俺とシグナム、そしてはやて嬢が帰ってきたのは西にまだ夕焼けが残っているような時刻だった。早い家庭ではそろそろ夕食の支度を始めるような時間だ。帰り道にカレーやら焼肉やら中々いい匂いが漂ってきているのを嗅ぎながら、帰ってきた。
 残念ながら無事にと言う形容詞は付かなかったんだが。何がと言えば、シグナムが図書館の一件をはやて嬢に教えてしまったからだった。

「へ? 恭也さん、恋人おらへんの?」
「何か、いるのが当たり前のような驚き方だな」

 シグナムの態度から耐性が付いたので、この程度のリアクション、別段苦ではない。

「うーん、恭也さん、何歳やったっけ?」
「23だ」
「その歳で恋人の一人もおらへんのは、男の人的に情けないとちゃう?」
「そんな馬鹿な」

 鼻で笑う俺に、しかしシグナムとはやて嬢は白けた目を向けてくる。え? ちょっと待ってくださいよ、二人とも。

「恋人がいないだけでそんな目をされるのは心外だぞ」
「そっかなぁ? 恋人の一人も作れへんっちゅーことはやよ? 人間的な魅力がないっちゅーことやないの?」
「に、人間的魅力?」

 え、それは人間として信用に欠けると言うか、もしかすると並以下、もといつまらない奴と言う事か!?

「恭也さん、おもろいねんけど、それだけって感じやし」
「そ、それだけ……?」

 や、ヤバイ。俺の人間的価値が実はディスカウント商品並に値引きされてるっ!?

「な、なら、恋人を作ればいいのか?」
「それはそれで邪まな感情が見え見えすぎて駄目だな」
「そやねー」
「どうしろって言うんだ!?」

 作る事も叶わないのか!? どうやって人間的価値を引き上げろと!?

「まあ、私としてはどっちかとくっ付くとおもろいと思とるんやけどね」
「どっちとは何のどっちなんだ?」
「…………っ!?」
「何か気付いたのか? シグナム」
「いいいいいや? 別に? 何も?」

 いつになく動揺に満ち満ちてるシグナムに不審顔の俺。はやて嬢だけが全てを見透かして笑みを浮かべてるだけ。そんな取り合わせ的に無理のある表情のまま、俺達三人は帰ってきたわけなのだった。

「高町、シャマルの様子を見てきてくれないか?」
「解った。食事もか?」
「ああ。あいつの料理の腕を上げねばならん」
「そこまで酷いのか?」
「……そうか。お前はまだ遭遇してなかったな」

 遭遇と形容するのか、シャマルさんの料理を。
 しかし、はやて嬢と一緒に調理しているのは知ってるし、彼女が作ったと言う料理は見た目も味も成功してたと思うんだが……。
 俺の顔から考えを読み取ったのか、シグナムは疲れた雰囲気を漂わせて言った。

「たまに、な。とんでもない失敗をしたりする。作ってる最中に作り直しになる時もあれば、見た目はそれなりでも味が壊滅的だったりするのだ」
「ふむ。それなりの前科があるのか」
「……やけに冷静だな?」
「いや、両生類の丸焼きで五日間生きた人間としては、調理されたものが出てくるだけマシだと思っただけさ」
「……だから、お前はどう言う経験を積んできてるんだ?」
「……苦労?」

 ああ、頭を抱えるなシグナム。俺が憐れになるだろ。
 そもそも、馬鹿弟子は料理ができないんだぞ? 奴がフライパンを振るっただけで焚き火には事欠かない上に、鍋なんぞ煮込めば正体不明の薬膳料理になるんだぞ? そんなものの処理係に強制的に任命されて来た俺にとって、味が拙い程度で怯むはずもない。……だからどうして俺はそんな耐性ばかり付いてるんだろうね?
 気を持ち直したシグナムはリビングへと行った。俺はシャマルさんの様子を見てみよう。二階だったな。
 相変わらず物音を立てないまま二階へと到着。シャマルさんの部屋のドアをノックする。

『あ、はーい』
「恭也です。入ってもいいですか?」
『はい、大丈夫です』
「失礼します」

 シャマルさんはベッドの上に座っていた。手には昼間見たカートリッジを握っている。

「何か用ですか?」
「ええ、シグナムに様子を見て来いと言われまして」
「と言う事は、カートリッジの出来具合の確認でしょうね」
「だと思います」

 俺の来訪の意味を理解したシャマルさんは手に持ったカートリッジを箱に詰めて蓋をした。

「一先ずこの箱の分だけは出来ました。これで少しは戦闘が楽になると思います」

 節約の心配がなくなったようだ。手作りのいい所は頑張ればそれだけの成果が出ることであり、悪いところは出た成果が微々たるものだったりする事だ。この場合、どちらなのかは解らないが、シグナム達がやりやすくなった事は変わりないだろう。

「それと、はやて嬢が食事の支度を始めました。行って、手伝って欲しいそうです」
「わ、そうなんですか? 急がないと私の仕事なくなっちゃいますっ」

 慌てて飛び出していったシャマルさんに俺を苦笑を浮かべながら、ゆっくりと一階に降りるのだった。




















Dual World

From "Lyrical Nanoha A's" (C) 2005
Presented by 大岩咲美 [TRASH BOX type2]





















 それから数日経った。相変わらず夜の鍛錬に出られなかったり、家の仕事をやりつくして途方に暮れてしまったり、図書館で借りた本が地雷だったり、シャマルさんの失敗作を食べたり、シグナムが実は鍋奉行だった事が発覚したりと、それとなく穏やかな日々だった。
 それなりに幸せだった。ヴォルケンリッターの面々はずっと魔力蒐集に精を出していたが、それだってはやて嬢の為にしている事だ。そのはやて嬢も家では笑顔を絶やさない。この家はいつも笑いに満ちていた。
 だが、束の間の幸せでもあった。俺自身長い間平穏でいられるとは思っていなかった。いつか崩れてしまう大切な日常だって事は理解していた。それらが遠のく事も覚悟していた。けれど、やはり無くなってしまう事を恐れていたんだ。

「高町」
「なんだ?」

 夕刻。
 先日もこんな時間にシグナムに呼び止められた事を思い出しつつ、返事をする。シグナムは周囲にはやて嬢がいない事を確認すると、用心の為か小声で言った。

「これから出かけてくる。主はやてを頼みたい」
「また襲撃か?」
「ああ。どうやらあちらも準備が整ったらしく、数で押されている」

 個々人の実力がどれだけ優れていようと、数の暴力の前には意味を成さない。人海戦術の重要性はそこだ。
 ついに来るべき時が来たのかもしれない。

「解った。引き際は心得ろよ」
「承知している。我等の目的は戦う事ではないからな」

 はやて嬢の治療。その先にある平穏な暮らし。それを彼女達は目指している。ありふれた幸せが欲しくて、彼女達は戦いに赴かなければならい。悲しい事だ。

「幸い、はやて嬢はシャマルさんと一緒に買い物だ。さっさと行って、帰って来い」
「無論だ。では、行ってくる」
「気をつけて」

 いつぞやは苦笑を浮かべていたが、今回は初めから不敵に笑って見せて、シグナムは出て行った。前回はあまり心配していなかったが、今度の襲撃ではあちらの準備が整ったと言う一点に不安が残る。それなりの作戦と人員を用意しての迎撃。捕縛できる要素を用意されて、あいつらがそれを掻い潜れるのか、俺は懐疑的だった。
 それから、十数分後にはやて嬢とシャマルさんが帰ってきた。シグナムと殆ど入れ違いだったのは、多分シャマルさんが狙ったものだろうな。あれでいて、頭の切れる人だ。シグナムの様子をはやて嬢に見せない事で、状況を察せないようにしたと思う。

「おかえり」
「うん、ただいまー」
「ただいま帰りました」

 はやて嬢は膝に抱えた買い物袋を持って台所へと消えていく。それを見送っていると、シャマルさんに呼ばれた。

「高町さん」
「解ってます。はやて嬢の事は見てますので、行ってきてください。あなた達の誰が欠けてもあの子は悲しむでしょうから」
「はい。えっと、私はシグナム達を探しに出たって言っておいてください」
「はい」

 靴を脱ぐことなく、踵を返したシャマルさんを見送って、俺はヴォルケンリッターの行方をはやて嬢に話す事にした。

「ん? なんや恭也さん。まだご飯できてないよ?」
「いや、摘み食いしにきたわけじゃない。そもそも、俺はそこまで意地汚くはないぞ」
「ヴィータはすぐに摘み食いするからなぁ。食い意地張ってる言ーか」
「まあ、子供だからな」
「それ聞いたら、ヴィータにどつかれるで?」

 承知の上だ。本気で殴りに来たら捌くのは難しいが、何とかなると思うし。

「さっき、シャマルさんに言ったんだが、シグナム達が出かけていてな。そうしたら夕食も近い事だし、自分が探しに行くと出かけて行った」
「そなの? うーん、じゃあ、ちょうご飯作るの待とうか。鍋やしな」
「シグナムをハブったらどやされるな」

 お互いに笑い合う。シグナムの鍋奉行は徹底してるからな。煮込むところから始まるし。
 そんな訳で、俺達は皆の帰宅を待つ事にした。

〜・〜

 海鳴市の市街地の上空にシグナムはいた。眼下に睨むのは、繁華街に近いビジネスビルが立ち並ぶ区画。そこに大規模展開されているミッドチルダ式の結界だった。

「強装型の捕獲結界。ヴィータ達は閉じ込められたか」

 強装型――つまりは複数人が協力して張る結界だ。進入は可能だが、中から出るとなると骨が折れる代物。その中にヴィータとザフィーラがいる。
 ならば、選ぶ道筋は二つだけだ。

『行動の選択を』

 シグナムに握られたレヴァンティンはそう言う。
 このまま、ヴィータ達が出てくるのを待つか。
 あるいは……、

「レヴァンティン。お前の主は、ここで退くような騎士だったか?」

 シグナムは、臆さない。
 ヴォルケンリッターの将として、仲間が窮地に立たされているのを黙ってみているはずがない。強い絆で結ばれた彼女達に、見捨てると言う選択肢はない。

Nein

 レヴァンティンもそれは知っている。だからこそこの掛け合いは軽口だ。
 シグナムはレヴァンティンを強く握った。

「そうだレヴァンティン。私達は、今までもずっとそうしてきた」

 カートリッジをロードする。掲げた剣に魔力が迸った。シグナムとレヴァンティンの炎熱変換が、剣に篭められた力を炎と化し、彼女の刃となる。
 紫電一閃。
 シグナムの常用技にして高威力を擁するこの技ならば、捕縛用の結界ならば突き破ることは可能だ。
 シグナムは視線を鋭くし、眼下の天蓋の頂点に狙いを定めた。

「はああ!!」

 雷が落ちる。
 夜空を切り裂く一閃。ビルの屋上に豪雷と共に落ちた。

「……っ、シグナム」

 自分を呼んだのは、この一件で何かと剣を交じ合わせる事の多いフェイト・テスタロッサだった。金の二房の髪が白煙に揺れるのを横目に確かめ、ヴィータとザフィーラの存命を確認する。

『無事か』
『まーな』
『助太刀、感謝する』

 念話で安否を訊くと、怪我らしい怪我はしていないようだ。どうやら間に合ったと言ったところだろう。その事に、シグナムは内心で安堵の溜息を吐いた。ここで怪我でもされていたのなら、シャマルに全力で治してもらうしかないからだ。

(主には知られたくないからな……)

 手前勝手な理由だ。
 知られたくない事をしてまでの恩返し。
 明らかに間違っている恩返し。
 推奨できるものではないと彼も言っていた。だが、立ち止まる事は出来ない。自分で決めた事だからだ。

「ユーノ君、クロノ君、手を出さないでね。私、あの子と一対一だから!」
「く……」

 ヴィータに戦いを挑むのはどうやら白い服の少女――高町……そう言えばヴィータが下の名前を覚えていない所為で、本名を知らなかった。確か、ヴィータが襲った相手だった。それだけ解れば問題はないと、シグナムは判断する。

「…………」
「――――」

 先ほどから気合の入った視線を向けられている。
 前回の戦闘から、因縁を作った相手だ。勝敗は武器の性能で勝ったようなものだった。だが、こうして再戦を望むのならば、何某かの秘策の用意や力の底上げをしてきたのだろう。前と同じと言う考えは捨てるべきだ。

「あたしも野郎に、ちょいと話がある」
「…………む」

 使い魔らしい女性はザフィーラを睨んだ。どうやら、それぞれ因縁を持っているらしい。
 ならば、一対一を受けようではないか。敵が一人ならば、ベルカの騎士は負ける事はない。

『ヴィータ、ザフィーラ。負けるなよ』
『へ、解ってらあ!』
『承知』

 六人が構える。
 それを一ブロック外れたビルの屋上から見守る二人の少年がいる。ユーノ・スクライアとクロノ・ハラオウンだ。

『ユーノ』

 六人の様子を――特になのはの様子を見守っていたユーノに、クロノは念話を通して呼んだ。自分達から気が逸れているのならば、声を出して気を引く必要は無いからだ。

『それなら丁度いい。僕と君で手分けして闇の書の主を探すんだ』
『闇の書の?』

 ユーノの疑問にクロノは手早く答えた。

『連中は持っていない。恐らく、もう一人の仲間か、主かがどこかにいる。僕は結界の外を探す。君は中を』
『解った』

 互いに頷くと、少年達はその場から飛び出した。
 それと時期を同じくして、高町なのはが握るインテリジェントデバイスが願い出た。

『マスター、「カートリッジ・ロード」を命じてください』
「うん」

 なのはが杖を構える。
 なのはの杖――レイジングハート・エクセリオンのトリガーを引いた。

「レイジングハート! カートリッジ・ロード!!」
『Load Cartridge』

 デバイス核と柄の付け根に設置されたデンリジャー型のカートリッジシステムが駆動する。マガジンに収められたカートリッジの一発を装填、撃鉄を打ち付けた。
 カートリッジに篭められた魔力がレイジングハートを満たす。なのはの魔力光である淡い白桃の色をまとい、レイジングハートの戦闘態勢は整った。

『Sir』
「うん、私もだね」

 なのはとレイジングハートに呼応するように、バルディッシュもフェイトに願い出た。新たな力を。

「バルディッシュ、カートリッジ・ロード!」
『Load Cartridge』

 カートリッジシステムのカバー部分がスライドする。
 現れたシリンダーが回転し、六発分装填された内の一つを撃ち付けた!
 フェイトの魔力光である黄色を纏いながら、バルディッシュも戦闘態勢を整えた。

「デバイスを強化してきたか。気をつけろヴィータ」
「言われなくても!」

 その言葉を皮切りに、全員が結界にくすんだ夜空へと舞い上がった。
 宣言通りにヴィータについていくなのはにヴィータは機嫌が傾く。

「ふん、結局やんじゃねえかよ」
「私が勝ったら、話を聞かせてもらうよ! いいね!?」

 拳を握り締めて、そう宣言するなのはに、ヴィータは苛立ちを強くする。
 どうして邪魔をしてくるのか。確かに褒められる事はしてない。そんな事は初めから承知の上だった。でも、はやての足を治すには、もうこれしか方法がない。だったら、その方法を選ぶしかないんだよ!

「やれるもんなら――」

 だから、邪魔すんな!!

「――やってみろよ!!」

 ヴィータは懐から四つの銀球を指に挟んだ。飛行を停止し、魔法陣を展開する。指に挟んだ四つの球に魔力を篭めて、愛槌グラーフアイゼンを振り被る。

『Schwalbefliegen』

 魔法発動を叫ぶグラーフアイゼンを、ヴィータは指に挟んだ四球に打ちつけた!
 ヴィータの魔力光を纏い、光の尾を引きながらなのはに四方から飛来する。

『Accel Fin』

 直撃を嫌ったのか、レイジングハートはなのはをその場から離脱させた。
 足元のフィンが一際大きく羽ばたき、ヴィータの鉄球を避ける。しかし、移動は速かったが、行動硬直が長い。その隙をヴィータは見逃さない!

「アイゼン!!」
『Explosion』

 ヴィータの呼びかけに、グラーフアイゼンは応え、カートリッジを打ち付けた。直接攻撃モード――ラケーテンフォルムへと己を変えた鉄槌は力の誇示を示した。

『Raketenform』

 ハンマーヘッドがスパイクとブースターへと変形。ブースターが特有の爆熱音を響かせながら点火し、ヴィータは推進力を回転力に転化させながら、必殺の一撃をなのはにぶち込んだ!

『Protection Powered』

 その手前、レイジングハートは防壁を展開する。以前突破された防御魔法。だが、カートリッジシステムの導入により、過去の出力を大きく上回る魔力を注げる事によって、その強度を引き上げたものだ。
 ヴィータのラケーケンハンマーが唸りをあげて激突する!
 スパイクの先端が火花を散らす。ここまでは前回でもあった。しかし、その先まで行かない。防壁が突破できない。その事が、ヴィータに焦りを齎した。

「硬ぇ」
「ほ、ホントだ」
『Barrier Burst』

 レイジングハートの意思で、バリアが爆発した。攻撃態勢だったヴィータはその爆発を諸に喰らい、強制的に距離を取らされた。
 拙い、とヴィータは思う。敵は中・長距離専門の砲撃魔導師だ。距離を取るのは危険だ。

「アクセルシューター! シュート!」
「な!?」
「え!?」

 撃った本人でさえ、驚くほどの魔力弾の数。しかし、この数を制御しきるには相応の訓練と才能が必要だ。全てが自分を狙ってくるわけじゃない。

「アホか、こんな大量の弾、全部制御できるわけが……」

 そこでヴィータは、最初に撃ったシュワルベフリーゲンをなのはに向けて撃ち込んだ。これだけの数を制御するには高い集中力が求められる。少しでもそれを乱してやれば、勝手に自滅するはずだ。

「ねーだろ!!」
『出来ます。私のマスターなら』

 なのはに向かう四筋の光弾。
 しかし、ヴィータを囲んでいた十二条の内の四条が迎撃に向かった。その四条は的確に、シュワルベフリーゲンを捉え、そして粉々に撃ち抜いた。

「な…………」
「約束だよ! 私達が勝ったら事情を聞かせてもらうって!!」

 これだけの数を精製し、且つ自分へと襲い掛かる小さな四つの弾を正確に撃ち抜く制御力。目前の敵は、前の時とは違う。ここに来て、ヴィータは相手の実力の高さを実感した。

「アクセル! シュート!!」
『Panzerhindernis』

 なのはが攻撃命令を与えた。
 同時に、グラーフアイゼンが全方位型の防壁を展開する。移動と攻撃を放棄して、防御に専念したのだ。
 十二弾が間隙を与えぬまま殴りつけてくる。幾度も殴られ続け、ついには防壁に亀裂が入った。
 ベルカの魔法が攻撃に重点を置いているとは言え、防御魔法が弱いわけではない。特に、防御に特化したこの防壁を破るには一撃の重さが必要だ。だが、数で押せば必然と重い一撃となる。
 ひび割れていく防壁に、ヴィータは唸った。

〜・〜

 時を同じくして、シグナムはフェイトと切り結んでいた。
 相手は高機動型の魔導師。速さで上を行かれるが、こちらには蓄積した戦闘経験があり、また攻撃力は上だ。その二つでフェイトの速度を捌いてはいる。しかし、強化されたデバイスは前回よりも力の入り具合が違う。下手を打てば負ける可能性があった。

『はあああああ!』

 剣戟。
 互いのデバイスは武器を主体としている。殴り合い、斬り結びを信条とする二人にとって、戦い方は噛み合い過ぎていた。だからこその、好敵手。この戦いで唯一シグナムが得たものがそれだった。
 弾く。
 互いに仕切り直しに間合いを開いた。

『Plasma Lancer』

 そこに、空かさずフェイト魔法陣を展開。八つの雷撃槍を生み出す。詠唱の速度には定評がある。敵の体勢が整わない内に攻撃を叩き込むのは得意なのだ。

「プラズマランサー、ファイア!」

 射撃魔法。初速から高速域にあるこれを避けるのはシグナムの移動速度では無理だった。やむなく、迎撃を取る。レヴァンティンに炎を纏わせ、槍を弾いた。計八撃にはそれほどの威力はなかった。前回受けた射撃魔法とほぼ同威力。数が脅威なだけだ。これでは進化したとはいえない。しかし、シグナムの背後に飛ばした槍は散ることなくその場に残った。それの意味するところは、追撃だ。

「ターン!」

 ランスの穂先がシグナムに向く。加速体スフィアをフェイトは精製し、シグナムの背後を狙って射出した。
 背後、及び側面からの同時攻撃に、流石に迎撃は適わないと判断し、シグナムは上へと避難する。次瞬、彼女がいた場所にランスが殺到し、火花を散らせあった。だが、ランスはそこから更にシグナムを狙い飛翔する。恐らく、ランスを消滅させぬ限りシグナムを追いかけ続けてくるだろう。これを振り払うには、大打撃で散らすしかない。
 シグナムは、レヴァンティンにカートリッジのロードを指示した。

「レヴァンティン」
『Stellungwinde』

 剣身に纏った炎をカートリッジの魔力で強化し、追い縋る雷撃槍に向け大きく薙ぎ払った。放たれた炎が全ての槍を焼き尽くし、塵へと変えていく。これで厄介な追撃者は消え去った。その事実に、一瞬の安堵を持ったシグナムに、フェイトは自ら作り上げた隙を最大利用した。

『Haken Form』

 ランスとシグナムの衝突を回り込んで接近したフェイトは、鎌に変形したバルディッシュを力強く振り下ろす。決定打と思われた一撃。だが、相手はこれに反応して見せた。即座、主人の危機を悟ったレヴァンティンが弾丸をロードして、己を変化させる。

『Schlangeform』

 騎士剣が蛇腹に分割される。
 シュランゲフォルム。剣では鎌の刃を防ぎきれない。直線と曲線の不利な相性を曲線同士にし、不利を消したレヴァンティンは、歴戦の蓄積が生んだ判断だった。
 爆発。
 不意打ちと咄嗟の迎撃。
 この二点の差は、フェイトの左腕にある浅い傷と、シグナムの胸元に刻まれた深い傷だった。
 この差を見て、シグナムは思う。

「強いな、テスタロッサ。それに、バルディッシュ」

 と。
 レヴァンティンを振り、直剣へと戻す。シュランゲフォルムを咄嗟に展開してくれたレヴァンティンに、心で感謝を述べながら。

『Schwertform』

 蛇腹を納めたレヴァンティンを構える。
 前回同様油断はなかった。だが、フェイトの強さはカートリッジシステムを搭載したデバイスを持った事による強さではない。自分達を止めると言う、その目的を強く胸に秘めた事による強さだ。
 敵は、強くなって再び目の前に現れた。

『Thank you』
「あなたとレヴァンティンも、シグナム」
『Danke』

 それを嬉しく思う。強い敵と戦う喜びは騎士として、戦士として求める衝動だ。しかし、それらを捨ててでも、手に入れたいものがある。

「この身に成さねばならぬ事がなければ、心躍る戦いだったはずだが……」

 そう。それが惜しい。

「仲間達と我が主のため、今はそうも言ってられなぬ。殺さずに済ます自信はない」

 シグナムは鞘を呼び寄せ、レヴァンティンを鞘へと納めた。それは降伏を意味するものではなく、攻撃の為の構えだ。
 シグナムは足元に魔法陣を展開する。これから放つのは、現状持てる最大威力の魔法だ。この一撃、いかな防御を持ったとしても、突破できる破壊力を持つ。それは、相手を殺す事を意味するのと同じだった。

「この身の未熟、許してくれるか」
「構いません、勝つのは私ですから」

 フェイトの返答に、シグナムは静かに笑った。

〜・〜

 商店街のショーウィンドが次々と砕け散っていく。
 街灯に照らされその身を輝かせるのは幻想的ではあるが、ガラスを砕いているのは闘争の余波だ。

「うおおおおおおおおおお!!」

 拳に固めた魔力攻撃をザフィーラは受け止める。力強い一撃にザフィーラは反撃を封じられた。

「デカブツ。あんたも誰かの使い魔か!?」
「ベルカでは、騎士に仕える獣を使い魔とは呼ばぬ!」
「……っ?」
「主の牙、そして盾――守護獣だあああああああああああ!!」

 叫びと共に、防壁を爆発させ距離を取った。この土煙だ。即座に突っ込んでくる事はしないだろう。相手が使い魔と名乗り、主人であるのがフェイト、あるいはなのはであるなら、補助をメインとするはず。守護獣たるザフィーラの防御力ならば、やられる事はない。
 それよりも、彼は他の連中の状況の方が気がかりだった。

『状況は……あまりよくないな。シグナムとヴィータが負けるとは思わんが、ここは退くべきだ。――シャマル、なんとかできるか?』

 ザフィーラが念話でそう話しかけたのは、シャマルだった。
 シャマルは一足遅く現地に赴いたのだが、結界の周囲に管理局の武装局員が配置されていたため、中に入るのは危険と判断したのだ。今、シャマルまで中に入ってしまったら、結界の特性上外に出る事がかなり難しくなる。しかし、シャマルにはこの結界を砕くだけの魔法は持っていなかった。

『なんとかしたいけど、局員が外から結界維持してるの。私の魔力じゃ破れない。シグナムのファルケンか、ヴィータちゃんの、ギガント級の魔力を出せなきゃ』
『二人とも手が放せん。やむをえん、アレを使うしか……』
『解ってるけど、でも……ぁ!!』
『シャマル? どうしたシャマル!?』

 黙りこんだシャマルにザフィーラが懸命に話しかけるが、応答はなかった。
 動けない。それはシャマルの背後に誰かが立ったからだ。

「捜索指定ロストロギアの所持、使用の疑いで、あなたを逮捕します」

 聞こえてきたのは年端も行かない少年の声だった。だが、ここに来てシャマルを前に出てくると言う事は、いつの間にか姿を見なくなった管理局の執務官だろう。戦いと結界の厄介さに気を取られ、警戒すべき相手を見落としていた。参謀として、情けない限りの話だ。
 杖の先を突きつけられた形で、シャマルは動きを封じられた。
 絶体絶命。
 シャマルには攻撃魔法はない。補助と治癒に特化した役割が、この場では仇になった。

「抵抗しなければ、弁護の機会があなたにはある。同意するなら武装の解除を……」
「――するのは君の方だな」
「え!?」

〜・〜

 全く、胸騒ぎがして探しに出てみれば、こんな事になっていたとはな。
 俺は八景を物騒な杖を構えている少年の首筋に突きつける。一先ず、これでシャマルさんの無事は確保できたか。

「武器をゆっくりと下ろせ。不審な素振りを見せたら刃を引く」
「もう一人いたのか……っ」

 微かに頷いて、少年は杖を床に落とした。そこでシャマルさんが漸くこちらを向いて胸を撫で下ろした。
 目配せで俺の後ろに来るように指示する。ここからが難しいところだ。
 持っていた八番鋼糸で両手の親指を縛る。一応鬱血しないように配慮はしたが、あまり長時間縛り続けるのは体に悪いだろう。早々にこの場を立ち去らせてくれる事を祈る。

「ゆっくりとこちらを向け」

 これまで、俺はシグナム達がどんな相手と戦ってきたのか知らなかった。ここらで相手の一部がどういう人間かを見ておくのは大事な情報戦略だ。
 振り向いた少年は幼かった。多分、年頃としては十四、五歳。高校生にも満たない子が戦っているのか。いや、今はそんな甘い考えは捨てよう。なにせ、魔法の世界だしな。
 そして、この子供には物凄く見覚えがあった。

「お前、クロノか」
「なっ!? 何故僕の名前を!」

 若干記憶にある背格好と違うが、確かにクロノだった。こんなところで何をしてるのかと思いはするものの、不可思議な力のあったこの子なら、俺が帰れる手段を知ってるかもしれない。
 この時、俺ははやて嬢やヴォルケンリッターとの関係を意識的に無視した。

「聞きたい事がある、クロノ・ハーヴェイ。この質問に答えられるなら答えろ」
「なんだと?」

 不審な顔をするクロノに、俺は構わず質問を突きつけようとした所で――叫んだ。

「シャマル!!」
「えっ!?」

 シャマルさんの手を握って下に引き寄せて、伏せた。直後、横合いから飛び出して来た男がクロノの土手腹を蹴り飛ばした。

「ぐっ!!」

 隣のビルのフェンスに飛ばされるクロノ。しかし、俺は突然降って沸いた男の方を警戒していた。
 白いジャケットとズボンは清潔さを演出するが、顔にかけた仮面が清潔さを不信感を煽る色合いへと変えていた。この男、体術に秀でているようだが、今の一撃、加減していなかったか?

「まだ、仲間が……?」

 クロノの呟きを他所に、こちらはこちらで緊張感が高まっている。
 小太刀一本に、小刀は一刀、飛針は片腕装着の九本のみ。鋼糸は八番を使ってしまったから残りは、零番から二番と四番、六番と七番だけだ。内、戦闘に使えるのは四番以下。武装の貧弱さに、何回目かの情けなさを噛み締めるが、ないものはない。これだけでやるしかない。
 そう構える俺だったが、仮面の男は戦う素振りを見せなかった。何故だ?

「あなたは……?」

 シャマルさんが意を決して問いかけた。しかし、仮面の男は答えず、一方的に言った。

「使え」
「え?」
「闇の書の力を使って結界を破壊しろ」
「でもあれは!」

 どう言う話かは解らないが、こいつは闇の書について何かを知っているらしい。やはり、油断ならない。

「使用して減ったページはまた増やせばいい。仲間がやられてからでは、遅かろう」
「…………」

 そして、シャマルさんは決断した。シャマルさんの念話と思われる声が、俺の頭にも響く。

『皆! 今から結界破壊の砲撃を撃つわ。上手く躱して、撤退を!』
『おう!!』

 返ってきた声に一握りの安心を得て、俺は仮面の男がクロノに向かって飛んでいったのを見張っていた。どうやらあの男、本当に協力するらしい。

「何者だ!」
「…………」
「連中の仲間か!?」
「…………」
「答えろ!!」

 あちらの相手を引き受けてくれるなら、助かる。正直魔法を目の当たりにするのはこれが初めてなんだ。未知の敵とはあまりやり合いたくない。
 そんな考えをしていたら、足元が緑色に光った。三角形と四つの円が足元を回っている。シャマルさんが中心にいると言う事は、これが噂に聞く魔法陣というやつか。彼女の胸元には、一冊の本が見開きで浮いていた。

「闇の書よ、守護者シャマルが命じます。眼下の敵を打ち砕く力を、今ここに!」

 本が一際光った。天上に上った光は雲を掻き分け、街の向こうへと集まっていく。
 遠雷が聞こえる。超常的な光景だった。

「撃って、破壊の雷!」
『Geschrieben』

 シャマルさんの声に応えるかのように、本が何かを喋った。
 同時に、落雷。
 不可思議な地点で、雷が止まっている。あれが結界とやらか?
 ガリガリと、何かを削っていき、そして地上へ到達した。

「ふぅ、これで結界は破壊できました。急いで帰りましょう」
「……どうやら、そうは行かないようです」
「え?」

 見渡せば、杖を握った連中が十人、俺とシャマルさんを囲っている。話に聞く管理局の人間か。

「あ、ぁぁっ!」
「落ち着いて。俺が隙を作ります。離脱できるように構えていてください」
「は、はいっ」

 会話が終わると同時、三人襲い掛かってきた。一人は上段に、二人は中段に構えながらの突撃。他の七人はなにやらブツブツと唱え出してる。魔法が発動するのは危険だ。何をされるのか、俺には解らない。ならば、何も出来ない内に仕留めるのみ!
 世界から色素が抜ける。
 白と黒だけの世界の中。俺は上段に構えた一人に飛針を二本投げつけ、残り二人を纏めて斬り払う。

 ――奥義之壱 虎切

 我が流派の最大射程にして、最大攻撃範囲を持ち、今出来る唯一の抜刀技を抜き放った。

「なっ!?」
「消えた!!」

 周囲の驚きを尻目に、残りの七人の内、固まっていた三人に向かう。神速は既に切れている。体が重いが、まだ一度は持つ。再度、神速をかけ、接近。

「速っ!!」
「ぐぁっ!!」
「きゃあ!!」

 すまん、と形だけの謝辞を呟きながら、斬撃と蹴撃で三人を吹き飛ばす。これで穴が出来た。逃げるなら今しかない!

「シャマル!」
「あ、はい!!」

 俺の呼びかけに、呆然としていたシャマルさんが我を取り戻して、急いで俺を回収に来る。
 しかし、位置関係から、残っていた四人の内、一人がシャマルさんに、三人が俺に襲いかかってきた!

「くっ!」

 拙い。シャマルさんに向かった一人もそうだが、俺には魔法に対する対策が何一つない。加えて、三人組は二人を俺に当たらせて、一人が魔法を使う構えを見せている。
 神速はもう使えない。これ以上やれば動けなくなる。死ぬ気でやれば後一秒はいけるかもしれないが、一秒では上手くいって二人しか倒せない。残りの一人を相手にするには、もう体にガタが出る。
 万事休すか!?

「テメーら! 何してやがんだあああ!!」

 そこに飛び込んできたのは、赤い突風だった。意識を俺に集中していたために、この突然の襲撃には誰も対処できなかった。どうやら少しは囮の役目も出来るらしいな。

「おい! さっさと逃げんぞ!!」
「解ってる!!」

 棘と噴射口と言うかなり物騒なハンマーを振り回して、管理局員をぶちのめしたヴィータ嬢が物凄く頼もしい。
 ヴィータ嬢とシャマルさんに掴まって、俺達はその場から逃げ帰ったのだった。

〜・〜

「――で、振り切られた訳と」
『申し訳ありません。思いの外、傷が重くて……』
「まあ、その辺りはしょうがないわね。早めに治療を受けてください」
『はい。では失礼します』

 武装局員からの通信を切ったリンディはソファーに深く体を沈めた。後一歩と言うところで逃げられてしまった事は純粋に惜しいが、相手もまた必死だと言う事だ。しかし、前回と比べれば被害は少ないのだし、次には捕らえられるだろう。それは経験からの勘だった。

「そっちの傷は大丈夫?」
「打ち身だけです。この程度ならどうってことありません」
「もう、強がり言ってるけど、お腹触られると引きつるんでしょ?」
「や、やめろエイミィ!」

 可愛らしくちょんちょんと指先で突付くのかと思えば、首の後ろを掴みながらボグゥとやけに体重の乗ったブローがクロノの腹部に突き刺さった。殴り方が手馴れてるのはなんでだろう?

「な、な、に、する……」
「執務官補佐として、執務官の休養の手助けをしたまでよ。怪我してるときくらいしっかり寝なさい」
「だ、から……て、殴る事は、ないだろっ」
「おお、快復が早い。もう一発いる?」
「……解った。素直に怪我を治す。治すから拳を作らないでくれ」

 そんなやり取りをする二人にリンディは特に口を挟むでもなく、角砂糖六個入りの緑茶を啜りながら、ウィンドウを見つめていた。
 ウィンドウには今回判明したもう一人のあちら側――正体不明の帽子の男が映し出されていた。

「クロノ、どう思う?」

 実際に顔を――帽子で顔は見えてないが――見合わせたクロノにリンディは意見を求めた。

「……後ろを取られたのはリーゼロッテ以来です。恐らく格闘戦に優れた人物だと思われます」
「十人の武装局員に囲まれて、六人ボコってるしね」

 その際の映像を流す。だが、三人には帽子の男が何をやって局員達を無力化しているのか見えなかった。

「なんの魔法使ってるのか見当つかないけど、手強い相手である事は確かよね」
「ですね」
「あ、この人魔法は使ってないですよ?」
「え?」

 リンディは驚きの声を上げた。クロノも声は出さなかったが、リンディ同様、エイミィの言葉には驚かされている。その二人を満足げに眺めた後、エイミィは映像をスロー再生して見せた。

「三十分の一再生で見ると、この人しっかり動いてるんですよ、足で」
「三十分の一? って、そんな時間経過でしか見えないって言うのか?」
「まあ、よく見えるのがこの速さってだけの話だよ。実際にはこの人目に見えない速さで動けるのは変わらないわけだしね」
「だとしたら、相当厄介だぞ」

 何せ魔法ではなく、体術に分類される動きなのだ。魔導師として、魔法の発動には敏感だが、体術には別の感性が必要になる。そちら側の勘とも呼べるべきものは、残念ながらクロノは持っていなかった。

「なんにしても、闇の書の関係者がまた一人増えたわけよね」
「この人も守護騎士ヴォルケンリッターかな?」
「……解らない。ただ、魔法を使ってないところが引っかかる」

 これまで遭遇した相手は須らく魔導師だった。だとするなら、この帽子の男も魔導師だと思うのが普通だが、やはり、魔法を使わなかったことが違和感を感じさせる。
 魔法は便利なのだ。才能にも因るが、身体能力以上の事が可能になる力をあえて使わないメリットが浮かばない。何某かの事情で魔力を節制してるのかとも思うが、仲間を助けに来たのに出し惜しみをするなんてことがあるだろうか?

「それに、僕の事を『クロノ・ハーヴェイ』って言った事が気になる」
「レコーダーにもあったね。クロノ君、いつ結婚したの?」
「してない」

 エイミィのボケを速攻で潰す。ボケを潰されて、エイミィは残念そうに指を鳴らしてるが、クロノには溜息しか出ない。怪我人として、あまり暴れたくないのである。

「彼は、僕の顔を見て『クロノ』だと確信してます。他人の空似だとは思えないんですよ」
「クロノ・ハーヴェイ……か。ハーヴェイって名前、二人とも知ってる?」
「いえ」
「知り合いにはいませんねぇ」
「そう。私も心当たりないし。あの人が隠し子作ってない限りは
「…………」
「…………」

 どうしましょう、とかぼやいてるリンディであるが、発してる雰囲気がまともではない。あれは、人を殺せるっ。

「え、えーっと、この帽子さんについては今後調査しますんで、私はこの辺で」
「あ、ちょ、エイミィ!?」
「クロノ君? 家族会議、頑張ってねー」
「き、汚い……」

 上手く逃げやがったな、アンチクショウめ。罵詈雑言をかけたいところだが、その相手は恐らくほとぼりが冷めるまで姿を現さないだろう。つくづく場の雰囲気を読みすぎてる感がある。

「クロノ」
「……なんでしょう?」

 忘れていたわけでは――いや、忘れたかった懸案が、クロノの肩をがしっと掴んでいる。どうやったら放してくれるかなぁと思いはするものの、どうあっても放してくれないだろうなと涙を堪えるしかなく、

「家族会議、開くわよ?」
「……はい」

 この日、クロノは朝方までリンディの怒りと愚痴の捌け口にされたのだった。当然、傷なんぞ治るわけもなく、執務官の戦線復帰には更に時間を要する事となったのであった。

〜・〜

 やれやれ、と疲れを紛らわせながら、俺は帽子を脱いだ。こちらに来た初日以来、疲れたな。でもまあ、あの時は帰る場所、休める場所がなかったが、今はこうして寛げる場所がある。これは凄く大事な事だ。

「それで? 主はやてを置いて、お前は出てきたのか?」

 何故か、俺に対して尋問が始まってたりする。

「その前に、助けに行った事への感謝はないのか?」
「それは、その、だな……」

 言葉に窮したシグナムに代わって俺を叱るのはヴィータ嬢だ。物凄く怒っていらっしゃる。

「お前ぇ、はやてを一人ぼっちにしやがったのかよ!?」
「……まあ、お前達が気になることだろうから、先に答えよう。だから、そのハンマーは下ろせ」
「ハンマーじゃねえ。グラーフアイゼンだ」
『Jawohl』

 む、解った。今度からそう呼ぶよ。

「はやて嬢だが、知り合いの家に預けてきた」
「知り合い?」
「月村すずか嬢の家だ」
「あ、はやてちゃんのお友達の!」

 以前、図書館へ出迎えに行った時、シャマルさんは知ってるから納得したが、ヴィータ嬢とザフィーラは疑問符を浮かべていた。

「誰だ?」
「友達さ。信用の置ける、な」
「そうかよ……」

 不満そうなヴィータ嬢に、俺は苦笑を浮かべた。はやて嬢が取られたような感じなんだろうな。まあ、あの子が四人を置いてどこぞへと行くなんて、あり得ないんだがな。

「どうにもお前達の帰りが遅いし、俺自身胸騒ぎが治まらなかったから、はやて嬢には友人宅へ行ってもらった」
「高町、顔は見られなかったのか?」
「ああ。電話ははやて嬢がしたし、迎えが来る直前に俺は家を出たからな。見送りが出来なかった点は謝るが」
「いや、謝らなくていい。我々の方こそ落ち度があった」

 まあ、そう言った経緯で、俺は八神家を飛び出して、シグナム達を探しに出た訳だ。
 ただ、どこを探していいのか解らなかった事もあり、とりあえず上から見れば見つかるだろうと浅い考えでビルを登った。戦いに行くと言っていたし、彼女達は飛べる事を知っていたから、おのずとどこかの空で戦っていると思ったんだが、見つからなかった。
 それでも、四つ目のビルでシャマルさんの姿を見つけたときは、妙な達成感はあったものだ。

「じゃあ、はやてちゃんに電話しますね」
「ええ。無事を早く知らせてやってください」
「はい!」

 シャマルさんが電話をする間、こっちは食器が並べられたテーブルを見つめていた。

「鍋……か」
「ああ、鍋だ」
「く、すまない食材達! 遅れてしまった分、きっちり煮込んでやるからな!!」
「シグナム、滅茶苦茶悔しがってんな」
「鍋奉行だからな」
「その言葉で纏めるのはどうかと思うが」

 だが、鍋にかけるシグナムの情熱はもはや奉行と言うか上様としか言いようがない。
 その後、ヴォルケンリッターの面々が代わる代わる電話に出て、はやて嬢に謝っていた。彼女達は、本当にはやて嬢が大事なのだな。声を聞くだけで、それがよく解る。

「――で、だ。はやて嬢の意向もあり、鍋を始末しなければらない」
「食べるぞ、我々は」
「腹がぶっ壊れても食うぜ」
「体重とか気にしません!」
「男手がいる時だな」

 と言う訳で、鍋は五人で食いまくり、残った汁で雑炊まで作ってそれも全部食べきったのだった。なんか、鬼気迫る勢いで食べてく彼女達に、俺も触発されて満腹まで食べてしまった。いつもは八分目までと決めていたんだが、たまにはこう言うのもいいかと、苦笑するのだった。