命の危機を迎えようとしている人がいる。
正義の味方ならば、その人々は救うべき対象だ。弱気を救け、強気を挫くヒーロー。その存在意義は人々の永遠の願いであるのに、人の力では到底成し遂げられない至高の願望。
けれど、そんなことは関係ない。衛宮士郎はそうなると決めた。あの空っぽになった十年前に最初に受け入れたもの。あの綺麗な物をもう一度見たくて、そうなると決めたのだから。
だから、自分は止まれない。
坂を駆け上がって目に入ったのは外人墓地だった。教会に近く、それでいて広さを確保できるとなるとここくらいしかない。凛が魔術師として戦うと言うのならば、外界に迷惑をかけない場所を選ぶはず。向かった方角と周辺の地理からしてここしか考えれなかった。
士郎は躊躇なく墓地へと入って行った。そこには恐れや不安などなく、ただ人を助けると言う気持ちだけが彼の中にあり、自己の負傷や消滅を一切考えていない潔さが滲み出ていた。
迫り来る脅威など眼中にない。厄災があって、それによって困る人がいれば彼は手を差し伸べるのだろう。例えその考えが人に理解されなくても、彼は背を向けることもせず、自分の限界を超えようとも抗うはずだ。
「歪ではあるが、故に一つの物事に特化できる、か」
皮肉ではあるまいか。己を考慮に入れない彼だからこそ、到達できる一つの頂点がある。幾多の魔術師が目指すその極みに彼は近いところにいける。
「……ですが、シロウ。その考えを私は砕かなければならない」
それこそがこの身がこの世界に降り立った理由。誰にも譲らせるつもりもないたった一つの、アルトリアと言う女が抱えた真実なのだから。
『理想の裏切り』
From "Fate/stay night" (C) 2004 TYPE-MOON
Presented by HIRO [TRASH BOX]
墓地ではすでに戦闘が始まっていた。対峙しているのは赤い外套に一対の夫婦剣を持ったアーチャーと2mを超える巨人。
くすんだ鬣を振り乱しながら巨人は手に持つ斧剣を横薙ぎに振るう。その膂力から振るわれた斧剣はそこにあるもの全てを潰し斬らんとする。
それを紙一重でアーチャーは交わしながら、手に持った夫婦剣を疾らせる。
「――っ」
「■■■■■■■■―――!!」
しかし、彼が手に持っている剣では傷つけられない。硬質化した肌の前に物理攻撃の悉くが弾かれている。アーチャーの斬撃を文字通り物ともせず、巨人は力任せの攻撃を繰り返していた。
「なんだ、あれ」
サーヴァントと呼ばれる存在と言うのは解る。しかし、セイバー、アーチャーと言う存在を目にしてきた後にあれを見てしまうと、あれこそが化け物ではないのかと思える。
「あれはバーサーカーのサーヴァントです」
「バーサーカー?」
士郎の疑問にセイバーは端的に答えた。今回は士郎と霊脈が繋がっているがそれでも苦戦を強いられる相手であることは変わりない。アーチャーが負ける、あるいは負傷した場合は自分が前に出るとセイバーは決めていた。
「ふふん。トオサカのサーヴァントだけに、なかなかやるじゃない」
「侮ってもらうのは困るわね。力任せの攻撃で早々やられる訳にはいかないのよ!」
凛と対峙しているのは長く白い髪の少女。白の中で目立つ赤眼は凛を見ながら薄く嘲った。
「その力の前にトオサカは潰れるのよ。やっちゃえ、バーサーカー!」
「■■■■■■■■―――!!」
雄叫びと同時に繰り出された斬撃は今までの比ではなかった。轟閃と言うべきその一撃はアーチャーの二刀をあっさり砕き、彼の体を切り裂いた。
「アーチャー!?」
「っく」
肩から腹部までざっくり切られていた。血を流して数体の墓石を砕いてアーチャーは地面を転がる。その姿を見て、凛が牽制の一手を打つ。魔術師として屈辱だが、己の力でどうこう出来る相手ではない。対抗できる力が回復するまで,自分が粘らねばならない。
「っこのぉ!」
手に持った二個の宝石。怒り任せに込められた魔力の本流を巨人に叩き付けた。魔力の光が巨人を一時包むが、凛には大した手応えが返ってこなかった。つまりは効果なし。
巨人は倒した相手から凛に標的を定め、斧剣を振る。それを何とかかわしながら凛は戦っていた。
「相手が悪すぎる……」
外からその様子を見ていた士郎はそう呟いた。完全にバーサーカーに押されている。魔術師として士郎の遥か上を行く凛が手も足も出ていない。頼みの綱のアーチャーはバーサーカーの一撃に沈み彼女を護る存在は彼女自身だけ。
このまま行けば彼女は殺されるだろう。聖杯戦争とはマスターを殺し、サーヴァントを殺し、ただ一組だけが生き残る殺し合いなのだから。
そして、それだけは見過ごせないことだった。衛宮士郎が目指すものにとって、それは見過ごせられない事柄。
ならば、どうするか。――決まっている。やることは一つだけだ。
「セイバー」
「なんですか、シロウ?」
「バーサーカーを頼む」
「……了解です」
悔しいが人間でバーサーカーと戦うことは出来ない。訓練や鍛錬でどうにかなることではない。なら、あれを相手に出来る存在に頼むしかない。士郎は歯を食いしばってセイバーに頼んだ。
セイバーが駆ける。存外予定外のことが起こっているが、敵の正体と能力はほぼ同じようだ。ならば、勝機はある!
雷光の一太刀。
外見からは想像も出来ないほどの高速の太刀にバーサーカーは辛くも反応する。
「セイバー!? 何でこんなところにいるか知らないけど、ついでにお相手してあげるわ」
イリヤの命を受けてバーサーカーが目標をセイバーに定める。その隙を縫って、凛は吹き飛ばされたアーチャーの元へと駆け寄っていた。それを見届けたセイバーは目の前の相手に集中する。
初太刀をかわされたがそれも予想の内。この敵はこれしきの不意打ちで倒せるような存在ではない!
「■■■■■■■■――――!!」
金属が擦り合う音が木霊する。石斧が不可視の剣と幾たびも打ち合わされる。その切り結びの衝撃は周りにあった墓石を砕くほどの威力。互いの力が拮抗しているのか、両者とも一歩も引かずに打ち合っていた。
「す――ごい」
その人間の常識を超えた光景に士郎は見入っていた。あの小柄な少女が自分を二回りを超える巨躯と対等に打ち合っている。その光景は古くに伝わる幻想的な聖戦にも似た光景だった。
セイバーの斬撃がバーサーカーの体に打ち込まれる。しかし、鋼鉄の体には大して傷を負わせることが出来ない。先程のアーチャーと同様にセイバーの攻撃を無視して、狂戦士は騎士へと肉薄する!
「■■■■■■■――――!!」
「はぁっ!!」
数合目の切り結び。セイバーの不可視の剣がバーサーカーの斧剣を弾き、翻した剣線がバーサーカーの肩口に向かう。
だが、それも弾かれた。超人的な膂力を以って強引に斧剣の軌道を引き戻し、セイバーの剣を弾き返す。
弾かれた剣の勢いに乗って、セイバーは一時的に後退する。そのとき、彼女の視線が士郎に向いた。
――早く。
言葉は交わさなくても、解った。
そうだ。こんなところで惚けてる場合じゃない。今は凛とアーチャーの様子を確認しないと。
士郎はアーチャーが吹き飛んだ方へと向かった。
「無事か!?」
駆けつけてみたものの自分に出来ることは少ないことに気付く。すでに、アーチャーの傷は回復していたからだ。
「傷が……」
「サーヴァントは魔力の塊よ。削られた魔力さえ補えば傷は塞がるわ」
アーチャーは傷の具合を確かめているのか腕をぐるぐると回していた。
「アーチャー。貴方も参戦してきて。いくらセイバーでもあれには勝てない」
「……了解したマスター。そこの小僧に寝首を刈られるなよ」
「そんなことあるわけないでしょ」
強気な凛の発言にアーチャーは力強く笑って戦場へと向かった。
それを見送ってから、士郎は凛の安否を気遣った。
「遠坂」
「なんで、あんた。ここにいるのよ」
「え? いや、セイバーがサーヴァントの気配を感じたって言って……。それが遠坂が向かった方角だったから助けに来た」
「……確かにね。助けられたと言えばそうだけど、貴方がここに来る必要はなかったのよ? これはマスター同士の戦いなのよ。だから殺し殺されるのは当たり前なの」
「それは知ってるし理解もした。でも、知り合いが別れた後に死ぬのは夢見が悪いだろ?」
自分が言ったことをそっくり返されて、凛は押し黙った。そして、慌てたように言う。
「ふん。人を助けるにしても実力が伴ってから言って欲しいわね」
「ぐっ」
それを言われると痛い。
「いいわ。お礼は後でするから、今はこの状況を切り抜けるわよ」
「解った」
凛が向かったのは激しい剣戟が繰り広げられる横。暗い墓地の中で、月明かりを受けて白く映るイリヤスフィールのところだった。
サーヴァントに手を出せないのなら、マスターを攻撃する。その合理的な考えの下、凛はポケットの宝石を握り締めて……、
「ちょ、ちょっと待った!!」
「へ? きゃあっ!」
いきなり腕を掴まれて転びそうになるが、腕を掴んでいた人物に支えられて何とか転倒を免れる。転びそうにならされた諸悪の根源に凛は睨みつけた。
「なにすんのよ! 危ないじゃない!」
「あの娘を攻撃するのは待ってくれ」
「冗談……って訳じゃないようね」
真剣な目でそう言う士郎に凛は溜息を吐いた。そして、彼女は魔術師の目で士郎に言った。
「衛宮君がどう思ってるか知らないけど、あの娘は魔術師でマスターでもあるのよ? 殺す覚悟も殺される覚悟も貴方よりも持ってるはずよ」
「それでも、待ってくれ。もしかしたら、説得できるかもしれない」
「っ。――いい加減にしなさい。そんな甘い考えはさっさと捨てることよ」
「それでも、あの娘はちゃんと話せば聞いてくれると思うんだ」
凛はそれ以上言っても聞かないと判断したのか、肩の力を抜いた。
「……いいわ。衛宮君の話が終わるまで待ってあげる。だけど、アインツベルンが妙な真似したらもう貴方の言葉は聞かないわよ」
「それでいい。やっぱ、遠坂はいい奴だな」
「――っ! 早く行けっての!!」
があーと叫ぶ凛に押されて士郎はイリヤへ語りかけた。
「また会ったね、お兄ちゃん。ちゃんと呼び出せたんだ」
本当に楽しそうに笑う少女――イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは言った。
彼女の言うことはよく解らないが、士郎は彼女に言うべきことを言わなければならない。
「イリヤ、今回は引いてくれないか。俺は、君とは戦いたくない」
「――駄目よ、シロウ。私達は戦争をしてるの。戦争は、どちらかが勝つまで終わらせてはいけないものなのよ」
子供の無邪気さから魔術師のそれと変わった少女の雰囲気に一瞬士郎が飲まれる。
「聖杯戦争の理は知ってるんでしょ? 私はバーサーカーのマスターでシロウはセイバーのマスター。マスター同士は殺しあわなきゃいけないんだから」
それは解る。でも、士郎には目の前の少女を殺すと言うことが出来ない。甘ったれた考えだと言われても良い。でも、こんな年端も行かない少女を躊躇いなく殺すことは絶対に間違っている。
「だから、私は貴方の敵よ、シロウ。マスターとして、私はシロウを倒す」
少女の体中にぼんやりと光が燈った。有機的な紋様が浮き上がり禍々しさを際立たせるそれ。
「令呪!? うそ、あんなに巨大なものを……!」
令呪が抱える負荷と言うものはその紋様の大きさで決まる。それが大きければ大きいほど術者に対して制約がかかるが、サーヴァントの繋がりをより強固にし、指令を送ることが容易となる。
「私は聖杯戦争為に生み出された史上最高のマスターよ? バーサーカーを操るくらい簡単なんだから」
そして、狂人の咆哮が唸りを上げた。
バーサーカーの闘気が爆発的に上がる。今まで以上の力と速さで振るわれた斧剣にセイバーは咄嗟に防御を取るしかなかった。
「く――っ!!」
重い一撃は彼女では受けきれなかった。魔力で身体能力を向上させているとは言え、それでも抑えきれない暴力の前に、彼女の体が宙を舞う。
どうにか受身を取るが、距離が開いた。その隙は、バーサーカーにとっては十分な時間だった。
「シロウ――!!」
巨躯が向いたのはマスターの方向。――イリヤスフィールと士郎と凛がいる方向。何を命令されたか想像はつく。バーサーカーを呼んだ理由なんて少ない。イリヤは士郎を殺す気だ。
駆け出す。なりふり構わず地を蹴った。
体を流れる魔力を足に回して速力を増す。それでも、巨人が振り上げる斧剣が振り下ろされるまでに一歩足りない。さらに足に魔力を回す。体の過多を超えてなお魔力を集める。対魔力武装をした鎧も解いて魔力を注ぐ。それでも、間に合わない。
絶対的に足らない。
時間が足らなすぎる!
バーサーカーの斧剣が振り下ろされる。無骨な石造りの剣と呼ぶのもおこがましいその鉄槌が、士郎の顔に迫る。
「シ――」
そこで、聞こえた。
「I am the bone of my sword」
呪詛にも似たその呪文。全てを賭けた理想に裏切られたものの末路の言葉。歪んでいるからこそ辿りつける境地の証の呟きを、セイバーはその時聞き取った。
「――“偽・螺旋剣”」
セイバーの横を駆け抜けた一条の光。螺旋を描く刀身が向かうのは鋼の背。
「■■■■■■――!!」
バーサーカーがアーチャーの射抜いた剣に気付くがそれはすでに遅かった。飛来する歪みの剣が狂人の背に突き刺さった。
「バーサーカー!?」
「シロウ!」
「――壊れた幻想」
三者の声はほぼ同時だった。
イリヤの声に反応したバーサーカーは彼女を護るように体をずらした。セイバーの声を瞬時に聞き取った士郎は凛を抱えて目一杯飛び退く。
そして、爆散。
熱と暴風を生み出したそれは辺り一面に飛び火し、その場にあった全てを吹き飛ばした。最早墓地としての機能を果たしていない荒野と獄炎の向こうに黒い影が陽炎のように揺れている。
「ふふふ。結構やるわね、リン。まさかバーサーカーを一度殺すなんてね。今日はこの辺で引いてあげる。楽しかったわ」
炎の向こうから聞こえる少女の声と共に、紅蓮の中に佇む陰は次第に消えていった。どうやら、撤退したらしい。しかし、あれほどの攻撃を受けても倒せないほどの敵に、今回も苦戦せざるを得ないだろうとセイバーは歯噛みする。
「ちっ。やはりこの程度では無理だったか」
舌打ちと共に歩いてきたのは、黒い弓を持った赤い弓兵だった。
「アーチャー! 貴方はシロウはおろか、凛までも巻き込もうと……!」
「言ったはずだ。オレにはオレの目的があると。オレはそれが達成できれば誰を殺そうが構わない」
「貴様は……!」
もう、目の前にいるのは士郎の行く末ではなかった。歪みきった果てに得たのは、ただ守護者としての使命に磨り潰された亡霊だ。
最早、あれは士郎ではない。士郎と根底を同じとしているが全くの別の存在だ。そして、その在り方は、彼女が容認できるものではなかった。
セイバーは剣を構える。目の前の男は完全に敵に回った。物事を事務的に処理していく存在が英霊などと呼ばれてなるものか。
赤い騎士も手に一対の剣を構える。
いつの間にか取り出したそれを、セイバーは睨みつけながらじりじりと間合いを詰めていく。対して、アーチャーも重心を前に傾けた前傾姿勢気味の構えで迎え撃つ。剣技に関してはセイバーの方が上手だろうが、それでも彼は油断ならない力量を秘めているはずだ。バーサーカーの攻撃を受け流し、斬りつけられるだけの腕があるのだから油断すればすぐにでも首を刈り取られる。
両者の緊張の糸が張り詰めていく。昂ぶった空気は辺りを焼く炎をも凍らせるように冷たくなっていく。
「アーチャー! こっち来なさい!」
一触即発の状況は凛のその言葉で削がれた。切羽詰った凛の声に、アーチャーは仕方なしと顔をする。
「どうやら、おまえのマスターに何かあったようだな。小競り合いをしている暇はなさそうだ」
「――シロウ。貴方は何故そこまで……」
自分を殺すなど正気の沙汰ではない。過去の自分を殺すと言うのならば、それは己の消滅の可能性も秘めている愚行だ。しかし、彼の目には理性の光がある。それが、セイバーには理解できなかった。
アーチャーはセイバーの声が聞こえてはいたが、何も答えずにその場から消えた。
セイバーも気持ちを切り替え士郎の元へと向かう。
紫天の空に昇る炎の墓地を背に、その場を後にするのだった。
アーチャーの弓剣の爆発の余波を受け、士郎は左腕に裂傷と中度の火傷を負っていた。とりあえずの応急処置を施して、衛宮邸でしっかりとした治療をするとセイバーと凛は結論付けて、彼を運ぶことにした。初めは、アーチャーに運ばせようとしたのだが、セイバーとアーチャー自身が拒否したため却下となった。そこで、次に力があるであろうセイバーが背負うことになり衛宮邸に帰還したのである。
士郎の部屋に運び、薬を縫って包帯で締めて寝かせた。
呼吸は度々乱れてはいたが、傷自体はそこまで酷い物ではなかった。なので、凛は安心したのか寝ると言って適当な部屋を見繕って就寝した。
そして、セイバーは士郎の部屋にいた。
「………………」
ゆっくりと士郎の髪を撫でながらセイバーは魔力を送り込む。衛宮士郎の内に眠る聖剣の鞘。傷を癒すと言われたアーサー王の鞘が彼の中に眠っている。それは彼女が望めば傷を癒してくれる代物。この程度の傷などすぐに完治出来る。
次第に呼吸が落ち着いてくる士郎にセイバーは微笑みかけながら、髪を梳いた。
「アーチャー。いるのでしょう?」
「――――――」
音もなく現れた男。霊体から実体へと変わったアーチャーがセイバーの背後に降り立った。
「アーチャー。……いいえ、シロウと呼んだ方がよろしいですか」
「どちらでも構わん」
「そうですか。では、シロウ。何故あの時、シロウを狙ったのです?」
「ふん。オレが狙ったのはバーサーカーだったはずだが?」
「この期に及んで誤魔化しですか。貴方は本当に捻くれましたね」
「捻くれもするさ。あれだけの地獄を見ればな」
セイバーは振り返らない。変わらずに士郎の寝顔を見ながら、背後の男と言葉を交わす。
「オレはセイバーや他の英霊とは違い、人間だ。神性を持たない英雄が英霊となれば、それは守護者として駆り出される存在に成り下がる。人類の危機に強制的に駆り出され、やることは雑事の掃除」
それでも英霊となれば、力が手に入ると思った。人の身では成し得なかった事が果たせると信じた。だけど、守護者がやることは自分が目指したものとは違った。
九を救う為に一を切り捨てる。自分がなりたかったのはそれじゃない。何度もそう訴えた。けど、守護者は所詮使い捨て。掃除が終われば消えるだけの存在。
悲しむ人を悲しませないために身を粉にして戦った。しかし、感謝はされなかった。ただ、人を護りたかっただけなのに。悲しませたくなかっただけなのに。
「英霊になったって変わらなかった。オレが目指した『正義の味方』はただの幻想でしかたなったと言う事だ」
理想に裏切られたと気付いたときは、もうすでに遅かった。この身はすでに守護者として存在してしまっている。ここから抜け出す手立てがあるとすれば、それは過去の自分を消すことくらいだ。
それが出来る今こそが、彼にとって最初で最期の賭けになる。
やすやすと手放せるわけがなかった。
「……憶えていますか? 貴方が私にしたことを」
「――憶えてはいない。磨耗した記憶の中にあるのはおまえが騎士王だったことと瑣末ごとだけ。今回の茶番でさえ、オレはほとんど忘れていた」
幾度となく戦場に駆り出され、時には傷付き、それでも人を守り続けた彼は、時間の経過に対して曖昧になっていった。遠い未来に出向くこともあれば、近い過去に現れることもある。記憶が前後して自分の人生のことなど覚えていられる余裕はなかった。
しかし、彼女はそれを断じる。
「嘘ですね。この戦いが貴方にとってどれほど重要だったか、私は知っています。忘れもせず、消えもせず、貴方の中に刻まれているはずだ」
この男が目指す理想へのきっかけを作った戦い。それを忘れるほどこの男は擦り切れてはいないだろう。それは確信できる。言葉の節々から彼が『衛宮士郎』であることが解るのだから。
「――シロウ。貴方は私を正したのですよ。王ではなく、一人の人間たれと。私はシロウのおかげで王と言う役目から開放されました。しかし、自己を蔑ろにするなと言う貴方自身が、自己を蔑ろにしてその結果がそれ。
……私は、それが悲しくて辛い」
「同情か……」
「それもあるでしょう。しかし、私がそれ以上に思うのは怒りです」
そこで、初めて彼女は背後を向いた。頬に一筋の涙を流しながら、彼女は言った。
「私を諭した人間が、最期まで自分の事を顧みずに死んだことに腹が立った。人を諭しておきながら、自分自身のことに気付かない愚か者に私は一言言ってやりたかった」
「……聞かせてくれるか?」
「ええ、聞かせましょう。この『大虚け』」
「む――――」
「貴方に反論の自由なんてありません。なんですか、あの最期の死に様は。間違っていると疑念を抱いたならば立ち止まって過去を省みる事くらいしないのですか。私を諭した者の言動とは思えませんね」
呆れ返った顔でセイバーは言う。
「幸運なことに、私はここに現界している。私はもうすでに一国の王として聖杯を求めているわけでもない。私はただ、一人で無様な死を遂げるであろう彼を正すためにここにいる」
誰にも譲る気のない役目。正された自分が正し返す。一人の男を愛した女がする最大で最高の愛し方だ。
「彼は私が正す。貴方が彼を殺そうと言うのなら私が殺しましょう。貴方の『理想』を」
エミヤシロウを見つめるセイバーは強かった。そこには国のためにと言う気負いをなくし、自然体での彼女がそこにあった。恐らく、国のために戦っていた彼女よりも今の彼女は強いのだろう。自分が信じられる強い気持ちのために彼女は剣を取っている。
ならば、自分を殺し、守護者としての存在をなくそうと考えている矮小な自分が彼女に勝てるはずもない。
彼はいつの間にか身に付いた皮肉の表情を浮かべて言った。
「いいだろう。君に任せるよ、セイバー。俺を救ってやってくれ」
「――はい、シロウ」
そして、赤い騎士は姿を消した。
部屋に残った少女は一人呟く。
「必ず果たしましょう」
彼女は愛しい人の額に口付けをして、部屋を後にするのだった。