元ネタはユッキーさん。ありがとうです!
それが突然鳴るのは当然のことだった。それを予測できる人間はかけた人間しかいない。
遠距離からの連絡をするには画期的な発明。そう、電話が鳴っていた。
優雅な足取りで、受話器を取ったのはこの家の裏の主、霧野美咲。名義は相沢祐真となっているが、実質、この館を取り仕切るのはこの十八歳の少女だ。
目下の悩みは、恋人兼婚約者兼未来の亭主の誕生日が三月の後半という所である。彼女の思惑としては卒業式に名前を呼ばれるときは、夫の名字で呼ばれたかったのだが……どうやらそれは叶いそうにない。とりあえず、大学入学辺りを狙って孕む事から始めようと思った。
考えが物騒になってしまった。美咲は思考を切り替える。
美咲は耳を当てて相沢ですと言った。
『あ、やっほー。元気してた? 私、誰だか解る?』
突然電話をかけてきて、こんな事を言われれば、迷わず受話器を置くだろう。美咲もいつもなら早々に電話を切るのだが、相手方の声には聞き覚えがあった。
少々の時間を要し、思い当たった。それでも、確信には至らず自信なさげに言った。
「お姉様……ですか?」
『正解ー。賞品はないけどねー』
どうやら、間違っていなかったようだ。
昔、想い人が心を寄せていた女性。彼はそれが恋心だと言うことを自覚していたと知ったのは、随分後だった。それも、つい最近。同姓同名の知り合いに関係していたとは美咲も思い付かなかった。
美咲は、ふぅと息を吐いて用件を聞く。
「で、どうしたんですか? ずいぶんと久しぶりじゃないですか」
『うん。かれこれ十年ぶりかな? 久しぶりに声、聞きたくなってね』
「それだけのことで電話はしないでしょう。あなたなら直接会いに来ます」
『むぅ。見破られたか。実はね……』
それから、少しばかり話し込んだ後、美咲は受話器を置いた。その顔には何とも言えない表情が張り付いていた。懐かしいような、でも、ちょっと不安気な顔がそこにはあった。
「はあ。どうなる事やら」
息を一つ吐くと、そこにはこれから起こる騒動に顔が遂にやけてしまった。
「ミサキさん? どうかしたんですか?」
「何でもないわ」
見ると、洗濯籠を抱えたシーラがいた。
シーラに追求させず、美咲は部屋へと戻っていった。
「どうかしたのかなぁ?」
シーラは首を傾げた。そして、自分が抱えている洗濯物がまだ終わっていないことに気付き早足で庭へ向かった。洗濯物を干し終わったときにはすっかり美咲のことを忘れていたが。
邂逅と現在と未来へ
前編
Presented by HIRO
姉の電話から数日、相沢邸は相変わらずの生活を続けている。
ゼナフ姉弟は人間界のことについて熱心に勉強し、美咲もまた吸収の良い生徒に熱弁を振るう。それを脇から眺めるのは片腕の男祐一。
今はコーヒーを啜りながら新聞を読みつつ三人の様子を見ていた。
「今日はここまでにしておきましょう」
「ありがとうございます!」
「何時もすみません」
首相に頭を下げる兄妹。美咲と祐一には並々ならぬ温情を受けていることは解り切ったことだ。何も知らない自分達に無償で物を教えてくれる。これ程有り難い物は無い。
頭を下げるしかできない自分達が少し情けなかった。
「毎度毎度終わったら頭を下げるのは止しなさい。こっちは礼を言われるためにやってるんじゃないんだから」
「でも、ですね……」
「あなた達には充分なお返しを貰ってるわ。この家のことを殆ど任せきりにしてるのだし」
「でも、それはユウイチさんを……」
美咲の家事能力はずば抜けている。
掃除洗濯料理と女性としての武器は最高値と言ってよいだろう。しかし、美咲はこっちに帰ってきてから、家事らしいことはしていなかった。シーラに料理を教えたりもするがそれだけである。掃除も洗濯も二人に任せてしまっているのだ。これは、祐一の介護をしているからだ。
片腕を失うと言うことは、今までの生活に相当な支障を来す。
学生として重要な勉学に影響が及んでいる。利き腕が残ったとは言え、ノートを取ろうとしても紙はずれるは、教科書は勝手に閉まるはと。苦戦を強いられている。
飯はろくに食えたものではないし、服を着るのも時間が掛かる。手洗いもまごまごするし、風呂など到底片腕では洗いきれない。
美咲は献身的に祐一の介護をしていた。食事は常に付き添って食べたい物を皿に運ぶし、服を着るのも手伝う。トイレは頑なに拒否されたが、風呂については説き伏せて共に入っている。勿論全裸。
ここまでしなければ、祐一は前の生活が出来ないのだ。特に、身体障害者として世間の目は同情的になるし、本人には幻肢痛が付き纏う。
幻肢痛の原因はまだ解っていない。痛みは神経の切断後に脳に起こる変化が原因であるという説と、神経の断端からの刺激が脳に伝わって痛みを起こすのだという説や、心理的原因説などがあるが、どれもこれも矛盾点が存在したりしていて、現代医学では解明出来ていない。痛みを和らげる薬も存在するが、祐一はそれを断っていた。
曰く、薬は嫌いだそうだ。
「まあ、駄目亭主に構っていて時間をとられてるのは確かだけど、私が望んだことだしね。何より、自分が愛している人と共にいて嫌なはずがないわ」
恥ずかしげも無く言い放つ美咲にシーラとロークは顔を赤らめてしまった。どうして、彼女はそう言うことが臆面もなく言えるのだろう。
「正直、あの人の相手をしながら家事もしなければならないってのは悩み所だったのよ。そこで運良く二人が来てくれるって事になったら、礼を言わなければならないのは私の方よ」
ありがとうねと言って美咲は笑った。
「ほら、駄目亭主。コーヒー啜ってないで少しは勉強したらどうなの?」
「やかましい。テストの出来は悪くなかっただろうが。それに、授業は真面目に受けてるぞ」
人間界に帰って来た翌日に定期試験を受けた祐一以下高校生組は徹夜組と諦め組に別れた。
徹夜組は鬼気迫る形相で三週間の穴を埋めて試験に臨んだ。目を血走らせながら必死に解答欄を埋めていくその姿は修羅の如く、試験官の教員を震え上がらせていた。一部、熱血系教員には馬鹿受けだったが。
一方諦め組、祐一と美咲は悠々と及第点を取っていた。天魔族としての把握能力のお陰で、数時間で全範囲を見終わってしまったのだ。残った時間は記憶するのに使われ、結果赤点は免れたというわけである。
能力の使い所を間違えている気がするのは何故だろうか。
兎も角として、祐一は余裕綽々で点を取れたことに激怒した四人に責められると言う目にあったわけだが。
「日々の努力を忘れなければ苦労する必要もないわ」
「期末まで時間はあるんだから、ゆっくりさせてくれ」
テーブルに崩れ落ちる祐一に美咲は意地悪な顔で笑っていた。
翌日。
多分全国の九割の学生が同じ思いをするこの日。一週間の始まりと共に向かえた朝は嫌という程の晴天だった。
誰しもが月曜の朝という物は嫌なものだろう。これからまた一週間勉学が付き纏うというのだから。
「ほら。嘆いてないで、さっさと行くわよ」
「日本は勉強のし過ぎだ。また、働き過ぎでもある。これからは週休七日制にすべきだ」
「したらしたで、日本が終わるわね。電気も水道もガスもテレビも何もかもが止まるわよ」
「……現実的ツッコミをどうもありがとう。しかしだな、月曜の朝というのはどうにも嫌いでな」
大きく口を開けて欠伸をしながら通学路を歩く二人。以前やったような高速移動はしていなかった。下手に人目に付くと拙いのが一つとそんなことが馴染んでしまったら本当に人間ではなくなってしまう。肉体は変化しても、心は人間でいたいというのが二人の願いだった。
「悲観しても時間は流れるわ。何もしなくても時は流れるもの。塞き止めることも、遡ることも、出来はしない。二度と手に入らないから時間は貴重なのよ。
私達は少し違うけれど、過ぎ去った時間という物は取り戻せないわ。ならば、取り戻さなくても良いように生きるしかないのよ」
「それは、取り戻すほどの価値がないようにって事か?」
美咲は瞳を閉じる。その顔は無表情だ。
「それもあるわ。でも、取り戻す必要がないほど充実した時を送ると言うことでもある。私はそう生きていたい」
美咲の言葉に祐一は苦笑を交えた溜息をもらした。相変わらず彼女は強い考えを持っている。
「了解。楽しい想い出にしようってお前は言いたいわけだ」
「安っぽく言えばそうね」
「棘のある言い方だな」
「だって、簡単に言い表せるほどの事ではないでしょう?」
「……確かにな。過去を軽々しく言えるって事は薄っぺらい人生だって言うことだもんな」
左肩をさすって祐一は答えた。美咲もそこに手を乗せる。
「この傷は誇っても良いものよ。人を助けるために負った名誉の傷だから。人を庇って死ぬのは不名誉な事よ。その人に一生の影を与えることになるから」
「あの時はそこまで考えたことはないけど。でも、死ぬつもりはこれっぽっちもなかった」
祐一が恥ずかしそうに言う。美咲は眩しそうに目を細めて言葉を紡いだ。
「それは私のため?」
「勿論だ」
即答する祐一に美咲は柔らかく笑って頷いていた。
祐一と美咲がほのぼのと通学路を歩いていると、後方からたったっと人影がリズムよく走ってきた。影は女性であった。後ろで結い上げた髪と新品のスーツ。意志の強そうなまなじりと、利発そうな瞳は前を向いていた。
はっはっと息を吐きながら、腕と足を振る。片手に持ったカバンは彼女の身体には少し大きめでしばしば身体が身体がカバンの遠心力に流されていた。そんな姿でも何処か愛嬌がある。そんな人物が、祐一と美咲の横を通過していった。
「なんだか、元気な人だな」
「この時間から考えると、会社に遅れそうな会社員って所かしら」
思わず立ち止まって二人はそんな際をしていた。奇しくも、美咲の冗談は本当でもあったのだが。二人はそんなことは知る由もなかった。
どうにか遅刻は免れた。ぜーぜーと乱れた息を表面だけでも取り繕いながら、彼女はドアの前で深呼吸。入室の断りを入れて、返事が返ってきてから彼女は扉を開けた。
中に入って最初に見たのは優しく微笑んでいる老女の笑顔だった。
「お待ちしてましたよ。沢渡先生」
「はい! おはようございます!」
彼女は元気よく挨拶をした。
さあ、邂逅をしようか。
祐一と美咲は予鈴と共に教室に現れた。着々と教室に入ってくる生徒を眺めながら祐一はカバンを机の横に引っかけどかっと座る。対して、美咲は静かに着席して、カバンの中身を机に入れていた。対照的な二人である。
「よう。おはようさん」
椅子に座ってぼーっと外を眺めていた祐一に声をかけてきたのは北川だった。
「うっす、北川。お前もこの時間なのか?」
「いや。今日は寝坊だ」
「名雪に比べれば可愛いもんだぜ」
「……アレと比べるのは間違いだと思うわ」
横から割り込んできたのは香里だった。いつものやや気怠げな表情で席に座る。
「あの子の睡眠は人類学上有り得ないのよ。平均睡眠時間が十二時間ってなに? 休日は丸一日寝てることも珍しくなってのは本当なの?」
なんだか凄い勢いで捲し立てる香里。どこか、虫の居所でも悪いのだろうか?
「……それは本当だ。三ヶ月居候してたが一日姿を見なかったのは何度かある」
部活などがない休日は何をしているのかと問われれば、名雪はこう答えるだろう。
『え? 部活がない休みの日なんて無いよー』
彼女の中では一週間という言葉はないのかも知れない。土曜に寝てから起きたらもう月曜なのだ。キリスト教の休日という日が彼女にはインプットされていないに違いない。
ちなみに、水瀬家の居候二人は既に起こすことを諦めている。名雪を起こすだけで体力を消費するのは愚かな行為だと本能的に悟ったからだ。朝起こすのも無理なため、専ら秋子が起こすようになったのだった。
「……あたしはね、あの子の将来が心配で仕方がないわ」
何処までもトロイ娘水瀬名雪。彼女が就職するとしたら一体どの様な職種なのだろうか。
「案外、教師とか似合ってたりね」
そう発言したのは、今まで会話に参加していなかった美咲だった。
皆、いっせいに美咲の方を向く。
「部活の部長を任せられたのだから、面倒見は良いはずだし。物の教え方も知っているでしょう。何より彼女は人望があるようだから、教師としても上手くやって行けるんじゃない?」
言われてみれば、教師としてのスキルは持っている。教科云々は置いて置くとして。
「な、なるほど……」
一番出来そうにない職業が実は似合いっているという事実に行き当たり、香里はそれしか言えなかった。
「逆に、似合わないのは私とか、香里ね」
「え? あたし?」
自分の名前が出たことに驚く香里。それは、祐一や北川も同じだった。
「なんでだ? 美咲もそうだけど、物を教えるのは名雪より上手いともうが」
「そうでもないわ。決まったことを教えるなら私や香里は名雪さんよりずっと上手くやれる。けれど、裏を返せば、決まったこと以外は教えられないのよ」
北川は真剣に話を聞いていた。そして、想像する。確かに、参考書とかに載っている問題はスラスラ解けていく香里だが、倫理問題や、情操教育と言った概念的な物を教えるのは得意そうではない。形のない物を言い表すことは出来そうになかった。
「論理思考の人間は人の心とか人生の歩み方なんて物は説明できないのよ。だって、論理的、合理的に生きるなら、良い高校に入って、良い大学に入って、良い会社に入ればそれなりに幸せになれるもの。
名雪さんはそう言う物を度外視して、客観的に見て不幸でも本人が幸福な道を選べる人間なのよ」
一同は感心するしかなかった。美咲の言葉は確かにそう思える言葉だった。
手堅く生きるなら、合理的に生きるしかない。しかし、心の幸福は臆病な人間には手に入らない。
しかし、祐一は引っかかることがあった。美咲は、今言った論理的思考の人間に属するだろうか。自らそうだと言っているが、どうにも違和感が拭えない。
彼女はもっと激情を心に秘めている人間だ。損得勘定で切り捨てたり、囲ったりする人間ではない。自分のしたいことのためにはどんなに犠牲を払おうとも成し遂げるはずだ。
それを口にしようとしたところで、始業を告げるチャイムが鳴った。
「じゃ、俺は席に戻るから」
そう言って、北川は自分の席に戻って行ってしまった。なし崩し的に会話が終わる。数秒後、担任の坂口真生が入ってきて、連絡事項を告げた。
「定期テストも終わって、大事なイベントってあんまりないんだよねー。今回のテストで点が悪かった人は期末テスト頑張るように」
それを聞き終わると生徒が席から立ち上がろうとした。いつもならこんな物であるからだ。
しかし、坂口教諭は待ったをかける。
「これこれ。話は終わってないぞ。このクラスじゃないんだけど、副担任として新しい先生が着任しました。私より一つ上のお姉さんなんだけど……」
お姉さんの下りから数人の男子が土煙を上げて教室を出ていった。それを気にした風でもなく坂口教諭話を続ける。
「見かけたら声かけてみてね。私の先輩でもあるんで。じゃ、連絡は以上」
坂口教諭はトコトコと教室を出ていった。教室はいつもよりも騒がしくなる。先ほど出て行った男子に続けとばかりに更に数人の男子が徒党を組み廊下に消えた。その中に金のアンテナが見えたような気がした。やつが隊長らしい。
女子達もまた、ひそひそと噂話にふける。娯楽が少ない田舎町だ。こう言った事態は歓迎すべき事である。女子達の話は色々と憶測を並べ立てる。
美人か、そうでないか。
綺麗か、可愛いか。
背は高いか、低いか。
性格は明るいのか、暗いのか。
見に行かないのは、喋ることの好きな女子達ならではの習慣であろう。どうせ、男子共がどの様な容姿だったかを興奮気味に喋るのだ。自分達はそれを聞けばいいだけ。さらには、いずれ何処かで見かけるのだから、今すぐどうこうというわけでもない。
そんなことを考えてるのは、女子だけではなく、祐一もそうだった。
「相沢君は見に行かないの?」
「全然。興味がない」
「……まさか、そっち系?」
「誰がだ!? 何時か見ることになるんだから今すぐ見なくても良いってだけだ」
「そうよね。そっちだったあたしどうしようかと」
もし、そうだったら香里はどうするのだろうか。興味が出た。聞いてみる。
「決まってるわ。拳を交えながらじっくりと説き伏せるだけの事よ」
男の話し合いの基本よねとのたまう香里。激しく間違ってる。激しく間違ってるぞ、香里。
「祐は同性愛者じゃないわ。だってあんな性癖、女じゃなきゃ出来ないもの」
一瞬にして、教室が凍った。
例えるなら、氷河期に入った南極大陸で鎌倉を作りつつも氷のベットで寝ているような冷気が教室を包み込む。
……余計、解りづらくなった。
「……ちょっと。それ、どういう意味かしら?」
美咲に詰め寄る香里。教室にいた女子も美咲に視線を集める。数十人に囲まれた状況にある中、美咲はなんでもない風にまたのたまった。
「祐の性癖についての話。どうあっても男同士じゃ出来ないことが好きなのよ」
既に涙目で止めてくださいと懇願する祐一の願いは軽く却下されていた。片腕しかないので手をすりあわせることが出来ないのが敗因か。
「詳細な説明を要求するわ」
「……そうね。先ずは、髪を弄るのが好きね。放っておけば一日中髪を弄ってるわ」
「…………それは、体験談として受け取って良いのかしら?」
「勿論。でなければ、一日なんて単位、言えないでしょう」
挑戦的な瞳で見返してくる美咲に、香里はうっと後退するが、気を取り直して更に突っ込む。
「でも、それは男同士でも出来るわよ」
「そうね。後は、下着とか好きね。特に、レースが入った物は目がないわ」
「いやあああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
祐一が恥辱の混じった声で悲鳴を上げる。顔を手で覆っていやいやと頭を激しく振っていた。頭の隅で、早く授業のチャイムが鳴ってくれと切に願う。これ程、授業が待ち遠しいと思ったことはなかった。しかし、祐一の悲鳴はなかったことのように話は爆進していた。
「特に、フロントホックのブラが好きみたいよ。ホックを外したときの揺れる胸が大好きみたいね」
美咲の胸だから出来る芸当である。戒めを解いた瞬間にたゆたう柔らかく大きな乳房。
男には鼻血物で御座います。
「あが、あががががががが………あが………………」
既に。精も根も尽きた祐一。もはや美咲を止めることは出来ない。
そして、文句を言っていた香里以下クラスの女子達は既に文句も挟まず話を聞くだけになっていた。
「ショーツは片方の太股当たりに引っかけて置く。服は全部脱がさず辛うじて引っかかる程度に脱がすわね。スカートだったら捲り上げるか、少しずらすか」
既に顔中を真っ赤にしている年頃の娘達。実は、この中には経験者が結構いたりするのだが他人の経験談をこうして聞くのは初めてだったりする。それが余計興味を引いていた。
「顔を胸に埋めるのも好きね。なんでも、柔らかいからだとか。それから、舌で身体中をべとべとにして、身体が火照りきったところに……」
がらがらがらがら。
「よーし、席に着けー。出席をと……る…………ぞ?」
女子達の視線がもの凄く鋭いことに気付いた石橋教諭。しかし、自分が何をしたか解らず硬直するしかなかった。
「……なんかしたか?」
「いえ、別に」
素っ気なく誰かが言い、女子達は自分の席に戻っていった。それをよく解らないと顔を蹙めて、未だ戻ってきていない男子と、悶え死んでいる祐一の出席欄に欠席の印を付けた。
件の教師を探しに行った男子達は一時間目が終わってから帰ってきた。
彼等の答えは一に美人。二に美人。三、四も美人で、五も美人。
とにかく、美人と言うことだけは解った。しかし、それ以外のことは解らない。やっぱり、使えたなかった。
それからと言うもの、休み時間になる度に、男子達は新任教師を肴に話を膨らませていた。
妄想が妄想を産み、話が勝手に一人歩きというか、第一次宇宙速度で飛んでいた。
新任教師は、頭も良くて、料理もできて、おまけに床上手だ。
完全に妄想に狂っていた。どう見ても男の都合がいいようにしか想像されていない。全くの馬鹿だった。
「相沢君も一歩間違うとアレだったかも知れないのね」
「一歩というか、十歩ほど先を言ってるのは確かよ」
げんなりして男子を見ていた香里に補足したのは美咲だった。
「……さっきの話って、全部本当のことなの?」
「あの時の彼の状態を見れば一目瞭然でしょ」
演技で、悶え死ねたら役者の立場がない。つまりは本当にあった事だと言うことだ。
そして、それは想い人が目の前の女性と身体を重ねたという事実に他ならない。香里は重い溜息を付いた。
「……あたし達に入り込む余地なんてあるのかしら」
嘆きにも似た香里の言葉。
「あるわよ」
それをあっさりとする美咲。
弾かれたように香里が顔を向けた。
「魂レベルで繋がっていても意思は違うもの。思考の擦れ違いや、感情の食い違いは確かにあるわ。そうでなければ、私達は既に融合してるわ。個々体として存在しているのだから、遺伝子のパターンが同じでも違う存在でしょう?」
「そうね。双子でも何時も同じ事を考えてるわけでもないわね」
「だから、いくらでも入り込む余地はあるわ。略奪愛って言うのも乙な物らしいわ」
口の端を釣り上げて美咲は笑った。
「……良いのね? あたし達が奪っても」
「異論はないわ。ただ、奪えるかどうかは別としてね」
これ程までに自信満々に言えるとは。逆に香里の闘争心が湧き上げって来る。
それを余所に、男子の浮かれた熱気は一人無関心を装っていた祐一に手を伸ばしていた。
「相沢ー!! お前は美人なお姉さんは好きかあああああぁぁぁぁぁ!?」
「大好きだ」
即答する祐一。
熱気にあてられたのではなく、彼自身の趣味思考から発言したまでである。しかし、即答するほど好きと言うことは隠しようがなかった。
「綺麗な髪のお姉さんは好きかああああぁぁぁぁ!?」
「人類の至宝だ」
どうやら、祐一はお姉さん属性らしい。しかも、髪に異常にこだわっていた。
先ほどの美咲の話が真実だと言うことが明らかになった瞬間だった。
「では、お姉さん大好き相沢君に訊こう!! 煙草をくわえた気怠げなお姉さんは好きか!?」
「……あんまり好みじゃない」
「ふむ。相沢は姐さん系は×っと。では次!!」
「おい。その手帳はなんだ?」
問いかける祐一だが、疑問は軽やかにスルーパスされた。
「世話焼き好きな優しいお姉さんは好きか!?」
「……好きだな」
「うおおおおおおぉぉぉぉぉ!! そうかそうか、この年上好きめ!! タイプとしてはオーソドックスな物が好きか!!」
質問に答えただけでここまで盛り上がりを見せる漢共。彼等が放つ熱気に祐一はたじろいでいた。
「お前等……少しは落ち着いた方が……」
「お姉さんは好きか!? 年上は好きかー!?」
『おおぉぉ!!』
もはや手が着けられなかった。
「駄目だこりゃ……」
もはや処置無しなので、祐一は放置しておくことに決定。疲れを溜息と共に出したい気分だった。
そこへ、美咲がふらりと立ち上がり祐一にこんな事を問いかける。
「一件冷たそうな態度だが、実は影から暖かく見守っているお姉さんは好き?」
「は?」
「意地悪をしつつも、最終的には抱き寄せてくれるお姉さんは好き?」
「へ?」
「我が儘だけど、その人のために一生懸命努力をするお姉さんは好き?」
「あの? 美咲さん?」
「床上手で、自分を天国へ連れてってくれるお姉さんは好き?」
「大好きです。……………………っは!? 俺は何を!?」
怒濤の質問に答えられなかった祐一だが最後の質問だけはきっかりと答えてしまった祐一。馬鹿である。
「あいざわあああああぁぁぁぁぁぁぁあ!! お前も漢だったんだなあああああぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
「もっと自分をさらけ出せ!! 小宇宙は萌やさなければ意味がない!!」
好き勝手のたまっている男子を尻目に、祐一は机に突っ伏していた。顔を隠すように腕を組んでいるのは恥ずかしいからだろう。
一方、美咲は一つ頷いて席に戻っていった。
「で、香里。入り込む余地はあると思うかしら?」
「……………………………難しいわ」
そんなこんなで授業開始の鐘が鳴った。
場面は変わって昼休み。
例によって例の如く、栞が昼休みに大きな重箱を抱えて参上した。
「祐一さん!! お昼です」
「もう、頂いてるわ」
「えぅ!!」
既に祐一と美咲は弁当箱を広げて食事を始めていた。
弁当を作ったのはシーラで、まだまだ味は安定していないがそれなりのレベルにはなってきている。やはり、毎日に家事をしているのが役に立ったのだろう。
片手で箸を使って弁当をつついている祐一。左手がない所為で弁当箱が動いたり、物がしっかりと掴めていなかったりと苦労している。美咲は時々祐一の弁当が動かないように手で押さえたり、彼の箸から零れたそれを高速で掴み直して食べさせたりと食事を手伝っていた。
完全に二人の世界である。しかも、フォローの仕方が超人的で二重の意味で入りづらい。それでも、めげずに栞はどんと名も知らぬ主の机に重箱を置いた。
「祐一さん! 今日も腕によりをかけて作ってきました!!」
「そらぁな。その量になれば腕により掛けないと出来ないよな」
栞が持ってきた重箱の段数は四段。軽く七人前はあるだろう。
「栞。何時も言ってるが、量を減らせ。俺等も弁当持って来てんだから、全部は食えないぞ」
「で、でも何時も食べてくれるじゃないですか」
「栞ちゃん。片腕がない男性が必要なカロリーって正常な男性よりも低いのは解るでしょ?」
「え、あ、はい」
「つまりは片腕分のカロリーは要らないって事になるわ。なのにあなたの持ってくる重箱は量は変わらない。従って、何時もと同じく食べていたら片腕分のカロリーは彼の身体に溜まっていくことになる」
祐一の弁当箱からおかずを抓んで口に運びながら美咲は続けた。
「……このままそれを続けると、祐が太るわよ」
「がーん!!」
口に出してまで言うほど栞は衝撃を受けていた。
自分が作る弁当を食べる限り自分の想い人は太ってしまう。しかし、自分が作った弁当は多く食べて貰いたい。これは愛なのだ。弁当の量に比例するほどの愛が籠められているのだ。それを縮小すると言うことは自分の愛が縮小されると言うことで……ああ! そうか!!
「つまりは、幸せ太りですね!!」
教室中の人間がこけた。
「……栞ちゃん。私の話聞いてた?」
いつになく、平坦な声の美咲嬢。怒っているのは明白だった。
「え? だって、恋人の料理を食べて太るなら幸せ太りじゃ……」
「香里」
「な、なにかしら?」
妹のぶっ飛んだ思考に付いていけず頭痛を感じていた香里は美咲に呼ばれ思考を現実に戻した。
「身内が死んでも文句は無しね?」
「は?」
爽やかな笑顔のまま美咲は栞の頭をむんずっと掴んだ。
「え? ………………あ! いたたたたたたたたたたっ!? いたっ、痛いですよ!!」
ゆっくりと栞の身体が上がっていく。美咲の視線を通り越して頭一つ分上に栞の顔が突き出た。
美咲は片腕だけで栞をそこまで持ち上げたのである。落とさないために栞の頭を強く掴んでいるために栞は痛がっているのだった。
「乙女的思考もそこまでにしなさい。私、勘違いは嫌いだけど、二股はもっと嫌いなのよね」
「ふ、二股ってなんのことですか!?」
ジタバタと暴れる栞。だが、美咲の手は一向に動かない。万力並の力が加わっているのではないかと錯覚できるくらいだ。
美咲が怒りを見せている間も、祐一は弁当を食べるために四苦八苦中。おかず系はぶっ刺して何とかなるが、白米はすくわなければならない。冷え切ったご飯は堅くなり、易々とすくえないのだ。
香里も香里で、栞が作った重箱を勝手に開け昼食を食べていた。妹にはこの際だから罰を受けて貰おうと考えたのだ。身内が言うから駄目だったのかも知れない。他人に言われれば少しは考えを改めるだろう。
「この前の日曜日。噴水公園で、ロークとチチクリ合ってたって?」
「えぅ!?」
「ぶっ!! そ、それ本当!?」
美咲の発言に驚愕する美坂姉妹。祐一は漸くすくい取れた白飯を口に運んでご満悦だった。
「ロークがゲロしたわ。なんでも? 風景画を描いて見せ合いをしていたとか」
「……えぅ〜!! ロークさん裏切るなんて酷いです!!」
「今の発言からして、チチクリ合うって言うのに異論はないみたいね」
「むしろ肯定ね」
闘気というか殺気を滲ませながら二人の少女は中空の少女を睨み付ける。
「へぅ!? ふ、二人とも恐いですよ!? ゆ、祐一さーん!! 助けてくださいー!!」
「無理」
「がーん」
あっさりと出来ないと言った祐一。この男の目下の目的は、美咲の補助無しで昼休み無いに弁当を食べられるかと言うところに掛かっていた。
「祐一さんの薄情者ー!!」
『二股かけたあんたが言うな!!』
「えうーー!!」
教室は概ね平和だった。
栞の説教も終わり、祐一の弁当箱も空になり、学食から戻ってきた名雪が加わり、一同はダベっていた。
取り留めもない会話をして、残りの休み時間を潰していく。無意味なようで無意味ではない、仲間達との会話。彼等はそれをしていた。
そして、その大切な、そして、取り留めもない時間に、一陣の風が吹き込んだ。
「ゆーうーちゃん!!」
さあ、邂逅をしようか。