「おう!」
 ボールを受け取った信は気合を入れた。
 邪夢の可能性が頭を掠め始めた佐祐理にサーブを任せてもいいとは思うが、それでも一弥と対戦するためだけにわざと外しそうな気がするので、サーブは全て自分がやる所存だった。
 もう、負けられない所まで来ているのだ。ここは佐祐理には悪いが勝たせてもらう。
 眠っていて戦闘力が上がっているとは言え、名雪は基本性能が女子の標準並だ。力押しでどうとでもなるはずだ!
「いくぜ!!」
 ――すまん、水瀬。これは俺の為なんだ!
 酷く利己的な考えからの信のサーブ。打球はまっすぐに舟をこぐ名雪の顔面に向かう!
「甘いですね」
 秋子がぼそりと言った直後、名雪はボクシングで言うところのショートアッパーを繰り出し、ボールを上に弾いた。
『何ぃ!?』
 北川と信の声がハモった。
 そのままいい感じで浮き上がったボールを名雪が自慢の俊足で追いかけ、
「だおー!!」
 みょうちくりんな雄たけびと共にアタック敢行。
「じ、自給自足スパイク!?」
「あははー。ですが、まだまだ打球はゆるいですよーっ!」
 ダイビングレシーブで名雪のアタックを拾い上げた佐祐理。信のフォロートスから、コーナーに向けての鋭いスパイク。
「でや!}
 しかし、これを読んでいた北川がセービングする。姿勢が悪かったせいでコート内には向かわず、サイドに流れたが、北川は滑らかに起き上がり、ボールを追いかけた。
 一回戦での名雪の居眠りの再現はさすがに遠慮したい。体力的につらいが、ここは自分でとって自分で打つしか道は残されていない。
 ときどき、ボールに反応する名雪に期待するのは博打要素が高すぎるのだ。
 サイドに流れたボールの落下地点まで走りこんだ北川はこのまま相手コートに返そうと思ったその時、
「北川くーん。こっちこっちー!」
「あら、ようやく起きたわね」
 睡眠時間の補充が完了したのか、名雪がここに来て覚醒。
「よっしゃぁ! これで、なんとかなる!」
 戦力アップとはしゃぐ北川のトスは寸分違わず名雪の頭上に打ち上げられた。
 だが、それを見ていた祐一がぼそりと言う。
「――世の中、そんなにおいしくは出来てないんだよ」
「えい!」
 飛び上がってアッタクしようと、名雪が腕を振った!

 スカ。

「あ゛っ!?」
 砂地に虚しく落ちるボール。
 名雪の腕はボールを捉えずに終わり、ボールはニュートン法則に従って落下した。
「あれ?」
 名雪本人も意外そうに首を捻っていた。どうやら、外すつもりはなかったようであるが、結果はご覧の通り。
「何故だっ!? 水瀬さんの能力値ならあんなトス軽く打てるはず……!」
「ところがどっこい、あの子の身体能力が最大限に引き出されるのは半覚醒状態の時のみよ」
「そ、そんなばかな……」
 香里が告げる真実に北川は、膝を着きその場に崩れ落ちた。
「名雪はなぁ。通常モードだと足の速い天然なんだよなぁ」
「半覚醒状態だと、脳のリミッターとかが一時的に解除されてるわけだな」
「長年幼馴染やってて、何度も見たから今更って感じだけどな」
「名雪ちゃんって、凄いけど凄くないんだよね」
「でも、それが持ち味だし」
 幼馴染組と従兄弟の意見は非常に名雪の特性を良く表していた。
 彼女は、半分眠っている方が使えるのだ。
 哀れなり。
「まあ、気を取り直して頑張ろうよ、北川君。ファイト、だよ?」
「嗚呼、肩の荷が降りるようだよ」
「それって、力が抜けてるだけじゃねーの?」
 智也の台詞の通りだった。
 一方、これに狼狽したのは相手コートにいるお嬢様だった。
「くっ。こ、これでは負けられません!」
「先輩、それは対抗心からですか? それとも、可能形の意味?」
「さあ、サーブが来ますよー! 気を引き締めていきましょー!」
「目が泳いでる」
 炎天下の中、汗よりも涙を流している気がする信だった。

 ――試合終了のホイッスルが鳴った。
 えー、13対15で北川名雪ペアの勝利でありますです。
「せえぇぇぇんんんんんぱあああああいぃぃぃぃぃぃ!! あれほど、あれほど手を抜くなと言ったのにぃぃぃ!!」
「はえ。今回は佐祐理は手を抜いた覚えは……三点分くらいですよ?」
「その三点は何時とられたか、覚えていらっしゃいますよね!?」
「あ、あははー? さ、最後の方だった気がしますねー」
「ついさっきですよ! 最後の三点が、ストレートで入ったんです!!」
「さてー、佐祐理はちょっと頭の悪い普通の子なんでそんな事覚えてませんー」
「学年主席で、大学の入学式で挨拶してた人間の台詞じゃねーッス!!」
 佐祐理は自分の見に危機が迫ろうとも使命(欲望)には勝てなかったようである。
 恐るべし執念(愛情)!
「――勝った。勝ったのが不思議なくらいに勝った」
「それは嬉しいのか嬉しくないのか、どっちだ?」
「危険が去った事に安堵して、感覚が麻痺してるっぽいからコメントできない」
「楽しかったねー」
「二度とあんなハラハラ感は味わいたくないです!!」
「そうかなー? 私は楽しかったんだけど……」
「こっちは必死でしたよ! 危うく必殺になるところでしたよ!」
 必殺と言うか、昇天?
 どちれにせよ、黄泉の国巡回バスツアーに変わりは無い。
「俺はまだ死にたくないんだああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」