛の呼びかけに、士郎は強がりの大声を上げ、葛木に突進する。どうせ受けに回ったとしても喰らうのだ。ならば、少しでも攻撃できる攻めに転じ続けるしかない!
士郎の飛び出しと同時に凛は側面へと動く。葛木の陰に隠れていたキャスターを目標に定めるためだ。
「二手か、いい手ではある」
「でも、それは敵と実力が伴って初めて効果があるのよ!」
葛木が士郎の迎撃に移る。士郎の剣線はまだまだ素人癖が残っており軌道を見破るのは容易い。振り下ろしを半身に躱して、拳撃を見舞う。
拳打が士郎の顎を狙うが、剣を盾にして弾いてきた。攻撃を防ぎつつ更に接近してくる士郎に葛木は腕を蛇の如くしならせ、懐の侵入を阻止した。
「ぐっ」
「真っ直ぐだな。それが、命取りになる」
変幻自在に軌道が変わる葛木の攻撃に、士郎は防戦を余儀なくされる。辛うじて急所を狙うものは剣で防いでいるが、それでもいつまでも殴られ続ければ持ちこたえられない。
同じ人間でも、ここまでの開きがあるのか――!
「くそったれ!!」
苦し紛れに反撃したところで当たるはずもない。何か、突破口になるきっかけが必要だった。だが、そんなきっかけが早々あるものでもない。
しかし、幸運は降って湧いた。
「――ぬっ」
葛木の動きが淀んだ。そこに勝機を見た士郎が剣を閃かせた。
凛は走りながら魔術回路を目覚めさせる。
「――Anfang!」
心臓に針が突き刺さるイメージ。内に篭っていた回路が外へ張り出し、魔力を生み出す。
まずは、一撃。
呪いが篭められた魔力の一撃が、キャスターに飛来する!
「小賢しいわ」
手軽に弾かれてしまった。一小節の魔術ではキャスターの唱える防壁を突き破ることは出来ない。解ってはいたつもりだが、ここまで魔術師としての格の違いを見せ付けられるのは癪だった。
キャスターの小手先にして、凛にとっては理不尽なまでの強力な反撃を体を振って避ける。
「――Anfang……!」
「遅い!」
今度はもう少し重い攻撃をと思い、凛が魔力を溜め始めるがキャスターの一小節の方が速い。
着弾していく魔術に詠唱を諦め回避に専念する。やはり、純粋な魔術の応酬では話にならない。
凛の自慢の髪が魔力の残滓で焦げつける。飛来する多数の弾丸の軌道を見極め、紙一重で避けるのが精一杯だった。
「このまま潰してあげるわ!」
「はっ、現代魔術師と古代魔術師の差って奴を教えてあげるわ!」
「生意気な口を!」
「――Anfang……!」
「無駄だと、言ってるでしょう!」
再び魔術を起動しようとする凛にキャスターがその隙を与えぬため、一層攻撃が苛烈になって行く。
しかし、凛の詠唱は止むことはない。
「stark……っ」
今まで使わずに置いてこれた取って置きを使う。その事に貧乏癖が顔をもたげるが、無理矢理押さえ込んで発動させた。
「――Gros Zwei!」
肉体強化。一時的に魔力によって筋力を強化する魔術。無理矢理に引き上げた効果で筋細胞がボロボロの一歩手前まで破壊されるが、それでもコレを使う価値は十分にある!
「なっ……!」
「でやっ!」
凛の神速と呼べるほどの鋭い踏み込みにキャスターは咄嗟に手のひらを向けようとするが、それよりも速く凛の肘打ちが腹部に突き刺さった。
「魔術だけバカスカ撃ってれば良い時代は終わってるのよ!!」
「ぐっ!」
猛々しく叫びながら凛の猛攻が始まった。
「はあ、はあ、はあ……っ!」
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……っ!」
乱れた呼吸が重なる。
互いに技における優劣は差ほどない。武器の特性で若干ランサーに分がある程度だった。それでも、油断をすれば首を飛ばされるほど実力は拮抗している。一時も気を抜けない死闘がそこにあった。
「くくっ」
知らず、喉が笑う。
死力を尽くした死闘。正しく自身が望んだ戦いだ。生前でもここまで身を削って戦ったことがあっただろうか。確かに圧倒的な敵に挑み、勝ちを拾ったことはある。しかし、こうして実力の拮抗した相手と切り結んだことはない。全力でぶつかれる相手としてはこのアーチャーは申し分ない相手だ。
しかし、そろそろ決着を着けるべきだ。互いに消耗が激しい。勝負を決するのなら今しかない。泥沼でこの戦いを終わらせるなど、言語道断!
「はっ、そろそろ決着を着けようか!」
「ちっ!」
構えた槍を大きく振り、その場から大きく飛び退いた。丁度、教会の敷地内への入り口辺りまでだ。大きく距離を取られてしまったことにアーチャーが舌打ちする。距離を開けたと言うことは大技を放つと言うことだ。アーチャーにはこの間合いを一気に詰められるほど速度はない。取れる手立ては、相手の攻撃をどう対処するかと言う受身だけだ。
ランサーはそこで再び槍を構える。周辺のマナが凍りつき、槍へと流れ込んでいく。周囲が凍りついた間隔が広がる。夜の校庭で片鱗を見たが、これほど威圧感を感じさせるとは!
「我が必殺を――受けてみろ!」
その場で大きく跳躍し、死の気配を孕む魔槍を振りかぶる。
「刺し穿つ――」
充填された魔力砲が真名を以って発揮された!
「――死翔の槍!!」
投擲される紅き閃光。跳び穿ちながら更に魔力を吸い込み、その輝きを増す必殺の一撃をアーチャーは動ぜずに迎え撃った!
「――熾天覆う七つの円環!!」
七翼の盾がアーチャーを覆い、飛来する死の気配を真っ向から受け止めた!
「ぐっ!」
衝撃がアーチャーの体を叩く。如何に盾を構えたとは言え、その身に迫る威力の全てを流せるはずがない。アーチャーの体が沈み、足元のタイルに足が埋没する。
盾の一枚が消え去る。投擲武器に対して絶大な防御力を持つこの盾の一枚を、突き破られた!
「――っあ!!」
突き破られた盾は魔力の残滓へと姿を変え、散っていく。続く衝撃は、更に盾が突き破られたものだ。
初めの盾の粉砕を皮切りに、次々に盾が刺し貫かれていく。
「オォッ!」
最後の一枚を残して全てが貫かれた。残り僅かな魔力をふり絞り、敗れはしまいと自身に活を打ち込む。
カランとアスファルトに落ちる金属音。攻防は一瞬だったが、最中における熾烈の激しさは、めくり返った道路が物語っている。
アーチャーを中心にクレーターの如く抉れ返った地表を見取れば、今の衝突の凄さが解るだろう。
「――受けきったのか、我が一撃を……」
「ふん。この身が無事でも最早戦う力など殆ど残っていない。相打ちという所か」
ランサーの一撃で消し飛んでいった盾の消費量は馬鹿にならない。既に固有結界も魔力の枯渇が起因となって消えてしまっている。残っている魔力など殆ど滓同然だ。
それでも、
「この身に敗北と言う二文字は、ない!」
双剣を構える。心身ともにボロクズであるが、戦いを止めるなどという選択はない。マスターの許しがない限り、あるいは目の前の敵を倒さない限り、アーチャーに止まる選択肢などないのだ。
「言ってくれるぜ。こっちも空っぽだってのになぁ」
落ちていた槍を拾い、ランサーは構えた。もはや、雌雄を決するのは全力を振り絞ったものだけだ。
「さぁて、最終決着と行こうか?」
「依存はない」
赤と青の騎士が視線を鋭くし、咆哮した。
地上で赤い騎士が吼えたと同時に凛もまた吼えていた。
地を蹴り、拳をぶつけ、蹴りを放つ。
現代魔術師と古代魔術師の違い。
それは、対一戦闘が主となる現代の魔術師たちが学ぶ格闘技であり、古代のように魔術一辺倒だけで切り抜けられた多数戦闘とは違う戦いの様式だ。
凛の猛攻に格闘技に関しては素人であるキャスターは、瞬く間に劣勢を強いられる。その攻撃の嵐に、葛木に回していた魔力保護を失わせるくらいの苛烈さだ。
「――むっ」
「行くぞっ!!」
キャスターの魔術の保護を失った葛木は士郎の剣を受け流すことは最早無理だった。
士郎の斬撃が葛木に迫る。今までのように拳で剣を弾くことはせずに半身になってそれを躱す。追撃の士郎の横薙ぎを後ろに飛んでやり過ごす。葛木に攻撃の隙を与えずに、士郎が剣を降る。
しかし、葛木の動きは魔術の保護がなくなっただけで衰えるものではない。
「ぐっ、が……!」
剣閃を潜り抜け、蛇のようにのたくって来る拳撃に士郎はまともに喰らってしまう。それでも、倒れずに士郎は攻撃を繰り返していく。
「――――!」
「くっそぉおおおおっ!!」
あまりにも実力に差がありすぎる。士郎の剣は葛木に届くことなく、しかし葛木の拳は士郎を殴りつける。剣の間合いの外から攻撃されることもあれば、内側に入って来られ防ぐ暇もなく乱打される。
だが、ここで倒れるわけには行かなかった。自分の役目は葛木の足止めだ。自分に出来ることはそれだけなのだ。だから、任された役目は絶対に果たす。
「このおおおおぉぉぉっ!」
それだけが士郎を支えていた。
「シロウ!」
その様子を見ていたセイバーが悲鳴をあげる。傷ついていく最愛の人を見たくない感情と、使命を果たさんとするその姿勢に胸が苦しくなる。未だに、キャスターの呪縛は効力を持っている。
一時的に、凛の猛攻のおかげで拘束力が弱くなったとは言え、この戒めは未だ強力だ。自分の手には負えない。
このままここで士郎が傷ついていくところを黙ってみているだけなのか?
――させるものか。それでは、自分がここにいる意味など、ないだろう!!
セイバーの魔力が揺らぐ。怒りによって増幅されていく魔力圧にセイバーを押さえつける呪縛に亀裂が走る。
「セイバー、無事!?」
「リン!」
駆け寄ってきた凛にセイバーは怒り交じりに言う。
「早く、これを……!」
「解ってる! ……なんか、半分近く自壊しかけてるけど、いける!」
「キャスターは!?」
「あの辺で伸びてるわよ」
凛の示す方向には蹲り、悶えているキャスターの姿があった。よほど手痛いダメージを負ったのだろう。呼吸が細い。しかし、それで安心できるわけではない。
ここはキャスターの陣地だ。魔力さえ補えばサーヴァントの傷は癒える。ああして、動きを止められているのもあまり長い時間ではない。完全に倒しきるまで、戦いは終わらないのだ。
「全く、こんな服着させられて……。なかなか良いセンスしてるわね」
「できれば、シロウの前で着たかったです」
「…………」
セイバーのコメントを意識的に無視して、凛は解呪を急ぐ。キャスターをぶちのめした影響からか、半分ほど機能不全を起こしていた呪縛は凛でも解けそうだった。
「――よし! キャスターを倒して。私は士郎の援護を!」
「行きます!」
「くっ、マズイ!」
勢い良くセイバーが立ち上がり、戦闘形態をとった。手に持つは不可視の剣。それを翻し、セイバーはキャスターに迫る。
ようやく体を上げたキャスターは復活したセイバーを見て、焦燥を露にする。その間もセイバーは間合いを詰め、キャスターを両断しようと剣を掲げた。
しかし、
「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「なっ!?」
いざと言う瞬間に降り注ぐ刃の弾丸。それらは、正確にキャスターの体を貫いていた。
古今東西の武具がキャスターを串刺しにしている。こんな真似が出来るのは、セイバーが知る限り二人だけ。そして、ここまで非道な真似が出来るのは一人だけだった。
「ギルガメッシュ!」
「ふん。よもや名を呼ばれるとはな。まさにこの10年は無駄ではなかったようだな!」
突如として現れた全身を黄金の甲冑で身を包む男は、その場に居る人間を見下しながら言う。
「孔が開くというのに、小競り合いを続ける愚物ども。そろそろ、茶番は終わりにしようではないか」
「なんのことだ!」
「時期に解る。その為にも、いくらかサーヴァントには消えてもらうのよ」
ギルガメッシュと呼ばれた男とセイバーの問答の横で、キャスターは刃の戒めから抜け出していた。既に体が魔力粒子への変換が始まっている。彼女はもう、死に体だった。
「宗一郎様……」
「…………」
崩れかけの体を引き摺って葛木にしな垂れかかる。血まみれの手が葛木の頬をそっと撫でた。
葛木はキャスターの体を受け止めることもせず、ただ立ち尽くすだけ。
「私は、ただ、あなたの傍に、いたかった……」
「…………そうか」
それだけを残し、キャスターが消える。消えかかる。そのとき、葛木は訊いた。最後の時に訊ねた。
「……何かあるか?」
不器用に、訊ねた。
「私は――」
キャスターが消滅する。その一時に呟いた言葉を葛木は確かに聞き届けた。
「キャスター……」
サーヴァントの消滅を眼にするのはこれで二回目だった。彼らは英霊と崇められ、超常的な存在として認知されていた。
しかし、そんな彼らにも人並みの願いはあるのだ。人を超えたと見るのは、他人だけ。英霊もまた人である。願いがあるのだ。人が願う、つまらなくも普通な願いを持っているのだ。それを叶えられないまま、消え行く姿を見て、士郎は胸を痛めた。
そんな姿を、嘲笑う存在が居た。
「――ふん。俗な願いだな。そんなものを願ったとて、益体もないことよ」
ギリッと歯軋りの音がする。セイバーが怒りの形相を露に、黄金の騎士を睨みつけていた。手に持つ不可視の剣を握り締め、天に構える王と名乗る男を居抜く。
「貴様にそんなことを言う権利など無い」
「そうか? 王というものは全てを超越した、言わば神。俗世が何を望み、その価値をどう評価しようと、我の勝手だ」
「人の願いを侮蔑する権利など神にもありはしない!」
「ならば、そのような神になろう。神をも超える神だ。何ものも我に逆らえぬ存在に上がって見せようではないか」
その為には、
「邪魔な雑種には消えてもらうとしよう」
「シロウ!」
「ああ! あいつを野放しにするわけには行かない!」
「全く、その熱血路線、どうにかして欲しいわね……」
全てを見下すあの男を倒さなければならない。『正義の味方』ならば、見過ごせる話ではない。
セイバーが剣を構えた。士郎もまた剣を構える。台詞は呆れているが、凛もまた戦闘体勢を取った。
「来るか、騎士王よ」
「貴様は、なんとしてでも倒す」
「ははははは! その心得、なかなかのものだ」
哄笑する騎士にセイバーはぐっと体を沈める。飛び出す準備だ。真正面から戦って勝てるとも思えないが、それでも戦わなければならない。
それは正義でもなんでもない。ただ、人を傷つけるだけの存在を許せないのだ。
「行くぞ――!」
「――待て」
いざ飛び出そうとしたセイバーを静止したのは葛木だった。血塗れた顔を拭わず、幽鬼に立つ男に全員の視線が集まる。
「私はあの男に用がある」
「なっ、貴殿は……!」
「人間だ。だが、これがキャスターの願いでもある」
キャスターの願い。
聖杯を望む願い。その先にあった願い。それを託された葛木はセイバーの前に立ち、構えをとった。
「――なんの真似だ」
「この身は朽ち果てた殺人鬼。自ら望みはしないが、託された望みは果たす。――例え、届かずとも」
「先生……」
「手助け無用。これは、私がしなければならないことだ」
参戦を拒絶する葛木は、士郎達に背を向け、黄金の騎士と対峙する。
『私は、普通の幸せが欲しかったのです』
不可能ではない夢。手を伸ばせば届く幻想。しかし、彼女は手に出来なかった。それを託されたのなら、なさねばならない。何も欲さなかった男は、何かを望まれて拳を握った。
「……退くわよ、士郎」
「なっ、だって!!」
「アーチャーがやられた。このまま、あいつに戦いを挑んでも、勝ち目が無いわ」
「……アーチャーが」
セイバーが小さく呟く。彼は、戦いきったのか。
ならば、この場で出来ることは少ない。
「シロウ、戦力が足りません。一時撤退を具申します」
「でも!」
士郎の体は既に動くことは叶わない。葛木の攻撃を喰らい続けた所為で、まともな動きをするのも一苦労だ。そして、凛もまた無理な肉体強化を行った所為で、戦闘行動が取れない。
圧倒的に、戦力不足だった。
「閉鎖空間内ではギルガメッシュの方が有利です。敵に有利なフィールドで戦うなど、無謀です」
「……くっ!」
解っている。解っているさ、そんな事は! でも、目の前で死んでしまうかもしれない人を置き去りにして逃げるなんて――。
「決断しなさい、シロウ。全てを守るなんて、ただの幻想です」
「……解った。この場は、逃げる」
搾り出すように言葉を出した士郎にセイバーは頷き、凛もまた頷いた。
葛木とギルガメッシュの戦闘が始まっている。人間にしては驚異的な動きをする葛木に、ギルガメッシュは梃子摺っている様だった。
それを見届けて、セイバー達は、その場から離脱を試みる。
「逃げるのか! 騎士王よ!!」
「お前の相手などしていられないのだ!」
襲い掛かる宝具を切り払いながら、セイバー達は地下から脱出するのだった。
体は重く、先刻の閃光のような攻撃は不可能。腕に力は入らず、ともすれば武器に振り回されそうになる。それほどまでに消耗していた。
「くそったれ、中々しぶといじゃねぇか、弓兵」
「君も中々しぶといな、槍兵」
互いに不敵な笑みを浮かべ、自らの獲物を握る。
もう十数合打ち合ったが、未だに決定打が出ない。必殺の一撃を見舞うだけの体力が底を尽き始めたのだ。しかし、その一撃を放たなければ、この戦いに勝機は無い。
「いい加減決めようぜ。長ったらしくやるのは、それはそれでいいけどよ。流石に、決着着けるべきだ」
「同感だな。私もこれ以上戦うのは不本意だ」
「今回は珍しく気が合うな、俺ら」
「……そうだな。もしかしたら、私たちは気が合ったのかもしれん」
「じゃあ、これが終わったら酒でも飲みあうか?」
「ふん。それもまた良い案だ」
武器を構える。何度目かの仕切りなおし。そして、最後の仕切りなおしだ。
「ハァッ!」
先に仕掛けたのはランサーだ。槍のリーチを存分に生かした遠間からの刺突!
それを干将で弾き、莫耶をランサーに投げつけた。
――鶴翼、欠落ヲ不ラズ
ランサーは舌打ちしながら投げつけられた莫耶を避ける。槍を引き戻しながら、そのまま薙ぎに転じる。
――心技、泰山ニ至リ
――心技 黄河ヲ渡ル
だが、再びアーチャーの手に現れた莫耶に防がれ、返す刃で干将が投擲される。
それを読んでいたのか、ランサーは干将を弾き飛ばし、間合いを詰めた。
「二番煎じだろ!」
「ハァッ!」
――唯名 別天ニ納メ
俊足で間合いと詰めて来たランサーにアーチャーが干将を投影するが、それを超えてランサーの槍がアーチャーの心臓を捕らえた。
「獲った!」
――両雄、共ニ命ヲ別ツ……!
赤い騎士の背から槍の穂先が覗く。赤い外套がどす黒く濡れ落ちていく。
「――なんだよ。結局これか……」
がふっとランサーが血を吐いた。青い騎士の背にはアーチャーが投擲した二本の剣が突き刺さっている。致命傷だ。いかなサーヴァントとは言え、基本は人体だ。死に至る傷を負えば、命が費えるのは自然のこと。
「全力で相打ちかよ。あーあ、確かにお前は負け知らずだな」
「…………」
「ちっ、先に逝っちまいやがんの。でもま、あんたとは戦れてよかったぜ」
願いは叶ったわけだしな。
その言葉を残して、赤と青の騎士はその身を消した。