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もう春もまもなくと言った小春日和。日差しが段々と暖かくなってきて、この時期に布団を干せばそりゃーもー暖かくってついつい眠るのが楽しくなってきてしまうようなそんな時期。
衛宮邸の居間は異郷と化していた!
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座布団の上に座るのはこの屋敷の家主にして昨今女性関係に振り回される主夫――衛宮士郎。茶を一杯に注がれた湯飲みを手に持ったまま口もつけず固まり続けている少年だ。既に茶に熱さは無く、体温程度までに温くなった湯飲みの中を凝視している。
その少年の隣に座っているのは長い金髪の女性。出された茶にも茶請けの羊羹にも手を出さず、じっと前方を見つめ続けている。その碧の瞳は前を向いているのだが、時折下方――提供された茶菓子に目が行きかかるがすぐに戻っていた。
彼女こそはこの世に現れたアーサー王――アルトリア・ベンドラゴンその人であるのだが、諸般の事情により居間は一人の女性としてこの世に生を受けている。生後三日であるが。
そして、この居間の雰囲気作りの一番の要因であるのは年中変わらない黄色と黒のストライプを着続ける女性――藤村大河である。彼女はアルトリアを見詰め――否、睨みつけながら黙り込んでいた。
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この状況に陥って既に一時間が経過している。重苦しい雰囲気といえるのだが、その雰囲気を形成している二人はその空気を全く意に介していない。この空気を一番敏感に感じているのは衛宮士郎だけである。
カッチコッチと時計の秒針の音だけしかしない空間の中、ようやく変化が訪れる。
先陣を切ったのはやはりというか、アルトリアだった。
「このまま時間を浪費するのは私の望むところではありません。タイガ、要件をお聞かせ願えますか?」
凛々しくアルトリアは訊ねた。
思えば、あの戦いが終結してから三日。穂群原学園に展開されたライダーの他者封印・暗黒神殿の影響で入院を余儀なくされた人々の中で、いち早く復活を果たしたのはこの藤村大河である。
普段の行いから野生児染みていると常々思っていた士郎の推測は的中し、未だに病院生活を送っているはずの大多数を置き去りにして現世復帰を果たしたのだ。数週間前と同じく、突然衛宮邸に飛び込んで来るぐらいの溌剌さを発揮してやって来たは良いが、自分のフィールドである居間で士郎に覆い被さっていたアルトリアを見つけ、騒いだのは記憶に新しい。
そして、何故か前に紹介された金髪の少女と同じ名前の女性にさしたる疑問を抱かず、重要なのはやたらと親しい自分の弟との関係を説明させたのだ。
まあ、その説明も切嗣の親戚で知り合いだとかで誤魔化したのだが、どうにも疑っていたらしい。野生の勘が警告を告げているのか、警戒は続けていたようだ。
そして、今日の朝ついに爆発した。
「……言うまでも無いわ! あなたと士郎ってどんな関係なのよぅ! いつの間にか住み着いてるし! 私のおかず攫ってくし! 私のポジションを奪うなー!!」
ずばっと指を差して咆哮する虎。
人に指差してはいけません。呪いをかけてしまいます。いえ、あかいあくま並とは言えませんが。
「藤ねえ。おかずの件は不起訴だ」
あれは藤村が勝手に他人のおかずを自分のものだと主張しているだけの話である。食い意地の張った虎の言葉を士郎は即座に否定した。
「私とシロウですか?」
何だそんなことかとアルトリア。
その様子に気負ったところは無い。隣の士郎も胸を撫で下ろした。
「私は士郎の伴侶です。それに何か不満が?」
「なにいぃぃいいぃぃぃぃぃいいいいいいいぃぃいぃぃぃぃいぃいいぃぃ!?」
瞬間反応したのは居間の外――廊下側からである。
びしゃっと襖を開け放ったのはあかいあくま。それと、あんぐりと口をあけて放心する間桐桜である。
「ちょ、待ちなさい! あんたいきなりなんつー爆弾をぽいっと投げてるのよ!?」
「凛、何か問題でも?」
「あるわよ! いきなり婚約発表してんじゃない!!」
「婚約などと……これは正式な婚姻報告ですよ?」
婚約以前の問題だった。と言うか、ステップアップしている。
「あああああ、あんたねぇ! 第一、士郎はまだ規定年齢に達してないでしょうが! そんな暴挙、許されるはずが無いわ!」
「そうです先輩! 胸ですか!? 胸の大きさなら、私負けませんよ!!」
どさくさに紛れて問題発言している桜に右フックを叩き込みながら、凛はアルトリアを睨みつけた。
「そんな、現世の法律など私たちの愛の前ではくそっくらえです」
あくまの一睨みに全く動じず、アルトリアはにべもなく言った。
彼女の意思は鋼鉄よりも硬いらしい。
「仮に年齢が不十分だろうと、私の身も心もシロウのものです。この事実は覆らない」
「それはあんたの世界の話でしょうが!」
「――――」
にやぁと笑う金髪美女。
やおら彼女は隣で固まり続けている士郎をその豊満な胸元に抱き寄せた。
「婚前交渉は済ませました」
「「「なにいいいいぃぃぃいいぃぃいぃぃいぃいいぃいぃぃぃいいぃぃぃ!?」」」
絶叫が轟いた。
「士郎!」
「は、はひ!!」
「先輩!!」
「さ、桜!」
「士郎おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「ふ、藤ねえ!?」
あかいあくまと黒い後輩と野生の虎が詰め寄ってくるのだが、体はアルトリアにがっちり固定されているので全く身動きが取れない。それでも逃げようと言う本能が体を後ろへと逃れようとするのだが、
「――う」
後頭部に感じるやぁらかーい感触に顔を紅くする。
なおも、三者は迫ってきているのだが、一瞬現実を忘れかける士郎だった。
「説明……してくれるわね?」
ああ、優等生の皮を被ったあくまの笑みが見えます。これから涅槃へ旅立つ自分を送り出す笑みか。
「あ、い、お、あれはだな」
「あ れ は ?」
メーデー! メーデー! 涅槃メーターがレッドゾーンに!!
そんな士郎のピンチを救ったのは、やっぱり彼女だった。
「あれは、一昨日のことでした」
語り出すアルトリアの声はどこまでも澄み切っていた。
「こちらの気持ちを伝えたにも関わらず一向に態度が変わらないことに業を煮やした私は、夜半過ぎに士郎の部屋へと赴き、彼が眠る布団の中へと潜り込んだのです」
「逆夜這いプレイ!?」
それがオッケーなら私がすればよかった!! と桜が絶叫をあげる横で、凛が続けろと言う。
アルトリアは頷いた。
「眠っている士郎を抱き寄せて、抱き心地に酔いかけましたが、全力で我慢しました。これからもっと抱いてもらうのですし、まあ後に取って置いても良いかと思いましたので」
「お姉ちゃんは膝枕しかしなかったのにいいいいぃぃぃぃいいぃぃぃぃい!!」
添い寝イベントが無かったことを嘆く虎。
しかし彼女の寝相は恐ろしく酷いので、士郎は絶対防衛を決め込んでいたのだ。
できれば肘で殴り壊した箪笥の修理代をいただきたいところだ。
「抱き寄せたことで目を覚ました士郎と、仔細は省きますがその後はじっぽりと朝方まで……」
「リア……」
頬を赤らめて恥ずかしがるアルトリアに士郎は己の死期を悟ってどばどば泣いた。ああ、背中からばしばしと魔力の迸りを感じます。
「えーみーやーくーん?」
「な、なんでございましょうか?」
「リアって、なんのこーとー?」
「私がそう呼ぶように願ったのです。その代わり、胸でいろいろすることを確約しましたが」
「リア!?」
「こぉの! エロ学派がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「ぎぃやあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
とまあ、騒がしい日々を送る彼らだった。
その後と言えば――。
相変わらず藤村大河は教師らしからぬ教師を続けた。年月を重ねればある程度の落ち着きは出るのではと淡く願っていた関係者は、年月を重ねれば重ねるほど若い頃と同じ感覚で暴れまわる彼女に大層手を焼いた。
また、遠坂凛は高校を卒業後、倫敦の魔術師協会に入会した。魔術の練磨を望む彼女は、最高の環境を求めて旅立ったのだ。まあ、その中でも遠坂凛は遠坂凛だったらしく、鉱石科では名を轟かせたらしい。
間桐桜は冬木市にいた。いつからか子供たち相手に始めた学習塾を続けながら、時折帰ってくる人達を待っていた。帰ってくれば腕を揮って迎えた。日々精進を重ねた料理の腕はいつの間にやら師匠を追い越し、師匠も負けじと互いに切磋琢磨する。そんな日常を送っていた。
そして、衛宮士郎は時折ふらりと旅に出ていた。どこで何をしているかは話さなかった。たびたび落ち込んで帰ってくることもあったが、その表情は満足げだったようだ。何かを成し、何かを成せなかったことを悔やみながら、彼は自分の道を歩いていった。
その隣に立つアルトリア・ベンドラゴンは彼を見守り、時に助け、愛し続けた。彼女が望んだ未来を成そうと、彼に寄り添い続けたのだ。そこに葛藤があって、後悔があって、けれど、彼女は満ち足りていた。
だから、この物語の終焉は明るかったのだろう。不満や不安は日々のことだ。その事にいちいち躓きはしても、決して止まることはなく回り続ける日々。それが良いことなのかは当人達にしか解らない。
ただ、彼らには絶えず笑顔だけはあった。ならば、こう言える。
その日々は楽しくて、大事なものだったのだろうと。