その日、六課は平和だった。

「八神部隊長、少々よろしいですか?」
「ん? シグナム? ええよ。なに?」

 部隊長室の扉を叩いたのはシグナムだった。トレードマークの結った長い髪が彼女のあとを追うように揺れる。
 はやてにとって密かな楽しみが、そのシグナムの髪を追うことなのだが、今回は自重しよう。常々厳しい顔つきをしている彼女だが、今回はなお厳しい顔をしている。余程の事があったと見て良いだろう。

「お忙しいところ申し訳ありません」
「まあ、忙しいっちゃあ忙しいけどもな。自分の部下と話せない程でもないよ。んで、なにかあったん?」

 そうはやてに訊ねられたシグナムは、奥歯を噛み、右手を握りしめて、憎々しげに告げたのだった。

「――休暇を、ください」
「……………………………………………………………………………………は?」






















Dual World StrikerS

Episode 09 「休暇」
From "Lyrical Nanoha StrikerS" (C) 2007
Presented by 大岩咲美 [TRASH BOX type2]





















 直通通信が入ったのが始業時間前の八時五十分。
 丁度デスクに着いたばかりだったシグナムが通信を受けた。発信者は管理局の総務課。しかも課長である。形式的な応対をした後、総務課長はシグナムに残酷なことを告げたのだ。

『シグナム二等空尉。有給申請が少ないですね?』

 疑問形の癖に断定の雰囲気を出してきたその老年の職員はさらに言葉を付け加えた。

『今までは航空隊にいたからその辺りは大目に見てきましたけど、遺失物管理部に配属になったからには、きっちり休みをとってもらいますからね?』

 やはり疑問形の癖に断定の雰囲気を出してそんなことをのたまう老人に、シグナムは咄嗟にレヴァンティンを抜きかかってしまう。近年、異常なまでに手を出すのが早くなったと悩んでいた矢先のことだったので、シグナムはものすごく凹んだ。べっこべこである。
 航空隊時代は隊の性質上、緊急出動が結構な頻度で発生するので、有給はないも同然だった。航空隊の即時性故に、総務課もとやかく言わなかったのだが、この度遺失物管理部に所属変えになったため、こんなことを言ってきたようだ。
 実際、現在六課は暇だ。航空隊時代とは比較にならないほど時間を持て余している。午後三時のおやつをほぼ毎日食べられるのが証拠だ。

『他の職員は半休で誤魔化してますけど、本当なら丸一日休んでもらわないと困るんですよ、福利厚生として。管理局はその辺に力を入れてる組織なので』

 事実だった。実働部隊であっても、休みが必要なら申請すればきっちり休めるようになっているのだ。人手不足に悩んでいる管理局だが、だからと言って現有戦力を擦り減らすまで使って、その総数を目減りさせたくはない。余力がないなりにもどうにか補充出来るようになんとかするのである。で、それを何とかしてるのが総務部であり、運用部なのだ。

『だから、半日、いえ、今こそ一日は休んでもらいたいんですが、よろしいですね?』

 そうして、疑問形の癖に断定の雰囲気を出してそんな酷なことを宣言されたシグナムは、機械的に頷くことしかできなかったのであった。

〜・〜

「……そのおっちゃん、欲しいかも」
「やめてください」

 はやてのボケは置くとして、はやてもその話には納得できる。
 恭也の影に隠れているが、シグナムもワーカーホリックに近いのだ。と言うか、仕事が恋人くらいの勤務歴である。
 夜天の魔道書の守護騎士システムであるから、ある程度の長期任務や負担が大きい環境への遠征にはもってこいなのである。しかも、期待以上の成果を時々上げてくるので、全員が重宝してしまう。
 そう振り返ってみると、なんとシグナムにおんぶに抱っこだったのだろうか。今までは所属が違ったが、自分の部下に配属されたからには、ゆっくりしてもらえるようにも配慮するべきだった。

「あかんなぁ、恭也さんの事で頭がいっぱい過ぎたわ」
「いえ、それくらいでないとあの男を御しきれません」
「……それを簡単に想像できてしまう自分が憎い」
「誰もが思うことです」

 強烈な個性は、やはり使い方が難しいようである。

「ともかく、そういう理由ならええよ。そりゃ緊急の時はトンボ帰りやけど、休暇くらいなんぼとっても構わへん」
「そう仰いますが……」
「だってもう返事してもうたんやろ? 約束は極力守らなな」

 絶対と言えない自分に、はやては自嘲してしまった。いつだか聞いた、恭也の言葉を思い出したのだ。大人になってみれば、確かに約束を守りきれないことが往々にして起きる。勤務十年で何度もあったものだ。その度に謝り倒したのだが。

「解りました」
「あ、ついでに恭也さんも休ませてなー」
「またですか?」
「だって、あの人、日がな一日中幼女と戯れるか刀振ってるだけなんやもん。俗世間と隔絶しすぎてて変態の仲間入りしとるやん」
「仰る通りです」

 シグナムに恭也を弁護する気はなかったようである。

「ついでに例のあれ、やってくれへん?」
「マジですか」
「マジでや」

 嫌がってみせたシグナムだが、休暇となるとはやてが言うところの「例のあれ」をしなければならないので、選択の余地がない。
 憎むべきは広報部だが、彼らも次世代の職員集めに頑張っていることを思えば、自分ひとりの恥辱がなんだと言うのか。
 ――――やはり燃やすべきか。

「……では、今日一日、休暇をいただきます」
「はいな。リフレッシュしてきてやー」
「はっ」

 そう畏まって敬礼をするシグナムに、夜天の王は苦笑いを浮かべるのだった。
 彼女のリフレッシュは、前途多難のようだ。

〜・〜

 部隊長室を出たシグナムはその足でなのはの部屋――すなわち、ヴィヴィオが生活する部屋へ向かった。護衛のシフトは現在恭也が担当している。自分とザフィーラと恭也の三人で持ち回り役を交代しているので、このスケジュール通りなら、ここに居るはずだ。
 大抵の仕事は手を抜きたがる男であるが、それは管理局の仕事であるからこその態度だった。彼が本来所望する『護衛』という役目に関しては一切の妥協をしない。先のホテルアグスタ防衛戦前の任務時にその点が出ている。
 自分が自信を持てることに対しては誠実で実直なのだが……、

「それを通常業務に向けて欲しいものだな。一割でもいいから」

 まあ、高町恭也という男がそんな妥協をした瞬間、シグナムはシャマルに記憶を弄らせる気満々であるが。
 そうこう考えているうちに、なのはの部屋に着いた。インターホンを押すと、やや待ってスピーカーから返事が返ってきた。

『はーい、どちらさまですかー?』
「……ああ、ヴィヴィオか。私だ、シグナムだ」
『しぐなむ? ……あけていいの?』
『……問題ない。気配は一つだし、それ自体シグナムのものだ』
『じゃあ、あけるねー』

 護衛の仕事はしっかりやっているらしい。確認方法は相変わらずだったが。

「…………ふむ、絵を描いていたのか」

 なのはとフェイトの共同部屋のリビングテーブルに広がる数枚の画用紙とクレヨンを見てシグナムは思わず呟いた。
 ヴィヴィオはグーで青いクレヨンを握って勢い良く紙に走らせている。遠目からだが、どうやらザフィーラを描いているようだ。
 脇によけられている絵を見れば、なのはやフェイトの姿も見える。そして、当然ながら恭也のもだ。

「お前も描いてもらったのか?」
「真っ先に描かれた。まあ、目の前に被写体があるからだろうが」
「……なのはが身元引受人だが、共にいる時間はお前の方が長いからだろう」
「何の因果か、そうなってるがな。ともあれ、この子は人の特徴をよく捉えている」

 恭也の言葉通り、この年代の子供にしては、誰と判別出来る絵を描けるのはなかなか絵心があると言っていいかもしれない。
 シグナムは恭也と真向かいのソファーに座った。

「それで? 何の用だ?」
「ああ、そうだった。お前のシフトだが……」
「見ての通り、仕事中だが?」
「別に仕事ぶりを確認しに来たわけではない」
「じゃあ何しに来たんだ?」

 唐突な訪問に恭也は想像を色々と巡らせているようだった。
 十年顔を突き合わせているシグナムが見るに、ここ数日の行動を振り返っているようだ。常人には気付けないほどの微妙な表情の変化の中に、他人に知られるとまずいようなことが混じっているようだが、シグナムはその点を突く気はなかった。
 なにより、これから自分は休暇に入るのだ。それもこの男を伴って。

「実は私はこれから休暇を取る事になってな」
「珍しいな。お前が自分から休むと言い出すのは」
「総務の課長に直接言われたのだ。所属が変わった途端態度を変えるのはどうかと思うが」
「天下の航空部隊だ。任務優先だろうよ。まあ、事戦いに関係する部隊は何処も似たようなものだがな」
「ウチも戦いを重きにおいてるが、名目上は調査部隊だ。となれば、福利厚生をきっちりさせておきたいそうだ」
「書類上の話だろう? 休暇申請しておけばいいだけじゃないのか?」

 本来ならいけないことだが、休暇申請をしておきながら現場に出ている職員は少なからずいる。そう言った人間は大抵が、通常業務が緊急出動などで滞っているのがほとんどだ。そこで、書類上休みという形をとっておいて、溜まっている業務を消化してしまうのである。
 ただ、休暇申請中であるので出動は流石に無理、と言うことになっているので、出撃がかかったときはよほどの時でない限りは、全員が出払った静かなオフィスで黙々と書類と格闘することになる。
 恭也には考えられない話だ。

「まあ、私もそれは考えたのだが……この部隊はあちらほど忙しくない。気がつけば一時間デスクに座っていることもある」

 航空隊時代では考えられないほど暇だった。その暇な時間の中で思ったのは、自分は少し働きすぎ――いや、戦いに没頭しすぎていたのではないか、と言うことだった。
 夜天の魔道書のバックアップがなくなった今、シグナム達ヴォルケンリッターは老いはしないが、人と同じようにいつか消えることになる。そんな存在に変わったというのに、やっていることはあまり変わっていない。
 そこにシグナムは少々思うところがあった。

「この十年を振り返ってみると、昔ほどではないが闘い漬けだったことは変わらない。王を守ることが騎士の勤めであり、剣腕の研磨は至上命題だが、主はやての意向にそぐわない、と考えてな」
「騎士馬鹿も時には道に迷うのか」
「…………とある剣術馬鹿を見ていると、他のことにも目を向けろと思うようになってな」

 他人の振りみて我が振り直せ。
 シグナムと恭也は、行動と思考が似通っている。どちらも、ある目的のために自分を鍛える。似たもの同士が近くにいたからこそ気付けたと言っていいだろう。

「何でも俺の所為にするな」
「だが、お前がいなければ私がこういう考えに至ることもなかっただろうな。これはこれでありがたい変化なのかもしれん」
「確かに、昔に比べれば十分柔らかくなったかもな。いや、昔の方が固まりすぎてたのか」

 恭也の言葉に、シグナムは苦笑を浮かべた。

「だから、私も剣以外のことを色々試してみようと思うのだ」
「それを言うためにここに――俺に会いに来たのか?」

 言外に、そろそろ本題を言えと、恭也は促した。
 それを受けて、シグナムは何食わぬ顔で告げた。

「お前も休暇を取れ。これは部隊長命令だ」
「……またか!」

 前回も強制的に休日にさせられた。またしてもはやてである。
 確かに、自分から休暇など申請しない。しかし、そうでなければ剣腕が落ちていくのだ。これは仕方のないことなのだ。決して休日にやることがないわけではない。わけじゃない!

「主が言うには、幼女にかまける中年オヤジの社会復帰計画の一端だそうだ」
「なんだそれは!? 俺はノーマルだぞ!?」
「しかしなぁ、ヴィヴィオの懐き方を見れば、怪しい小細工で手懐けているようにしか見えんぞ」

 自分の名前が出たからか、ヴィヴィオが手を止めて、シグナムに顔を向けた。

「? よんだー?」
「いいや。我々のことは気にするな」
「うん、わかったー」

 素直に続きに戻るヴィヴィオにシグナムは素直だなと簡単に感想をこぼす。

「俺は護衛しかしてないぞ。特に遊んでやった覚えもない」
「報告書に書かれていない事実があるだろう? そうだな、不破」
「あ、汚い真似をっ!」

 シグナムは強制的に恭也の愛刀――デバイスでもある不破に魔力を送り込んだ。
 起動にカートリッジが必要と言う仕様だが、それは恭也が保有する魔力量が極少なだけで、一般的な魔導師なら、自前の魔力で常時起動もできる。それを知っているからこその行動だった。

『――唐突に起こすな。私にも準備というものがある』
「毎度毎度、演出過多な登場を狙うな。昔のお前からすれば恐ろしいほどの変貌だぞ」
『高町菌重感染者だぞ、私は』
「誇らしいことなのか? それは」
「少し羨ましいな」
「どういう意味だシグナム」

 何故か目を輝かせている烈火の騎士に、恭也は本気で頭を抱えた。

「…………最近のお前らの壊れ方にはもういまさらツッコまんぞ。それで、俺に休暇を押し付けたってことを言いに来たってことでいいのか?」
「いや、ここからが本題だ」
「だろうな。この程度で終わるお前じゃない」

 個人的にどういう認識なのか問いただしたいところだったが、シグナムは自重した。

「―――私の休暇に付き合え」
「は―――?」

〜・〜

 毎朝のヘリの整備チェックを終えたヴァイスは、小休憩を取るため食堂に向かっていた。彼と同じく、整備班の人間を数人引き連れてだ。

「最近は出動もなくて暇ですねぇ」
「つっても毎日整備の仕事はあるんだよな」
「そりゃお前、いざっつー時に飛べませんでしたじゃ話になんないだろ」
「なら、テスト飛行させて欲しいっすよ。実際動かさなきゃ細かい調整出来ませんて」
「テスト飛行も飛行許可いるんだよな?」
「そうですよ。空路の申請出してるんですけど、返事がなくて……」
「やっぱ、中空逆立ちがやばかったのかねぇ?」
「いえ、テールによる尻文字の方じゃないかと」

 日々の仕事の愚痴を軽くこぼしながら、一行は格納庫から最短ルートの半分の地点であるロビーまでやってきた。そこから数十メートル進めば食堂だ。軽く食事をとるも良し、飲み物で喉を潤すも良し。それは各々の自由であり、暇すぎず忙しすぎないこの日々の寸暇だ。
 がしかし、彼らはその寸暇の享受を得ることはなかった。

「――ヴァイスさん、あれ、誰っすか?」

 整備員の一人――マーク・ブック二等陸士が呟くような声でヴァイスを呼び止めた。とは言え、その声には力がなかった。いや、入らなかったと言う方が正しいだろう。
 なにせ、彼は目の前のことに思考を九割方奪われていたのだから。

「……いや、誰よ?」

 ヴァイスもまたマークが指した方向を見て呆然とした。
 一団が見やる方には、コンパクトの鏡をのぞきこんで、前髪をちょいちょいと直している女性がいる。
 淡い青のブラウスにその上から羽織る白いジャケット。ウエストに細身のベルトを二本通したややダークレッドのロングスカート。黒いストッキングで茶色のロングブーツ姿の女性。目を惹く長い赤髪は緩くウェーブが掛かっているようで、彼女が身じろぐ度に、ゆるゆると揺れている。匂いが届くわけでもないのに香り立ちそうであった。

「ちょ、だれっすかまじで!! 六課にあんな人いました!?」
「いいえ、見たことないですけど……」
「つーか、レベルたかっ! 何あの完成度」
「おいおいおいおいおい!! 広報は何やってんだよ! あんな逸材いるなんて聞いてねーぞ!!」

 正気を取り戻した面々がヒソヒソとわめき散らす中、彼女に変化が訪れた。
 のぞき込んでいたコンパクトを慌ててバッグにしまい込むと、直立不動で固まったのだ。
 そんな彼女の視線を追うと、そちらから上下黒一色のまったく飾り気の無い中年男がやってきた。見た目は胡散臭さが漂うのに、身のこなしに全く隙が見当たらないこの男を見つけて、ヴァイスは咄嗟に呼び止めた。

「旦那!」

 呼びかけられて、旦那――いい加減、妻子持ちでもないのに旦那呼ばわりするこの男をどうにかしてやりたい――、高町恭也は女性に向かっていた足を止めた。

「なんだ?」
「なんだ? じゃねーっすよ!! あんた、あの人と知り合いなんスか!? つーか、エレノアさんとはどーなんすか!?」
「最後が繋がってないんだが……」
「今回ばかりは言葉尻だけとって誤魔化そうたってそうは行きませんよ!! 誰なんっすか、彼女!!」
「――だ、そうだが?」

 ヴァイスの詰めよりに、恭也は回答を渦中の人物に投げた。
 しかし、赤髪の女性は首を横に振るだけだった。

「ヴァイス、どうやら嫌われたようだぞ」
「なっ……んだと……!?」

 劇画調で慄くと、ヴァイスはそのままスロー再生のように崩れ落ちた。
 それに慌てた整備員達が慰めに、

「身の程を知るべきですよ、陸曹」
「声かける前に撃沈とか、さすがです」
「ああ、やっぱりにじみ出るものがそういうことなんすねぇ」

 慰め?

「……よく解らんが、用が終わったんなら俺は行くぞ」
「あ、引き止めてすんませんしたー」
「ああ。あと、そこのゴミは適当に処理しておけ」
「アイアイサー」

 襟首をつかまれて引きずられて行く有様は確かにゴミだった。いや、普通ならゴミ袋だって引きずったりはしない。つまりはゴミ以下の扱いということだ。

「妙な詮索をするから、だろうな」
「…………やっと行ったか」

 ほっと安堵の息を吐く女性に、恭也はそれ見たことかと言った。

「いつにも増して気合を入れたのが悪いんじゃないか?」
「そうかもな。だが、奴らが気づかなかったのは確かだ」
「ふむ、まあ、そうだな。だが、まだ画竜点睛を欠く」
「どういう……ああ、そうですね。口調がいつものままでした」

 口調を改めた女性は、気恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
 その変わり様を見て、恭也は毎回思う。
 女は猫をかぶるのが上手すぎる、と。

「で、シグナム。今日の予定は?」

 女性――休日用の変装をしたシグナムは笑みをさらに深めて言うのだった。

「それはおまかせを、父上」

〜・〜

 八神はやては六課の宿舎から出て行く人影を、部長室の窓から見下ろす。
 普通の視力しか持っていない彼女であるが、特徴的な長さの髪は遠目でもしっかりと見て取れる。
 ゆっくりと遠ざかっていくそれを見ていて、はやては思う。

「――お嬢キャラ最高」

 サムズアップが力強かった。

「ちょ、マイスター!? 鼻血! 鼻血出てますですー!! 医療班ー!! 輸血輸血ー!!」

〜・〜

 今日はデートなのだから、と嘯くシグナムは恭也の腕を抱きしめながら、臨海公園の遊歩道を歩いていた。
 天気は快晴。日差しはそれほど強くなく、透き通った青い空と白い雲のコントラストが鮮やかだった。恭也の感覚で言えば小春日和と言える天候だろう。確かにこんな日は仕事を忘れて羽を伸ばしたいものだ。
 だからまあ、シグナムの羽伸ばしに付き合うのは吝かではなかった。
 枯れた性欲、枯渇老人、などと揶揄される恭也であるが、それでも彼はまだ若い身空なのである。年若い女子を見るのは好きだと言えよう。ただ、それを大っぴらにするのは恥と思う程度の常識を持ち合わせているだけなのだ。
 その常識に照らし合わせて、己を自制した結果、相当突拍子も無い事態に陥っても冷静に対処出来る自制心を手にいれてしまっただけである。
 自分は悪くない。
 なので、今まさに左腕にほのかに、いや強く押し付けられる胸の感触を楽しむことができずにいたりする。

「……なあ」
「なんですか?」
「態とらしく胸を押し当てるのはやめて欲しいんだが」
「本当に?」
「…………………………」

 強く確認されると、否定したくなる男の性。
 度し難いほど救えないのが男という生き物だ。

「今日一日付き合ってもらうことへのささやかな御礼です」
「ならもうちょっと風情というか、場の雰囲気と言うか、そういう物に沿った対応をだな」
「今できるのはこれですので」
「あーそーかい」

 断固として腕を放す気はなさそうだった。

「しかし、こうして出歩くのも久しぶりですね、父上」
「そうだな。前回はいつだったか……」
「まあ。女性との逢瀬を忘れてしまうとは、酷い人」
「俺はこれでも多忙の身の上だ」
「ですが、今は閑古鳥が鳴いてますね」
「遺憾ながらな」

 息を吐く暇もないほどの激務が懐かしい。
 六課に転属してから、本当に暇だった。
 ヘタをするとデスクに座っているだけで一日過ごすこともある。
 スパイクフォースでは酷いときは日に三度出撃とか言う異常事態もあったほどだ。
 それほど六課は安穏としているのだ。恭也にしてみればカルチャーショックだった。
 それもこれも、隊の目的が違うからなのだが、そんな事を考えても詮無いことである。

「それで、どこに向かってるんだ? 海岸沿いを進んでるのは分かるが」

 右手に見える海原を眺めて、恭也はシグナム(お淑やかVer)に問いかける。
 一日シグナムに付き合うと決めてはいるが、無目的に歩かされるのは存外苦痛だった。
 せめて最寄の目的地は教えて欲しいところである。

「もう少し先まで。ここからですと、あと二十分程になります」
「……ああ、マリーナか」

 シグナムが目指す先はどうやらミッドチルダに点在するマリーナの一つのようだ。
 主に富裕層が所有するヨットなどが停泊している場所で、それに付随して中規模のショッピングモールもある。
 都市部ほど品揃えは整っていないが、観光地も兼ねているので、退屈は紛らわせられるだろう。

「そこでの予定は?」
「先日新しい喫茶店が開いたようでして。そこの味見をと。あとまだ行ったことがないので、色々と見て回ります」
「お前にそんな趣味があったのか」
「これでも心はまだ若いつもりです」
「じゃあ、俺はかなりのジジイだろうな」

 数百年生きているシグナムがこれだけ若々しいのに、自分はここまで老成している。しかも、齢三十を超えてからその傾向がより顕著になってきた。二十代の女性を見ても、ときめくなんてハートフルな情動が少なくなってきている。
 別段それを嘆くわけではないが……、そこに自身の衰えを感じてしまって、少々切なくなる。

「父上、娘の前でそう言う顔をするのはよろしくありません」
「む、どんな顔だった?」
「非常に落胆されていました」
「……別にお前を羨んだ訳でも、疎ましく思ったわけでもないから安心しろ。ちょっと、自分の歳について、な」
「そればかりはどうしようもありません」

 弱気になった恭也を、シグナムは優しく肯定した。
 しかし、返す手で彼女は別案を提案する。

「人は歳を取るものです。そして老いて死んで行く。それは逆らえない摂理です。ましてや、剣術家である父上ですから。剣腕が衰えることは我慢ならないことでしょう。ですが、別の道もあるのです」
「別の道?」
「老獪と言われる領域があります。それは蓄積した戦闘経験が成す、蛇蝎の如き戦術観です。場数だけならば、貴方はすでに英雄並に踏んでいるでしょう?」
「……それは同僚にも言えることだが……」
「あれは『戦争』です。『太刀合い』ではありません。その回数なら、貴方は誰よりも経験があるのでは?」
「…………否定はしないな」

 現代魔法戦闘は、基本的に火力にモノを言わせての鎮圧戦闘だ。
 一方的に攻撃し、その攻撃に耐えて、また撃ち返す。その繰り返しで、最終的に我慢できなくなった方が負ける。
 乱暴に言うとこう言う構図になる。
 だが、恭也を代表とする徒手空拳主体の武人は、魔法を含めた技術――即ちは『技』を以て、敵を打倒する。その過程で、自身の技の変化、ないし改良を迫られる場面がある。そうして『技』は『業』となる。

「しかし、その太刀合いを全う出来る相手に出会うのも一苦労でな。もう数年、まともな決闘ができてない。その観点から言えば、俺の剣はかなり鈍っているんだろう」
「……………………」

 シグナムは否定しなかった。しかし、肯定もしなかった。
 彼女にしてみれば、最早彼はそう言う次元を超えてしまっているように思える。
 不破と言うデバイスを手にし、剣士としては異質な手段を講じられる戦闘技術を修めてしまった。とすれば、すでに彼が言うところの尋常の相手は格下になっているだろう。
 それだけ魔法と言うものが優位に位置する技術だと言うことだ。
 本人はそれらの技術を、彼の基準である世界の人間にぶつけた事がないので実感出来ていないだけだろう。
 だが、とシグナムは思う。
 彼の故郷である地球は、自分たちが知らない独自の技術を研鑽している魔境なのだ。管理世界群の中でも、あれだけ特殊な能力や技術が褪せることなく脈々と受け継がれていると言う点では瞠目に値する。

「父上、老獪の領域に至るまでは今少し時間がかかるでしょう。ですが、手っ取り早い方法がひとつあります」
「ほう?」
「子を生すことです。具体的に言うと主はやてを嫁にもr」
「さて、そろそろ昼の稽古でも」
「父上」

 逃げようとする恭也の肘をロックする。もとより腕を組んでいた状態だ。
 如何な恭也とて、シグナムに腕を取り込まれていては逃げ出せなかった。

「……お前な。事あるごとにはやて嬢を引き合いに出すのはやめろ」
「これはかなり本気で言っています」
「はやて至上主義にしては、無謀な試みだと思うが?」

 恭也の将来性を考えれば、敬愛する主人の夫にするには、些か箔が足りない。いや、全然足りない。
 勤務十年でこれなのだから、釣り合いが取れるところまで百年くらい必要なのではなかろうか。
 そんな男に主を嫁にしろと迫る部下というのは、頭が沸いてるのではなかろうか。

「主の幸せを考えるに、この道が今のところ最善だと思っていますので」
「じゃあ、この先にもっといいのが出てくるだろ。結論を急ぐんじゃない」
「そうも行かないのです」
「なんでだ」

 毎度のことながらしつこい。
 ここ数年で、ヴォルケンリッターは二言目にははやてを嫁にもらえと責っ付くようになった。
 彼女たちが何を考えてるのか、恭也には理解の外だった。
 三十を超えて未だに三士の不良局員を、十九にして一部長を勤める少女に宛てがうなど、狂気の沙汰である。正常な人間の考えることではない。

「…………まあ、頃合いといえば頃合いですね」
「何の頃合いだ?」

 軽い決断をしたシグナムは、事もなげに言った。

「いえね。私、それとシャマルは、何を隠そうあなたに懸想していまして」
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――は?」

 絶句。
 全細胞が停止した恭也に、シグナムは畳み掛ける。

「十年です。この十年、貴方と付き合ってきて、私とシャマルは貴方に家族愛以外の愛を持っています。ぶっちゃけ好きです。愛してます」
「はあ!?」
「だからまあ、胸の感触を堪能したいのであれば、むしろこちらは望むところな訳でして」
「待て! 頼むから待て! 待ってください!!」
「急に丁寧語になるとは……、何かお有りですか?」
「あるに決まってるだろ! ちょ、なんだ? なんでそんなネタで苛めてくる!?」
「超本心です」

 えぇー?

「まあ、長く生きている私達ですから、その間、好きになった男性がいたこともあります」
「主だろ」
「ええ、主です」

 主以外には見向きもしないからな、この連中。
 ともあれ、シグナムたちにもそう言う感情を抱く瞬間があったのか。
 少し、父として寂しい、と恭也は思う。

「でまあ、あれこれあって閨のお相手などを勤めたりもしました」
「なあ、真昼間の海岸でそんなエロい話するのってどうなんだ?」
「開放的でよろしいですね?」
「お前は一度海に入って頭冷やしてこい」

 本気で頭が痛くなり始めた恭也に、シグナムは平時と変わらない冷静さをまとってのたまう。

「本当に、真面目な話、主をどう思っていますか?」
「娘」
「どう思っていますか?」
「念を押すな。あのな、妹より年下を嫁にもらうとか、怖いだろ。世間の目が冷たいだろ」
「世の中、二十六歳差で結婚とかあります」
「アレは特殊なの。旦那の経済力が凄いから出来るんだっつの」

 テレビと現実を一緒にするな。

「主はもう十九です。結婚を考える歳です」
「後十年必要だな」
「いいえ、それでは遅いんです。そうこうしている内に四〇になってしまう。それは何としてでも食い止めねば……っ!」
「悲壮な覚悟は結構なんだが……、やはりまだ早いんじゃないか? つーか、今すぐどうこうできる問題じゃないだろ」

 まず人を好きになるところから始めなければならないし。そして、好きになったとして、相手もはやてを愛してくれなければ駄目だし。更には、添い遂げようという覚悟と勇気が必要だし。
 これらのプロセスを通過するのに、急いで走って五年は必要だろう。まだ先の話だ。
 そう説明してやる恭也に、しかしてシグナムは満面のお嬢様笑顔で仰った。

「父上がお相手なら、明日にでも入籍できる準備が整っています。こちらの書類にサインと拇印を押していただくだけで……」
「用意周到だな! いつも持ってるのか!?」
「無論です。いつ何時、何があるか判りませんから」
「だとしても婚姻届を持ち歩くな。意味もなく恐ろしいぞ」

 ともかく、往来で振り回すものではないので、バッグにしまうように催促する。

「それでまあ、どうでしょう? 主と契りを結びませんか?」
「ません」
「オプションとして、私とシャマルが付いてきます」

 何についてのオプションなのかは丸分かりなので黙殺する。

「三〇超えたいい歳の男に十九の娘を差し出すとは何事だ。暇過ぎて脳が焼き切れたのか?」
「なきにしもあらず、といった所でしょうか」
「え、本気でそうなのか……」
「暇ができると、余計なことまで考えてしまうものです。その過程で、私は今後のことを良く考えます。そう、つまりは主の将来を、です」

 この十年、はやては救われた命の価値通りに生きてきた。
 助けられた命だからこそ、他の助けられなければならない命を救おうとした。
 だからこそ、捜査官にもなった。だからこそ、この部隊を作るまで至った。
 だが、この先。未だ長い時間が残っている人生をどう送るのか。それをシグナムは考えた。

「主の目指す先は、終わりのないものです。しかし、主はただの人であり、どこかでその道から別の道に進まざるを得なくなるでしょう。事が事ですし、その分岐点は然程遠くはありません。すでに十年経ちました。後十年続けられるかは、難しいでしょう」

 時に命題に掲げた命を落とすこともあるやもしれない。
 シグナムやヴィータの手の届かないところでそれが起きるかもしれない。
 ザフィーラやシャマルが間に合わないまま、はやてが死ぬかもしれない。
 だから、とシグナムは言う。

「私は主はやてのお命を守りたい。生きていれば、主が成したいことを成すことができましょう。また、衰えていくのなら、後継者を募ることも、育てることも出来る。私達ヴォルケンリッターは主の命と志を守りたいのです」

 恭也は、頷く。
 それは彼自身も思っていることだ。

「そうなれば、主には後継者が必然です。そして、それが身内ならば、あの方も安心出来るでしょう」
「で、俺に嫁に貰えと?」
「そういう事になります」

 付け加えて、とシグナムは繋げる。

「父上。私はプログラムとは言え、女です。男性を愛することもあります。この人ならばと思うこともあります。そして今代、その対象が貴方なのです」

 恭也の腕を掴む手に、知らず、力が入った。

「歴代の夜天の書の主に男性は多数いました。しかし、私が懸想を抱いた数は片手で足りるほど。シャマルに至っては、過去に一人。戦うための存在だった私達が心を許したのはその程度です。だから、誇ってよろしいと思います。貴方は、我々の眼鏡に適った、一廉の人物だと」
「………………………………」

 その評価に、恭也は押し黙った。
 その沈黙に被さるように、シグナムはなお言葉を掛ける。

「決して酔狂ではありません。様々な打算も含んでいます。ですが、貴方ならば主を、そして我々を預けるに足ると、そう思っているのです。十年前のあの夜。我々の出会いは、運命だったと言っても過言ではないでしょう。この出会いがなければ、主は救われなかったでしょうし、リインフォース――いえ、不破もまた救われなかった。貴方がいたからこそ、今があるのです。そんな方に、どうして惚れられないでいられましょうか。私達を、家族と認めてくれた貴方に、どうして懸想を抱かないなどと思われましょうか」

 シグナムは、恭也の腕から名残惜しそうに離れ、正面に立った。
 令嬢然とした格好には不釣合な、不退転を込めた瞳で愛する男を見つめる。

「貴方が元の世界に未練を持っていることは知っています。時間が出来れば無限書庫に足を運んでいるのも知っています。帰る手立てを探し続けていることを知っています。元の世界の家族を心配していることを知っています。ですが、ですが私達も貴方の家族なのです。どうか目を逸らさないで欲しい。こちらを見てください。歩み寄ってください。それは決して弱いことでも、元の世界の家族を裏切ることでもありません。だからどうか、我々の手を取ってはくれませんか?」

 差し出された手を恭也はじっと見つめた。
 剣を持つには些か細い指だ。
 その手のひらには剣ダコすらない。
 一目には戦うものの手だとは判らない。
 だが、その手が幾多の敵を屠ってきた。
 その屍の先に、主の幸福があることを信じて、血に染めてきた。
 それでも、その手は温かで、優しいものだと、恭也は知っている。
 ――しかし、それでも、

「無理だ……」

 言った。
 その答えに、シグナムは冷静だった。冷静に理由を訊ねた。

「何故ですか?」

 純粋なその問いかけに、恭也は搾り出すような声で答える。
 いっそ、血を吐いてしまいそうだった。

「俺は、帰りたい。ここは、俺の居場所じゃない。ここには『俺』がいる。他所から来た俺が居るべき場所じゃない。だから、帰らなければならない。俺が死んで、恐らくは悲しんでくれた家族に、地面に頭をこすりつけて謝り倒したい」

 帰りたい。

「ここに居場所を作ってしまったら、帰れなくなる。ここに居ていいと認めてしまったら、帰る意志が消えてしまう。だから、その手は――」
「――いいんです」
「え……?」

 唐突な肯定に、恭也は戸惑った。
 見れば、シグナムは涙を流して微笑んでいた。

「貴方は帰っていい。いいえ、帰るべきです。それは我々も、そして主も望んでいます。でも、貴方の居場所は、元の世界だけではなくなっているんです。私や、他の騎士達、何よりも主が貴方の居場所です。貴方はここに居ていい。そして、あちらに居てもいい。どちらも貴方の居場所なのだから」
「は…………」

 辛うじて出たのは、そんな音の欠片だった。
 シグナムの話に、恭也は呆然とした。
 帰るべき、と剣の騎士は言う。だが、ここにいてもいい、と剣の騎士は言う。
 居場所は、一つだけではないと、剣の騎士は言う。

「お辛かったでしょう。心細かったでしょう。怖かったでしょう。ですが、我々は貴方の傍にいます。手を取っていいのです。抱きしめたって構いません。泣き言ならば、むしろ聞かせて欲しい。それが家族なのですから」

 そして、それらは全て貴方が今まで私達にしてきたことです。

「家族とは、一方的に愛を与える関係ではないはずです。貴方が私達にくれた愛があるならば、私達が貴方に返す愛がなければならない。よく言っていますね? 家族に遠慮は無用、だと。なら、私達もまた貴方に遠慮することなく、貴方に愛を与えます」

 ああ、確かに、その通りだ。
 家族とはそういう物だ。
 なら、シグナムが言うことはなんら間違っていない。

「本当の家族になりましょう。貴方の居場所を作りましょう。そして、向こうの世界に帰りましょう。それが私達が返せる愛です」

 一息、シグナムは肩を下げた。
 いつの間にか、力が入っていた。
 平静を装っていたが、心臓は破裂しそうなほど鼓動している。
 この話を恭也が飲まなければ、恭也と八神家の関係は破綻する。
 独断専行したシグナムだったが、彼女をしてなお、今の状況に焦っていた。
 いつか諦めると思っていた恭也の帰郷願望は、弱まるどころか強くなっていった。見て見ぬふりをするにも限界だった。
 だから、シグナムは博打に出た。
 このまま何もしなければ、恭也は元の世界への未練だけを抱いて死ぬことになる。
 それはあまりにも不憫すぎる。せめて、彼に一握りだけでも幸せを感じて欲しかった。
 シグナムとシャマルが考えぬいて出したのがこの提案だ。
 高町恭也に幸せを。
 それだけを願って、二人は考えたのだ。

「……………………………………」
「……………………………………」

 恭也は沈黙し続けた。
 海岸通りを行き交う人々が、向かい合ったまま黙り続ける二人を不審げに見ながら通りすぎていく。
 それらの雑音が聞こえないほど、シグナムは緊張している。
 ただひたすら、恭也の言葉を待った。

「――なあ、シグナム」
「なんでしょう」
「その手は、握れない」
「何故ですか」
「その手を、お前達の優しさを受け取ってしまったら、俺はきっと足を止めてしまう。元の世界に帰ることを諦めてしまう」
「ですからそれは……」
「そうじゃない」

 誤解を正そうとするシグナムを、恭也は強く否定した。

「そんないいとこ取りなんて出来るわけがない。そうだろう? お前達を家族と認めてしまったら、それは家族への裏切りだ。元の世界と、お前達を俺は裏切ることになる」

 帰れなかったら、元の世界の。
 帰れたとしたら、はやて達を。
 恭也は捨てることになる。
 同位体がいる世界に流れ着いたのだ。どちらの世界も容易に渡ることができるはずもない。
 なら、片方を選べば、自然と片方を諦めることになる。
 それは、護ると決めた人達を捨てることになる。
 護るための剣。護るための御神。
 その理が破綻する。
 なら、その時、高町恭也は破綻する。

「俺を想うのなら、想ってくれるのなら、その提案は受け取れない。解ってくれ」
「…………そう、ですか」

 搾り出すようにシグナムはそれだけを口にした。
 ああ、やはり、この男は……、

「家族は大事ですか?」
「聞くまでもないことだろう。俺の根幹だぞ」

 ――だからこそ、私は心を許したのですよ。

〜・〜

 ようやく、という気持ちが広がった。
 地下二百メートル。
 そこが彼らの拠点だった。
 常に聞こえる低い振動音の中、ジェイル・スカリエッティは思う。
 あと少しだ、と。

「お祭りだねぇ。ずっと楽しみにしてたイベントがようやく始まるねぇ。仕掛けに手古摺ったけど、まあそれもいい経験だね。いやはや、祭りの準備も楽しいとはよく言ったものだよ」

 込み上げてくる衝動に任せて、白衣は肩を楽し気に揺らす。

「始まる前でこんなに楽しければ、始まってしまったらどうなるんだろうねぇ」

 楽しみだねぇ、とスカリエッティは口端を吊り上げる。

「あと一歩。あと一歩だねぇ。それを踏み出せば…………」

 その先に、自分の夢が――。
 長かった道のりが、しかして短いようにも思える。
 振り返ってみると、一瞬だった。
 この後に待つ待望の時間も、終わってみれば一瞬なのだろう。
 だが、

「最中は最高に楽しいのだろうねぇ。ああ、早く始まらないかなぁ」

 想像できない娯楽を前にスカリエッティは喉を鳴らして笑うのだった。

〜・〜

 治療カプセルポッドの前に、グレン――赤星勇吾とゼスト・グランガイツはいた。
 赤星は、ポッドの正面に座って、祈るような姿勢をしたまま。
 ゼストはその彼の背中を眺めたまま。

「傷は完全に塞がったらしいな」

 硬い声で騎士は独り言のように言った。

「……あとは、意識さえ回復してくれれば、な」
「早くそうなるといいな」
「ああ、ありがとう」

 言葉少なく、二人は会話を続ける。

「先日、酔って帰ってきたそうだな」
「……その話題を振ってくるとは思わなかったな」
「あまりにも珍しかったからな。最初に聞いた時は耳を疑った」

 赤星は口元で苦笑を作った。

「あれは、俺も失敗したと思ってる」
「特段、なにか失敗したわけではないのだろう? となれば祝杯の類だと思うが……」
「まあ、それに近いな。――親友と酒を飲んできた」
「親友……?」

 赤星の事情――異世界から強制転送されてきた事を知るゼストにしてみれば、強い違和感を受ける言葉だった。
 驚いた気配を出したゼストに、赤星はやはり珍しく喜色の気配を出しながら言った。

「もう死んだと思ってた奴が、こっちにいたんだよ。前々回の時、相手側の資料を見て、ひょっとしてって思った。それで前回、顔を合わせて、剣も合わせて確信した。連絡してみれば、俺は敵側だってのに一人で会いに来た。まあ、一人でもどうにかできるからってのもあったんだろうけどさ。事情を聞けば、やっぱり本人で、だからまあ深酒しちまったのさ」
「その巡りあわせは幸運だろうな」
「ああ。ついでに言えば、会えたことの他にも良い事があった」
「それは?」

 そこで漸く、赤星はゼストに振り返った。
 薄暗い研究所の照明でもはっきり見えるほどの満面の笑みを見せながら、

「――一緒に帰るって約束したんだ」

 そう笑ったのだ。

〜・〜

 恭也は辟易していた。

「――あー、シグナム? かれこれ一時間もここにいるが、楽しいか?」
「ええ、とっても。ああ、この細工はッ!」

 軽い興奮状態の令嬢に、父は苦笑しかできなかった。
 彼らが今いるのは銀細工屋だった。
 なんでもシグナムは、趣味で銀細工を嗜んでいるらしい。
 夜天の書に属していた時は、戦い一辺倒で十分だったが、今代になり一人の人間として十年を過ごしていると、色々と思うところがあったそうだ。
 特に女性としての感性が強く出てきたようで、服や装飾品に興味を抱くようになったのだという。
 そう説明されて、そう言えば、と恭也は思う。
 思い返すと、シグナムの特徴と言えるポニーテールだが、その根元に結んでいるリボンは毎日違ったものだったように思う。たまにしていたバレッタも同様だ。
 ああ、思い出してきた。
 出会った当初は化粧っ気のなかった彼女だったが、何時の間にやら化粧をしていた。
 プログラムということで、外見が変わらないヴォルケンリッター達は各々その現象について対処に苦労していた。
 シグナムとシャマルは年を取ったように見えるように化粧をしていたし、ヴィータは徐々に外見を成長させていた。事情を知っている六課では基本形態の少女の姿を取っているが。ザフィーラは基本形態が犬なので何もする必要がなかった。それについて随分弄られていた。
 ともかくとして、化粧自体はシグナムはしていたが、こうしてたまの休日に付き合わされるときは、見栄えのする化粧をしていたことに今さらながら気付いた。

「……女性は恐ろしい生き物だな」
『腕力では勝てないからな。だから女は頭を使うのだよ』
「頭一辺倒のお前に言われると説得力がある」

 腰元の相棒に相槌を打つと、未だはしゃぐシグナムに寄っていく。

「銀細工を嗜むと言っていたが、こういう物を集めてるのか」
「違います。買う方ではなく、造る方です」
「……つくる? 個人でできるものなのか?」
「まあ、いくらか費用はかかりますが、できますよ。結構簡単ですから」
「ほう?」

 あまり想像がついていない恭也に、シグナムは一つ頷くと、彼の手を取った。

「では実践してみましょう。こちらへ」
「ふむ」

 引かれるまま、恭也はシグナムについていく。
 連れていかれたのは、この店舗の角だった。やや広いテーブルといくつかの器具があった。

「実践と言っていたからには、ここで造れると?」
「そうです。利用料金と素材費を払えば、ですが」
「まあそうなるんだろうな。――して? やって見せてくれるのか?」
「もちろん」

 自信あり気に言って、シグナムは店員を呼び、料金を支払った。
 店員が持ってきたものを受け取り、席に着く。
 恭也は隣に座るように言われて、素直に座る。

「折角なので、一緒にやりましょう」
「む、俺もやるのか」
「記念です」
「記念か。まあいいが」

 シグナムは店員が持ってきた材料――銀粘土を半分ほどちぎって恭也の前に置いた。

「これは?」
「銀の粘土です。これを捏ねてある程度の形を作るんです。その後ヤスリ等で削って成型します」
「そんな簡単なのか?」
「まあ、今の説明はかなり省略していますが、概ねはそう言う流れです」
「ふむ。……だが、何を作ればいいんだ? 全く解らんのだが」
「初心者向けなのは指輪でしょうか。最悪、輪になっていれば問題ないですし」
「なるほど。じゃあ、指輪にしてみるか」

 シグナムの提案に納得して、恭也は捏ねた粘土を自分の指に巻き出すが、シグナムはそれを止めた。

「お待ちください。指輪の口径は少し大き目にしておいた方がいいです」
「む」
「粘土を固めるために火にかけるんですが、その時に少し縮むのです。それを考慮しておかなければ指にはまりませんよ?」
「そうなのか」
「こちらの板に指を通して自分の指のサイズを測ってください。粘土が縮むのは大凡4ミリほどになりますので……」

 シグナムに渡されたプラスチック製の板には大小の丸い穴が開いている。
 それぞれの穴には号数と直径の長さが刻印されていた。
 それらを見比べて、恭也は粘土の大きさを修正。一先ず輪の形にする。

「爪楊枝で模様を入れるのですが、やってみますか? せめてご自分の名前は入れておいた方がよろしいかと」
「うーむ、確かに洒落た模様なんて解らないしな。名前くらい入れておくか」

 備え付けの爪楊枝を手に取り、若干の格闘。
 指輪の裏側に自分の名前を入れた恭也は、隣の進行具合が気になり、シグナムの手元を覗き込んでみた。

「……凄いな」

 シグナムの銀粘土は命を吹き込まれつつあった。
 雄々しい鬣と、獰猛な表情。
 地球に生息する動物―――ライオンが出来上がりつつあったのだ。
 短時間である程度の造形を作ってしまう手際の良さに、恭也は思わずそう呟いていた。

「今回は時間がありませんから、かなり妥協していますよ。いつもなら牙や瞳までやるんですが、一時間ではこの辺りが限界ですね」
「……娘の意外な趣味に父はかなり驚いてるぞ」
「……自覚はしてますが、普段の私はそこまで女っ気がないのでしょうか?」

 拗ねたような口ぶりに、恭也は普段のシグナムを思い浮かべてみる。

「鉄の女だな」
「……………………」
「あー、黙り込まれると困るんだが……」
「これでも少しは丸くなったと思っているんですが」
「朝も言ったが、昔に比べればそりゃな」

 粘土の細工を終わらせて、シグナムは店員を呼ぶ。
 焼き入れを頼んだのだ。
 焼きあがるまでの時間、二人は近場の休憩所に向かうことにした。

「最近は職員の相談も受けているんですよ」
「シャマルがか?」
「今は私の話です」
「冗談だ。だから睨むな」

 コーヒー缶を渡しつつ、恭也は詫びる。
 彼はシグナムの右隣に座って、缶を開けた。

「恋愛相談も多数ありますね」
「ぐっ。…………危うくコーヒーを吹くところだったぞ」

 意外すぎる話題に恭也は喉を詰まらせかけた。

「人生経験だけは無駄に多いですからね。事情を知っている職員は相談しやすいようです。シャマルも同様ですね。……いえ、彼女の場合、職務だけにもっと多いようです」
「恋愛相談ねぇ。その手の話はとんと解らん」
「……父上の場合、本気でそうなんでしょうね」
「言い訳させてもらうが、女心以外であれば解るぞ。一般的な考えや感情の動きは感じられるんだ。だが、女心というヤツは効率とか、論理とか関係ないようなんでな。採算度外視だったり、個人的な拘りだったりして、いまいち推測できないだけで」
「そこを理解して欲しいのも女心です。ですが、理解されたくないのもやはり女心でして」
「何だその矛盾。無敵じゃないか」
「女とは複雑怪奇な生き物なのです」

 そんな連中とよく今まで生活できてたものだと恭也は不思議に思った。

「そろそろ焼きあがりますね。最後の仕上げをしに行きましょうか」
「解った」

 時計を見たシグナムに従い、恭也達は再び銀細工屋に戻るのだった。

〜・〜

 思うんやけど、

「シグナムって実は最強やない?」
「……いきなりなんなの? はやて。何か悪いものでも食べた?」

 昼食時。
 食堂で鉢合わせたはやてとフェイトは、折角だからと一緒に食事を採っていた。
 そこではやてが唐突な妄想をぼやいた。
 当然、そんな妄言を即座に理解できるはずもなく、若干キツイ言葉になったことをフェイトは謝らない。

「失敬な。ここの食品衛生は万全やよ? ――でなくて、総合的な観点からの評価なんよ」
「確かに、シグナムは強いけど、ちょっと近接戦に寄り過ぎじゃないかなぁ。汎用性はそこまで高くないと思うけど」

 魔導師ランクは上の方であり、その実力を遺憾なく発揮できるだけの経験もある。
 未だシグナムに優位に立ったことがないフェイトにしてみればいまさらの確認だった。
 だが、はやてはそっちの話ではないと注釈した。

「女のスペックの話やって。おっぱいおっきいし、髪は綺麗だし、ベルカの古代騎士だから礼儀作法は完璧だし。ほら、欠点が見つからないやん? おっぱいおっきいし」
「若干昼間に聞く単語じゃないのが混ざってたような気がするけど、スルーして。でも、その通りだね。シグナムって綺麗だよね」

 フェイトははやての意見に同意した。
 女性としてのシグナムはかなりのハイスペックである。世の男性が放っておくが筈がないほどの美女だ。

「普段は眉間にシワ寄せてそうな顔しとるけど、笑うとめっちゃ綺麗やねんな。あとおっぱいデカいし」
「スルーして。そう言えば、シグナムが笑ったところって、あんまり見たこと無いかも」
「そうなん? それは運がないなぁ、フェイトちゃん。あの笑顔とおっぱいは破格やよ?」
「後半聞き流すけど、それなら見てみたくなるね」

 興味深そうに頷くフェイトに、はやては渾身の笑みを作ってみせた。

「上手く行けば見れるかもしれへんよ?」
「どういう事?」
「いやな? 今日、シグナム、急遽有給取ってん。ついでに、全然有給使う気ない恭也さん連れてくようにも言ってるんや。で、シグナムが休みに出かけるとなると……」
「ああ、噂の変装だね?」
「そうなんよ! つまり、深窓の御令嬢風シグナムが見れるわけや! で、恭也さんと一緒なら倍率ドン! 楽しげに笑うシグナムが拝見できるっちゅう寸法や!」
「腹黒いね、はやて」
「ぐふふふ。サーチャーにはシグナムが帰ってきたら録画と静止画撮るようにセットしてあるし、準備は万全! にょほほほほほ!!」

 職権乱用で捕まえられないかなぁ、この人。
 十年来の親友にそんな感想を抱くフェイトを誰が責められようか。むしろ、親友だからこそ逮捕しなければならない気がする。

「あ、部隊長達」

 親友の進退を本気で心配するフェイトの思考に割入ったのは、午前の訓練を終えたスバル達だった。
 いつも通りの泥まみれの姿であるが、足取りはしっかりしている。六課始動直後のフラフラなコンディションでないだけ、彼女たちは逞しくなっていた。

「訓練お疲れさん。今日はちょと余裕そうやね?」
「やっと体力付いてきた感じです」
「回復力も上がった気がしますね」
「ご飯も一杯食べられるようになりました」

 訓練当初の泥のような動きに比べれば、今のスバル達は余裕の体だった。
 みっちりとしごかれて、かれこれ四ヶ月程になる。漸く、体が馴染んできたということなのだろう。
 が、なのはの訓練課程から見ると、全体の三分の一程度である。個人訓練もまだ基本的なものばかりであり、本格的な多人数での戦闘訓練の下地に過ぎないのだ。
 本来、基礎訓練は短くても半年、長くて一年程度の時間を使って体に覚え込ませるものだ。その後の組織的な行動や思考法を更に二年かけて学ぶ。
 計三年をかけて、武装隊の訓練となるのだが、それをなのはは六課にいる間に八割方叩き込もうと画策している。無論、はやてにはその旨を伝えているし、理解も得られているが、常識的に見ると無茶と無謀の抱き合せである。
 はやてはその辺りの理解が不足していたのだが、なのははこれ幸いと訓練項目の作成に取り掛かったという流れだ。
 無茶をさせていることを自覚しつつ、どうにかぎりぎりのラインで倒れないよう訓練を計画するなのはの手腕には驚かされる。
 その教育技術は、妹分の美由希の修行メニューを独自に考え出し、一人前の剣士にまで育て上げた恭也と似通っていた。
 どちらも、鍛える相手に対して容赦のないところまで、だ。

「みんな、そろそろ余裕出てくる頃だから、難度を上げて行こうって思うんだけど、どうかな?」
「うおわっ!?」
「なのはさん!?」

 ひょいっと四人の後ろから顔を覗かせてきたなのはに、全員飛び上がった。
 当の本人は、ニコニコ顔である。
 いや、フェイトは知っている。あれは、軽い『話し合い』を望むときの――!!

「あ、私、御飯食べ終わったし、仕事詰まってるから、行くね」
「待ちぃやフェイトちゃんっ。親友を置いていくんか!?」
「命と仕事と親友だったら、命と仕事かなぁ」
「あっさりと大事なモノを見限る親友に涙がチョチョ切れる!! だぁが、しかし! フェイトちゃんのお気に入り、エリオとキャロだったらどうや!?」
「えっ!?」
「……なんや、この反応の差に、ホンマに涙流れそうなんやけど」

 親愛なる息子と娘にだけ顕著な反応を示したフェイトに、はやては親友の定義を辞書で引きたくなってきた。
 一方で、地獄行きを宣告された面々は……、

「今度は地獄の四丁目まで逝きそうね」
「還ってこれるかなぁ」
「フリード、もしもの時は一人で生きるんだよ?」
「クキャー!?」
「まだ強くなれるんですね!!」

 一人だけ元気な輩がいたが、彼女が異常なだけである。

  「訓練が厳しくなるけど、その代わり、皆のデバイスからリミッターをもう一段階外すことになるよ。三日くらいで、扱いに慣れてね」
「はい!!」

 何でもないようになのはは言うが、新しい武器に三日で慣れろというのは無茶だった。特に恭也が聞いたらデコピンが三発は飛ぶ。
 自分の命を守る相棒なのだ。そんな促成栽培みたいな慣れで、果たして完全に使い物になるのか。と食って掛かるだろう。
 しかし、ここで剣士と魔導師の違いが出てくる。
 武器=己の体とする剣士に対し、武器=己の魔力とする魔導師は根本的に武器に対する意識が違うのだ。
 アームドデバイスに代表される武器型の魔導杖らは、やはり根本は魔導師の魔法使用の補助を役割としている。
 武器型なのはおまけに近いのである。ベルカの魔力資質が近距離に向いていたのも関係性はあるが、魔導師は魔法を使って戦うのだ。
 対して、恭也らに代表される魔力資質が低い、または皆無の達人たちに取って、武器は絶大の信頼を寄せるものだ。
 武器を持っていなければ戦えないほどの依存症であるとも言える。それほどまでに武器を自分の一部と考え、扱っている。
 根本的な思想が違うので、恭也は魔導師のデバイスに対する扱いを真に理解することはできない。また、なのは達も恭也の刀に対する拘りも真に理解することはできないだろう。シグナムでもこれは同じだ。
 結局のところ、この思想相違は問題ではないだろう。
 互いの領分が違っているだけで、現場では働ければ問題ではない。それを可能とするのが魔法であり、達人の技なのだから。

「じゃあ、私もお昼ご飯食べようかな」
「今日のお勧めは鶏の照り焼き定食やでー」
「はやてちゃんのオススメなら間違いないね」
「あ、待ってくださーい!」

 なのはに続く形でスバル達も昼食の注文をしに行くのだった。

〜・〜

 恭也は空を仰いだ。

「天井のシミを数えている間に終わってほしいな……」
「どこの初心な小娘ですか」

 今の彼の心境はまさにそれだった。
 何と言うか、これは立派なセクハラではないだろうか?

「何故下着屋に男を連れ込んだ」
「男性視点が大事なので」
「……一部分では納得できるが、何故俺」
「見せるべき相手は今のところ父上だけなので」
「……あー、そのキャラ設定、今だけキャンセルできないか?」
「いやです」

 音符でも付きそうな笑顔で言いやがる。
 公衆の面前で親子発言をしておいて、見せるべき相手というのはかなり間違った行動なのだが、最早恭也はツッコむ気すら失せていた。

「やはり基本は黒の下着ですかね。ガーターベルトは外せないでしょう」
「まあ、基本だな」
「コレに加えて、ベビードールやビスチェも加えるとよりエロティックですね」
「かもしれんな」
「更に更に、レースがふんだんに盛り込まれているとチラリズムも加味されて、効果が累乗されます」
「だろうな」
「ですが、個人的にはこれらの下着の上に服を着ていることが望ましい。着崩れから見える下着こそが、真のチラリズムです」
「激しく同意する」

 沈黙。

「……父上、キャラが変わっています。自重してください」
「互いにな」

 双方、一旦深呼吸。
 改めて、買い物を続行する。

「いや、続けるのか、買い物。正直別の店に行きたいんだが」
「まあまあ。別に試着姿を見ろとは言いません。父上には、いくつか質問に答えていただければ」
「それ、ここでする意味あるのか?」
「現物が目の前にある方が答えやすいでしょう?」
「いちいち逃げ道を潰すなお前は」
「あなたの行動原理が解りやすいのです」

 という訳で質問攻めである。

「お好きな色は?」
「黒」
「……愚問でした。では、女性が身につけてるとそそる色は?」
「表現を控えめにしろ」
「どう言い繕ってもあなたは一度拒絶しますので、言葉を飾る意味が無いのです」
「……否定出来ない」
「それで、何色ですか?」
「さあなぁ? 何分、そう言う場面に出くわしたこともないしな。正直、自分が何を好きなのか判らん」
「では、無難なのは赤系統でしょうか」

 ……この二人は何を真面目に議論しているのだろうか。
 お嬢様モードのシグナムと店内の視線にさらされている恭也の思考回路は、かなりの損傷を受けているようだった。

「なあ、思うんだが、お前、ここで何か買うのか?」
「その予定ですが?」
「臆面も無く言いやがったな。男の前で下着を買うんじゃない。はしたない」
「むしろプレゼントされたいんですが」
「どう言う心理状況なんだそれは」
「どうもこうも、その話は朝にしたではありませんか」

 忘れたかったことを掘り起こされてしまった。所謂、墓穴を掘る、だ。
 振る話題は吟味してからにしようと心に決めつつ、恭也は目を胡乱気にする。

「その辺り、未だ納得できないんだが。お前とシャマルだぞ? あり得ないだろ」
「では、帰ってからシャマルに訊いてみてはいかがですか?」
「自分をどう思ってる、なんて質問できるわけ無いだろうが」
「まあ、それが出来るのなら父上は父上ではありませんね」
「自意識過剰と言うんだ。俺は俺を過小評価してはいないつもりだが」

 そう言うことではなく認識のズレなのだが、それに気付けないからこその朴念仁なのだろう。
 シグナムは殊更に溜息を吐くと、吟味していた紫のブラとショーツのハンガーセットを取り出した。

「試着してきます」
「それはいいが、俺はここに残ってるのか?」
「ではそうしてください」
「じゃあ、外で休んでくる」
「是非一緒に試着室に入りましょう」
「脈絡がない。出直せ、小娘が」

 そんな捨て台詞を残して、恭也は店を出てしまった。

「……むぅ、まだアプローチが足りないのか」
「いえ、どちらかというと積極的すぎて引かれてますよ」

 店員の的を射たアドバイスは、しかして御令嬢には届かないのであった。

〜・〜

 試着を終えたシグナムは、店を出てしまった恭也に連絡をつけた。
 ショッピングモールの至る所に設置されているベンチに座っているらしい。
 店を出てすぐ前のところで待ってるとのこと。
 甲斐性のない男だと思いつつも、連れてきた場所が場所なので仕方ないと思っておこう。

「すみませんでした。少々浮かれていました」
「…………まあ、この手のことには慣れてる。気にするな」
「すみません」

 シグナムがもう一度謝ってその話題は終わりにした。

「まだ他に行くのか?」
「私の用事は終わりました。父上は何かありますか?」
「……ふむ」

 何か入り用だったかを思い返してみる。
 そこで何点か思いついた。

「湯飲みがない」
「は?」
「常々思っていたんだが、この世界はマグカップはあっても湯飲みがない。少なくとも探した限りはなかった。陶器の絶対数が少ないようだな」

 焼き魚用の皿や、丼の器もない。まあ、米自体が一般的ではないので、ご飯を大盛りに盛ると言う文化が育っていないようだ。
 つまり、恭也が何が言いたいかというと―――、

「日本製品が足りないんだ。直接行くのは苦労する。こっちで手に入れば、楽になれる」
「成程。では、探してみましょうか。―――ウィンドウショッピングですね」

 ああ、そういう事になるのか。

「……本気でデートみたいだな」
「私は初めからその心算でしたが?」
「何が楽しくてこんな男とデートしたがるのか、理解に苦しむ」
「それでいいと思います。下手に自分の魅力を自覚している男ほど始末に置けないものはありません」
「あー、それは確かにな」

 自意識過剰というか、勘違いしてしまっているというか。
 まあ、それは男女関係なくそうなのだが。

「―――さて、では上から虱潰しに見ていきましょうか」
「いや、日用品コーナーだけでいいだろう?」
「これはウィンドウショッピングですよ?」
「……………………」

 大真面目な顔でのたまったシグナムに、恭也はふと心が動いた。

「まあ、今日は楽しむか」
「それがよろしいかと思います」

 至極当然として頷いたシグナムを引き連れて、恭也は娘とのデートを楽しむことにしたのだった。

〜・〜

 降水確率0%。
 見上げた空は突き抜けるようだった。
 そのまま眺め続けると、まるで空高く昇って行きそうになる。
 ああ、これが吸い込まれるということなんだろうか。

「―――はーい! 今日はここまでー!!」
「……………、…………っ、………………………っっ!!」

 終了の号令に返事をしようとして、声にならなかった。
 ティアナ・ランスター、16歳。
 青春まっただ中の少女時代を泥にまみれて転がる日々を送っている。
 どうにか息を整えて、意識を落ち着ける。体のクールダウンは一向に持ち上がってくれない腕の回復を見てからだろう。
 今は頭のクールダウンが必要だった。
 戦闘用に加熱した思考速度を徐々に生活レベルまで下げていく。
 眼を閉じて、自発的に息をする。
 そうすることで、人は落ち着けるのだと高町恭也が言っていた。
 訓練結果を纏めたなのはは、全員の―――特にティアナの疲労状況を見て、現地解散にした。
 比較的疲れがなかったライトニング隊の二人は、仲良く隊舎に向かっている。訓練内容が軽い訳ではなく、あの二人が如実に成長している、ということなのだろう。
 自分はどのくらい上れたのだろうか? 益体のない考えが一巡り脳裏を掠めた。

「ティア、回復早くなったねー」
「……恭也さんの薫陶を受けたからね。体術に関しては、マジで尊敬するわ」

 生まれた時から刀と一緒だったと噂される恭也の理論は、経験に基づくものが多い。
 実地で検証しているから効果がよく分かっているのだ。
 しかし、それをいつの間に伝授してもらったのだろうか?

「高町隊長に個人訓練でも請けてるの?」
「直接的な手解きはしてもらってないわよ。つーか、してもらったら間違いなく死んでるわよ、私」

 この場合は過労死だろうか?

「休憩時間とか、たまに話したりして、その時に色々教えてもらってるだけ」
「…………二週間前の様子と違いすぎる」

 毛嫌いというか、敵対していたはずなのにこの変わり様。
 隊舎を破壊するほどの私闘を展開した二人なのに、この懐きようは一体なんなのだろうか。
 恐るべし高町式教育。

「ねえねえ、他には何か教えてもらった?」
「んー、話の種で色々聞いたけど、私が実現出来る物って呼吸法だけだったし……」
「それでもいいからさー。で、何があるの?」
「そうねぇ…………」

 例えば、と前置きして、ティアナは少し楽し気に語った。

「正面にいる相手から視線を外させる方法とか」
「…………んー?」

 いまいちピンと来ていないスバルにティアナは詳しく話す。

「自分に向けられてる注意、この場合は視線だけど、それを故意に逸らさせるのよ」
「でもさあ、目の前にいるんだよね? 何をしたって自分から視線を外すなんてことする訳ないと思うんだけど」
「スバル、恭也さんを常識に当てはめちゃいけないわ」
「あ、ゴメン」

 固定評価、固定評価。

「色々方法はあるわよ。足元に石があるなら、それを適当な方に投げるとか。それか突然別のところを見つめるとか」
「あ、そういう事か。つまり、相手の意識を少しでも別のところに持っていくわけだね」
「そういう事になるわ。今のはまあ、実戦じゃ使えない物だけどね。敵が目の前にいるのに、視線を逸らすとか、考えられないし」
「確かにそうだよねー。私の場合なんか、足止めてられないし」

 シューティングアーツの特性上、睨み合いは避けるべき展開だった。
 この手の技術は習得する意味が無いのではとスバルは考えたが、結論を出すには高町恭也という人間を侮りすぎている。

「だから、恭也さんの場合、何もしなくても突然目の前から消えることにしたんだとか」
「過程と結論が空間跳躍!?」

 何をどう考えればそこに行き着くのか。
 魔法剣士はこれだから怖い。
 しかし、これにティアナは理解を示した。

「まあ、今の結論は唐突に聞こえるかもしれないけど、全うに考えてくとそこに着くわよ?」
「えぇー!?」
「だって、相手の気を逸らすのに、これみよがしに石を投げるわけにはいかないでしょ? 他にも「いかにも視線逸らせたいです」みたいな行動は取れないじゃない。だから、相手に分からないように、でも人間の習性的に他のことに目を向けさせるようにしたい。で、結論として、見た目は「何もしなくても突然目の前から消えるようにする」になるのよ」
「ならないよ。て言うか、なんでティアは理解できるの?」
「凡人がエリートに勝つためにはこういう努力が必要なのよ」
「もう既に凡人の域に片足引っ掛けてるだけにしか聞こえないんだけど」

 とんでも理論をさも当然の帰結だと力説するガンナーに、親友を自負する若いアタッカーは嘆くべきか、諭すべきか悩んだ。

「恭也さんがどうやってそれを実現してるのか全然解んないけど、実践できるってことは、他の人間にも出来るってことよ。多大な努力が必要だけど」
「そりゃそうだね。練習すれば誰だってなんでも出来るはずだよ」
「恭也さんはついでに習得したみたいだけど」
「……才能の差って理不尽だよね」
「アンタが言うかっ!」

 今まさにその才能が欲しいと蠢いているティアナにしてみれば聞き捨てならない話である。
 ともあれ、一つ一つ、あるいは一つの一割ずつでも物にしなければ、夢には届かない。

「―――よし、大体回復したかな」
「え、もう? ホントに早くなったね」
「まあ、効果は出てるってことね。……あー、マジで師事しようかしら」
「駄目、絶対。取り返しの付かないことになるよ!!」

 この際、取り返しの付かないところまで行ってしまった方がいいのではなかろうか。
 それくらいやって漸く半人前な気がしてきた。
 ティアナに取ってみればそうなのであるが、人外魔境と揶揄される機動六課の実力差から見れば未だ凡人、と自分をカテゴリーしている。
 対外的に見れば、既に武装隊の副隊長レベルの指揮能力と腕前はあるのだが、残念ながら比較対象が軒並みアレなので、実感出来ていない。
 彼女が自分の実力を実感できるのは一体いつになるのだろうか。

「そろそろ戻りましょ。お腹空いたし」
「そう言えば、私もお腹ぺこぺこだよぉ」
「はいはい。ご飯食べたら報告書だからね」
「……食欲が減った気がするよ」
「気がするだけよ」

 大食漢のスバルが空腹を感じないなんて、天変地異が起きてもありえないだろう。天体の地軸が狂ったとしてもだ。
 スバル=大飯食らいは定説。

(……ダイエット、にするにはあの人の訓練――いや、修行は過酷すぎる、かなぁ?)

 こう言ったことを思いつき、かつ迷ってる時点でティアナはかなり逸般人入りし始めてると言えよう。

〜・〜

 あれからウォーターフロントの歓楽エリアをなんとはなしに歩きまわった恭也達は、帰路についていた。
 適当に物色をした結果、シグナムは下着を一組、ブラウス、濃い紫のスカート、そして恭也に薦められたバレッタを購入。
 恭也は輸入雑貨店……どこの世界からの輸入品なのかは分からないが、ともかくそこで日本の湯飲み、によく似た物を発見、即購入。割高だったのだが、恭也は値段を確認せずにレジに持ち込んでいた。
 その即断に、さしものシグナムも呆れを見せたが、却って非常にらしいとも思った。
 自分の望むことは、迅速に実現へ向かうのは十年前から変わっていない。

「よかったですね」
「ああ。まさか見つかるとは思ってなかった」

 今後あそこは贔屓にしよう、と恭也は決意を口にする。
 そこまで気に入った店を一緒に見つけられたシグナムとしても、嬉しい限りだ。

「しかし、もう帰って良かったのか? 緊急呼び出しがあるとは言え、今日一日は非番だろう?」
「このままホテル街に赴いていいのなら、引き返しますが?」
「休むときは休まなければな」

 あっさりと意見を翻した恭也に、シグナムは苦笑を浮かべる。
 まあ、今のは割と直球過ぎたと反省。

「ですが、半日近く付き合っていただいて感謝しています」
「……気まぐれだろうな、これは。俺自身、ここまで構うとは思ってなかった」

 本当に意外そうな顔(無論身内限定で判別できる程度)をして、恭也は瞑目する。
 こう言った気まぐれは、恭也には滅多にない。そんな彼が唐突で強引な誘いにあまり文句を言わず付き合ってくれたのは、奇妙な話だった。
 だが、その奇妙さがシグナムにはありがたかった。
 滅多にできない話もした。
 滅多にできない買い物もした。
 ――滅多にできないスキンシップもした。
 これで物足りないと言ってしまうのは贅沢というものだろう。

「たまにはそういう日があってもよろしいかと」
「そう、なんだろうな。侍にしてみれば、噴飯物だが」
「それは侍ではなく、父上が抱く侍像からすれば、でしょう?」
「む、確かに。当時の侍らにしてみれば、俺は少々真面目が過ぎるかもしれんな」

 恭也は刀に関しては、妥協をよしとしない。
 その行き過ぎるほどの固定観念は、彼の幼少時代の環境がそうさせているのだろう。
 人は突然死ぬ。
 それを実感しているからだ。

「まあ、気分転換にはなったよ。思い詰めるだけが修行じゃないからな」
「一日何もしないというのも必要ですからね」
「それが簡単にできない俺はやはり未熟者なのだろうさ」
「またそう言うことを仰られますね?」
「失敬。失言だった」

 苦笑いを浮かべる恭也にシグナムは微笑んだ。
 そんなやり取りをしていた二人は、六課の隊舎に到着した。
 と、

「あ、高町隊ちょ………………………………」

 中央玄関前でストレッチをしていたスバルが挨拶の途中で固まった。
 まあ、原因は言わずもがな。
 恭也の隣に陣取る妙齢の女性に、だろう。

「あ、あの…………高町隊長?」
「なんだ、ナカジマ」
「お隣にいる方は一体どなたですか?」

 周囲の温度が一度ほど上がったが、誰も気付かない。
 随分と思い切った質問をしたスバルはもちろん、その隣に立っているティアナもだ。
 さて、どうしてやろうかと恭也は企もうとするが、それは残念ながら渦中の人物によって徒労に終わってしまった。

「これから訓練ですか?」
「うぇ!? え、あ、は、はい。自主訓練です。えっと、昼間の訓練の確認って程度ですけど……」
「そうですか。それは良い心がけですね」
「あ、ありがとうございます……」

 唐突な褒め言葉にスバルはしどろもどろながらなんとか答えられた。
 こういう時、口が達者なティアナが代わってくれるものなのだが、その彼女は先程から開いた口が塞がらない状況で、完全に役立たずだった。

「訓練、頑張ってくださいね?」
「あ、はい」
「じゃあ、私達はこれで。行きましょう、父上」
『父上!?』

 恭也が口を開く間もなくティアナとスバルの絶叫が轟いた。
 少女二人の悲鳴にも似た声を聞きつけて、わらわらと人が集まってくる気配を感じる。
 恭也がどうするんだ、と視線で問えば、どうしましょう? と視線で返す我が娘。
 久々の親子ごっこで気が緩んだ二人は、致命的なところでミスを犯す。
 普段ならばさっさと逃げ出すべき場面で、相手に確認をとってしまったのだ。
 以心伝心レベルの二人が、である。

「ちょ、どうしたふt―――ああ!! ヴァイス陸曹を振った人!!」
「おおおおお!? 何だあの綺麗なねーちゃん!! 広報課は何をしていたぁ!!」
「ちょ、写真!! 誰か映像を永久保存しろー!!」
「管制室!! 管制室応答しろ!! 玄関ロビーの監視カメラの映像を今から高画質で録画しろ!! 今すぐだ!!」
『え〜機動六課内の、え〜全魔導師は、え〜各デバイスを、え〜全力起動してください。え〜目標は玄関ロビーの、え〜謎の美女でーす』

 頭をかかえる恭也と乾いた笑いしか出てこないシグナム。
 お前ら、その行動力を作戦に転化できんのか。
 いえ、父上。それは貴方に言うべき言葉です。
 パパパパパパパパパパシャッと連打されるシャッター音。
 電子化されてもアナログの感触は続くということか。
 いやそもそもミッドチルダのシャッター音が地球と一致していることに驚きだ。

「―――ではなくて」

 思考が逸れたのを無理矢理修正。
 この有象無象共、どう斬り殺してやるべきか。

「父上。怖い顔です」
「む。殺気を放ちすぎたか?」
「むしろ出ていないのが恐ろしいですね」

 ああ、だから周りが構わずに騒いでいるのか、と恭也は悟る。
 ならば、解らせるまで。

 ―――カチン

『うおぉぉぉおおおおおぉぉぉおおぉぉおおぉぉ!?』

 八景の鯉口を切って見せて、漸く群がっていた有象無象が後ろに下がった。
 恭也の怒りがヤバい状態になっていることに気付いたようである。
 とは言っても、やはり殺気も怒気も出ていないので実感しづらいのだが。
 素人集団なので、その手のものが全然出ていない状態が如何に危険かいまいち解ってはいない。

「無駄に喧しい奴らだな。―――潰すぞ」
「怖っ!? 高町さん怖っ!?」
「この兄妹、やはり根は同じか!!」
「味方でも容赦ねー!!」

 好き勝手慄いている。
 しかし、恭也には一言だけ言いたいことがある。

「俺はなのはよりマシだ」
『うっそだぁー』
「全面的に否定するな、馬鹿者。大体、あれは非殺傷設定に寄りかかって手加減を知らんだろ。俺は出来る」
「死の一歩手前まで扱くんですね、父上」
「それが鍛錬というものだ、娘よ」
「あのー、旦那?」

 父子がなんとはなしに語らっているところに、ヴァイスは勇気を持って割り込んだ。
 個人的には恭也と謎の美女の会話を聞き続けたいところなのだが、いい加減彼女の正体が気になる。
 朝ははぐらかされたが、ここまでの衆目を集めたのなら、暴露してもらわなければ収まりがつかない。

「いい加減教えちゃあくれませんかね? その隣りにいる女性のこと」
「教えるも何も…………ふむ。どうするか」

 と、視線を隣にやったところで、関西訛りの声が割り行った。
「―――おお、シグナム。今日はまた一段と気合入っとるね」
「主はやて。恐縮です」

 ―――――――――は?

「ちょ、え、まっ」
「あ、あの、八神部隊長? 今なんと仰られましたか?」

 混乱の極地にすっ飛んでったスバルの一歩手前で踏みとどまったティアナが核心をついた。

「ああ、皆知らんかったか。恭也さんの隣にいるのはシグナム。シグナム副隊長さんや」

 ……………………。
 一拍の間を置いて、

「おいおいおいおい!! 広報課は何してやがった!?」
「ちょ、カメラ! カメラ回せ!!」
「デジカメじゃ駄目だ!! 光学式の一眼レフ持ってこい!! あとスチール!」
「ハンディカム! フルHDが撮れる奴! 確か備品室にあっただろ!!」

 先ほどと同じような暴走をし始めた。
 ここの局員は軒並みお祭り系か、と呆れ返る恭也である。

「父上、燃やしていいですか?」
「構わん」
「では」
「ちょちょちょちょい待ち、シグナム!? あかんよ!? ティアナと恭也さんの二の轍踏まんといて!」
「はやて嬢、時に人はガス抜きを行わなければならないんだ」
「四六時中抜けまくってる恭也さんは黙っとって」
「こう見えて俺は常に気を張っているんだが?」
「どこが?」
「純粋な視線で返された!?」
「父上、いい加減思いつきで嘘を仰るのはやめてください」
「嘘にするなっ。至って真面目なコメントだろうが!」
「あのな、恭也さん。発言者のキャラに合わないコメントは、一般的に嘘って認定されるんやよ?」
「そんな常識があってたまるかっ」
「ストイックな恭也さんは偽物や」
「断定しやがった!?」
「あ、私も賛成します」
「……娘よ。今こそ父は慟哭の涙を流そうと思う」
「では私の胸で泣くといいと思います」
「恭也さん、たまには私の胸で泣いてみませんか?」
「一度とて誰かの胸で泣いたことはないのだがね、フェイト嬢」
「じゃあ、初めてのお相手を立派に勤めてみせます」
「駄目だよ、フェイトちゃん。そう言うのは家族の役目なんだよ? 妹がいるんだし、ほら」
「いやいや、待ちーや。それこそその役目は娘である私が相応しい思うんけど?」
「たまにはお姉さん役をやってもいいと思うんですよ。こう見えて八神家の長女ですよ?」
「腹黒さが透けて見えるから駄目だろ」
「安心とは対立の立場だろう、お前は」
「昔の癒しは遥か彼方……か」
「リインはリインは、はう!? 小さすぎて無理ですぅ!!」

 最早誰が喋ってるか判りゃしねぇ。

「―――全員黙れ」
『おおっと』

 完全に収拾が付かなくなった場を、今度は解りやすい殺気で黙らせる。
 やれやれ、と殊更言ってのけて、恭也は胡乱な目をした。

「正体が判ったのならさっさと解散しろ馬鹿共。仕事中だろうが」
「旦那、日勤の連中はとっくに終業してますぜ」
「……ほほう、では今現在暇しているということか。業務外ならば、体罰はただのスキンシップ扱いだな?」
「全員解散!!」
『お疲れさまでしたー!!』

 一目散に散らばる有象無象に、恭也は呆れ以外の感情を持つことが出来なかった。
 これが将来を嘱望された若人というのだから、始末に置けない。
 管理局の未来はおちゃらけた連中の遊び場になりそうだ。

「……何が楽しくてワラワラと集まってくるのか」
「そら恭也さんと遊びたいからやな」
「俺は保父になった覚えはない」
「皆を幼稚園児扱い出来る歳ってちゃんと自覚しなよ? お兄ちゃん」
「自分の年齢は自覚している。あの連中が子供なだけだろう」
「そうかなぁ?」

 人生経験、いや人間としての厚みは長い時を生きているはずのヴォルケンリッターよりもあるように思えてならない。
 それともこれは身内贔屓なのだろうか、となのはは考えてしまう。
 この兄も、ドイツに居る兄も、年齢以上に『分厚い』のだ。

「凄く綺麗だねシグナム」
「……ありがとうございます」
「わ、なんかもうホントに別人みたいだ」
「休日仕様ですので」
「ねえ、はやて。なんでシグナムはこうなったの?」

 フェイトの純粋な疑問に、はやてもはて、と首を傾げた。
 そう言えば、シグナムの休暇モードが「御令嬢」になったのはどういう経緯だったのだろうか。
 その経緯を知らなかったことに今更ながら気づいた。

「私も知らんな。なんでなん?」

 主に問われれば、正直に答えるのが家臣の勤め。
 シグナムは躊躇いなく話した。

「普段の自分と正反対の要素を纏えば、周囲には気づかれないかと思いまして、それで……」
「そう言えばシグナムさん、結構な有名人でしたね」
「何度か広報誌の表紙にもなったなぁ」
「……それ、組織の広報誌としてどうなんだ?」

 一度として広報誌など読んだことがない恭也にしてみても、違和感しか出てこなかった。
 そんなカジュアルでいいのだろうか。

「やって、人集めるのには綺麗所が必要やんか。ぶっちゃけ、ブサイクと美人の二人がいたら美人についてくよ? 私」
「はやて嬢、今度から知らない美人についていってはいかんぞ?」
「私何歳設定やねん!!」
「でも、広告は見た目が必要だからねぇ。シグナムさんなら十分すぎると思うよ?」
「……それを仰るなら、お三方も表紙になられましたよね?」
『あ』

 と、三人娘が互いに顔を見合わせた。
 恭也がシグナムに視線で問うと、彼女は得意げに語る。

「一番最初に乗ったのはなのは、その次が主。そして最後にフェイトでした。一番回数が多いのはなのはですね」
「流石撃墜王。あれか、その表紙には『WANTED』と撃墜数が載っているんだな?」
「私賞金首なの!?」
「全世界の犯罪者にとってみれば、そうだろう」
「わ、私はただの女の子だよ!」
「ダウト」
「ダウト」
「ダウト」
「ダウト」
「ダウト」
「ダウト」
「ダウト」
「ダウトですー」
「ぜ、全員で!?」

 悪魔から魔王へクラスチェンジした時点で、『普通』とか『ただの』なんて形容詞は使ってはいけません。
「評判が高かったのは、戦技評価会での望遠撮影されたものでした。世間的には真剣な眼差しをするなのはが好評、と言うことになっていますが……」
「なっていますがって嫌な前振りしないでください!!」
「ゆーても、大半がなのはちゃんの眼光がごっつこえぇって感想で掲示板が埋め尽くされとったな」
「あ、あの、二人ともそのくらいで……」
「フェイトは、終始一貫してスタジオでの写真撮影のみでした。しっかりメイクをし、完璧にライティングされたあれらの写真は最早芸術でしょう」
「ひゃい!?」

 いい加減なのはを虐める二人を見かねてフェイトが止めに入ったというのに、シグナムは返す手でフェイトに目標を変えた。
 当然、その主たるはやても便乗。

「私はインタビュー中の写真ばっかりやのに、フェイトちゃんはしっかりおめかしして撮影かいな。そらちょっと贔屓が過ぎるんとちゃう?」
「お前ら三人で美人なのはフェイト嬢だろう。しっかりやって欲しいんなら、少しは化粧を覚えることだな」
「きょ、恭也さん!? びびびび美人って!!」

 唐突な褒め言葉にフェイトは耳まで真っ赤にして俯いてしまった。
 恭也としては事実を言ったまでだが、そこまで恥ずかしがることはないのではと首を傾げる。

「ナチュラルに口説き入ったで」
「この場合、本心でしょうねー。だから朴念仁なぁんて言われたちゃうんですよ? 恭也さん」
「と言うか、お兄ちゃん。簡単に女の子を褒めちゃいけません」
「……お前ら、事あるごとに褒めろと言ってただろ」
「時と場合によるのですよ、父上。TPOを弁えて下さい」
「だから俺に常識がないみたいな風に言うな」
「黒助、女に関しては非常識だろーがよ」
「認める」
「認めちゃうんだ!?」

 あっさり掌を返す恭也に、なのはは頭を抱える。
 なんでこう、都合が悪くなると流し気味になるのだろうか。
 あれか、どうでもいいからか。周りの評価なんて気にしないからか。
 実際そうっぽいから困り果ててしまう。

「で、隊長格が揃いも揃って駄弁ってていいのか? 引き継ぎはどうした?」
「んなのもう終わっとるよ。私ら、エリートやから」
「キャリア官僚はノンキャリアの敵だ」
「そんな昔の刑事モノみたいな偏見はやめなよ」
「たかがペーパーテストに受かっただけで生涯給料が段違いになるのは腹立たしい」
「あ、それ私も同感やよ。頑張ってる人はちゃんと褒章とかあげなあかん」
「だから恭也さんも頑張ってお仕事してください」
「嫌だ」
「三文字で拒絶した!?」
「ノー」
「ベタベタな日本発音で否定を!?」
「しかも一文字減ってる!!」

 とことん勤労意欲というものがない男だった。
 いや、『管理局の仕事』に関してだけだろう。
 一先ず、はやて達も制服を脱ぎたかったのでその場で解散。
 恭也とシグナムも自室へと戻ることにした。
 帰って早々の騒動に苦笑のようなものを浮かべながら、恭也は電子ロックを解除し、自室に戻った。
 そこで漸く息を大きく吐いた。
 億劫げにジャケットを脱ぎ、小刀を納めているホルダーとともにハンガーにかけた。
 手首に巻いていた飛針のバンドも取り、ベッド脇のサイドテーブルに置く。
 最後に背中に隠していた二本の小太刀も外して、身を軽くした。
 刀掛けに八景、そして不破を置いたところで、声が響く。

『変わらんな、お前は』
「……ああ、そうだな」

 発音に合わせて不破のディスプレイが明滅する。
 恭也は備え付けの冷蔵庫から牛乳パックを取り出した。
 開け口に口をつけて一気に煽る。
 食道に落ちて行く冷気が頭をすっきりさせてくれた。

「改めて問われて、思い出した。やはり俺はここに馴染もうとは思えん」
『だが、十年もいるのだ。馴染む馴染まないとは別に、お前はここに縁を作ってしまった』
「……ままならんな。確かに生きるには多少の縁は必要だが、ここまで輪を広げる気はなかった」

 十年前。
 七ヶ月ほど世話になった八神家と異世界とは言え血の繋がりがあるなのはとは、細々とした糸くらいは続くだろうと思っていた。
 しかし、現実には様々な立場の人間と関わり合っている。
 この世界にも未練を残すようなことはしたくない。
 未練があるのは元の世界だけでいいというのに。

「諦められんな、やはり。ああ、そうだ」
『それを抱えてこその十年だったからな。もしかしたら、その未練がなければお前は今ここで生きていなかったかも知れない』
「容易に想像できる話だ」
『……訊ねるが』
「なんだ?」
『もし元の世界に帰れるとして、もうここに戻ってこれない状況で、私も置いていくのか?』

 躊躇いがちに不破は言った。
 道具として、持ち主に捨てられる怖さを思ったのか。
 その心境は恭也には解らない。

「…………元の世界にお前のような刀はないだろう。もし持っていけばいらんいざこざを運びこんで来そうだ」
『そうか…………』

 気落ちした声で相槌を打った。
 それに内心で苦笑を浮かべて、恭也は慰める。

「……そうしょげるな。十年握った刀だ。手放さんよ。例えお前が壊れても、持ち帰るさ」
『――全く。刀の私にそれは殺し文句だぞ』
「刀に関して、俺は大真面目だ。正直なところ、八景とお前以外、持ちたいとも思わん」
『ええいやめんか。回路がヒートする』
「一番付き合いが長いのはお前だけだからな」
『………………………………』

 完全に沈黙した不破に恭也は傍目にも解るほどの笑みを浮かべた。
 完全な本心で言ったのだ。
 自分と彼女は一蓮托生だと。
 その意味に完全に不破は照れてしまったらしく、その後はどう呼びかけても黙ったままだった。

〜・〜

 いつものポニーテールに髪を戻したシグナムは、私服姿のままはやての私室を訪れていた。
 カッターシャツにタイトスカートというシンプルさは、先ほどまでの可憐味を一切感じさせないスタイリッシュさである。
 読者は泣いていい。そして作者も泣いていい。
 訪問の目的は今日の恭也の様子を報告するためだ。

「久々の休暇、ちゃんと休めたんか?」
「大いに楽しんでまいりました」

 休めたかと訊かれて楽しんできたと答えた意味に、はやてはしっかりと気付いた。

「じゃあ、どう楽しんだんや?」

 カップにインスタントのコーヒーを入れる。
 湯は瞬間湯沸かし器で瞬く間に作ることができるので便利だ。この辺りは、地球の科学技術との差だろう。
 シグナムにカップを渡し、はやても一口付ける。
 シグナムはコーヒーの水面を見ながら、ぽつりと語った。

「私とシャマルが恭也に懸想していることを告白しました」
「ぶはっ!?」
「は、はやてちゃん!?」

 唐突な激白にはやては唾が気管支に入って噎せた。
 熱くて苦しい!?
 拷問やがな!!
 リインフォースUが慌てて背中をさする。

「え、ちょ、待って? 待ってな? 色々おかしくあらへん?」
「どこがでしょう?」
「シグナムとシャマルがおじいさんを好きってことですか? 変じゃないですよね?」
「リイン、懸想の意味を辞書引いてきいや」
「へ?」

 尚も解ってない八神家四女を尻目に、はやてはシグナムを見る。
 寧ろ睨むと言ってもいいだろう。

「……シグナム、あんたホンマに恭也さんのこと……」
「ええ。好きです。愛しております」
「えええええええ!? しししししぐなむ!?」

 直接的に言ったことで漸くリインフォースUも理解できた。

「おおおおおじいさんはおじいさんなんですよ!?」
「お前が恭也をどの位置に置いているかは知っているが、私達は最初他人であり、よく似た共犯者だった。その後、家族とも思うようになったが……、まあ、それは勘違いだった、ということだろう」
「なんで勘違いやって気付いたん? と言うか、家族思とったら恋人になろう思わへんやろ」

 話の要をしっかりと突いてくるはやてに、シグナムは苦笑を浮かべた。

「……それほど劇的なことがあったわけではないのです。ただ、日々接していって、と言う塩梅でしょうか。これだ、と言うことはなかったんですよ、本当に。なんとなく違っていると思い始めて、それでです」
「うーん、シャマルもそうなん? シグナムとおんなじ様な感じ?」
「あちらのほうがもう少し詳しく自覚しているようですね」

 じゃあ呼ぼう。
 という訳で、詳細を知らされぬまま、医務室でまだ終わってなかった残務処理をしていたシャマルを部屋に呼び出した。
 強引な誘いだったため、シャマルは少々小言を言うつもりだった。
 いくらこの課の責任者だとしても、権力を乱用するのはよろしくない。
 知り合いで固めたからそういう面が顔を出したのだろうとシャマルは思い、部屋に入って開口一番―――、

「はやてちゃ」
「シャマル、恭也さん好きやってホントなん?」
「―――――――――うぇあ!?」

 舌を噛みそうになって、ついでにリアクションも大きく取って、挙句足がもつれて、背中から倒れた。
 見事な、そして典型的な驚き方の一例である。
 はやて的に一〇〇点だ。

「ちょちょちょちょなななな何事なの!? え!? どうゆこと!?」
「うむ。今日の休暇で恭也に告った。私とお前がアイツを愛してると」
「なに余計なことしてくれちゃってんのシグナム!? 特に私の気持ち勝手に伝えてどうしてくれてんの!? ちゃんと告白したかったのに!! 夜景の綺麗なレストランでほろ酔い気分で告白して、近くのホテルで夜明けのコーヒー楽しみたかったのに!!」
「ちょう古いで、そのスタイルは」
「? 夜明けのめざましコーヒーは、任務中なら普通ですよ?」

 専業主婦だったのはたった七ヶ月なのに、十年経ってもベタベタな展開を夢見るシャマル、チョメチョメ歳。
 しかもいくつかバリエーションがあるのか、それらすべてのパターンを喋り尽くそうとするので、はやては惜しみながらも全力で止めに入った。
 あとで全パターン聞こう、そう心に決意して。

「……で、冷静になったところで、話進めよか」
「恥ずかしいところを見せちゃってすみません」
「ええんよ。私ら、家族やないか。うん――家族面してへんとやってられんけど」
「家族的にはいいと思いますです。後何年かすればお話の種になるです」
「録音!? 録画!? 撮り溜めたデータ全部消してー!!」
「お前の痴態データは後で検証するとして、主の話を妨げるものではない」
「事の発端はあんたでしょう!?」

 素知らぬ顔で、騎士はカップに口をつけていた。
 ああ、こういうところばっかり似てきてるし!!
 誰にとは言わないけど!!

「……はあ、それでお話ってなんなんですか? テーマは嫌って言うほど分かりましたけど」
「ん。二人が恭也さんが好きになった理由、もしくはそうなって行った経緯が聞きたい」
「リインも興味津々ですー!」
「ものすごく人に話すには躊躇いまくる話題ね」
「シグナムはぶっちゃけましたよ?」
「この人は例外にしていいのよ? リイン」
「どういう意味だシャマル」

 ともかくとして、はやてにそんな話をしなければならない経緯を軽く聞いて、シャマルは仕方なく語り始めた。

「うーん、あんまりはっきりした理由はないんですけど……」
「それはシグナムもそう言ってましたです」
「私の場合は漠然としすぎていてな。前にお前と話した時は、お前の方が自覚があるようだったから」
「ああ、そういう事。じゃあ、ちょっと私もあんまり整理がついてませんけど、いいですかね?」
「モチロン。そっちの方が生っぽいし」
「なにを隠そう、私が最初に恭也さんと出会ったんですよね」

 高町恭也が八神家と懇意になった切っ掛けは、海鳴の海浜公園のベンチで青い顔をしていた彼を見かねて、シャマルが声をかけたことだった。彼女がその時少しでも、自分の事情を優先していれば、金輪際彼と知り合うことはなかっただろう。

「そういう意味じゃあ、皆私に感謝とか出番とか、色々優遇するべきだと思います!」
「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」
「ナンマンダブナンマンダブ」
「お経じゃなくて感謝の言葉ー!!」

 で、

「あの後も、恭也さんと一緒にいた時間が長いのも私だったから、多分みんなよりはちょっと詳しいと思うわ。昔、スパイクフォースに臨時出向で治療しに行った時は、剣術をひけらかしてたし。まあ、それは私には理解出来ないって思ってたからなんでしょうけど」
「奴の太刀筋を見たのか?」
「見た、といえば見たけど……。ちゃんと言うと、私に恭也さんの動きは殆ど見えないわよ? ただ、人とか物がどう斬られたかは、斬り口を見れば大体は解るのよ」

 だが、それはあくまでも事後である。
 現実として、シャマルは恭也の動きを捉えることはできない。
 剣筋だとか、刃筋だとか、凡その剣術の理念理論も理解出来ない。
 恭也は幾つかの現場に同行していた過程で、それを確信したからこそ、シャマルの前で技を振るったのだ。

「……むぅ、少し複雑だな」

 シグナムが拗ねた言葉を漏らしてしまうのも仕方がない。
 恭也の聖域である御神流。
 それを身内に、そして敵にさらけ出すことは、この十年で二桁に届くか否か、と言う程度だ。
 剣客の性質を考えればそれは当然なのだが、八神家の面々は、シャマルを除いてその殆どを知らない。
 模擬戦で相手をする時も、あくまでも模擬戦前提の動きであり、彼が常々注釈を入れている暗殺剣ではないのだ。
 高町恭也の真の一刀を知るのは、恐らく彼の刀――それに宿るAI『不破』のみだろう。

「奴の隠し癖、どうにかならんものか」
「私やシャマルが解らんでも問題ないっちゃあないけども。……でも確かに、恭也さんの本質に近い所なんよね、その辺りは。それを見せてくれてたんは、それなりの信頼の証やないの?」
「……判断に困るところですねぇ。恭也さん、利害で簡単に掌を返しますから……」
「おじいさんはいい加減で意地悪なんです。リインにも戦闘記録の説明してくれないです」

 とまあ、剣術の方面で恭也に迫るには、同じく剣術家にならなければ無理だろう。しかも、日本の古武術限定である。
 ニッチにすぎる。

「ほんで? シャマルとしてはどう言った塩梅で好きになってったんや?」
「そうですねぇ。ホントに他愛ないんですけど……」

 過去の幾つかの出来事を思い返しつつ、シャマルはその記憶をそのまま伝えた。

「恭也さんが家を出ていった後も、何度か泊まってくれることがありましたよね?」
「そうなんですか?」
「そいや、リインが生まれた時くらいから、ウチに泊まらなくなったなぁ」
「恭也さんも仕事が忙しくなっていた時期でしたからね」
「うー、リイン、ちょっと寂しいです」
「今は一緒やから、うんと甘えとき」
「はいです!」

 全身で意気込むリインフォースUにはやては頭を撫でてやる。
 そんな朗らかな様子にシャマルとシグナムは笑みを浮かべる。

「それで、泊まってくれた時、色々とフォローしてくれて……。一緒に住んでた時は気付かなかったんですけど、離れてみると恭也さんに色々手伝っててもらったんだなぁって解ったんです」
「あの男、何気に色々手を回すからな。……ああ、だからあの辺りからお前の失敗が露見し始めたのか」

 恭也がいなくなってから、シャマルの不手際が多くなった。
 まあ実際は、失敗の頻度は変わっておらず、後始末や防災を恭也が秘密裏にやっていたのだろう。
 シャマルの知らないところでやるのは、まあ構わないのだが、本人に失敗を自覚させるのも必要だと思わなかったのだろうか?

「うぅ、恭也さんが残した爪痕が大きかったわ」
「でも、なんでおじいさんは注意しなかったんでしょう?」

 リインフォースUの疑問にはやては見当がついた。

「…………どうせすぐ別れるからとか思ってたんやろな」
「有り得ますね。十年も我々と関係を持つということを予想してなかったのでしょう」
「酷すぎです、おじいさん」
「恭也さんの状況を考えれば、仕方ないかも知れませんけどね」

 恭也の思惑に憤慨する三人であるが、シャマルは一定の理解を示した。
 無論、八神家の住人は、恭也が帰れるのならその手助けを惜しむつもりはない。今生の別れとなったとしても、だ。
 ただ、その手段を探すことを黙っていることや、いつでも縁が切れるように立ち回るのが許せないのだ。
 治癒を中心とするシャマルにとっては、彼と別れることで陥るであろう、知り合いへの影響を考えれば、まだ納得が行った。
 下手に深く関わりすぎれば、心の傷もまた深くなる。
 当人達がそれに納得するかどうかも、恭也にしてみれば『余計な傷』扱いなのだろう。
 確かに今生の別れは辛いものだが、それをも納得させる付き合い方もあると思うのだが……。

「あれで、恭也さんは付き合い下手ですから。口八丁で煙に巻くのも、関わらせたくないからみたいですし」
「それが長じて変人になってもうたんやな」
「悲しい話ですね」
「……いや、真面目に落ち着かせようとも、奴の突っ飛さは消せんぞ」
「おじいさんに真面目な話は全然似合わないです」
「二人とも、せめてそこは綺麗に落としてもいいんじゃ……」
「シャマル、それはあかんえ? あんの人にシリアスは適用できんのよ。修正ファイル適用外や」
「悲しい話ですね」

 本当に悲しい話だった。
 横道に逸れた話を、シャマルは修正していく。

「そう言う小さいフォローとか、本当にたまに見せてくれる優しいところとか、なんというかこう、嬉しいんですよ。恭也さんに構ってもらえるのって」
「すっごくよくわかりますですー。でも小さいとか見えないとか、身体ネタはがっでむですー」
「今の言語選択は誰のせいだ?」
「……強いて言えば八神家やろうなぁ。まあともかく、シャマルの言うてることはよく解るわ。私も構ってもらいたい派やし」
「と言うか、それは我々全員なのでは?」

 シグナムの結論に全員頷いた。

「八神家の父親は伊達やあらへんね」
「でもそれなら、そのぅ、す、好きとかは違うと思いますけど……?」

 リインフォースUの疑問に、シャマルは恥ずかしそうに顔を赤らめた。

「あの、ね? 恭也さんって、駄目な人なのよ」
「うん」
「はいです」
「そうだな」
「ああああ違うの。違うんですって!」

 表現を間違えた。

「そうじゃなくって。自分の事は全部自分で出来る人なんですけど、それでも見てて危なっかしいでしょ? 出来るって言っても必要最低限にして、剣のことばっかりだから……。だから見てると、ついお世話したくなっちゃうんです」
「御飯作ってあげてたくらいやしね、私ら」
「たまに金を貸したこともあったな。翌日に返済していたが」
「お金も? 何やあの人、マジ駄目人間やん」
「リインは、リインは……。はぅっ!? 何もしてませんですぅー!?」
「リインちゃんはむしろされてた側よね」
「いや、リインはいるだけでいいんや。つーか、恭也さん、リイン弄って癒されてたし。だからリインも役立ってるよ?」
「そんな役立ち方やですー!!」
「十分だと思うが……」

 さておき。

「ああいう、いかにも自分は大丈夫って言っててハラハラさせてくる人って、可愛く見えちゃうんですよねぇ。この辺りはフェイトちゃんも知ってるみたいですけど」
「え、ホンマ?」
「ええ。時々零してましたよ? 恭也さんが可愛く見える自分はなんか駄目な気がするって」
「なんて返したん?」
「それは駄目だから、関わっちゃいけませんって言っておきました」
「よろしい。フェイトちゃんは歩く萌え要素やからね。あんなボデーして可愛いとか世の中間違っとる」
「主はその千倍可憐であります」

 シグナムのヨイショに、はやては照れくさそうに笑った。
 しかし、フェイトの認識は依然として『可愛い人』である。
 遠ざかせるにしても遅すぎた模様。

「私の気質も関係してますから、恭也さんみたいな男性はかなり好みのタイプですねぇ。逆に言うと、シグナムが恭也さんを好きな理由とは違うと思うんですけど……」

 話している内に確信したのか、シャマルはそう思えるようになったようだ。
 落ち着いた所が、好きなタイプに収まったのは、果たして高町菌の汚染が関係するのかどうかは、誰にも判らないが。

「……お前の話を聞いていて判ったことがある」
「お、なんや?」
「シャマルはかなり早い時期から懸想し始めています。それこそ出会った時からですね。私の場合は、ここ近年です」
「シグナムの方が遅いですか?」
「その『遅い』が重要なのだろうな」

 言って、シグナムはコーヒーを一口啜った。
 その様子に我慢出来なかったリインフォースUが催促する。

「どういうことですか?」
「シャマルが言った『好きなタイプ』が鍵だ。つまり、出会った当初の恭也は、タイプではなかったということだ」
「それが近頃気になりだした、てぇことは……。シグナム、年上がタイプなんか?」

 はやての推測に、シグナムは鷹揚に頷いた。

「どうやらそのようです。休日仕様のあの格好も、思えばここ数年で始めたことですし」
「年上に甘えたがるシグナム。――なにその最強属性。勝てへんやんか!!」
「シグナム、あなたファザコンだったのね」
「その表現は心外だな!?」
「リインの場合はどうなんですか? グファコンですか?」
「なんか血反吐吐きまくってる気がするから、やめときや」

 その後も爺コンプレックスの略称を考え続けるリインを尻目に、会話は続く。

「恭也の年齢が上がってきたのが、要因の一つなんでしょう。世間から見ればまだ若い方ですが、あの男の持つ雰囲気はあの年齢では出ない落ち着きを孕んでいます。あの安心感はおいそれと出せるものではありません」
「少年っぽくて、でもお父さんっぽい? どこまでも女を惹きつけようとする体質やなぁ」
「全力で引っかかってますけどね、私達」
「悪い男やで、ホンマに」
「でも、悪い気はしませんよね?」
「だから悪い人なんよ」

 苦笑のような笑みを三人は浮かべた。
 リインフォースUは未だ自分の世界に没頭している。

「今の恭也は、強いです。事、剣に関しては、最早私では敵いません」
「でも模擬戦じゃあシグナムが勝っとるよね?」
「あれはあちらが手を抜いてます。模擬戦のルール上、魔法使用可ですから。魔法を含めれば、勝率七割です」
「それでも勝てる要素がある辺り、恭也さん、人間の枠を超えてるわよね。私だったら、簡単に無力化されそう」
「シャマルはまだ抵抗できるやん。私、気配消されたら、マジで知らん内に倒されてるんよ?」
「その剣の腕が、私の中では神格化されてますね。私が人間ではない事も含めて、奴の剣技は崇拝に値します」
「シグナムにそこまで言わせるなんて……」
「多分に幻想も混じってると思うが……、普段見ている分でそれだからな。隠されている奴の完全な剣筋を見たら、一体どうなるか……」
「つまり、シグナムは強くて年上の男の人に弱い、っちゅうことか。それ、私も当てはまるなぁ」
「そうなんですか? はやてちゃん」

 良い略称が思いつかなかったリインフォースUは、それを諦めて話の輪に戻った。

「……ちいちゃい頃に両親亡くしてもうたから、年上の人ってなんちゅうか、憧れがあるんよね」
「一応、私達も年上なんですけど」

 記憶も設定年齢も。
 だが、シャマルもはやてが言いたいことは解っていた。

「『親』ってちゃうんやろ? 私らの周りで両親そろってるのはアリサちゃんとすずかちゃん、なのはちゃんや。……まあ、この三人の親が世間一般的な親かどうかは置いとくとして」

 一同は頷いた。

「『親』は普通の大人とはちゃう。普通の大人ゆうんは、大体が効率を選んで、世間体を考えて、生活することを主体に生きてる。『親』はちゃうんよな。勿論、子供を持っとる親も会社に行けば、普通の大人や。でも、子供に対してだけは大人やなくて、『親』やねんな」

 はやては天井を見上げながら、思い出すように語る。

「『親』は厳しいんやね。甘やかしてくれるけど、それはどーでもいい時だけで、必要な時には子供泣かすくらい叱って育てる。子供にとっちゃあ唯一の、絶対的な味方の癖にやで? しかも、それが親の愛情だって解るのは、もっとずっと後で、当時の子供は叱られるのが嫌でたまらん。でも、他人の大人が叱るのと、『親』が直接叱るのじゃあ全然ちゃう。この辺突き詰めてくと、動物としての人間って不完全すぎるとかそっち方面に着地してまうけど、今はその話は置いとこう」

 顔を戻して、はやては結論を言った。

「色々並べたけど、結局私は恭也さんを『親』みたいに思うとるんやな。あの人、『身内に遠慮は無用』って言うとるけど、その姿勢ってまんま『親』やって思う。少なくとも私はそう考えてる。シャマル達は家族やけど、一種兄弟姉妹みたいなもんでしょ? 『親』ってポジションは誰もおらへんかった」
「…………そうですね。恭也の父性は我々にはありがたかった」
「リインにとってはおじいさんですけど、やっぱり『親』みたいなことになりますですか?」
「リインちゃんとはやてちゃんの関係性は母子に近いけど、近いだけなのよねぇ。確かに、八神家の『親』の役割をしてたのは恭也さんだと思うわ」
「やっぱ? あの時は23だったのに、えらく老けてたんやな。まあ、反応とかは若かったけど、今と比較すればって話やし」
「つまり、主はファザコンであると」
「し、しぐなむ? それはちょっと……」
「あー、ええって。自覚あるし。しかも、ちょっと禁断系の」
「禁断系!?」

 軽く笑いを絡めて、はやては話を締めくくることにした。

「この十年で私らは恭也さんに教育されてもうた訳や。言い方悪いけど、光源氏のまんまやね。違いは自分好みにしてない所くらいか?」
「より性質が悪いと思います」
「右に同じです」
「リイン解んないです」
「なはは。まあ、私の正直な所を言うとやね。あの人ほっとけないんよ。目を放せなんだし。んでもって、出来るなら傍で見守って欲しい。うん、結構形としては纏まったかな」

 これまでは明言してなかった気持ちを吐き出して、はやては自分の気持ちを自覚し始めた。
 今までの漠然とした『好き』から、『愛』へ変わり始めた瞬間なのかも知れない。

「シグナム達ほどキッパリしとらんかと思うけど、今のところの私の気持ちやね」
「リインは応援しますですよ! はやてちゃんとおじいさんはお似合いだと思うです!!」
「私も負けていられませんな」
「うーん、勝負事にするのはどうかと思うけど……。でも、好きになってもらいたいのは私も同じです」

 無論、恭也が自分達を嫌っているとは思っていないし、家族愛で言うところの好きに近いものを持っているはずだ。
 それが特定個人に向ける『愛情』になるかは、各自の努力次第だろう。

「できれば、元の世界に返してあげたいね。行き来できるようになれればめっけもん」
「あちら側にも手強い敵がいますが」
「リインは目一杯お手伝いしますです!」
「いやだから勝負事にするのはどうなのよ?」

 もう冷めてしまったコーヒーを忘れて、女性陣は夜更けまで和やかな談話を楽しんだのだった。

〜・〜

 その会話の中で――、

「それにしても、なのはちゃんやフェイトちゃんはどうするつもりなんでしょうねぇ? 特になのはちゃん」
「あれはお兄ちゃんに甘えてるだけやろ。流石にそっち方面には考えてへんと思うよ?」
「では問題はフェイトの方か」
「うー、どうしますですか?」
「いえ待って? なのはちゃんとちょっと相談してたんだけど、ヴィヴィオちゃんの引き取り手が見つからなかった時、どうするか相談された時に、自分で引き取るのも考えてるって言ってたのよ」
「何か問題でもあるのか? まあ、なのはの忙しさを考えると教育については不安があるかもしれんが……」
「その教育よ。親役に恭也さんを就かせるかも……」
「高町式教育!! めっさ受けたい!」
「そう言う問題じゃなくて、それってそのまま恭也さんと夫婦的な関係になのはちゃんはなろうかって考えるんじゃないかと……」
「――親友が宿敵に!? どこの少女漫画!?」
「ヴィータならば類似作品を知っているかもしれません」
「ヴィータちゃんのコレクションは参考になるですよー」
「ちょっとヴィータの部屋突撃しよか」
「御意に」
「はいですー!」
「防音結界は任せて下さい」
「おっしゃ突撃やー!!」

 犠牲になった鉄槌の騎士がいたとかいないとか。