色々と考えるべき事が多々発生したわけだが、ともかくとして八神家の家主であり、ヴォルケンリッターの主人であるはやて嬢は俺を快く迎え入れてくれた。先ほどまでの乱闘騒ぎは幸運にも看護士の方々には露見されなかった。それが救いと言えば救いだろうか。
 正直、そんな救いなんていらない気がするが。

「もしあそこで看護士の人に見つかってたら強制退去でしたよ?」
「その程度の気配は読めるので余裕で対処できます」
「そこ、誇るところじゃねーだろ」
「もし来ていたら、怒りメーターが振り切れるほどの我慢を強いられていたわけだが」
「堪える事は体に悪い。早々に発散できて良かったな」
「……いーのかぁ?」

 とは言え、女性陣三人は冷や汗流しまくりだ。
 ふむ、お灸の効果はあった様で何より。
 今ははやて嬢の病室を退室し、病院の庭先で日向ぼっこ中だ。冬空としては珍しく雲一つない晴天の下、ベンチに座って談笑、とまではいかないが、中々和気藹々としているのではなかろうか。
 俺としてはいつ知り合いに見つかるかと冷や冷やしているのだが。あなた達、俺の危機的状況、承知してますか?

「はやて嬢の検査は何時に終わる予定なんだ?」
「石田医師(せんせい)のお話だと一時くらいって仰ってました」
「……後三時間もあるんですが」

 庭に設置されている時計は十時丁度を指したところだ。この空き時間を一体どうしろと。

「別にずっと待っている事はない。元々挨拶に来るだけの予定だったのだ。時間まで各々暇を潰していれば良い」
「……うーむ、そうか。あなた達はどうするんだ?」
「アタシははやてのところに行く」
「検査の邪魔はするなよ?」
「しねーよ!」

 まあ、ヴィータ嬢の様子から伺うに、はやて嬢の事を邪魔するなど考えられない事だがな。

「私ははやてちゃんの服を取りに戻ります。ついでにお買い物もしてきちゃいます」
「それなら私も行こう。人手はあった方が良いだろう」
「なら、俺が……」
「駄目です」

 む、遠慮されるとか以前の問題だった。
 いや、なんでですかシャマルさん。俺の疑問に、彼女は当然だとでも言う風に答えた。

「傷が治ったって言っても体力は空っぽなんですよ? あんまり疲れる事はしちゃ駄目です」
「はあ……」

 えーと、それは安静にしていろと言う事ですか。なら、何でここに連れてきたんですか。様々な、あらゆる、色々なと形容できる感情と考えが頭を巡るが、とりあえず全部伏せておく。

「もちろんはやてちゃんに紹介するためです。何よりもそれが優先されます」
「この人もはやて主義だったのかっ」
「概ね、我らはそう言うものだ」
「ザフィーラ! お前までも!?」

 く、俺に援軍はないのか!?

「はやて嬢を敵に回すとこれほど厳しい事になるのか」
「はやてになんかしたらぶっ潰すからな」
「その後細切れにする」
「さらに捏ねる」
「で、少し治します。以下、エンドレスです♪」

 なにその拷問。

「――じゃあ、とりあえず解散、と言う事で良いか?」
「ああ。時間は厳守しろよ。お前には連絡手段がないからな」
「そう言えばそうだったな。しっかり戻ってくる」

 そう言う運びで、俺達は解散した。




















Dual World

From "Lyrical Nanoha A's" (C) 2005
Presented by 大岩咲美 [TRASH BOX type2]





















 商店街で食料といくつかの日用品を見繕うと言うシャマルの弁に、シグナムは静かに頷いて荷物持ちの任務を全うしていた。

「じゃあ、次は洗剤ね」
「解った」

 スーパーの生活品コーナーにカートを進める二人は微妙に注目されていた。二人が日本人ではない事もそうであるが、それ以上に女性二人にしては重量感あるラインナップを籠に放り込んでいくからだ。米に味噌に飲料水のペットボトルが複数、更には洗剤まで増えるらしい。はっきり言って、周囲からはどうやって持っていくのだろうかと衆目を集めているわけだ。

「…………」

 その視線の意味を全く意に介さないのはシグナムだ。注目を集めているのは解っているが、さりとて興味をなくさせるなどと言う事は出来ないし、別に見られる事については半ば諦めているとも言える。
 どうやら、自分達の外見と言うものがこの世界でも異色めいたものであると察したからである。まあ、察している方向も外人が珍しいのだろうと言う方向でしかなく、外見とか買い物籠とかが考慮に入っていないのが少々世間ずれしていると言えよう。
 それとは反対に、周囲の視線の意味をしっかりと把握しているのはシャマルだった。ヴォルケンリッターの参謀格として状況分析に長けているだけあり、この程度の推察はお手の物だ。だが、時にはこの無駄に高い能力が必要ないと思うときもある。言うまでもなく、今なのだが。
 注目を集めると言う状況は彼女にとって居心地が悪い。とても悪い。今すぐ縮こまりたい。ああ、日本のことわざに穴に入りたいってあったけど、あれに近い気分だ。ちなみに、意味など関係ない。その行動をシャマルは推奨したい。いやさ、意味は知ってるけど。
 仕方なく、彼女はシグナムとの会話で気を紛らわせる事にした。

「……ねえ、シグナム」
「ん? なんだ、シャマル」
「はやてちゃん、高町さんのこと見捨てなかったわね」
「そうだな。主はやては心の広いお方だ」

 確かに、彼女は温かい。彼の複雑な事情を汲み取って、居場所のない彼に居場所を与えた。それに打算はなく、ただ、善意だけの行為だ。それが出来る人間が温かい事をシグナム達は知っている。

「高町も、主の事を気に入っていたようだったな」
「そうね。……でも、少し」
「少し?」
「少し――複雑そうな顔をしてたわ」
「……ふむ」

 どう表現すれば良いのか、シャマルには言葉が思いつかなかった。元々あまり表情を変えることのない恭也が強く表に出した表情があれだった。そこから内心を推し量るにはシャマルはまだ恭也の事を知らなすぎた。

「でも、いい人よね」
「それは否定しないが、少々意地の悪い面がある」

 武芸者としての警戒心から、恭也は時折意地の悪い問いをしてくる。魔力蒐集で人が死ぬ可能性を話したとき、彼は暗い表情となったシグナム達を信用できると言っていた。鎌かけにシグナムが演技である可能性を示唆しても、彼は鼻で笑って後悔はしないと言い切った。あれはシグナム達の覚悟の程度を確認するための戯言なのだろう。
 また、蒐集の件が自分に手の負えないレベルである事を確認したら即座に記憶の消去を提案してきた。あれも意地が悪い。シグナム達がどれだけ自分を懐に踏み込ませているか――仲間として見ているかを量っていたのだ。武芸者としての技量もそうであるが、ああ言ったことがすんなりと出てくるのは根が少々捻くれているからだ。シグナムも多少はそう言った駆け引きは心得ているが、彼は駆け引き以上に意地が悪いとしか思えない。

「ああ言った面が主はやてにとって害悪にならなければ良いが」
「あ、あはー……。その時はヴィータちゃんがすぐに殴り倒してる気がするわ」
「同感だ」

 はやてを溺愛するヴィータの性格を考えれば、確かにあり得なくはない。今のも最低限の対応であろうと言う話であり、最悪グラーフアイゼンが金色に光りながら惑星並みに巨大化することも否めない。限界は突破するためにあるのだ。

「まあ、高町はその目的上、我らと敵対する事はないだろう。あいつの問題は管理局でも手に負えん類だ。可能性があるとしたら、今のところは闇の書の魔力だけだからな」
「……高町さん、ちゃんと帰してあげられると良いわね」
「そうだな」

 シャマルの言葉に、シグナムは力強く頷いた。
 恭也とヴォルケンリッターが共有する孤独感が今の彼らの繋がりだ。
 自分と同じだから、見捨てるわけにはいかない。
 自分と同じだから、手を貸したいと思う。
 どちらもそう思っている。それは自分の孤独感を少しでも癒したいがための自慰行為なのかもしれない。
 けれど――、

「少しくらい弱音吐きたいから、ね」

 寄りかかりたい相手が欲しいのは事実なのだから。

「……ほら、シャマル、どの洗剤を買えばいいんだ?」
「あ、うん、こっちの詰め替え用の方を……」

 少し、心が温かくなった気がする。仲間が増えたからだろうか。でも、笑顔が増えそうな予感はある。楽しい生活になりそうなことも。
 そう思うと、シャマルは自然と笑みを浮かべてしまったのだった。
 ちなみに、大重量の買い物袋を軽々と持って歩いて帰っていった女性二人は、しばし商店街の噂になったとか。

〜・〜

 はあ、美味い。やはり鯛焼きはチーズとカレーが一番だな。
 病院で解散した後、俺は海浜公園に来ていた。平日の午前と言うだけあって、人はまばらだ。だが、昼前のやや早い時間から、あの鯛焼き屋がもう店を開いてるとは思ってなかった。妙に懐かしい気分になり、ついつい三匹ほど買ってしまった。
 買いに来た親父は俺の顔を知っていたらしく、軽い世間話なんかもしてしまった。こっちの俺もここのチーズとカレーを愛好しているらしい。似通った世界だからか、趣向も同じのようだ。
 にしても、少々問題だろうか。こっちの俺にしたらいつの間にか知らない俺が鯛焼きを買いに来てしまっている事になる。妙な話に感づかれる可能性もあるが……まあ、楽観視してもいいかもしれない。違う世界の自分などと言う荒唐無稽な結論に早々行き着くものじゃない。不思議体験満載の俺でも、そう言った考えには至らなかったし。

「……むぅ、暇だ」

 時間を持て余す、と言うのはなんとも落ち着かない。あまり自分の街は出歩けないからなぁ。下手に知り合いに会うと誤魔化すのが難しい。帽子を被っていたとて、知り合いならば背格好で判ってしまうものだ。こっち側の俺との齟齬に誰かが気付く事になってしまうだろうし。
 ん? そうなると、俺は八神家に引き篭もっていなければならないのか? それって、ニートとか言う奴では……。

「…………むぅっ」

 冷や汗が吹き出る。だらだらと頬とか眉間とか伝ってぼたぼた汗が落ちていく。
 その状況は非常にまずい。何が悲しくて二十過ぎの男が小学生が家主の家で引き篭もらなくてはならないのかっ。向こうでは学生半分、社会人半分で過ごしてきたために、自活できない事に物凄く大人としてのプライドを傷つけられる。
 だが、収入を得るのは考えるまでもなく難しい。戸籍がない。いや、あるにはあるがそれはこっちの俺のものだし。非合法な仕事先はいくつか知っているが、それだって俺と言う顔が知れているからであり、そんなことすれば絶対俺本人にばれる。
 男としての威厳と言うか、人間としての生活能力問題が重く圧し掛かった俺は、都合の悪い事を忘れるべく園内の林で鍛錬する事にした。

「……とは言え、装備は不完全なんだよな」

 三番と五番の鋼糸、左腕の飛針のバンドに小刀は一本だけ。更には小太刀も一刀だけと言う貧弱さ。戦闘力が半減している。改めて確認して、かなりヘコむ。剣士として、御神の剣士としての体面も保てない状況は純粋に俺の心を抉ってくれる。
 折りを見て、武装を揃えなければと思いはするものの、さてどこから手をつければいいのかと悩んでしまうのもまた事実。大体にして、流派によっては特殊な器具が必要になってくる。ウチの場合は、忍者染みた武装が必要であり、刀剣以上に扱っている場所が少ない。馴染みの店が思い浮かんだが、当然この世界の高町家が愛用してるだろうし、八方塞りだ。俺は未完成にして戦闘力半分の超使えない穀潰しに成り果ててしまった。
 ふ、哀しい。
 そう言った一切合財を忘れようと、俺はさっさと鍛錬を始める事にした。小太刀は一本しかないが、型の修練はやるべきだ。いざとなったら無手でやればいい。体を動かしていれば気分もリフレッシュできるさ。
 そう言うわけで、呼吸を整え、意識を集中する。
 体を動かす事を少し意識的にする。
『指を動かす』から『指の筋肉を動かす』と意識を変え、全身の制動を自覚的にしながら型をなぞる。
 そうして、二時間ほど俺は鍛錬に当てたのだった。

〜・〜

 病院のロビーに顔出す。院内の時計は一時十分前。ロビー全体を探してみると、ソファーの一席に座っているシグナムとシャマルさんを見つけた。

「あ、高町さん」
「時間通りに現れたな」
「時間厳守だと言ったのはシグナムだろう。そもそも、俺は約束した事は極力守っている」
「――と言う事は、少しは破った事があると言う事か」
「ザフィーラ、言葉の揚げ足を取るな」

 ふらりと現れたザフィーラを少し睨みつける。彼は苦笑を浮かべるだけだった。まあ、こちらも怒るほどのことではないので、この程度はどうでもいいのだが。

「全員そろったな。では、主を迎えに行こう」

 と言うわけで、再び朝来た病室の前。二度目の訪問だが、その間も病院関係者には極力顔を見せないように帽子を深めに被っておいた。多分、顔は見られていないと思う。フィリス先生もリスティさんもいなかったので、またまた問題なく辿り付けたのは本当に運がいいことだ。

「失礼します。主はやて?」
「お、来た来た。待ってたでー」

 再び見たはやて嬢はベッドの上ではなく、電動の車椅子に乗っていた。服装も病院服ではなく、なかなか可愛らしい普段着に変わっている。
 部屋には、ずっとはやて嬢についていると言っていたヴィータ嬢と、白衣を羽織った女性が一人。カルテらしき書類を持っている。担当医だろうか?

「良い子にしていたか、ヴィータ」
「してたに決まってるだろ?」
「私より不安そうな顔してたで」
「ちょ、はやて!?」
「注射のときとか物凄く痛そうな顔してたわねぇ」
「な、それはゆーなぁ!!」

 はやて嬢と白衣の女性に遊ばれてる。そうか、ヴィータ嬢はこうやって遊ぶと楽しいのか。学習した。

「それで、検査の方は……」
「そうねぇ、前に検査したときと数値はほぼ変わってないわ。良くも悪くもならずね」

 シャマルさんが医師と話し出したのを何とはなしに耳に入れる。

「ただ、メンタルの部分は随分改善されてきてる。あなた達が来てからはやてちゃん、目に見えて明るくなったわよ?」
「あ……ありがとうございますっ」

 シャマルさんが嬉しそうの笑うのを見て、この人達は本当にはやて嬢に親愛の情を感じている事が解る。血の繋がりのない、けれどしっかりした絆を持った関係。
 ――少し、家族の事を思い出した。

「ところで、そちらの方は?」
「え、あ、そのぅ……」
「高町恭也です。八神さんの保護者の方とは知り合いでして」
「あ、そうなんですか。私ははやてちゃんの担当医の石田です」

 咄嗟の嘘を並べる。瞬間的に出したでっち上げだが、そう言えばはやて嬢の保護者――両親は一体どうしたのだろうか。
 隣で驚いてるシャマルさんをそっと肘で叩く。慌てて表情を引っ込めるのを横目に見つつ、一先ず俺の正体に関して疑う事はなくなったようである。警戒心の薄い人だな。もうちょっと突っ込んだ事を訊いてもいいだろうに。まあ、それに救われたのは事実なんだが。

「これからも度々会うかとも思いますので、よろしくお願いします」
「あ、はい。私達も最善を尽くしていきます」

 真剣な眼差しで頷く石田医師に、俺は好感を持った。この人も、はやて嬢を治したいと心から思っていると感じたから。別の世界とは言え、この病院も良い医者がいて、少し誇らしい。勝手な話だけどな。

「では、我々はこれで」
「あ、うん。次の検査は一ヵ月後だから。それと何かあったらすぐに連絡してね」
「はい、解りました」

 深く頭を下げるシャマルさんと、畏まった礼をするシグナムとザフィーラ。ヴィータ嬢は心持ち恥ずかしそうに頭を下げていた。俺も失礼にならない程度に頭を下げておく。

「ほな、先生。さよならー」
「体調管理はしっかりね。風邪なんてひかないように」
「はい、解っとるよー」

 小さく手を振ってバイバイ、と。
 病室前の廊下を曲がるまで石田医師はしっかりと手を振っていた。

〜・〜

「この後はどういう予定なんだ?」

 病院内を歩く傍ら、今後の行動を聞いていない事を思い出し、シグナムに訊ねてみる。

「特に予定はない。家に帰るだけだが」
「あ、何か要りようですか?」
「いえ、これと言って……ああ、いや、少々衣類回りを揃えようかと思います」

 身一つでこちらに来てしまったからな。持っているのは血濡れのスーツにシャツと武装のみだ。流石の俺でも、それだけしか手持ちがないと言う事実は非常に寒い。人間として終わってる気がする。

「ほかほか。なら、ちょう見て行こか」
「はやてちゃん?」
「私が恭也さんの服、見立てたる」
「いや、自分の服くらい自分で買ってこれ」
「見立てたる」

 なんだろう。物凄い迫力がはやて嬢から噴き出してるんだが。大人として、剣士として、小学三年生に気圧されるのはかなり情けない事であるが、抗えないものは抗えないんだ。解れ!

「はやてちゃん、お洋服が好きですから」
「主の見立ては完璧だ。遠慮する必要はない」

 シャマルさんはともかくとして、シグナム。そのはやて至上主義に基づく理論はやめんか。

「このまんま、ザフィーラの服使い続けるってのもカッコ悪いと思うぞ?」
「俺は気にしないが……」

 ザフィーラのフォローに力がない。話の方向性――と言うか、はやて嬢が見立てると言った時点で、ヴォルケンリッターの意志は固まってる訳だ。退路なんかないじゃないか。
 俺は渋々、本当に渋々、はやて嬢の厚意を受ける事にした。

「……解った。はやて嬢、よろしく頼む」
「任せとき! めっちゃええ男にしたるで!」
「いや、しなくていいんだが」

 間違ってもしなくていいから。普通でいいから。

「恭也さん、何気に赤とか似合いそうやからね。戦隊物の隊長さんや」
「いや、俺は変身しないんだが」

 どっちかって言うと、今の格好から言えばバイクに跨ってる方だと思うぞ。

「後は青やね。やっぱり、戦隊物やな。あとバ○オライダー」
「微妙に古いな!」

 年齢的に知らないだろ、君は!

「黄色はアカンな。恭也さん、スリムやもんね。と言うか、ノー天気系とはキャラがちゃうし」
「いや、世間一般的にはそうかも知れんが、能天気って……」

 この子、実は発言が厳し目の人? 笑顔で痛いところ突く性格か!?

「ここは思い切って緑ってどうや!? 縁の下の力持ち。おお、なんかごっつ似合におうとるな!! 字も似とるし!!」
「いや、そのポジションはいいが、緑は遠慮したい」

 そんなのはエプロンだけでいい。そもそも、そのカラーは君に似ているあの子の印象が強すぎて戸惑ってしまう。

「はやてちゃん、白なんてどうですか? 高町さん、タキシードとかすごく似合うと思うんですけど」
「シャマルさん!?」

 あんた、なんば言いとっとね!?
 思わず、知り合いの鹿児島弁ツッコミがでてしまった。

「せめて日常的に着られるものを言ってくださいよ」
「えー? 似合いますよね?」
「スーツもシャツもネクタイも靴も靴下も何もかも真っ白で、胸に一輪の赤いバラ。――結婚してください」
「ぶっ潰す!」
「叩っ斬る!!」
「うお!? 待て! 往来で武器を出すな! て言うか、キレるの早っ!?」

 ヴィータ嬢はともかく、シグナムの剣速はマジホントあり得ないから! 避けられないから!
 本気の斬撃に背中に隠していた小太刀を引き抜いて、シグナムの剣を受け――、

「――ぐ!?」

 重っ!? 受け止めるには重過ぎる攻撃を、奇跡的に軌道をずらす事に成功した。右の脇下を通過するのを見送ったと同時、左側面からのヴィータ嬢の連携二撃目が襲来していた。

「お、お前ら! 俺相手に、本気で来るな!!」
「主はやての危機だ! お前を敵対生物と認識する!」
「シグナム! 俺達は同sぬおぁ!?」
「テメェの腹ぁぶち抜いてやらぁ!!」
「ヴィータ! その言葉遣いは承認でkほぉあ!?」

 こいつら、全然聞く耳もってない! この二人の連携を防ぐには小太刀では厳しすぎ――!?
 この時、俺は自分が体得した技術に心底感謝した。もう全ての事態を置き去りにして、全力で動く事を決める。
 知覚感覚を鋭くする。鋭く鋭く、何をも断ち斬る鋭い一太刀。鋭角に研ぎ澄ました集中力が脳の抑制を外す。
 視界から色が抜け落ちる。白と黒で描かれた世界の中、俺に向かってきていたシグナムとヴィータに隙間を見つける。狭い廊下で、やり過ごすには二人の間をすり抜けるしかない。
 そう結論付けたのは今までの経験の蓄積であり、こんな分析を出来るのだって後から振り返ったからだ。この時の俺は、ただ神速の前に感じたその気配から遠ざかる事しか頭になかったから。

「あれ!? いなくなった!?」
「ちぃ! 高町!! 逃げたな!?」
「うーん。恭也さんに抱きかかえられながら神父さんの前で誓い合うなんて結構乙やないか? 乙女的に」
「あ、乙がかかってるわけですね?」
「いや、それは天然やった」

 来た道を戻る――とは言っても、すぐ傍の角を曲がっただけなんだが。いや、そこが限界だったとも言える。乱れようとする呼吸を必死に大人しくさせる。声を窺うに、彼女達は俺の居場所はまだ解ってない様子。その事に少し安堵しつつ、先ほどから感じていた気配が廊下に出たのを気取った。

「――あー、こらこら、こんなところでそんな物騒なもの振り回しちゃぁ、いけないよ」
「あ、はい、すいません! ほら、シグナム、ヴィータちゃん! 早くしまって!」
「う、そうだったな。ここは病院だった」
「と言うか、そんなゴツイの持ってる方が不思議なんだけどね。ハンマーにソードって滅多に見ないよ?」
「あ、いえ、これはちょっとした……そう! 趣味です!! 趣味なんです!!」
「この街ってそう言う輩が多いのかな? 平和な街なのに」

 必死にフォローをするシャマルさんにちょっと同情。ん? 待て、今までの俺に対する仕打ちを考えると、いい気味だと考えるべきか? あ、少し心が軽くなった気がする。間違いじゃないっぽい。
 いや、そうではなくて。

「つーか、あんたも病院で煙草銜えてんのは駄目なんじゃねーのか?」
「ん? 火は点けてないだろ? 何か銜えてないと落ち着かないだけさ」
「言い訳っぽく聞こえる」
「ま、言い訳だからね。とは言え、院内で喫煙するほどマナー知らずじゃないさ。妹にも口酸っぱく言われてるしね」
「妹?」
「ああ、そうなんだ。ここで医者やってるんだよ」
「――フィリス・矢沢と言う医師か?」

 ザフィーラの言葉に、壁越しだが、シグナムの気配が少し堅くなったのを感じた。漸く事態に気付いたらしい。他の面々は少し前に気付いていたぞ。
 そう。ヴォルケンリッターとはやて嬢が対面しているのは、

「なんだ、知ってるんだ。ついでに言うと、僕はあいつの姉でリスティ・槙原だ。まあ、何か縁があったら声でもかけてくれ。週に何度か、ここには来てるからね」
「せやったら、見かけたら、挨拶します」
「そんなに堅っ苦しくしなくていいさ。ちょいと手を振ってくれればいいくらいなだけだよ」
「そーですか。私もよくここに来るから、次にあったら色々お話したいです」
「そう? まあ、お互い暇だったらそうしようか。じゃあ僕はちょいと妹の顔見てくるから」
「はい、また会いましょう」
「ん、Bye-bye」

 気配が遠のく。幸いにして俺がいる方向に向かう様子はない。よかった。これでこっちに来られたら俺は全力で院内を爆走しなければならなくなっていた。何せここの通りは長い直線なのだ。病室に入ってやり過ごすのも案にはあるが、そもそもそう言う事をして目立つ事自体が愚策。やれやれ、俺も相当動揺してるらしい。もう少し身の置き場に気を配れないのか。

「――高町、そろそろ出てきたらどうだ?」
「そうだな。行ったようだしな」
「あ、テメェ、そんなところにいやがったのか!」

 ザフィーラの言葉にひょっこり顔を出すと、ヴィータ嬢が再び怒りの表情を見せる。まあ、先ほどとは程遠い雰囲気なので、武器をブンブカ振り回す事はないだろう。

「またあの動きか。全く見えなかった」
「ズリぃよなー。魔力の気配なしでいきなし目の前から消えるのってよ」
「そう言う技なんでな。あれを視認できるのは同じ技を使えるやつだけだ」
「……もしかして、いるんですか? 高町さんと同じ事が出来る人」
「俺が知る限り四名」
「……かくも世界は広いな」

 とは言え、四人中二人は身内だしな。他二人は仕事で知り合った人が一人、敵として相対したのが一人。敵方には逃げられてしまったが。ああ、そう言えば決着がつかず終いだった事を思い出した。しかし、相手をするにもそもそも帰らなければならないしな。忘れてても構わんか。

「私、初めて見たけど、手品やないんよね?」
「歴とした体術だ。乱暴に言ってしまえば、短い間だけ物凄く早く動ける、と言うだけの事なんだ」
「うーん、あれやね、サ○ヤ人みたいやね」

 俺はあんな超スピードで空を飛びまわる事は出来ないぞ。そもそも素手で大地を割るとか、出来るわけがない。精々出来て、脆い石を握り潰す事くらいだ。

「それにしても、かなりニアミスでしたね」

 話題を変えたのはシャマルさんだった。手振りで歩く事を示しながら、はやて嬢の車椅子を押している。それにぞろぞろと俺達は続く。

「そうだな。高町が気付かなければな。私達は全く気付かなかった」
「そう落ち込む事じゃないだろう。あれは、今考えれば本当に偶然だった。偶然、リスティさんの気配を嗅ぎ取ったに過ぎない」

 シグナムとヴィータ嬢に攻め入られているときに、よくもまあ他の事に気が回ったものだと述懐する。運、としか言いようがない。

「気配、か。私も読めるようになれるか?」
「さあ、どうだろうな。勝手な考えだが、読めていそうな気はするが」
「本当か?」
「ああ」

 俺の頷きにシグナムは若干嬉しそうな顔をしてる。
 勝手な話だが、戦闘経験として彼女達を見た場合、恐らく筆頭に値するのはヴィータ嬢だろう。グラーフアイゼン、だったか。あのハンマーの見た目に騙されやすいが、ヴィータ嬢の動きは他者との連携が組み込まれてる気がする。
 事実、さっき二人に襲い掛かられたとき、シグナムの斬撃の攻撃硬直を埋めるためにヴィータ嬢のハンマーが襲い掛かってきた。あの時の体勢を鑑みるに、後二発は俺に攻撃できてたっぽい。その間にシグナムの体勢は整ってただろう事を考えると、ヴィータ嬢は見た目と武装の種類に反して万能型なのかもしれないな。
 性格からして突撃仕様なのに万能型なんて結論に行くのは俺としても若干の不安が残るんだが。いや、こう言う予測もしておいた方がいいか。敵か味方か。場面によって、なにがどうなるか解ったものじゃないし。
 さて、シグナムだが。ヴォルケンリッターの将を務めるだけあって、戦闘経験は多いだろう。性格と武装から見ても、真正面から戦いを挑むのが彼女のスタイルのようだ。またまた勝手な印象なんだが、なんだか一対一で戦ってるイメージが湧き上がってくる。騎士、なんて表現を自らしている所為からか、多人数で相手をボコるのを良しとしなさそうだな。これは当たってそうな気がする。
 となれば、対戦相手の機微を掴む術は身に付けているはずだ。ヴィータ嬢が先制攻撃型に対して、シグナムは反撃迎撃型だろう。武装が剣と言う観点からも、先手を取る危険性は承知しているはずだしな。
 先手を相手に譲る――即ち、敵の攻撃を予測し、これを退け、自身の反撃によって決着する。
 なら、相手が何かしようとするその動き、つまり気配は読めているのではないだろうか。ヴィータ嬢はそんなの構わず、速攻でハンマー振り回してるだろうしな。

「あの人がリスティ・槙原さんですか。妹さんがいらっしゃると仰ってましたが……」
「ええ。さっきも言いましたが、リスティさんと同じく銀髪で髪が長く、おさなゲフン背の小さい方です」
「? そうなんですか、お姉さんとは大分印象が違いそうですね」
「ええまあ」

 あ、危なかった。院内で迂闊な発言するとあの人どこからともなく現れて強制マッサージさせられるからな。いや、患者としては身体が軽くなる事はいいのだが、あのマッサージの苦痛は患者に与えるものじゃないと思うんだ。

「中々切れ者の目付きをしていたな。油断ならない人物だ」
「確かに頭の回転は速いんだがな……」

 ザフィーラの言葉に、俺は中途半端に頷く事しか出来なかった。
 だってなぁ。その頭の良さを悪巧みにしか使ってこないんだよなあ。リスティさんと真雪さんがタッグを組んだ瞬間、さざなみ寮は魔殿と化すし。そこに生贄として捧げられる俺。時々俺と美由希。
 ふ、思い出したくない過去が、こんなにも浮かんでくる。泣きたい。

「幸いにして顔は見られなかった。彼女がまた現れない内にここを出よう」

 そうみんなを促して、俺達はようやっと正面玄関までやってこられた。
 ふぅ、いつも以上に索敵範囲を広げた為か、かなり疲れた。じっとりとした汗が背中を流れるのを感じていると、はやて嬢が言ってきた。

「でも、ええの?」
「なにがだ?」
「知ってる人を避けるのって、辛くあらへん?」

 はやて嬢の言葉にヴォルケンリッターが俺を見た。
 全員、複雑そうな顔だ。会いに行けと言いたいが、会いに行く事が出来ない事など百も承知。だからこそ、彼女らはこう言う顔をするのだろう。本当に、優しいな、あなた達は。

「辛いさ。ただ、この辛さは深刻なものじゃない。我慢やらなにやらで堪える必要もない。このくらいは負担にはならないさ」
「ほうか? 私達が知らない内に泣いたりしないって言える?」
「……俺はそこまで弱虫じゃない」
「茶化さへんで」

 むう。先ほどの服を見立てる時とは違いすぎる押しの強さを感じる。

「寂しいと感じる事や辛いと感じる事はあっても、それはすぐに癒えそうだからな」
「私達がおるから?」
「そうだ。傍にいる人が一人でもいるなら、俺はやっていける自信がある」

 守るべき人がいるのなら、死ぬ間際まで刀を振る事が出来るように。
 傍に一人でも心を許せる人がいるなら、俺は生きていける。

「だから、そこまで心配する事はない。寂しくなったら――」
「寂しくなったら?」

 そう、つまり、

「――誰かをからかう」
「それはアタシの事かあ!?」
「いや、私の事かも知れん」
「待って、もしかして私!?」
「俺でないことは確かだな」
「さてな」
「どう言う事だ高町!?」

 これからもよろしくと言う事だ。

〜・〜

 クォーウッドが向かった先は執務室だ。ただし、自分の執務室ではなくレティ・ロウランの、だ。
 事前にアポイントメントは取っているのでこの時間に彼女が部屋にいるのは間違いないだろう。実行部隊とは違い、彼女は本局運用部に所属している。滅多な事では本局を動かないのは知っていた。ただ、彼女が有能であるためか、約束を取り付けるにしても作戦上の緊急要請を使わなければ捕まってくれないのがクォーウッドに苦笑を浮かばせる。
 ともかく、クォーウッドは彼女の執務室のドアをノックした。

「どうぞ」
「失礼します」

 中高年と言える歳のクォーウッドは、自分よりも一回りほど年下の女性に頭を下げた。彼女がレティ・ロウランだ。
 レティはやや気恥ずかしそうにクォーウッドに言う。

「そんな、畏まらないでください。昔のようにしましょう?」
「いや、もう既にあなたは私の部下ではないので」
「……知ってましたけどね、その固いところは」

 照れ笑いにもならない笑みを浮かべて、レティはクォーウッドに着席を勧める。事前に連絡を受けていたので、紅茶の準備も万端だった。カップにそれぞれ注ぎ、レティは一口それを飲み、喉を潤した。

「じゃあ、早速ですけど、用件の方は……人員要求でしたね」
「はい。私の部隊でやるには限界でして。現在本局が確認できているだけの次元世界を飛び回るのは無茶な話です。とは言え、自分達が蒔いてしまった種。摘み取る事に不満はありませんが、どうしても手が足らないのです」
「……あのー、物凄く違和感があるんですが。部下口調になるのは本当に勘弁してもらえませんか?」
「……解った。上司の事を慮るのも部下の仕事だ」
「はあ、妙な緊張感が抜けます」

 厳格と言うか四角四面なクォーウッドにあそこまで慇懃にされてしまうと元部下だった自分はどうしたらいいのか判らない。もう少し融通の利く人だったらいいのだけれど。

「でも、事件発生から三週間でリストの七割は埋まってるじゃないですか。この調子ならどうとでもなるのでは?」
「中身を知っていて言ってるのかね?」
「元部下として艦長の部隊の質は理解してるつもりですが?」

 実際、よくやっているのだ。
 無作為転送に巻き込まれた無機有機を含めた四桁に届くかと言う対象を調べ上げて、かつ即座に回収出来ている事は評価できる。無機物一辺倒しか回収できていないのは現場を体験した人間なら大体想像がつく話だ。上層部も、クォーウッドの働きは認めている。そこまで焦る必要はないようにレティは思えた。

「こちらも現状で回せる人手はないんですよ。むしろ欲しいくらいで。技術員はともかく、事務員実行員補佐スタッフ、あーだこーだとあっちからこっちから人手を所望されてるんです」
「それは、解っているつもりだ」
「相も変わらず、管理局は人手不足に悩まされてますよ」

 頭の痛い話だ。
 時空管理局。字面そのまま、時空におけるあらゆる事を管理、統制しようと言う組織。無論、好き勝手に手を加えようと言うのではなく、調和を保ち、できるだけ平穏を保とうと言う治安組織だ。
 現在、管理局に勤めている局員はのべ100万人前後。恭也達の世界でみれば、世界的な大企業の従業員数とどっこい、と言ったところだ。これは、全くもって足りない。何もかもが足りない。
 時空世界と言うのは観測、捕捉されているだけでも万に届く。それらを観測し続け、必要があれば介入し、または手を貸すなどの実務がある。これらを行うには百人単位のスタッフで当たらなければらない。この時点で、局員の数とほぼ同じになる。更には、局員に配布する物資の生産やら、協同体制を採っている世界との折衝、管理局に対し、反抗的な組織の鎮圧及び迎撃、現行の武装局員の武装開発や教練など、組織自体を成長、運営させるための人員が必要なのである。これら要職や単純なマンパワーはやはり多くの人が必要不可欠であり、現在の管理局は設立当初からの人材不足にずっと頭痛を持っていたのだ。

「それでも、少ないながらの利点として人材の早期成長が見込めますが、それにしたって手が足らな過ぎるんですよね。いろんなところから声をかけて人員確保に乗り出してますけど、入っても入っても足りないんです」

 前述で100万人と述べたが、実はこれでもかなり増えた方なのだ。十数年前にある次元世界と接触を持ち、そこの世界が人員の派遣に尽力してもらった結果、即戦力となったのが10万人、他数年の教練期間を経て局入りしたのが更に10万人。それから数十年経って更に10万人増員して100万人に届いた。これからも増えていくだろうが、レティや上層部が望むのはもっと劇的な人員補充なのだが、そんな気前のいい話があるはずもない事は承知の上。ただの空想で現実の厳しさをちょっとだけ忘れたいだけである。

「そんな訳で、人員の増員は見込めないんですが……」
「まあ、弁えている。とは言え、全く駄目なのかと、私は訊ねなければならない」
「えーと、後二ヶ月もあればヴァレンタイン艦が哨戒任務から帰ってきますけど……」
「駄目だな。任務の内容からして、早期解決が急務だ」
「ですよねぇ」

 無機物の無作為転送は極論を言ってしまえばどうとでもいい、後回しに出来る事柄なのだ。問題は有機物。それも人間以上の知性を持った有機生命体の場合だ。この場合、他世界に行った時に、その環境に適応できず死に至るか、あるいは適応できすぎてその世界で猛威を振るうか。本当に知性的であるのなら、無駄な争いはしないであろうが、そんな温厚な人柄ないし民族柄に頼っていては管理局員としては失格だ。
 誰しも、自分の故郷には愛着がある。帰りたいと願う人はいる。その人達を早く返してやらねばならない。だからこそ、クォーウッドは迅速に対応したのだ。ただ、結果が無機物の回収だけしか出ていないのが悩みなのだが。

「――実は、もう一件用向きがあるのだが。提督の意見が欲しい」
「あら、珍しいですね。艦長が私に意見を訊くなんて」
「もう上司だからな。それに、相談するだけでも自分の考えを整理できる」

 それはそうだな、とレティは頷いた。
 クォーウッドは紅茶を飲むと、厳格な雰囲気を更に渋めて、言った。

「我々が時元跳躍のエネルギー流動から逆算して、ある程度転送されてしまった対象は割れているが、どこに転送されたか掴めなかったのがいくつかある」
「いくつですか?」
「三〇。幸い、七割が無機物だ。環境変化の懸念も必要ないと判断できる程度の質量の小さいものばかりだった。よって、これらは最後に回して構わないだろうと結論付けた。問題は、だ」
「残りの三割の有機物、ですか」
「ああ。有機物――植物は環境変化の原因になり得るから早く見つけたいが、生憎とどこに行ったのか解っていない。運を天に任せるしかない。そして目下一番の懸念事項が有機生命体――人間だ」
「一番何をするか解りませんからね」

 時元災害の殆どが人が起こしているものばかりだ。それぞれケースに種類はあるが、人が発端になっている事は間違いない。悩ましい事だ。

「元いた世界で集めた情報から、危険思想を持っているのが二人。この二人はなんとしてでも見つけなければならん」
「危険思想、と言いますと?」
「支配欲、独占欲、征服欲、残虐性、非道性、冷酷性。これだけを聞けば大体の事は想像できるだろう?」
「ええまあ。聞きたくない言葉ばかりですし」
「一人は知性が高い。もし飛ばされた先に、文明があったら拙い。保護問題に抵触している。いや、それ以前に大量の血が流れる事を想起しやすい」

 元いた世界では暴君として知られる最悪の存在として恐れられていた王族だった。突如としていなくなった事でその世界の国では喝采が上がったらしいが、人命は人命だ。無駄に失くなってしまうのは避けたい。

「もう一人は単純な破壊者だ。自分の身一つで気に入らないものを破壊していく狂人。こちらが厄介だな。もう既にかなりの被害が出ていると考えるべきだ」
「私達か関与している世界なら、すぐに情報が上がってきそうなものですけど」
「上がってこない以上、我々の知らない時元に飛んでしまっているのだろう。尚更、探し出さねばならない」

 そこで、クォーウッドは疲れたように息を吐いた。彼の疲労度は推し量れるが、さりとて同情など彼は欲しくないだろう。欲しいのは探し出せる手段と、確保できる人員だ。自分はどちらも用意できない。
 そんなレティの考えを他所に、クォーウッドは続きを話した。

「残りの知性体は大分温厚だ。周辺調査から、危険思想はないと判断した。中には自力で帰ろうと考えているものも少なくない。こちらも、彼らには悪いが後に回させてもらう事にした」
「そうですね。出来るだけ早く、見つけられるといいんですが。――いえ、こんな事しか言えない自分が情けないですね」
「いや、半分以上私の愚痴だ。気に留めないでくれると助かる」

 本当に、今日は珍しい。クォーウッドが愚痴を吐くなど、レティは部下時代に二回見ただけだ。それも、たまたま定期チェックを行うため艦橋に行った時に、クォーウッドが不意に洩らした独り言を聞き拾った。あの時は、任務が重なってクルーの疲労が溜まっていた時期だった。滅多な事で人前に弱みを見せない彼にすれば、これは相当疲れている証拠だろう。
 ならば、とレティは言った。

「クォーウッド艦長。辞令です」
「――はっ」
「これから三日、有給を取りなさい。と言うか取らせます。三日、完全に頭と身体を休めなさい」
「――承服しかねます」
「疲れた状態でやっても作業効率は下がるだけでしょう。クルーの疲労もピークなのではないかしら?」
「…………」

 言われ、クォーウッドは押し黙る。レティの言葉通り、艦員の疲労度は高い。このまま続けてもいい成果が出ない事は経験上知っているが、それでもやらねばならないと部下を叱咤した。
 だが、これはこれで区切りかもしれない。ここで休まなければ、任務中に倒れる、などと言う失態を演じずに済む。そう考え、クォーウッドは畏まった敬礼をレティにした。

「承知しました。ですが、命令の変更を要求します」
「へ?」
「有給は二日。それで結構です。では、私はこれで失礼します」

 レティの反論が来る前にさっさかと退出してしまった。この辺の逃げ足の速さは全然変わりない。いや、それに懐かしさを覚えるには状況が間抜けすぎる。

「勤労な人ですよねえ、全く」

 彼が二日でいいと言う以上、二日しか休まないだろう。例え有給を三日与えても、三日目に出港している。その生真面目で実直で正義感の高い人柄に免じて、部下の要求を飲む事としよう。

「真面目な部下ってのも考え物かもしれないわね」