「り、凛……、は、早く契約をして頂けると、望ましいのです、が……」
「せ、セイバアアアアアアアアアアアアァァァァァァ!?」
キャスターと強制的に契約していたのだが、そのキャスターが倒れてしまい、マスターなしの状態だったセイバーは魔力が枯渇していたのだった。
ぼろぼろだった士郎に肩を貸して、衛宮邸まで来た所で、セイバーは倒れ伏してしまったのだった。
セイバーが倒れたことに動揺する士郎を落ち着けるのにえらく苦労したと言っておこう。
「はあ、まったく……」
凛はしんどそうに溜息を吐いた。
今から二時間ほど前に教会で激闘を繰り広げたと思えば、一時間前のセイバーとの再契約でてんやわんやと騒いだ。
「セイバーも、頑固よねぇ」
それは、再契約を行う際のこと。
魔術師としての遠坂凛は一流だ。超一流に片足を突っ込んでいると思っても、自惚れではないだろう。魔力量も魔術の知識も魔術の行使もそんじょそこらの魔術師とは隔絶していると思っている。恐らくそれに間違いはない。
そして、対比するのも馬鹿馬鹿しいのだが、魔術師としての衛宮士郎と言う少年はどうしようもないほどの落ちこぼれだ。正直、何で魔術なんてものに足を踏み入れたのか解らないほど衛宮士郎は魔術師に向いていない。魔術回路なんて並以下だし、基礎もできておらず、根源に至る為の活路さえない。
そんな二人をマスターとして並べた場合、多くのサーヴァントは凛をマスターに望むだろう。その強大な魔力はサーヴァントの力を限界まで発揮できるほどだ。凛を選ぶことは正しい選択のはずだ。
しかし、セイバーはマスターを士郎に選んだ。
愚直なまでに義理堅いセイバーだ。士郎のための剣になると誓いを交わした義務感から選んだのだろう。
「……いえ、違うわね」
凛は頭を振って、その考えを否定した。
そうではない。それだけでは説明できないほどセイバーは士郎に固執している。
そう、執着していると言ってもいい。何故そこまで士郎に拘るのか、凛は未だに解らない。
士郎がそれだけ魅力的なのだろうか?
確かに、魔術師としては三流以下であるが、事、戦闘者としてはセンスを持っている。それは凛も認める。なにせ、英霊になるまで上り詰める男なのだ。未来が不確定とはいえ、いくつかの分岐の先に英霊として迎えられたと言う事実があるのなら、それだけ士郎に見込みはある。
だが、それは未来の話――向こう数十年先の話だ。現在の衛宮士郎にあの弓兵のような力などない。期待するのは解るが、この場合では筋違いではないか?
セイバーは何故自分が消えかけると言う段階と、この先有利に戦いを進めていくと言うメリットを前にして士郎をマスターに選んだのだろうか。
「解せないわね」
セイバーの正体は不確かだ。真名は知っているし、あの正直さと実直さも彼女の本来の性格だろう。だが、あまりにも士郎に固執する理由と士郎の魔術の正体に早い段階から察知していたような言動が未だ解らない。
「ま、まさか……いやいや! そんな暇なかったし」
ちらりと脳裏を過ぎったのは、凛の与り知らない内に、その、なんだ、魔力不足を補う行為なんかをしちゃったりなんかしてたりしてたのだろうか。その時に、士郎の魔術の特性を見抜いたとか?
「でも、相変わらず魔力は不足してるわけだし……」
当初のセイバーと士郎はパスは繋がっているがそれは微弱で魔力を供給できていなかったのだ。それ以後も魔力不足に悩んでいたようだし、どこかで補給してたわけではないだろう。うん、そんなこと自分の間近でやられていたら……。
「――なんか今、アーチャーの背中が見えた」
背中で含み笑いをしている赤い騎士を幻視した気がした。
はっとなって、自分の頬に手を当ててみる。
熱かった。
「ま、今は休みましょ。これ以上考えても纏まりそうにないし」
疲労でうまく回らない頭で考えても埒が明かないと判断(誤魔化)して、凛は床に就くのだった。
『決着』
From "Fate/stay night" (C) 2004 TYPE-MOON
Presented by HIRO [TRASH BOX]
翌日は晴天だった。
その空を仰ぐために衛宮士郎は庭に出ていた。昨夜は教会での戦闘にセイバーとの再契約で魔力の大半が失われたりと疲労度が並ではなかったのだ。しかし、一晩明ければ体の調子はまずまずだった。
冬の晴れ空に気持ちよく息を吸い込んだ。朝の冷えた空気は身を引き締めてくれる。少しだけあった眠気も、今の深呼吸ですべて消えた。よしっと気を入れて、朝食の支度に取り掛かったのだった。
朝食後に、士郎は凛に呼ばれた。隣にはセイバーもいる。居間でお茶をすすりながら、ちょいちょいと手招きする凛に士郎は小首を傾げながら座る。ひとまず、自分の茶を入れようと電気ポッドから急須にお湯を入れしばし待つ。その間に減っていた茶菓子を付け足しておく。
「で、なんか話でもあるのか?」
急須の温度を手で探りながら士郎は自分を引き止めた理由を問うた。
「昨日あったことの反省と、これからの行動についてよ」
それかとセイバーと士郎は呟いた。二人同時だったので、凛は鼻白むが気にしない方向で流した。
「……今の私たちの状況から説明していくわね。現在の戦力は士郎をマスターにしたセイバーのみ。アーチャーは昨日ランサーと戦って相打ちだった。つまり、これから戦うときはセイバーだけになるわ」
「はい」
凛の説明にセイバーが頷く。それを横で見る士郎は少し不満げだ。それを見取った凛は、やれやれと肩をすくめた。
「士郎、あなたの力はサーヴァントには及ばない。――もう、何度も言ってきたけど、まともに戦っても勝てやしないんだからね」
「解ってる……。先生にすら勝てなかったんだし」
葛木宗一郎との戦いで士郎は手も足も出なかった。まったく届かなかったのだ。投影魔術が本来の自分の魔術だと気付いたところで、それを振る腕がない。人間の葛木にあれだけの力の差があったのだ。それを超えるサーヴァントに勝機などありはしなかった。
「で、今んところの唯一の戦力であるセイバーは士郎をマスターにしてる」
「……不満そうですね?」
「そりゃあね? だって、私の方が魔力量は多いもん」
再契約時に何度もセイバーを説得したのだが、頑として士郎をマスターにすると譲らなかったのだ。あれだけ自分をアピールしておいて、素気無く振られれば、不満だって出てくる。
「ねぇ、今からでも再契約しない?」
「断ります」
笑顔で拒否された。ちょっと怖かったかもしれない。
「話を一端変えましょう。残りのサーヴァントはアサシンとあの金ぴかね」
「金ぴか?」
「金色の甲冑だからか?」
「見るからに金持ってそうだからよ」
断言された。士郎の中の遠坂凛と言うイメージに通算何度目かの亀裂が走る。ああもう、この少女はどこまで猫を被っているのだろうか。
「アサシンは未だに会ったことないし、もしかしたらもうやられてるかもしれないから、今はちょっと除外しましょ。問題はあの金ぴか野郎よ」
そこで士郎は急須から茶を注いだ。ちょうどいい頃合だったのだ。
「セイバー、あなた、あいつの事知ってるんでしょ?」
問いかけられ、セイバーは重々しく口を開いた。
「彼は前回のアーチャーです。真名はギルガメッシュ。人類最古の英雄王です」
「マジで!?」
「大マジです」
くっと凛は歯噛み、セイバーは沈痛な表情を作った。
重々しい空気が流れる中、士郎は遠慮しながらも疑問を投げた。
「なあ、ギルガメッシュってそんなに厄介な相手なのか?」
「あったり前でしょ!? 英雄王よ? 英雄王!! 人類の至宝と言う至宝を手に入れた極上の金持ちよ!!」
「凛、強調する部分が違います」
「あ、うん。そうだった。とにかく、あいつの伝説通りなら神性も持ってるんでしょ?」
「ええ。それに、彼は無限とも言える武具の数々を保持しています。私が前回戦ったときは手数の多さに圧倒されっぱなしでした」
「宝具がたくさんあるのか?」
「いえ、担い手でない限り真名は発揮できませんが、その分数で押してくる相手です。キャスターやバーサーカーの惨状を思い出せば解るかと」
なるほど。アインツベルンの城で見た武器を飛ばす攻撃がそれなのか。
「真名を発揮しないとは言え、伝説級の武具です。直撃を食らえば、どんなサーヴァントでも致命傷になりえます」
「ちっ。面倒な相手ね。弾数無限のマシンガンってところか」
「なら、相手の懐に飛び込めばどうにか……」
思い出してみれば、ギルガメッシュが接近戦をしているところを見たことがない。いずれも、遠間からのあの宝具の雨によって仕留めている。なら、セイバーが接近さえしてしまえば、勝てる可能性があるかもしれない。
士郎はそう考えたのだが、セイバーは頭を振って否定した。
「確かにあの宝具の攻撃は厄介ですが、それ以上にギルガメッシュ自身が持つ宝具が厄介です」
「……あれね」
「ええ。ギルガメッシュが唯一持つ宝具――エアです。あの一撃は恐らく私の剣よりも上でしょう」
「そんなになのか……」
うめく士郎にセイバーは残念そうな表情を浮かべた。
「恐らく、まともに撃ち合っても負けます。武器自体にそれほど差はありませんが、向こうは連発できるのです。こちらは、一撃のみ。苦戦は必至です」
悲観的な言葉を並べるが、セイバーの顔には残念はあっても悲観は無かった。
セイバーの言葉に悩みこむ士郎と凛にセイバーはまだ活路は有ると続ける。
「ギルガメッシュの剣自体は抑え込めます。あれはある程度の距離を置かなければ当たりませんから」
乖離剣エアによる攻撃は、確かに大威力であり、防ぐ手立ては無いだろう。しかし、それは当たったらの話であり、あれだけの力を振るには技に溜めが必要だ。その時間を稼ぐのがあの砲撃なのだろう。
あの乱撃を潜り抜け接近戦を挑まなければならない。厳しいが、可能範囲だ。
「とりあえず、ギルガメッシュはセイバーに任せればいいのね?」
「ええ。私でなければ、彼は倒せません」
ギルガメッシュ対策に具体的な案は無い。セイバーの力量に委ねるより他は無かった。
「じゃあ、次よ。ギルガメッシュが何をやろうとしてるのか。正直、アイツの行動って良く解ってないのよね」
突然アインツベルンの城に現れたと思えば、次にキャスターを襲っている。これらの行動の意味とは一体何なのだろうか。
「イリヤの心臓を持ってったってことは、聖杯の器が目的なのかしら」
「可能性は高いでしょう。何を望んでいるのかは解りませんが、確かに彼は聖杯を目的としているようです」
言葉の端々にそういうニュアンスは込められていた。しかし、それ以上に何かがあるのではないかとも思える。聖杯で叶えたい願いが有るのだろうか。
「その辺は解らないわね、本当に。まあ、あいつあれで王様だから、前口上とかでうっかり喋りそうだけど」
「遠坂じゃないんだからさ」
「何か言った?」
「――いえ」
怖い。睨みつけられるよりもその笑顔の方が怖いです、遠坂さん。
下手に口出ししない方が良いと士郎は学んだ。
「ともかく、聖杯を手に入れようとしてるなら次に移る行動は大体予測できるわね」
「聖杯を降ろすと言うことですか?」
「降ろす? どう言う意味だ?」
「聖杯は冬木の街の何処かに降りるのよ。降臨って言った方が良いかしら。霊脈があるところ、私の家かあの公園か――あるいは柳堂寺よ」
「一成の家が!?」
「寺だけあって、霊脈を押さえてるのよ。あの山自体大きな霊場なの。多分、そのいずれかにギルガメッシュはいるわ」
「…………」
友人の家が戦場になることを知らされて士郎は当惑を隠せなかった。下手を打てば友人が巻き込まれてしまう。最悪の場合は死ぬ事だってありえる。
「今すぐ避難させた方が……」
「どうやって説明するのよ。聖杯戦争自体極秘扱いなのよ? 一般人には魔術やら聖杯やらなんて理解できるはずが無いじゃない」
「じゃあ、どうすれば……」
「その為に私がいます。安心しろとは言えませんが、全力で守ります」
「……すまない、セイバー」
「いえ、私は士郎の剣であり盾です。あなたが守りたいと思うものを守り、あなたが倒さねばならぬ敵を斬りましょう」
――それがあなたに立てた誓いですから。
『以前』だ。『以前』、セイバーはその誓いを立てた。それは、衛宮士郎が変わらぬ限り、いや、変わったとしても変わることのない誓いだ。平行世界の別人であろうとも、この誓いだけは変わらず彼女の胸のうちに立っている。
「ギルガメッシュの様子を考えれば、あまり時間はないようです。決戦に挑むのなら、今夜でしょう」
「そうね。早めにやらないと。ちんたら回復を待ってて聖杯降ろされたらたまらないし」
なら、と。凛は続けた。
「今夜のために寝ましょ。少しでも魔力を回復させて、少しでも勝率あげるわよ」
その言葉に、セイバーと士郎は深く頷いた。
昼間から続く晴天は、夜でも続いていた。
雲の無い空には月が浮かんでいる。夜天を照らす白月にセイバーは何とはなしに眺めた。
腰元にアゾット剣を差した凛はきつく山頂を見た。
場所は柳堂寺前の階段最下部。
これより先は決戦の地。最早、残された時間は少ないのだろう。セイバーの眼にも魔力の流れが目に見えて強くなっているのが解る。
「これが、柳堂寺? 魔力が満ち溢れてて、もう別世界じゃないか」
「ビンゴね。恐らくここにギルガメッシュはいるわ」
生い茂る木々で登頂は見えないが、淡く魔力が光って見えるあの場所にギルガメッシュはいる。
「――今からなら引き返せるわよ? 士郎」
「何馬鹿言ってるんだよ。ここまで来て引き返すなんて出来るか」
既に投影した干将莫耶を手にしている士郎は心外そうな顔をして言った。
「その覚悟、後悔するつもりはある?」
「ない。ここで逃げる方が俺は後悔する」
「よしよし。上出来よ」
弟子の覚悟を確認して凛は笑った。
「じゃあ、行くわよ!」
「おう!」
「はい!」
三人は柳堂寺の階段を上り出した。
警戒しながら、階段を上っていき、ついには登頂の山門が見えた。それを見て、凛は足を止めた。
「どうしたんだ?」
「ここまで敵から何も無いってのもね。大仰に構えてるのか、それとも私達が来ると思ってないのか……」
いや、もう一つ可能性はある。
「うっかり忘れてるのかも……」
「凛の様にですか?」
「――衛宮君?」
「俺だけ!?」
士郎の呟きにセイバーも便乗したと言うのに、怒りの対象は士郎だけだった。その事に理不尽を感じる。
最後の悪ふざけだ。この先に待っているであろう戦いに、最後の悪ふざけをした。
一頻り笑って、顔を引き締めた。
階段を上る。山門の全容が見える位置まで登ったとき、人影が現れた。
「ギルガメッシュか!?」
「いえ、違います。あれは……!」
ふらりと現れた人影は階段の最上段で優美に佇んでいた。緩く吹く風に長い髪が靡く。
その人影は、三人の中のセイバーを見取って、笑みを零した。
「ふっ。ここまで待ち望んだ甲斐があったな」
「誰よ、あんた」
剣呑な声で凛が言う。その空気を軽く受け流しながら、それは答えた。
「アサシンのサーヴァント、佐々木小次郎」
「アサシン!?」
「佐々木小次郎って……!」
突然名を告げたことに士郎と凛は驚きを露にしていた。
ここに来てアサシンが未だに現存していること、そして、この場にいると言うことは戦いを挑んでくると言うことだ。
ギルガメッシュだけの対決だと思い込んでいた分だけ、二人にとっては寝耳に水だった。
「女狐が消え、このまま消え行くかと思っていたが、一縷の望みをかけてみれば叶うとはな……」
「…………」
小次郎はその名とともにある刀を肩に担いぎ、セイバーを見ていた。小次郎は、この場に現れてから、ずっとセイバーしか見ていない。
「女狐が消えたとは言え、命令は残っている。この山門を通りたくば、戦ってもらおう」
「くっ……大誤算。ここでアサシンが現れるなんて……!」
己の予測の稚拙さに凛は腹を立てるが、今更どうにもならない。このサーヴァントは意地でも退かないだろう。気迫がそれを物語っている。
「凛、シロウ……。ここは任せて、あなた達は先に」
「ちょ、そんなの……!」
「魔力の流れが強くなっています。聖杯が降りる前に食い止めなければなりません。そう決めていたはずです」
あくまでも聖杯を降ろす事を邪魔するのが目的なのだ。ここで全員留まっているわけにはいかない。
「だからって、セイバーなしでどうしろって言うのよ!?」
「シロウ」
「解った」
名を呼んだだけで、二人は分かり合った。それを見て凛はますます血圧が上がる。
「二人して解ったようなこと言ってないで、説明しなさい!」
「一先ず、あなた達は先へ。私はアサシンを倒します」
「ちょっと、コラ!」
セイバーは前に出て、剣を構える。暴れる凛を士郎が押さえてその場から下がった。
セイバーは風王結界を解いた。封じられていた風が爆発し、野太い木々を軋ませる。その風の渦の中に強く光る星が鍛えた剣が姿を見せた。
「鞘を解いたか。全力で来る気か?」
「あなたを思えばこそ……」
「さようか。ならば、私も全力で参らせてもらおう」
「セイバーのサーヴァント、アルトリア・ペンドラゴン。この勝負、受けた!」
セイバーは石段を蹴って、神速で突っ込む。
地形の問題から、上に構える小次郎のほうが有利なのだ。それを少しでも無くすには間合いを詰めなければならない。それでなくても、小次郎が持つ長刀はセイバーの間合いよりも外から刃が届く。
戦闘が始まった両者の横で士郎と凛は山門を潜っていった。
「行くぞ、遠坂!」
「セイバーなしで何が出来るのよ!」
「だから、セイバーが来るまで俺らが持ちこたえるんだろ!」
「あ……」
「ギルガメッシュに聖杯を渡しちゃいけないんだ。妨害でも何でもやって、セイバーが来る時間を稼ぐんだよ」
「……ごめん。頭に血が上ってた」
「いいよ、それだけセイバーを心配してくれたんだ」
それが嬉しいと少年は笑った。
その顔を見て、少女は「あー、くそ、何でこんな奴に……」とぶつぶつ呟いていた。
「……いいのですか? あの二人を行かせてしまって」
「私はお主の相手をするので精一杯だよ」
鍔迫り合いの状態で問うセイバーに余裕気に笑う小次郎。
そもそも、小次郎が持つ刀――物干し竿はその長さと重量に見合わぬ細さを持っている。故に、セイバーの剣を受け止めることは、刀を折られる可能性があったのだ。自分の武器の強度を把握しているはずの小次郎が、わざわざ壊れる可能性が高い防御をするなど理に反している。
「――わざと、ですか?」
「さて。拙者は挑んできた敵の相手をすることのみ。結果、力が拮抗してしまっては他のことなど手が回らぬ」
そう言ってのけた小次郎はセイバーを体重だけで軽く押した。その流れに沿ってセイバーは数段階段を落ちる。
仕切りなおしに構えるセイバーに、小次郎は構えを取らず、天を仰いだ。
空には月が浮かんでいる。
「今宵の月は良く見える。月下の下で剣の英霊と刃を交えるとは、一興也」
やおら、小次郎はセイバーを見据えた。
小次郎の刀身に月光が光る。
「さあ、行くぞ、最強よ。私の剣が届くか、お主の剣が私を断つか。いざ尋常に――」
「勝負!」
月下に鋼の音が鳴り響いた。
山門を抜けた士郎と凛は、境内に満ち満ちている魔力の様子に今一度驚いていた。
「なによこれ……」
そこには純粋な魔力など無かった。
何がしかの呪いが混じった黒い邪素が溢れているだけ。
「聖杯って、こんな黒いもんを取りこむの?」
「――まさか。これは聖杯から零れ落ちたものだ」
凛の疑問に答えたのは、黄金の騎士だった。
「ギルガメッシュ……」
「ふん。セイバーが来るかと思えば、雑種が来るとは。つまらぬ話だ」
「聖杯から零れ落ちたって、どう言う意味よ」
「はっ、これだから頭の悪い雑種は手がかかる」
ひきっと凛の顔が引きつったが、根性で抑えた。
「この『呪い』は聖杯が開く孔から漏れ出しているものだ。この世の全てを呪い尽くす黒き意志。それが聖杯だ」
「聖杯って、聖者の血を受けた器じゃないのか?」
「普通はね。でも、冬木の聖杯は人造よ。聖者の血なんて無くたって大量の魔力を秘めるそれは聖杯と言えるわ」
その魔力を使って望みを叶える。まさに、魔術師にとってそれは聖杯足りえる。
「でも、こんな呪いが混じってるんじゃ、使い物にならないわね」
「はっ、呪いがあろうとなかろうと、これだけの力を御せずして、聖杯を手に入れようと言うのか」
「人間の限界超えてるわよ。これだけ濃い呪いが大量にあったら、人間じゃ手に負えないわ」
だから、
「――聖杯、壊させてもらうわよ」
凛は、腰に提げていたアゾット剣を抜いた。
「ふん。セイバーが来るまで戯れてやるか……」
パチンとギルガメッシュが指を弾いた。その背後から、剣や槍の柄が覗き出る。
「――王の財宝」
王のだけに許された財源の数々が刃を向けた。
「さあ、しばし余興を楽しむとするか」
「来るぞ――!」
一斉に射出される神秘の嵐に、士郎と凛はその場から飛び退いた。
「逃げ続けるか? だが、それだけでは楽しみが無いぞ!」
放たれる無数の砲撃に二人は打つ手が無い。
逃げ回る的にギルガメッシュは余裕から攻撃の手を緩めた。
「そら、今度はそちらの番だ。我を満足させる反撃をして見せよ!」
「くっ、好き勝手言ってくれちゃって……!」
しかし、それは強がりだ。ここまで圧倒的に力の差がある以上、小手先の反撃など意に介さないだろう。敵を欺けるほどの攻撃は、全力での攻撃しかない。だが、その全力を以ってしても、この騎士には到底届かない。
――どうする?
様々な手が凛の脳裏に浮かぶが、どれもこれも決断に至るほど頼りになるものはない。この場を凌ぎきる作戦が思いつかない。
「くっ、どうすれば……!」
ギルガメッシュの背後には呪いに染まった聖杯が見える。もはや、生まれるまで後僅か。その僅かの時間すら稼げない自分に腹が立つ。
その横で、士郎はある決断をした。もうこれしか方法はないと、無謀であっても無茶であっても、それを蛮勇と罵られようが、それしかないと決めた。
「――遠坂、先に行ってくれ」
「な!? そんなことできるわけ……」
「いいから! 一瞬でも何でも、俺が隙を作る。だから、遠坂は先に行って、聖杯を壊してくれ!」
言い終わりに、士郎は剣を投影した。一番馴染む双剣を手に、甲冑の騎士に戦いを挑んだ。
それを凛は制止しない。ここまで来て、足止めを食っていられないのだ。士郎を盾に――犠牲にしようとも、あの聖杯を壊さなければならない。最初に決めたとおりに。
「――ごめん!」
それだけを告げて、凛は柳堂寺の裏へと走った。
「はぁっ!」
全力で剣を振る。後先考えず、ただ力の続く限り刃を走らせる。
「雑種一人で我に戦いを挑むか。贋作者風情が生意気な!」
士郎の剣をやすやすと受け、返す刃で士郎に斬りかかる。その一撃はギルガメッシュには大して力を込めていない一撃だ。しかし、人間にとっては必死に値する必殺の一刀。
「ぐっ――!」
繰り出される剣に全力で剣を打ち付ける。一撃でも喰らえば再起不能になる。全力で、死力を尽くして、この場を稼がなければならない。
セイバーが来るまで。その時間を――!
「ははは! どうした? この程度に死力を尽くしていては、即座に命を落とすぞ!」
「うるせぇ!」
ガチンと剣が打ち合わさる。
綻び始めた剣を見て、騎士が嘲笑う。だが、そんな罵り、とっくの昔に知っている。だから、そんなもの聞いている暇なんか無い!
笑い続けるそいつの声を断ち切ろうと士郎は大上段に剣を振り下ろした。
「ふん。貴様程度が我の足止めが務まるとでも思うのか? 愚民が王の剣に届くなど、片腹痛いわ!」
「それでも、お前はここに食い止めなくちゃならないんだ!」
「たかが剣を振る程度でか? 貴様に出来ることは、贋作を創造ることだけだろうに」
「……っ?」
一瞬、ギルガメッシュの言っている事の意味が解らなかった。
一体――何を言っているのか。
「ふん。己の正体も気付いていないとは……くっくっく! 思わず笑いがこみ上げてくるぞ、愚物が。その程度で全力とは、とんだ道化だ!」
「うわっ!」
剣とともに士郎は吹き飛ばされた。投影した剣はその一撃で砕かれた。石畳の上を転がされ、二度三度と体を打ち付けられる。
「っ……」
石畳に磨り減った腕が熱い。痛みが無いだけマシだとやせ我慢する。
立ち上がれば、黄金の騎士は士郎を見下していた。
「開ききってもいない魔術回路に、己の力量すら理解できない畜生。そんなもの、我の世界になど必要ない」
「お前、何を……」
ギルガメッシュが剣を抜く。光の剣と謳われたグラムを手に握った。
「我の世界。強きものが生き残るだけの世界だ。弱者は淘汰され、強者だけが生き残る世界。その世界を支配することこそ、我の目的」
「な……」
そんな世界、ただの地獄じゃないか!
「そんな世界にしたら、人が死滅するぞ!」
「そんなもの、それしきのことで滅する程度だったということだ。我が欲するのは強き存在だけだ。それを従えてこそ王だろう」
強欲に、ただ一つだけを求めるそれは確かに正しい姿の一つだ。だが、その過程、その先にある結果は到底許容できない。そんな世界など、許されるはずが無い!
「その世界に貴様のような雑種などいらぬ。強きものだけが生きる世界に、お前のような家畜は淘汰される運命だ」
「そんな勝手、世界が許すはずが無いだろう!」
「はっ、ならば世界を相手にするまでよ。世界を従えるのもまた、王なのだ」
士郎は、ギルガメッシュが握る剣を投影する。今まで使っていた双剣ではあの剣の一撃に耐えられない。
「ぐ……がっ」
頭が破裂しそうに痛い。自分の領分を越えた投影に、体が軋みをあげる。
「このおおぉぉ!!」
「ふん。贋作者が、我の剣を真似るでないわ!」
剣を振る。すでに体は剣に振らされていたが、攻撃は続けなければならない。こいつは、危険なんだ。こいつの存在を許すなんてこと、出来るか!
「づ……っ」
「ほう、今度は砕かれぬか。少しはマシになったか!」
ギルガメッシュが剣を閃かせる。それに何とか反応する士郎だが、手に持つ剣の差が、剣閃に陰りを見せる。
――せめて、あいつと同等くらいまでの剣があれば……。
剣撃の合間に浮かんだのは赤い騎士の姿だった。あの騎士が生み出した剣の完成度があれば、まともに打ち合えるのに……!
それが出来ない自分が悔しくてたまらない。
「そら……!」
何合目かの打ち合い。幾度も剣を交えて幻想に罅の入っていた剣は、ついに砕かれた。
「自分の剣が砕かれる様は存外気分が濁るな。貴様の存在、目障りだ」
「く……そ……」
力が及ばない。
解っていたことだ。解っていたことだが、それでも負けを認めるわけにはいかないのだ。力及ばずとも、抗わなければならないのだ。
こんなところで這いつくばっている訳にはいかないんだ。
「贋作者――あの弓兵もそうであったが、貴様は更に劣悪だ。あれは自分の領分を弁えていた。己の存在を理解し、それに従事していた。あれの望みも俗物ではなかったな。我と打ち合うのならあちらの方がまだ愉しめたと言うものだ」
アーチャー――未来のエミヤシロウ。
自分が目指す先にいた存在。そして、自分とは違う存在。自身の果てが、あの男だった。
――いいか、衛宮士郎に出来ることなど一つしかない。お前がどうにか出来ている強化も投影も解析も、一つのものから劣化したものだ。その事を自覚しろ。
自覚。自覚する。自分に出来るのはただ一つだけ。ただ一つしか、己には無い。
「貴様の本質もまた同じだ。真作など存在せず、その身体には紛い物しか存在しない。何故あれが呼び出されたのか知らぬが、貴様如きにできることなど、一つでも多いくらいだ」
――内側に。己の内側に存在するもの。結界。引き出す。存在しない。投影。
いくつものピースが頭の中を巡った。そのピースが組み上げる絵がようやく見えた。
そうだ。衛宮士郎に出来ることなんてただ一つしかない。投影も、強化も、解析も、ただそれを行うのに必要な一工程に過ぎない。自身に出来るのは、
「俺に――できるのは!」
――I am the bone of my sword。
「ぬ――」
「俺にできるのは、剣を生み出すことなんかじゃない」
もとより、この身にそんな真似が出来るわけが無い。
この身が出来るのは、剣を引き抜くことだけなんだ!
――Steel is my body, and fire is my blood
「貴様――」
「もとから、俺の中にあったんだ。それをわざわざ使わない手は無い」
――I have created over a thousand blabes. Unaware of loss.
Nor aware of gain.
生み出すのではない。己が内から創り出し、引き抜くのだ。
――Withstood pain to create weapons.
Waiting for one's arrival.
魔力が走る回路が焼きつく。十数本では足りないと、身体が喚いていた。暴れる魔力に呼応して、残りの眠っていた回路が連動する。
27本。身体に眠っていた全ての回路が駆動し、全力で稼動する。
「俺には何も無い。確かにそうだ。でも、この俺にだって、持っているものはある。俺自身に無くても、預けられたものがあるんだ!」
ごめんと、凛が言った。この場に残していくことを謝罪する言葉。そして、その言葉に込められた『生きていて』という願い。
セイバーに任された役目。持ちこたえてくれ、と。信頼を寄せたあの目。
預けられた望み、託された役目と、手にした剣が衛宮士郎の全てだ!
――I have no regrets. This is the only path.
預けられたもののために、自身は引けないのだ!
――My whole life was "Unlimited blade works"
真名を口にする。
展開される世界。
蒼天に生い茂る芝生。涼風が流れ、湖に緩やかな波を立てる蒼空の世界。その中に、鞘に納められた剣が中空に浮いていた。
剣を受け止める鞘の具現がそこにはあった。
「いくぞ、英雄王。――俺は絶対に退かない!」
「粋がるなよ、雑種が!」
鞘から引き抜いた剣を手に、士郎はギルガメッシュに肉薄した。
セイバーの剣が空を切る。
繰り出された刃に、細身の刀が合わさり剣筋を逸らす。小次郎は流した力を折り返して、刀を翻した。
弧を描く軌道にセイバーはそれを打ち払い、一歩踏み込んで剣を突き立てた。その刺突を上体を捻って躱し、小次郎は一歩間合いを広げる。それをさせじとセイバーは更に詰め寄るが、即座に飛んできた刃に前進を阻止された。
斬り結ぶ。
清涼なまでに研ぎ澄まされた小次郎の剣筋と、全てを両断するセイバーの剣筋は紙一重で擦れ違っていた。
力を技で受け流す小次郎と、技そのものを断ちに来るセイバーの剣戟は数えるのも億劫なほど続いていた。
「ふ、ふふふっ。これが英霊との決闘か。これほどまでに身が震えるのは久しい」
気を抜けば即座に死が迫る中、小次郎は笑っていた。
消えかけの身の上であるのが、惜しい。永遠に刃を交えていたいとも思う。しかし、許された時間は残り少ない。
主人を失った影響が時間を削っている。
「残された時間も後僅か。私が消えるか、それとも斬り払われるか、あるいは――」
山門の向こう――聖杯が降臨する気配が濃くなっている。そう間をおかず、あれは現世に下るのだろう。
「さて、それまでには決着を着けたいものだな」
言って、小次郎はセイバーの首を狙った。
疾風となって飛来する凶刃にセイバーは後退を余儀なくされた。後退した場所は山門の前。小次郎は上に居る有利を捨て、同じ高さにセイバーを誘導したのだ。
両者の間合いが開く。その距離、約5メートル。
「互いに剣技はほぼ互角か。ならば、己の持つ秘奥を出さねばならぬ」
「……まだ、勝負を続けるのですか」
「無論。このまま突っ立っていればいずれ消える身。ならば、派手に散るのもまた花だ。否――、それよりも、私はそなたと斬り結べるのならこの命、惜しくも無い」
小次郎が初めて構えを取った。
背面を見せ、刀を横たえる。剣気が周囲を満たし、枯葉を散らす。
小次郎は必殺の一撃を見舞おうとしている。
――秘剣 燕返し
『前回』の戦いに見せられた魔剣だ。回避不能の軌道を三条に重ねる絶技。時間と空間を超越した魔の一撃が、小次郎の奥の手だ。
「…………」
あれを放たれてしまえば、回避は出来ない。どれだけの天賦の才があろうとも、あの一撃――否、三撃を避けきることは出来ない。
――どうする?
セイバーは苦悶する。あの魔剣を避けることは難しい。同時に放たれる三刃は敵を逃すことを許さない軌道で放たれるのだ。
初撃に剣を受け止めたが、折るにも曲げるにも至っていない。もし、少しでも刀身に歪みがあればそれが突破口になるが、あの一撃は士郎達を先行させる為だったため、本気ではなかったのだ。それは小次郎もまた承知の上だった。だから、セイバーの剣を受け止めたのだ。
「やるしか、ない」
迷う時間はない。この敵を切り抜けなければ、士郎達の身が危ない。
それを想えば、覚悟は決まった。
「行くぞ……!」
自分を発破するために声をあげる。魔力で強化された足先が石畳を蹴り割った。
真っ直ぐに神速の如き速度で突き進んでくるセイバーに小次郎はにやりと笑う。
セイバーが刀の間合いに入る。眼前の剣士を迎え撃つため、小次郎も間合いを詰めた。瞬間、抜き放たれた銀光。
空から襲い掛かる縦の一閃。敵を逃がさんと取り囲む円の軌道。
そして、左右に逃げようとする敵を薙ぐための横の剣閃。
軌道も力も速度も最高値に高められた、正しく必殺の秘剣。その秘剣が、セイバーを斬り裂かんと迫り来る!
その三筋の銀閃の中、セイバーは目一杯地を蹴った。
――後ろへ。
「なっ!」
全力で後ろへ。踏み込んだ石畳が砕けるほど力を込めて跳ぶ。
その後退で、刀の間合いから離脱しようとする。
自ら間合いを詰めながら放った故に、小次郎はこれ以上踏み込むことが出来ない。
縦の一刀は届かなかった。横の一閃がセイバーのリボンを裂いただけだ。しかし、敵を取り囲むための円の軌道だけはセイバーを捕らえた。
「くぁあ――!」
首を狙うその疾風を薄皮一枚で躱しきったセイバーは足が地に着くと同時に後退したときと同じく、いや、それ以上の力を込めて飛び込んだ!
燕返しの反動に小次郎は動けない。刀を翻すには体勢が悪い。その一瞬の隙をセイバーは突いた。
「ぐっ――」
一瞬の白紙の時間を置いて、金髪が流れた。
聖剣が小次郎の体を貫いていた。
その傷は致命傷だ。何より、ここまでの深手を負っては、もう燕を斬る事も叶わないだろう。
「――見事だ。我が秘剣を、良くぞ避けきった」
込み上げる血塊を飲み込む。吐き出せば、その美しい髪を汚す。美を愛でるものとして、これだけは譲れなかった。
「もしや、私の秘剣を避けきるとはな」
「初見だったのなら、私の首は跳ねていたでしょうね」
「面妖なことを言う。我が秘剣を見せたことは一度足りともないはずだが……」
だがしかし、破れたことは事実。その結果に小次郎は満足して清々しく笑った。
「もう一つあります。あなたがマスターを持ち、万全の状態だったのなら、立っていたのはあなただったでしょう」
剣閃の鋭さは以前戦ったときよりも若干鈍っていた。それでも脅威に値する剣腕だったが、その鈍さが燕返しを本来の剣速よりも遅らせていたのだ。だからこそ、セイバーはあの剣の牢獄から抜け出せたのである。
「ふっ、未練がましく現世に留まっていたのが仇となるとはな」
「いえ、その未練があったからこそ、私は苦戦を強いられました。あなたの剣気は鋭く研ぎ澄まされていた。多少の剣の鈍りなど問題ではなかったでしょう」
ただ、相対したのが自分だったからこそ小次郎は負けたのだと、セイバーは言う。
その言葉に、小次郎はくつくつと笑った。
「――そうか。ならば、私の望みは果たされた」
届かずともこれだけの賞賛を受ければ満足も出来る。
ならば、もうこの世に留まる未練は無い。
「行け。お主との殺し合い。存分に楽しめた」
「――あなたの剣の腕、生涯忘れることは無いでしょう」
「はっ、それはまた、嬉しいことを言ってくれる」
セイバーは笑みを零し、すぐさま顔を引き締めて山門を潜っていった。
その場に残った小次郎は月を眺め、風に身をさらした。既に身体はその形を保っていない。流れる血の赤すら消えかけていた。
「――まだまだ修行不足か。精進せねばな……」
天の月が雲に翳った頃、山門にいた侍は、姿を消した。
柳堂寺の裏、古池がある場所へとやってきた凛は、濃密な魔力の濃さに酔いかけていた。
「うっ……、身体に悪いわよ、これ」
大気そのものが凛の体を襲ってくる。呪いを含んだその場所は既に異界と化していた。この中を一般人が入れば即座に呪いの重みに潰されてしまう。
これが聖杯の中に入っていると言うのか。こんなものを解き放たれては、冬木の町は死者の町と化す。
「絶対にぶっ壊す」
不気味に蠢くその中を凛は突き進み、そして孔を見つけた。
そこに立つ男とともに。
「……綺礼?」
何故そこにその男が居るのか。呪いが溢れ出る孔を仰ぎながら、いっそそこに居るのが自然なくらいに言峰綺礼はいた。
「凛か。ふむ、ここに来るのはセイバーかと思っていたのだがな」
「なんで、あんたがここに居るのよ」
「聖職者としての義務からだよ。生まれるものを祝福するために、私はここに居る」
「生まれるって……」
それは、この呪いのことを言っているのか? こんなものの誕生をただ祝福するためだけに、この男はここに居るのか?
「あんた、昔っから頭悪そうだったけど、これで確定ね。あんた、大馬鹿よ」
「心外だな。私は私の仕事をしに来ただけだ」
「聖職者ならこんなものさっさと取り払いなさいよ」
「これから生まれるものを祝福することこそが聖職者の使命だと思わぬか?」
「これが生まれればどうなるかくらい解るでしょうが!」
暗い闇を落とす孔を指差しながらりんが怒りを露にする。しかし、小娘の喚き声などでこの男が考えを変えることなど絶対にない。
それを理解しているからこそ、凛は怒るのだが。
「こんな呪いが撒き散らされたら冬木が……いいえ、世界が破滅するわよ!」
想像するまでも無い。この場に居るだけで吐き気を催し、今すぐにでも屈したいのだ。だがそれに負けたら終わりだ。
魂が、世界が、そこで終わってしまう。
しかし、一番重要なのは遠坂凛と言う存在が負けを認めるということだ。
それだけは、絶対に認められない。
ご大層な文句なんて必要ない。ただ、自分が負けるのだけは駄目だ。
「止めてみせるわ」
「その覚悟は立派だが、覚悟だけで上手く行くことは少ないぞ」
「――はは、あの馬鹿が影響ったのかしらね」
「――む?」
そこで笑った凛に綺礼はいぶかしんだ。
魔術師とは、自分に出来ることと出来ないことを明確に理解する人間だ。そして、実現可能なことには貪欲に、手の届かないことは無関心を向ける存在でもある。
「そんなの――やってみなくちゃ解らないでしょーが!!」
だから、不可能に挑む凛の姿に綺礼は戸惑ったのだ。
「兄弟子を手にかけるのか?」
「解りきったことを――」
直後、凛は駆け出した。孔の下、大仰に構える聖職者へと。
「――言ってんじゃないわよ!!」
鞘から抜くのは伝説の武器。
刀身は神々しく、その剣閃は神域に至る神秘の塊。
その攻撃を前に、ギルガメッシュは後退した。後退せざるを得なかった。
「馬鹿な――!」
弾く。
力加減も、剣速も、脅威に値しない。
だが、それらを超越してその一振りの刃を弾かなければならない。
「馬鹿な――!」
再度、困惑の声をあげる。
向かってくる光の線をギルガメッシュは受ける。腕に響く衝撃に顔を歪め、その事実に腹を立て剣を翻して斬りかかる。
英雄王の振る剣を苦もなく受け止め、あまつさえ反撃してくる。
先ほどよりも、速く、鋭く!
「我が、あとずさるなど!」
斬りこまれる刃を弾く。何度も弾く。そして、その刀身に綻びが見え始める。次の瞬間には剣は砕けた。だが、砕けただけだ。すぐさま次の刃が飛来する。
無限に続く剣撃に黄金の騎士は圧倒されていた。
宝物庫を展開する余裕すらない。そんな暇など、この剣製の前にあろうはずが無い。
幾度めかの剣が砕ける。すぐさま目の前の敵は鞘から剣を抜き、斬りかかって来る。
剣の耐久度もその中に走る幻想も紛い物だ。だからこそ、本物の前には砕かれる。真の宝具は砕けるなどありえない。贋作の前に屈する真作など存在し得ない。
それはいい。それはいいが――だからこそ、自分が押されていることが理解できない。
「調子に――乗るな!!」
「ぜぇあ!!」
剣腕が軋む。それほどの一撃。初撃よりも重く、速くなる太刀筋に、騎士は背筋を凍らせた。身体がこの男は危険だと、理解した瞬間だった。
「認められるか!!」
認められない。この身がたかが人間如きに震えを見せるなど!
剣を弾いた。渾身の力を込めて弾いた。全力を出さなければ弾けない事実に苛立ちを露にして、ギルガメッシュは宝物庫を開く。
「――王の財宝!!」
射出される宝剣。それと同数――否、それ以上の数の剣が、士郎の背後から放たれた。
打ち砕かれる贋作。だが、その数は膨大にして無限。本物とて数に押されれば、その魅力も墜ちる!
「相殺、した!」
その事実を口にする士郎に、ギルガメッシュは奥歯を噛み折った。
「こおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!」
更に財宝の間を開き、砲撃を重ねる。この男だけは、この男だけはここで滅ぼさなければならない!
撃ち出される神代の切っ先。それを模写し、幾重にも投射するこの存在にギルガメッシュは怖気が走る。
だが、その震えもここまでだった。
撃ち出した剣は悉く撃ち落された。しかし、それと同時に景色が戻る。呪いに埋め尽くされた柳堂寺の境内に景色が戻った。
「……は、はは、はははははははは!!」
そうだ。この小童は未熟者。投影ですら満足にいかぬ出来そこない。故に、固有結界などという、自らの起源そのものを描き出す大魔術などを長い時間広げていられるものか。
魔力切れ。それが、この勝負の決着だった。
「――雑種にしては良くやった。掛け値なしに賞賛してやる。この身を後退させ、恐怖を想起させるとはな」
自らを恐れさせた男は力尽きたのか、倒れ伏している。息の上がり様から見て、未だ意識はあるようだが、これ以上戦闘などは無理だろう。
「貴様は危険だ。今ここで、始末をつけてくれる」
手に持った刃を士郎の頭蓋に向け、ギルガメッシュは口を歪めて笑みを浮かべた。
「死ね」
切っ先が士郎の頭を狙う。
普通の刃物でさえ、頭部に刺されば致命傷だ。ましてや宝具となれば、その魂すら焼き尽くすだろう。転生すら無意味にするその剣をギルガメッシュは突き立てようとして、
「――させません!!」
阻まれた。
「セ、イバアアアアアアアァァァァァ!!」
ギルガメッシュは怨嗟の声をあげて剣を弾いた女――セイバーを睨みつける。剣風がセイバーの髪を靡かせる。
烈火の如く怒りを見せるギルガメッシュにセイバーは厳しい目をした。
「セイ、バー……」
「遅れました。無事ですか、シロウ?」
「なんとか、な」
士郎に致命的な外傷は無い。魔力の使用過多による疲労が溜まっているだけだ。それを確認したセイバーは意識をギルガメッシュに向けた。
「ここからは私が相手だ。貴様の存在、叩き切ってくれる」
「言うか騎士王よ。貴様では我を倒せはせぬぞ」
「『前』までの私ならば、そうだっただろう。だが、私は今までとは違う!」
「何が違うか! 貴様が聖杯に望むのは自身のやり直しだろう! 民に媚びへつらい、その身を削り国に捧げ、それでも国に滅ぼされた。そのやり直しを願う貴様が我に勝てるとでも!!」
「私は聖杯など望んでいない」
「な――に?」
「私はやり直しなど望んでいないと言ったのだ。私が歩んだ道で取り零したもの、捨てなければならなかったもの、手に入らなかったもの、置き去りにしたもの。その全ての責任は私にある。そして、やり直しを求めることは、その責任を放棄することだ。
私は、私の責務を全うし、背負い込んだのだ。それから逃れるための聖杯など欲するものか」
かつて教えられたこと。
進む道の中で、指の先から落ちていく幾つもの事柄。それらを取り戻したくて聖杯を望んだ。やり直せば、きっと、もっと上手く出来ると思ったから。
けれど、それは間違っていると、いけないことだと教えてくれた人が居た。その人は、落としてしまったものをも背負えと言った。落ちてしまったもののために、先を進めと。
だから、
「私は聖杯など欲しくはない。欲しいのは愛しい人を愛する時間だけだ!」
疾風の如く踏み込んだセイバーはギルガメッシュに剣を振り下ろした。衝撃で、ギルガメッシュが持つ剣が叩き落される。
そこでようやく我に返った黄金の騎士が困惑と疑念混じりに迎撃に移る。
セイバーの聖剣は歴史上最高峰だ。そしてそれを揮うセイバーもまた最上級の剣士である。いくらその元型を保有するとは言え、剣の担い手ではないギルガメッシュが剣を交えるのは得策ではない。
「世迷いごとを……!」
なれば、自らの剣を抜くしかありえない。この剣士と戦うには愛剣を手に取るしかなかった。
「――エア!」
宝物庫から抜かれた三節の乖離剣でセイバーの剣を受ける。さすがセイバーだ。自慢の剣で受けたというのに、衝撃が体の芯まで響く。先ほどの贋作者とは格が違う。
しかし、剣士であろうが魔術師であろうが、この剣の前では、塵も同じ!
「――はぁっ!!」
「……しまっ!!」
「貴様はここで消えろ、セイバアアアアアアァァァァ!!」
力任せに弾き飛ばされたセイバーにギルガメッシュ追撃を加える。回転する三節は魔力を巻き込み、風を巻き込んでいく。
天地を乖離れさせたと言う神造の剣。乖離剣エアが駆動した。
「――天地乖離す、開闢の星!!」
アインツベルンの城で放たれた時の比ではない。
その真名の通り、天と地を分けたとされる究極の剣が抜き放たれた!
その場に蔓延る呪いすら断ち切りながら、極光の斬撃がセイバーを飲み込まんとする。
「くっ……!!」
弾き飛ばされた体勢が悪い。その場から離脱するには、乖離剣の範囲は広すぎた。
光が迫る。
それを前にしてセイバーはなす術がなかった。
襲い掛かる呪いの管。何本もくねりながら凛を呪うとしてその手を伸ばしてくる。
それらを辛うじて避けながら凛は手を拱いていた。
「はっ!」
ガンドを撃つ。一小節で放たれたその一撃は一本の管を消すには至るが、それだけだった。
孔から洩れ出る呪いの海の前に、たった一本の管を消され様とも、それは揺るがない。大海を前にして人間に出来ることなど何も無いのだ。
ガンドを撃った隙を突かれる。無遠慮に向かってくる文字通りの魔の手に凛は無様に地を転がってそれを避けた。
「――遠坂家の家訓はどうした、凛。どんなときでも優雅に振舞うのがお前の家の信条ではなかったか?」
「うっさい! 今すぐあんたの顔ぶん殴ってやるんだから!!」
罵倒を口にしながらも、黒い触手を避け続ける中、凛はもう自分に出来る事柄が少ないことを自覚していた。
あの呪いの泥自体を払うことは出来ない。迎え撃つにしても火力が足りなさ過ぎる。それこそ、宝具が必要だろう。
だから、自分に出来ることはあのいけ好かない男を殺すことだ。聖職者の癖して魔術師でもある言峰綺礼を殺すには、通常の物理攻撃だけでは足りない。多少の傷でも魔術で回復できるのだ。その魔力後と消し去る力が要る。
凛は、手に持ったアゾット剣を強く握りこむのだった。
光の放流が消える。
抉れられた石畳と、半壊した柳堂寺が目に入った。
そこで、セイバーは自分の体の異変に気付く。
何故、自分は無事なのか。
あれだけの攻撃を前にして、セイバーは直撃を避けられなかった。死を覚悟して受けに回るしかなかったのだ。なのに、この身体は傷一つとて無い。
そして、もう一つ気付いた。先ほどから自分の体に覆い被さっているものに。
「シ、ロウ……?」
胸元に、赤毛が見えた。
自分を抱きしめる形で被さっている愛しい人。
だが、足りない。足りないのだ。温もりはある。しかし、それに重さが足りない。
「あ、……あぁ――」
抱きしめる士郎は血に濡れていた。
腰から下――下半身を失い、セイバーの鎧をその血で濡らしていた。
「ぁぁ――あああああああああああああああああああああああああああ!!」
その姿に、セイバーは泣く。狂う。もがき、喘いだ。
「ちっ。余計な雑種が入ったか」
泣き続けるセイバーは士郎を必死に抱きかかえる。必死に名前を呼び、鞘に魔力を通す。体の復元が芳しくない。士郎の中の鞘もまた半壊してしまったのだろうか。そんな疑問すら思い浮かばず、一心に魔力を注いでいく。
士郎の息がドンドン細くなっていく。顔色は既に土色だ。血が足りない。肉が足りない。魔力の供給が追いつかない。
何もかもが、足りない。
「無作法な雑種だ。分別を弁えろ」
「貴……様――!!」
呪いの軋む音と愛する人を侮辱する声が聞こえた。
喉が震える。
身体が熱い。
握りこんだ手甲が軋みをあげる。
セイバーの怒りに呼応して魔力が立ち上る。
バキンと鎧が砕けた。膨れ上がる魔力に抗魔力を持っているはずの鎧が砕けた。
「な――んだと?」
揺らめく魔力がセイバーを覆う。爆発的に増大していく魔の力に、ギルガメッシュは戸惑いを覚えた。
怒気に合わせて魔力が吹き出ることはある。しかし、この魔力の流れは、異質だ。その本質は見極められないが、明らかに異質だと言うのは理解できた。
少女の金糸の長さが変わる。肩下まであった髪は腰下まで伸び、風に揺れる。鎧下のドレスは足首まであったはずなのに今は膝下だ。
上背が上がり、身を包むドレスの下では収まらず、袖口に切れ込みが入る。胸元はボタンが飛び、豊かな胸の谷間が見えた。
セイバーの身体が変化している。急激に成長を遂げていると言っても良い。
「そうか……。そう言う事か」
セイバーの変貌を見て、ギルガメッシュはその原因に思い至った。
それはレイラインの逆流だ。死の縁にいる士郎に、セイバーが士郎の内に埋め込まれている鞘へ魔力を送り込んだのが原因だった。
本来はマスターである士郎が魔力を供給するはずが、セイバーから強制的に魔力を送り込まれたために、レイラインの主従が逆転してしまった。
そして、士郎を半死半生させられた怒りでセイバーの魔力が急激に高まり、更にラインの逆転が加速し、士郎の投影の特性であった『魔力を永続的に具現化する』能力がラインを伝ってセイバーに降りかかったのだ。
結果、セイバーは自身の魔力量の全てを使って肉体を得た。しかも、怒りによって増大した魔力を受け止めるために身体を広くする必要があり、それがセイバーの成長の起因となったのだろう。
セイバーの身体はギルガメッシュのように呪いを飲み込んで受肉したのではない。彼女自身の魔力そのもので受肉したのだ。それは恐らく、人間であり、また英霊でもある超越的な存在へとなりえたのだ。
そして、彼女の後ろに横たわる少年の肉体も急激に再生されている。彼女とのレイラインが逆転したおかげで、鞘へ送り込まれる魔力転送量が劇的に増えたからだ。
「はははははははは!! まさかこうなろうとはな! 少女のままでも可憐だったが、その顔もまた美しいではないか、セイバー」
「…………」
セイバーはギルガメッシュの声には答えなかった。ただ、憎悪の瞳で睨みつけるだけだ。
「ギルガメッシュ、貴様だけは、許さない!」
「ならばかかって来いセイバー。この我を屈服させたくば、力で押しつぶして見せよ!」
財物庫が開かれる。幾万の宝剣が眼前に居る壮麗な蒼の騎士へ矛先を向けて、発射された。
その全ての剣に対して、蒼の騎士は、その全てを弾き飛ばした!
「…………」
その所業にギルガメッシュは絶句する。
今までの攻防を見ていれば、セイバーがやったことはその領分を越えた動きである事がわかるはずだ。英霊に対して絶対的に優位なはずの『王の財宝』がただ、剣で弾くだけで全てを凌ぎきるなど……!
「ありえん!」
「はああぁぁ!!」
セイバーが迫る。一刀足に間合いを詰めてくる。その速度、今までの比ではない!
「ちぃっ!!」
しかしその速さに対応するギルガメッシュもまた英雄王と言われるだけの技量を持っている。振り翳される剣を受け止め――、
「がっ!?」
切れなかった。
乖離剣で防いだはずの剣の衝撃に耐え切れず体が宙を舞う。地に叩きつけられるも、自身が飛ばされた事実に呆然としていた。
「馬鹿な……」
ギルガメッシュの愛剣はこの世の全ての剣よりも上位に位置する神の剣だ。天地を分かつほどの力を秘めた最強の剣だったはず。その剣で防ぎきれないものなど何も無い。無いはずなのに、体を吹き飛ばされた。
それは、剣に不備があったのではなく、己自身の力不足が原因だったのだ。
「馬鹿な! 我は王だぞ! 全てを喰らい尽くす今世の王だ! 我を超えるものなど――」
乖離剣が回転を始める。この世の全てを巻き込みながら、放出される魔力が咆哮した。
「――何も無い!」
――天地乖離す、開闢の星!!
その光の先に佇むセイバーは剣を上に構えた。今のセイバーには『全て遠き理想郷』はない。世界の修正で、鞘が二つ存在することを拒まれたのだ。だから、この攻撃を防ぐにはこれしかない。
剣身が烈光する。その輝きは目が眩むほどだ。だが、それが何よりも頼もしい。その光の剣を手に、セイバーは真名を唱えた。
「正義求める――」
剣の質が変わっていた。セイバーの魔力に影響てられたのか、星が鍛え上げた剣は、一人の男を愛する女の意志にその存在を書き換えられていた。
暴虐の力が殺到する。それを前にして、セイバーは一部の恐れも見せず、剣を放った。
「――光の剣!!」
力と光が衝突する。
全てを切り開かんとする力の放出に、セイバーの光はその筋を断って行く。圧倒的なまでの威力の差だった宝具の質が逆転していた。
「我の剣が、押される、だと!?」
放ち続ける斬撃の中、ギルガメッシュは見た。己が放った力の渦の中を突き進んでくる烈光を。
それは、それだけの力を込めたとしても壊れることが無い、蒼白の煌きだった。
「セイ、バアアアアアアアアァァァァァア!!」
人類最古の英雄王は、光の奔流の中、その姿を消したのだった。
凛の背後――柳堂寺の境内の方向で大規模な爆発が轟いた。その爆音を聞いた瞬間、凛は駆け出した。
向かってくる呪いの触手を避けながら、一目散に綺礼へと突撃する。
触手が体を掠る。服を焦がし、肌を焼いていく。だが、それがどうした。足を止められない限り、遠坂凛は止まらない!
ならばと、凛の意志を呼んだのか、触手の数が増える。鞭打つようにうねり来る黒い泥に凛はついに避けきることは叶わなかった。
「――終わりだ」
静かに告げる綺礼は、しかし異変を感じた。
『この世、全ての悪』の呪いを受け、断末魔さえ上げないことに違和感を感じたのだ。いや、遠坂凛という少女を知っていれば、その事実に納得も出来るであろうが、しかし、呻き声すら上げないとは、どう言うことだろうか。
その証拠に、遠坂凛の瞳は未だに死んでいなかった。
「――ちょっと、勝手に終わらせないでよね」
泥を受けたのは腹部だった。見れば、彼女の服は焼け焦げている。呪いの直撃を受ければそうなるだろう。だが、直撃を受けたからこそ、意識を保っていられるはずは無いのだ。
「貴様――なにをした」
「――はっ。ちょっと我慢しただけよ!」
彼女の意識を保たせたのは宝石だ。泥の直撃を受けるその直前に、宝石に込められたありったけの魔力を放出して肉体への到達を防いだのだ。
「ぬ――」
凛が駆け寄る、怨敵へと。それをさせじと黒き泥が舞うが、その全てを宝石で防いでいく。泥の一撃に一個の宝石。凛が持つ全財産をかけての特攻だった。
「かかった金の分は地獄に請求してやるわ!」
間合いが詰まった。この距離ならば、何をされ様とも剣を突き刺せる!
「凛――!」
「地獄に落ちろ、エセ神父!!」
手に持ったアゾット剣が綺礼の胸部に突き刺さった。そして、凛は剣に込めた魔力を開放した。
「――“läßt”!!」
大量に篭められた魔力の波動を受けて綺礼の肉体が散る。それを見届けて、凛はその場に膝を着いた。
「は――ぁ」
体が重い。泥を浴びすぎた。既に魔力は底をついているし、何よりも全財産を使ってしまったことが重かった。
「あーあ。スッカラカンよ」
見上げる先には未だ泥を吐き出している穴がある。その泥は無秩序に周りの全てを呪い始めた。
「げ」
どうやら綺礼はある程度泥を統率できていたようだ。戦っていたときは凛だけを標的にしていたから、今思えば当然だった。それを倒してしまったのだから、コントロールを失った力は趣くままに暴走してしまう。
「あ」
泥が襲い掛かる。津波のようにせり上がる泥の壁が凛へと向かってくる。それを見て、凛は思った。
――駄目かもしれない。
本当に、今は何も出来ない。魔力も、体力も、気力も、貯金も使いきってしまったのだ。自分を動かす動力が見つからない。
あわや泥が覆い被さる寸前で、一陣の風が割り込んだ。
「凛!!」
「セイバー!? って、何よその格好は!!」
凛を抱きかかえたのは蒼白の騎士だった。体のサイズが別人の如く変わってしまった彼女に凛は驚く。主に視線は胸元へと集中していたが。
凛が居た場所が泥の波に飲み込まれる。ゴポリと泡を吹くそれを見て、背中に冷たい汗が流れた。
「無事でしたか?」
「見りゃ解るでしょ。満身創痍よ」
「それだけのことが言えるなら大丈夫そうですね」
苦笑を浮かべるセイバー――というには大人びた容姿になってしまった彼女は、呪いの孔を見上げた。
「凛。孔を封じます。下がっていてください」
「任せたわ、セイバー」
篭められた魔力に聖剣が光を増す。先に見据えるのは黒き孔だ。この世の全てを呪い尽くすその孔に向けて、彼女は剣を振り下ろした。
そして、孔は閉じられた。
「で? そろそろあんたの正体を教えて欲しいんだけど」
聖剣によって吹き飛ばした聖杯は消え去った。戦いの終わりを告げるように朝日が昇ってくる光景を眺めながら、凛は隣に居る女性にそう言った。
「……私はアルトリア・ベンドラゴン。アーサー王であったものです」
「そんなことが訊きたんじゃないんだけど?」
凛の言葉に、セイバー――アルトリアは苦笑を洩らした。
「私はシロウの剣です。彼と出逢ったその日から……そして、彼と結ばれたその日からずっと……」
「む、結ばれたって、どう言うことよ!?」
「私は一度この戦争を経験しています。『前回』――切嗣がマスターだったときではなく、士郎がマスターであった時を」
「え、え?」
「時を越えた、とでも言えば良いのでしょうか。私が最初にシロウと別れた後のシロウの最後を見て、私は怒りを覚えました。私を諭したはずの彼が、己の間違いに気付かぬまま果てたことに」
望み続けた理想を手にしようとして、しかしそれに微かな疑問を感じながらも、果ててしまったこと。
それが許せなかったのだ。
「だから、私は間違いを正そうと思ったのです。間違いを正された私が、今度は彼の間違いを正そうと」
アルトリアは笑みを零して言った。
「ですので、シロウはあげませんよ、凛」
「あ、いや、ん、んな事あるわけ無いじゃない!」
「いえ、油断が出来ません。凛ならば、いつの間にかシロウを奪っていそうで、怖い」
そう言いながらも笑っているアルトリアに凛は顔を真っ赤にして黙り込んだ。
やばい、なんだか負けてるっぽい。何に負けているか解らないが。
「まあ、セイバーがなんで士郎の魔術の事を知ってたのかこれで説明がついたし、良しとしましょ」
「黙っていてすいません」
「良いわよ、別に。過去を変えるためには仕方なかったんでしょ? で、過去は変えられたの?」
「戦いの終局は様変わりしました。しかし、シロウとこのまま別れてしまっては意味がありません」
小さなことであるが、士郎は認識を変えつつある。だが、その小ささはこの先消えてしまうほど小さい。だから、傍に居続けなければならない。
「……でも、聖杯はもうないのよ? あ、じゃあ、私と契約する? 現界するだけならなんとかなるわよ?」
凛の申し出に、アルトリアは小首を傾げた。そして、唐突に思い至る。
「――凛、その申し出は受けられません」
「え? なんでよ。セイバーが現界するにはこれしか方法が無いわよ?」
「私は当に受肉しています」
「――へ? ――あ」
見れば、魔力で構成されていたはずの彼女の体は物質転移している。サーヴァントの状態であった頃の名残なのか、受肉したことによる弊害なのか、鎧の下に着ていたドレスはその体には小さすぎていた。
サーヴァントの衣服は全てが魔力で編まれたものだ。だから、サイズが合わないなどと言うことはない。だから、目の前に居る存在はサーヴァントではなく、人間と言うことだ。
「うっわ、うそ」
「……凛、その顔は不気味です」
物凄く厭らしい笑顔を浮かべる凛にアルトリアは貞操の危機を感じ取った。直感スキルが働いたか?
「ふっふっふ。アーサー王の別名は『赤き竜』。無尽蔵に精製される魔力炉心。ラインを繋げられれば、最早無敵」
ぶつぶつと何かを呟いている凛が怖くなったアルトリアは、音を立てないように距離を取った後、いそいそと士郎の下へと向かった。そろそろ、身体が再生しきる頃だと感じ取れたからだ。
「――ってことで、セイバーやっぱり今から私と契約を……あれ?」
アルトリアに置いてかれたと知った凛は、それはもう、憤慨したと言う。