しかし、油断してはならない。何せ、『新商品』なのだ。中には、先を狙いすぎて奇抜なものが出てきたりするのであるが、それは各自で判断しなければならない。今のところ、アリサは過去三回ほどその奇抜なものに出くわしてしまった。なのはは七回ほどあるらしい。さすが、娘には遠慮がないと見える。だが、アリサとなのはの共通の親友である月村すずかは一度も当たっていない。彼女は異様に勘が鋭いので、おそらくそれで見分けているのだろうと思う。ちょっと、その能力が欲しかったりするアリサである。
さて、前置きはこのくらいとしよう。現在、アリサは迎えの車を呼ぶことなく徒歩で帰宅中だった。高町家を出たのは夕刻前。まだ明るいから大丈夫であろうと言う安易な考えから、歩いて帰ろうと思い、連絡しなかったのだ。資産家の娘にしては、少々軽率な行動と言える。
自宅への近道として、街でも有数の大き目の公園に入った。いつも使っている林道を通っていると、ガサリと葉の擦れる音が聞こえた。風が揺らした音ではない。明らかに何かが葉を擦らせたのが判った。
動物だろうかとアリサは首をかしげた。このあたりには野生の猫が多くいるので、それかとも思った。あるいは、ここは神社に近いから噂の子狐が出たのかとちょっと期待したりもした。
しかし、少女の予想は大きく崩されたのである。
藪から出てきたのは、男だった。ぼろぼろで少し焦げ臭い服にべっとりと血を塗りつけた男が、草薮から出てきたのだ。
「えええええええええええええええ!?」
これにはアリサもびっくりである。というか、驚かない人間がいるのだろうか。
まあ、ともかく。怪我をしていることだけは判ったので、アリサは思わず駆け寄ってしまった。
「だ、大丈夫ですか!?」
「その前に一つ。不審人物に不用意に近づくのはやめなさい」
「あ、はい、そう言えばそう――じゃなくて!! あなた、そんな忠告してる余裕あるの!?」
「ないな」
ドクドクと血を流しながらも余裕そうな顔で言われると訳が解らない。本当は血糊なんじゃないかと思いはするものの、明らかに鉄臭い匂いを漂わせているので、この男が非常に危険な状態だと言う事だけは確実である。
「と、とにかく救急車!」
「駄目だ」
「はぁ!? この期に及んで病院嫌いとか言うんじゃないでしょうねぇ!?」
「いや、嫌いは嫌いだが、公共施設の世話になるは避けたい」
「訳ありってこと?」
「平たく言うとな」
ちょっとマズイんじゃないか? 今まさに、危ない人間に関わってるんじゃないか?
そんな疑問が頭を掠めたが、こうして瀕死同然の人間を放置する考えはアリサにはなかった。
「え、えーと、じゃあ、ウチの主治医に見てもらう? それだったらなんとかなるでしょ?」
「主治医、なんてものが君の家にはいるのか。もしかして金持ちか?」
「世間的にはお金持ってると思うけど……」
どの程度、と聞かれると答えられない。
「ともかく、それだったらいいの?」
「まあ、それならいいか」
「じゃあ、連絡するわよ?」
「任せる」
すちゃっと携帯電話をとりだして、自宅へ電話する。
怪我人を拾った事となにやら訳ありだと言うことを伝えると、いつもアリサを送り迎えしてくれている運転手の鮫島は黙って頷いてくれた。
『それでお嬢様。その方のお名前はなんと申しますか?』
「あ、聞いてない」
振り返って血塗れの男に訊ねようとして、アリサはようやく気づいた。さっきまで、気が動転してて顔をよく見てなかったのだ。
「……あれ?」
ごしごしと目を擦ってみても、目の前の状況は変わっていない。相変わらず息荒く、苦しそうな様子なのに顔だけは涼しげな男がそこにいるだけだ。
あらゆる意味の確認として、アリサは男に名前を訊ねてみた。
「――ね、ねえ、あなた、名前は?」
「高町恭也」
「うっそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
少女の声は茜色の空に高らかと響いたのであった。
迎えの車に怪我人を押し込んで、バニングス邸に到着すると、早速治療が開始された。傷口を縫合し、包帯を巻くという簡単なものであるが、当人が何故か入院を断るので、応急処置しかできなかったのである。そのうちちゃんとした治療を受けることをアリサが取り付けることで、一応の決着とした。
「恭也さん、ですよね?」
「いかにも。俺は高町恭也だ。ちゃんと名乗っただろ?」
「えーと、私の知ってる恭也さんとちょっと違うような……」
「……もしかして、君はこの世界の俺を知ってたり、ましてや知り合いだったりするのか?」
「そうですけど……」
「――実家に帰らせてもらう」
「用法間違ってますからっ!」
ふらつく足取りで立ち去ろうとするのを、アリサは止めた。意外なことに腕一本で恭也を止められてしまった。友人であるなのはの兄の高町恭也はなにやら武術をやっているらしく、簡単に捕まえられないし、付け加えてアリサのような子供が掴んだだけで止められるはずがない。なのに、抵抗が弱いのは相当弱っていると言う事だろう。
「ほらぁ! 重傷なんだから、安静にしてなきゃ駄目ですよ!」
「……ぬぅ」
不満たらたらな恭也の顔を極力見ずに、ベッドに寝かしつける。
「さっき、この世界の恭也さんって言ってましたけど、どう言う意味ですか?」
「迂闊だった。なんで口を滑らしてるか俺は。こう言う場合はとりあえず煙に巻いてしまえばどうにでもなるか、相手は子供だし。というわけで――俺はそんなこと言ってない」
「モノローグが滅茶苦茶駄々漏れです」
「何のことだ?」
「そこで心底不思議そうな顔しないっ!」
絶対違う。この男は、アリサが知っている高町恭也であるはずがない。アリサが知っている恭也はもうちょっと爽やかで、しっかりしてて、頼りになるお兄さんなのだ。決してこんなギャグよりで、不遜で、目つきの悪い人じゃない。
となれば、だ。こう言う人間には相応の対応というものが決まってくるのである。
「一つ、教えなきゃならないことがあるんですよ」
「なんだ?」
「治療費」
「――――」
その言葉だけで、恭也はだらだらと脂汗を流しまくった。シーツが水浸しになるんじゃないかと心配できるほどだ。
こうかはばつぐんだ。
なら、ここを攻めてやる。
「傷の縫合は大した金額にはならないみたいだけど、包帯代とか? 輸血代とか? 宿代とか? ああ、そう言えば、さっきの言葉を信じるなら、あなたはこの世界で戸籍がないから治療費は全額自己負担になるんですよねー?」
「き、汚い……。小さな子供がそんな腹黒い事を言うもんじゃないぞ!」
「えー? 聞こえなーい。むしろ、持ってんの? 持ってないの?」
「ぬぐっ!」
この慄きよう。どう考えても持ち合わせがない事を示している。
「鮫島、怪我の治療代、しめていくらかしら?」
「ここに」
電卓を恭也に見せると、脂汗が更に増えた。これは、マジでヤバイらしい。
「ふ、ふふふ。幸いなことに俺には持ち合わせがない。ひいては、不足分を補うためにダンジョンに潜ってモンスター狩りをしようかと思うんだが、どうだろうか?」
「いまどきスライムが本当にお金持ってると思ってます?」
「あの軟体生物のどこに賃金が発生するのか解明したいんだ」
「アホなこと言ってないで、耳揃えて払いなさいよ」
「…………」
閉口するしかない恭也をアリサはニヤニヤと眺める。あっちの恭也は年上と言う事もあって、こんな話し方なんてした事なかったので、逆に新鮮だった。あと、困ってる顔見ると楽しくて仕方ない。
しかし、相手は怪我人だ。あまり長い間起きていると傷口が開いてしまう。この辺で虐めるのは止めてあげよう。
「ま、治療代を返す方法の一つは、心当たりがあるけど?」
「なに!? 真か!? なら、やる! 借金は返さなければな! 大人として!!」
後に、彼は後悔する。話の詳細を聞かずに了承してしまった浅はかさに。なんで受けちゃったかなーと。
「で!? その方法とやらはなんだ!?」
「それはね――」