「新年会?」
「うん」
 今年も残すところ後数日という日になって、千鶴と貴希は相も変わらず共にいた。
 十二月の寒い時期。二人は新山家のリビングに設置されたコタツでみかんを食べながら丸くなっている。点けっ放しのテレビは、年末の特番が流れていた。
 そんなまったりムードの中で、貴希が新年会の話を持ち出してきた。
 貴希の話に、千鶴にしては珍しい、疑問詞で問いを返すといった現象が起こった。
 状況が解らない千鶴に貴希は説明をする。
「美里君の家の道場で毎年やってるんだ。道場の人達とかで集まって馬鹿騒ぎをするやつ」
 藤堂家では毎年、年始にそんな催し物を開いている。しかし、今の時期なら忘年会ではないだろうかと千鶴は思ったが、貴希の話によれば藤堂家では忘年会はしないとのこと。一年で学んだものを忘れるという姿勢が気に食わないらしい。
 その話に千鶴はもっともだと納得する。
「で、それが?」
「……今年も呼ばれたんだよ」
 沈痛な表情で貴希は言った。
 貴希は彰達に連れられて、毎年新年会に顔を出している。その度に、道場主の藤堂嶺義(みねよし)に「武術を習え。お前は強い」と、壊れたレコードのように言われるのだ。
 はっきり言って、習う気も学ぶ気もないので扱いに困っている。
 それでも、いくらかの付き合いもあるし両親とも顔見知りなので挨拶に行ってはいるのだ。
 千鶴はそんな貴希の話を黙って聞いていた。
「美里君のおじいさん、嶺義さんって言うんだけど、あのじいさんって酔うと見境なくなって、暴れるんだよ」
 仮にも道場主である。
 そんな人物が見境なく全力で暴れたらどうなるか。毎年行っている貴希は、その時の阿鼻叫喚の地獄絵図を思い出し身震いした。
 ――駄目です。やめてください。お願いだから、壁を壊さないで。足で床を打ち抜くのも駄目。だからって頭で木を倒すのはもっと駄目!!
 手がつけられない暴君である。
 そこまで聞いて、大体話が読めてきた千鶴。
「私は家で御節でも摘んでるわ」
「……まだ何も言ってないよ?」
「ついて来いって言うのなら願い下げ」
 にべもなく言い捨てる。誰が好き好んで危険地帯に……、
「新年会は焼肉が恒例」
「行くわ」
 行く人間もいるらしい。
 千鶴の好物を知っていた貴希の作戦勝ちだ。しかし、作戦を実行した彼自身が驚くほど、完璧に成功したことに、一抹の不安を覚える。もしかしたら、肉で釣ればどこへでもついて行きそうである。
 今後は肉で釣るのはやめようと心に誓う貴希だった。
 そんな貴希の前では、これから繰り広げられるであろう戦場に思いを馳せて燃え上がる黒い少女がいるのだった。






























白と黒と鶴

From "Frieden"
Presented by 大岩咲美 [TRASH BOX Type2]































 元日は快晴だった。まるで、これから死地へと赴く戦士へのせめてもの手向けのようにも見える。
 冬の空にしては青い空を見上げながら、貴希はポツリと呟いた。
「……帰れるかな」
 もちろん、消えた最初の言葉には『生きて』が入る。
 自分の前を歩く少女の並々ならぬ気迫に、これからの乱闘が目に浮かぶようだ。
 ――ちょっと、泣けてくるよ。
 そんな貴希の泣き言を察しもせず、千鶴の足は力強く前に進む。
 やがて、二人は厳格そうな雰囲気を漂わせる門に着いた。
 貴希にとっては見慣れた、千鶴にとっては初めて見る大きな門。
 ちなみに、貴希の両親は年始回りをしていて今回は不参加である。どれだけ泣きついてついていこうとしたことか。それも千鶴の逆水平チョップを喰らって沈黙させられて、気が付いたら両親は出かけていた。もはや、目の前に人参をぶら下げられた馬の如く、千鶴は貴希を連れて藤堂道場を目指したのだった。
 閑話休題。
 静かに佇む正門。その横に掲げられている、藤堂道場の看板。
 いつ来てもこの迫力は苦手だ。何か無意味に怖いと思ってしまう。
 そう言った感情を顔を顰めることで表しつつも、貴希はなかなか中に入ろうとしなかった。
 そんな貴希の様子を眺めていた千鶴。
 彼女がここに来るのは初めてである。貴希が苦手とする美里の祖父のことはたびたび聞いていたし、孫である美里からもいくつか聞いていた。しかし、彼女は彼らの話を聞いても臆していなかった。
 不十分な情報で人物は評価しない主義である。実際に会うまで、彼女の中では存在しない人物なのだ。
 第一、これ以上時間をかけたら目的のがなくなってしまうかもしれない。それが彼女の至上命題。こんなところで道草を食っている暇はない!
 であるからして、千鶴が恐れることは何もないわけである。
 なので、彼女は、
「頼もう!!」
 大声で、そう叫んだ。

「なんだ!? 道場破りか!? 敵か!?」
 勢い良く門にやって来たのは、シャツにスラックスと言う出で立ちの男性だった。シャツの袖はまくられていて、その上腕は見事に鍛えられていた。
 明らかに、道場関係者だ。
「敵はどこだ!?」
 かなり慌てているらしく、貴希達の存在に気付いていないらしい。しきりに辺りを見回している。
「……千鶴、どうするの?」
 呆れた声の貴希。
 この事態をどうするのか、千鶴に訊いてみる。
「ちっ、面倒事を増やしてくれるわね」
 その原因は千鶴だろうと言いかけて、やめた。
 千鶴の父――聡が、千鶴に奪われた肉を取り返そうとして、痛い目に遭っていた。恐らく、彼女は肉の為なら、親すら殺すのかもしれない。
 見た目に因らず、烈火の如く気性の強い千鶴嬢。ここは何もせずに、行方を見守ったほうが安全そうだ。
 本能でそう考えた貴希は、そのまま黙ることにした。
「お兄さん」
「ん!? 敵か!?」
「違うわ」
「ん!? あ、こんな小さな子が敵な訳ないか……。しかし、ならば敵は何処に?」
「敵はいないわ。さっきの声は私が出したのよ」
「なに!? では、お前が敵なのだな!? こんな小さななりして俺を欺くとは! 騙したな、コンチクショー!!」
「戯言は良いから、当主に会わせなさい」
「き、貴様!! 不遜な態度の上に、我等が当主の命まで狙う気か!?」
「……場合によってはそうなるかもね」
 もし、貴希とに手を出そうものなら全力で排除する。
「敵ながらなかなかの度胸だ。しかし! お前は当主には会えない。俺がここで始末をつけてくれる!!」
 そう言うと、おもむろに腰溜めに構えて気を溜める男。
 なんだか、手の周りに鈍い光が散り始めた。さらには、風もないのに髪の毛がゆらゆらと揺れている。
 高められた気による圧迫に、貴希は二〜三歩たじろぐ。
 ――これはひょっとしてまずい展開?
「千鶴……!」
 真正面であの気を受けているはずの少女に貴希が呼びかける。
 しかし、貴希の予想に反して、彼女は平然と発気に耐えていた。と言うよりも、涼しげに流している。
「ふん。なかなかやるな。しかし、我が拳にかかれば貴様のような子供……」
「死ネ」
 気持ち良いくらいに振り上げられた爪先が、寸分の狂いなく男の股間に突き刺さった。
「ぐぼうわっはぁ!!!!」
 貴希には聞こえた。はっきり聞こえた。
 何かが潰れる鈍い音が。
 いつも彰が恵理に喰らっているようなパンチと同質で、あれ以上に強力な一撃。
 生きてきた中で、最高の蹴りにして最悪の攻撃を目の当たりにしてしまった貴希は、その場に立って呆然とするしかなかった。あるいは、道の隅でがたがた震えていたかもしれない。その辺の記憶は定かではない。
 とりあえず、男には同じ男として黙祷を捧げておこうかと思う。
 股間を押さえることもできず、白目を剥き、泡を吹いている男に千鶴は数秒佇んでいた。否、それは武術で言うところの残心に近いものだった。獲物が本当に仕留められたかどうか。それを確認するために残心はある。
 彼女は本能でそれを行っていた。
 やがて、再起動することもないと判断した千鶴は、貴希に向くことなく声をかけた。
「……貴希」
「え、あ、いや、はい!!」
 貴希にしてみれば突然声をかけられたのだ。上ずってしまうのは仕方がない。
 それに、千鶴の声の質がやや怒気を含んでいたのもどもった原因に挙がる。どうやら、時間を浪費させられてご立腹らしい。
「案内して」
 目の前の大人を使えなくしておいて、貴希に案内させる気らしい。
 なら、最初からそうすれば良いのにと思ったが、それを口に出すのは自分の命を散らすことに繋がることはもう嫌と言うほど理解しているので、貴希は従順に従ったのだった。

 程なくして、目的地に到着した二人。
 毎年、新年会は道場を使って行われる。参加人数の関係でそこくらいしか使える広さがないのだ。
 道場の入り口では、数人の大人が餅つきをしていた。
「あけましておめでおうございまーす」
 餅を突いていた人達が顔見知りだったので、新年の挨拶をする。何事も、挨拶が大事と親に教えられていたからだ。
 貴希の挨拶に餅を突いていた人間が振り返る。
「お、新山さんトコの坊主じゃねぇか。あけましておめでとう」
「ん? 大きくなったねぇ」
「当たり前ですよ。このくらいの歳の子はどんどん大きくなりますから」
 そう言って笑い合う三人。
 貴希としては少し恥ずかしい思いをした。
「おや、こっちの子は新顔だね。お名前は?」
「奥山千鶴です」
 静かに頭を下げた目の前の少女に武道家の本能に何かが触った。
 しかし、それは小さい小波(さざなみ)過ぎて良く解らなかった。
「あらー、貴希君。こんな綺麗な娘連れて、良いわねー」
「え!? いや、まあ、そのー」
 確かに千鶴は綺麗だ。それは自分でも思ってるし、本人にそう言ったこともある。しかし、ここでそれを認めるのはなんだか恥ずかしい。それに、この女性から醸し出される雰囲気が自分の母親に似ていた。それも決まって自分をからかうときのあの口調そっくりだ。
 こう言う場合は、お茶を濁すに限る。
 貴希は、撤退策を決意した。つまりは黙秘だ。
「いえ、私に比べれば貴女の方がお綺麗ですよ」
「やー、この娘、口が達者ねー。久しぶりに女扱いされた気がするわぁ」
 ちらりと流し目で、男二人を一巡する。男共は決まって明後日の方を向いていた。
「よし。お餅ができたら一番最初に食べさせてあげるわね」
「ありがとうございます」
「貴希君は良いお嫁さんをゲットしたわねー」
「いや、あの、違いますってば」
 しっかりと貴希に茶々を入れることも忘れていない。子供の貴希では対処不能だった。
 しかし、ここで貴希の目に放置された臼が目に留まった。
 これぞ天啓。神のお導きだ。
「あの、お餅、冷めちゃいますよ?」
「あらやだ。ほらほら、ちゃっちゃとやっちゃうわよ」
「あいよ。ところで、どこまでやったんだっけ?」
「えっと、僕が餅をひっくり返すところかな?」
「解った。じゃ、続き、行くぞ?」
「いつでもどうぞ」
 掛け声よろしく、餅を突き始めた。
 ――これで何とか、誤魔化せたかな?
 貴希は胸を撫で下ろして、
「んじゃ、行こ」
「ええ」
 その場を後にするのだった。

 道場では既に乱痴気騒ぎが勃発していた。
 何時から呑んでいたのか知らないが、そこら中に酒瓶が転がっている。数を数えるのも面倒なほどに転がっているので、相当前から呑んでいたのか。
 いや、貴希は知っている。
 ここの人間は、急性アルコール中毒とかそう言うものとは無縁の人間である事を。この道場で最初に行う修練が内臓器官の鍛錬なのだ。良い物を食っていい運動をして適度な睡眠をとる。これを三ヶ月も繰り返せば、人並み以上の基礎代謝能力を得られる。
 なので、ここの人間は無駄に健康的であり、かつ大酒呑みに仕立て上げられるのである。
 大人組みは酔ってしまえるのでご機嫌なのだろうが、子供としてはあまり面白くはない。まあ、御節などの冷たいおかずよりも、鉄板の上で油がはねる肉が出されているだけありがたいのではあるが。でなければ、例え年始の挨拶だろうとここには来ない。
「出遅れた、かな?」
 どこか気が触れたような笑い声を聞きながら貴希が半疑問形で千鶴に訊いた。
「――まだのようね。板にを焼いた形跡がないわ」
 油を含む肉を焼けば当然鉄板は汚れるものである。年季の入った鉄板が未だ使われていないのは一目瞭然だった。
「大方、用意された酒に思わず手を出したのでしょうね。大人なのだからその辺の自制くらい持って欲しいところね」
「うーん。ここにいる人達はどっちかって言うと、欲望に忠実な人達だらけだし」
 道場主がその筆頭なので、類が友を呼んだのだろう。
 陽気と言うか豪儀な人達ばかりが集まってしまったのだ。
「酔った人間に物を尋ねるのは愚かね。まだ材料の用意がされていないから、素面の人間は台所で交戦中か」
「そうみたいだね。じゃあ、台所の方に……」
「お、貴坊じゃねぇか」
 これ以上道場にいても意味がないと判断して、その場を後にしようとした貴希と千鶴を引き止めるしわがれた声が聞こえた。
 千鶴はやや不審顔でそちらを振り向く。そこには老年に達した男がいた。
「多分台所に美里君と中司さんがいると思うから」
「おいおいおい。ワシの声聞こえんかったのかぁ?」
 確実に老人の声は貴希に聞こえているはずなのだが……貴希は全く反応らしいものを見せていない。本当に聞こえていないのだろうか。
 いや、千鶴は貴希のこの反応を見て思い至った。恐らくこの老人が藤堂嶺義なのだ。
「彰は多分、摘み食いしようとしてどこかに転がってると思うけど」
「あの小僧は吊るし上げの最中だ。嬢ちゃんが作った黒い玉子焼きを指差して笑ったらしいからなぁ。上中下、それぞれ二発ずつぶち込んで、軒下に吊るしてらぁ」
 正月早々、いつもと変わらないやり取りが行われていた。
「日に日に嬢ちゃんのキレが増してんな。的に対して一切の容赦がないから上達も早ぇ」
 常に彰に対してだけ恵理の攻撃は全力である。その頻度を考えれば、当然の上達速度だ。
「ところで貴坊。何時までも顔合わせねぇで挨拶もねぇってのはちょっくら失礼じゃねぇのか?」
「――はぁ。この人だけには捕まりたくなかった」
「かっ。俺に気配を読ませねぇようになるまでは無理だな」
 そんなわけで、貴希は藤堂嶺義に顔を向けるのだった。

「全く。おめぇもいい加減ここに入門しろや。お前には才能がある。お前は強くなれる。ワシが保障する」
「いつも言われるけど、返事は変わらないよ?」
「けっ。お前の根気とワシの根気。どちらがもつかなぁ」
「間違いなく僕です」
 などと会話を交えながら、道場の一角で杯を交わす。
 孫ほども年齢差があるこの二人は、気安い言葉で会話をしていた。それは嶺義の器量の広さもあるが、貴希もまた嶺義に気を許している部分があるからだろう。
 ここに来るまで散々、来たくない、危険だ、嫌だと愚痴を溢していたのに。
 千鶴はそう思いながら、酒のつまみとして皿に盛られていたイクラを摘んでいた。醤油の味が効いていて、美味しいことこの上ない。
「でよ。貴坊の横に腰据えてるお嬢ちゃんは一体誰でい」
「奥山千鶴です。先々月、こちらに越してきました」
「――ほう? 彰たちが話してた娘かい」
 何故か、千鶴を見る嶺義の視線がきつくなった。
 突如発生した重圧空間に、貴希は身動きが取れなくなった。多分、今動いたら、死ぬ。
 それだけは本能で理解した。
「素人にしちゃあ見所があるって嬢ちゃんが言ってたが……いいもの持ってるようだな」
「どうでしょうかね」
 十歳の子供に凄みを利かせる嶺義とそれをさらりと受け流す千鶴。
 年齢差約60歳であるはずなのに、どちらも敵を互角として睨んでいる。
「まあいい。今日は正月だ。新年早々騒がしくする事もあんめぇ」
「同感です」
 一戦交えそうな雰囲気が霧散した。
 とりあえず、息を吸っても良いような空気になったので、貴希は大きく息を吸い込んだ。
 咽た。
「なにやってるの?」
「う、ううん? 別に?」
 まさか千鶴が発していた空気が怖かった等とは言えない。
「おじいさーん! 用意できましたよーって、貴希君と奥山さんじゃないかじゃないか」
「あ、美里君。あけましておめでとう」
「おめでとう」
「あ、うん。おめでとう。今年もよろしくね」
「こちらこそ」
「うん。準備、出来たの?」
「そうなんだ。それで、おじいさんにあの辺をどうにかして欲しくて呼んだんだけど」
「任せぇよ。材料は運び込め。片っ端から焼いていくぞ」
 嶺義は力強く頷くと、酔っ払いどもに向かっていき、無言で真空飛び膝蹴りをぶち込み始めた。
 彼の中でどうにかすると言う事は、相手を気絶させる事であるらしい。
 もう毎年の事なので貴希は気にしなかったし、美里も苦笑いを浮かべるだけ。千鶴に至っては、道場の入り口で二人を待っていた。どうやら、肉が待ちきれないらしい。
 貴希は千鶴の趣向を知っているが故の苦笑をし、美里は千鶴の迅速な行動に酷く感心した。

 宴会が始まった。
 新年会と名を打たれた馬鹿騒ぎは、始まる前から泥酔者を出しつつも、恙無く進行していく。巨大鉄板に所狭しと乗せられた肉と野菜。
 8対2の割合で圧倒的に肉が盤面を支配しているのは、ここの人間達が体育会系だからだろうか。次々と板上から姿を消していく様は一種感嘆を抱く光景である。
 それも、10歳ほどの少女が起こしているとすれば、もう幻覚かと疑うほどの異様な状況だった。
「……すげぇ」
 思わず声を漏らしたのは秋山彰。
 彼は、この道場に通っているだけあって同年代の子供よりも逞しい体格を有しており、食事の量も常人よりも2倍ほど食べる。時には3倍近く食べた事もあり、それがひそかな自慢だった。
 しかし、その自慢も目の前の現実にもろくも砕け散った。
「千鶴、もう少し遠慮を」
「これは戦争よ、戦いよ、闘争なのよ。遠慮なんて心の隙、ここで見せるわけには行かないわ」
 そしてすかさず箸が飛ぶ。
 飛ぶと言うか疾ぶというか、まあとにかく箸の軌跡が全く見えないのでどっちでもいいことだった。
 恐ろしいほどの速度で肉を平らげて行く千鶴。
 前のときのように、鍋の中の肉を根こそぎ取り皿に取るような真似はしてないが、逆に鉄板上の肉を一枚一枚瞬時に掻っ攫っていくその所業は、格闘家である彰たちを完全に脱帽させていた。
「――あのぉ、速めに自分の分を確保しないと、千鶴が食べちゃいますよ?」
 貴希に言われ、ようやく我に返った。そこで改めて見たのは、鉄板上の肉の半分がなくなっている状況と言うことである。呆気に取られていた時間が長かったのかと思うが、正気に戻った目で千鶴の動きを見ると、相当に速い。
 恐らくは3分も経っていないだろう。その時間だけで、ここまで平らげると言うのか。
「――序盤のアドバンテージは取れたわね」
「それよりも、もう少しペースを落とそうよ」
「食べきれない量を目の前にするって言うのは、乙なものね」
「……………………」
 ――君一人だけのものじゃないんですけど。
 そう言いたかったが、どうせ食べないのが悪いとか言われて逆に抑え籠められてしまうのは解っていたので、口に出さない貴希だった。
「ちーやん。すごすぎ……」
 千鶴の隣に座っていた恵理は遅まきながら、言葉を発した。
「そうでもないわ。最初は様子見だったし」
「あれで!?」
「だって、身体能力が高い人間がいたから、どの程度なのか見てみたかったし」
 もし本気だったなら、今頃鉄板には肉が残っていなかったのかもしれない。その想像に、恵理は背筋がぞくりと震えた。
 それを見透かしたのか、千鶴が補足した。
「腕の速度は変わらないわ。を味わってたから、食べる速度が遅かっただけ」
「あれで味わってたの?」
「いい使ってるわ」
 無表情にそう言う千鶴に恵理はなにも言えなかった。
「微妙に満足そうな顔しないでよ」
 ――あれ?
「これほどの至福があったかしら」
「鍋の時もそんな顔してた」
「あれは父さんが譲ってくれたから」
「蹴散らしたの、間違いじゃない?」
 そんな会話をしながらも、千鶴の箸が肉を掴み続けるのは驚嘆なのだが、恵理は違う事に意識を取られた。
 確かに、千鶴の今までの行動は肉が好きですと体現していたが、貴希が言ったように満足しているかどうかまでは、恵理には判別できなかった。
 しかし、貴希が言うには千鶴は満足そうな顔をしていたようだ。
 表情を変えることなく食べているので、ただ好きなのだなと思っただけである。
 恵理は千鶴の向かい側に座る美里に目を向ける。
 わざわざ向かい側になるようにセッティングしてやったにも関わらず、美里少年は千鶴の表情の変化に気付いていない。
「……これは」
 ――もしかして、みーちゃん勝ち目なし?
 いやいや、今後の展開次第でどうにでもなると、恵理は考え直したのだった。

 千鶴の猛攻もあったが、それはそれとして宴会は続いた。
 持ち寄った酒を飲み干し、まだ足りぬと近所の酒屋まで買い出しに出る事三回。
 嶺義以下門下の人間は酔った勢いのまま眠ってしまった。
 後片付けに駆り出されるのは女性と子供である。
「これは不公平だと思わないか?」
「毎年恒例だからねぇ」
「嫌な恒例行事よね」
 道場組三人衆はぶーたれながらも転がっている酒瓶を集めていた。
「そーいや貴希は?」
「ちーやんと一緒に初詣」
「え!?」
「はいはい。そこで動揺しないようにね、みーちゃん。私たちと違って、あの二人は家で新年迎えたんだってさ」
 そこで彰がやや確信を抱いた口調で訊いた。
「なぁ、それって一緒にって事か?」
「ま、それが妥当でしょうね」
 恵理の言葉に美里は複雑に顔をしかめた。
 貴希と千鶴が一緒にいた事。
 そのとき、自分は恵理と彰と三人で近所の神社にいた。今までの通例として、年越しはそこで迎えていた。
 貴希は来たり来なかったりである。
 彼の場合、夜の10時前後に眠ってしまうので、隔年で初詣に参加している。
 美里はなんだか胸の中が苦しくなったような気がした。
「あの二人の仲のよさは筋金入りだな」
「違うわよ。折り紙つきって言うのよ」
 彰のボケに恵理のツッコミが入った。
 力がないのは片付けに気を取られているからだろう。
「ま、みーちゃんにはちょっと強敵かなぁ?」
「え? いや、僕は別に、その……」
 いつもの通りに動揺を見せる美里だが、どことなく元気がないように見える。
「美里?」
「みーちゃん?」
「その……僕は別に奥山さんを好きとかそう言う事を思ってるわけじゃなくて」
 いつもより沈痛な色を見せながら言う。
 その様子に、恵理はやれやれと溜息を吐きながら言った。
「君ね。自分の気持ちくらいは認めときなさいよ? それくらいしとかないと、気持ちも負けちゃうんだから」
「……うん」
 恵理の言葉に美里は小さく頷いた。
「まあ、貴希が有利と言う事は間違いないが」
「うぐ」
「逆転するためにも、諦めない事は大事だよな」
「……そう、だね。うん」
 彰の言葉に美里はさっきよりも大きく頷いた。
「………………ん? って、ちちちちちちち違うよ!? 違いますからね!? ぼぼぼぼ僕はべべべべべ別に、おおお奥山さんの事とか、そういう風には見てないからね!?」
「いまさらそんな事言われても、なぁ?」
「いまさらそんな事言われても、ねぇ?」
「な ん で! そう言うときだけ息ピッタリなんだよ!!」
『さぁ?』
「くきゃあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「うわー! 美里がキレたぞー!」
「あはははははは!!」

 結局、暴走した美里は嶺義の第六法――月天肘――を喰らって沈黙した。
 損害は酒瓶12本、食器4枚、鏡餅一つ、重傷者一名(秋山彰)。
 なお、美里を暴走させたとされる重要参考人、中司恵理は司法取引により嶺義と結託したらしい。






 あとがき
 まあ、お正月と言う事で。
 次回は今度こそ中学生編です。