桜吹雪、と聞けば日本人ならば風流と感じるだろう。風に舞う薄桃色の花びらは一種幻想的な風景を演出してくれる。花を愛でながら酒を嗜みつつ、余韻に浸ることこそが花見の醍醐味であるが……、この三人には全く関係がなかったりするのである。
「……無常だ。何で俺はこんな事をしてるんだろう」
「全面的に彰が悪い。巻き添えにされた僕達の身になってよ」
「それよりも手を動かそうよ。動かさないと終わらないよ?」
 と会話をするのは少年達だった。
 一番背が高く体格ががっしりしている短髪の少年は秋山彰(あきやまあきら)。学生服の上着を手近な桜の木の枝にかけながら、やる気のない息を吐いている。
 そんな彰を叱咤するのは藤堂美里(とうどうみさと)だ。男子と呼ぶには少々柔らかい容姿をしていて、見る角度によっては少女にも見える。やや長めの髪がそれに拍車をかけているが、本人は知らない事実だ。こちらはきっちりと学生服のボタンを留めていかにも生真面目といった雰囲気をもっている。線がやや細い印象がある少年だ。
 そして最後の三人目であり、箒を黙々と動かしているのは新山貴希(にいやまたかき)だ。襟元のボタンを外し制服を着崩して、やや不機嫌気味である。背の高さは美里と同じくらいであるが、こちらは平均的な体躯をしている。どちらかと言えば、運動選手に見られるナチュラルな体つきだ。
「全く、始業式の手伝いは良いけど、新入生にいきなりあれはどうかと思うよ?」
「ああ? だってよ。俺達今年で卒業だろう? 最後の締めくらいはきちんとだな」
「卒業するからこそでしょ? 飛ぶ鳥後を濁さず。って、その前に話が繋がってないよ」
 美里は大きく深く溜息を吐いた。彰の言動は小さい頃から知っているが、苦労だけで楽が出来たことがなかった。
「しかしだなぁ。歓迎祝いに花火を打ち上げたって別に良いだろ? 豪勢な歓迎具合じゃないか」
「近所の人が驚いて警察呼ばなければね」
「うっ」
「爆発音と勘違いされて、入学式が止まりかけたときは、僕の心臓も止まりかけたよ」
「上手いこと言うな?」
「真面目に反省してよ!」
 あまり反省の色が見られない彰に美里が怒って見せるが、それで治ったことは一度もないので半ば諦めていた。それでも美里は無駄とは思いつつも注意をする。
「彰、もう少し言動に責任と影響を考えて欲しいんだよ」
「とは言ってもなぁ。気がついたら体が動いてるわけで」
「今回のことは物凄く用意周到だったよね?」
 花火の設置箇所とか事前に下調べをしていたと思えるほどだった。
「うむ。昨日思いついた」
 美里がまたまた溜息を吐く。直前に思いつかなかっただけであり、思いついたときにはすでに行動しているわけだ、この親友は。
「そもそもだな。中学の入学式だぞ? 小学校とはわけが違う。記憶の片隅程度に残る思い出を提供しても良いではないか! 昨今は子供の無関心化が進んでいるんだぞ!? 新しい環境で戸惑いを隠せない小学上がりに話題を提供して、知り合うきっかけを提供できた俺は偉いと自負している」
「しないでよ! きっかけなんてほかでも出来たでしょ!? 何でわざわざ季節外れのロケット花火なんか使ったのさ!」
「ああ。昨日部屋の整理をしていたら数束出てきたのだよ。あれは去年の奴だな。懐かしくて残っていた線香花火はやったんだが、いまいち迫力に欠けると気付き、どうせなら盛大に実行しようと考えたわけだ」
「せめて、家でやってよ」
「季節外れだからこそ珍しいだろ?」
「自慢げに言う事じゃないって! それで罰掃除させられてたら元も子もないでしょ!?」
 まあ、そう言った経緯で彰と、それに巻き込まれた美里は教師陣から罰を受けたわけである。これでもまだ寛大なほうだ。下手をすれば停学に近い処置を取られるところだった。
 だが、その窮地を救わされたのは強引に襟首を掴まれて弁護させられた貴希である。態度も真面目で教師陣から信頼もある貴希を使って、どうにかこうにか罰を軽くしたのだ。ただし、弁護に引っ張り込まれた彼は完全に被害者だった。
「二人とも、もっと真面目にやってくれよ」
「あ、ああ、わりぃ。うん、反省はしてるぞ? 後悔はないが」
「一言余計だってば。ごめんね貴希君」
「まあ、良いけどさ……」
 普段は寛容とか寛大とか温和とか形容詞がつく貴希であるが、流石に彼でも自分が何故箒をもって桜の花びらを履いていることには不機嫌さを隠し切れないようである。巻き込まれたのが身内同然なので、微妙に容赦と遠慮がないのも原因だ。
「でも、中司に叱られるのは覚悟した方が良いんじゃない?」
「うぐっ。ま、まあ、何とか凌げる、かな?」
「無理なんじゃない? 容赦ないし」
「う、うおぉぉ……」
 話に上がった中司恵理の鬼のような形相と、連想される物理ダメージに彰と美里は身震いする。
「香典って、いくらくらいなんだろうね?」
 葬式の準備を構想しだす貴希に、彰が慌てて言い募った。
「ま、待て貴希! 是非ともあいつに弁護のほどをお願いします!」
「って、僕巻き込まれたのにお仕置きされるの!?」
「主犯と従犯?」
 彰、美里と指を順に指して貴希は言う
「いやいやいやいや! 後生だから、マジで弁護を依頼するぞ!」
「反省してるんでしょ? 少しは情状酌量の余地はあるんじゃない? まあ、後悔してない時点で第一法と第四法は固いんじゃないかな?」
「死ぬって! 彰はまだしも僕は死んじゃうよ!」
 無責任に怖いことをいう貴希に美里が騒ぐが、結局恵理を説得するしか解決する方法はないので、意味がない。貴希はそれには取りあわなかった。
「せいぜい生き延びてください」
「無責任だよ貴希君! ここまで来たら僕らは一蓮托生でしょ!?」
「なんで? 今回俺は完全に被害者だよ?」
「俺達と一緒に箒を持っている時点で、共犯者だ!」
「訳解んないこと言ってないで、さっさと終わらせて弁解に行けば? 先生は連絡してるはずだし」
 さらりと零れた爆弾発言に彰と美里の動きが止まる。
 貴希は黙々と掃き掃除を続けているだけだった。
 ちなみに、掃除は五分で終了させ、全速力で阿修羅姫に弁明に向かったが、結果は無残だった。






























白と黒と鶴

From "Frieden"
Presented by 大岩咲美 [TRASH BOX Type2]































__/4































 中学の最終学年へと上ってから一ヶ月。桜の花びらは散りきって、葉桜が伺い始めた頃。
 中学生活最大のイベントといえば修学旅行だ。小学校の頃のようなちゃっちぃものではなく、もう少し豪勢になる。貴希達が通っている中学校では、何代か前の上級生達が、自分たちの自主性を主張して、全日程の3/4のスケジュールを自由行動にさせた偉業がある。
 ただ、この結果として、自分達が旅行中に回る場所や施設などを事前に調べ、提出しなければならない手間が発生するが、まあ、そんなものは適当にやっておけば良い訳で、
「って、待ちなさいよ! 金閣寺は回るべきでしょ!?」
「はぁ!? 何で京都横断ツアーにしたがるんだよ!? 延暦寺の次に金閣寺ぃ!? その間にある下鴨神社はスルーか!」
「あんたは初日の清水寺で飛び降りて病院にいるはずだから心配しなくていいのよ」
「はっ、あの程度の高さから降り立ってかすり傷一つない自信があるぜ」
 何故か白熱して場所決めをしているグループがあった。
 最早この学校でも恒例となってしまった感のある言い争いが行われていた。秋山彰と中司恵理(なかつかえり)の口論が教室の一角で繰り広げられているのである。二人が所属するのは新山貴希と藤堂美里、そして奥山千鶴(おくやまちづる)がいるグループだ。
 彰と恵理の意見が対立しているのはいつもの通り。毎度毎度、小さな事から大きな事まで衝突しなければ気がすまないらしい。
 ただ、この二人の意見が合致したときが一番手に負えない事態へと発展するので、生まれついてのトラブルメイカーである。
「彰の場合本当にそうっぽいんだよね」
「無駄に頑丈だしなぁ」
 秋山彰の体の頑丈さを知っているだけに、現実的な想像が出来てしまうことに何か投げやりっぽい二人。
 なおも続いている口論を観戦するのは貴希と美里だ。彼らとしては、有名どころに回れればそれで良いので、さして主張したい意見があるわけでもない。強いて言えば、清水寺で騒ぎを起こしてほしくないなぁと願っているだけだ。まあ、無理だと半ば諦めているが。
「大体だな、このルートは一体何なんだ!? 金閣寺の次に鞍馬寺ってのは! なんで山ばっかなんだよ!」
「いーじゃない。都会で汚れた心を洗うには自然の中に飛び込むのが一番なのよ」
「移動手段が徒歩ってところが一番理解できないって言ってんだよ! 俺達は修学旅行中の学生であって、登山客じゃねぇ!!」
 恵理は交通費をケチって全ての移動を徒歩にしていた。恐らく、余ったお金は自分の懐にいれようとでも言う算段なのだろう。微妙に狡い。
 その後も、あーだこーだと二人の主張が対立してしまい、旅行計画案は遅々として進まなくなって来た。
「はぁ、千鶴、お願い」
「――仕方ないわね」
 収拾がつかなくなってきた所で、貴希は伝家の宝刀、必殺の一撃、最終兵器とも言える奥山千鶴に頼んだ。今まで傍観していたのは、スケジュールにあまり興味がなかっただけである。そもそも彼女は内心無視する方向で心を決めていた。彼女が行きたいのは、『舞妓体験』の一点だけである。
「二人とも、いい加減にしなさい。あんた達の主張は解ったから、行きたい場所だけ言いなさい。それで回れるだけ回れるルートを考え出すわ」
「私の意見は絶対に譲れないのよ!」
「そんなのは俺も同じだっつ−の!」
「――黙れ、この馬鹿ども」
『は、はいぃ……』
 視線だけで二人(共に武道有段者)を萎縮させた千鶴は、さてと気を取り直して事態の進行を図る。
「全く、修学旅行で京都の名所全部を回ろうって言う魂胆が理解できないわ。自由旅行ならまだしも、今回は三泊四日しかないのよ? たった四日で京都を征服しようなんて無謀もいい所よ」
「だってさぁ……」
「恵理、口答えする毎に一箇所ずつ消してもいいのよ?」
「いえ、なんでもありませんですっ!」
 絶対権力発動中。腕力では明らかに恵理の方が上であるのに、全く千鶴には頭が上がらなかった。あれか、あの視線がそうさせるのか。あの視線に耐え切れるのは、貴希しかいないし、その貴希は半分下僕のような関係だし。千鶴に反対できる要素がないのである。
「そもそも見学時間が五分とかありえないわよ。料金所が混んでたら中に入れずに終わるだけじゃない。余裕を持ちなさい」
「ってもさぁ、計画の立て方なんて解るわけないし」
 そもそも自分達だけで旅行をした経験がないので、何をどう立てればいいのか加減が解らないのだ。
「それでも見学時間五分はないでしょ? まあ、有名どころを軸に一日に回る数は四〜五箇所程度ね」
「えぇ〜? それだけになるのかよ? もっと多く出来ないのか?」
「学校側のスケジュールもあるのよ? 三日目の体験学習やら、点呼時間を考えるとそんなものよ」
 ぎっちり詰まったスケジュール表をわざわざ消しゴムで消すなんて事はせず、教師から新しい紙をもらってきた貴希が千鶴に渡す。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 受け取った紙に千鶴はさらさらと文字を綴った。
「いい? ホテル帰還時刻は午後六時。京都駅からホテルまでの理想的なルートは左回りよ。だから一日目は清水、南禅、永観、銀閣、下鴨神社と回って、これで丁度いいくらいね」
「えぇ? 延暦寺は駄目なの?」
「出発日なのよ? 京都に着く時間は午後十二時四十五分前後。帰還時刻まで五時間しかないわ。移動時間と見学時間を考えるととてもじゃないけど無理ね」
 よほど延暦寺に行きたいらしい恵理。何故にそう彼女を駆り立てるのだろうか、延暦寺。
「一日目で京都市街の東半分は網羅したわ。二日目は、多少の時間もあるから、西半分ね。足を伸ばすことにもなるし」
 二日目は京都御所から始まって、上賀茂神社、金閣寺、竜安寺、嵐山の天竜寺、二条城と回って、戻ってくるルートだ。
「三日目は学校からのスケジュールで朝から体験入学が入ってる」
「うどんを打つんだっけ?」
「女子には重労働な作業よね」
『恵理が言うのかよ』
 恐らく恵理は平均的な男子よりも腕力がある。事実、先日の体力テストで握力48kgをマークしていた。恐ろしい。
「で、三日目は一日目と同じように半日しかないし、親どもに土産を買ってやらなくちゃならないから、土産物屋巡りね」
「……って、いいの? そんなの書いて。仮にも修学旅行なんだし」
「しおりには、『親御さんの土産は量が多ければ配達する』って書いてあるよ」
 美里の疑問に貴希がしおりをぺらぺらめくって答えた。開かれた注意事項の段に、確かに書いてある。
「学校側も解ってるんでしょ? ただ、一日目と二日目がきちんと出来てれば文句は言ってこないわ」
「何で断言できるのよ?」
「教師に訊いたから」
 しれっと答えて、千鶴はシャープペンをおいた。書き終えたらしい。
「うーん。相変わらず、読みにくい字だよね」
「読めるなら文句言わないで」
 崩し字というか、走り書きというか、そう言う表現しか出てこない千鶴の字である。
「これで字が間違ってないんだから凄いよね」
「僕に同意を求められても」
 コメントのしようがない。
「で? この案に何か文句ある人、いる?」
『いいえ、ありませんです』
 天使の笑顔で悪魔の迫力。
 この案以外認めねぇぞこらと千鶴が念を押して、企画を提出したのだった。
「……うーん。延暦寺……」
 未だに恵理は未練があったとかないとか。




/ / /




「えー、一応計画表は受理しましたが、あくまでも『修学旅行』ですからね? いいですかー? 『修学旅行』ですからね!? 向こうのヤンキーにメンチ切ったり、名を馳せようとしないでくださいよ!?」
「センセー、生徒を信用するのは教室の務めだと思いまーす」
「秋山君、私はあなたに言ってるのよ」
「マジで!?」
 劇画タッチで驚いて見せる彰。周囲から笑い声が上がった。
「あなたと藤堂君と中司さんはと・く・に! 特に、気をつけてくださいね!」
「わ、私も!?」
「僕まで……」
「同類視されてるわね」
 哀れむような視線で千鶴に見られて、貴希は二人に少し同情した。
「くれぐれも向こうにいる修学旅行生に喧嘩売ったりとか、買ったりとか、妖しい骨董品店に行って偽物掴まされたりとか、舞妓さんに呆けて事故ったりとかしないでくださいね!?」
「全部彰に当てはまりそうだね」
「むしろそう言ってるんでしょ」
 こそこそと意見を交わす貴希と千鶴に少し離れた席の美里は少し羨ましげな顔をしていた。無論、その表情を恵理が見逃すはずもない。後でからかいのネタにしてやろうと決めていた。
「じゃあ、今日は解散です。お疲れ様」
 と担任が締めて、放課後を迎えた。

「ふぅ……」
 体に残った熱を少しでも減らすように、貴希は息を吐いた。それだけで熱が引くわけではないが、まあ気分の問題だ。吹き出る汗をタオルで拭きながら水道場所へと移動する。
 蛇口を強く捻って勢いよく噴き出す水に頭を突っ込む。後頭部から急激に冷やされていく感覚に、少し気持ちよさを感じながら、水を止めた。
 タオルで濡れた髪を拭く、ふき取りきれなかった水滴が服に染み込むが気にしない。どうせ後で着替えるからと放っておく。
 夕焼け空を眺めながら、今日の部活の感触を思い出していく。フォーメーションと連携が出来上がりつつある。新入生たちはまだまだ技術不足なので戦力になるのは冬頃からだろう。今年の夏で引退する身としては、来月から始まる地方予選には是非とも勝ちたい。勝てば、とりあえず夏一杯まではサッカーが出来る。
 貴希が所属するサッカー部はこの地域でもそれなりの成績を持っている部だ。過去には地方大会だが、優勝したこともあるらしい。伝統と言うわけではないが、学校側としてはもう少し活躍して欲しいような風潮がある。それに押されるというのも嫌な形だが、勝ちたいという気持ちに変わりはないので、まあいいかと納得している。
「新山先ぱーい!」
「ん?」
 貴希を呼んだのは女子生徒だった。制服を着てるところから、文化部の人間だろうか。
 近づいてくる影を認識して、それが誰だか判別できた。
「あれ、細川?」
「はい! 細川穂波(ほそかわほなみ)でっす! お久しぶりですけど、名前覚えててくれたんですね!!」
「あ、うん。まあ、ね。一度会ったら忘れにくい人だと思うよ、君は」
 やたらと元気な穂波の雰囲気に貴希は少々気持ちが退く。
 穂波は二年で貴希の一つ下の学年だ。初対面のときは、穂波のことなど全く知らず、だが穂波は貴希の事を知っていたようで、話がかみ合わなかった記憶がある。持ち前のテンションの高さに任せてしゃべる穂波を、貴希は少し苦手としていた。
「それでですね! 新山先輩はいま部活が終わったんですよね!?」
「うん。これから着替えて帰るところだけど」
「じゃあじゃあ! 一緒に帰りましょう!」
「へ……?」
 それだけのことなのかとやや拍子抜けする。とは言っても、相談や要求をされても困るだけなのだが。
 まあ、一緒に帰るくらいはいいかなと、思いもしたが……、
「あ、いや、今日は日が悪いんだ。うん」
「えぇー!? 新山先輩、人がわるーい! いいじゃないですか、少しくらいは!」
 一緒に帰ることに少しとか言う表現は適切なのだろうかと頭の隅で思いつつも、貴希は穂波の提案は受け入れられないと思う。
「まあ、機会があればだね。いつになるか解らないけど……」
「なんでですかー? まさか、私を送ってって狼さんになっちゃうとか!?」
 いやー、ムードさえ守ってくれれば私的にはオッケーですよーとか言ってるが、貴希は『狼さん』の意味がよく解らなかったのでコメントは控えた。
「とにかく、細川の提案は受け入れられないということで、俺はこの辺で」
「待ってください! 理由を聞いてません!」
 はしっと穂波が貴希の服の裾を掴んだ。
「理由って……」
「理由を聞くまで、不倶戴天です!」
「……多分不退転って言いたいんだろうけど」
「そう、それです」
 さて、どうしようかと貴希は悩んだ。
 穂波と帰らないのは、単(ひとえ)にある人物の存在があるからである。部活に所属していないのに、図書室で読書と勉強をしている彼女は、部活の終わりと共にやってきて一緒に帰るのだ。彼女の性質を思うと、とてもこんなアッパー系の娘と一緒にいられるとは到底思えないわけで。
 しかしながら、ここは正直に答えて退いてもらった方がいいかもしれない。無駄な衝突は避けるべきだと貴希は判断して、説明しようとしたところで、
「――貴希?」
 見つかってしまった。

 一瞬気まずい空気が流れはしたが、何故か二人は意気投合したように見えて、その実水面下で恐ろしいほどの激戦が繰り広げられていた。
「はー、そーなんですかー。新山先輩とは小学生の頃からお知り合いなんですね!」
「そうね。あなたはいつ頃から?」
「私は中学入ってからです! いやもう、あの時の出会いは一生忘れませんよ!」
 その言葉に千鶴は表面的にはなんの反応も見せなかった。その様子に穂波が眉を潜めた。
 ――もしや、この女、どーってことねーんじゃねーか?
 あからさまな言い回しに反応を見せないってことは、貴希には全く興味がないのではないか。名前を呼び捨てするほどの親密さ加減から、ライバルになるのではないかと危惧したが、どうやら目論見違いのようだ。なら、ここは押して押して押し切ってしまった方が勝てる!
「サッカー部で紅白試合をしてた新山先輩が三人抜き去ってゴールしたときの姿って、物凄くカッコよかったんですよ! 私、感動しちゃいました! で、感動した勢いで、奥山先輩とお話したんですよ! ね、先輩!」
「え、そうだったかな?」
「もぅ、忘れちゃ駄目ですよ? 私の青春の一ページなんですから!」
 自信なさげな顔をする貴希に穂波が怒ってみせる。本気で怒っているわけではないのは一目瞭然だった。
 貴希は穂波に会ったときのことを思い出してみる。確かに、部内で紅白試合をした記憶はあるが、終わった後の穂波のあのテンションの高さのほうが強烈に脳に刻まれているため、得点したのかどうか忘れてしまっていたのだ。
「新山先輩は部でも実力が抜きん出てるんですよ。もう少し回りのレベルが上がれば、もっと勝てると思うんです。MFとして中盤の要の先輩の指示に、周りの皆は反応するの遅いし。もっとフォーメーションを練習するべきですね」
 穂波の言葉を貴希は意外に思った。
 確かに彼女の言う通り、全体的なレベルは低い。自分が突出しているとは思っていないが、若干周囲の反応が遅いなどの感想を持っているのは確かだ。そこを見抜けているとは、若干彼女の評価を改めなければならないかもしれない。
「奥山先輩は、その辺りどう思いますかぁ?」
 声色は軽いが、目の色は宿敵を前にした時のような鋭い気迫が見え隠れしていた。私はこれだけ貴希のことを理解しているんだぞとない胸を張っている。
 その視線を受けた千鶴は、やれやれと溜息を吐いて、答えた。
「貴希は本来FWよ。点取り屋だったけど、前年の三年が卒業してしまって、司令塔がいなくなったからMFに転向して、チームを纏めることになったの。周りの反応が遅いのは、貴希の指示が遅いのと、貴希が抜けた穴を埋めるためのフォーメーションが出来上がってないから。まあ、次の大会までにはある程度は仕上がってるんでしょうけど」
「…………うぇ?」
 さらさらと答えた千鶴に穂波は面食らった。
 ――え、なんでそんなに的確に、しかも私の知らないことまで……!
「よく見てるね」
「勉強って、長く続かないものなのよ」
 千鶴は図書室で予習復習や読書をする傍ら、窓から見下ろすグラウンドでずっとサッカー部の様子を見てきたのだ。上から見える印象を貴希に話して、三次元からフォーメーションの確認をしていたのだ。
 的確な意見と助言をくれる千鶴の存在は部にとって貴重であり、一時期はマネージャーとして入部してくれないかと打診があったりしたのだが、趣味じゃないと断った。
 貴希にしてみれば、人を激励する千鶴の姿が想像できなかったので大いに納得したものである。叱咤するのはこの身で嫌というほど知っているが。
「部長になったことだし、地方大会でもいいから一度優勝してみるのもいいんじゃない?」
「うーん。でも、難しいかもね」
「本当に?」
「……うっ」
 じっと千鶴に見られて貴希は呻いた。
「突出した力と言うものはともすれば蔑みの対象になるものだけれど、あなたなら大した事にはならないと思うわよ?」
「どうかなぁ。俺個人の力で勝っても意味ないと思うんだけど……。第一に俺にそんな力ないって」
「どちらにしても勝ってから言う台詞よ、それ」
「そうだね」
 貴希は苦笑を浮かべた。
「って、待ってください! 今の会話って、新山先輩が本気出せば優勝できるってことですか!?」
「違うって。点が取れるかもしれない可能性が高まるだけ」
「それって勝てるってことじゃないですか! 新山伝説樹立ですよ!」
「で、伝説、ねぇ……。そんなに大袈裟にしなくてもいい気がするけど」
 貴希としては、楽しくサッカーが出来ればいいだけなのだ。勝つことは確かに嬉しいことで、それに向かって練習をすることは楽しい。けれども、勝ちにこだわり過ぎて、チームメイトとの仲を悪くしてしまったりすることの方が嫌なのだ。
「チーム皆が協力して勝つ。それが俺は好きなんだ。だから、個人技で勝てたとしても、あんまり嬉しくないし、チームの皆も嬉しくないよ。だって、結果も過程も一人でやってるんだもん。チームがある意味がなくなる」
 そう言う事と貴希は締めくくった。
 だが、それに穂波は納得できない。
 貴希にそれだけの実力が秘められているなら出し切って欲しい。彼が活躍すればするほど、自分は嬉しいのだから。
「第一、もう引退するんだし、余計なことをしたくないって言うか」
「今は部活よりも成績の方が心配事よね」
「そーなんだよぅ。今までのツケがこう、どっさりと」
 引退後の予定を考えている貴希に穂波は怒りを覚えた。折角こうして応援している自分がいるというのに、それを蔑ろにしている貴希に酷く裏切られた気がしたのだ。
「それって、逃げてませんか?」
「そう? そうかもね。いや、そうだとしても、将来の方を取るべきだと思うし。スポーツ推薦があるわけじゃないんだしね」
「でも! 出来る力があるんなら使うべきですよ! 出し惜しみをするのってチームの人たちにも失礼だと思います!」
「……とか言ってるけど?」
「私に振られてもね。まあ、答えられるとしたら、サッカーで勝つということの価値基準と優先順位が貴希の中で低いと言うことだけね。ボールさえ蹴っていられれば幸せを感じられる人種だから」
「そ、そんな……」
 スポーツをする以上、そして対戦形式が存在する種目である以上、勝つと言うことを目標に持っているはずだ。それを脇において、あまつさえ勉学の方が大事だと貴希は嘯く。
 模範的な優等生の回答を答えられて穂波は失望してしまった。何よりも、貴希のことをそこまで理解している千鶴に敗北感を感じつつあった。
「あまり幻想は抱かないほうが良いわ。期待した分、落差が激しいから」
「まるで俺が期待されてたみたいな言い方だね」
 貴希の言葉に千鶴は流し目で貴希を見るだけだった。
「まあ、細川さんも落ちこまないようにね。人生色々よ」
 演歌の音楽が聞こえてきそうな穂波だった。
 そんな二人を見て貴希はよく解ってないという顔をしながら首をかしげていた。

「じゃあ、ここでお別れです。先輩、さようならー!」
 会ったときと同じく元気な様子で別れを告げて、怒涛の如く走り去ってしまった。
 一応の礼儀として貴希は手を振るが、恐らく本人は確認できてないだろう。
「せんぱあああああぁぁぁぁい! 私ぃー、諦めませんからあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 もう見えなくなっているというのに声だけはしっかりと届いた。
「は、はは……元気な娘だね」
「…………」
 乾いた笑いを浮かべる貴希に千鶴は無言を返した。
 返事も相槌もせず、すたすたと先に行ってしまう。
「あ、待ってって」
 慌てて貴希は追いかけてた。幸いにして走っているわけではないので追いつくのは簡単だった。これが走っていかれていたら、多分追いつけないだろう。何気に千鶴は足が速い。恐らく短距離だと貴希は負ける。
「……千鶴」
「――なに?」
 何故か鋭く睨まれたが、気にせず貴希は言う。
「やっぱり、駄目?」
「……ああ言う手合いはね」
 貴希が訊ねたのは穂波のことだった。
 貴希の――正確に言えば千鶴の周りにはいないタイプである穂波を千鶴は苦手としていた。積極的で、快活な性格は千鶴にとってあまり良い感情を起こさない。
 小学校時代に受けた「虐め」を率先していたのはそう言う性格をした学友だったのだ。本能的な部分で苦手としていた。
「でも、話して解ったけれど、彼女はまだ子供ね」
「俺達もまだ子供だけど」
「精神的な意味よ。幼少時代と、小学時代と、中学時代、高校時代、大学時代は全部違う精神よ。彼女はまだ、小学時代ね」
 朗々と語る千鶴を見て、貴希は内心で安心していた。どうやら、彼女に暗い影は落ちていないようだ。そして、こうした説明を聞くのは貴希の楽しみの一つでもある。貴希は興味深く聞く体勢を取った。
「どう言うことなのかな?」
 貴希が促すと千鶴はこくりと頷いて語り始めた。
「幼少時代は、小学時代の性別や年上年下といったカテゴリーがあまりない時代ね。人を見た目だけで判断する。同じ年代の子供は全て平等に近いわ。保母さんなんかは別次元の存在として捉えてるから、カテゴリー外と言うことになる。
 小学時代は社会というものを少し自覚して、『先生』や『大人』と言う存在を知る時代。このころから、『異性』と言う認識も出来てきて、男女間でのコミュニティが一時的に遠のく」
「質問、コミュニティって何?」
「人が関わり合う状況よ。私と貴希と恵理と秋山君と藤堂君は一つのコミュニティと捉えられるわ」
「つまり、友達関係ってこと?」
「そうね。あるいはさっきも言ったように女子だけの連絡網があったりするようなそう言った関係よ」
 なるほどと貴希は頷いた。
「続けて」
 千鶴が頷いて先を進める。
「世間を自覚し始めて、それなりに異性のことを理解してくると、たまに現れるのが恋愛を知ろうとする衝動ね。『恋に恋する』現象がこれ。そして、大抵この想いを抱くのは女子に多いわ。対象になるのは同学年ではなく、それ以上の存在――つまり、『先生』、または『先輩』と言うことになる」
「…………」
 なんとなく話のオチが見えてきて、貴希は疲れた顔をしてくるが、千鶴は頓着せずに先を話す。
「同学年の男子は精神的な成長が遅いから、より成長している年上、あるいは成熟している男性を求める。これらの大体は小さな頃の気の迷いとして吹っ切れる代物よ。ただ……」
「――ただ?」
 千鶴は一息吐いて、言った。
「そう言う感覚から脱却できずに歳を重ねる人間と言うのが必ず存在するわ。こう言う存在は下手に世間を知ってしまってるから、自分が理想と思う男性を見つけるまで諦めない場合と、付き合ってみて現実とのギャップに不満を持って、男性に色々な要求をしてしまう場合がある」
 俗に言う『うざったい女』である。
「厄介なのは、その前に付き合っていた男性を引き合いに出したり、男とはこう言うものだと押し付ける。男性はあれこれと女性に言われるのは好かないから、結局破局する。その卵が細川さんね」
「うわぁ」
「理想論や固定観念を押し付けて、その通りにしてくれないと不満を爆発させる。これが進むと、自分の思い通りにならないだけで爆発するような人種になるわ」
「……あまり知り合いたくない人達だね」
「引っ越してくる前の所はそう言うのがいたわ。規定の枠でものを考えるから、私のような容姿を許容することが出来ずに、結果徒党を組んで……と言うことになる」
 千鶴は重い溜息を吐いた。思い出したくないことを思い出しつつあるからだ。
「細川さんはそう言った人たちになり得る素質があるわ。今後の成長次第で変われるけど、変われるのは大人になる前。そうね、高校時代まででしょうね」
「って、あんまり時間がないね」
「半分手遅れでもあるのよ。中学生って倫理観と価値観の基礎が固まる時期だから」
 ふーんと貴希は気のない返事をした。そう言われても、全く実感がないのだから仕方がない。
「結論を話しましょう。小学時代を引きずったまま中学時代の知識を身につけてしまった細川さんを子供と言ったのは、こう言った自分勝手な価値観と固定観念、後は理想論を押し付けているところね。貴希が本気を出せば優勝できるって、本気で信じてるわよ? そう言うことを盲目的に信じてしまうところや、『先輩』と言う存在を信頼しきってしまう部分は小学時代のもの。だから、未だ彼女は『子供』の域を脱していないのよ」
「だから、俺達も子供……」
「自分が所属する精神時代より下の精神を引きずってる時点で子供よ。要するに世間を知らないってこと」
「長々と話した割には陳腐な答えに行き着いたね」
 結局はそう言うことであるらしい。ならさっさとそういってしまえば良いのではと貴希は思った。
 しかし、千鶴はしれっとした顔でこう言った。
「説明って楽しいのよね」
「一種の趣味だよね」
「否定しないわ」
 これまたしれっと答えた千鶴だった。






 あとがき
 うーむ、千鶴って説明おばさん(戦艦専属医者兼科学者)っぽくなってしまった。まあ、聡い人なんですよ千鶴は。
 あと、作中にある小学時代だとか中学時代は作者の独断と偏見であり、全く学がない人間が言った戯言なので気にしない方向で。でも、ある程度実体験も含めてるし、判断のところとしては微妙な感じですが。
 で、次に夏の大会編ですかね。