昨日の戦闘の余波で生徒教師もろもろの人間が昏倒して、屋上が全壊していた事件はテレビのニュースや新聞には載らなかったものの、人づてに伝えられ街中に広がってしまった。
 まあこのことについては教会のくそ忌々しい神父に一任しているので、放って置くことにする。噂を消すなんてそんなことをいちいちやってられるほど遠坂凛は暇な身ではないのだ。とにかく今は傷を癒して、それから今後の対策を

「あ、おはよう遠坂。はい、牛乳」
「……………………………………………………はい?」

 手渡されたコップには冷え切った白い液体が一杯に注がれていた。朝から冷えたものを口にするのは腹を冷やす要因の一つで控えめにすることが健康にはよろし

「って、そんな小ネタはどーでもいいのよ! つーか、あんた!」
「な、なんだよ、遠坂。ちょっと今、手が放せないんだけど……」

 そう言いながら全く手は休むことなく調理を続けるのだから、体に染み付いた主夫根性丸出しだった。

「なんでぴんしゃんしてんのよ!?」
「……なんでさ」

 朝から良く解らない理由で怒られる衛宮士郎だった。






























正義の味方の続け方

『聖杯』

From "Fate/stay night" (C) 2004 TYPE-MOON
Presented by HIRO [TRASH BOX]































 とりあえず、調理を終えなければ話し合いが出来ないと言うことで、朝食が出来上がるのを待って、第二回聖杯戦争会議(初士郎参加)が開かれたわけである。
 ちなみに学校は休校だ。集団昏睡と屋上の破壊状況からとてもではないが授業などしていられない。集団昏睡はガス事件として扱われ、警察が綿密な調査に乗り出すらしい。その間生徒達は自宅学習扱いになるわけだ。
 まあ、保護者一同からの願い出もあって、数日ほど休校扱いになるのだが。

「まずは、士郎の傷が完治してる事について、士郎の体を解剖するところから始めたいと思うわ」
「なんでさ!?」
「あんたねぇ、あれだけの傷が経った一晩で治ってるなんて常識的に考えてもありえないでしょうが! ぜぇったいあんた何か失ってるわよ! 寿命とか、魂とか、貯金とか!」
「貯金が全く関係ないのは俺でも解るぞ」

 つまりは、傷の治りが速すぎることが凛としては不可解で、不可解を放っておく事が出来ない性格の凛としてはなんとしてでも理由を解明したいのだ。

「うっさいわねぇ! 理不尽なのよ! お得すぎるのよ、あんたの体はっ! 戦争が終わったら絶対に調べさせてもらうからねっ」

 研究欲が出てきたのか息巻く凛に、士郎はどうやって逃げるか算段を立て始めていた。

「二人とも、そろそろ真面目に話し合いをしたらどうですか? 益のない話をしても無駄でしょう」

 のっけから脱線している話を再出発させるために実体化しているセイバーが言った。ちなみに、朝食は美味しくいただきました。

「士郎の治癒能力はそういうものと思っておきましょう。治ったことは有益なのですから、それを題材にするのは後回しです。今はこれから何をするか、です」

 何故か司会進行役になっているセイバーにさして疑問を挟まず、凛は話を進めた。

「まあ、昨日倒したのがライダーで、後残ってるのが、アインツベルンのバーサーカーとランサー、アサシン、キャスターってわけか。この中で、居場所が判ってるのはアインツベルンね」
「イリヤの場所が?」
「この街の外れにある森の奥に城があるのよ」
「城っ!? そんな話聞いたことないぞ!?」

 この街に長く住んでいる士郎であるが、森の奥に城があるなんて話は聞いたことがなかった。そんな話があれば、都市伝説かはたまた心霊スポットになっていることだろう。そう言ったオカルトじみた話というのは藤村大河から問答無用で流れてくるものなのだが、士郎は全く聞いたことはなかった。

「アーチャーが見つけたのよ。初めは信じてなかったんだけど、アインツベルンが参戦してきたって事は多分その城が居住地なんでしょ」
「城って、何でまたそんなものがあるんだよ」
「私に訊かないでよ。そんなこと知ってるわけないじゃない。とにかく、そこが一番怪しいのよ。他のサーヴァントの居場所は判ってないんだし、セイバーの魔力量を考えると、早急にバーサーカーを倒さないとやばいわ」

 士郎ははっとしてセイバーを見た。
 セイバーはすまなそうな顔をしている。凛が言ったことは本当なのだろう。昨日使った宝具の所為で大幅に魔力が消耗している。あれだけの威力を秘める宝具を使うと言うことは、それに見合うだけの魔力を消費すると言うことだ。
 だが、それ以上に士郎は自分の力不足を感じる。
 仮に魔力供給が順調で、レイラインがしっかり繋がっていたとしても、十分な魔力を供給できない自分が情けなかった。

「多分だけど、セイバーの宝具でもバーサーカーを倒すのは難しいと思うわ。『一度殺した』って言うあの子の言葉も気になるし。それでも、宝具を撃ててまだ現界していられる今の内に勝負をつけるしかない」
「……でも、イリヤと戦うってのは」
「――いい? 士郎」

 凛は士郎の名を呼んだ。

「これは戦争なのよ。降りかかる火の粉を払ってるだけじゃ、何も出来ないの。火種そのものをなくさない限り、被害が広がるわ。それを止めるためには、自分から戦わなきゃ何も守れないのよ」
「…………」
「その点、慎二は間違ってなかったわ。方法は下衆だったけど、やるべきことに忠実だったみたいだし」
「でも、人を傷つけてまで守ることは正しくない」

 士郎の言葉に、凛ではなくセイバーが答えた。

「私もリンと同じくそう思います。自分の信念を貫こうとしたとき、絶対に誰とも衝突しないなんて事ありえません。シロウが「正義の味方」を目指す以上、人との衝突は避けられない。その時あなたは、信念を曲げてまで人を傷つけない選択をするのですか?」
「それ、は……」
「その程度で曲げられる信念ならば持つべきではありません。そんなものは本物とは言えない」

 セイバーの言葉は士郎の心を深く斬り裂いた。
 人を守るために「正義の味方」を目指す。なのに、目指したがために人を傷つけることになる。それでは、人を守るために人を傷つけながら「正義の味方」になると言う事なのか? いや、違う。そんなことしちゃいけない。そうではない。「正義の味方」はそんな存在じゃない。

「……この話は終わりにしましょう。今は、イリヤスフィールとバーサーカーです」
「……そうね」

 気持ちを切り返るために凛は少し息を整えた。

「セイバーが前衛をしつつ、アーチャーでとどめってのが理想ね。でも、アーチャーだけでバーサーカーを倒しきれるとも思えないのよね」
「悪かったな」

 いつの間にか実体化していた赤い騎士が拗ねた言葉を言うが、全員無視。

「セイバーは、後何回くらい宝具を使える?」
「ぎりぎり、一回です。それ以降は体を維持するのも難しいくらいになります」
「……まさに切り札ね。少しでも魔力を補填したいけど、士郎の実力を考えるとそれも難しいか」
「ごめんな、セイバー」
「いいえ。これもまた試練です。それに、苦に思っているわけではありません」

 頼もしく微笑むセイバーに士郎はまた情けない気持ちになってくる。自分にもう少し魔術の才能があったならと思ってしまう。

「そうね。セイバーのことを考えると、少しでも魔力の回復を待って行った方がいいのかしら」
「いいえ。今すぐに出向いた方が良いでしょう」

 凛の提案を却下したセイバーは説明する。

「夜の森は視界が極端に悪くなります。熟達した戦闘者でも夜の森での戦闘行為は極力避けていました。明るい内に行った方が、危険が少なくて済みます」
「そっか。でも、そうなるとセイバーの魔力は」
「元より回復しきるわけではないんです。もう一度放っても、まだ現界しているくらいは残っています。ですから、大丈夫です」

 強く頷くセイバーに凛はその言葉を信じた。

「よし、なら善は急げね。どうせ移動に時間取られるんだし、早めに行って損はないわ」

 よしと意気込んで立ち上がる凛と真剣な面持ちのセイバーに、沈んだままの士郎とへこんだアーチャーは口を揃えて言った。

『なら、弁当を作ろう』
「……………………」
「……………………」

 直後に、アーチャーと士郎の喧嘩が始まったが、セイバーのカリスマ(B)発動で治められた。





/ / /






 深山町からタクシーで郊外の森までやってくる。何もないただの道路でタクシーを止めた。運転手からは胡散臭そうな顔をされたが、気付かない振りをして、料金を払ってさっさと降りた。
 ガードレールの外側――小さな崖になっているその下には鬱蒼と茂る森が広がっていた。地元の人間でも寄り付かないその森を眼下に捉えて、セイバーは見えぬ己の右手を強く握った。
『前回』では、この森でバーサーカーと戦った。二度目の戦いだった。バーサーカーの強さは尋常ではなく、アーチャーが足止めをして、どうにか逃げ切るのが精一杯だった。
 その後、朽ち捨てられた小屋に潜り込んで、その、まあ、魔力の直接注入を致したわけで……。

 ――そ、そう言えば私の『初めて』はあそこでしたね。

 思い出すと顔が赤くなってきた。霊体化してるのに顔が火照って来るのが判ってしまうのがたまらなく恥ずかしい。

 ――は、初体験が三人でと言うのは、い、些か倒錯した行為でしたが、ま、まあ痛かったですけど、嬉しかったわけですし……。

 悶々と『前回』の記憶を思い起こすセイバー。実体化していないことが救いかもしれない。


 森の中を進む。差し込む陽光に照らされて比較的明るいが、日が傾いてくれば油断ならない状況になるのは素人目にも容易く想像できた。警戒を怠らず、士郎と凛は森の奥へと足を進めていく。

「遠坂、場所は判ってるのか?」
「ええ、このまま真っ直ぐ言った先にあるみたいね」

 そこで、凛が止まった。

「遠坂?」
「丁度ここよ。ここからアインツベルンの結界が敷いてあるわ」

 凛が自分の足元を指した。士郎は見てみるが、何がどう言う風になっているか、全く解らなかった。

「あんた、ただ見てるだけでしょ」
「え? ああ、そうか」

 視覚ではなく魔力を読み取るわけか。
 解析トレース開始オンと呟く。いつも学校でやっていた故障品の解析の要領で結界を見た。
 なるほどと思った。魔力の流れがドーム上に形成されていて、範囲内に入った存在の波動を読み取る仕掛けになっている。魔術師やサーヴァントがこの中に入れば、魔力の波動を探知されるのだろう。

「よくできてるなぁ」
「感心してる場合じゃないでしょ。この程度なら並みの魔術師だって出来るわよ」

 言外に並みの魔術師以下と言われて士郎は落ち込んだ。

「……でも、なんか引っかかるんだよなぁ」

 結界と言えば、一定の空間を切り取って融通の利く空間に上塗りすることだ。世界を再構築するのではなく、横から少しだけ力を加えて形を少し変える。

「結界なんて張ったことないし、興味もなかったんだけど……」

 何か重大な事実に触れているような高揚感を感じていた。だが、それが解らず士郎が頭を捻っていると、

「ほら、さっさと行くわよ」

 凛が颯爽と結界の中へと踏み出して、

「うっきゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
「遠坂!?」
「凛!?」

 見れば仰向けに倒れている凛がいた。ひくひくと痙攣のようなものを起こしている。

「ど、どうしたんだ、遠坂!?」
「……弱いものですが電撃を喰らってますね」
「……これか」

 セイバーの見立てを聞いてアーチャーは凛が踏んだ場所の枯葉をどけるとワイヤーを見つけた。

「恐らく電流が流してあったのだろうな。警報装置か……。結界に気を取られた奴をはめるためのものだろう」

 そして、凛は見事にはまったと言うわけだ。

「ふ、ふふ、ふふふふふ……!!」
「と、遠坂……?」

 尋常ならざる笑い声を上げる凛に士郎の腰が引ける。
 セイバーもまた一歩二歩と退いていた。

「じょぉっとおおおおぉぉぉじゃないっ!! この喧嘩、利子つけて返してやるっ!!」

 があー!っと叫ぶ遠坂嬢。なんかもう優雅さの欠片もなかった。

「行くわよ、三人とも!!」
『りょ、了解!!』

 直立体勢で答える三人だった。


 その後、結界に侵入した事を察知されていると予想し、警戒態勢で先を進んだのだが、敵襲はなかった。妙な静けさが漂う森を抜けると、そこには石造りの城が構えていた。

「本当に城があった……」
「非常識よね。多分、本国からそのまんま持ってきたんでしょ」

 輸送費用と整備費用を考えると頭痛とやるせなさが広がってくる凛だったが、どうにか耐えた。金持ちのやる道楽にいちいち深く考える必要はない。

「くっそぅ、金持ちの特権振りかざす奴なんて、奴なんて……」
「凛……、こんな時に何もそんなことで泣く事は」
「泣いてない!」

 やれやれとアーチャーは肩をすくめた。緊張していないことは歓迎すべきだが、緊張しなさ過ぎているのは問題だった。適度な緊張感はあらゆることに対して対処できる一番良い状態なのだが、凛は冷静でない上、何処か緊張感らしきものがなくなっていた。

「にしても、妙だな」
「何がですか?」

 凛とアーチャーを置いといて、士郎とセイバーは城の様子を木の陰から伺っていた。そして、ぽつりと士郎がそう言ったのだ。

「俺達がここに結界に入ってからだいぶ経ってるのに、待ち伏せとかないのっておかしくないか?」
「――そうですね。自陣に敵の侵入があったと言うのに、全く動きを見せていないのは不可解だ」
「俺達が入ってきたことに気付いてないのかな?」
「そんな事はないだろう。凛が踏んだ警報装置が機能していないわけではないと思うが。まさか電流だけ流してあったわけでもあるまいて」

 凛を宥めていたアーチャーがそう口を挟んできた。彼の言う通り、あれがただ単に設置してあったわけではないだろう。それに引っかかっているのだから、向こう側はこちらが入ってきたことを感知しているはずだ。

「どうしますか? このまま様子見を続けますか?」
「――いや、行こう。どうせ会わなきゃいけないんだ。なら、早い方がいい」

 枯葉を踏みしめて士郎が森を出る。その横につくようにセイバーもまた歩き出した。
 未だ自他の経済格差に懊悩する凛を、アーチャーは深い溜息を吐きながら脇に抱えて二人の後を追ったのだった。


 城に近づいて、最初に聞こえたのは爆音だった。

「な、なんだぁ!?」
「中です!」

 地鳴りを伴う大規模な爆発に士郎は驚き、セイバーは爆心地を確定した。先行するセイバーを追う形で、士郎達が城の中へと飛び込む。
 城の玄関口であるエントランスホールは、粉塵が立ち込めていた。熱気や黒煙が舞っていないところから、火災による爆発ではないと判断する。

「――■■■■■!!」
「バーサーカー!?」

 白煙の向こうで身が竦む雄叫びが聞こえた。直後に連打される殺傷音も。

「何が一体……!」
「粉塵が晴れます! 士郎、迎撃体勢を!」

 エントランスホールに吹き込んだ風が白煙を流していく。幾筋かの粉塵の羽衣の隙間に向こう側が見えた。
 粉塵が晴れたところで目に飛び込んだのは、血を流して蹲る灰色の巨人だった。

「なっ!?」

 鉄よりも固い皮膚に何条もの傷跡が見える。灰色から濁った赤い色に塗り替えられた巨人は、その後ろに眠る少女を守るようにそこにいた。
 巨人の視線はホールの上。中二階へ通ずる階段の上だった。

「――ふん。なにやら雑種どもが沸いて出てきたな」

 荘厳な態度でそこに立っていたのは真紅の瞳を持つ金髪の男だった。

「聖杯を手に入れに来たが……よもやお前が現れるとはな、『セイバー』」

 男の視線がセイバーに向いた。
 セイバーは険しい顔のまま男を睨みつける。

「ここで何をしている『アーチャー』」
「見ての通りだ。聖杯の器を取りに来た」
「なんのために!」
「余興よ。程度の低い雑種どもの小競り合いなど興味はない。だが、更に詰まらんものに成り下がるのならば、いっそ我が演出してやろうと思ったまでだ」

 朗々と語る『アーチャー』と呼ばれた男は見下した視線のまま笑った。
 その傍らで、肩膝をついていたバーサーカーが身を起こし始めた。弱々しく立ち上がっていく様は、セイバーを圧倒したときの面影が見つからない程だった。頑強と言わしめるほどの堅固さを持っていたあの巨人が、残しわずかな余力を振り絞って立ち上がろうとしていた。

「……ふん。貴様にも半分神の血が入っていると言うのに、雑種のお守りか」
「――――」

 バーサーカーは背後に横たわるイリヤを守るように大きく構えを取った。自身の背後へは一撃たりとも通させない鉄の意志を感じさせる構え。それを見て取った『アーチャー』は眉をつまらなそうに曲げた。

「自我がないとは言え、よくも雑種などにそこまでの忠義を持てるな。――いや、自我がないからこその忠義か。……下らんものだ」

 片手を軽く挙げ、男は指を鳴らした。
 男の背後に泉から湧き上がるかの如く、抜け落ちた武装が浮かぶ。その全ては神秘の塊にして、最高位の宝具。人間が一太刀でも食らえば、魂を焼き尽くされるほどの神秘を秘めた秘法の数々だった。

「な、なによあれ……」

 金髪の男の所業に凛は呻く事しかできなかった。

「貴様が下らん忠義に死ぬのなら死ね。半神を持ちながら雑種の守護に回ったことの愚かしさを、その身に刻め」

 再び男が指を鳴らした。
 合図とともに撃ち出される剣剣剣剣剣剣剣剣。
 数えることすら無謀に思えるほどの無限の刃がバーサーカーに飛翔する!

「――■■■■■!!」

 それを己の身体と石斧で払い除けていく。体を刻んでいく刃にバーサーカーは頓着せずに、背後へと飛ぶ剣の全てを弾き飛ばす。
 しかし、抱えている傷が多すぎた。バーサーカーの動きは前回士郎達が戦ったときよりも精彩に欠けていた。傷を負う度合いが多くなり、そして、決定的な一撃が入った。
 肩を貫く槍がバーサーカーの動きを止める。間髪入れずに殺到する剣の大群。

「――■■■!!」

 魂を砕くほどの剣の飛来にバーサーカーは反応するが、遅かった。迎撃をするにはあまりにも体勢が悪い。
 それでもバーサーカーに諦める意思はない。彼にあるのは主人(マスター)を守り、敵を倒すことだけ。だから、諦めると言う行為を知らぬまま、抵抗する。
 ――それを見て、士郎は叫んでいた。

「セイバー!!」

 主の指示に従い剣の騎士が剣の群れの前に立つ。群れなす剣の疾走に、セイバーは呼気を込めて叫んだ。

「オオォオォッ!!」

 風王結界の風が吹き荒ぶ。
 剣撃に呼応して風の刃が飛び剣を打ち落としていく。それでも風の刃でできることは軌道を僅かに逸らすことだけだ。セイバーは全力を持って、剣の雨を弾いた。

「――ハアアァァッ!!」

 剣を冠する騎士が剣の雨に討たれる道理はない。剣を掲げ、剣を取った騎士に、剣の刃が襲い掛かる理由などはない。
 雨が止む。
 無数と呼べるほどの剣の雨が止んだ。

「くっ……」

 セイバーを膝を突く。担い手がいないとは言え、弾いたものは神話級の宝具だ。その衝撃を受け止められるほどセイバーの耐久力はない。そして、全ての剣を弾くことはできなかった。自分に向かってくる剣を弾くのだけで精一杯だったのだ。それでも、バーサーカーの体勢が整うまでの時間は稼げていた。だが、バーサーカーには抗うだけの力は残っていなかった。
 セイバーの背後で狂戦士が膝を突く。次第にマナへと融けていく巨人は最後まで自分の主を守っていた。
 背後の気配が消えるのを感じ、笑う膝を叱咤して、セイバーは立ち上がろうとする。

「セイバー、貴様もそんな真似をするのか」

 見下した男はそう言った。
 視線に籠もっているのは怒りと嘲りだ。愚かな行為をしたセイバーをただ嘲笑っている。

「私は、守りたいと思うものを守っただけだ」
「ふん、雑種などを庇ってなんの得があると言うのだ? そいつらは勝手に繁殖していく家畜だ。食うも殺すも王の勝手であろう」
「王とは民を守り、導くものだ! 私利私欲のために民を貪るのは王ではない。そんなものは独裁者だ!」
「セイバー!」

 セイバーが床を蹴り、金髪の男に向かって跳ぶ。士郎の制止の声も聞こえず、怒りのままに斬りかかった。

「くっ!」
「ふん、怒りで剣筋が粗いぞ、セイバー!」

 怒りに駆られて力任せに打ち込んだ剣を三節の剣で受け止められた。そのまま後方へと弾かれるが、どうにか着地する。だが、男との距離が開いてしまった。男の持つ剣の真名を発揮されたら、おそらくこの城は壊滅する。そうさせないためにも密着し続けなければならないのに、セイバーは怒りのままに走った自分をなじった。
 その後ろで、事態を見守っていた凛は隣の赤い騎士に小声で問う。

「どうする? バーサーカーを軽く瞬殺する相手よ? 勝ち目はともかくとして、――逃げられる?」
「さて、どうかな。まあ、逃げる間くらいは稼げるだろうが」

 さすがにアーチャーも金髪の男に勝つのは難しいらしい。事態を静観していたのは慎重からではなく、金髪の男の隙の無さからだ。不用意に動けば、こちらに攻撃の手が向く。あの雨から凛を守る事はアーチャーには難しい所業だ。
 アーチャーの気配が戦いへと傾く。戦わずしてこの場から立ち去ることは不可能だと理解していた。勝つことは無理でも負けることは、ましてや逃げるだけならば隙も作れる。
 その考えの下、アーチャーが攻撃態勢を取ろうとした時、白い少女が目覚めた。

「――わたし……、バーサーカーは……?」
「イリヤ!」

 イリヤの無事を見て士郎が名を呼ぶ。起き上がったイリヤは周囲を見渡した。最初に呼んだ名を探して、そして見つけた。

「あ……」

 マナへと還っていく残滓がイリヤの頬を撫でた。それは確かに知っている温もりで、しかし感じたくない感触。

「バーサーカー……は? バーサーカーは、どこ?」
「イリヤ……」

 解っているはずなのに、それでも未だにその存在を求める少女に、士郎は何も言えなかった。言うべき言葉が見つからなかった。

「――ふん。雑種を庇うなどをした結果だ。そも、器は護るものなどではなく、使うものだというのに」
「止まれ、アーチャー。この先へは行かせない」

 ざりっと破片を踏みしめてセイバーが立ちはだかる。未だ宝具の雨を受けた時のダメージは回復しきっていないが、剣を杖に立っていた。

「セイバー、そうまでして雑種を庇う理由など無いだろう? 貴様の国の人間ではないのだぞ」
「そう言うものではない。苦しんでいる人間を、傷ついている人間を護るのに理由を掲げる必要など無い。私には王としての理由などこの場に持ち合わせたつもりは無い!」
「……ほう? 十年という歳月はそれなりに意味があったか? その気高き心はそのままで安心したぞ、セイバー」

 パチンと男が再び指を鳴らす。男の背後に剣の柄が顔を現していく。

「だが、今は聖杯が先だ。お前との決着は後に取って置いてやる」

 その言葉の終わりと同時に二度目の剣の掃射が行われた!

「ぐっ!」

 剣の大群を前にしてセイバーは剣を構える。自分の背後にいる少女には絶対に届かせぬと奥歯を強く噛んだ。

「助太刀するぞ!」

 セイバーの状況を見るに見かねてアーチャーが助けに入った。二人がかりならば負担を分散できる。そう見越しての参戦だったのだが、

「雑魚が幾つ集まっても雑魚は雑魚だ。貴様は消えておけ」

 三節の剣を手に金髪の男が大胆にも歩いて向かってくる。その間にも剣の弾幕は放たれ続けセイバーとアーチャーは足止めを食っていた。

「加減してやる、器ごと吹き飛ばしても意味がないからな」

 三節の剣が回転し始める。エーテルとマナを巻き込みながら、天地を切り離した神剣が抜き放たれた!

天地乖離す、開闢の星エヌマ・エリシュ!」

 圧縮された風圧が断層を生み、世界を切り開く剣を成して鬩ぎ合う。
 空間を断裂していく断層にセイバーとアーチャーはその身を吹き飛ばされた。

「セイバー!」
「待ちなさい! あんたが行っても何もできないわよ!」

 戦いの場に割り込もうとする士郎を凛が羽交い絞めにしてとめる。凛としても、今すぐにでもアーチャーの元へ駆け寄りたいが、金髪の男の存在がそれを邪魔していた。

「……っ、無事か、セイバー」
「……ええ、どうにか」

 セイバーは咄嗟に風王結界を用いて風の流れを変えていた。斬撃の威力が落とされていたからどうにか直撃を避けられたのだ。
 それでも体の自由は奪われていた。攻撃の余波で吹き飛ばされ、受身も取れず壁に激突してしまった。体の節々が悲鳴を上げ、言うことを聞いてくれない。

「動けますか?」
「無茶を言うな。俺は君以上に防御力は低いんだぞ」

 昔の口調に戻りかけたアーチャーの言葉に、セイバーは悪態をついた。
 いくら未来を知っているからとは言え、実力差が埋まるわけではない。せいぜいが、どのように対処をすればいいのか、あらかじめ覚悟していられる程度なのだ。
 セイバーは軋む体をどうにか動かそうともがいていると、ある匂いを嗅いだ。焦げ臭い匂い。何かが燃えている。
 今の攻撃の余波で城に火が回り始めたか。
 その間にも男はイリヤの傍まで来ていた。呆然としているイリヤの胸倉を掴み上げ、つまらなそうに顔をしかめる。

「こんなもののために体を張る価値があるのか? 器(道具)は所詮、器(道具)よ。代替が利く物品でしかない」
「生命あるものをもの扱いしていたから貴様の国は滅びたのだ」
「ハッ、その体たらくで何を言うか、セイバー。この世は全て我のものだ。所有物をどうしようが勝手であろう。勝手を許される存在こそが、『王』と呼ばれるのだ」

 そして、男は空の手をイリヤの胸に突き刺した。

「イリヤアアアアアアアァァァァッ!!」
「士郎!」
「耳障りだ、雑種」

 耐え切れなくなった士郎が凛の戒めを振り解いて、駆けた。無我夢中のまま右手に剣を投影している。

「うああああぁぁっ!」
「失せろ、ハエ」

 三節の剣と士郎の剣が火花を散らせる。しかし、散ったのは火花だけではなく士郎の剣そのものも砕け散った。

「がっ!」

 壮年を確立していなかった剣は存在を否定され、この世から消え去る。怒り任せに投影した剣は粗悪品でしかなかった。それでも男の一撃を防ぎきったのは僥倖か。衝撃までは吸収切れず、士郎はセイバー達と同じく壁に叩きつけられた。
 男は士郎には無頓着だった。弾き飛ばした後など見向きもせず、イリヤの胸から心臓を引きずり出した。
 聖杯の核である心臓。イリヤスフィールが聖杯というのは、その身に刻まれた魔術回路もそうであるが、何よりも生命そのものに刻まれた核である心臓だ。それがあれば事足りる。

「器は手に入れた。後は、貴様ら雑種を始末していくか」
「ついでに殺されるわけには行かないわね」

 凛は小さく呟くと自分の状況を分析する。セイバーとアーチャーの具合は変わっていない。それでも鈍くであるが起き上がりつつある。体力の源である魔力をアーチャーに回しながら、この場から逃げる算段を立て始める。
 恐らく先に回復するであろうアーチャーを時間稼ぎに出して、セイバーに士郎を背負わせてこの場から離脱する。
 大雑把に方針を決めて、凛はポケットの中の宝石の数を数える。

(計六つか。バーサーカーとの戦いを想定してたんだし、対象が摩り替わっただけなのよね)

 だが、その実力はバーサーカー以上と思われる。セイバーとアーチャーの簡単にあしらい、バーサーカーにいたっては無傷で勝利している。その実力は折り紙つきだ。

(まずは私が牽制して、その隙にアーチャーを前に出させて……)

 ぐっと凛は体を沈み込ませる。敵に悟られないように徐々にだ。そして、具体的な戦いの展望を描いて、いざ宝石を取り出そうとしたとき、敵が言った。

「――やめた」
「…………は?」

 思わず聞き返した。
 突然に何を言い出すのだ、この男は!?

「煤で汚れる」

 それだけ言い残すと、男はすたすたと城から出て行ってしまった。
 呆然とそれを見送る凛達。固まったままの三人を動かしたのは天井の石片の落下だった。

「……と、とにかく今はこの城から出るわよ! 火事に巻き込まれるなんてたまったもんじゃないんだから!」
「火の手は城の奥のようだな」
「私は士郎を助け出します」
「アーチャーも手伝って!」

 凛の命令にアーチャーは舌打ちしつつも、外壁の埋もれた士郎を引っ張り出した。士郎の傷の具合をセイバーが大まかであるが看取って、命に別状はないと確認する。

「急ぐわよ!」
「了解」
「はい」

 士郎を背負ったセイバーは今一度そこを見た。
 巨人が朽ち果てた場所。最後まで抵抗を続けた英霊の姿を幻視する。

「――すまない」

 もしかしたら回避できたかもしれない仮定と、自分が存在したことで変わってしまった事実で無念のままに散った巨人にセイバーは独白する。

「不甲斐ないばかりにこの仕打ちだ。あなたにはどれだけの謝辞を述べても心休まないだろう。だが、それでも言わせてくれ。言いたいのだ。――すまない」

 自らの目的のために他者が犠牲になる。
 それが嫌で聖杯を欲した。犠牲にしてしまった人たちを思うが故に。
 しかし、それは正された。犠牲にした人々を背負って、前へ進まなければならないと。

「だから、私は行きます。成すべきことを成すために」

 セイバーは今度こそ振り返らずに、城を出た。
 炎に包まれていく突き立てられた石斧がその姿を見ていた。