燃え上がる古城は悲しげな炎に包まれ、灰へと姿を変えていく。崩れ落ちていく城の姿は、そこを守護していた巨人の最後と重なり、哀愁が胸に広がっていくようだった。
セイバーは紅蓮に包まれる城を後ろに置きながら、森の中を駆けていった。
『固有結界』
From "Fate/stay night" (C) 2004 TYPE-MOON
Presented by HIRO [TRASH BOX]
森を抜ける間、簡単であるが気絶していた士郎の容態を確認した。背中を強く打っており、大きな痣を作っていた。それと、右肘の部分が赤く腫れ上がっているところから、骨折かと思われたが、骨に異常は無く、打ち身だろうと結論付けた。
手元に薬は無かったので、士郎に申し訳なさを感じつつ、セイバーが士郎を背負って衛宮邸へ帰還することになった。
道中、凛はぶつぶつと考え事を溢していたが、セイバーは士郎を気遣っていたので内容までは聞いていなかった。まあ、どうせ大したことは言っていないだろうと言う判断からなのだが。聞きかじった単語が「金ぴか」だの、「お金持ち」だの、「王様野郎」だの愚痴っぽかったので利益の無い考えをしているのだなと思ったためである。
郊外から街中へと戻った頃に士郎は目を覚ましたのだが、背中の痛みが酷いらしく立っていられなかった。当然として、歩くなんて事はできないのだが、セイバーに負ぶってもらうことの方が士郎としては承諾しかねる行為だったので、どうにか痛みを我慢して歩くことを決意。ただ、明らかに歩く速度は落ちていたのだが。
「シロウ、あなたは一刻も早く傷を癒すべきなのですから、私に負ぶられて下さい」
「……だってさ、セイバーと言えども女の子におんぶされるって言うのは……」
完全に男としての立場が無い。肩を貸してくれた方がよっぽどマシだ。ただ、それでも拒否させてもらうのだが。
「緊急処置です。歩くのが困難なほど痛みを感じているのでしょう? これでは逆に傷を悪化させるだけだと思いますが」
「それでもさ、男の尊厳とかが激しく傷つくんだよ」
頑なに手助けを拒否するシロウにセイバーは大きくため息を吐きながら言う。
「傷つくような尊厳がシロウにあるとは知りませんでした」
「ぐっ……」
「あなたは魔術師としても、戦闘者としても未熟です。そんな未熟者に尊厳もプライドもあったものじゃありません。そんな人間ができることは、自分がどれだけできないことを自覚するかです。そして、できないことに関しては素直に人を頼るべきです」
「ぐぐっ」
「あなたは何かと一人でやろうとしますが、シロウ一人だけでは全てをやり遂げることはできないと承知しているでしょう? 現状を把握して手を借りるべきならば借りなさい。ましてや、私はシロウの騎士なのです。私は頼られる存在なのですから、遠慮なく頼ってくださって構いません」
むしろ頼られたいのだが、それだけは口が裂けても言えなかった。恥ずかしいし。
セイバーの言葉に息を詰める士郎は散々悩んだ挙句、漸く言葉を飲み込んで、気恥ずかしそうに言った。
「……じゃあ、肩を貸してくれ」
「喜んで」
そんなやり取りをしつつ、衛宮邸へ帰ってきたのは深夜を回る頃だった。ひっそりとした無音の空気に士郎は背中の熱が冷めていくのを感じる。少し心地良いなと思いつつも、今は疲れきった身体を横たえたかった。
居間へと入って、士郎を寝かしつけるように凛が言う。
「とりあえず、衛宮君を寝かせましょう。傷の具合もあるけど、体力が極端に落ちてるみたいだし」
痛みの所為か、歩いて体力を消耗しているのか、どちらにしても具合のよくない士郎の姿を見て、凛はそう結論付けた。
「私も疲れてるし、話とかは明日に……」
取っておきましょうと言いかけたとき、音が鳴った。
「これは!?」
「侵入者!?」
悪意を持って衛宮の屋敷へ足を踏み入れた存在は、結界から警告音が鳴る。侵入の阻止などの防御機能は無いが、だからこそ相手は別段結界に対して何の構えも無く入ってくる。進入を告げるだけの結界だが、役割は十分に役立っていた。
「くそ、こっちは疲れてるってのにっ」
「だからこそ狙ってくるのだろう。どうやら我々は監視されていたようだな」
双剣を手にアーチャーは周囲に気を配る。
先ほどから気配がポツリポツリと増えている。それは屋敷へ入り込んでいるのではなく、突如として気配が増えているのだ。どういった手段で増えているのか解らないが、こんな現象を引き起こす奴など推測するまでもない。
こう言った数で攻める戦術と、その数をどこからか引っ張り出す術を持つ存在など一人しかいない。
「……厄介だな。凛、敵はキャスターだ」
「キャスター!? なんで、キャスターが敵陣に入ってくるのよ!?」
「そんなこと私が知るわけないだろう。だが、敵の気配が突然増えている。この現象を引き起こしやすいのは魔術師以外に考え付かん」
アーチャーは視線で凛に問う。
「衛宮君は今んところ使い物にならないし、閉鎖空間で敵に殺到されるのはまずいわよね。この家から離脱するしかないか」
「――あるいは、キャスターを倒すしかありません」
そう言ったのはセイバーだった。
「敵が突撃をかけてきたのならば、そこに勝機もあります。攻撃時にこそ最大の隙があるものです」
「でも、基本的にキャスターってサーヴァントは策を弄して、戦う奴が多いのよ? 下手に反撃したら何が起こるか……。ここは少し様子見をするべきじゃない?」
慎重論を唱える凛に、セイバーは首を横に振る。
「兵は拙速を尊びます。未だ戦闘が始まっていないこの瞬間が最大の機会です。ならば、奇襲を仕掛けるのはこちらの方です」
「…………」
「私には高い抗魔力があります。大抵の魔術は全て弾けますから、心配には及びません」
セイバーの意見は理に適っている。だが、こちらの最大の攻撃力を持つセイバーを即座に切ってしまって良いのだろうか。
「凛、迷っている時間は無いようだ。敵が来ている」
アーチャーは障子越しに見える敵を睨んだ。
「くっ、セイバーの作戦を採用するわ。敵が襲ってくると同時にセイバーが大将を討つ。私達は逃げつつ敵を払う! OK?」
「了解した」
「ありがとうございます。――では」
障子戸を突き破って敵が殺到する。
竜牙兵。
魔力を通した亡霊の残骸が文字通り牙を剥きながら、突入してきた。
「はああぁぁっ!!」
気合一閃でセイバーが最初の集団を蹴散らす。同時に、竜牙兵の頭蓋を足場にして中庭へと躍り出た。
それを見送ったアーチャーはセイバーに見向きもせずに向かってくる雑兵に剣を突き立てた。
「ふん。程度は低いが数が厄介か……」
マスターを庇いつつ屋敷から出るルートを組み上げると、赤い騎士は剣を振り上げる兵士を斬り飛ばしながら言う。
「玄関から外に出ろ!」
狭い空間に数で押し寄せられれば、どんな手練れでも負ける。物量を覆せるほど手持ちの手段が無い現状では戦場を一端変えるしかない。
「行くわよ、士郎!」
「ぐっ、わかった……」
傷が痛むのを無視して士郎もまた部屋から飛び出した。
中庭へと躍り出たセイバーは群がってくる竜牙兵を立て続けに両断していく。もとよりこの兵士は人間には厄介であるが、英霊となった存在にとってはただの雑魚に過ぎない。ただの壁でしかない兵士など恐るるに足らずと、セイバーは剣を振った。
そして、兵士の一団を粗方切り伏せ、漸く敵将の姿を確認できた。
深い紫のローブを纏った女性。明らかに現代の服装とは異なる衣装。典型的な魔術師の井出達のその女は、セイバーの姿を見て、口元を緩めた。
「どうやら、獲物が網にかかったようね」
「それはこちらの台詞だ、キャスター」
魔術師ではないセイバーでも感じる魔力の波動が『前回』と同じキャスターであることを物語っていた。
「私達を監視していたそうだな」
「正確には男の方よ。あなたが『アーチャー』と呼んだね」
「どういうことだ?」
最初からセイバー達を狙っていたわけではないと言うことだろうか。
キャスターは口元を妖しく歪めて言った。
「この土地の霊脈で探査をかければ、人間ともサーヴァントとも判断できない反応があったわ。それを追っていったら、あなた達を見つけたのよ」
もちろん、最優であるセイバーの探索も行っていたのだが、そちらの男の方が重要だと判断して追跡していたのだと言う。
セイバーはキャスターの話は恐らく本当だと思った。
あの『アーチャー』――ギルガメッシュュは今の時代から10年前の聖杯戦争でのサーヴァントだったのだ。聖杯を破壊したことで流れ出たあの呪いを浴びて受肉をし、現世に身を留めている姿を見れば、怪しむのは当然だろう。
「あなたのマスターは傷を負っているようだし、仕掛けるなら今と判断しただけよ。上手くアーチャーのマスターとも分断できたようね。我ながら、話が上手く行き過ぎな気がしてくるわ」
「何を企んでいるのかは知らないが、このまま貴様の思惑通りにいくと思うな!」
剣を肩に抱え、セイバーは言葉尻とともに跳んだ。キャスターはすでにセイバーの間合いにいたのだ。長々と話をしたのは、有力な情報が手に入るかもしれないと考えたためである。そして、頭脳戦が主であるキャスターにこれ以上の情報の引き出しは無理と判断したセイバーは、倒しにかかった。
疾風の速度で踏み込んでくるセイバーにキャスターは神言を唱え迎撃に出た。
「無駄です!」
だがその程度の反撃は最初から予測のうちだった。キャスターの魔力弾は弾けると、セイバーは『知って』いる!
着弾する弾は全て無視して、セイバーは剣を振り下ろした!
(入った――!)
確信がセイバーの胸を掠めるが、切っ先が触れる寸前にキャスターの姿が掻き消えた。
「なっ!?」
その事実にセイバーは驚愕する。
体術による移動ではない。キャスターの身体能力を上げたとしてもセイバーの目に追いきれないと言うことは考えられない。すなわち、キャスターは文字通り消えた。
(転移魔術!!)
そして、セイバーの驚愕は最大の隙を露呈してしまうことになる。
「待っていたわ、この時を!」
「くっ!!」
背後から聞こえた声に咄嗟に反応するが、遅かった。
キャスターが手に持った歪な短剣が、セイバーの胸に突き刺さった!
「あ、あああああああああああああああああああああああああ!!」
「ふふふっ、はははははははは!!」
消える。士郎との繋がりが断裂していく。
抗いがたい力がセイバーのレイラインと令呪の強制力を奪っていく。
士郎の力強く真っ直ぐな魔力が途絶え、代わりに寒々しい感覚がセイバーの身を包んでいく。
――破戒すべき全ての符。
魔術的な礼装や繋がりを全て絶つ短剣が、セイバーを繋ぎとめていた一切を消し去った。
「シ、ロウ……」
解呪の影響からか、意識が薄れていく中、セイバーは彼女の想い人の名を口にした。
押し寄せる骸骨の群れに後退を続けながら、士郎達は玄関から屋敷を出た。しかし、玄関先にも待ち伏せがあり、退路を絶たれてしまった。
「くっ。アーチャー一人だけじゃ荷が重いか!」
凛がルビーの宝石を取り出しながら悪態を吐く。
「凛、その台詞の撤回を要求する」
飛び掛ってくる三体の竜牙兵を干将で切り倒しながらアーチャーが抗議するが、凛は襲ってくる敵の処理で手一杯だった。その様子を見てアーチャーは舌打ちをした。
確かにこの状況では、自分は守護の役割を果たせていない。それと言うのもこの数を一手に相手にできるほどアーチャーに剣の腕は無い。もう少し距離があればどうとでもなるが、こう密集され、接近されている状態では決定打に欠ける。
「――――っ」
向かってくる敵を払うことは難しいことではないが、事倒すと言うことになるとこの数は厄介だ。せめてもう一手、手数が欲しい。
「小僧!」
「なんだ!」
その一手を確保するため、アーチャーはかけたくも無い言葉をかけるしかなかった。
「戦え!」
「なっ、士郎は怪我してんのよ!? 戦えるわけ……」
「たかが打ち身程度で使えんのなら、この場で盾の役割くらいは果たせ。手足がもげたわけではないのだ。四肢が動く限り抗い続けろ!」
「ぐっ……」
「その程度のことができんのなら、この戦争に参加する資格など無い。ましてや、セイバーのマスターなど勤まろうはずがないのは、承知の上だろう!」
言われて、士郎は反抗的な目をアーチャーに向けながら立ち上がる。背中の痛みで脂汗が吹き出るが、知ったことか。こいつにこんな言葉を吐かせられるくらいに、自分が役立たずなことに心底腹が立つ。護られてばかりで、何一つ役に立たない自分に怒り狂ってしまいそうだ。
「俺は……!」
「士郎……!」
「俺は衛宮士郎だ! こんなところで、躓いてられない!」
――投影、開始。
撃鉄を引くイメージが起こる。その数は10。
身体に走る魔術回路が駆動し、幻想をなさんと魔力を走らせる。
――創造の理念を鑑定し
――基本となる骨子を想定し
――構成された物質を複製し
――製作に及ぶ技術を模倣し
――成長に至る経験に共感し
――蓄積された年月を再現し
――あらゆる工程を凌駕しつくし
――ここに、幻想を結び剣と成す
両の手に現れたのは、硬き雷の剣。
正義の味方を通すための硬さを秘めた剣を手にして、士郎はその刃を煌かせた。
「ぜぁっ!!」
気迫を漲らせた斬撃は竜牙兵を一刀のもとに断ち、その姿を塵へと変えた。
士郎の奮迅を見取ったアーチャーは、ようやく敵への攻勢へ出ることが出来る。少々癪な話ではあるが。
「えっ!?」
「どうしたの!?」
士郎の反撃を見て、さあこれからと叫ぼうとした凛は、隣で驚愕の声をあげる士郎を見た。彼は、自分の手を見つめたまま呆然としているようだった。
まさか、自分で剣を創り上げたことに今更驚いてるとかいう話なのだろうか。
「って! 戦闘中にボーっとするなっ!」
動きの止まった士郎を狙って敵の剣が振り上げられようとしたところへ、凛の魔弾が撃ち込まれ、どうにか難を逃れた。
呆然というか、愕然とした様子の士郎に凛は怒声に近い声で訊いた。
「ちょっと、なんなのよ!?」
「……セイバーが」
「セイバーが、なに!?」
力なく呟く士郎の言葉を繰り返して、凛は先を促す。士郎は、左手を見つめながら言った。
「セイバーが、やられた……」
「な」
「なんだとっ!?」
意外にもアーチャーが士郎の言葉に反応した。
「どう言う意味だ!?」
「令呪が、消えてる。ラインも……」
「はあ!?」
士郎の言葉に凛は困惑することしか出来なかった。
いきなりセイバーとの繋がりが途絶えたといわれても、すぐさま対処法が思いつくはずもない。ましてや戦闘中にそんなトンでも発言されたら、混乱の局地に突き落とされるようだった。
「ちょ、待っ、セイバーがやられたの!?」
「判らない……。突然、令呪が消えて、ラインも消えたんだ」
色のない声で答える士郎を見て、凛は一番驚いているのは士郎だったと今更のように思い出した。
彼が一番信頼していたのは悔しいがセイバーなのだ。そのセイバーの存在が突然感じられなくなれば、士郎が一番取り乱すはずなのだ。なのに、彼は喚くよりも半自失に陥っている。よほど彼女の存在が彼の中で大きな割合を占めていたのだろう。
「アーチャー! 中庭に行くわよ!!」
「……ちっ、世話のかかる連中だな!!」
悪態を吐く赤い騎士にも余裕はなかった。両手の剣を縦横無尽に斬り放ち、雑魚兵を駆逐していく。
アーチャーの背中を追いながら、士郎と凛もその後に続いた。後方は見ない。ただひたすらに、前方――中庭目掛けて突き進んだ。
そこで、三人は見た。
ローブの女が持つ短剣で、胸を貫かれているセイバーを。
「セイバアアアアァァァァァァ!!」
頭が沸騰した。いや、全身が煮えたぎるような錯覚。何もかもが熱く高まり、何も考えられなくなる。
それほどに激昂した士郎は無防備のままローブの女――キャスターに斬りかかった!
「っ!?」
「あらあら。威勢のいい坊やね」
斬撃の瞬間、確かにキャスターの姿を捉えていたが、一歩手前で展開された障壁に、剣は届かず、挙句吹き飛ばされた。手にしていた剣を落とさなかったのは僥倖かもしれない。
「キャスターね?」
「いかにも。私は魔を司る術者よ」
「ちぃ、言わんこっちゃない。だから、キャスター相手に真正面からぶつかるのはヤバイって言ったのよ」
今更後悔を呟いても意味がないが、それでも言わずにはいられなかった。
キャスターの腕に抱えられている金髪に目を落とす。意識を失っているのか、全く動いている様子は見られない。士郎の言葉から推測するならば、セイバーは令呪による束縛権がなく、レイラインも断線していると言うことか。
方法は解らないが、キャスターと言うクラスと言う条件ならばそれも可能かと納得もできる。だが、そんなことが解ったとしても、この状況ではなんの意味もなかった。
「意外な掘り出し物だったわ。マスターだけ殺すつもりだったけれど、まさかセイバーが手に入るなんてね」
「ぐっ……」
「そっちの坊やも興味があるんだけど、そこまで欲を出すと厄介そうね?」
赤い二人を流し見ながら、キャスターは妖しく笑った。
「欲は出さずとも、こちらは貴様を逃がすつもりはないのだがな」
「弓兵が魔術師に勝てるとでも?」
「何も、矢を放つだけが弓兵ではないさ」
双剣を握った赤い騎士が構えを取る。
矢と魔術による砲撃戦では、魔術師に分があるが、だからと言って素直に応じるアーチャーではない。魔術師が最も苦手とする接近戦で挑めば、仕留めることは容易いはずだ。
そこへ、剣を杖に士郎が立ち上がった。キッとキャスターを睨みつけて、怒りを放つ。
「セイバーを、どうする、気だ」
「そうね。このまま貰っていこうかしら。そもそも、手に入れる予定はなかったけど、こうして手の内にあるのなら、使わない手はないわね」
「セイバーに、何をする気だ!」
「さあね? でも、手荒なことをするつもりはないわ。これから手駒になってもらうんだし」
けれどと、キャスターは独り言を呟いた。
「悪戯しちゃうかも……」
小脇に抱えられる小ささに、凛々しくも顔立ちは幼い造詣。それにそれに、見ただけで解るほど整った髪とか、非常にやりがいがありそうだった。人目がなければ、よだれが出てたかも。
「くそっ、セイバーを放せ!!」
「あげないわよ。この娘は私がもらってくわ」
「させるか!!」
痛めた体に鞭打って士郎は剣を引き摺るように駆け出す。
「ちょっと!」
「癪だが、小僧に続け、凛!」
「だー、もう!」
士郎の剣が風を切って走る。剣筋も力加減も出鱈目だが、何よりもその気迫は一流の剣士のものだった。
しかし――、
「そろそろお暇するわ。じゃあね……」
突如としてキャスターとセイバーの姿が消え去った。
目標を失った剣の勢いを止められず、士郎はたたらを踏んだ。
「消えた!?」
「空間転移!?」
「女狐め。しっかり置き土産は置いていったか……」
アーチャーの言葉通り、庭に溢れかえっている竜牙兵が各々の武器を手にこちらに向かってきていた。
「かぁー! だから、魔術師を相手にしたくないのよ! 陰険で! 独善で! 身勝手なんだから!」
「自分も魔術師だろうに……」
自分を棚上げしている凛に嘆息して、アーチャーは気を入れ直した。
「小僧、貴様も戦えよ。この数相手にいちいち護ってやるつもりはない」
「解ってるよ。お前なんかの助けなんて、いるもんか」
未だに背中が引きつっているが、いつまでも足を引っ張っているわけには行かない。それに、相手はそれほど強力な存在ではない。これ程度にてこずっている様では、セイバーを取り返すなんて出来やしない。
「殲滅戦だ! 一体残らず、駆逐するぞ!」
アーチャーの言葉を皮切りに、竜牙兵が殺到した。
「――で、何かわかったのか?」
「まあ、ね。ぎりぎりでって所よ」
竜牙兵を倒し尽くした三人は、セイバー奪還作戦を企てていた。目の前でセイバーを奪われたことに屈辱を覚えた凛と、怒りに燃える士郎が立案者だった。アーチャーの意見は特にはなかった。マスターの命令があれば動くだけと言うスタンスは変えていない。
ただ、セイバーの安否については彼なりに心配しているようでもあるが。
「どこまで追える?」
「ふん、嘗めてもらっちゃ困るわ、衛宮君。道筋さえ掴めれば、こっちのもんよ」
セイバーを奪ったキャスターの居場所は、三人とも知らなかった。なので、今どこにいるとも知れない相手に飛び込んでいくことは出来ない。そこで、凛がキャスターが転移した魔力の残滓をたどると言う方法を思いついたのだ。
使い魔を飛ばし、起点である衛宮邸の庭から伸びる残滓を探し出し、それを辿る。しかし、転移したキャスターの魔力を捉えるのは酷く難しかった。そもそも、転移しているのだから、経路たる道筋があるのかも解っていないのである。
それでも、微細な魔力の波動を捉え、キャスターの居場所を特定することが出来た。
「……教会? なんでまた? と言うか、綺礼の奴は?」
キャスターが潜んでいるのは教会だった。しかし、そこは聖堂教会の管轄だ。わざわざそんなところを拠点にする意味がよく解らない。それに、自分の兄弟子もそこには居なかった。キャスターとの戦いで死に絶えたのか、それともどこぞへと身を潜めているのか。
「まあともかく、キャスターの居場所も見つけたし。乗り込むわよ!」
「待て、凛」
威勢良く立ち上がった凛を止めたのはアーチャーだった。
折角勢い込んで気合を入れたというのに、横槍を入れてきた自分の使い魔にじと目を作る凛。
「何よ?」
「なんの準備も作戦もなしに突撃する気か君は。君よりも更に突撃馬鹿がいるのだぞ。方針なり、手順なりを検討する必要があると思うが?」
「突撃馬鹿って……」
「それよりも、私も馬鹿扱いしてない!?」
「言葉の表現などどうでもいいだろう。ともかく、キャスター相手に戦うことが厄介だと言うことは嫌と言うほど解っている筈だ。何がしか、手を考えなければどうしようもないぞ」
「うーん、そうねぇ……」
教会の構造は良く知っている。知りたくないほどにだ。つまり、地の利はこの場合はあまり関係はない。
では、彼我の戦力差がこの場合は重要だ。
敵はキャスター。セイバーを連れ込んだ場所ということは、何がしかの処理が施されていると思われる。結界か、あるいは呪縛か。どちらにしても、向こうの拠点なのだからどんな仕掛けが発動するか解ったものではない。
だがしかし、それらが例え待ち構えていたとしても、行かねばならない。
「俺は、セイバーを助けたい。セイバーには沢山教えてもらったんだ。これから恩を返していくって決めてたのに、こんな別れ方は嫌だ」
士郎は、ぐっと手を握りながらそう言った。
「……そうね。あの『アーチャー』って呼んでた奴のことも知りたいし。それに、セイバーは私達の仲間だしね」
「……凛」
「いいのよ。同盟は破棄されてないし、する気もないわ。セイバーの力は強力なんだから、仲間にしておいて損はないでしょ?」
言い訳のように言う凛に、弓兵は嘆息するだけだった。彼としては、彼女が満足するのなら、それでいいかと思う。そして、満足させるために剣を取ることを厭わなかった。
「では、具体的にどうするのかね?」
しかし、そんな内面など億尾にも出さず、赤弓はやる気のない態度を取った。
取って代わって、それに答える凛は自身満々にこう言った。
「――決まってるわ。囚われのお姫様を救出する手立てはただ一つ」
フフンと士郎を見て、
「正面突破よ」
そうのたまった。
「ありえん、ありえんぞ。あいつが騎士? セイバーが姫? 立場も実力も全く逆だろう」
ぶちぶちと文句を垂れているのはアーチャーだった。出かける前に話し合った(といっていいのか、あの会話は)時に出てきた凛の言葉に苛立ち混ざりに不平を洩らしていた。
「はいはい。いい加減忘れなさいよ。気分を盛り上げるための演出なんだから」
「だからと言って、あの言葉はきっぱりと否定したいのだが。姫と――騎士など到底言えぬだろう」
「……悪かったな。頼りなくて」
「文句があるのなら言ってみろ」
「いい大人がぶちぶち小さなことで拗ねてんじゃねぇ!」
「なんだと!? 貴様、もう一度言ってみろ!」
「何度でも言ってやるさ、この小心者!」
「言ったな貴様!」
「言ったぞ馬鹿野郎!」
低レベルな口論を繰り広げる馬鹿二人。
それを強制的に眺めさせられる凛は重い息を吐いた。
「あー、どうしてこうも仲が悪いのか」
少しの付き合いと学園内での評価を総合すれば、衛宮士郎はそれほど他人を嫌ったりする性格ではないのだが。第一にして、あの間桐慎二の友人をやっていたのだ。並大抵の口悪さや性悪さでいちいち怒りを見せるような器の小ささではない。
しかし、初めてアーチャーと会ったときからどこかしら避けているような態度を見せ、今はこうして正面から言い争いをしている始末。
アーチャーにしても、士郎を見たときからいい態度ではなかった。いや、彼はどこかしら人を小馬鹿にしたような態度を取るのだが、士郎に関してだけは心底意地が悪い。嫌悪丸出しで接している。
何がそんなに気に入らないのだろうかと考え、この目の前の光景に妙に違和感を感じながらも、そろそろ止めようと思った。見てるのも聞いてるのも疲れてくるし。
「いい加減にしときなさいよ。敵はもう目の前なんだからさ」
「……ちっ」
「……はっ」
お前らはガキかと内心突っ込むものの、そこは遠坂凛。優雅さを忘れることはなく、心に秘めておくことにする。
「――いるな」
不意に、アーチャーが呟いた。
視線だけをアーチャーに向ければ、彼は眉を顰めながら皮肉げな笑みを浮かべる。
「出てきたらどうだ? それとも、君は不意打ちを身上とするアサシンに鞍替えしたのか?」
「――へ、まさか。この俺がそんな陰険に見えんのか?」
「どちらかと言えば、暑苦しい馬鹿に見えるな」
スッと景色から姿を浮かび上がらせたのは赤槍を肩に乗せるランサーだった。
「ふん。ここに居るということはキャスターの軍門に下ったのか、ランサー」
「ちげぇよ。街を巡回してたら魔力を感じてな。使い魔っぽかったんで、後を尾けただけさ」
つぃと、凛を見てみれば苦々しげな顔をしていた。具体的に述べると、『げっ』と言う顔をしている。
「凛……」
「だ、だって! キャスターの魔力追うのに必死で、周りに気を配ってる余裕なんてなかったんだもん!」
微妙に幼語になってる己のマスターに肩を落としつつも、ランサーへ構えを取った。
「戦うのか?」
「ああ、残念ながらあれは人間が戦って勝てる存在ではないからな。唯一対抗できる私がやるしかあるまい」
面倒くさげに言うアーチャーは、ふと何を思いついたのか、士郎を見た。
「小僧――いや、衛宮士郎。お前はセイバーを助けて、何をする」
「何をって、聖杯戦争を止めるんだよ」
「それは己の意思か?」
「今更何訊いてんだ?」
「その意思は誰に植え付けてもらった?」
「誰にって、誰にでもない。俺自身が決めたんだ」
「――『正義の味方』としてか?」
「ああ、そうだよ」
気負いもせずに答える士郎に、アーチャーは向けていた視線を逸らし背中を見せた。
「もし、貴様の行く末に一石を投じられるのなら、それは、オレではない、か……」
「何か言ったか?」
「――いいか、衛宮士郎に出来ることなど一つしかない。お前がどうにか出来ている強化も投影も解析も、一つのものから劣化したものだ。その事を自覚しろ」
「なにを……」
言っているのか。自嘲するアーチャーは、その笑みを隠すことなく前面の敵を睨む。
「凛、キャスターの相手は出来なくなった」
「……まあ、仕方ないわね。こればっかりは任せるわ」
主人の了解を得た赤い騎士は、背後の少年に見せつけるように、唱えた。
「――投影、開始」
その意味に、背後の二つの気配が強張った。それを知りつつも、アーチャーは紡ぐ言葉を止めることはなかった。
「ほう――。まさかテメェが魔術師だったとはな」
魔力の波動を見取ったのか、ランサーが言う。
「これでもおちこぼれの身でね。私に出来ることはそう多くはない」
「へ、剣の腕を磨いてるわけだしな。それには納得できるぜ」
「さて、舞台を整えようか。君が望む、舞台を!」
――体は剣で出来ている。
血潮は鉄で 心は硝子。
幾たびの戦場を越えて不敗。
ただの一度も敗走はなく、
ただの一度も理解されない。
彼の者は常に独り 剣の丘で勝利に酔う。
故に、生涯に意味はなく。
その体は、きっと剣で出来ていた。
頑なに、そして悲しいほどに強固に固められた赤い世界。
現実が幻想に塗り潰され、広がっていく世界があった。
「――ようこそ、我が剣製の世界へ」
固有結界。
魔術にして魔法の領域と言わしめる最高峰の術。
禁忌と蔑まされる結界が展開された。
「――は、ははははははははははははははっ!! 良いぞ! これだけの実力隠してるとは、思いもしなかった!!」
ランサーが高らかに笑い上げた。待ち望んだ強敵を目の前にしたこの高揚。そうだ。これだ。これこそ、我が身が望んだ闘争也。
「アーチャー、あんた……」
「いけ。戦闘が始まれば気を配っている余裕などないやもしれん」
目を合わせず、鋼の背中がそう語る。今ここで凛たちが出来ることは何もない。サーヴァントの戦いに余計な横槍など必要ないのだ。
それを知った二人は、駆け出す。士郎は苦々しい顔をして、そして凛は士郎と同じく苦々しく、それと同じくらいの苦笑を浮かべていた。
「全く、あんたってどうしてそう一人で突っ走るのかしらねぇ……」
ランサーの脇を過ぎ去るマスター達をアーチャーは見送った。二人に手を出さなかったランサーに内心感謝し、それに答えるべく、四肢に力を篭める。
――さあ。
「行くぞ、ランサー。――覚悟は十分か?」
「言われるまでも、ない!!」
戦いの火蓋が切って落とされた。