咄嗟に、後を尾行けてしまった。
 なんと言うか、必死さのなせる業なのか、疲れきっている体のはずなのに空を飛ぶ彼女を見失うことなく追いかけられたのは僥倖と言えるだろう。
 彼女は一軒の前に降り立った。長いスカートがが舞い上がりかけたのを見て、慌てて視線を逸らした。流石にそこまで凝視など出来るはずが無い。逸らしていた視線を元に戻すと、彼女の服装が変わっていた。いや、シルエットはあまり変わらないが、俺がよく知るこの世界の服装だ。ますます俺が帰れる確率が上がってる気がする。頑張って話をしなければ。
 俺は極力優しく驚かさないように声をかけた。

「こんばんは」
「っ!?」

 ざっと、距離を取り身構えた。何かを警戒する人間の仕草。
 彼女が尋常の人ではない事は承知しているから、その態度も予想の内。一先ず、俺は話の主導権を彼女に預ける事にしたい。これは俺からの嘆願だ。彼女に承諾するか却下するかの権利がある。だから、俺はずっと黙ったまま立っている。
 やがて、彼女は警戒の色のまま訊ねた。

「なんで、貴方が……」
「昼間にああ言った手前、もう一度会うのは物凄く気が引けたんですが、のっぴきらない状況になりまして……」
「それがどうして私の前に現れる事になるんですか?」
「大変身勝手な話なんですが、貴方のお力、あるいは知識をお借りしたいと思い訪ねてきました」

 彼女は怪訝な顔をする。
 それを見て、俺は内心少し肩の力が抜ける。興味を持ってもらえた。ここからが正念場だ。

「私は至って普通の人なんですけど……」
「普通の人は傷を治したり、空を飛んだり、服を一瞬で変えるなんて事は出来ませんよ」

 顔つきが険しくなってく。警戒心が強まってるのを感じる。早まったか!?

「貴方には悪いですが、ここで見たこと、私と会ったこと、忘れてもらいます!」
「くっ……!」

 説明失敗か!
 帰りたいと焦りすぎた。失敗してはいけない場面で、俺は何をやってる!

「クラールヴィント!」

 その掛け声の意味は解らないが、彼女からの威圧感が増した。同時に、背後に気配を感じ、咄嗟に横に転がり出る。
 アスファルトの硬さに顰め面をしつつ、素早く立ち上がる。道路と言う狭い場所はやや不利か。相手の攻撃法方がとっぴ過ぎて対処法が上手く思いつかない。

「え、なんで?」

 何故か解らないが彼女が突き出した腕の肘から先が無い。これまた解らないが、彼女の腕の先――肘から手が俺がいた背後から伸びている。今まで色々と非常識なものを見てきたが、目の前でタネなしマジックショーを見たのは流石に初めてだ。

「もう一度!」
「っ!」

 横に逃げるにも両側は塀だ。距離をあけると、俺には避けるしか手段が無くなる。せめて牽制できる位置は確保したい。ならば、前しかない!
 引っ込めた腕をもう一度突き出した。やはり肘から先が無い。次瞬感じた気配は――足元!!
 駆け出す。彼女の手が俺のズボンの裾を引っ掛けたのを知覚した時、彼女が入ろうとした家から人影が躍り出た。

「シャマル!!」
「何があった!?」
「シグナム、ヴィータちゃん!?」

 判断事項が増えた。
 視界の端に見えたのは、髪の長い女性と背の小さい子供。
 くっ!
 視界から色素が抜ける。夜の世界が更に闇を濃くする。

 ――奥義の歩法・神速

 その中を、持てる力を振り絞って動いた。

「あ、きゃっ!!」
「なっ!?」
「はえぇ」
「ぐっ……はぁ、はぁ」

 金髪の女性の背後に回り、小刀を首筋に向ける。当てる事も、ましてや引く意思も無い。自分自身最低な事をしてる自覚はあるが、だが、退けない理由がある。

「テメェ! 人質なんて汚ねぇマネしやがって!!」
「それ相応の報いを受ける覚悟はあるか?」

 どこから出したのか、厳つい直剣とハンマーを取り出して構えてくる。恐らく、この二人もこの女性と同じような側にいるのだろう。賭け率は高くなったが、その分リスクも高騰している。
 状況は悪化の一途を辿ってる。付け加えて、俺の傷も開いてしまった。やはり、神速には耐えられなかったか。

「なんか言えよ、コラァ!!」
「……嘆願だ」
「なに?」
「俺はあなた達に訊きたい事がある。知っているなら教えて欲しい。知らないのなら、俺はこのままこの人を返して消える」

 俺の言葉に二人はこの女性と同じく怪訝な顔をした。
 くっ、マズイ。体がふらつき掛けたのを根性で耐えた。あまり時間が無い。

「何が訊きたい」
「ありがたい。手短に言う。俺はこの世界の住人ではないらしい。確証はある。だが、残念な事に帰る手段がない。あなた達なら知っているのではと思い、悪いが彼女の後を尾行させてもらった」
「……シャマル、索敵は常にしておけと言っているだろう……」
「で、でも、家の近くだったし、大丈夫だと思って……」
「悪いが、こちらにはあまり時間が無い。知っているか知らないか。それだけでいいんだ」

 痛みがぶり返してきた。今日何度目の激痛だろうか。
 痛みが頭に響く。視界がぼやけ始めた。ああ、気絶するなと思ったときには、もう俺は意識を失っていた。

〜・〜

「え、あ、ちょ、ちょっ、あのっ!?」

 突然背中に寄りかかられて、シャマルはかなり驚いた。咄嗟の事で、更には今まで刃物をちらつかされていたためか、体がその場から離れてしまい――ガンッ! と青年がアスファルトにヘッドバッドしてしまった。

「うあー、今のは死んだか?」
「いや、息はある。記憶があるかは解らんが」
「あ、あー! だ、大丈夫ですかー!?」

 シグナムは脈を取り、シャマルは介抱しようとする。
 特にシャマルに対してヴィータは言いたい事があった。

「シャマルゥ。コイツ、オマエを人質に取ったんだぞ? なんで助けようとしてんだよ?」
「――この人、昼間も会ったんだけど、その時お腹に深い傷があって苦しんでたの。多分、さっきので傷が開いちゃったんだと思う」
「治したのか? こいつを?」
「ええ。一般人だったし、魔力は少なかったから、管理局の関係者じゃないと思ったのよ」
「だとしても、不用意に力を使えば露見されるぞ」
「でも、見てられないくらい苦しんでたし、本当に傷も深かったんだから」

 元々人を世話する事が根底にある人格ゆえに、我慢できなかったのだろう。シグナムは嘆息を吐きながらも、この青年をどうするか考え始めた。

「シャマル、ソイツの記憶消してその辺に放っとこうぜ」
「え、でも……」
「ソイツがどんな事情があるか知らねぇけど、アタシらがやってる事が誰かに知られるんはマズイだろ」
「それはそうなんだけど……。さっきの話じゃ、異世界から来て、しかも帰れないみたいだし」
「嘘かも知れねぇだろ! コイツに魔力が無くたって管理局の人間かもしんねぇんだぞ!!」

 確かにヴィータの言う通りだ。例え魔力が無かろうとも、例え管理局の人間ではなかろうとも、自分達の存在はそれだけでこの世界では便利で、且つ脅威となる。排斥されるか、利用されるかのどちらかしかない。その危険性は自分達のみではなく、我らの主にも事が及ぶ。

「――シャマル、記憶を覗け」
「シグナム……!」
「判断は記憶を見てからだ」
「そうだぜ。見てから……って、見てから? ちょっと待てよ! 何で今すぐ消さねぇんだよ!?」

 シグナムの決定に不満を爆発させるヴィータに、シグナムは己の考えを言った。

「この男がどこの誰、と言うのがこの問題では重要だ。私達に危害を加えたいのなら、満身創痍のまま飛び込んでくるなど非効率的だ。仮に負傷を装い内部に潜り込んで来るとしても、魔力そのものが無いのでは私達の魔法もレジストできない。レジスト出来なければ記憶を見てから判断してもいいだろう」
「バッカ野郎! 記憶弄られてたらどーすんだよ!?」
「なおさら、シャマルが見つけるだろう。それに、記憶は覗くが、傷は治さん。すぐに動ける程度ではないのだろう?」
「え、あ、うん。相当酷いわ。どうして今まで動けてたのか不思議なくらいで」
「治療しないのは保険だ。魔力も無く、一般人で、手負いならば、我らが負けるわけが無い」

 そこまで宣言して、ヴィータは引き下がった。だが、完全に認めていないのは顔を見ればよく解る。

「……ち。いいか、アタシは認めねーからな。コイツがはやてに手ぇ出したら容赦なくぶっ潰すぞ!」
「無論だ。潰した後は私が細切れにする」
「あ、あはは。この二人、はやてちゃんの事になると、リミッター外れるからなぁ……」

 乾いた笑いを浮かべながら、シャマルは青年を背負うと、家へと入っていった。




















Dual World

From "Lyrical Nanoha A's" (C) 2005
Presented by 大岩咲美 [TRASH BOX type2]





















 起きた。
 各部を確認すると、前回同様腹に痛みが走る。覚悟していただけ我慢は出来るが、せっかく治りかけていた物を開いてしまった故の落胆が激しい。

「起きたか」
「ああ。どうやら、俺は監禁されたようだな」

 気配は最初から感じていた。
 背の高い筋肉質の男が、こちらを見ている。手甲のようなものを嵌め、険しい視線を向けている。監視員だろう。かなり出来る気配だ。負傷の身の上ではどう足掻いたところで負ける。そう思わせる力量だ。
 服は昨日のまま。血がガビガビに固まっている。シーツについていない事に密かに安堵しつつ、室内を見回す。簡素な部屋だ。ベッドとサイドテーブル、クローゼットらしき扉があるが、それだけだ。

「武器の類は全て外した」
「当然の処置だ」

 別段文句は無い。俺はかなりの確率で不審人物だと思われている。レート引き上げにあの武装は一役買っているだろう。
 起きた感覚と窓から差し込む陽の角度から早朝と判断する。睡眠時間はやや短いが、意識ははっきりしていたのは幸いか。昨日のように何度も気絶するのは剣士としてかなり情けない話だ。

「それで、いつになったら話が始まるんだ?」
「……っ」

 部屋にいる男にではなく、ドアの向こうに声をかける。男は若干驚きの表情を浮かべていた。そんなに意外だろうか。さっきから三人分の気配が息を殺しているのを感じられていた。なんと言うか、気を澄ましすぎて逆に気取られるぞ。

「……ホントーにナニモンだよ、コイツ」
「ご、ごめんなさい」
「いえ、対処としては妥当な線だと思いますから」

 ただ、様子を見るなら間接的な手段を推奨する。カメラとかが望ましい。
 しかし、どうやら剣呑な体制を敷いている。彼女達は何某かと敵対しているのは確かのようだが……。いや、それは今は良い。

「この場合、俺から話をするのが筋か?」
「そうだな。我々は騒動を持ち込まれた方だ」

 確かに。俺は薄く苦笑して、俺の事情を話した。

「昨日も言ったが、俺は恐らくこの世界の住人じゃない。別の世界から来たんだと思う」
「そう言い切れる根拠もあると言っていたな?」

 そう言ったのは長い髪を後ろで縛った女性。立ち位置と振る舞いから見て、この四人のリーダーだろう。俺は目線を彼女に合わせて、言った。

「ああ。この世界は俺とよく似ている。と言うのも、ここは俺の街そのものだった。見たことのある景色そのままだ。ただ、俺の知る人達が俺の知らない事をしていると言う事を除けば、だが」
「どう言う意味だ?」
「……俺の家族に歌手がいる。歌手の卵だ。俺は彼女がデビューする現場にいた。それが……一昨日の事だ。だが、昨日新聞に載っていた彼女の記事は『三枚目のアルバムが発売』と言う見出しだ。ここで食い違いに気付いた」

 俺を看病してくれた女性が息を呑んだ。
 俺は構わず続きを話した。

「逃避しかけながらも、俺は自分の記憶との相違を探そうとして、その途中で彼女に介抱された」
「そうだったんですか……」
「あの時は助かりました。死にかけてましたからね、今もですが」
「そ、それはその、ご、ごめんなさい」

 いいんだと俺は首を振って答えた。傷を治療しなかったのは俺に対する危険性があったからだ。襲われる可能性があるものを治す必要はどこにも無い。

「まあ、彼女に治してもらった後、俺は実家と実家が経営している喫茶店を見て回ったんだが……。そこに相違点があってな。だからここは俺の世界――俺の居場所じゃないと解った」
「相違点、ってなんだよ?」

 女の子がやや仏頂面で訊いてきた。
 俺は、綯い交ぜになった感情を表しきれず、無表情に言った。

「とーさんが、生きていた」
「…………っ」
「そう言う事、ですか」
「死んだ人間が生きている。これが何よりも、この世界が俺がいた世界とは違う。かーさんは幸せそうだった。恐らく家族達も幸せなんだろう。俺達の世界とは違った幸せを、噛み締めている」
「もう、言うな。お前の事情は解った。詫びを入れさせてくれ」
「いや、まあ、そうだな。詫びついでに、俺が聞きたいことの答えを貰えないか?」

 知っているにしても知らないにしても、恐らく世界を渡るなんて事をするには様々な障害なり準備なりがいるだろう。時間が惜しい。

「――残念ながら、我々にはお前を元の世界に送り返す事は出来ない」
「……そうか。騒動を持ち込んですまなかった。礼も何も出来ないことが心苦しいが」

 望みは絶たれた、か。なら、ぐずぐずしている暇は無い。手立ても当てもないが探さなければ進まないのは確かだ。

「あ、ちょっと待ってください!」

 立ち上がった俺を止めたのは彼女だった。

「私達じゃ貴方を元の世界に戻す事は出来ません。けど、出来るかもしれない方法があるんです」
「……本当ですか!? いや、でも、さっきは出来ないと」
「我々では無理だが、心当たりはある。それを言おうとする前に勝手に納得されてしまってな」

 言い出せなかった、と苦笑交じりに言われてしまった。

「せめて、順序を逆に言って欲しかったんだが……」
「なに、言葉の綾だ、許せ」

 苦笑を深める彼女に、俺は若干拗ねた。

「……申し訳ないんだが、実はお前の記憶を少し読ませてもらった」
「記憶を? そんな事が出来るのか?」
「ああ。覗かせてもらったのは、お前が管理局や別勢力からの尖兵ではないと言う事だけだ。プライベートな部分は見ていない――と思う」
「何故断定しない」
「私が見たわけではないからな。見たのはシャマルだ」
「シャマル?」
「そこで慌ててる奴だよ」

 言われて見てみれば、「ごめんなさいごめんなさい! ちょっとふかめにみちゃったかもしれないことをなきにしもあらずであることをわたしはひていできなかったりしますー!!」と叫んでいる俺を介抱してくれた恩人。あれ? 涙が流れるのは何故だろう。色々何かが壊れていくのが聞こえた気がした。

「あー、あれだよな。シャマルって見た目と中身が違うからなぁ」
「まあ、あれは置いておくとして、私はシグナムだ。そっちの男は」
「ザフィーラだ」
「…………」
「ほら、お前も自己紹介しろ」
「…………ヴィータだ。気安く名前を読んだらぶっ潰す」
「ああ、よろしくヴィータちゃん」
「――ぶっ潰す!!」

 どこからとも無く取り出したハンマーを振り被り、即座に振り下ろしてくる。容赦も加減もなしの一撃は申し分ないが、生憎と怒り任せの直線攻撃は軽く避けられる。

「おあ!?」

 案の定、怒り任せの全力の振り下ろしの勢いを殺しきれず、未だに謝り倒してるシャマルさんに突撃をかますヴィータ嬢。

「ごふぅっ!?」

 鳩尾よりやや下に決まったヴィータ嬢の頭突きに色気無く倒れるシャマルさん。

「おお、柔らかくて助かった」
「私のお腹ぽよぽよ!?」

 一瞬前まで痛みに悶えていたのが幻影と思わせるほどの速度で快復しヴィータ嬢に詰め寄ってる。その快復力、ちょっと羨ましいかもしれん。
 シグナムとザフィーラは二人の漫才染みた行動に呆然としていたが、まあ構うまい。

「俺は高町恭也。好きに呼んでくれて構わない」

 そして何事も無かったかのように自己紹介に移る俺。
 そんな感じに俺達は名乗りあったのであった、まる

〜・〜

 場を落ち着ける意味も兼ねて、俺は部屋を出る事を許され、リビングに通された。標準的な日本住宅の内装に若干首をかしげる。その様子を見たのかヴィータ嬢が警戒心バリバリに撒き散らしながら訊いてきた。なら訊かなきゃいいのにと思うのは俺が純心を忘れてしまったからだろうか。

「何ジロジロ見てんだよ? あ? 変な事したらぶっ潰すぞ、コラァ!!」
「いやなに、落ち着いた内装だと思ってな。少々新鮮さを味わっている」
「は? どういう意味だよ?」
「俺は古き日本家屋にしか住んだことが無くてな。モダン調やら西洋調の住宅はあまりお目にかかったことが無い」

 ただし、月村のあれは例外だ。今の話は平均的な日本住宅の話である。

「ニホンカオクってなんだ?」
「端的に言えば木だけで出来た家、だろう。見た事は無いか?」
「ねーなぁ」

 ニホンカオク、と呟くヴィータ嬢は見た目通りに愛らしいが、それを言うと騒ぎが大きくなりそうなので黙っておこう。

「あ、そこにかけてください。傷の治療しますから」
「いいのか?」
「お前が全力で襲ってきても四対一なら否が応でも勝てる。一般人が逃げようとしても確実に捕まえられると自負している。だから治す分には問題は無い」
「ありがとう」

 正直、痛みはずっとあったので治してもらえるのは僥倖だ。
 シャマルさんに治療してもらっている間、俺は先ほど疑問に思った事を言ってみた。

「あなた達は何かと敵対しているようだが……」
「よく解ったな」
「経験があってな」

 深くは答えなかったが、それでシグナムは納得したらしい。

「管理局やら、別勢力と、何やら物騒そうな物言いだったものでな。あと、俺の扱いも」
「そう、だな。お前にはそれも含めて話さねばなるまい」

 全員の表情が重くなった。どうやら、非常に厄介な事柄が絡んでいるらしい。

「まずは前提条件を言っておこう。我々は魔導師だ」

〜・〜

 自前の執務室でクォーウッドは唸っていた。
 今回の調査で起こしてしまった事故の後処理経過に対しての唸りだ。
 調査していた遺跡に残っていた魔導機構――機器ではなくある種のシステムだったらしい、それが暴走してしまったことの後始末なのだが、難航している。
 まず、あのシステムが起こした事故による調査員への被害は無かった。不幸中の幸いだ。
 どうやら、あのシステムは遺跡内部にいる生物ないし、生体が持つ魔力の残滓をかき集め、システムに供給する造りだったらしい。あの遺跡が製作されたのは今から二万年ほど前。先人が何を思ってあれを造ったのかは定かではないが、ともかくとしてシステムの内容は時空跳躍を実行するためだけの代物らしい。
 どう言う経緯であの遺跡から先人達がいなくなったのかは解らないが、経年劣化による遺跡の腐敗が進行し、システムは異常を来たし、ランダムに時空を渡り歩いていたようだ。
 ただ、このシステムを維持する魔力は枯渇していた。遺跡内部には魔力を長期保存できる設備があったが、これもやはり腐敗しきっており、解析しても中身が空に近かった。魔力を外部に長く保存できる技術はミッドチルダにはまだ無い。上層部からは復元するように研究部にお達しが渡ったらしいが、研究者達は悲鳴を上げるだけだったらしい。
 魔力が枯渇しても、システムは依然として動き続けたらしく、足りない魔力で不安定な稼動を続け、半壊に近かったようだ。そこへクォーウッドの調査班が遺跡に入ってしまった。不安定なシステムと腐敗していた機器に、調査班の高密度な魔力が遺跡全体に過負荷をかけ、システムは暴走。暴走の余波は他時空へ時空干渉してしまい、多数の時空から多くのものが転移してしまっていた。
 恐らく先人たちは潜在的な魔力が少なかったと思われ、システムに必要な魔力をかき集めるのに百年単位が必要だったと見つけ出した手記には書かれていた。だからこそ、調査員達の能力の高さが裏目に出たわけだ。
 その報告をした直後、上層部から転移した物質物体人物その他全てを元の時空に戻せと命令が降りてきた。頭が痛い話だ。管理局でさえ全ての時空を把握しているわけではないのだ。全てを元に戻す、と言うのは無理難題である。だが、事の発端が自分たちである事は事実であり、出来るだけの事をしようと後始末に奔走しているのだが……、作業は難航の一途を辿っている。
 無機物は良い。抵抗しないのだから。
 これが生物、特に人間などの知性体だと面倒事だ。他時空であることで、環境に適応できない種族がいたり、転移先を侵略しようとしたりと、好き勝手にしてくれている。話の解る方が少ないのが頭の痛い話だ。
 それでも、何とか次元干渉の観測データから探し出したリストは七割終わった。その内九割九分が無機物だという事に目を瞑れば大した速さ、なのであるが……、

『かんちょー、野郎、話聞きやがらねーんですけど、殴っていいっすか?』
「それは最終手段だ、グスタフ。出来る限り穏便に対処しろ」
『そのできる限りの境界線越えたんすけど』
「なら殴れ」
『アイアイサー』
『もげっ!?』
「はあ……」

 この調子で、無事に後始末が終わるのだろうかと、クォーウッドは溜息を吐くばかりである。
 死んだ魚の目で残りのリストを斜め読みする。
 その中には解っている限りの顔写真と名前が並んでいた。たまたま開いたファイルの人物の名前は『高町恭也』の名前があった。