『――こちら四班。Dブロックの調査終了。目ぼしい施設などは軒並み死んでいます』

 インカムに入った報告にクォーウッド艦長はやや考えるように言った。

「そうか。電源類も生きてないんだな?」
『はい。発動機らしきものは98%腐敗しきっていますし、供給ケーブルも同じです。画像とデータを送ります』
「了解。四班は機材を撤収。手の空いたものは六班に合流しろ」
『了解』

 表示されたデータを確認しつつ指示を出す。
 時空管理局調査部のクォーウッド艦長率いる第十七調査艦は二ヶ月前に報告があった遺跡の調査に来ていた。時空を漂流する遺跡らしく、報告があった二ヶ月前からずっと遺跡の行方を追跡し続け、二日前にようやく捕捉したのである。
 遺跡はそれ単体で空間を漂っていた。構造物それ自体で構成されており、調査部のデータから見れば割合スタンダードな遺跡だ。ただ、一定次元に留まらず、時空間を漂流するのは珍しいタイプであった。
 調査開始当初は遠距離からのスキャンで内部構造を洗おうとしたのだが、内部が透過できず仕方なしに人手で内部調査に乗り出す事になった。
 現状、遺跡の機能は死んでいるらしい。だが、それでは時空跳躍をし続ける原因が判らない。クォーウッドはやや眉間に皺を寄せて考える。遺跡の機能でないのなら、それを可能とする魔導師、ないし魔法具が存在するはず。
 そこまで考えたところにまた報告が入った。

『こちら五班です。A区画のスキャンデータを送ります』
「解った」
『引き続き内部調査を行います』
「気を付けろ。遺跡の機能が死んでいるらしい。原因の可能性が広がった」
『了解しま『あー、こちら二班、こちら二班。艦長、かんちょー』』

 軽薄とも言える調子で割り込んできたのは二班の班長だった。

「グスタフ」
『あ、お説教なし。そんな余裕無いんで』

 溜息と若干の怒りを吐こうとしたところで、それらを押し込めた。彼の言葉は緊張ならざるを得ない言葉だったからだ。

「何があった」
『魔法機器のようで、見た目じゃ何をするためのモンなのかは解んないっす。スキャンかけるのもやばそうな雰囲気なんすよ』

 二班の班員からのコールを受け取る。
 件の機器の映像がウィンドウに広がる。
 映像の機器は簡素なものだった。下部が機械的な構成、上部が青い透明なシリンダーだ。シリンダーの中央に走る一本の線の先に楕円に似た形の何らかの部品。太いケーブルが一本、部屋の壁から生えて機器の下部に接続されているだけ。恐らく接続されている下部の機器はコンバーターだろう。ご丁寧にもケーブルには『魔力供給』と書かれていた。
 装置の中心的役割を果たしているのか、シリンダーの中の部品は不安定な明滅を繰り返している。人の感覚からすれば酷く不安にさせる挙動だ。
 そこで、クォーウッドは怪訝に思った。

 ――魔力は人間の体内しか存在しない。何故、『外部』から魔力を供給できる?

『艦長、考え込むのはいいんすけど、結構ヤバめな魔力を感じるんすけど』
「封印しろ」
『了解。総員、シーリング体勢! ミシェル! そんなに腰を突き出してるって事は誘ってんのかぁ?』
『ちちち違います!』
『初仕事だからってのは免罪符にならねーからな! 気合入れろ!!』
『りょ、了解!!』

 常時とは違い、切迫している中でもグスタフの調子は変わらない。その部分は買えるのだが、如何せん彼のセンスと言うのは下品な方向で表わされてしまう。そこがクォーウッドの悩みの種だった。
 映像は調査員達の複合封印術が装置を包み込むところを映した。装置は依然として明滅を繰り返していたが、がっちりと封印を施され、

『班長!』
『げっ!? 失敗!?』
「グスタフ!!」

 一瞬の間の後、装置はウィンドウをホワイトアウトさせるほどの光を放った。

〜・〜

 ――それを見て、俺は思った。

 させない。
 させてはならない!
 その思いだけで、俺は半壊しつつある膝に喝を入れて駆け出した。
 左足の一歩目。
 これは問題ない。走り出すと同時に左の小太刀を投げ捨て、搾り出した残りの力を全力で注いだその一歩で美沙斗さんの目の前に飛び出す。

「恭――!?」

 みなまで言わせず彼女の左肩を、半ば殴りつけるように押した。力加減が出来なかった事を内心で謝る。満身創痍の体だから、と言うのを理由にするのは自分自身恥ずかしい。
 美沙斗さんの体は一番手近にあった部屋に飛んでいく。同時に右足で着地。痛みが脊髄に駆け上がってくるのを全力で無視し、部屋の入り口を背に前方の敵を目視した。敵は投げ動作の硬直に入っている。それを認識するのと飛針を四肢にぶち当てたのは同時だった。
 脅威対象の順位が変化する。廊下に這い蹲った男から放物線を描くそれへと。

「待て、恭也!!」

 後ろの制止を黙殺して、俺は中空を舞うそれ――爆弾に向かって走り出す。
 本当に最後の力だった。右足はすでに感覚が無く、腕は疲労で上がらず。けれど、何もかもを振り絞った俺の体は応えてくれた。
 色彩が抜ける。無理矢理に脳のリミッターが解かれた。

 ――奥義の歩法 神速

 体が重い。――今までと同じだ。
 体が遅い。――今までと同じだ。
 体が動かない。――無視する。
 左足が縺れた。――だからなんだ。
 右足で踏ん張る。――感覚が無い。
 何かが砕ける音。――何も聞こえない。

 ――そう、何も聞こえない。

 足が砕けるのも、後ろから俺を呼ぶ声も、俺を心配してくれる声も、俺に笑いかけてくれる声も、悲しんでくれる声も、楽しんでくれる声も、もう、何も聞こえない。聞くことが出来なくなる。俺の周りの人を悲しませてしまう。
 けれど、護らなければ。護らなければ悲しむ事も出来ない。
 時間はゆっくりだった。今までの中でも一番緩慢に時間は流れていた。
 爆弾を掴めた。いや、抱きかかえたと言った方が正しい。上がらぬ腕でどうにか腹に挟み込んで、俺はそのまま窓ガラスを割って外に飛び出した。
 地上十二階から見える海鳴の夜景が綺麗に見えた。

「――すまない」

 小さくそう口にする。
 家族に、知り合いに向けた謝罪。
 すまない。
 俺はお前達の命を護れた。けれど、悲しみからは護れなかった。
 お前達の加害者になってしまったことが悔しい。

 ――――――――――――――――――――!!

 そうして、俺は衝撃と熱風に意識を失った。




















Dual World

From "Lyrical Nanoha A's" (C) 2005
Presented by 大岩咲美 [TRASH BOX type2]





















 目が、醒めた。
 狭い空は青い。
 世界を閉め出す扉のように空に伸びるのは、どうやらビルらしい。薄暗いと形容詞をつける必要はあるが。
 体と武装を確認する。
 右腕、左腕、首は正常。頭部も触った感じでは痛みを感じる場所は無い。
 腹――ぐっ。

「ぁっ、ち、思ったより深かったか……」

 その言葉に俺は苦笑を禁じえなかった。
 あの美沙斗さんと戦り合ったんだ。深くない傷の方が多い。
 腹部をゆっくりと撫でる。血は乾いてる。不用意に触った所為で、また滲んで来てしまった。一時的な痛みが引くまでそのままじっとする。
 その間に、目下最大の疑問を考えよう。

「何故、生きている……?」

 記憶に齟齬が無い限りは、俺は龍の構成員が投げつけた爆弾を抱えて地上十二階から飛び降り、その途中で爆弾が爆発し、その熱波に飲み込まれたはずだ。死に際としては派手に散ったが、まあそんな感想はともかく、通常の人間ならば確実に死んでいる。爆発から運良く助かったとしても、アスファルトに叩きつけられて即死。助かる可能性がゼロ。しかし、何故か俺はここで襤褸雑巾そのままにどこかの路地に寝転がっている。
 訳が解らないが、ともかくとして生きている、思考できる、行動できるのなら家族の下に帰るべきだろう。
 帰る。そう決めると、少し気力が湧いた。
 腹の傷を庇いながら起き上がる。背中もさっきと同じ痛みを訴えてくるが、二度目は我慢できた。着ていたジャケットを脱ぎ、シャツのボタンを外して傷を見る。

 ――見なければよかったかも。

 怪我や血に慣れてるとは言え、見ていて楽しいものでも気分のいいものじゃない。ましてや刀傷としては最悪な状態の傷口などは。
 無言のままジャケットの胸ポケットに手を伸ばす。緊急時用の包帯で傷口を塞いでおく。早急な治療が必要だと判断しつつ、フィリス先生には会いたくないなぁと思ってしまった。あの地獄の整体をかけられるのは勘弁して欲しい。せめて傷が治ってからに。
 通じもしない願い……いや、あの人なら通じるだろうが構わなさそうだ。ふ、どうせ俺に抵抗も発言権も許されてないさ、ああ、いないとも。
 半ばやけっぱち気味だ。何故だろう。こうして生きていた事が嬉しいのか。いや、確認したくない事があるからこそ、精神が不安定なのか。
 解りきっている事を分析する必要は無い。
 意を決して、俺は自分の右膝を見た。

「…………見ただけじゃ解らん」

 当然の如く、俺はズボンを履いている。これで下半身に何も纏ってなかったら真性の変態だ。
 いや、ともかく、自分なりに確かめよう。
 足に神経はある。自分の意識の中で右足は認識できている。指が動いてくれた事に若干の安堵。痛みが感じられない事に背中が寒くなる。
 触ってみる。腿は大丈夫だった。そのまま手を擦り付けながら膝へと向ける。

「――――ふぅ。はは、よかった」

 思わずそう零した。
 触感はあった。触った感じ、砕けた様子は無い。どうやら最悪の事態ではないらしい。
 その事に気分を良くした俺は、少し心躍りながら、武装の確認をぱぱっと終わらせる。左腕の飛針のバンドが無く、三番、五番鋼糸のホルダーがなくなっている。小刀は一本だけしか残っていない。小太刀――八景は少し離れたところに抜き身で落ちていた。……よく誰も取らなかったもんだ。というか、俺が誰にも見つからなかった方が凄い事だろう。
 武装を調べていて少々困ったのは携帯が無かった事だ。すぐに生存報告が出来ない事が家族に申し訳ない。
 諸々妙な事はあるが、五体満足で大事なものも無くしていない事が嬉しくて仕方なかった。

「さて、帰ろう」

 と、したのは良いのだが、腹に滲んでる血の跡を晒したままで昼間の往来を闊歩できるのかという事に気付いた。色々考えたかったが、ジャケットを腕で抱えて腹を隠せば何とかなりそうだった。
 では、改めて帰ろうと、俺は暗い路地から出た。
 俺がいた路地はどうやらいつもの商店街の裏通りへ抜ける道だったらしい。ただ、狭いし暗いし汚そうという事で住民の殆どが使用してないから発見されなかったみたいだ。それはそれで寂しい気がするが。いや、そもそもホテルからここまで相当距離がある。まさか爆発で吹き飛ばされたのか? あり得ない飛距離だと思うが……。
 帰る途中にコンビニが立っているのが見えた。そう言えば最近出来たんだったと思い出し、そこで腹が鳴った。……人間、何事においても腹は鳴るんだな。半ば感心しつつ、軽く何か食べておこうと思った。流した血の補給だ。緊急時なんです、緊急時の緊急処置という事で許してくださいフィリス先生。
 小学生医師に詫びというか言い訳しつつ、なるべく消化のいいものを選ぶ。水とにぎり飯を一つ。ついでに新聞を一部買った。見出しにフィアッセの名前が見えたからだ。恐らく昨日の事件の事が載っている。
 コンビニを出て、はて、と立ち止まった。
 少々モラル違反であると自覚しつつ、水を染み込ませるように飲みながら新聞を眺めて歩いていると、新聞の記事に不審な点を見つけた。誤字といったレベルではない。記事、それ自体が間違っている。新聞屋としてそんな事あり得るのだろうかと、現実逃避気味に考えもしたが、背筋が寒くなっていくのを止められはしなかった。
 記事には『フィアッセ・クリステラ、3rdアルバム、売り上げ2000万枚突破!!』と大々的に載っていた。

「……考えたくない。考えたくは無いが……」

 つまりは、そう、なんと言うか。
 理由を探すよりも先に、俺は駆け出していた。
 向かう先はホテルだ。あれだけの騒ぎだ。昨日今日で警察が引き払うはずも無い。そもそもまだティオレさんが泊まってるはず!
 腹の痛みと膝の痛みに縺れながら、辿り着いたホテルは……平穏だった。
 警察? 野次馬? そんなものどこにある?

「……いや、まだだ。まだ」

 騒ぎになるのを嫌がって他に移ったのかもしれない。移転先は解らないが、コンサート会場ならどうだ。まだコンサートはやるはずだ。あっちへ向かえば……っ。
 そう言い聞かせる。いや、こんな自覚を持ってる時点で、俺は殆ど悟っていたのかもしれない。自分が置かれている状況に。

〜・〜

 そうして、俺は公園で途方に暮れていた。
 会場は閉鎖中。と言うよりは、『これから始まるチャリティーコンサート』の準備で忙しいらしく門前払いを喰らった。色々と打ちひしがれる思いだったが、自暴自棄になる事は無かった。頭の隅で予想できていたからだと思う。
 新聞の日付は記憶通り翌日。今日がチャリティーコンサートの日本公演の最終日であるはずなのに、会場にかけられた横幕にはチャリティーコンサートまで後二日らしい。しかもコンサートの主役はティオレ・クリステラではなく、フィアッセ・クリステラ。
 完全にお手上げだった。お手上げ過ぎて、俺には後一つくらいしか出来る事が無かった。
 家だ。
 家族に会いたかった。
 ただその思いだけに引きづられて俺は家に急いだ。だが、そこで傷の痛みがぶり返してしまい、蹲ってしまった。早く会いたいと思う一方、痛みを堪えるのに必死で、その人が近づくのを俺は感じ取れなかった。

「大丈夫ですか!? 救急車呼びます!?」

 手振りで止めるように伝えてた。そのまま放っておけとも伝え、それは確かに伝わったらしいんだが、その人はそんな事出来ませんと強く否定して、俺を気遣いながら海岸の公園のベンチまで運んでくれた。本当に感謝します。
 それと女性の手を煩わせてしまった事に男として少し傷ついたりもしたりしつつ。

「本当にもう大丈夫なんですか?」
「ええ、まあ。鈍痛はしますが我慢できる程度ですから」

 動かなければ、と条件はあるがこの人に言っても詮無い事だ。
 感覚的だが、傷が悪化してる。人の前で傷を確認するのは躊躇われた。女性に見せるものじゃない。

「…………」
「…………」

 物凄く睨まれてる。
 私、怪しんでます、と顔と目が言ってる。

「……はぁ、貴方が物凄く我慢強い人なのは十分解りました。けど、そんな顔してるとまた誰かに心配されちゃいますよ?」
「……ますか。とは言え、少々焦っているのもありまして……」

 俺の存在理由とか、存在目的とか。

「とは言え、これでは夜まで動けそうに無いです。まあ、休めば何とかなるかと」
「……何とかなるようなら私もここまで心配しませんよ」

 と、言われても俺も急ぎたい。不安はさっさと解決して、そこからまた始めなければ進まない。

「あのぅ、悲壮な決意をされているところ大変申し訳ないんですけど」
「なんですか?」
「顔色、悪化してますよ?」
「はは、若干薄暗くなってきましたから。時節的に寒いですからねぇ」
「いえ、まだお昼回ったくらいですけど」
「あれ、真っ暗ですね。街灯もついてない。ああ、なにやら頬に冷たい感触が気持ちいー」
「ちょ!? 倒れてる! 倒れてますよー!?」

 はっ!
 い、今のは少しやばかった。雪山の洞窟で一晩明かそうとした時に状況が似ていた。

「いえ、取り乱しました。すいません」
「あの、取り乱したって言うか、死にかけてましたよ?」
「あんなもの、まだ死んだ範疇に入りません」

 奇○体験アンビ○ーバボーに二〇件くらい投稿できる俺の人生経験の中でも、今のはまだまだ低い方ですから。

「……はぁ、見ていられません」

 そう呟いた彼女は、俺の腹を撫で――!?

「ちょ、何を!?」
「じっとしててください! また痛くなっちゃいますよ!?」
「う……」

 抵抗しかけて、めっと叱られた。
 ああ、その叱られ方は初めてだなぁ。少し新鮮だなぁと場違いな事を思った。
 手を当てられてしまったのは傷の患部だ。ヌルリとした感触に彼女は物凄く驚いた後、きっと俺を睨んできた。いえ、まあ、その、睨まれても仕方ない程血が流れてるのを自覚していたからこそ、触れて欲しくなかったんですけどね?

「はぁ、どうしてこう傷を我慢したがる人が多いんでしょうか……」

 そんな事をぼやくその人に、俺は何の気なしに訊ねていた。

「あの、病院関係の人なんですか?」
「えっ? い、いいえっ。私は病院に勤めてるわけじゃないですよ?」
「そうなんですか? なんだか、よく人を治してるような風に言ってたので……」

 フィリス先生と同じような事を言っていたからもしやと思ったが、違うらしい。

「少し、じっとしててくださいね」
「何をするんですか?」
「えーと、その、『おまじない』、です。そう、『おまじない』!」

 その言葉に、昔と最近を思い出した。
 それで、なんとなくこの人も同じような人なんだろうと当たりを付けてしまいかけて、偏見だと断じた。
 思考がそれ以上深みに入らないように、俺は気を紛らわすため、彼女に話しかけてみた。

「つかぬ事を伺いますが……」
「はい、なんですか?」
「日本語、お上手ですね」
「えっ!?」
「あ、いや、今の今まで外国の方だと言うのを認識してなかったので……」

 言ってから、物凄く失礼な事を訊ねてしまったという事に気付いた。
 彼女の見た目がどうあれ、この地で育ったのなら、血が違っていようとも日本人である事には違いないわけだ。不用意で浅慮な質問だったと猛省する。

「え、あ、その、一杯勉強しましたからっ!」
「そうなんですか」
「そそそ、それにしても今まで気付いてなかったって言うのはどういう事なんですか?」
「うちの家族に日本語がべらぼうに上手いイギリス人と中国人がいまして。その二人がいた所為か、外国の方と接するのに慣れてるので……」
「あ、ああ、そうなんですか」
「普通に日本語を話せてるので今まで気付かなかったんです」
「結構……特殊な環境の御家族ですねぇ」
「喧しい住人が多いんですけどね」
「あ、私の所にも一人喧しいのが一人いるんですよねぇ。喧しい上に人のいう事聞かない娘が」

 何やら井戸端会議然とした会話を繰り広げてる俺と女性。なんだろう、この人見た目よりずっと年上な気がしてくるのは。と言うか、雰囲気的に滲み出てくる苦労オーラの所為でそう見えるんだろうか。
 やおら、彼女は触れていた手を離した。血を拭くためハンカチを渡そうとするが彼女は手を軽く手を振って良いと答えた。

「さって、お終いです。どうですか?」
「……不思議な事に痛みが引いてますね。ああ、不思議だ」
「何故棒読みなんでしょうかぁ……?」
「いえ、似たような体験を二度ほどしてまして」
「え……」

 少し、彼女の顔色が変わった。警戒させてしまったか。まあいい。ここが別れ際だろう。

「助けていただいてありがとうございました。この辺りで別れましょう。双方、名も知らないですし、丁度良いでしょう」
「あ、あのっ」
「あまり深く関わりあうのはよしましょう。今日この日出会っただけの他人の方が都合が良いんです」
「……それは」

 俯いてしまう女性に、俺はかける言葉は無かった。
 俺は一礼して、彼女に背を向けた。この場を離れれば俺達はただの他人。知り合ってもいない他人になる。
 けれど、彼女は俺を呼び止めた。

「――あの、どこへ行かれるか、訊いてもいいですか?」
「……多分、迷子になりまして」

 恐らく、俺の今の状況を表すとしたらこれだろう。帰るための道標がない俺は確かに迷子だった。

「戻れると良いですね」
「…………ええ」

 その言葉が、痛かった。

〜・〜

 空は暗くなった。
 夜、夜中。まあともかく日が落ちている、そんな時間。
 昼間よりも投げやりなのは家に帰ったからだ。
 正確には帰って、帰る場所が無かったからだな。
 昼間に家に帰ったときには誰もいなかった。当然、平日の学生組や働いている母さんが家にいるはずが無い。それを忘れたまま家の鍵が閉まってる事に俺は物凄く半狂乱になって一本しか小太刀がないくせに薙旋を練習してしまった。何をやってる俺。
 仕方なく、俺は学校の様子を見る事にした。妹分達の様子見と言うことで向かったんだが……。母校の様子、とは言え制服を着てない一見部外者な人物が校舎内をうろつける訳も無く、校門前まで来て即行で引き返してきた。だから何をやってる俺。
 そこでようやく翠屋に行けばいいじゃないかと思い至り、颯爽と翠屋を遠間から覗き込む。方法がストーカーチックな事に愕然としつつ、店内を見渡すと松尾さんと我が母の姿に……とーさんを見た。

「……俺、もうじき死ぬのかな」

 体が寒くなってきたよ。あ、それに何やら眩しい光が俺を包む――。

「いやいや!?」

 待て。色々待ってくれ。
 死んだ人間がレジ打ちしてる姿が目に付いて離れない。いつから翠屋は幽霊まで従業員にしたんだ? 那美さんか? 那美さん関係が絡んでるのか!?
 そこまで思考が暴走して、幾多の想像と妄想を経て、落ち着くに至った。
 俺を落ち着かせてくれたのはかーさんの笑顔だった。

「……そうか。ああいう風に笑えるのか」

 俺の知るかーさんとは違う。断言できる。断言できてしまう事が悲しくも嬉しい。母にも幸せがちゃんとあったのだ。いや、言葉が悪い。あるかもしれなかった。今のかーさんの境遇が不憫と言う人もいる。客観的に見ても、息子からの視点から見てもそう思う時もある。けれど、とーさんの死を乗り越えて、なお幸せになろうとして、そしてたくさんの家族が出来て幸せに笑うかーさんもまたかーさんなんだ。

「けど、少し救われたか」

 俺の知るかーさんと今翠屋で働くかーさんを見て、確かに幸せの方向性は違えどその度合いは同じだろう。俺達の生活が決してかーさんの重荷になっていたのではなかったと確認できた。それは喜ばしい事だ。

「しかし、俺はとーさんを少し美化して捉えていたのだろうか……」

 立ち振る舞いに衰えが見える。流石に十数年前と今とでは肉体的には仕方ないと思えるが、それにしては実力が落ちすぎではないだろうか。普通に歩いていても軸線が安定していない。殆ど一般人の動きになってる。
 もしかして、引退したんだろうか。あのとーさんの事だ。かーさんと一緒に店をやりたいと言っていたから、ここではそのまま店長の座に落ち着いたという事なのかもしれない。そう考えると、なのははこっちでは結構幸せだろうな。父親を知っているのと知らないのとでは、やはり違うだろうし。
 くく、もうすでに俺はここにいる事を完全に納得して、しかも別の世界として捉えてる。馬鹿馬鹿しい話で、信じるに足りえないが、そうでもして納得しなければ、泣いてしまいそうだった。
 翠屋を後にして、俺は郊外の廃ビルに忍び込んだ。美沙斗さんが使っていた潜伏場所だ。折りしも、昨日まで敵対していた相手の住処を使う事になろうとは……。
 それからしばらくは、昼に買った水と握り飯をぼそぼそと食べつつ、時間を無為に過ごした。
 あまり、何もする気になれなかった。色々考えようとするが、色々思い出されてしまって纏まった考えに至らない。何より、何も考えたくないといった方が良い。
 この世界は、少し俺達よりも幸せで、その幸せを俺は横から噛み締めていたかったから。

「ここは、俺の知っている場所じゃない」

 今更の事実を口に出す。口に出して事実として自分に認めさせる。この作業は重要だ。ここから始めなければならないのだから。

「まずは、目的だな。決まりきってるが、元の世界に帰る事」

 俺の知っている俺の世界に。これが現在の最終目的だ。
 じゃあ、どうやったら目的を遂げられるか。手段を考える。

「…………………………………………解るわけが無い」

 はははっ、無学な俺。
 いや、そもそも半一般人な俺が知るわけが無い。なんと言うか、こう言う現象は那美さん関係とかフィアッセのHGS関係に近いものだろう。こういった現象を力技で何とか出来そうなのがさざなみ寮だが、この世界にいるであろう俺と面識がある場合、色々危険な事があるやもしれん。パラドックス……だったか?
 手詰まりだ。そもそもに俺にこう言った知識が無い。自分で考える範囲では解決法が出ない。そうなると誰かに相談しなければ……あ。

「い、いやいや、待て待て。早まるな、俺」

 昼間に会った名も知らぬ女性。あの人は不思議な力を持っていた。那美さんみたいに霊能者関係だと思う。俺は知らず、あちらも俺の顔見ても知人だとかは言わなかった。と言う事は、あの人が取っ掛かりだ。

「……今更会いに行くのか? 格好悪すぎるだろ、それ」

 ――あまり深く関わりあうのはよしましょう。今日この日出会っただけの他人の方が都合が良いんです。

 超格好つかない。何で俺はあんなこと言ってしまったんだ。
 だが、だがしかしだ。恥を忍んで会わなければならない。無様と言うか、情けなさ全開でも会いに行かなければ……情けない気持ちは黙殺する。黙殺するっ。
 ともかく、彼女を探さなければ。
 そう思うな否や、俺は廃ビルを飛び出して、夜の海鳴を駆け出した。そもそも、見つかる算段も根拠もあったものではないのに、ただ探さなければと言う考えに、帰りたいと言う気持ちで一杯一杯だった故に。
 そして、俺は彼女を見つけた。繁華街の少し外れた通りから、夜空を舞う彼女を。
 そう、彼女は空を飛んでいた。