一歩、遅かった。
その一歩が、明暗を分けた。
身柄を拘束する鎖と檻を三人が脱した時、既に全ては始まってしまった。
「はやてちゃん!」
「はやて!」
間に合わなかった。その思いで恭也は潰れそうだった。
護ると決めたあの子を護れなかった。
その突きつけられた事実に、自然、刀を握る手に力が入る。
護りたいと、護らなければと決めていていたのに。
決めていたのに!
少女の慟哭が、夜空に響く。
噴き出す魔力。天に昇っていく光の柱を前にして、三人は動きを止めざるを得なかった。
天と地を結ぶ柱の中、はやてはすでにはやてではない何かに取って代わっていた。
「我は、闇の書の主。この手に、力を……」
左手に書が現れ、『彼女』は唱えた。
「封印、解放」
『Freilassung』
闇の書の封印が、今解かれた。
膨大な力を擁する書は、はやての肉体の器を広げていく。手が伸び、足が伸び、髪が伸びた。女性らしいシルエットを見せながら、書の管理プログラムがここに顕現した。
その光景に、恭也達は息を呑む。主の肉体を、デバイスが支配する。その事実に三人とも体を震わせる。主従が逆転し、そこにもはやはやての意識がない事を知らされたのだ。
「また、全てが終わってしまった。一体幾度、こんな悲しみを繰り返せばいいのか」
「はやてちゃんっ」
「はやて……」
魔導書は涙を流す。
主の悲しみを代弁して、魔導書は涙を流した。
「我は闇の書。我が力の全ては――」
『Diabolic emission.』
天に手を翳す。そこに魔力の渦を作った。膨張していくそれは、純粋な破壊の力。主が望んだ、破壊の力だった。
「主の願い、そのままに」
地球を見下ろすアースラ。
先ほどからなのはとフェイトに連絡が取れない事に疑問を覚え、海鳴市を探査すれば通信妨害の結界が市全域に渡って張られていた。恐らくはなのはとフェイトの二人はその結界の中にいると見られる。既に二人の自宅を調べたが、帰っている様子もない。リンディはその事で湧いてくる嫌な予感を拭えなかった。
「対象区域の通信妨害、消滅」
オペレーターが情報を読み上げる。その報告に、リンディは滑りかけた思考を現実に戻した。
正面モニターに海鳴市が映る。隔離結界が敷かれたその映像に、緊急性を感じて執務官の所在を確認した。報告には既に現地に飛んでいるとの事。ならば、後は見守るしかなかった。
「歯痒いわね……」
人知れず、リンディは呟きながらも、現場の最高責任者として指示を飛ばす。
「現場周囲の対魔対物理防御結界を。あと、巻き込まれた一般人がいないか捜索して」
「了解!」
「それから、出来る限り情報の取得と分析を。データは逐次執務官となのはさんとフェイトさんに」
「そっちはもうやってます!」
エイミィの答えにリンディは苦笑しつつ、モニターを睨んだ。
〜・〜
海鳴市の東南部を包む結界。それは隔離結界だった。通常世界にあまり影響を残さないためのものだ。ヴィータ達が使っていた封鎖領域と同じ性質を持つ結界をかけたのは、仮面の男達だった。
「よし、結界は張れた。デュランダルの準備は?」
「出来ている」
指に挟みこんだカードは待機モードのデバイスだった。
デュランダル。
凍結魔法に特化した対闇の書仕様のデバイスだ。管理局が今持てる技術を注ぎ込んで造った、現時点で最高位の出力を発する事が出来る。この凍結の杖で暴走前の闇の書を凍結封印し、次元の狭間へ送り込む。それが男達の目的だった。
男の片割れはちらりとビルの上空を見る。そこにはなのはとフェイト、そして恭也が闇の書の管理プログラムと対峙していた。
〜・〜
「…………」
無言で、恭也は刀を構えた。
切っ先は闇の書となってしまった彼女へ。しかし、気が乗らない。相手を倒す気概が湧かない。当たり前だ。目の前の相手は、護ると決めた子だ。それを斬ると考えるなんて、したくなんかない。
「……あの子は、助けられるのか?」
知識も力もない恭也には、最早絶望的だった。だからこそ、滅多に出ない弱音が出てしまう。それを飲み込む気力もなかったのだ。
「助けるよ」
「なに?」
横からはっきりと聞こえた。助ける、と言った少女を恭也は見る。そこには、恭也のような絶望の色など微塵も見せない異世界の妹がいた。
「助けられないなんて、考えない。私は、はやてちゃんを助ける」
なのははまだ諦めていなかった。諦めるには、まだ何もしていなさすぎた。何もしない内から、諦める事だけは絶対にしたくない。その心を見て取って、恭也は萎えかけた心に力が入るのを感じた。
「全ては手を尽くしてからです。何もしない内に、諦める事も逃げる事もしたくないから」
「そうか……」
フェイトもまた、なのはにそれを教わった。だから今フェイトはここにいる。
二人がまだ諦めていない事が嬉しい。諦めかけていた自分を恥じ入た。
「――全く、こっちの妹はなんとも熱血仕様だな」
「ね、熱血ぅ!?」
「あ、それしっくり来ますね」
「ちょ、フェイトちゃん!?」
「しかし立場が違う兄としても、お前の将来が気になるものだ。熱血少女など今時需要があるのか?」
「じゅ、じゅようってなに?」
「まあそれは脇に置いてだな」
「今誤魔化したでしょ!?」
少しだけ、場が明るくなった。そうなれば暗い事を考えるのが馬鹿馬鹿しくなる。持ち直した心を落ち着けて、恭也は眼下を見る。
「必ず助けるぞ、はやて」
一度言った事は、恭也は絶対に取り下げない。だから決意を口にする。有言を用いて取り消し不可とする。
その言葉が聞こえたのか、闇の書は恭也を見上げて、顔を歪めた。それを怪訝に思う前に、魔導書は頭上に掲げた魔力球を打ち上げた。
「デアボリック・エミッション」
上昇する魔力の渦に、恭也は直感的な震えを感じた。あれは、拙い!
「空間攻撃っ? 恭也さん!」
「なにを……っ?」
その言葉の意味を問い質す前に、恭也はフェイトに腕を引かれ、なのはの後ろに引っ張られた。
直後、魔力球体が急激に膨張し出した。
「闇に、染まれ」
空間攻撃。それは一定の三次元範囲を一度に攻撃する事を指す。言うなれば、爆撃だ。
それに人一人が立ち向かうには無理がある。過去の仕事の経験からそれをよく知る恭也は、なのはが防壁を張ったのを見て、少しでも負担を減らそうと自分も拙い壁を創った。
まるで砲撃だ。全身に感じる痺れと、耳を劈く轟音。その渦中で壁越しにやり過ごすのは何度かあったが、あまり何度もしたくない経験だ。
恭也が張った防壁が砕けた。罅が入り、次の瞬間には砕け散っていった。大した時間も耐えられなかった。それに比べ、なのはが張った壁のなんと頑強な事か。壁一つ取っても、ここまでの差が出る。やはり、自分は邪魔なのではと再度落ち込みかけるが、そこでザフィーラの言葉を思い出した。
『行くぞ、恭也。我等は、お前が思っている以上に期待しているのだ』
はは、そうだった。期待されているんだ、俺は。こんな小さい力しかない俺が期待されてるんだ。なら、期待に応えるだけでなく、見返してやる。
先ほどまでの空元気とは違った。開き直りと言っても良い。どうせ足を引っ張りそうなくらい小さい力なのだ。ならば、全身全霊をぶつけて、なんの差支えがある? 刀で殺す? 馬鹿な。笑いを誘う冗談だ。相手は自分が足元にも及ばない強大な力の持ち主だ。たかが蚊如きが五月蝿く飛んだとて、死に至るはずもない。
「――だから、全力で挑んでやる」
「え?」
砲撃が終わる。その瞬間、恭也はなのはのバリアフィールドを飛び越えて、勇ましい叫びをあげながら魔導書に戦いを挑んでいった。
「お兄ちゃん!?」
「なのは。一端、退こう!」
「でも、お兄ちゃんが!」
「あれはなのはのお兄さんじゃない!!」
「――――っ」
そんなこと、知ってる。声も、顔も、雰囲気も、微妙な差がある。恭也自身、それを仄めかすような発言をしていた。そこから推理すれば、多分なのはの『本物の』兄は家にいるはずなのは解る。
でも、
「闇の書の対策を考えなくちゃいけない。それに、手、怪我してるよ」
「あ……」
「だから、一端退こう」
「でも、私のお兄ちゃんじゃなくても!」
「……私はあの人を信用しきれない」
「え?」
そこまで言って、フェイトはなのはの腕を取って、立ち並ぶビルの陰に飛び込んだ。ビルの陰に入る直前まで、なのははビルの屋上に煌く灰色の魔法陣を見ていた。
〜・〜
その場に残ったのは剣士だった。二つの魔力反応は遠くに感じる。方角を探せばビルが数本並んでいた。恐らくはこちらに対しての対策を練っているのだろう。だが、それは些細な話だ。主が望んだ願いに支障はない。
ただ、目の前の剣士だけは、特別だった。
「来るか」
「ああ、挑むとも」
主が家族として迎えた人間。それは魔導書にとって特別だった。この男にだけは、攻撃する意識が数段階落ちる。それでも、主の願いのためには、全てを破壊しなければならない。はやての望みは、それだけ深いものだったから。
「あなただけは生き残ってもらいたい、と主は願っている」
矛盾した願い。しかし、はやての中ではそれで成立している等式。その願いを受けている魔導書は、恭也を手にかける事を拒否したかった。
だが、恭也はにべもなく断った。
「却下だ。俺だけ生き残った所で俺は納得しない。だから却下だ」
「あなたの力では私を破壊する事は出来ない」
「ああ、そうだろう。そうでなくては困る」
「なんの話をしている?」
言葉から見れば、勝てない事を知っていて、そしてそうである事を望み、しかし戦いを挑むと言う。理解、できない。
「はやてを、シグナムを、シャマルさんを、ザフィーラを、ヴィータを助ける話だ」
「主は、私の中で守護騎士達と過ごす夢を見ている」
そう。はやては、守護騎士達が消えた事を夢だと思い込んだ。悪い夢を見ていたと自分を誤魔化して、都合のいい自分の願望に逃げ込んだ。孤独だった少女がやっと手に出来た温もり。それが目の前で消え去ったのを見せ付けられれば、結果は見えている。
そして、はやては望んだ。全ては悪い夢。悪い夢は消してしまいたい、と。
魔導書は了解した。全ては主がため。主の為に、世界を破壊すると。
「夢はいつか覚める。その時、あの子はお前が破壊した、誰もいない世界で泣くだろう。誰にも慰められないまま、悲しみにくれて、そして死んでいく」
「我が魔導書は不滅だ。故に、主は永遠に夢を見続ける」
「ならば、お前を斬るしかない」
「無駄だと言った。あなたの力で私は壊せない」
不滅だったからこそ、ずっと繰り返してきた。
何人もの主が、同じ末路を辿っていった。管理プログラムたる彼女が目覚めた時、主はいつも世界の破滅を願っていた。これもまた、いつものように世界を消し去るだけ。そこにあるのは、虚無だ。
だが、そんなもの恭也にはどうでもいい話だ。闇の書が何度悲劇を繰り返してきたとしても、刃が届かないとしても、どうだっていい。恭也は騎士達に期待され、それに応えたいと思った。それだけが、重要なのだ。
だから、戦力差力量差なんて、
「承知の――上だ!」
恭也は足場を蹴る。
滑り落ちるように魔導書へと向かっていく。
真っ直ぐに、愚直に真っ直ぐに魔導書へと落ちていった恭也は、二刀を鞘に納める。
それを見て、管理プログラムは眉を顰めたが、すぐに物理防壁を自分の周囲に展開する。恭也に防壁を破壊する程の腕は無いと見たからだ。
恭也はそれらを把握した上で、だが真っ向勝負を吹っかけた。
彼は飛べない。
だから、相手に飛ばれると、途端劣勢になる。相手を一点に縫い付けるか、もしくは勝負に誘うかのどちらかしかない。
そして、闇の書は誘いに乗った。
込み上げる獰猛な笑みを顔に浮かべ、恭也は刀を抜き放った。
――奥義之弐 虎乱
左右二刀による抜刀。虎切よりも射程はないが、居合いを二つ続けられるこの技は、常人相手ならば確実に首を撥ねられる技だ。
全身全霊。
恭也は持てる力を全て、その一撃に注ぎ込んだ!
斬撃音。
連なった一閃は、やはり壁に阻まれた。
「……うっ」
魔導書が呻いた。左腕と右脇腹に痛みが走ったのだ。左腕を押さえれば熱いぬめりを感じる。脇腹も同じだろう。何故だ? と言う疑問が湧く。攻撃は手前で防がれた。刃は自分の身に届いてすらいない。だが、現に腕と腹を斬られている。
「何故だ……」
「教えてやらん」
相変わらず嫌な男だ、と長年連れ添った間柄のような感想を頭の片隅で思う。それは、吸収したシグナムの思考だった。管理プログラムたる彼女は、守護騎士達と記憶を共有する。そこに付随する感情もだ。
だからか、魔導書は泣き笑いのような顔を作って、言った。
「意地悪な男だ」
〜・〜
その戦いを仮面の男達は眺めていた。彼等の仕事は後一つだけ。
「保つかな、あの三人」
「暴走開始の瞬間まで、保って欲しいな」
暴走した直後に、凍結する。それが最後に残った二人の仕事だ。
しかし、ここに来て二人は少しだけ気を緩めてしまった。長い年月がかかっていたのだ。それだけに、終わりが見えた時、気が緩んだ。
そこを、突かれた。
「な、……っ」
「これは……!」
幾条の鎖が男達を絡め取った。
捕縛魔法ストラグルバインド。
暴徒鎮圧用のこの魔法には、ある特性がある。
「相手を拘束しつつ、強化魔法を無効化する」
「――――!」
いつの間にか、背後を取られていた。その事に、男達は仮面で顔を隠しているにも拘らず、目に見えて驚いていた。
そこにいたのはクロノ・ハラオウン。アースラ所属の執務官だった。
「あまり使いどころのない魔法だけど、こう言う時には役に立つ」
「う、ああああああああああああああああ!!」
「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
拘束された二人から魔力光が漏れ出す。幻影で塗り固めたメッキが剥がれ落ちていく。
「……変身魔法も、強制的に解除するからね」
全てのメッキが剥がれ落ちた時、仮面は外れた。
特徴的な耳と尾。クロノは、よく知る特徴を持った『彼女達』に、苦々しい顔をしたのだった。
「クロノ……っ、このぉっ」
「こんな魔法、教えてなかったけどな」
「一人でも精進しろと教えたのは、君達だろう。――アリア、ロッテ」
〜・〜
ビルの一角に飛び込んだなのはとフェイトは、闇の書と恭也の激突を見ていた。次々と現れては消えるグレーの魔法陣と空を貫く数々の閃光。距離があり、角度も悪いため、あのビルの上空でどのような事が繰り広げられているのか解らないが、激しい戦いに間違いないだろう。
それを思うと、なのはは今すぐにでも飛び出していきたかった。
「手は、大丈夫?」
「……う、ん。大丈夫。お兄ちゃんが少し手伝ってくれたから」
「…………」
それは知っている。だが、すぐに砕けてしまったのだ。恐らく足しにもなっていないだろう。それはフェイトも同じ事だ。フェイトの魔力ではあれだけの攻撃を防ぎきる事は出来ない。なのはの防御力の高さがあったからこそ、耐えられたのだ。
「……あの子、広域攻撃型だね。避けるのは、難しいかな……」
恭也はバリアジャケットも着ずに、生身一つだけで戦っている。機動性だけ取ればフェイトの方が速いが、恭也はこれまで蓄積してきた経験から、ある程度の先読みができていたのだ。だから、あれだけの砲火を浴びても、かすり傷で済んでいる。フェイトはそれを知っていたからこそ、ソニックフォームを解いた。自分には、全てを避けきる事は出来ないと悟ったからだ。
「お兄ちゃん、はやてちゃん……」
心配そうに呟くなのはに、フェイトはどう言葉をかけていいのか解らなかった。どちらもなのはにとって大事な人達だろう。その二人が争っているのは悲しい事だ。何より、恭也は守護騎士達の味方だった。なのはの胸中は、フェイトには推し量れないものだった。
「なのはー!」
「フェイト!!」
「ユーノくん! アルフさん!?」
なのはは二人の姿を見て、顔が少し綻んだ。友人が駆けつけてくれた事は、やはり嬉しいものだ。
「なんとか、間に合ったみたいだね」
「あたしらも手伝うよ」
「ありがとう二人とも」
礼を言うフェイトに、アルフとユーノは頷いて見せた。
そのとき、夜空に大きく悲鳴が響いた。
「ぐああ!!」
「お兄ちゃん!?」
振り返ったなのはが見たのは、ビルの側面を落下していく兄の姿だった。体から煙を上げているのが見える。恐らく闇の書の砲撃を受けてしまったのだろう。
その姿を見て、なのはは反射的に飛び出してしまった。
「お兄ちゃん、て?」
「その話は後で。今は……!」
ユーノの質問を一時棚上げして、フェイトはなのはの後を追う。連られるように、ユーノとアルフも飛び出すしかなかった。
「お兄ちゃん!」
なのははなんとか落下中の恭也に追いついた。伸ばした手は微かに届いた。服の袖に指がかかる。それをきっかけに、自分を恭也に手繰り寄せて、抱きしめる事に成功した。しかし、このままでは恭也は地面に叩きつけられる。恭也の意識は飛んでいるようで、自力で着地する事も減速する事も出来ない。
なのはは、落下する速度を緩めながら、しかし完全に止まる事なく、弧を描くように上昇機動に入った。上へと上がる進路に入ったとき、その先に闇の書が待ち構えているのが見えた。自分たちに向けた手のひらに魔力が集まっていくのが感じ取れる。
拙いと思ったときには放たれていた。レイジングハートが咄嗟にプロテクションを掛けかけた時、金刃がなのはたちを救った。
「フェイトちゃん!」
「お兄さんは、大丈夫?」
「まだ、気を失って……」
「ジェットコースター、顔負け、だったな……」
「お兄ちゃん!? お、起きてたの?」
かすれた声でなのはに返事をしながら、恭也は自前の魔法陣に立った。その時、不破からカートリッジが排莢される。どうやら、カートリッジの魔力を使い切ってしまったらしい。恭也はベルトのホルダーから、カートリッジを取り出し、不破に装填した。
「弾丸撃発」
『Rock'n Roll!!』
再び恭也を満たしていく魔力を見て、アルフは一つ気になる事があった。
「なあ、あんた。デバイスの趣味、間違ってないかい?」
「……俺の趣味じゃない。これを造った人が勝手にこうしたんだ」
「物凄くファンキーですよね」
「似合わない事は自覚してるから、何も言うな小僧」
「う、すみません」
本気で怒っているのが判ったので、ユーノは小さくなって謝った。
恭也は真上を見る。何故か、攻撃してこない。何かあるのかと恭也が眉を顰めた時、世界の感触が変わった。
「これは?」
「前にもあった、閉じ込める結界だ!」
「やっぱり、私達を狙ってるんだ」
フェイトとなのはは、はやての家族を殺したと誤解されている。あれは自分達ではないと教えなければならない。
「今、クロノが解決法を探してる。援護も向かってるんだけど、まだ時間が」
「それまで、私達で何とかするしかない、か……」
「うん」
話は決まった。
援護が来るまで、あるいは闇の書の処理法を決定するまでの、時間稼ぎ。不幸中の幸いで、今はなのはとフェイトが狙われている。周囲に被害が及ぶには、二人が倒されなければならない。翻せば倒されない限り、周りを破壊しないだろう。食い止めるには、戦うしかない。
「一つ、言っておく」
四人が決意した時、恭也はあえて四人を止めた。怪訝な顔をする彼女達に、恭也は真摯な眼差しで言った。
「俺と君達は仲間じゃない」
「お兄ちゃんっ?」
「今は共同戦線を張っているだけだ。……恐らく、俺が一番最初に倒されるだろう。だが、そんな事は気にしなくていい。元々敵同士だ。助ける必要も、庇う必要も無い。――言いたい事はそれだけだ」
「……事情は良く解んないけどさ、あんたがそう言うんなら、こっちはそうするよ。他人の気にしてる余裕、なさそうだしね」
「そうか」
アルフの答えを聞いて、恭也は満足した。
それでいい。雑魚一人にかまける余裕なぞ、あってはならない。それを解らせる為に、恭也は敢えて言ったのだ。予想通りなのはは不満顔を見せるが、恭也は取り合わず、先行して闇の魔導書へ向かうのだった。
〜・〜
「リーゼ達の行動はあなたの指示ですね、グレアム提督」
「違うクロノ!」
「あたし達の独断だ。父様には関係ない」
リーゼ達を拘束したクロノは、一時ミッドチルダに帰還していた。彼女達を連れ立って、彼女達の主ギル・グレアム提督の部屋を訪れた。
二人には闇の書事件に関連する、民間人に対する違法接触、管理局関係者への暴行、及びアースラの管制システムへのクラッキングの疑いだ。いや、もはやそれらは疑いではなく確定となっている。
今まで、クロノはリーゼ達の動向と、グレアムの暗躍について細部まで調べていた。ただ、確固たる証拠は流石に今日まで掴めなかった。彼等を拘束するには、現行犯で取り押さえなければならなかったのだ。
「ロッテ、アリア、いいんだよ。クロノはもう、粗方の事はもう掴んでる。違うかい?」
クロノは頷いた。
「十一年前の闇の書事件以降、提督は独自に闇の書の転生先を探していましたね」
それは、償いだった。
十一年前、闇の書を移送中だったグレアムは、そこで一人の部下を失った。クロノの父、クライド・ハラオウンを。
当時の闇の書は三重のセキュリティロックがかけられ、移送先でヘキサ級の封印を施して管理局がその封印を管理する手筈だった。しかし、移送用にロックの数を減らした事で、闇の書の魔力を抑えこめ切れなかった。結果、闇の書は暴走し、クライドが乗る船を侵食していった。それを食い止めるには、もはや船ごと破壊するしか手がなかった。そんな手しか打てなかった自分をグレアムは責め続けた。
その一件以来、ずっと彼は償いの方法を探していたのだ。
「そして、発見した。闇の書の在り処と、現在の主八神はやてを。しかし、完成前の闇の書と主を押さえても、あまり意味がない。主を捕らえようと、闇の書を破壊しようと、すぐに転生してしまうから」
だからこそ、グレアムは待った。
「だから監視をしながら、闇の書の完成を待った。見つけたんですね? 闇の書の永久封印の方法を」
クロノの言葉に、グレアムはかすかに頷くと、老成した雰囲気を更に枯れさせた。
「両親に死なれ、体を悪くしていたあの子を見て、心は痛んだが、運命だと思った。孤独な子であれば、それだけ悲しむ人は少なくなる」
「あの子の父の友人を騙って、生活の援助をしていたのも、提督ですね」
「永遠の眠りに就く前くらい、幸せにしてやりたかった。……偽善だな」
全ては承知の上だった。自分がどれだけの偽善者なのか、痛いほど理解していた。だが、闇の書の危険性を考えれば、仕方がないと言うしかない。いや、償う方法を、と考え続けたが、それは復讐に似た感情でもある。大人気ない八つ当たりをしてしまったのかもしれない。それをどこかで感じていたからこそ、グレアムはせめてもと、彼女に生活費の援助をした。金しか工面できない事にも、苛立ちを感じながら。
「封印の方法は、闇の書を主ごと凍結させて、次元の狭間か、凍結世界に閉じ込める。そんな所ですね」
「そう、それならば闇の書の転生機能は働かない」
破壊されず、主も仮死状態であるが死んでいない凍結状態ならば、転生しない。闇の書の転生を阻止するには、それしか手立てがなかった。非人道的な手だとしても、それしかなかったのだ。
「これまでの闇の書の主だって、アルカンシェルで蒸発させたりしてんだ。それと何にも変わんない」
「クロノ、今からでも遅くない。あたし達を解放して。凍結がかけられるのは、暴走が始まる瞬間の数分だけなんだ」
その言い分をクロノは理解していた。実現性から見れば、そのタイミングしかない事を。
だが、承服できない。
「その時点では、闇の書の主は永久凍結をされるような犯罪者じゃない。――違法だ」
そう。転生先の人間は、主に選ばれた時点では重罪人ではない。闇の書が覚醒し、そしてその力を扱えず暴走し、世界を破壊し始めた時、初めて犯罪者となり得る。罪があるとすれば、闇の書だろう。それ自体は道具だが、これまで重ねてきたものを拭う事は出来ない。だが、主に選ばれた人間は、その限りではない。だからこそ、逮捕も拘束も封印も、できない。
「その所為で! そんな決まりの所為で悲劇が繰り返されてんだ。……クライド君だって、あんたの父さんだって、それでっ!」
「ロッテ」
「…………っ」
グレアムがロッテを諌めたが、クロノはその先は知っていた。自分の父の事だ。写真でしか顔を知らない父の事を、どんな人だったか知りたくて調べてみた事はある。
クロノは立ち上がった。
「法以外にも、提督のプランには問題があります」
クロノが賛同できない理由はまだあった。
「まず、凍結の解除は、そう難しくないはずです。どこに隠そうと、どんなに護ろうと、いつかは誰かが手にして使おうとする。怒りや悲しみ、欲望や切望、そんな願いが導いてしまう、封じられた力へと」
それは、人が人である為に続く、悲しい連鎖だ。
やり直したい、なかった事にしたい、誰が邪魔だ、力が欲しい、叶えたい願いの為に、人は力を求めてしまう。それは人の弱い心にして、人を進める心でもある。なくてはならず、しかしあれば悲劇を齎す諸刃の剣。
人は、出来る限りその弱い心を強くして、生きていかなければならない。
「現場が心配なので……。すみません、一端失礼します」
クロノは、一礼をすると足早に部屋を出ようとした。しかし、グレアムはそれを引き止めた。
「アリア、デュランダルを彼に」
「父様?」
「そんなっ」
「私達にもうチャンスはないよ。持っていたって、役に立たん」
アリアに手渡されたデュランダルをクロノは見つめた。それからグレアムの真意を探るべく、彼の目を見た。
「どう使うかは、君に任せる。氷結の杖デュランダルだ」
〜・〜
やりづらい。
闇の魔導書はそう感じていた。向かってくる敵の内、二人は主が破壊を望む相手。また他にいる二人は、興味の埒外だ。一番困惑しているのは双剣の男に、だった。
さっきまで何度か体を傷つけられた。どう言う原理かは解明できないが、障壁があまり役立たない事だけは解った。だからと言って、障壁を解く事はしない。直撃を喰らえば死に至る事は、受けた傷から容易に想像できる。
しかし、結局は男の刃は届かない。届かないまま、魔導書の砲撃を喰らい、地に落ちていった。これでもう立ち向かって来ないだろうと思ってみれば、再び立ち塞がっている。
この男を戦わせる理由はなんだ? 主は、あなたを傷つけたくないと思っているのに。
「おおお!」
そんな魔導書の心境など知らず、恭也は刃を煌かせた。
三連刃。
袈裟と右薙ぎに唐竹。
そのどれもが達人級の一閃だ。
本来ならば骨を断つ事が出来るその三撃は、全てが届かない。
魔導書の手前に開かれた彼女の領域が、刃の進撃を拒んだのだ。
だが、魔導書は斬り裂かれる。今までと同じように。
「…………」
噴き出る血は気にしない。即座に傷が塞がっていく。元々は自己修復だったものだが、今では無限再生と同義の力となっていた。瞬時に消滅させられない限り、闇の書は不滅。瞬時に消滅させるほどの力は、この世にありはしない。闇の書と同等の力を持たない限りは。
故に、不滅。
「はああ!」
恭也の連撃に間を開ける事無く、フェイトが魔導書の背後から襲い掛かる。マントをはためかせ、光の鎌を大きく振り下ろす。
これに闇の書は反応し、防壁に魔力防御機能を追加した。
攻撃が弾かれ、一端距離を取ろうとするフェイトを追おうとするが、左後方から迫った三つの魔力弾にそれを断念させられる。
魔力弾と感じたそれは、形が細い棒状のものだった。
飛針。
シグナムとシャマルの知識がそう教えてくる。
投げたのは恭也だった。今まで物理攻撃しかして来なかったところにこれだ。フェイトの攻撃を受けていなかったら、障壁を貫かれていた。
恭也を仰ぎ見る。
頭上に構えていた剣士は、夜空に輝く細光を振るった。
自分を巻き取る細い糸。
捕縛能力はない。ただ頑丈なだけのそれを、書は力技で引き千切った。
一瞬の停滞の中、恭也は魔導書に肉薄する。
刃が躍る。
変幻自在にして神速域の連刃に、動きを固められる。
それでも防壁の強度に物を言わせ、魔導書は拳を放つ。
魔導書は恭也の斬撃を受けながら攻撃できる。
拳撃は、恭也が繰り出した刃の軌道を強引に変え、迫る。
手首を捻ったのを感じながらも、恭也は体を屈めてそれを躱した。
懐に入ったが、密着しすぎて刀が使えない。
恭也は畳んだ体を伸ばしながら、曲げていた膝をぶち込んだ。
「ぐ!」
恭也は呻く。
やはり恭也では闇の書の支配領域を凌駕する事は出来ない。
自滅した恭也に魔導書は更なる追い討ちをかけてくる。
殴りつけた拳を再び握り、今度こそ起き上がるなと念を篭めながら放った。
恭也を屈させる拳打は、遮られた。
腕と両足を縛る鎖と縄。
ユーノとアルフが発動した拘束魔法だ。
煩わしさを感じた魔導書は命令する。
「砕け」
『Break up』
拘束は言葉通りに砕けた。
時間にして数秒の停滞。だが、それだけあれば、恭也は持ち直せる。
再び刃を閃かせ、迫ってきた。
「解らない。これだけの差を、あなたは感じていないのか?」
「文字通り痛感している。だが、そんなもの関係ないな」
刀の乱舞は魔導書の自由を奪う。
巧みに攻撃してくる場所が後退も前進もさせてくれない。唯一出来るのは、攻撃を耐え続ける事か、先ほどのように防御力に任せて打撃を入れるかの、どちらかしかない。
ここまでの接近を許してしまえば、砲撃は撃てない。僅かな溜めが致命的な隙になるからだ。
広域攻撃型である闇の書にとって、恭也は一番やりにくい相手であり、しかしその力量の低さから一番御しやすい相手でもあった。
「お兄ちゃん!」
恭也はずっと魔導書に張り付いている。このままでは、攻撃が出来ない。
砲撃魔導師であるなのはは、高威力の魔法が中心にある。ただ、細かい調整が効かせにくい面もある。バリアジャケットも纏わず、己が研鑽してきた技だけで立ち向かっている恭也は、なのはの砲撃の余波だけでも命を落とす危険性があった。
だから、なのはは恭也を呼ぶ。離れて、と。
しかし、恭也は取り合わない。徹底的に、なのはの言葉を無視し続けていた。
『なのは、撃って! チャンスは今しかない!!』
フェイトの懇願が聞こえる。
撃てない。
撃てる訳がない。肉親を巻き込むなんて、出来ない。
『あの人は、自分を気にしないでいいって言ったんだ。元々は敵だからって。自分が倒れても、無視しろって』
『そうだけど……私にはできないよ!』
フェイトは、なのはの痛みを理解できた。
以前、自分の母に刃を向けた時と、今なのはが感じている気持ちは同じだ。
なら、今度は自分が、
『あの人を……恭也さんを助けたいなら撃って、なのは!』
『え?』
『あの人の魔力じゃ、バリアを貫けない。このままだとさっきみたいにやられてしまう』
『あ……』
『私はあの人をまだ信じられないけど、あの人なら、私達の砲撃から逃れる事だって出来るはずだよ』
偽ざる気持ちをフェイトは吐露した。
フェイトと恭也は速さを信条としている。一撃の重さよりも、積み重ねた連撃で相手を圧倒する。それは、生まれ持った力の弱さに起因する。幸いにして、力が弱い代わりに人よりも速く動けた。それもまた、一つだけ持った得意な事をずっと伸ばして来たに過ぎない。だが、ずっと伸ばしたからこそ、自信はある。自分たちを捉える事は、何人たりともできない、と。
『だから……』
「何をしてる!! さっさと撃て、馬鹿者が!!」
フェイトの念話に恭也は地声で割り込んだ。
絶えず、闇の書に挑み続けた男は、異世界の妹に怒鳴り散らす。
「俺はお前の兄じゃない!! 血の繋がりもない! ただの他人の空似だ!! 躊躇うな! 躊躇った分だけ、人は、物は傷つく!!」
恭也の怒気に、なのはは身が竦みそうだった。一度だって、兄は自分をここまで怒った事はない。穏やかと言って差し支えない自分の兄と、目の前で血を流しながら刀を振る兄は、やはり違う。
そこへ恭也は、今までの怒声を忘れたかのように、穏やかに言った。
「――なに、世界は違えど、俺はお前の兄には違いない。一度だけでいい。信じてみろ。期待には応えてやる」
「――――!!」
砲撃バレルを展開する。
円冠に包まれるレイジングハートをなのはは構えた。彼女に迷いの色は見えない。それを見取ったフェイトは、今まで用意していた雷撃を構えた。
『Plasma smasher』
「ファイア!」
『Divine buster, Extension』
「シュート!」
両翼から迫り来る魔力の豪流に、流石に闇の書も防御を取ろうとする。
だが、恭也はそこに隙を見出した。
「貰った!!」
両刀を繰り出す。
恭也の刀は魔導書には届かない。手前の障壁で防がれてしまう。それならば、恭也に打てる手は一つしかない。その壁ごと破壊するしかない。
今持てる最高位の威力は、
奥義之肆――雷て
「刃を撃て、血に染めよ」
『Blutiger Dolch』
「――ぁぁぁぁぁぁっ!!」
「穿て、ブラディ・ダガー」
動作の途中で、恭也は強引に体を捻った。背中が軋むのを聞きながら、その場から全力で飛び去るが、間に合わない。闇の書の周囲に現れた赤のナイフが恭也達を目指し、襲い掛かった。
高速に飛来する刃に、砲撃の予備動作中だったなのはとフェイトは直撃を喰らう。それでもダメージが少なかったのは、自前の抗魔力適性の高さからだ。ユーノとアルフは寸前で障壁を展開できた。しかし、恭也には抗魔力も、壁を作る時間もない。即ち、あの攻撃を生身に受ける事になる。
「お兄ちゃん!!」
「恭也さん!!」
爆煙の中から脱したなのはとユーノは、恭也の名を呼ぶ。それに彼は応えなかった。
結果から言ってしまえば、恭也は無事だった。だがそれは、今のところ、と言うだけだ。
奥義を繰り出すその直前、体に鞭打ってその場を離脱したものの、追撃する四つの刃を前に、恭也は一か八か、切り札の一つを切った。
奥義之歩法――神速
数秒だけ、相手の知覚を越えて行動できる奥義。使用した本人には、視界から色が抜け落ち、体感時間が変わる特性がある。異常にゆっくりと時間が流れる中、通常とほぼ同じように行動できる神速は、脳の思考の高速化と身体能力限界の一時解除を可能とする。
それを以ってして、恭也は凶刃を躱しきったのだが、
「ちぃっ……!」
足場にした魔力フィールドは恭也の蹴り足に耐え切れず、四散してしまった。支えを失った恭也は、重力に引かれ、地に落ちていく。その後を追って、四つの赤い軌跡が恭也を穿つため、襲い掛かっていた。
「フェイトちゃん!」
「解った!」
なのはがそれを見て、フェイトを呼んだ。
なのはの意図を正確に理解したフェイトは即座に反応する。バルディッシュの矛先とレイジングハートの杖頭が恭也に向く。フェイトは恭也に防御結界を、なのははディバインシューターを血染めの刃に向けて放った。
見事なのはは恭也を襲う刃を砕き、救った。その事に、恭也はやや仏頂面を見せながら、礼を言った。
「助かった。借り一つ、だな」
「いえ……」
「でも、血が出てるよ?」
「掠り傷だ。腕がもげない限りは大丈夫だ」
「も、もげ!?」
「……忘れろ」
恭也はこっちの妹にはおいそれと冗談が言えんな、と寂しそうに内心でゴチる。そもそも、見た目の年齢からして違うのだから、仕方ないかと諦めた。
「咎人達に、滅びの光を」
なのは達が体勢を整える合間、闇の書は天に手を翳していた。それを見て、恭也はいぶかしむ。今度は何をするつもりだ?
「あれって……」
闇の書が展開したのはミッドチルダ式の魔法陣。周囲に散乱する魔力の残滓をかき集めていくあの魔法には、身に覚えがあった。
「なんだ?」
「あれ、私の魔法――スターライトブレイカーだ」
集まっていく魔力量は甚大だ。三流魔導師である恭也には、あそこで渦を巻く魔力の質に身震いする。
「星よ集え、全てを撃ち抜く光となれ」
ゆっくりと収束していくそれを前に、フェイトは冷静にアルフに指示を出していた。
「アルフ、ユーノをっ」
「あいよ!」
なのはの切り札たるスターライトブレイカーの威力は、この結界内の全てを吹き飛ばせる威力を出せる。それを使用する闇の書のポテンシャルを考えれば、なのはのそれを大きく凌駕する事は想像に容易い。こんな近くで砲撃を喰らえば、跡形もなく消し飛ばされるだろう。今は、避難するしかない。
「恭也さん、ここは距離を取ります!」
「今なら隙だらけ何だが」
「砲撃魔法には砲撃者自身をその余波から護る防御魔法も組み込まれてます」
「普通の魔導師だったら私達でもなんとかなるけど、闇の書さんの防御は硬いから……」
「解った。逃げるしかないんだな?」
恭也の問いに、フェイトとなのはは頷く。同時に、恭也の腕を取ってその場から離脱した。
「貫け、閃光」
ユーノを抱えたアルフは、着々と魔力を集めていく闇の書を睨んだ。
「なのはの魔法を使うなんて!」
「なのはは一度蒐集されてる。その時に、コピーされたんだ」
本来は幾多の魔導師の技術や知識を納める書だ。あれに蒐集されると言う事は、その魔導師が持っている魔法に関する全てを引き抜かれる事と同義。ただし、なのはは最近になって蒐集された故に、魔導書が使えるように最適化されていない。だからこそ、ここまでの溜めを擁するのだ。
「ちょ、フェイトちゃん、こんなに離れなくても」
「至近で喰らったら防御の上からでも落とされる。回避距離を取らなきゃ」
それを聞いて、恭也は素朴な疑問を持った。
「やけに実感が篭って聞こえるのは気の所為か?」
「…………」
「…………」
なんだか自分を引っ張る二人が物凄く焦ってる気がする。なんだか触れてはいけない話題とだけは理解して、二人の沈黙に合わせて恭也も黙った。
『左方向300ヤード、一般市民がいます』
その沈黙を破ったのはフェイトが持つ戦斧だった。
告げた内容に三人は驚くしか出来なかった。
〜・〜
その日、アリサ・バニングスと月村すずかは、放課後に八神はやてにクリスマスプレゼントを渡しに出かけた。友達のなのはとフェイトも一緒だった。面会時間まで三〇分しかなかったが、短かったからこそ楽しい時間を過ごせた。それから、四人はそれぞれの家に帰る為に駅前の交差点で別れて、そこで街の人々か急に消えてしまった。
「やっぱり誰もいないよっ。急に人がいなくなっちゃった……」
不安顔を深めるすずかに、流石にアリサもかける声がなかった。雑踏でさえ、なくなれば寂しい。人がいなくなり、空が暗くなったこの世界は、絵本に出てくる世界の終わりに良く似ていた。
「あっちはさっきからなんか光ってるし、一体何が起きてんのっ?」
「……アリサちゃん、落ち着いて? ね?」
「わ、解ってるわよ。とにかく、逃げよ。あの光ってるのから離れた方がいい気がする」
「そうだね。私もそう思う」
アリサはすずかの手を引っ張って先に進んだ。すずかはアリサの手が汗ばんでいて、それでいて震えているのを知る。少しでも強がっていないと不安に押し潰されてしまいそうなんだ、とすずかは思い、アリサの手をそっと握り返してあげた。ただ、アリサはそれに気付かないほど不安だった。
路地を抜け、大通りを走りながら、アリサとすずかは無言で足を進めた。恐らくは一番遠くと思われる市街の山手の方へと向かう途中、二人は念願の人の声を聞いた。
「あのーっ、すみません! 危ないですから、そこでじっとしててください!」
「え?」
「今の声って……」
アリサとすずかが振り向いた先には、聖祥学園の制服に似た服を着る高町なのはと、何故か三色信号機の上に立つフェイト・テスタロッサ、そして苦虫を噛み潰したような顔をしている高町恭也だった。
「なのは? 恭也さん?」
「フェイトちゃん……」
それぞれ、予想外の人物がいた事に固まる五人に割り込んだのは、闇の書の砲撃だ。放たれた破壊の波動は、ビジネス街の端に着弾し、膨れ上がる魔力衝撃が海鳴の街を飲み込んでいく。
『フェイトちゃん、アリサちゃん達を!』
「うん。二人とも、そこでじっとして」
フェイトはアリサとすずか用と自分用にカートリッジを二発ロードする。アリサとすずかに対衝撃緩和結界を張ると、フェイトもまた障壁を張った。
防御力が高い順に、アリサとすずかを護るように三人は縦に並ぶ。魔導師の三人の内、一番後方に構えた恭也は、不破をアスファルトに突き刺し、篭められるだけの魔力を防壁に注ぐ。空薬莢が排出される。どこまで保たせられるか見当もつかないが、さっきのようにすぐに砕ける事がない事を祈る。
「あ、あの恭也、さん……ですよね?」
「その話はあれを無事やり過ごしてからだな。その後に、答えられる分には答えよう」
昔知り合ったあの子に似た子にそう言うと、恭也は意識を集中した。
恭也達が飲み込まれる。ともすれば吹き飛ばされそうになってしまう程の圧力に、恭也は耐える、と言うよりも、突きたてた不破にしがみ付く事に必死だった。
爆発の衝撃は、恭也が張った障壁を切り裂き、彼の頬や肌を浅く切っていく。小さい傷口から流れる血は、風に飛ばされ、アリサの頬を打った。
やがて、衝撃は消え去った。しっかりと体がある事に恭也は安堵したが、小さな自尊心から表に出す事はしなかった。
「もう、大丈夫」
「すぐ安全な場所に運んでもらうから。もう少し、じっとしててね」
「なのはちゃん、フェイトちゃん……」
「ねえ、ちょっと……!」
言い募る二人の足元に、魔法陣が描かれた。転送用の魔法陣だ。青白く光るそれに、本能的に恐れを感じたすずかはアリサに抱きついた。
「すまん。あとで事情は話す。心配するな」
転送が始まる直前に、恭也はアリサの顔に付いた己の血を拭い、頭を撫でた。
残念ながらアリサがどういう顔をしたのかは見えなかったが、無事でいてもらう為にも戦わねばならない。
「見られちゃった、ね」
「落ち込むな。あの二人なら、お前をこれだけで嫌ったりはしないさ」
「お兄ちゃん……。うん、そうだよね」
恭也の慰めに、なのはは一応の納得をする。自分の友人達が、人の一面だけ見て人を判断しない事を知っているからだ。
『ユーノ君、ごめん。二人の事護ってあげてくれるかな?』
『アルフもお願い』
『でも、フェイト……』
『行こう、アルフ』
『でもさ!』
『気がかりがあると、二人が思い切り戦えないから』
『……解った。あの二人は任せて』
なのはとフェイトは二人に礼を言って、通信を切った。続けてエイミィから通信が入った。恭也にも聞こえた事から、彼女の配慮のよさがが窺える。
『なのはちゃん、フェイトちゃん、クロノ君から連絡。闇の書の主に――はやてちゃんに投降と停止を呼びかけてって』
停戦、か。
なのはとフェイトが投降を呼びかける間、恭也は不破にカートリッジを填め込みながら、考える。
あれは、そう言う類のものじゃない。自分を道具だと言い張るものを相手に、止まれなんて言葉、届くはずがない。ああ言う輩には、殴って教えなければ届かない。
「後、三発か」
多いのか少ないのか。いずれにしろ、長くは戦えない事は確かだ。願わくば、それまでにあいつを殴れる所まで持っていきたい所だった。
『我が主は、この世界が――自分の愛するものを奪った世界が、悪い夢であって欲しいと願った。我はただ、それを叶えるのみ。主には穏やかな夢の内で、永久の眠りを』
それは、既に恭也は聞いていた。
涙を流し、主の悲しみを痛いほどに感じながら、闇の書はそう言っていた。
『そして、愛する騎士達を奪ったものには、永久の闇を』
「闇の書さん!」
「お前も、その名で私を呼ぶのだな」
「え?」
直後、アスファルトで固められた道路が裂けた。土砂を巻き上げて突き出して来たのは、例えるなら有機的な海洋生物に見られるような触手のような物体だった。
纏わり付いてくるそれらを、恭也は斬り払うが、何分数が多すぎる。すぐさま体を拘束されてしまった。
「くっ……」
「ううぅぅ」
「あぁぁぁ」
強く締め付けてくる触手に、悲鳴が上がる。そのまま体を持ち上げられ、完全に身動きできなくなってしまった。
その三人を、いつの間にか近づいていた魔導書が見下ろす。
彼女は書を開きながら、感情を押し込めたような声で言った。
「それでもいい。私は、主の願いを叶えるだけだ」
その一言に、なのはは反論する。
「願いを叶えるだけ? そんな願いを叶えて、それではやてちゃんは本当に喜ぶの!? 心を閉ざして、何も考えずに主の願いを叶えるだけの道具でいて、あなたはそれでいいの!?」
「我は魔導書。ただの道具だ」
涙が頬を伝う。
彼女は、現れてからずっと、泣いていた。
主の悲しみに。
そして、もう一つに。
「だけど、言葉を使えるでしょ!? 心があるでしょ!? そうでなきゃおかしいよ。本当に心がないんなら、泣いたりなんか、しないよ!!」
流れ続ける涙は、止まる様子はない。
ただ泣いているだけならば、なのはも恭也も、誰でも気にはしなかっただろう。だが、その涙は悲しみから来るものだと解る。涙の色が、悲哀に満ちている。それを見て、そんな涙を流せる道具を見て、なのはは訴えた。自分を道具なんて、卑下するな、と。
「この涙は、主の涙。私は道具だ。悲しみなど、ない」
そう言いきる魔導書に、恭也は口の中で言葉を転がす。
「大馬鹿野郎」
「バリアジャケット、パージ」
『Sonic form』
同時に、フェイトはバリアジャケットを一端解放し、絡みついた触手を吹き飛ばした。
拘束を解かれ、恭也と共に地に足を着く。鬱血した腕を振りながら、上に構える闇の書を見た。
「悲しみなど、ない? そんな言葉を、そんな悲しい顔で言ったって、誰が信じるもんかっ」
「あなたにも心があるんだよ? 悲しいって言っていいんだよ? あなたのマスターは、はやてちゃんは、きっとそれに応えてくれる、優しい子だよっ?」
「泣くのも、壊すのもいいが、あの子は返してもらう。どれだけ悲しく、寂しい現実だろうと、受け入れなければならない。逃げる事は、俺が許さん」
「だから、武装を解いて。お願い!」
懇願するなのはとフェイト。誰であろうと、どんな事情や理由を抱えていようと、自分の都合を押し付ける恭也。対照的な三人の要求に、闇の書は流した涙をそのままに、何かを言いかけて――止めた。
大地が揺れたのだ。
天と地を貫く炎の柱。何本もの火柱が立ち上り、世界の天蓋を崩していく。そう、崩壊が始まったのだ。
「早いな、もう崩壊が始まったか」
その光景を見て、魔導書は自分に残された時間の少なさを推し量る。
「私も直、意識をなくす。そうなれば、すぐに暴走が始まる。意識のある内に、主の望みを、叶えたい」
『Blutiger Dolch』
三人のすぐ傍に赤いナイフが現れる。近距離にいたが故に、生成範囲に踏み込んでしまった事が原因だった。
「闇に、沈め」
三つの爆発。
その爆煙の中、フェイトと恭也が飛び出してきた。
フェイトは速さを、恭也はそれに加え、ナイフを斬り潰して、飛び出したのだ。
「この、駄々っ子!!」
『Sonic drive』
カートリッジをロードする。直線のみであるが、通常限界を超えた速度を出せるブースト魔法を唱えながら、フェイトはバルディッシュを担ぐ。
「言う事を……」
『Ignition』
「――聞けえええ!!」
弾丸の如く突き進むフェイト。
どれだけ説得しても、理解を示さない闇の書に、フェイトは珍しく頭にきていた。
自分を思ってくれる主がいるのに、それに見向きもせず、間違った望みを叶えようとする。
自分に心はないと言い聞かせて、なのに主の悲鳴に涙を流す。
そんな間違ったまま主の為にと言う魔導書に、心底頭に来ていた。
「お前の都合に付き合うつもりは……」
八景と不破を構える。
右に、今や父の形見となり、これまで家族を護ってきた刀を握る。
左に、この世界で得た家族と共に作った刀を握る。
二つの家族の形を恭也は握りながら、意識を研ぎ澄ました。
「――ない!!」
助けると決めた。
助けると約束した。
この世界で自分を受け入れてくれた恩がある。
自分はまだ、何も返していない。
何も、返してない!!
世界から色が抜け落ちる。
モノクロの世界で、恭也は家族を護る為に、足を踏み出した。
「お前達も、我が内で、眠るといい」
「はあああ!!」
「おおおお!!」
奇しくも、フェイトと恭也の刃は同時にぶつかった。
だが、強固な防御力を誇る魔導書に、二人の刃は壁を貫けなかった。
代わりに、二人の体が光に包まれていく。その紫の光は、闇の書の魔力光だった。
「フェイトちゃん! お兄ちゃん!!」
光に包まれていく二人は、驚愕の顔を貼り付けたまま、何かをなのはに言おうとして、そこで消え去ってしまった。
『吸収』
書が閉じる。まるで、二人を本の中へ閉じ込めたかのように。その実、その通りだった。闇の書に取り込まれてしまったのだ。
人は、己が望む夢と現実に苦しむ。現実での苦しみから解放され、自分の理想の世界で生きていく事は、それだけ楽で、どれだけ優しい事か。それを知る魔導書は、二人を夢へと誘った。二人の生い立ちを知っている訳ではない。ただ、これまでの経験と、恭也には守護騎士達からの記憶があったから、二人は夢で安らかに眠るべきだと判断したのだ。
願わくば、ずっと眠っていて欲しい。主はこの世界の破壊を望み、だが友を傷つけたくはないのだから。
そうして、魔導書はなのはを見る。二人に取り残された少女は、強張っていた顔を強引に引き締めて、杖を握り締めて、魔導書を見つめた。そこに見えるのは熱い決意だった。