錯綜する剣戟。不可視の何かによる攻撃は、予想以上に手強い物だった。
 武器の種類は関係ない。ただ武器が見えないという事実だけで、間合いが計れない。どの程度までが有効範囲なのか、あるいはその形質を変化させ中遠距離をもこなせるのか、全く想像出来ない。
 しかし、その一撃は確かに重く、並みの英霊ならば一溜まりも無いもの。
 生命をかけた戦場を望んだこの身としては最上の敵。

「はっ。上等!」

 窮地とまでは行かないが、それでも劣勢を強いられているのは確か。望まぬ命令をされてはいるが、この戦いは至上の物だ。だから、戦いに於いて武器を隠すなどという蛮行は許せない。
 その怒りを乗せた高速の刺突。
 胸、喉、眉間を狙う三連撃。槍の戻りなど感じさせない、三点の同時攻撃。
 それを一刃振っただけで向こうは防いだ。その事実に血が踊るのを感じながら、しかし、命令には逆らえない強制力を感じて、矛先を下げた。

「ちっ。あれを防ぐとはな。テメェがセイバーだな? 騎士らしく武器を見せたらどうなんだ」
「私の宝具は有名すぎる故、早々見せられないのだ、ランサー」
「ふん。まあいい」

 どう言う理由があろうとランサーにとってはどうでも良かった。彼にかけられた命令は敵情視察だけ。敵を殺すではなく探って来いと言うだけの物だった。気に食わない命令だったが、マスターがいなければ自分も現界できない運命のサーヴァントとしては、頷くしかない。そして、最後の一人であるサーヴァントの正体は掴めずじまい。敵の実力は高い。制約をかけられている自分では勝つことは出来ないだろう。

「俺としてはここらで分けにしたいところなんだが?」
「出来れば叩ける内に叩きたいと考えるのは誰しもがそうだろう」

 言って、構えるセイバー。彼女の闘気に中てられたのか、大気のマナが呼応し全身に威圧をかけてくる。それを心地よく感じながら、ランサーは槍を構えようとしたが、それは止められた。

「しかし、いまはマスターが心配だ。ここは分けで納得するとしよう」

 そう言って、彼女から闘気が消えた。
 毒気を抜かれたランサーは唖然とした顔をするが、口の端を吊り上げて笑った。

「物分りの良い奴だな。主君に忠義を尽くす野郎は大抵厭な奴だが、あんたは違うようだ」

 槍で肩を叩き、ランサーは土蔵の入り口で呆然としている少年を一瞥して、重力を感じさせない軽い身のこなしで塀を飛び越えて消えた。それを見送った彼女は、再び振り返って彼を見た。
 茫然自失という言葉を見事に体現しながら、彼は焦点の合わない目を彼女に向ける。そして、一つ唸ってから恐る恐る訊いてきた。

「……解らないことだらけだけど、一つ尋ねたい。君は一体誰なんだ?」
「――私はセイバー。貴方のサーヴァントです」
「は? サーヴァント?」

 一瞬出かかった言葉を飲み込んで彼女――セイバーは答えた。
 記憶を思い起こせば、彼はこの戦争について何一つとして知らなかったはずだ。だから、先程のランサーとの戦闘を見て唖然としていたのだろう。
 前回ではランサーとの初戦の折に刺し穿つ死棘の槍ゲイボルクで肩を貫かれていた。未来を経験したその意味はすでに現れ始めている。
 あの槍の一撃は、最後の戦いまで体を蝕んでいた。呪いがかかった槍の一撃を受けなかったという選択が、果たしてこの先の未来にどのような影響を及ぼすか彼女には判らないが、傷を気遣う彼に心配をかけるよりかはいいと判じる。

「ええ。魔術師で言うところの使い魔の様なものでしょうか。私達は英霊と呼ばれる存在を間借りしたものです」
「英霊? 英霊なんてものが使い魔になれるのか?」
「いいえ。普通の魔術師や魔法使いですらそんなことは無理でしょう。私達は聖杯と呼ばれるシステムに呼ばれただけです」
「……むぅ」

 これだけの説明ではまだ理解できないだろう。自分がどう言う存在であるかだけは説明しておいた。彼に怪しまれなければ、とりあえず大丈夫だろう。

「よく解らないけど、助けてくれたことには変わりない。ありがとう」
「――いえ。貴方を護るのは私の役目です」

 この素直なまでの心の在り方は、自分が求めて止まないものだった。『マスター』と呼ぶのではなく、『貴方』と言ったのもその心の表れ。けれど、まだ触れられない。目の前にいる彼は、まだ彼女の知っている彼ではないのだから。

「……いろいろ納得できない部分があるけど、君の名前はセイバーでいいのかな?」
「ええ。私もお聞かせ願いたい。マスターの名前は?」
「俺は士郎。衛宮士郎だ」

 二度目の自己紹介。幾度、自分の心裡を晒そうと思ったか。これほど愛しいのに、目の前の人は自分を愛しいと思ってくれない。だが、悲しみに暮れている訳にはいかない。自分には成すべき事があるのだから。
 そこで、屋敷の外に魔力の気配を感じた。この気配は恐らくアーチャーだろう。ならば、凛もいるはずだ。以前の自分ならば敵に問答無用で襲い掛かったが、相手はあの遠坂凛だ。衛宮士郎の師匠であった彼女を襲う理由をセイバーは持っていない。このまま屋敷に入ってくるのを待つ方がいいだろう。

「では、シロウ。外に魔術師の気配を感じます。貴方はどうしますか?」
「魔術師!? 何で魔術師がこんなところに来るんだ?」
「それも後で説明しますが、とりあえず、いまからやってくる魔術師と接触しましょう」

 そうセイバーが言い終わった所で、屋敷の門の方から慌しい足音が聞こえてきた。足音の主は肩で息をしながら、それでも劣らぬ鋭い視線を向けて、二人を睨んだ。

「衛宮君? 一体これはどう言う事なのかしら?」
「遠坂!? 何で遠坂が? て、は? 遠坂が魔術師だって?」

 先ほどのセイバーの言葉を確認すると、凛とセイバーは同時に頷くのだった。






























正義の味方の続け方

『騎士として 女として』

From "Fate/stay night" (C) 2004 TYPE-MOON
Presented by HIRO [TRASH BOX]































 現状が解っていない士郎に説明するため、凛を居間に招いた。何故か士郎がお茶を淹れていたりするのだが、セイバーと凛は当然のようにお茶を飲んでいたので、彼はその事に気付いていなかった。

「で、衛宮くんは何でこの聖杯戦争に参加したの?」
「いや、そもそも聖杯戦争ってなんなのかも知らないんだが」
「……いいわ。そこから説明してあげる」

 士郎に説明を始めた凛とその説明を首をかしげながら聞く士郎をセイバーは茶を飲みながら眺めていた。それは、セイバーの記憶とほぼ同じ内容だった。よく出来た芝居を見ているような既視感。ひどく懐かしいはずなのに、遠いところで起こっているような感覚。
 歴史を繰り返すということは物事に対して客観的にならざるを得ないものなのだろうかと、頭の隅で考えた。

「で、概要は理解した?」
「まあ、なんとか。ようするに何でも願いを叶えてくれる聖杯があって、それを手に入れるためにサーヴァントって言う英霊の使い魔を使って争奪戦をするんだろ?」
「そう言うこと。そこまで解ったなら、行くわよ」
「どこに?」
「この聖杯の監督人のところ。そこで正式にマスターとして登録するのよ」

 士郎の返事を聞くこともなく凛は立ち上がりさっさと出て行ってしまった。

「……なんか、遠坂怒ってないか?」

 彼の疑問に咄嗟に答えようとしたセイバーはかろうじてその言葉を飲み込む。先程もそうだったが、自分は未来から存在だ。ここでは自分は彼らと全く関係が無いことになっている。だから、凛の性格を把握しているのはおかしい。
 解らないと首を振って、彼に答えた。今は、それが精一杯だった。すぐにでもボロが出そうになる自分を叱咤して、セイバーは士郎に言った。

「シロウ。私は霊体になって貴方についていきます。それでよろしいですか?」
「え、うん。確かにその格好は目立つよなぁ」

 鎧装束にこの時代には不釣合いなデザインの服。これで街中を闊歩しようものなら問答無用でお巡りさんに職務質問されかねない。霊体と言う不可視の姿を取れるならそれに越したことはない。

「じゃ、お願いする。俺じゃどうやって良いか解らないから」
「はい、シロウ」

 セイバーの姿が霞の様に消えていくのを見取って、士郎は凛の後を追うのだった。





/ / /






 新都と深山町を結ぶ大橋を渡り、士郎と凛は郊外にある教会へと足を運んだ。
 教会に入る手前で、凛が何も無い中空に目を向けて言った。

「じゃ、私達は中に入ってるからあなた達は外で待ってなさい」
「なんでさ? セイバー達は霊体なんだし、見られることもないだろ」
「……あのね。私達は聖杯戦争に参加してるんだからいつどこで敵が襲ってくるか解らないのよ? 外を警戒するのは当たり前じゃない」
「あ、そうか」
「くっ、何でこんな奴がセイバーを召喚出来たのよ」

 得心のいった顔をする士郎に、凛はぶつぶつと愚痴を零した。

「なにか言ったか?」
「なにも!」

 私、不機嫌ですオーラを全開にして凛は言った。そのまま怒り任せに、アーチャーを呼びつける。

「それでいいでしょ、アーチャー!?」
「私にそいつの鬱憤をぶつけるのは止めてもらいたいものだぞ」

 その言葉と共に現れたのは、赤い外套に身を包んだ長身の男だった。浅黒い肌と白髪の男は、心外だと言う顔をして凛を見ている。その顔に凛は溜飲を下げるのだが、なんだか悔しくて謝罪の言葉もぞんざいになりがちになる。

「わ、解ってるわよっ」
「ならば、短絡的になるな。凛のその性格はやはり矯正した方が良い」
「うるさいわね」

 凛自身もそれは解っているのか、反論にも力が篭っていなかった。
 そんな二人を尻目に、セイバーも姿を現した。

「なんか話が勝手に進んでる気がするが、セイバーはそれで良いのか?」
「はい。他のサーヴァントに対抗できるのはサーヴァントだけです。私達が周囲の警戒をしていますから、シロウは中で説明を受けてきてください」

 力強く言うセイバーに士郎もこくりと頷いた。

「じゃあ、遠坂。行こう」
「ええ」

 二人連れ立って教会の中に入っていくのを見届けて、セイバーは隣にいるアーチャーをちらりと眺めた。
 長身痩躯の男は空の星を眺めながら、周囲の警戒も怠っていない。鷹の目を持つとされるアーチャーの役割クラスならば、敵の気配を察知する術は自分より長けているだろう。だからと言って自分も警戒を怠るということはしないが。
 自分が見られていることに気付いたのか、アーチャーはセイバーに顔を向けた。剣呑な光は無いが、睨むような眼光にセイバーは苦渋の顔をする。

「なんだ。人の顔を見て顔を顰めるとは……」
「いえ。なんでもありません」

 ――貴方の終末を憂いた。

 などと言えば、それは彼に対する冒涜だ。彼は理想に生き、そして死んだ。そこに何の不満も無いはず。しかし、目の前にいる赤い男はその存在が歪んでしまっている。いや、それは『今』もそうなのかもしれない。『正義の味方』と言う究極の理想を胸に抱え、英霊となってまで理想を貫いた男に、何の言葉をかけられると言うのか。
 しかし、最期のあの言葉の問いに自分は答えを示さなければならない。いや、違うか。単純に自分は、彼にあんな結末を遂げられたのが腹が立ったのだ。人のことを考えるのではなく自分のことを考えろと言った彼が、自分を蔑ろにして理想を突き進んだことに。

「……一つ、尋ねるが」
「なにか」

 その成れの果てがセイバーに話しかけた。彼女は胸が苦しむのを押し隠して耳を貸す。

「おまえのマスターがこのくだらない戦争を降りると言ったら、どうするつもりだ? 他のマスターに鞍替えでもするのか?」
「愚問だ、アーチャー。私はシロウに剣を誓った騎士だ。彼以外の誰かに仕える気は無い。彼が降りると言うのなら、私は潔く消えよう」

 それは彼女の本音だった。だが、彼は参加するだろう。それは未来を知っているからではなく、『正義の味方』を目指すから彼だからこそ、この戦争を看過出来ないものと理解しているからだ。

「……ふん。あの小僧に入れ込むのは勝手だが、半人前のマスターでは勝ち残ることは難しいだろうよ」
「そうかもしれない。しかし、それでも私のマスターはただ一人だけだ」

 強い視線で言って、セイバーは空に浮かぶ月を眺めた。流れる雲にその身を隠されかかるが、それでもそこに淡く光り輝く月の姿は、いつの時代も変わらない普遍のものだった。
 士郎の志も、どれだけ年月を経たとしても決して変わらないものなのだろう。それ故にその存在を英霊となるまでに昇華出来たのだ。だが、その最期は、その最期の彼の顔が、脳裏から消えない。

「……彼は確かに半人前で魔術師らしくない。しかし、その心の在り様は大切なものだ。惜しむらくは、進むべき道が険しく、あまりにも理想すぎる事が、彼を不幸にしてしまっている」
「――――おまえは誰だ」

 アーチャーの敵意の篭った殺気がセイバーを叩いた。体が竦み上がるほどの害意を向けられたのに、彼女はそれを感じさせないゆったりした動きで彼に向き直る。

「――この聖杯戦争では、おまえはまだオレの理想を知らなかったはず。いや、その口ぶりからして、オレの終末も知っているようだ。――おまえは誰だ。姿かたちは似通っているが、本当にセイバーなのか」

 セイバーは苦い顔をして、彼に真実を告げるかどうか苦悩する。
 ある意味で、彼は士郎の未来を知っている唯一の人間だろう。この先に起こることも多少は覚えているはずだ。ならば、自分が歩んだ道に対して何がしかの答えを得たと思える。ここで自分が知っていることを全て話して協力してもらうか。
 そこまで考えたとき、アーチャーはこう言った。

「仮に本人だとしても、どうでもいい。オレは、オレが果たすべきことを果たすだけだ」
「……それは『正義の味方』としてですか?」

 アーチャーは不敵に笑おうとして、それが自嘲の顔になっていることに気付きながらも言った。

「セイバー、オレは裏切られたんだよ」

 アーチャーはそれ以上語らず、姿を消した。
 後に残ったのは、辛く息苦しい気持ちだけだった。





/ / /






 士郎の気配を感じたセイバーは教会の扉を見た。この重厚な扉の向こうから彼らは出てくるはずだ。それは審判の門でも見ているような感覚を覚えた。彼女がこの世界に来たのは彼の道を正すためだ。しかし、こうして未来のことを知っている自分が歴史に介入することはある意味で卑怯なことだ。
 失敗を失敗でなくすことは誰もが思う願い。
 それを叶えられる立場にいる自分を否定できる人間がいるとすれば、士郎しかいない。彼が参加を拒否すれば、自分がここにいる価値は無くなる。一方で、彼がこの戦争を降りないと確信している自分もいる。

 ――私は、やはり卑怯者だな。

 士郎が諦めない、見過ごさないと解っていながら、自分はここにいる。そんな自分が彼を救えるのかと挫けてしまいそうになる。それでも、彼女は彼を助けたい。その気持ちだけは真実なのだ。
 扉がゆっくりと開けられた。
 とくんと胸が鳴る。士郎と凛の姿を認めたら、急に胸が苦しくなった。胸を苦しめるのは不安と言う気持ち。一抹の不安が、彼女に圧し掛かってくる。

「セイバー」

 その不安をよそに、彼はセイバーに話しかけた。その目はいつもの彼の目であり、その目を見て彼女は確信する。この不安は杞憂のものであると。

「セイバー。俺はこの聖杯戦争に参加する。それで、君の力を借りたい」
「はい。私は貴方の剣だ。貴方に危険が迫ればそれを断じましょう」
「ありがとう。これからよろしく」
「こちらこそ」

 固く結ばれた握手。無骨な手の平から感じる暖かな温かさに、セイバーは湧き上がる愛しさを押さえ込むのに必死だった。

「で、いつまで二人していい雰囲気垂れ流してるつもりかしら?」
「え!? あ、いや、その!」

 一人慌てる士郎と、溜息を吐きながらも懐かしむような顔をするセイバー。二人の世界をぶち壊したあかいあくまは取り乱す士郎を標的に定めたのか、意地の悪そうな――まさしく標的にされた人間にすれば『あくま』のような――笑顔を貼り付けながら士郎をいびる。

「なんだかそっちは上手くいってるみたいだから、私はそろそろ退散するわ。これ以上ここにいると熱くて汗かいちゃいそうだし」
「な、なに言ってんだよ、遠坂!」

 凛のからかい癖は健在のようだ。そして、それに素直に反応してしまう士郎もまた懐かしいもの。この光景は何度も見てきて、何度見ても微笑ましいと思ってしまう。
 しかし、そろそろ士郎に助け舟を出してやらないといけないようだ。凛のからかい癖は際限を知らないのだから。

「シロウ、落ち着いてください。凛、貴方も士郎をからかうのはほどほどに」
「む。解ったわよ。貴方に免じて『今回は』やめてあげる」
「今回はと言うところが強調されていることに説明を求めたいんだが、まあ良いか」

 これ以上からかわれるのはごめんなのだろう。士郎は小さくぼやいて、引き下がった。

「それで、衛宮君は参加することを決めたわけだけど、どうやって戦っていくのかしら?」
「……どうやってもなにも、俺からはなにもしないぞ?」
「は?」
「遠坂は知らないけど、俺は聖杯なんて興味ないんだ。だから聖杯を手に入れるために戦うなんて事はしない」
「……あんた、ちゃんと話聞いてた? 衛宮君が欲しくなくても、セイバーは聖杯を求めてサーヴァントとして現界してるのよ? マスターが聖杯を望まなくても、サーヴァントは聖杯を望むものなのよ!」
「そりゃ解ってるよ。だから、俺は欲しくないけど、セイバーが欲しいのなら俺はそれを手伝う気だ」

 その言葉を聞いて凛は額に手を当てて空を向いた。なにやら、こんな奴だったとはとか聞こえてくるのはどうなのだろうか。

「解った、解ったわ、衛宮士郎。貴方がそう言う奴だって事はっきりと認識した」
「む。どう言う風に認識されたか気になるけど、俺はそう言う方針でやっていくつもりだ。それに、人を襲うような奴がいる可能性があるんだろ? なら、そいつらを抑えるためなら俺は戦う。それで良いよな、セイバー」

 士郎の方針を聞き、セイバーは頷きながら答える。だが、一つ訂正しなければならない。

「はい。しかし、一つ訂正したい」
「なにを?」
「私は聖杯を求めて現界したのではありません」
「へ?」
「は?」

 セイバーの言葉に、二人は目を丸くして驚いた。そんな二人を置いて、セイバーは続ける。

「私が現界したのはある目的があったからです。そして、それは聖杯で叶えるべき事ではなく、私自身が行わなくてはならないこと」

 彼が他人を正したのなら、他人が彼を正すのは道理。ましてや正義の味方たろうとする存在が、人の言葉に耳を貸さないはずはない。それでなくても、せめてあの終焉だけは避けられれば。
 その思いだけで、彼女は再びこの世界に現界したのだ。

「私は聖杯に興味はありません。ただ、自分が成し遂げるべきことをするだけです」

 ここで全貌を話す気は無い。語るとすれば、それは全てが終わった後。それまでは、この胸の内にしまっておくつもりだ。

「無関係の人間を巻き込む敵を倒すというのがシロウの方針ならば、私はそれに手を貸します」
「ホントか? それはありがたいけど、本当に聖杯はいらないのか?」
「はい。聖杯を以ってして目的を成し遂げるのは間違いだと諭されましたから」

 淡い笑顔を浮かべながら、セイバーは言った。全貌は明かさなくても、それとなく伝えるのならば良しとする事にする。彼を見守るのは自分の役目なのだから。
 そんな気持ちが篭ったセイバーの顔に、士郎は顔が赤くなるのをどうにか堪えながら頷いた。

「解った。セイバーがそれで良いなら構わないよ。俺としては願ったり叶ったりだ」
「はい」
「ちょっと待ちなさい」

 また二人だけで雰囲気を作ろうとしたところで、凛が待ったをかけた。

「これ以上お熱いところを見せないでよ。
 ――それで。貴方達は私達と敵対する気はないってわけ?」
「なんで遠坂と戦わなくちゃいけないんだ?」
「わ、私はマスターで衛宮君もマスターなんだから戦うのは当然のことじゃない!」
「でも、俺達は聖杯を手に入れようとしてないんだから敵になる理由がないぞ」
「そ、それはそうなんだけど……」

 なにやら一人で勝手に勘違いしていると思い至って、凛は口をもごもごさせて、次の瞬間、吼えた。

「あんた達が敵じゃないってんならそれでいいわよ!!」

 があーと大声でそんなことを言う。調子を狂わされてばかりだったので、ここへ来てガス抜きに至ったらしい。

「ふん。じゃあ、行くわよ」
「どこにだ?」
「衛宮君の家よ。今夜一杯は貴方達に危害を加えるつもりもないし、今後も敵対することもなさそうだけど、素人の衛宮君をこのまま帰して死んでたりしたら夢見が悪いじゃない」
「酷い言われようだな」
「なにか言った? 半人前」
「うぐ」

 確かにそれは自分でも認めてるけど、そうやってなじるのに使われるのは心に堪える物があります遠坂さん。セイバーに苦笑されてさらに心の内を抉られた士郎はふらふらとした足取りで、ずんずん前を進む凛に追いつくべく歩き出した。





/ / /






 草木も眠る深夜の都。申し訳程度に配置された街頭の明かりの下、士郎と凛は歩いていた。
 セイバーが霊体となって姿を消した後、二人は一路衛宮邸へと向かっていた。道中、話し声はなかった。それは二人が険悪というわけではなく、ただ話題にすることがなかったからである。
 無言で歩く二人の背中を、セイバーは眺めていた。
 この場面も前回とほぼ同様。道筋は同じ経路を辿っているようだ。今のところ自分の知っている歴史とあまり変化はない。ランサーからの一撃を受けなかったり、アーチャーを斬りつけなかったりしたが、それほど大きな変化は見られなかった。それが良いことなのか、悪いことなのかセイバーには判らない。この先の戦いを考えれば、こうして静かでいられる時間は本当に尊いもの。
 せめてこれが長く続けばと願うが、現実は人の願いに対して残酷に出来ているようだった。
 濃密な魔力の気配。
 肌を焦がすかのような鋭い気配が彼女の記憶に引っかかった。

 ――バーサーカー!? 馬鹿な。早すぎる!

 バーサーカーが現れたのは、橋を越えてからだ。なのに、今いるのは教会近くの坂道。

 ――自分の存在がすでに異端と言う事から、未来が変わりつつあるのか。

 考えても解らない。しかし、この気配からして、向こうは一戦交えようとしているのは判る。ならば,どうするか。

 ――決まっている。私はシロウを護ると決めた。ならば、彼に害なす存在は全て斬り伏せる。

「じゃ、ここで分かれましょ。私はこっちで用事を済ませてくるわ」
「……無理するなよ。折角知り合ったその日に死なれたら夢見が悪いからな」

 セイバーの思考の外ではそんな会話がなされていた。来た道を逆に辿っていく凛とアーチャーの気配。やはり凛ほどの魔術師ならばこの気配に気付いていたようだ。
 凛を見送る士郎に、セイバーは言った。

「シロウ。サーヴァントの気配です」
「なんだって!? どこに?」
「向こう。恐らく先程の教会の近くに強い魔力の気配を感じます」
「な。あっちって、遠坂が向かった方じゃないか!」

 言って、士郎は走り出した。この魂に刻まれた正義の味方と言う理想のため。困っている人間には手を指し伸ばすために、彼は走った。

「やはり、貴方は他人ひとの為に自己を蔑ろにするのですか……」

 理解していたと言っても、それでも目の前で自分の身を省みず人を助けに行く彼の背中に、不安を感じながら、セイバーは愛する人を護るため走り出すのだった。