早朝。
日の出と共に目を覚ました俺は、八神家を静かに出て、八束神社にこっそりと来た。起きた当初は身体を動かす事を無意識に考えていたんだが、いつもの癖で武装の確認をした時に、そう言えば半分ないんじゃんと気付き、ちょっと、いやかなりヘコんだが、とりあえず身体を動かさないと落ち着かない為、家を出た訳だ。
そこまではよかった。そこまではよかったんだが……いつもすれ違うジョギング中の人に怪訝な顔をされた瞬間、そう言えばこの世界の俺も神社を修行の場に選んでるんじゃないか? そうすればさっきすれ違った人が怪訝な顔をしたのも頷ける。
拙い、な。下手な接近は下手な接触の起因になる。ここで回れ右をして、家に引っ込むか別の修行場を探さなければならない。何よりも家に帰って引き篭もりなんて以ての外だ。あり得ないな。あり得ないようにどこかで仕事を探さなければならないな。
くっ、昨日封じたはずの単語が頭の中を跋扈しかける。俺はニートになどならん!! なってたまるかー!!
「……いや、少し落ち着こう」
我を忘れるとは剣士として情けない。いや、この辺は大人としてか。ともかく、冷静さを取り戻すべく、スクワットを二十回ほど……、
「違う! 全く落ち着いてないではないかっ!!」
いつの間にか乱れていた呼吸を抑える。抑える。ふぅ、落ち着いてきた。
さて、俺は何をしようとしていたか。
先ず、目下の目的は鍛錬場の確保。いつもの八束神社は使えない。となれば、他の候補を考えなければならない。
思いつくのは、さざなみ寮の裏山、公園の雑木林。……え、二つしかない!?
「…………ど、どうする? どうするよ、俺」
生命札が欲しい所であるが、人生の選択なんて往々にして道など少ないものだ。その中でも最良と思えるものを選んでいくのが人の道と言う奴だろう。ならば俺はさざなみ寮の裏山を選ぶとしよう。超健康人間が跳梁跋扈するさざなみ寮であっても、裏山で稽古する事はないと思う。そもそも武人が居ないのだし。山の奥に行けば、多分大丈夫さ。
「うむ。たまには違う地形で鍛錬するのも楽しそうだしな」
そう言うわけで、ウキウキと山を目指した俺だった。
「レイジングハート、今の何点くらい?」
『八〇点と言った所です』
「にゃー、最後の方になると、疲れてくるんだよね」
『その為の訓練です』
「わかってるよ」
…………。
何故だろう。あそこに俺の家族によく似た子が居るのが見えるんだが。
さざなみ寮の裏山に辿り着いた俺は、念のため寮からかなり遠くで鍛錬しようと山の奥へと入って行ったんだが、慣れていない山だったためか、少々意図しない場所に出てしまった。明らかに人の手が入っている場所に出た。俺の世界ではここは普通に森が広がっていたはずなんだが、世界が違うためか、自然公園になっているらしい。仕方ないと思い、戻ろうかとしたところ、件の女の子を見かけた。遠目に見れば、小さい方の妹と背格好が似ていたので、ついフラフラと近寄ってみれば、なにやらよく似た顔に似た声をしてる。
おかしい。先ずあの子によく似ている俺の家族は朝が弱いのが特徴だったはずだ。こんな朝靄がかかるような時間帯に起きたためしなど一度もないと断言できるほど寝起きが悪い。付け加えて、あんなビー玉に話しかけるような電波っぽい癖はなかったはずなんだが。
それに、先ほど空き缶になにやら光る球を当てていたが、様子を見るにあれを操るための練習なのだろう。俺も昔、鋼糸の練習に空き缶を使ったが、こう言うのの標的としてはポピュラーなのか?
「じゃあ、もう一回」
『カウント、始めます』
「えい!」
一つ、光の球が女の子の指先から放たれた。速度は銃弾より遅いが、人が避けるには少々苦しい速さだ。その光球は、ベンチに置かれていた三つの缶の内の左端のやや下に飛び込む。軽く歪んだ金属音が響く。舞い上がった空き缶は、重力に引かれ落下していくが、そこに弧を描いて再度飛来した光球に弾かれて、再び上空へ弾かれる。
その後も、缶を落とさないように光球で缶を弾き続ける。それを見て思ったのは、無駄が多いな、だった。剣士の性で、即座に目にした能力を分析し、攻略の戦術を考えてしまう。それを恥じる事はないが、年端も行かない女の子を相手にする事の馬鹿馬鹿しさを考えると、少しは恥じるべきだろうかとも考える。
無駄と言ったが、魔法に関して門外漢の俺がそう評価するのは、光球の動きが若干大振りだからだ。もう少し鋭く動けないのかと気持ち応援してしまったが、あの子もあの子でかなり必死なんだろう。段々と肩で息をし始めているし、集中力が落ちてるのが目に見える。
『カウント、99です』
「ラスト!!」
宣言通り、最後に精一杯の力を込めて缶に命中させた。ただ、弾くのではなく貫いていたが。そうか、力加減も練習していたのか。少し評価を改めておこう。
『マスター、そろそろ時間です』
「んー、じゃあ、今日はここまでにしよっか」
『明日も頑張りましょう』
「うん!」
元気よく返事をしながらも、直後に欠伸をかみ殺しながら、女の子は朝靄の向こうに消えて行った。
「……なのは、なのか?」
自問するが、解答はない。
ただ、嫌な考えがさっきから浮かんでいる。さっき、なのはが練習していたのは魔法と言う奴ではないだろうか。霊力、と言う可能性もあるが、那美さんや薫さんの霊力技を目にした上で判断すると、失礼ながら霊力はやや大味な印象がある。シグナム達を見ていると、魔法は霊力よりも数段上に位置する力なんじゃないのか?霊力じゃ空は飛べない。それに傷を癒すにしても強さが違った。
まあ、早々他人の力を他のと比べるのは思慮に欠けた考えだな。つまりは力の方向性の問題だろう。霊力は霊が対象であり、儀式や式符等で鎮魂するのが目的で、霊力技は最後の最後に使う力技だ。対して、魔法は言わば道具のような物なんだろう。だからこそ、便利にしようと色々と改良されていく訳だ。
脱線した頭を元に戻す。さっき見た、なのはに似た子がやっていた練習――あれは、魔法の練習だろう。もう、確定でいいだろうな。これ以上不思議力が出てこられるのは勘弁して欲しい。ともかく、俺の知るなのははあんな力は持っていなかった、と思う。こっちで魔法の力を持っているとしても、あっちでは持ってないと思うし。いや、だからこそ持ってたりするんだろうか? 最近様子が変だった気がするが、クロノと知り合ったからだと思いたい。あと、交際するのはまだ許さんからな、黒尽くめ。
結論を後回しにしたが、結局のところ、あの子が魔法の力を持ち、扱えると言う事は、だ。シグナム達とぶつかってしまうかも知れないと言う事だった。
『魔力の蒐集』と言っていた。つまりは、何処からか魔力を集めてくるのだろう。それが泉の様に湧き上がってるなら何の心配もないが、生憎と管理局に付け狙われているのならば、それは犯罪行為に相当する事だ。ここまで考えれば、考え付く事などそう多くはない。魔力は人から蒐集しているのだろう。
妹に似ている似ていないを除いても、小さな子に襲い掛かるのは俺の感覚としては考えられない。願わくば彼女がヴォルケンリッターに襲われない事を祈るのみか。
突然の知り合いに似た人間との遭遇に調子を崩された事は否めないか。全く、心臓に悪い偶然だ。
「――さて、時間がない。略式でやるか」
八神家が活動を始める前に帰った方がいいだろうしな。
〜・〜
「あ、か、帰ってきました!」
「なに!? 本当か!?」
玄関開けたら騒がれた。
「本当に居るぞ!」
「今度こそシャマルの見間違いじゃないな!!」
「郵便局員は緑なのに間違えたからな!!」
「その話は止めて!!」
シグナムとザフィーラとシャマルさんが朝からテンションマックスで暴走してる。正直、近所迷惑だ。黙れ、お前ら。
「……誰か、この状況の説明を要求する」
なんだ? なんなんだ? 俺が何かしたか? 思い返しても、別段何かした覚えはないんだが。
「あー、うるせぇ」
「ヴィータ嬢、説明してくれないか?」
「あー? メンドくせぇなー。ま、飯が出来るまでならいいぞ」
なにやら機嫌のいいヴィータ嬢。出会ってまだ二日だがここまで機嫌のいい彼女を俺は見ただろうか? あ、はやて嬢に会いに行く時か。いや、この話はまたの機会にしておこう。必要なのは状況説明だ。
「朝起きたら、お前ぇがいない事にシャマルが気付いてさー。それで大騒ぎして家中探し回ったんだよ。おかげでアタシは眠いっつーの」
げしっと足を蹴られる。まあ、痛くないように加減されていたので特に文句はないが。
「シグナム叩き起こして、この辺探し回ったり、ザフィーラ使って臭い辿ろうとしたり」
「待て。その言い分だとザフィーラが犬のような扱いを受けてる事になるぞ。あいつにそんな趣味があるのかっ!?」
「あ? 趣味? なんのだよ?」
アブノーマルのだ。ぬぅ、硬派な男だと思っていたが、まさかそんな趣味を持っていたとは……。これは付き合いを変えなければならないな。
「まあともかく、いなくなったお前ぇを探してたんだよ」
「そうか。習慣で早朝に鍛錬をするのを教えていなかったのが原因か」
「そんな事してんのか?」
「ああ。ついでに言えば、深夜もやっている。後で皆に話しておこう」
毎度毎度いなくなった事で騒がれるのは落ち着かないしな。後、いなくなっただけでここまで心配されるほど子供でもないと言っておこう。
「ん? なにやら香しい匂いがするな」
「おうよ! 今日ははやてが作ってるからな! シャマルのよりも美味いんだぜ!!」
「はやて嬢が?」
シャマルさんの料理よりも、小学三年生の料理の方が美味いのか……。シャマルさんの腕が悪いのか、それともはやて嬢の腕が凄いのか、それが問題だ。まあ、シャマルさんの料理はまだ食べた事がないので、評価の程は後にでも取っておこう。
「みんなー、ご飯できたでーっ」
「お、今行くぜー!!」
「む、主が呼んでいる。戻るか」
「そうね」
「そうだな」
「……その切り替えの良さ、見習いたいものだな」
いそいそと食卓へ向かうヴォルケンリッターに俺は呆れるしかなかった。
苦笑を噛み殺して食卓に着こうと食堂に行ってみると、何故かいる一匹の犬に餌をあげようとしているはやて嬢を見つけた。
……ん? この家に犬なんかいたか?
「はやて嬢」
「お、恭也さん。おはよう」
「ああ、おはよう。ところで、あの犬は一体……」
「え? ザフィーラやよ?」
「ザフィーラが?」
何処から連れてきたのか、と訊ねると、はやて嬢は俺の質問の先を読んだらしく、そんな答えが返ってきた。ああ見えて、なかなか優しい所があるんだな。趣味はアブノーマルだが。
それにしても、この犬、見た事がない種類だな。猟犬の類なのか、大層な牙があるし、爪は鋭い。と言うか、鉄靴みたいなのを履いている。見た目の凶悪さとは別に温厚らしく、この家では新参者の俺に対して、警戒心を見せていない。普通、見知らぬ人間が見つけたら吠えるのが犬だと思うんだが。
一先ず、興奮して宥める手間が省けるのはいい事だなと思い、俺もテーブルの席に着いた。俺の正面にはやて嬢、その右隣にシャマルさん。俺の左手にヴィータ嬢、更にその隣にシグナムがいる。
「ほな、食べよか。いただきます」
「いっただきっまーす!」
「頂きます」
「いただいます」
朝食のメニューは、白米に味噌汁と鮭の塩焼き、それときゅうりの漬物と実にオーソドックスな様相だった。
「恭也さん、何食べられるか解らへんかったから、一応基本的なものにしてみたんやけど」
「基本的に嫌いなものはないよ。何でも食べられるのが自慢だ」
トカゲだろうがカエルだろうが、非常時ならば何でも食べられるぞ。まあ、食事中の女子供に聞かせる話ではないので伏せるが。
それよりも、さっきから気になっている事が一つあるんだが。
「ところで、ザフィーラは何処に行ったんだ?」
「え? ご飯、食べてますよ?」
「なんで彼だけ別の場所で?」
「流石に箸使えんしなぁ。床で食べてもらうしかなかったのと、私、犬好きやねん」
「主の意向は絶対だ」
シグナムのはやて至上主義は置いとくとして、はやて嬢の話から予想できる事など一つしかない訳で……。
「…………」
ギギギと首をブリキ玩具の如く回して、後ろで味噌汁をぶっ掛けた白米に齧り付いている犬を見る。
「…………」
「…………」
不意に目が合った。
「…………」
「…………」
無言で見詰め合う俺達。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
無言で俺達を見つめる女性陣。
「…………何か用か、高町」
「――喋ったっ!? 犬が、喋った!!」
「へっ!? いえ、あの、それがザフィーラなんですけど……」
「ザフィーラ!? これがか!?」
「あれ? そー言えば、知らねーんだっけか」
「ザフィーラは基本的には犬の姿で過ごしてるで」
「犬が本性なのか!?」
「どちらも俺だ」
「お、お前、まさかの犬扱いを受けていたのかっ!!」
「その物言いは失礼だろう!!」
「ワンと言ってみろ!」
「言えるかっ!」
「では、お手だ!」
「ワン!」
「してるではないか!」
「しまった!」
「あ、ちなみに躾けたんは私やよ?」
ぬぅ、恐るべしヴォルケンリッターの主。何気にプライドの高そうなザフィーラに芸を仕込むとは、やるなっ!
「オメー、機械人形とかと知り合いの癖に、そんなに驚くなよな、人外吸引体質」
「……よくよく考えてみれば、狐が人間に化けるのも知ってたな。あれと同じか」
「なんでそう類似事項が多いんですか、高町さん」
解りません、シャマルさん。
「ちなみに狐は女の子に化けていたぞ」
「おお! 狐耳か!? 私、ちょう見てみたいわぁ」
「狐狩りをするぞ、ヴィータ!!」
「やめんか、はやて至上主義」
何故か意欲に燃えるシグナムを宥めて着席させる。
しかし、ザフィーラが犬だったとは……。今後、どう接すればいいんだろうか。
「何、姿は獣でも、俺は俺だ。いつものように接すればいい」
「そうか。解った」
そうだな、いきなり変えられるものでもないしな。ましてや、喋る犬だし。気兼ねはしなくていいと言う事か。
「では――お手!」
「ワゥン!」
「おかわり!!」
「ワン!」
「おチンtおぶふっ!!」
「何をしてるんですか!!」
「はっ!! つい乗せられてしまったっ!?」
「熱湯は流石の俺でも耐え切れないいいいいいい!!」
「あっはっはっはー! リアクション最高やでー!!」
NGワード寸前にシャマルさんにぶち込まれた熱いお茶を諸被りして床を転がる俺と、犬としての性に逆らえなかった事に懊悩するザフィーラに、その二人を肴に笑っているはやて嬢、状況の変化についていけないシグナムとヴィータ嬢が呆然と眺めている、と軽く地獄絵図な状況だった。
幸いな事に火傷は負わなかったらしく、冷やしたタオルで頭を顔を拭いて食事再開。ザフィーラもどうにか犬としての性と人間としての尊厳とに折り合いをつけたらしく、元気に食事中。
今の光景だけ見れば、数分前の騒ぎなどなかった事に出来るほど普通の食事風景となっていた。
「ほんで? 恭也さん、どこ行ってたんや?」
「桜台の方にある山だ。修行場所を探していてな」
「修行場所? なんや、仙人みたいな事言いよんね」
「せ、仙人……」
ま、また言われた。昔から言われていた事をここでも言われたっ。く、俺はそんなに浮世離れしてるのかっ!? ただ身体を鍛えてるだけではないかっ。
「なー、センニンってなんだ?」
「仙人は、ごっつ凄い修行して霞を食べて生きる人の事を言うんよ」
「待った。その説明は激しく誤解を……」
「霞で生きていけるんですか!?」
「すげー」
「むぅ、我等以上の人外がいようとは……」
待てや。そこで納得できる要素など何処にもないぞ!!
「かくも世界は広いのだな」
「シ・グ・ナ・ム・ゥ!! そこで『見習わなければな』と決意するな!」
実直馬鹿が段々露呈してきてるぞ、お前。
「ともかく、俺は仙人などではない。霞だけ食っても死ぬ真っ当な人間だからな。人を勝手に超人にしないでくれ」
「ほうかー。見てみたかったんやけどなー」
「高町! 今すぐ修行するぞ!」
「そのネタはもういい!!」
どれだけ修行してもそこまでの超人になんてなれない事は疾くの昔に知ってるわ! とーさんに騙されて以来、俺は仙人の存在を否定してるからな!!
まあ、そんなよく解らない会話をしながら朝食は美味しく頂いたのだった。本当に美味い。
〜・〜
午前中は特にする事がなかった。と言うのも、俺自身、今後何をすればいいのかよく解っていないんだよな。魔力の蒐集とやらには協力できそうもない。他の事で何か役立てる事はないかと俺はシャマルさんに話を伺ってみた。
「え? 手伝える事、ですか?」
ちょっと吃驚顔なシャマルさんに俺は深く頷いて続きを言った。
「何もしないのは落ち着かないので。住まわしてもらっている身分ですし、下手に動き回れないですから。家の手伝いでもしていないと気が済まないんですよ」
労働意欲と言うか労働してるって言う気分が欲しい。
「んー、じゃあ、お掃除を頼んでもいいですか? 今日にでもお部屋の埃を落としちゃおうと思ってたんです」
「了解しました。高町恭也、全力で清掃に励みます!」
「えーと、お、お願いしますね?」
「はっ! 心得ました!!」
役割を貰った事に浮かれながら、バケツと雑巾に掃除機を抱えて掃除に乗り出したのだった。
「先ずは、二階からだな。掃除は上からと言う奴だ」
日頃の癖で階段を上る時でも音を立てない特殊技能を発揮しつつ、二階へ到着。二階の廊下を見渡して、角部屋から順次やっていく事を決める。と、そう言えば、角部屋は俺に宛がわれたんだったな。ふむ、ならば遠慮なくやろう。
先ずは照明器具の上に溜まってる埃を雑巾で払う。続いてカーテンのサッシを拭くと雑巾が埃まみれになった。うーむ、どうやら俺に宛がわれた部屋は長い事掃除されていなかったらしい。バケツで汚れを落としつつ、そんな事を考えた。
「何、仕事があるのならば全力で全うしようではないか。どうせ暇なのだしな」
雑巾を絞って水気を抜く。今度は本棚だ。幸い、背伸びせずともしっかり拭ける高さだった。そこで唐突に気付いた。そうか、はやて嬢の手が届く高さなんだな。家具一式の背が低いのはそう言う意味があったのか。自分の思慮のなさに呆れ返る。
「護る、か」
シグナム達の固い決意を思い出す。彼女達の性格から、はやて嬢を護る事は当然の事だろう。忠義を尽くす。それは心の底からするには主がそれに値し、かつ彼女達が護りたいと思わなければ生まれないものだ。だから、はやて嬢とシグナム達の絆は強い。
付け加えて、はやて嬢の足が動かない事も、それらに拍車をかけているんだろう。可哀想と思うし、憐れにも思う。それはどうしたって思ってしまう心理だ。誤魔化す気はない。それではやて嬢が気を害するとしても、やはりなくなるものではない。現に、俺はそう思っている。でも、だから護りたいのではない。足の障害など関係なく、あの子はいい子だ。あの暖かさを持っている人を護りたい、あの優しさが奪われないように護りたい、そう思う。
「せめて、帰るまでは護り通す」
身勝手。自分の目的の為に彼女に甘えている。その事実を飲み込んで尚、俺は帰りたい。
「まあ、今はこの家を、あの子達を護ろう」
足手まといであろうとも、刃が届かないとしても、この身を盾にするくらいは出来るはずだ。
「……掃除中に何を考えてるのか。暗い話は止めよう」
自己犠牲、なんて言葉は必要な時まで取っておけばいい。
その後、自分の部屋を早々に終わらせて、各部屋の清掃に精を出したのだった。まあ、途中、ヴィータ嬢に不法侵入罪で殴られかかったんだが。
〜・〜
「管理局本局へのドッキング準備、全て完了です」
「ん、予定は順調。いい事ね」
時空管理局艦船アースラ。リンディ・ハラオウンが艦長を務める巡航艦だ。PT事件からの事後処理を終え、漸くの本局への帰還である。搭乗員はもちろん、アースラもメンテナンスを受ける予定となっており、久々の休暇が待っている。
「失礼します。艦長、お茶のお代わり、いかがですか?」
「ありがとう、エイミィ」
日本語で『湯』と書かれた湯飲みにお茶を注ぐのはエイミィ・リミエッタだ。アースラでは通信主任兼執務官補佐であり、実質アースラでは三番目に権力のある人物である。ハラオウン母子とは特に親しい間柄で、執務官であるクロノに対しても姉のような態度で接している。それが上官に対する態度なのかは別として、エイミィの感覚では頼れる弟のようで、ついついそう言う態度を取ってしまうらしい。
そここそがクロノ・ハラオウンにとっての悩みだったりするのだが。
「本局にドッキングして、アースラも私達もやっと一休みね」
「ですね」
「子供達は?」
「今は三人で休憩中のはずですよ。クロノ執務官とフェイトちゃん、さっきまで戦闘訓練してましたし。ユーノ君、それに付き合ってましたから」
注がれたお茶に角砂糖を四つ入れ、更にはミルクまで足す。極度の甘党で知られるリンディ提督である。この程度で驚いてはいけない。
「そう。明日は裁判の最終日だって言うのに、マイペースねぇ」
リンディはお茶請けに添えられた二貫の羊羹の一つをエイミィに勧めた。上司と部下の関係とは言え、船に身を預けるスタッフ同士、上下関係以外の親交も深い。無論有事の際とは別だからこその砕けた態度なのだが。
「まあ、勝利確定の裁判ですから。ふふ」
エイミィが微笑むのを見て、リンディもまた微笑んだ。
「じゃ、仕事に戻ります」
「ええ、解ったわ」
エイミィが下がるのを見届けて、リンディも入港手続きの為の受付を済ませると、通信が入ってきた。相手はリンディの友人でもあるレティ・ロウラン提督だった。
『お疲れ様、リンディ提督。予定は順調?』
「ええ、レティ。そっちは問題ない?」
そこで、レティは表情を曇らせた。
『ん……、ドッキング受け入れとアースラ整備の準備はね』
「え?」
そこに、報告書を片手にやってきたクロノ・ハラオウンが二人の会話を偶然聞いてしまった。本来なら、直ちに退室するところであるが、どうやら機密とは関係のない内容のようなので、二人の会話が終わるまでその場で待つ事にした。
『こっちの方では、あんまり嬉しくない事態が起こってるのよ』
「嬉しくない事態って?」
『ロストロギアよ。一級捜索指定がかかってる超危険物』
「…………」
クロノの視線が厳しくなった。
『いくつかの世界で痕跡が発見されてるみたいで、捜索担当班はもう大騒ぎよ』
「そう」
『捜査員を派遣して、今はその子達の報告待ちね』
「そっかぁ」
『それと、こっちもロストロギアなのだけれど……』
「まだあるの?」
こうも立て続けに事件が重なると、レティの心労は重くなる。所属が運用部なだけに、捜査や各種装備の手配、人員の移動の際の書類仕事など、手間のかかる仕事が格段に増えるのだ。その事を知ってるだけに、リンディはやや苦笑気味だった。
『まあ、ロストロギアそのものの調査は終わってるのよ。ただ、調査段階で起こしてしまった誤作動の後始末が大変でね』
「後始末って言うと?」
『時元転送系のロストロギアって言えば、大体解るでしょ?』
「なるほどね」
つまりは、転送機能を誤作動させて、ランダム転送と。事実だけ見れば簡単な話だけに、容易に思いつける展開だった。
「どこかへ跳んでしまったあれこれを探すのに人手が足りてないって訳か」
『ええ。先日人員手配にクォーウッド艦長が来たのだけれど、相当手が足りてないみたいなのよね』
「クォーウッド艦長が担当しているの?」
『そうよ。相変わらず真面目な人だったわ。私に敬語使ってくるのよ?』
「そ、それはあんまり想像したくないわね」
『私は目の前でやられたのよ』
「お疲れ様と労わっておくわ」
かつての上司にそんな態度を取られたら居心地が悪いものだ。クォーウッド自身、もう壮年の域に達している所為もあって、二回りほど年上の男性に慇懃に振舞わられれば、どうしていいか解らないものだ。
『まあ、こっちはあんまり急ぎの話ではないのよ。重要と言えば重要なのだけど、上層部はあんまり重視してはいないわ』
「そう、ね。仕方ないって言葉は使いたくないけど……」
『もう少し人手があれば楽なのにね。特に私が』
一瞬本音が聞こえた気がしたが、クロノは忘れる事にした。
『そう言う事だけど、アースラの整備はしっかりやるから安心して』
「ええ、任せるわね」
そこで通信を終えた。それを見て、クロノはリンディに報告する為に鋭くなっていた眉間を指で解しておくのだった。
〜・〜
夕方。
俺とシグナムは海鳴図書館の駐車場にいた。
シグナムは白いコートに紫のマフラー。俺は、昨日はやて嬢に買ってもらった赤いジャケットに黒のレザーパンツだ。あまりにも派手なので却下したのだが、例の謎の圧力で結局着させられたのだ。正直、ファッション性は高いが、戦闘向きじゃないのが少々気に入らない理由なんだが、はやて嬢を悲しませるとヴォルケンリッターからイジメが入るので、泣く泣く着ている。今度、一人で買い物せねば。
ここにいるのは図書館に行っているはやて嬢を待っている為だ。あんまりぞろぞろと入っていくところでもないので、シャマルさんが代表して迎えに行っている。
その間、黙っているのもなんなので、この前の病院騒ぎの一件を振ったら、俺の流派の話になった。
「ほう? 二刀使いだったのか」
「ああ。こっちに来る時に、一本失くしたんだが、本来はそうだ」
「お前を捕まえた時、武装を確認したが、殆ど暗器だったから暗殺者の類かと思っていた」
「いや、概ねそれで間違っていないさ。刀が主体と言っても、結局、獲物を選んでいないだけだ」
基本的には何でも使う。その中で一番小太刀が攻撃と防御の面でのバランスが御神流に適していたという話だ。
「シグナム、恭也さんっ」
「はい」
「うむ」
駐車場の入り口からはやて嬢の声がした。振り向けばシャマルさんが車椅子を押しながらやって来ている。
そのまま四人連れ立って、帰宅に向かう事にした。
「晩御飯、みんな何食べたい?」
「ああ、そうですね。悩みます」
「スーパーで材料見ながら考えましょうか?」
「そやね」
こう言う時、あまり役に立てないのが俺だった。基本的に食べられればなんでもいい主義だし、料理に造詣が深い訳でもない。適当な料理と言うものが思いつかなかった。
「そう言えば、ヴィータは今日もどこかへお出かけ?」
「あ……えっと、そうですね……」
はやて嬢の問いに、シャマルさんが答え辛そうに言葉を捜す。
蒐集の件ははやて嬢には内緒なので、上手い言い訳が思いつかない様子だ。
そこにシグナムからフォローを入れた。
「外で遊び歩いているようですが、ザフィーラがついていますので、あまり心配は要らないですよ」
「そっか」
助かり顔のシャマルさん。
俺もフォローを入れておこうか。
「元気な子だしな、ヴィータ嬢は。多少の心配はあの手の子供には付き物だ」
「恭也さん、ちょう実感篭ってへん?」
「まあ、護衛先にお子さんがいる場合とか、な……」
「あ、あのー、元気出してくださいね?」
ふ、ふふふ。思い返せば色々とされて来たものだ。バケツトラップやら、丸太トラップやら、トリモチ、ガム、ドライアイス、たらい。ドリフのコントよりも強烈な罰ゲームだぞ。
「少し距離が離れても私達はずっとあなたの傍にいますよ?」
「はい、我等はいつでもあなたの傍に」
「ありがとう」
「……そこの三人、放置プレイか」
『あはは、違う違う』
放置プレイだった。
「……まあ、いいがな。ところで、はやて嬢。何かいい本でも見つかったか?」
「んー、ええ本は見つからへんかったけど、お友達できたんよ」
「本当ですか! よかったですね、はやてちゃんっ」
「おめでとうございます」
「そこまで大げさにせんでもええのに」
苦笑顔のはやて嬢に、俺も苦笑する。そのくらい二人は当事者よりも喜んでいた。
「そのお友達のお名前は、なんて言うんですか?」
「すずかちゃん、月村すずかちゃんや。可愛い子やったで」
――――。
「……はやて嬢」
「ん? なぁに? 恭也さん」
「そのすずかと言う子は同い歳くらいなのか?」
「そや。私と同じ歳やって。聖祥の制服着てたんよ。同い歳の子とお話したの久しぶりやったんや」
「そうか」
月村、ね。偶然か? いや、苗字は珍しいものだし、早々あるものではないだろう。月村の関係者、と見る方がいいな。となると、図書館には近づかない方が無難か。この世界の俺と月村の関係がどうなっているかは知らないが、ある程度俺のいた世界と似ているのなら、知り合いの可能性が高い。いや、そもそもなのはとも何かしら面識がある可能性がある。無論、こちらのなのはが聖祥に通っているのならば、だが。
それにしても、今日はニアミスが多い。これは本当に街を出歩くのは控えなければならないな。
「ほな、スーパー行こか」
「今度こそ荷物持ちは任せろ」
「いや、それは私の役目だ」
「なにっ!? 馬鹿な! このポジションで争奪戦だと!?」
「この座、早々に譲るわけにはいかん」
「いや、二人とも、そんな事で喧嘩しなくても……」
「喧嘩ではありません。自分の存在意義をかけた決闘です!!」
「そうだ。この役目の重さが、お前に解るのか、シャマル!?」
「とりあえず荷物が重いって事しか……」
「な!? そこまで解っているならば、決闘参加の資格は十分!」
「シャマル、すまんが早々に死んでくれ!」
「何の話してるのよー!!
「おー、シグナムと恭也さんの刀をフォークで防ぐとは、やるなー、シャマル!」
「はやてちゃん、助けてー!」
「く、このフォーク、堅い!?」
「我が剣が押し負けるとは!!」
よく解らない内に始まった決闘は、結局はやて嬢の鶴の一声で治まった。
〜・〜
宵の口の海鳴市の上空。
赤いワンピースと揃いの帽子を被った少女と青い毛並みを持った獣がいた。
「どうだヴィータ。見つかりそうか?」
「いるような、いないような……」
獣――ザフィーラの問いに、ヴィータは半信半疑で答えた。感覚的に感じているが、確信と言えるほどのものがないようだ。
ヴィータは愛槌を肩にかけると、眼下の街を眺めた。
「こないだっから時々出てくるみょーに巨大な魔力反応。あいつが捕まれば一気に二〇頁くらいは行きそうなんだけどな」
「分かれて探そう。闇の書は預ける」
「オッケー、ザフィーラ。あんたもしっかり探してよ」
「心得ている」
ザフィーラの姿が霞むように消える。高速で移動していくのを魔力で感じながら、ヴィータは槌を構える。足元に特徴的な魔法陣が描かれた。中心陣を三角とし、頂点にそれぞれ円を描くのはベルカ式魔法である証だ。
「封鎖領域、展開」
『Gefangnis der Magie』
ヴィータの指示に槌が答えた。
直後、ヴィータを中心に球体状に結界が広がっていく。
結界に埋め込んだ条件は一つ。一定量の魔力を持っているものを内部に残す。それだけだ。
元々、捕獲用の結界だ。内部に侵入する事は比較的簡単だが、脱出に対しては無類の堅牢さを発揮する。
結界内に標的がいればいいが、いなければ、また別の場所で張らなければならない。
「魔力反応っ。獲物見っけ!」
結界の探索に引っかかった。前に感じた魔力とほぼ同等。十中八九間違いない!
「行くよ、グラーフアイゼン!」
『Jawohl』
赤い航跡を残しながら、ヴィータは海鳴の空を飛んだ。