ゲームセンターを後にした祐一達。北川はそのまま帰宅して祐一と美咲も帰路に着いた。そして、何故か真琴が二人の後をついてきたりしている。
昔の誼もあるので別に構わないのだが、もしかしたなら帰る方向が一緒なのかもしれない。美咲は真琴にそう尋ねてみたが、返ってきた答えはNO。つまりは、真琴は相沢邸に御邪魔する気でいるというわけだった。
「祐ちゃん家って広いんでしょ? 一度見てみたいんだよねー」
楽しそうに顔を綻ばせる真琴に邪魔だから帰れと言うわけにもいかず、二人は真琴を招き入れた。
「あれ? この子誰?」
「え?」
そーいえば、シーラの説明をしていなかった。
邂逅と現在と未来へ
後編
Presented by HIRO
「え?」
突然指を刺されて硬直してしまったシーラ。目の前に人物は見たことはないが、祐一と美咲が一緒にいると言うところから知り合いだろうとは推測できる。しかし、それができたからと言っても対策が立てられるわけでもないのだが。
「可愛いわねー。この子二人の娘?」
『違います!』
同時に叫ぶ祐一と美咲。珍しく、美咲は顔が赤かった。
「ジョーダンよ。冗談」
「いくら何でも、この歳でその位の子供はいませんって」
「私も出産した覚えはありません」
真琴は笑顔で冗談と口にするが言われた方はたまったものではない。彼女の何気ない一言でどれだけ騒動が広がったことか。思い出すだけで鳥肌が立つ。
「あの、この人は……」
「ああ。俺達のお姉さんっぽい人」
「ぽいって……」
「正確に言うと子供の頃に付き合いがあった人よ」
幼なじみってやつと美咲がフォローを入れる。それを聞いてシーラは納得がいったように頷いた。
「そうなんですか。綺麗な方ですね」
「あら、ありがとう。あなたは可愛いわねー。これからどんどん綺麗になるわよ」
「本当ですか!?」
「ええ。私が保証する」
何時の間にやら意気投合し始めている真琴とシーラ。
真琴としては可愛い妹のような感覚で、シーラとしては頼れるお姉さんのような図式が成り立っていた。
「そうそう。私は真琴って言うの。沢渡真琴。よろしくね」
「はい。私は、シーラ・ゼナフと言います。よろしくです!」
「……普通初対面であんなにうち解けるかね?」
「お姉様って昔から人と馴染むのが早かったわよね……」
じゃれ合うシーラと真琴を見て祐一と美咲は朗らかに笑っていった。
しばし、シーラと話をしていた真琴は祐一と美咲の姿がないことに気付いた。
辺りを見回しても二人の姿は何処にもない。一体何処へ消えたのか。
考えるまでもなく着替えに行ったのだろうと推測が立った。ならば自分は何処かで待つことにしようか、それともここにいようか。
「あの、リビングの方にいてくださって良いですよ。あの二人は私が呼んできますから」
「あ、悪いわねー。じゃあ、お願いするわね?」
「はい」
元気良く返事をして、シーラは階段を上がっていった。
さて、自分はリビングで待つとしようか。
「でも、何処にあるのかしら?」
まあ、適当に歩けば着くだろうと考えて真琴は手近なドアを開けた。
「って、いきなりビンゴ?」
これから色々と部屋を回っていくフラグが立ったのに一部屋も見ることなく本命を当ててしまうとは……。なんだか損したような幸運のような。
真琴は自分の引きの強さに悩んでいた。しかし、ある考えに辿り着く。
そうよ。ここがリビングって解ったんだから他の所に行っても迷わないって事よね。つまりは、屋敷を見て回ることも可能!
思い立ったが吉日、善は急げ。とにかく、真琴は踵を返して他の部屋に行こうとした瞬間、目の前のノブが動いた。
「へ?」
「あら。お姉様、どうしたんですか?」
扉を開けたのは私服姿の美咲だった。白のブラウスと黒いロングスカートでシンプルにしているが彼女自身が放つ高貴さから何処か格調高い雰囲気が出ていた。
「あ、いや、何でもないのよ。うん、何でもない……」
あははははと乾いた笑いをあげる真琴に美咲は眉を顰めるが気にした風でもなかった。
「……後で案内くらいしますからじっとしていてください」
「あ、やっぱり解ってた?」
「何となくですけど」
真琴の意図は簡単に分かった美咲。行動パターンは誰かさんと一緒だからだ。
美咲は手に持っていたトレーをテーブルに置いて、御茶を入れた。
「紅茶で良いですか?」
「ええ、貰うわね」
紅茶を一口含んでから真琴は祐一は何処に行ったのか尋ねた。
「トイレ、とか言ってました」
「あ、そう。んじゃ、ここには私達だけしかいないと?」
「そう言うことになりますね」
美咲はやや構えた返事をする。真琴の突拍子もない発言や行動はやはり誰かに似ているからだ。そして、その事に少し嫉妬しているのも自覚していた。
彼の行動理念が真琴を参考にされているのが少し悔しい。いや、多分自覚していないだけで実はもの凄い嫌悪感を抱いているのかも知れない。
彼の初恋の人に。
「でさ、聞きたいんだけど……」
「何でも答えますよ」
「うん。あなた達って付き合ってるのよね?」
まあ、質問の内容としては無難な物だった。祐一と美咲の雰囲気からそれが解らない方が可笑しい。さらには同じ家にまで住んでいるという事実から、曲解も何もなかった。
美咲は事実なので頷く。
「じゃ、さっきあったシーラちゃんは?」
「色々と面倒なことがありまして、こっちにホームステイしてます。親御さんの許しも、相沢夫婦の許しも得てます。まあ、あの二人が引き取りたいと言ったんですが」
「そうなの。変わってないみたいねー、あの四人は」
懐かしむように遠い目をする真琴。昔のことを思い出して笑っていた。
「ふふ、会ってみたいものね」
「仕事が忙しいみたいですよ。もうしばらくは帰って来られないって言ってましたから」
「あら、残念。でも、何時かは会えるわよね?」
「多分、確実に」
美咲はカップに紅茶を注ぎ、一口飲んだ。
「でさでさ、あんた達何処まで行ったの?」
いきなり下世話な話題を振ってくる真琴。口調も何処かしら砕けてきている。
それは美咲との会話で昔を想起された所為なのか、それとも今までの会話で現在の美咲に慣れたのか。真琴の性格からして、両方ともだと思われた。
美咲は苦笑しつつ、とりあえずフィルターを張って答える。
「まあ、一通りは……」
「どこまでっスか? どこまでっスかぁ!?」
何やら興奮気味の真琴。
それを見て美咲はしまったと思う。彼女の性格からしたら曖昧な物ははっきりとさせるタイプだ。解らないことには徹底的に挑みそれでも解らなければ諦めるが、今回の場合ははっきりさせられる。真琴の追求は熱を帯び始めていた。
「一通りって事はないでしょ? あんたの場合あの子を強引に誘うとかしてそっち方向に持って行くでしょ? どこからか仕入れてきたものとかを実戦してみたくタイプだから、とにかく何でも試したはずよ」
真琴の言葉は正鵠を射ていた。
美咲としては新しく得た知識という物は実戦してみたくなる物なのだ。誰彼構わずと言うわけではないがとにかく実戦する。
そしてその結果次第で以降自身の手の内として取り込むか破棄するかを決めるのだ。
「あ、ちゃんと避妊はしてる? あんた達なら問題無さそうだけど、しておいて損はないわよ。子供作るならせめて高校卒業してからにしなさい」
「教師としての台詞じゃありませんね」
「良いのよ、別に。今日はもう先生の時間は終わったんだから」
「…………」
教師としてと言うか大人として今の意見はどうなのだろうかと言いたい美咲だが、どうせ軽くいなされてしまうだろうと思いそれは口にしなかった。
代わりに紅茶を飲んで言葉も飲み込む。
そんな折り、リビングのドアを開ける音がした。
そちらを向けば祐一が入ってくるところだった。
「遅かったわね」
「ん。ちと着替えに手間取った」
いつもなら着替えの手伝いまでする美咲だが、祐一が断ったのだ。彼としてはお客を持たせているのだから茶の一つくらい出しておけと言うことらしい。結局美咲は自身の着替えを済ませて御茶の用意をして、ここに来たのだった。
「てっきり私は迷ってたのかと思ったわ」
「……似たようなことがあるだけに反論できない」
学校の校舎で迷った経験のある祐一はこの屋敷でも迷いそうである。戦闘能力は恐ろしいほど高いのに何故方向音痴なのか美咲は不可解でならない。
「祐はコーヒーだったわね」
「すまんね」
紅茶のポットの他にコーヒーのポットも用意していた美咲はこぽこぽとコーヒーをカップに注いだ。
祐一もソファに腰掛けてそれを受け取る。
「んー、あんた達見てると老後の夫婦みたいね」
「……何故か」
「……良く言われます」
二人はどちらかと言えば受動的な人間だ。何かが起きて初めて行動すると言ったもの。自分から何かを起こすと言うことはしない。なので、静かな二人が何するでもなく一緒にいる現場を見ると縁側で日向ぼっこをしている老夫婦に見えるというわけだ。
「お姉様はあの後どうしてたんですか?」
話題の振りとしては極自然なものである。祐一はコーヒーのカップ片手に聞いてみた。
「引っ越した後は、地元の高校に行ったわよ。先生になろうって思ったのは、大学入ってからかなぁ。大学のカリキュラムの中で教職課程があったから受けたのよ」
「先生になろうって思って入ったわけじゃないんですか?」
「そうね。目的もなく入ったって言うのが本音かな。それで、パンフレットを貰ってから教師も良いかなぁって思ったのよ。で、『やるからには全力で』がモットーの私としては頑張ったわけよ」
「へー、てっきりなりたいからなったのかなぁって思ってましたけど……」
「そうでもないわよ。今の教師って不祥事とかが多くて人気無いのよ。しかも、人手不足なもんだから簡単に就職できたりするんだこれが」
「……この不況の中でそんな簡単に職を決められると言うのは幸せですね」
美咲の皮肉気な言葉を聞いて祐一は違和感を感じた。なんだか何時もと少し違う気がする。
怒っているような、苛立っているような、そんな感じだ。
「友達の中でも就職浪人とかいて、大変よ。私は幸運にもあの学校には入れたしね。しかもあなた達までいるんだから本当に幸運」
嬉しそうに笑う真琴を見て祐一は彼女が心から自分達との再会を喜んでいるというのが解る。その笑顔につられて祐一も笑顔になっていた。
それを面白く無さそうな顔で見る美咲には気がつかなかったが。
しばらく、昔話に花を咲かせたところで窓の外が紅く染まり始めた。そろそろ夜の帳が降りてくる時間である。
「あ、そろそろお暇しなきゃね。あんまり長くいるのも悪いし」
「……何だったら夕食、食べていきますか?」
「え? 良いの?」
その言葉は意外にも美咲から発せられた。嫉妬に駆られて真琴を敬遠するのは間違っていると自覚しているらしくどうせならと言った感じだった。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな。そうだ。何なら手伝うわよ?」
「いえ、お客さんにそんなことをさせるのは恐縮ですので……」
「何他人行儀になってるのよ。私とあなたの仲じゃない。遠慮することはないわよ?」
「それでも、手伝って貰うのは拙いじゃないですか」
頑なに真琴の手伝いを拒む美咲。しかし、拒まれれば強引にでも実行しようとするのが真琴であり、沢渡真琴としての性だった。
「……じゃあ、あなたが一品作って、私が一品作るってのは?」
「駄目です。今回は大人しくしててください」
「……まるで毎回毎回騒がしいみたいな言い方じゃない?」
「今までがそうでしたから」
なんだか事態が変な方向に進み始めている。それを感じ取った祐一ではあるが、目の前の二人の女性は彼の生涯の天敵と言って良いほどの実力の持ち主。下手に口を挟めば自分の精神と肉体がボロボロにされる恐れがある。祐一は静観することしかできなかった。
「今まではそうかも知れないけど、今は違うわよ。ただご飯を作るだけじゃない」
「昔もそうやって、妙な調合をした料理を食べさせられた覚えがあります。あれは、不味かったわ」
その味を思い出してしまったのだろうか、美咲は口に手を当ててそっぽを向いてしまった。
「当時は修行が足りなかっただけよ。今はちゃん自炊できてるんだから。下手な物は作らないわ」
「でも、今は料理の実力ではなくて、お客様に夕飯の支度を手伝わせるのは変という話です。この際料理の実力は全く関係ありません。例え、食べられない物を作るほどのスキルを持っていようとも」
かっちーん
祐一のはそんな音が聞こえた。
今の美咲の言葉は真琴の頭に大分来たようである。いつになく態度が刺々しい。このままでは乱闘になるかも知れない。しかし、こういう女の戦いに男は全くの無力なわけで、祐一はやっぱり静観することしかできなかった。
「ほほぅ。私が人様にお出しできないような料理を作るとでも思っているのかしら?」
「お姉様がそうだとは言ってません。あくまで例え話です」
「それは私を見ながら言って欲しいわね。まるで私がそうだと言ってるみたいで気分が悪いわ」
「姉さんの腕は信じてますが、それと実力とは別です。料理なんてレシピ通りに作れば食べられる物くらいは出来るんですから」
言外に、食べ物で作ったのだから食べられないはずがないと言っている。真琴の笑顔が段々引きつってきた。祐一はビクビクしながらもその場から離れることは出来ず、このと成り行きを見守るだけだ。もし少しでも動く素振りを見せたら、自分が標的になるか、生け贄になるかのどちらかしかないのだから。願わくば、このまま自分に気付きませんように。
祐一の願いは切実だった。
「私の腕はそこまで酷くない! 大体ね、私は感謝の気持ちを持って手伝おうとしてるだけよ? それを無碍にすることはないんじゃないかしら?」
「それは有り難く受け取っておきます。ですから、姉さんは大人しく座って待ってて下さい」
先ほどから美咲は一言多い気がする。なんでだろう?
「だから! 身内に遠慮する必要はないって言ってるの!」
ばんとテーブルを叩いて声を荒らげる真琴。対して美咲は醒めた目で真琴を見ているだけだった。
「親しき仲にも礼儀有り。今回は黙って座っててください」
「いいえ、絶対に引かないわ。何が何でも手伝わせて貰うわよ」
両者の視線がバチバチと火花を立てて放電している。気の流れが見える祐一には本当に気が衝突しあっているのが見ていた。
(こりゃ大事になってきたなぁ。その前に、飯は何時食えるんだろうか)
先ほどから、小さく鳴っている腹を撫でて祐一はそんなことを考えていた。既に思考はこの場のことを考えるものではなく、明日のことや今日あった楽しいことなどを意識的に選んで再放送していた。
一言で言って、現実逃避である。
「では、そう言うことで良いんですね?」
「望むところよ!!」
何やら決着が着いたらしい。祐一は思考を現実に切り替えた。
「では、今から一時間で祐に美味しいと言わせた方が勝ちです」
「げっ!?」
何もしないでも自分は生け贄になってしまった。祐一は自分の不幸を嘆いた。
どたどたと、台所に駆け込んだ二人は台所のドアを閉めて誰の侵入も拒んだ。
開かずの間で繰り広げられる料理対決が見られないのは残念だが、これから自分に降りかかる苦難に比べれば、どうと言うことはない。
途中から帰ってきたロークにも事情を説明し、シーラと祐一、ロークの三人は戦々恐々と言った体でドアが開くのを見守っていた。
そして、一時間後。
「遂に地獄の蓋が開かれたのだった」
「誰に言ってるんですか?」
「いや、雰囲気的に……」
鬼気迫る表情で皿を運んでくる二人の形相を見れば納得のいく表現だった。
どんと音を立ててテーブルに置かれる二つの料理。
美咲は麻婆豆腐。真琴は青椒肉絲(チンジャオロース)。
奇しくも、どちらも中華系であった。
『さあ、食べなさい』
男として、これは最高と状態というのは解る。しかし、それ故のリスクもちゃんと背負っているわけで。どちらか一方が美味しいと答えれば、報復はあるだろう。
よし。ここは一つ引き分けと言うことで……。
「引き分けなんて言ったらどうなるか解ってるわよね?」
「…………………………」
不自然なほど綺麗な笑顔で言う真琴お姉様。対して、美咲は無表情に指をゴキゴキと鳴らすのであった。
シーラとロークは十字を切って涙を流してくれている。しかし、助ける気は皆無のようだ。
この状況は自分の評価一つで地獄に転ぶか地獄に転ぶかのいずれかを取る。と言うか、どっちを選んでも地獄には変わりなかった。
ならば、よりどちらが軽い地獄で済むだろうか。祐一は普段使わない脳味噌をフル回転して考えていた。
「ほら、冷めない内に食べてよ」
真琴が急かす間も思考を回す祐一。とにかく今は時間が必要だった。しかし、目の前の美女達はそれを許してくれそうにない。
ならば、租借する時間を多くして血路を開く。
祐一は勇敢に箸を構えていざ、料理を食べようとしたが、そこで圧倒的なプレッシャーがのし掛かった。
プレッシャーは目の前の二人から放たれている。
どちらの料理を先に口にするかでも争っているのだ。ここに来て祐一は自分の考えがどれだけ浅いか思い知らされた。もはや、料理の美味い不味いの問題ではなく相手よりどれだけ自分が優れているかの勝負となっていた。多分、対象は不肖この相沢祐一。多分景品も兼ねている自分だった。
一体どうしろと言うのだ!
そう叫びたいが、それすらも許さない加圧下に曝されているため喉は思うように動いてくれなかった。
祐一は、腹を括るしかなかった。
どちらにせよ食べないことには終わらないのだ。どちらが先であろうと、とにかく食べないことには。祐一は、意を決して美咲の麻婆から食べることにした。
「ちっ」
「っし」
明らかに、年頃の女性がすることではない舌打ちと、喜怒哀楽の変化を見せない美咲のガッツポーズ。シーラとロークはその美咲の仕草に驚いていた。
「ミサキさんって結構負けず嫌いなんだな」
「違うよ。あれは嫉妬からだよ」
「ああ、なるほど」
そんな兄妹の会話を余所に、祐一はもぐもぐとしっかりと味わう。
唐辛子の辛さと、肉汁の絶妙なバランスが彼の好みにクリーンヒットしていた。しかし、ここで表情を出すわけにもいかない。
祐一は、水を一口含みし、今までの味を胃に流し込む。
次は、真琴の青椒肉絲だ。
期待に目を輝かせる真琴を横目で見て、罪悪感が込み上げてくる祐一。もし、最初に選べばもっと喜んでいたかも知れない。しかし、それは美咲も同じである。
どっちを選んだにせよ、順序は決まってしまうのだ。過ぎ去った過去の悔念は今は捨てて置いて、祐一は青椒肉絲を食べた。
しっかりと火が通ったピーマンと竹の子の食感が口内で弾ける。かりっと焼かれた牛肉がジューシーな汁を流して香ばしい薫りを引き立てた。
ゆっくりと噛んで、漸く最後の一欠片を飲み込んだ。ここまでの間、祐一は何も考えられなくなっていた。あまりにもハイレベルな戦いに完全に心を奪われていたのだ。もはや、この場をどうやって終結させるのか思い付かない。彼女達の実力と執念を甘く見すぎていた。
祐一は箸を置いて、目を瞑って考える。
その間、美咲と真琴は真剣な眼差しで祐一を見つめるのだった。
一分、二分。五分は経っただろうか。
静寂の中でカチカチとなる時計の音だけを聴いていて時間の感覚が無くなってしまいそうになった頃、美咲が唐突に席を立った。
トイレかと誰もが思ったが、美咲は祐一の横に立っただけ。何をするのか、全員が見守る中美咲は大きく手を振りかぶった。
「ふんっ!」
ぱかんと小気味いい音を立てて祐一の頭を叩く。祐一の頭はそのままテーブルの角に打ち付けられ、椅子から転げ置いた。
「痛っ!? 痛いっ! おおおおおおぉぉぉぅぅぅぉぅぅおぅう」
聞き取りづらい声をあげながら床を転げ回る。バタバタと足を動かして、手を額に当てて何とか痛みを忘れようとするのだが、かなり痛いらしくどうにも治まらなかった。
「いってー。いきなり何をする」
「寝るんじゃない」
「うっ」
「む」
美咲は祐一が寝入っているのに気付き頭を叩いたのだ。しかし、それには気付かなかった真琴はちょっとムッと来た。良く解らないが、あの二人を見ているとなんだか怒りが湧いてくる。
祐一が寝ていることに気付いたのは美咲だけ。自分は気付かなかった。それだけ二人の仲は深いと言うことである。それが、なんだか羨ましくもあり憎らしくもあった。
「さっさと答えを出しなさい」
「あー、いや、二人とも美味しかったですよ?」
「私が聞きたいのはどっちが美味しかったか」
「どちらも甲乙付けがたく……」
「料理評論家の真似は良いからさっさと言え」
「ぎゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!? 痛いっ! 痛いですよー!!」
何かとはぐらかす祐一に美咲のアイアンクローが炸裂中。ギリギリと頭蓋骨が潰れていく音がリアルに聞こえてます。
「ユウイチさん。いい加減な態度をとるから女性に怒られるんですよ」
「兄さんもそうでしょ?」
「僕? 生憎と女の人とは縁がないよ」
「ホントに〜?」
「ホントさ」
シーラとロークを尻目に美咲のアイアンクローはなお続く。
祐一は頑張って美咲の手を振りほどき、顔が変形してないか確かめてそれほど変わっていないことに一安心した。
「こら! 男前が台無しになったらどうする気だ!?」
「良いわよ。それでも私が貰ってあげるから」
「む」
今の台詞は真琴的に許容しがたい物だった。なぜだか解らないが、駄目だった。
「そうよねー。祐ちゃんに体罰を与える女の子なんて恐くていやよねー。ここはお姉さんが撫でなでしてあげようねー」
「お、お姉様!?」
真琴の意外な行動に戸惑う祐一。美咲は目を恐いほど細めて睨み付けた。
「姉さん。遂に本性を現したわね」
「ふっふっふ。それを気付かせてくれたのは美咲、あなたよ」
「くっ」
「まあ、昔からどことなく危なっかしい感じはあったし、何より私の好みのタイプだったのよねー。しっかり捕まえてないと危険なところに行っちゃうから優しく包んであげないとするって逃げちゃうのよね。やっぱ、その役目は年上のお姉さんって宇宙誕生から決まってるのよ」
真琴参戦。
「その役目はこの十八年間側で見守り続けた私の役目です。姉さんではありません」
「い・や。祐ちゃんは私が貰う」
「させないわ!」
「奪ってやるわよ!」
祐一占領権を賭けた第一次Y・A争奪戦はこうして勃発した。
やかんが飛び、おたまが飛び、フライパンが飛び、マイナスドライバーが飛び交う中。祐一は匍匐前進で食堂を何とか脱出した。
なんだか良く解らないが、自分が原因で大戦が起こってしまったらしい。しかし、自分にはあの二人を止める技量も実力も何より度胸もなかった。
今は、逃げることのみである。
匍匐前進を続けると、シーラとロークが何やら言い合っていた。
「シオリさんとは一体どう言う仲なの!?」
「だから、別に何でもないって言ってるだろう!」
「なら、何で公園で絵なんて描き合ってたの!?」
「あれは、たまたまだって!」
「ミサキさんは……ち、チチクリ合ってたって言ってた!」
「なっ!? あの人はなんて事を……!?」
言って、ロークは食堂へ駆けだして、丁度飛んできた鍋が顔面に直撃して気絶した。
「……確か、ヴァレンシアお抱えの暗殺人だよな、あいつ」
「兄さん! 聞いてるの!?」
「多分聞こえてないと思うぞ」
伸びているロークにあーだこーだと説教をするシーラに祐一は小さく呟いた。多分、自分が言っても聞きはしないだろうから。
それよりも今は身柄の確保が先である。
「とりあえず。北川の家に逃げるか」
祐一は、避難先に向かったのだった。
「一応言って置くが、フォローはしないぞ?」
「それでも良い! とにかく避難させてくれ!」
匿うことの条件として、昼飯を一食奢らされることとなった。
背に腹は代えられない。今を生き抜ければそれで良い。
「お前。そんな刹那的な生き方してると、後が恐いぞ」
「良いんだ。後悔は嫌って言うほどしてるから」
もう何も言えない北川だった。
「祐一は私が貰うの!」
「渡さないって言ってるでしょーが!」
その晩。
相沢邸からは絶えず、賑やかな声が聞こえていたそうだ。