第一会議室。通称、ブリーフィングルーム。
 僅か二十畳ほどの広さを持つ部屋だ。三つある会議室の中で、ここが一番広い。六課の課員はそれほど多くはない。ましてや、機動部隊の主だった人間が少な いのである。事務員や連絡員など、直接現場に関わらない人間は会議で決定した事を通達される事はあっても、会議には参加しない。言葉は悪いが、下っ端まで 会議に参加させても意味がないのである。会議――相談と言うものは少人数過ぎても、大人数過ぎてもいい結果を生む事はないのだ。多すぎす少なすぎず、かつ 的確な助言や考えを描ける人物が集まって話し合いを設けることこそが正しい姿なのである。
 さて、そんな定義をされている会議に参加するのは、課長である八神はやてとその補佐であるグリフィス、技術担当からシャリオ・フィニーノ、各分隊の分隊 長と副隊長だ。ただし、現在ルーキーの訓練を行っている高町なのははこの場にいない。変わりにスターズ分隊副隊長のヴィータが出席している。そして、もう 一つ空席がある。

「……? 恭也さんは?」

 この会議に招集をかけたフェイト・T・ハラオウンはグリフィスに確認を取った。召集するように指示を出したのはシャリオだが、皆に連絡を入れてもらったのはグリフィスなのである。

「連絡は入れたんですが、あの人の場合、色んな都合で連絡事項を後回しにするのでリイン曹長に直接連れてきてもらうように言いました」
「てー事はもうすぐ来るわな」

 そこに廊下から何か言い争いのような会話と言うか、怒鳴り声が聞こえてきた。

 ――相変わらず、場の空気を読む人やで。

 その声の主達にいち早く気付いたはやては感心したように笑みを浮かべる。笑いの基本を疎かにしないその姿勢、やはりあなたは自分の師匠だ、と。

『ほら、お爺さん! しっかり歩いてください!』
『なら髪を引っ張るのは止めろ!! と言うか、海老反りにさせといてまともに歩ける訳ないだろ!!』
『お爺さんならどんな体勢でも起き上がるってシグナムが言ってました』
『現在進行形でバランス崩され続けるのとは話が違う!!』
『? 良く解りません』
『あーそーだろーよ!!』

 自然と会議室にいた人間がシグナムに視線を向ける。が、視線の焦点であるシグナムは、特に気にした様子もなく、のほほんと湯のみを啜っていた。
 そして扉が開く。入ってきたの確かにリインフォースU曹長と高町恭也分隊長だったのだが、リインは恭也の旋毛辺りの髪の毛を掴んでの入場であり、恭也に至っては後頭部からの入場である。

「ぶっ」

 思わず含み笑いをしたはやてを誰が責められようか。大なり小なり皆同じように顔を緩めているのだし。

「はや……オホン、八神部隊長、高町分隊長を連行してきましたー!」
「ぬおっ!!」

 挨拶の敬礼を元気一杯にするリインフォースU。だが、彼女は恭也の髪を掴んでいた。しかし、敬礼は右手を額に、左腕を体の側面にぴっちりとつける姿勢をする。当然、掴んでいた髪の毛を放す事になる。
 ここで一つの事実がある。恭也はリインフォースUに引っ張られてきた。人間としてまともに扱ってもらえていないような引っ張られ方をされ、それでも何と か倒れずにここまで来た。その間、彼が倒れまいと努力し続け、その努力を支えた一つに、リインフォースUの支えがあった。ありていに言えば、リインが髪を 掴み続けてくれたからこそ姿勢を維持できていたのだ。
 その支点が突然なくなった。ならば、恭也の体は自重に従い、落ち行くのみ、なのだが、

「ぉぉぉぉぉぉぉっ」

 耐えていた。10年以上前の映画で話題になった姿勢を再現していた。あれはワイヤーで吊っていたし、映画だから多少の加工が出来たが、こっちは正真正銘生身の一発撮り。滅多に見られる光景ではない。
 面々は恭也のその姿勢に生唾を飲み込む。そして念じる。

 立て! 立つんだ、恭也!!

 その念が届いたのか、恭也の上半身が少しずつ浮いていく。いつの間にか握っていた右手が汗でぬかるむのを自覚する。行け、そのままっ、と強く祈ったその時、

「――――無理」

 どさ、とやる気無げに、恭也は床に倒れた。

「って、終わりかい!! もっとこう熱血してみいひんの!?」
「無茶言うな。ここに来るまであの体勢を強いられて腿と脹脛ふくらはぎがやばい事になってるんだぞ!! もう少しでこむら返りするところだったんだぞ!!」

 ちなみに、少しだけ体が起き上がったのは、足が吊りそうだったのをもがいた結果である。

「知らんがな! 芸人を名乗るなら今のは美味し過ぎる振りやんか!! 何か一つ爆笑の渦を起こしや!!」
「体力的に無理だ! そもそも、最初の連れてこられるところから見られてるんなら何がしかやっても良かったが、いきなり一番きついところしか見てもらえないのでは笑いを起こすには引っ張りが足りん!!」
「あの、そう言う事を今ここで言い争わないでもらえませんか」
「つかよ、コムラガエリってなんだ?」
「ああ、それはだな」
「お茶、入れてきますね」
「緑茶で」
「あ、私ウーロン茶なー」
「リインはレモネードがいいですー」

 出だしからしてグダグダだった。この面子、いや恭也が混じるだけで全てのペースが乱れる。こう言う話の場に彼を持ってくる事に、果たしてメリットはあるのだろうか。窓越しに穏やかな海を眺めながらフェイトはちょっとだけ黄昏た。

「――えー、それでは会議を始めたいと思います」

 心の全てに決着を着けたフェイトは気を改めて場を仕切る事にした。何事も、切り替えは大事なのである。

「今回の議題は、ガジェットドローンに関して新たな事実が判明した事です」

 心持ち、場の空気が硬くなる。その中、フェイトは端末を操作し、スクリーンにガジェットの内部回路が映っている画像を呼び出し、二点を指し示した。

「この画像、で注目するべきところは二つあります。一つはこの宝石体――ジュエルシードです」

 画像中央付近に鎮座する、深い紫を有する宝石。ダイヤなどのようにカッティングされていないそれは、緩い曲面を描いていた。形はひし形に近い。大きさは比較対象がないので判断が付かないが、ああして回路に直接はめ込んでいる辺り、そんなに大きなものではないだろう。
 そのジュエルシードを映すモニターの横に小さいウィンドウが現れる。ジュエルシードの詳細を綴ったものだ。それを横目に見つつ、各々はフェイトの話に耳を傾けた。

「詳細はそちらで確認してもらうとして、このジュエルシードの特性を掻い摘んで説明します」

 そう前置きをして、フェイトは何かを思い出すかのように一旦間をおいた。

「――ロストロギア、ジュエルシード。これは人の願いや思いを叶えたり、または記憶を甦らせたりするものです。その力は一つでも強く、大抵の願いならば叶えられる事が出来るでしょう。また、複数集めれば、より広い範囲の願いを叶える事が出来るものです」
「……質問、ええかな?」
「なにかな、はやて」

 話の途中、はやてはある疑問が浮かんだ。それは、このジュエルシードが何故ガジェットに組み込まれていたのかだ。

「聞くに、人の思いとかを叶えるものなんやろ? なんで機械に使てるのかな?」
「ジュエルシードには、それ自体に一定の魔力が宿っているの。その魔力で人の願いを叶えるんだ。勿論、魔導師が使うなら、自分の魔力と合わせてより確実に願いを叶える事が出来る」
「追加の質問、してもいいか?」

 今度はシグナムが手を挙げた。フェイトは視線と首肯で許可を出す。

「今、『より確実に』と言っていたが、ジュエルシードが望みを叶える精度はどの程度なのだ?」
「……言ってしまえば、何も叶わなかったわ」
「どう言う意味だ?」

 そして、何故過去形で言ったのか。全員に疑問が浮かぶ。

「ジュエルシードは、昔、私となのはで奪い合いをしていたの。私は母の為に、なのははジュエルシードを発見したユーノに協力してね」
「ほう、何かあったと思っていたが、そう言う間柄か、君たちは」

 恭也は、なのはとフェイトにどう言う事があったのか知らなかった。二人が関わっていた事件がある事は知っていたが、その事件の内容自体にロックがかけて あり、階級が低い恭也は中身を閲覧する事が出来なかったのだ。だからこその揶揄だった。その物言いは良い気分にさせるものではない。その事をシャリオは注 意しようとしたが、恭也の表情がいつになく堅かったのを見つけて、躊躇った。彼がそこまで感情を見せるのは非常に珍しいのだ。
 恭也は過去を少しだけ思い出していた。フェイトとなのはが昔は敵同士だった。そして、和解し、今は親友となっている。立場や関係は違うが、恭也と彼の叔 母である美沙斗もまた敵同士だった。爆弾を抱えて飛ぶ前、少しだけ美沙斗がこちらに歩み寄ってくれた気がしたのを今の言葉で想起したのだ。もう遠い記憶 で、細かい状況や言葉を忘れてしまっているが、その部分だけ思い起こされた。
 あの後、彼女は、フィアッセはどうなったのだろうか。詮無い事を考えていると自覚して、恭也は思考を閉じた。

「ジュエルシードは、扱い難い代物です。人の思いは、人では制御できません。人であるが故に、感情を制御しきる事は出来ない。そして、人の願いを叶えるジュエルシードは、ほぼ必ず暴走します」
「でも、それを機械で制御して力を使ってるってことなのか」

 ヴィータのまとめに、フェイトは頷く。そう、あまり高い力を望めないとは言え、ジュエルシードが持つ魔力そのものは魅力的なものだ。機械で制御できるのならば、人が使って暴走するよりもコストも被害も最小限になる。

「ジュエルシードを制御する技術は確かに脅威です。ですが、それ以前に、本局に保管していたこれがガジェットから発見されたと言う事実があります」
「内通者だな」

 シグナムが確信を篭めて言った。その言葉の意味に、グリフィスは若干取り乱したように否定する。

「そんなっ。仮にも本局の、それも最重要封印施設に安置されていたものですよ!?」
「むしろそう言うところに入れる事に腐心するんだよこう言う輩は」

 そんなグリフィスを宥めるように恭也は溜息混じりに言う。

「俺は過去に幾度か護衛の仕事をした事があった。護衛対象は要人であったり、貴重品であったりしたな。その中で、一番やられたくないのが、要人の近しい人 間に化けられる事だ。襲い掛かってくるなら振り払える。だが、傍に忍び込まれると、気付くのが容易じゃなくなる。他に厄介なことと言えば、要人の家族や近 しい人間に裏切り者がいる場合だ。いいか? 何かを守る場合、守りたい物に自分たちが気付かない間に敵が近づく事は、筆舌に尽くしがたい屈辱だ。そんな隙 を晒した時点で負けとも言える。要はな、グリフィス。こう言うロストロギアを盗み出されてる時点で、相手は相当巨大な組織力を持っていると考えられるって 事だ」
「そんな……」
「買収したのかどうかは知らないがな。もう一つの可能性として、こう言うところに侵入できる能力や技術があるのかもな。転送魔法なんてのがあるんだ、たと えその区域がブロックされてたとしても傍にまではこれるだろ。なんにしても、相手にするのなら、あらゆる非常識を考慮しておかなきゃならない」
「敵さんが不死身とかやんな」
「それはあまりにも非常識すぎませんか……」
「存外そーでもないんけどね」

 そんなはやての言葉に、シグナムとヴィータは押し黙った。フェイトも少々複雑な顔をしている。全く気にしていないのは恭也とはやての二人だけだ。そんな彼らの様子に首を傾げるグリフィスだが、その疑問は忘れる事にした。

「……今は状況証拠だけです。本局にかけあって調べなければなりません」
「うん、だから一足先にハラオウン提督に調査を依頼しておいたよ。それで何か出てくれば、尻尾を掴めればいいんだけど」
「内通者探しは俺達の仕事じゃない。そう言うのは気長に待つしかないな」

 そうだ。こちらはこちらで事件を抱えている身だ。そして人手も足りていない。素直に調査隊の報告を待つしか出来ないのだ。

「――んで? なんか、もう一つあるんだよな?」

 沈黙が降りるのを嫌って、ヴィータは話題を変えた。彼女にしたらしんみりする空気は最も苦手なのだ。

「あ、うん。今回のレリック事件の犯人らしき人物が特定できそうなの」
「できそう? どう言う事だよ?」
「さっきの画像の右上にプレートがあるでしょ? こっちがそれを引き伸ばしたものなんだけど……」
「ジェイル……スカリエッティ。これって、あのスカリエッティかいな?」
「うん、そう。生体科学、生体機械化学に精通した科学者。超広域指名手配を受けている男よ」

 フェイトが再び端末を操作する。今まで映っていたウィンドウが消え、新たに複数のウィンドウが現れた。その中の二つは、白衣を着た男の画像だ。顔のアップと全身像があった。それを見て恭也はぼそりと呟いた。

「嫌な顔だ」

 写真だかなんだか知らないが、気に食わない顔つきをしている。これは恭也の直感的なものだが、いくつもの犯罪者の顔を見てきた彼が抱いた感想はあながち間違っていない。

「今はまだ断定できていませんが、この男の名前が出てくるとしたら可能性は二つ。ブラフか、挑発か。そのどちらかだと思います」
「この男が犯人だった場合、捕まえるのは容易じゃなくなる。これだけの犯罪履歴をもちながら一度も逮捕歴がない。よほど、用心深い人間のようだな」

 剣の騎士は厳しい顔つきで、スカリエッティの情報を流し読んでいた。性格や習性が多少ボケて書かれている。恐らくは一度として逮捕できなかった故にだろ う。人間性が解らないからこそ、人物像がぶれてしまう。そして、その小さなぶれが彼を逮捕できない致命的な隙になっているのだろう。

「ええ。こちらも彼が犯人と言う事を考慮して捜査の範囲を広げます。この男相手に受身の姿勢は拙すぎる」
「ん、そう言う事なら了解や。各自肝に銘じとくように」
『了解』

 それぞれの返事を聞き届けて、フェイトは会議の終了を宣言した。






















Dual World StrikerS

Episode 04 「騎士」
From "Lyrical Nanoha StrikerS" (C) 2007
Presented by 大岩咲美 [TRASH BOX type2]





















 それから数日。六課は通常の業務を続けていた。捜査は特に進展していないらしい。逃げる事に定評があるスカリエッティの痕跡を探すのだけでも一苦労だそうで、フェイトを隊舎で見かける事がない。

「方々飛び回っているしな」

 暇を持て余している自分が申し訳ない。かと言って彼女の変わりなど出来ようはずもないので、これは完全に被害妄想と言うか、後ろめたい気持ちを持て余しているに過ぎない。まあ、そんな自分にも久々に任務を言い渡されたのだから、若干肩の荷が下がる思いである。
 恭也は隊舎を後にし、訓練場に向かっていた。海上に浮かぶ訓練場。今日のフィールドは廃棄都市のようだ。室内戦か、市街地戦かは聞き及んでいないが、な のはがどういう訓練をしているのかは興味がある。今までは用もなかったし、教導官でもない自分がしゃしゃり出る場面ではないと思っていたので足を向けな かったのだが、口実があれば見てみたいとは思っていたのだ。
 訓練場に入って、恭也は手近に感じる気配の元へと向かった。道々歩いていると、二つの人影を見つける。なのはとティアナだ。どうやら射撃訓練の最中らしい。

「体勢は極力変えない。標的は目で追わないで完璧な予測を立てた先を撃つんだよ」
「はいっ!」

 前後左右八方向からの乱数射撃。どれを最初に迎撃し、どれをやり過ごすのか。全ての情報を一瞬で読み取り、先を予測しつくす訓練のようだ。似たような事 はどの武術でもやる。多人数を相手にする場合などはそのままこれである。誰が攻めてくるのか、タイミングは、速度は、どのように攻撃するか。全てを瞬間的 に判断し、それに応じて最速で最適な行動を選び取る。
 残念ながら、恭也はその手の訓練をあまりやってこれなかった。多人数を相手取る事を信条とする御神流を修めているが、御神の剣士はたった三人しかいな かった。しかも、一人は成長途中で、一人は体に故障を抱え、一人は復讐に走っていた。これでは、集団戦を経験するにもできなかった。無論、御神流の鍛錬法 の根本にそう言う意識が入っている事は認める。が、ほぼ自己流で鍛えてきた恭也はやはり多人数での乱戦に対する技能が若干低いのではないかと思わざるを得 ない。それでも彼が集団戦を卒なくこなせるのは学生時代の全国を行脚した武者修行時代と大学時代に始めていた護衛の仕事での経験があるからだ。三〇二分隊 に配属されてからもチーム戦による集団戦法を訓練したのだが、所詮魔導師と剣士。動きが全く噛み合わず、結局経験値を稼げなかったのだ。
 それでも自分なりに集団戦に対する訓練はし続けた。その訓練法が今のティアナと似たような形式だったのだ。だから、ティアナがやっている訓練に少々共感を覚えたのである。

「ラストォ!!」

 頭上に急降下してくる青色の魔力球を撃ち抜き、ティアナはなのはを睨むような勢いで見た。あれに台詞を当てるとすれば、「どうだコノヤロウ」と言ったところか。

「……うん、まあまあかな。あと一分は縮められるね」
「ぐは」

 ティアナの眼光に、なのはは特に反応らしいものを見せず、あまつさえ訓練結果に辛口なコメントを残した。

「まだ無駄が多いって事だよ。何度も無理な体勢でリカバリーしてたの、自覚あるでしょ?」
「う、そうです」
「無理はしないんだよ、後衛は。前衛が砲撃や射撃の邪魔になってるなら、はっきり邪魔って言っちゃって良いんだから。仲間を撃つくらいなら、退いてもらった方がいいもの」
「そ、それは極論過ぎませんか?」
「極論だけど、必要ならそう言うことも出来ないと駄目って事。精密さと慎重さは当然必要だけど、時には大胆さが必要になるからね」
「覚えておきます」
「うん。あと、そこの人、いつまで見てるのかな?」
「え?」

 ティアナが慌てて振り向けば、いつの間にいたのか第三分隊の隊長がそこに立っていた。

「ん? 一区切り付いたのか?」
「見てたんだから解るでしょ」
「いや、この後も休まずやるのかとばっかり」
「お兄ちゃんと同じ感覚で考えないで欲しいなぁ」

 十時間ほど戦い続けられる人間はもう人間辞めてると、なのはは思います。そんな可愛い風に文句を言うなのはであるが、彼女から直接訓練を受けているティアナにすればどっちもどっちのないようだと思っている。この二人、絶対人を扱く事が得意だ。

「それで、何か用があって来たんだよね?」

 滅多に訓練場に顔を出さない恭也が足を運んだとなればよっぽどの事情だろう。不謹慎ながら、なのははその事情とやらが凄く気になった。

「ああ、ヴィータ嬢を探してるんだが、どこにいる?」
「ヴィータちゃん? それだったら、北地区でエリオ達と演習してるよ?」
「地図もらえるか?」
「はいこれ」

 なのはは恭也の携帯端末に今日の演習場の見取り図を送信した。拙い手つきでデータを呼び出し、何度か頷いて確認を取っている。

「ヴィータちゃんになんの用事なの?」
「ああ、任務だ。俺とヴィータ嬢にシグナムで先行して警戒任務に当たるんだと」
「任務地は?」
「アグ……アグリスタ、じゃなくて、アグリアス、は剣士で、そうそう、アグスタだ」
「偉く出てくるのに時間かかったね。あとアグリアスさんって人と知り合いなの?」
「まあ、任務で少々」
「ふーん?」

 ちなみに、アグリアスとは聖王教会所属の騎士である。ベルカ領に潜んでいたテロリストを撲滅するため三〇二の面子が戦ってたら首を突っ込んできたのであ る。微妙に宗教思想の強い人間らしく、「ベルカの理を汚す悪鬼どもめ!!」と叫びながら騎士剣を振り回していたのだ。犯人グループを全員張り倒したとき、 彼女は「人の夢と書いて儚い……何か物悲しいわね」と訳の解らない事を呟いて帰ってしまった。今でもスパイクフォースでは語り草になる人物である。
 まあ、そんな事はどうでもよく。

「任務もさっき聞かされたばっかりでな。書類だってまだ斜め読みしか出来てない。だってのに、出発は二時間後と来てる」
「そんなに急なんですか?」

 今までの六課ののんびりとした空気からかけ離れた事態に、ティアナは少し戸惑っている様子だった。恭也にしてみても、そう思う。

「課長が言うには飛び込みの仕事なんだとさ。本来なら他の部隊の方にお鉢が回るんだが、事情が事情だけにウチが優先されたらしい」
「と言う事はレリック絡みですね?」
「正確に言うなら、ガジェット対策だろう。今のところ専門的にあの機械と事を構えてるのはウチの部隊だけらしいからな」
「そう言うことなら急いだ方が良いね。ヴィータちゃん呼ぶよ」
「まあそこまで急ぐほど余裕がないわけじゃない。俺もあっちの連中がなにやってるのか見たいんで、連絡は入れないでいい」
「そうなの? お兄ちゃんがそう言うならそうするけど……」

 妙に楽しみにしてそうなので、なのはは通信を控える事にした。素直に表情を表に出す恭也が珍しかったからだ。ちなみに、ティアナには全く顔も雰囲気も変わっているようには見えていない。

「あ、そうだ。さっきの見てたならなにかアドバイスとか意見とかないかな?」
「へ? あ、あのなのはさん!?」
「別に何もないが」
「ないのかよ!!」

 ちょっと期待したアタシ駄目ジャン!!

「お前、完全無欠に近距離肉弾戦特化の俺に、後方支援射撃特化のランスターに何か意見が言えると思ってるのか? 精々、背中に当てないでくれと頼むしかないと言うに」

 確かにお門違いだった。期待する方がおかしいのである。なのはさんも無茶な事を訊ねるなぁと疲れた溜息を吐いたティアナに、恭也はさも有りなんと肩を竦めて言う。

「――足場に安定感がないな。体勢を固定できないから射線がぶれる。屈むんであれば膝を付いた方が良いぞ。いっそ座り込むのも有りか。二丁使いなら対角線と頭上に気を配らないと痛い目を見るぞ」
「アドバイス言えてますよねっ!!」
「古い友人に同じスタイルの奴がいてな。あいつの攻めはえげつなかったぞ」

 既に火器で攻めて来る時点で反則だった。プラス、こっちの攻めに反応できるようになってしまったので、完全に手に負えない存在にしてしまった。手榴弾と フラッシュグレネードのコンボは正直教えなくていいコンボだったとかなり後悔してる。そんな自分の失態を悟った瞬間、逃げ出した恭也を誰が責められよう か。いや、責任は完璧に彼にしかないのだが。

「いつの間にか暗器推奨外道技推奨主義になってしまった。さすがの俺もかなり後悔してる」
「とんでもない化け物作りましたね……」

 卑劣な言動に定評と言うか最早固定評のある高町恭也をして、そこまで言わせる仕上がり具合ですか。二丁拳銃使いとしてちょっと見てみたいなぁと思ったり。

「機会があればな。じゃあ、俺は行くから。怪我のないようにな」
「気をつけるよ」
「了解です」

 森の中へと消えていく恭也を見送って、ティアナは思う。高町恭也と言う人間は本当に侮れない人間なんだと。門外漢のはずの射撃に関して一言持っていた り、魔力量が最低限しかないのに、格上と戦え、状況次第では勝利をもぎ取ってしまう。その存在、あり方、力に、ティアナ・ランスターは嫉妬している。

「負けない。負けてやるもんか……」

 そう口にして、少女は幼い相棒を握り、気合を充填した。

「なのはさんっ、続きお願いしますっ!!」
「え? あ、うん。解ったよ」

 何故か燃え上がってるティアナに若干面食らいつつも、休憩は十分取ったし大丈夫かなとなのはは判断して訓練を再開させた。この時、ティアナの目が何を見ていたのか、なのはは察せなかった。これが、後々厄介な問題を産む原因になるのだった。

〜・〜

「――事情は解らないでもないけど、俺が出る理由があるとは思えないな」

 一通りの話を聞いて、男は自分が今回の事で協力を頼まれるほどのことではないと判断した。毎回のような戦力と、今回はあの二人がいる。なら自分の出る幕はどこにもない。

「君はあの二人の補佐だよ。どちらかと言えば、今回はルーテシアの召喚蟲による物品の検索が主な計画さ。まあ、ほぼレリックがある事は解ってるんだけどね」
「確証があっての事なのか?」
「まあね。ガジェットがそこに反応を示しているのもそうだし、別ルートからレリックが運び込まれたと言う情報も入手している。確認もしてるから間違いないよ」
「だったら静かに運び出せば良いだろうに。あんたならレプリカを造るくらい訳ないだろう」

 技術面で不可能ではないはずだ。偽物と判った時には、こっちはもう逃げ切っているはずなのだから。

「それは考えたよ? でも、そろそろ本腰を入れて計画に取りかかるんだ。その障害になりそうな機動六課と直接顔を合わせておくのは、有意義なことじゃないかな?」
「…………」

 古代遺失物管理部機動六課。それが彼らの敵だった。今後衝突するであろう敵を早くから知っておく事は確かに後々有利に働くかもしれない。だが、自ら出向くと言う事は、双方が存在を知ると言う事だ。今はまだその時ではないと思う。
 いや、もうその時なのか。目の前の男が本格的に動くと明言した。なら、今までのようなある種怠惰的な雰囲気はなくなるだろう。すなわち、終わりが近い事になる。

「彼女の様子だがね」
「――――っ」

 その言葉に反射的に、反応した。

「ああ、別に容態が悪化した訳じゃない。むしろ順調。快復に向かっているよ。でも目覚めるにはもう少し時間がかかるだろうって話だよ。体細胞の復元はほぼ 出来たんだけど、起きるだけの体力がないんだ。それを取り戻せるのに、目算で二ヶ月か、それ以上かかると思ってる。まあ、どんなに長くなっても四ヶ月以内 には目が覚めるよ。それは僕が保証するよ」
「……そうか」

 早ければ二ヵ月後。遅くとも四ヵ月後には彼女が目覚める。待ち望んだその瞬間が目の前まで来ていた。
 そして彼は、一つの事実に気付く。彼女が目覚めるその時期。それはこの男が口にする計画の最終段階が開始される時期だと言う事に。
 そこに至ったのを見透かしたのか、白衣の男は慌てたように否定した。

「おっと、早合点はやめてくれたまえよ。彼女の快復時期とこちらの計画が重なったのは偶然さ。本当にね。この偶然性は運命なのかな、それとも皮肉なのかな。皮肉だとすれば誰に対してなのか……いいや、これは僕が考えることじゃないね」
「……なんにせよ、俺はあんたに最後まで付き合う事になったのか」
「ま、そうなるね」

 悪びれず、彼は嘯いた。その態度に強く拳を握り締める。痛みでもなければ堪えきれなかったのだ。今すぐに殴りたいと言う衝動を。

「解った。あいつの事を頼むなら、その分だけ働けって事で良いんだな?」
「そこまで悪辣に考えちゃいないさ。でも、今までよりも協力的になってくれるとこっちも助かるね」

 ぬけぬけと言ってくれるっ。
 頼れる人間がお前でなければと何度思ったことか。

「準備をしてくる。転送の用意をしておいてくれ」
「うん、承ったよ」

 軽妙に答えてみせる男に、胸の苛立ちを払うように立ち上がる。一秒でも顔を見ていたくないとその背中が語っていた。薄暗い廊下へと消えていく甲冑の騎士が姿を消したのを見計らったウーノは懸念事項をあげた。

「いいのですか? あそこまで快復してしまえば、あとは養生のみの段階です。彼女を連れ立って管理局に逃げ込む可能性もありますが」
「ウーノ、大事な事が抜けているね。彼がそんな愚行を起こす気なんて100%ないよ。うん、僕はそう言い切れるね」
「ドクター、あれは理論さえあやふやなものです。それは彼も承知のはず。不安が残るものを無理矢理に使うよりも、時間を置いてでも確実な道を選ぶのが利口です」
「時間があれば誰だって出来るさ。問題はその時間がどのくらいかかるかと言う事と、大事なピースが手元にあるかと言う事さ。残念ながらどちらも管理局は持ち合わせていない。あっちで同じものを作るなら数百年単位の時間が要るからねぇ」
「……彼に残されている道は私達に従う事のみですか」

 得心がいったウーノはそれ以降何も口にしなかった。中断していたガジェットの生産状況の確認と、資材搬入の手続きを進めていく。それを眺めながら、ソファーに身を投げ出してジェイル・スカリエッティは想像する。

「選ぶ道が最初から用意されている事の虚しさ、か」

 果たしてそれは道と呼べるのか。歩けと言われてただ歩くだけしか出来ない芝居は人々を感動させるのだろうか。

「それは演者次第かな。僕は大根役者にだけはなりたくないねぇ」

 彼がどう思っているのかは知らないがね。
 喉を鳴らせて愉快気に知識の探求者は笑うのだった。

〜・〜

 クラナガン南東に位置する自然再現区。その一画、周囲の木々に埋もれる間際の建物がある。アグスタ。外世界からの重鎮から一般市民までが利用する間口の 広いホテルである。擬似的に再現した自然環境の中にある事で、心身のリフレッシュ目的の観光客や旅行客に人気の高いホテルだ。
 また、比較的都市部に近いこともあり、何かしらの催し物の会場に使われることもある。そして今回、このホテルの講堂を使い、オークションが開催される事 になった。扱う品物は美術品を含めて百数点。三日に渡って開かれるこのオークションは、各界の著名人が集まる重要なイベントとなっている。
 その外交的要所となったアグスタに向かう機動ヘリが一機ある。側面には「Riot Force 6」のエンブレムが印されていた。機動六課の輸送ヘリだ。

「――ほんなら改めて、ここまでの流れと今日の任務のおさらいや」

 操縦桿を握るヴァイスは、後部から聞こえる課長の言葉を耳にする。それほど気を張っている訳ではないのに、ローターが空気を叩く音に邪魔されず耳に届くのはある種才能なのだろうかと戯言が頭を掠める。

「これまで謎やったガジェット・ドローンの製作者とレリックの収集者、と思われる人物を見つけた」

 その言葉に、ルーキー達は少しだけ身を震わせる。いよいよ事が本格的に動き出したのだと肌で実感したからだ。
 はやては中空に犯人のプロフィールを表示させた。

「ジェイル・スカリエッティ。違法研究で広域指名手配されてる次元犯罪者。この男を中心に犯人を絞り込んでいく訳やな」
「その捜査は私、執務官の役目だけど、一応皆にも教えておくね。もしかしたら皆に意見を貰ったりすることもあるかもしれないから」

 はやての言葉に付け足したフェイトに、キャロは少しだけ弱った顔を見せる。意見を求められても、とんちんかんな事を言ってしまいそうだと想像したようだ。
 そして、事を深刻に受けすぎている人間が一人いた。スバルである。

「う゛ーん」

 腕を組んで、深刻に唸っている。決して頭の回転が悪いわけではないが、小難しい事を考える事が苦手な彼女にとって、この話は頭を悩ますくらいの問題らしい。

「まあ、スバル達は本格的な捜査をする訳じゃないからそこまで難しく考えなくてもいいよ。ただ、時間があったら調べものを手伝ってあげるとか、そう言うことでも良いからね」
「それ以前にコイツに頼むのは肉体労働だけで十分です」
「あ、ティアそれは酷いー」
「じゃあ反論できる要素が一つでもあるって言うの?」
「……ないです、一つもありません」
「よろしい」

 しょげ込むスバルに一同苦笑いを浮かべた。フォロー役のティアナにそこまで言われては、他の人間では何も言えないのである。

「――今日の任務は護衛の任務です」

 リインフォースUははやてが浮かべたウィンドウ表示を変え、今向かっている任務地の映像を映した。

「ホテル・アグスタ。骨董美術品のオークションが今日から三日間開催される場所です。護衛対象は取引される美術品と参加者の警護です」
「このオークションにはね、取引許可の出てるロストロギアが数点出展されてるの。中には魔力を内包してるものがあって、その反応にガジェットが集まってくるかもしれないって予測があって」
「私達が呼ばれたわけやな。でもまあ、若干急な話ではあるけどな」
「この手の大型オークションだと、密輸取引の隠れ蓑に使われることもあるから、ガジェットの事だけに気を取られちゃ駄目だよ」
『はい!』

 ガジェット対策に呼ばれたのも事実だが、管理局の大本の使命とは人々を守り、次元世界の安定を図る事だ。それを忘れてはいけない。

「現場には昨夜から高町分隊長、シグナム副隊長とヴィータ副隊長他数名の隊員が張ってくれてる」

 ちなみに、連れて行った先行部隊もまた新人を含んだものだ。彼らには護衛警護の経験豊富な恭也に現場指揮をしてもらっている。意外な事にこの命令に恭也 は難色を示さなかった。自分の出来る仕事に関しては何も言わないのだ。つくづく我侭である。まあ、実のところ、これにはある理由があるのだが、後ほど明ら かになるので割愛する。

「私達は建物の中の警備に回るから、前線は高町隊長の指示に従ってね」
「と言うのは建前で、実際には副隊長たちが直接指示を出す思うからそのつもりで」
「……はやて、それはちょっとぶっちゃけすぎじゃ」
「恭也さんは一番前にいてもらうからなぁ。最前線でのフォローの方を期待しとるんや」
「ああ、それなら期待できそうだね。なんだかんだでお兄ちゃん面倒見いいし」

 上官たちが雑談モードに移行しつつあるのを皮切りにキャロは少しだけ居住まいを正した。いつの間にか力が入っていた背中を少しだけ丸める。まだ彼女は実 働二回目だ。任務時の緊張に対して慣れがない。リラックスの仕方を確立していないので、余計に気疲れしてしまう。少しでも気を紛らわせようと何気なくヘリ の室内を見渡して、今回同行しているシャマルの足元に目が向いた。

「あの、シャマル先生」
「――ふ、ふふ、ようやっと生身で出番がっ。間二話とは言え、実際に顔出せたのは二ヶ月ちょっと! ついに私の本格的な活躍がっ!!」
「あのー?」
「キャロ、気にしたらあかんよ。最近自分の存在感についてかなーり悩んどったから」
「しかるに!! これを起点として、恭也さんとの仲も進展すると言う事に」
『ならないならない』
「全員否定!?」

 ヘリの乗員全員が異口同音に否定していた。それほどまでに彼女には望みがないと思われているらしい。

「大体男の趣味悪いんとちゃう? あそこまで好きな事以外適当に投げ出す人の何処がええんや?」
「そ・れ・は、私を優しく抱きしめてくれた事です!!」
「あかん、そんな出来事が起こる未来なんてどこ探しても見つからなかったわ」
「1秒フラットで否定しましたねはやてちゃん!」
「だってなぁ、どの場面思い出しても、シャマルがソファーにダイブしてるところしか思い出せへんし」
「はぐっ!?」
「そう言えば、この前は医務室のベッドに飛び込んでましたね、シャマルさん」
「ええええええええええええ!? なのはちゃん見てたの!?」
「とりあえずヴァイス君に話しておきましたー」
「それってもう六課全体に広がってるって事じゃない!!」
「あ、酷ぇよシャマルさん! 俺だって広げるネタは厳選するんですよ!!」
「厳選されて広められないネタなの私!?」
「マンネリって言うんだっけ? なのは」
「そうそう」
「がはっ!!」

 最後のフェイトの一言が効いたのか、床に倒れこみちょろちょろと涙を流す白衣の女医。ああ、やはりあなたはネタ要員だった。

「えっと、私はただシャマル先生の足元にある箱が気になっただけなんだけど……」
「キャロ、ここじゃ自分の思い通りに事が運ぶなんて考えちゃ駄目なのよ」
「うぅ、頑張ります」

 常識人と凡人は目頭に涙を溜めて互いに支えあった。ここではあなただけが頼りなの、と。
 そんな二人を見ていて、エリオはふと気付いた。

「――あれ? 僕、いつの間にか非常識側にカテゴライズされてる!?」
「エリオー? この前シグナム副隊長に締め上げられて、ピンピンしてる時点で人間じゃないんだよー?」
「あれはただの誤解なんです、スバルさん!! シグナム副隊長が髪を下ろしてるなんて思わなかったんです!!」
「えー? 確信犯だって高町隊長が言ってたけど」
「大嘘です!!」

 完全無欠に作戦行動前の雰囲気じゃなかった。しかし、これが六課らしいと言える空気でもある。この喧騒は、ホテルに着くまで続き、各々の認識とか常識とか価値観とか印象がまた変わったのは言うまでもない。

〜・〜

 オークション開催は7時からだが、入場客はその三時間前から入ってくる。それは、このオークションそのものが目的ではない事を示している。俗に言うコネ 作りと言うものだ。今まで接した事のない相手に自分を売り込み、新たな利益を生む試金石にする。そして、顔が広いと言う事は財力を増やすきっかけを掴める 機会が増えると言う事だ。財界人によくある話だ。顔の広さは一つの力でもある。様々な人と架け橋を持っていればそれだけ頼られる機会が増え、それはそのま ま信用に繋がっていく。
 だから、ある意味メインイベントは会合であり、オークションはおまけの要素が強い。

「かといって、おまけでロストロギアの売買ってのもスケールが大きいものだな」

 入場者の顔と招待名簿に映る写真を見比べながら、恭也はそんな口を零した。

「目的の相違だろう、それは。競売目的の者もいれば、顔を広める為に足を運ぶ者だっている。お前の偏見は思想的に問題があるぞ」
「そうか? これでもこの類の催し物の警護はしたんだがな」
「ではその考えはお前の地か」
「いや……どちらかと言えば――」
「待て」
「なんだ」

 唐突に言葉を止められて、恭也は思わず振り返った。彼と同じく入場者に不審者がいないかチェックしていたシグナムは、気まずそうな表情を見せて、言う。

「それ以上はいい。それよりも仕事をしろ」
「それはそうだが……」
「職務中の私語は厳禁だ。特に今は任務中でもある。人前でだらけた姿を見せては六課の、ひいては主はやての悪評に繋がる」
「そこで管理局って出てこない辺りお前らしいが……」

 だからと言って、シグナムが言った事はあながち間違いでもない。確かに仕事中に私語が多いようでは本業が疎かになりやすい。
 そこまで考えて、恭也は内心眉を顰める。今のようなやり取りは散々やってきた事だ。命のかかった場面から、書類一枚書くときでも、二人の態度が変わった事はない。今更彼女からこの手の注意を受けるなど考えもしなかったのだ。

「まあ良いだろう。確かに余所見をしてたら見逃しそうではある」

 実働任務に関しては人よりも有能である恭也は、この程度の人数が走り回っても全員の顔を判別できるが、シグナムが話をするなと言うのなら従おうと思った。自分を止める彼女が余りに必死だったこともあるからだ。
 黙々と作業に戻る恭也にシグナムは臍を噛んだ。先ほどの会話は浅慮な自分が招いてしまった。明らかな失態だ。

(あいつに昔の事を話させるなんて……)

 最近はあまり表に出すこともなくなったが、彼が事ある度に昔を思い出し、懐かしみ、そして悲しんでいるのをシグナムは知っている。八神家の家人は誰もが 程度の差こそあれ実感している事実だ。年々その表情を見る事は少なくなった。特にここ二〜三年は全くなかったと言っていい。忘れたのか折り合いをつけたの か、それは定かではないが、態々蒸し返すような話題ではない。それを不用意に想起させてしまった自分に、シグナムは腹を立てた。

(あの顔は、よくない)

 恭也が警護の話をしようとした時、つまり過去を思い出した時の表情。無意識に寂しさを紛らわそうとしたのをシグナムは見てしまった。今のは恐らくは偶然 だったのだろう。表情を表に出すことのない恭也がほんの一瞬気を緩めた瞬間を垣間見てしまった。あの顔は、駄目だ。あんな弱い恭也ははやてには見せられな い。
 恐らく不自然に止めた事は恭也も気付いているはずだ。昔を思い出させたことを後悔するシグナムを気遣って、何も言ってこないのは彼なりの優しさだろう。つくづく、気を使わせっぱなしだ。

「……すまない」

 シグナムは言葉少なく、力なく呟いたのだった。

『あー、もしもしー?』

 少々重たい空気をかもし出した二人の間に入ったのははやての声だった。中空にはやての顔が映る。念話ではなく機械式の通信での呼びかけだった。

「主はやて……」
「ん? もう着くのか?」
『あと十五分でそっちにつくから出迎えよろしくー』
「了解です」

 いいきっかけをもらった。この機会に便乗するのは主に対して失礼だが、助かったと言う事実を優先させてもらおう。

「恭也、現場責任者として出迎えに行ってこい」
「……現場責任者? 俺が? お前じゃなかったのか?」
「私は副隊長であり、お前は隊長だろ」
「お前な、階級が――否定するのも面倒になってきたな。まあいい、出迎えくらいで愚痴を言うのも格好悪いか」

 その物言いが既に愚痴なのだが。それはそれとして、段々恭也自身も現状に慣れ出しているらしい。このまま洗脳し続ければ、「もう隊長でいいや」と考えるようになるだろう。流石は我が主。その深慮権謀、感服いたします。

「じゃあ、後は任せた」
「ああ。しっかり出迎えて来い」

 シグナムの送り出しに、恭也は子供扱いするなと言いたげな目を寄越したが、何も言わず足早にヘリポートへ繋がるエレベーターホールへと向かったのだった。

〜・〜

 はやてがヘリから降りて最初に見たのは、相変わらず様になってない敬礼をする恭也だった。

「あや、恭也さんがお出迎えですか?」
「現場責任者らしいからな。ついさっきシグナムに言われて知ったばかりだが」
「……あの、はやてちゃん? お兄ちゃんに指揮権譲渡してないの?」
「ちょ、私ちゃんとメールしたよ!?」
「メール? ……いや、来てないぞ?」

 ポチポチと端末を操作するが、メールボックスにははやての言うメールは一通も来ていなかった。

「嘘や!! ちょ、貸しなさいそれ!」
「お?」
「……あれ? なんか今無性に悔しかったような気が……。そう、例えるなら自分の決め台詞を取られたような感覚が……」

 はやて達隊長陣の後ろの方でティアナが何か呟いてた様だが、はやての喧騒に恭也の耳に届く前に掻き消えてしまった。

「あ、あれ? ホントにない。恭也さん、間違って消しとらんよな?」
「仕事嫌いの俺でもさすがにそれはしない。と言うか、お前が送り間違えたとかそう言う可能性が高いだろ」
「シグナムに送って満足しちゃったとかないの? はやて」
「ちょい待ち。今調べて……」

 自前の情報ウィンドウを開いてメールボックスをチェックすると、はやては固まった。

「あ、あははははは、ま、まあ、実質恭也さんが取りまとめてたんやし、問題あらへんよね?」
「大有りだろ」

 恭也宛のメールは確かにあったが、草案箱に突っ込まれたままで送信されていなかったようだ。そう、だからこそ恭也は今回の配置に関して文句を言わなかったのである。まあ、当然の話だ。何せ知らないのだから、文句を言えるはずもないのだ。

「おい、しかも末尾に『飯奢れ』と恐ろしい文章が書いてあるんだが? まさか薄給の平局員に上司が集る気か!?」
「久々の外回りやんか! 皆で美味しいもの食べても罰あたらへんやろ!!」
「逆切れ!?」

 結局、連絡はしっかり確認する事をはやてに言い含めた一同だった。
 気を取り直して、恭也は現状報告を口早に報告した。

「脱出経路、及び非常口に非常時の誘導マニュアル、防火シャッター、防水装置、非常警報装置は問題ない。エレベーターは非常時には運行停止するようになっ ている。非常階段は収容人数に対してかなり狭いが、三つあるんで上手く仕分ければ怪我人は出ないだろう。あくまで慌てなければと注釈するが。あと警備員と ホテルの従業員はこの手の訓練を年二回受けているが、錬度は低い。そう言う事態になったらお前たちが先導した方が良いだろうな。オークションの出品に関し ては、一応安全度優先になっているが、いざとなったら人を優先する段取りだ。火事場泥棒がいたら容赦なく張り倒して確保するのが混乱を起こさない秘訣だ な。その辺りはフェイト嬢が得意だろう。一先ず、通常のトラブルに関してはホテル側が、緊急時には六課が責任を持つ事で話を通してある。現状報告は以上。 ――ああ、そうそう。人を捌くのに苛立ってショートカット横穴作るなよ、なのは」
「私を名指しで言うのは止めてよ!!」
「四年前の砲撃は今でも語り草だろ。な、吹聴人」
「そこで私に振るんか恭也さん!!」
「でも、事実だよね?」
「フェイトちゃんが裏切った!?」
「はぁやぁてぇちゃぁん?」
「ちょっ、顔は、顔だけはあかんよ!? せめて傷が見えないボディにして!!」
「あのー、はやてちゃん? 殴られるのを止める方が建設的だとリインは思うんですがー」

 と、滅多に聞く事がない恭也の長台詞に面食らい、しかも話の内容に隙がない事に目を見開くティアナとスバル。エリオは恭也さんって実は実務向きの人なんだなーと呑気に考え、キャロに至ってはフリードが森を見て興奮するのを宥めるのに必死で話を聞いてなかった。

「高町隊長って実は仕事できる人?」
「私、あの人が真面目に働いてるの初めて見たかも」

 二人が恭也をどう見ているのかが取れる会話である。

「はいはい皆さん、時間は建設的に使いましょう。ティアナ達は恭也さんに持ち場の確認をしてね。はやてちゃん達も急がないとね」

 この場を取りまとめるはずのはやてが恭也フィールドに取りこまれているのでやむなくシャマルがこの場を仕切る事にした。この辺りの役割は十年間変わりがない。シャマルも慣れたもので、テキパキと全員に指示を出している。

「あ、はい、解りました」

 仕事を忘れかけていたティアナは思考を仕事モードに切り替える。遊びに来たんじゃないんだ。仕事をしよう、仕事を。

「シャマル先生」
「ん? なに? キャロ」
「さっき聞きそびれたんですけど、その箱ってなんですか?」

 キャロが指差すのは先ほどヘリ内でシャマルがネタに走ったため聞く事が出来なかった三つの紙製の箱だった。結構幅広で嵩張る荷物だ。何かの装備にしては保管性能に難のある紙の箱で持ってくる事に無理があるので、中身が気になったのだ。

「これ? これは、今回の隊長さんたちのお仕事着よ」
「え?」
「ふふ、あとで見れるから楽しみはその時にね。ほらほらはやてちゃん、時間がなくなっちゃいますからいつまでもお腹押さえてないで行きますよ?」
「あかんシャマル、私腹痛で仕事できへんかもしれん。こら早退届をば用意せな!」
「お腹から声が出てる時点で問題ありませんね?」
「その前にはやてちゃん、私何もしてないんだけど?」
「なのはちゃんのプレッシャーで胃が痛いんやっ!!」
「なのはの気圧って何気に重いからね……」
「フェイトちゃんにまで言われたー!?」
「お前、いつの間に威竦みの法を覚えたんだ? 教えた覚えがないんだが」
「何の話!? と言うか私はそんな事知らないし、した事もないよ!?」

 ヘリポートから降りるまでシャマルを含めた女性陣は漫才をし続けていた。どうもはやては、恭也フィールドに取りこまれた事で芸人のスイッチが入ってし まったらしい。恭也が思い返すに、彼女は久しく漫才をしていなかったようなので、色々溜まっていたのだろう。所謂お笑い中毒と言う奴か。難儀な中毒者が居 るものだ、と人をからかわずには居られない男が憐れみを送っているのは色々間違っているのだった。

「それで、高町隊長。私達の配置は?」
「ん? ああ、ちょっと待て。今データを送る」

 通信機をちょこちょこと操作して、恭也は今回の配置を全員のデバイスに転送した。その様子を見ていて、スバルは一つ疑問が浮かんだので聞いてみた。

「そう言えば、高町隊長って通信も機械式でしたよね?」
「ああ。念話は出来ないからな」
「それはランクが低いからですか?」

 エリオも便乗して聞いていた。その横で、あまり突っ込んだ事を聞くのは無遠慮じゃないかとしかめっ面をするティアナだが、彼女もこの得体の知れない男の事は気になる。だから注意はせず、しかし関心がない風を装って今さっき送られてきたデータを広げていた。

「いや、別にランクが低いからって訳じゃない。念話も別段出来るには出来るが、そっちに回す魔力があるなら別の事に使いたいってだけだ。あと、機械式だと魔力切れで通信できないって事もないしな」

 電池が持つ限りは通信可能と言う点も、恭也が機械式を好む理由だ。ただ、やはり機械だけあって壊れてしまえばそれまでだが、そうなったら念話を使えばいいだけの話だ。

「そこまで節約しないと駄目なんですか? 念話くらいだったら消費も少ないですけど……」

 魔力がカツカツだと前に聞いた事があるスバルは、そこまでして切り詰めなければならないのだろうか、と思ったようだ。世間的には多いが管理局員的には少ないFランクの魔導師の魔力の運用方針があまり想像できないようである。

「まあ、俺の微々たる魔力でも、あるのとないのでは大いに違うからな。代用できるものがあるならそっちを使うんだ」
「やっぱり低ランクは厳しいんですね、色々と」

 その言葉に、さすがにティアナは見かねてスバルを嗜めた。

「ちょっとスバル、さすがにそれは失礼でしょ」
「んー、でもティア。こればっかりは事実だよ?」
「そうでしょうけど……」

 何も本人の前で言わなくてもいいだろうに。相変わらず心と口が直結している。

「気を使わなくてもいいさ。ないものはないんだ。ないなりにどうにかしてるだけだからな。――さて、お前等は配置に着け。定時連絡は五時と六時、六時半の三回。念話か電話、メールでもいいぞ」
「了解」
「りょ、了解であります」

 やっと宥め終わったのか、キャロが慌てて敬礼していた。それを見かねて、恭也はフリードに言った。

「フリード、仕事終わりに森で遊んでいいから中では大人しくしてろよ?」
『キュクル!?(マジで!? 話せるじゃん!!)』
「……あの、高町隊長。フリードの鳴き声に適当に翻訳を当てないで欲しいんですけど……」
「む、これは失敬。飼い主に怒られては流石の俺も自重しよう。では解散。報告忘れないようにな」

 解散を言い渡されて、新人達は持ち場へと向かっていった。四人の姿がドアに消えていったのを確認して、恭也は深い溜息を吐いた。

「なんか、お疲れみたいっすね」
「ヴァイスか。まあな。命令、指導なんてのは、正直柄じゃないんだ。今のだって頭フル回転させてたんだ」
「何度も言いましたけど、全くそうに見えないのが旦那の凄いところっすよね」
「…………」

 剣士とは相手に自分が何をしたいのか悟らせぬように、表情を作らず、雰囲気を作らず、しかし明確な意思を秘めながら剣を振る存在だ。恭也もその例に漏れ ず、身内以外には中々表情を読み取る事が出来ない無表情面である。戦いの場では重宝するものだが、日常生活ではかなり損をする技能でもある。特に恭也は切 り替えが出来ないので、色々衝突することもあった。

「なのはさん達は読めるらしいっすけど、俺にはまだ解りませんねぇ」
「理解されると俺が困る。大体、身内にすら読み取れない事が理想だと言うのに、あいつ等はずばずばと俺の考えを当ててくるからな。面目丸潰れもいいところだ」
「うーん、俺が考えるに、旦那もなのはさん達には気を置いてないからじゃないっすか? だからふと表情が出ると」
「気を緩める事は緩めるが、そこまで緩めてるつもりはないんだがな」
「実際、旦那は身内にはかなり甘いっすからね」
「そうか? お前だって知ってるだろ? あの事は」

 あの事。それは今から八年ほど前の事。

「俺は、だからこそ甘いんだって思いますよ? 普通、親身になるか、手助けしようとするのに、旦那は張り倒したそうじゃないっすか」
「まあな」

 あの時は本当に頭に来ていた。そしてそれを謝る気もない。向こうも謝られるのは嫌だろう。

「じゃ、俺はヘリの燃料貰ってきますんで」
「ああ。待機中、クラエッタといちゃつくなよ」
「しないっすよ!!」

 ヴァイスの必死の否定であるが、恭也は別段他人の色恋沙汰に興味がないので聞き流した。その後も抗議の声が聞こえたが、恭也は取り合わず自分の持ち場へ向かってしまった。

「あんの人はもう、最後に爆弾落としてくからなぁ」

 あの癖だけはどうにかならないものかと、ヴァイスは嘆くのだった。

〜・〜

 中央玄関ロビーを任されたスバルは、周囲と行き交う人を警戒していた。油断なく来賓客の仕草を注視し、怪しい行動をしていないか逐次チェックしていた。 警護任務とは、何も外敵を相手にするだけではなく、関係者になりすまして侵入してくる敵も判別しなければならないからだ。
 任務の注意事項として最初に教えられた事をスバルは実践していた。と、そこに通信が入った。

『――ナカジマ』
「へ? 高町隊長?」

 突然、目の前に通信画面が開かれた。そこには無表情の中に苦笑を交えた恭也の顔が映っている。驚くスバルに、彼は大仰にやれやれと言った仕草を見せて言った。

『気を張りすぎだ。客から苦情が来たぞ。睨みつけられて居心地が悪いってな』
「えっ、あ、す、すいません!!」
『お前は護衛任務は初めてだったな?』
「あ、はい、そうです」

 なら、ある程度の経験がある恭也は言ってやらなければならない。

『護衛任務で必要な事はな、ナカジマ。護衛者を守る事は勿論、彼らが生活すること、仕事する事を邪魔せずにいる事だ。今のナカジマは物理的な脅威から守ることばかり考えて依頼者の仕事を邪魔している』
「う」

 護衛者である人間が護衛対象者に害を与えていれば世話はない。正直言ってそこまで考えてなかった。

『まあ、局員がその辺りを徘徊してる時点でこう言った苦情は出るもんだが、お前の場合度が過ぎてたんでな。代表で注意させてもらった』
「そうですか……ん? 代表?」
『ああ。――おい、自分は関係ないと思ってる連中。お前等も大なり小なり苦情を貰ってるんだからな。笑顔を見せろとは言わんが不快感を与えないことも考えろよ? 六課の風評を落としたくなかったらな』

 出向任務は相手方や、周囲の目と言うものがある。失礼に当たらない行動を心がける事は当然なのだ。ただ、今回は初任務だったので、勝手が解らなかったと言ったところだろう。
 しかし、これはこれでツッコミどころが満載なのである。特に、恭也が注意をしている点で。それを迂闊にも指摘してしまう純情存在が居た。スバルと同じ待機位置だったリインフォースUだ。

「それをお爺さんに言われたくありませんですね」
『ちびっこ。お前の場合頼りないんじゃないかと別系統の苦情が――』
「り、リインのどこを見たらそんな苦情が!?」

 ――いや、どう見ても見た目でしょう。

 課員の意識は統一された。

『ま、お前等自身若いって時点で不安にさせる要素がある。せめて他の事は卒なくこなせ。注意事項は以上』
「了解です」

 やっぱり隊長と言うだけあって新米の自分たちより『仕事』と言う物に手馴れてるとスバルは思った。対テロ部隊にいたのに、本業以外の仕事をこなせる事を純粋に凄いと思った。その事を同僚に話したくて、スバルは念話で他称相棒に呼びかけた。

『高町隊長って凄い人だね。やっぱり隊長を任されるだけあるんだね』
『あんた、何呑気に念話なんか送ってきてるのよ……』
『ん?』

 今さっき気を抜くなと言われたばかりだと言うのに。だが、スバルの性格を考えれば、ここで話を拒否したら気が散漫になる事は過去の経験上知っている。なので、ティアナは仕方なく相手をするしかなかった。無論、警備を疎かにするつもりはないが。

『まあ、あの人の謎度がまた一つ上がったのは確かね』
『だよねぇ。戦歴見ても、護衛任務ってしてないんだよ? むしろ殲滅戦とか抵抗戦とかばっかりでそう言う静かな任務、全然やってないのに』
『そう言えば、謎って言えば、ウチの、六課そのものも謎なのよね』
『へ? どの辺が?』

 やおら、ティアナは常々考えていた疑問を言った。

『この部隊が実験的な部隊にしては妙に戦力を集中させてるところよ。副隊長以上の局員が全員Sランク近辺なのよ? 普通、一部隊に一人居るだけでエース部 隊って呼ばれるのを、五人も抱えてる。リミッターをかけられてるって言っても、それは魔力の話で経験値がなくなるわけじゃない。同じランクの魔導師でもあ の人達にかかれば大した敵じゃないでしょうね』
『そっかー。八神一家は理不尽部隊ってやっぱり本当なんだね』
『……ちょっと待ちなさいスバル。何その理不尽部隊って理解不能の冠』

 聞き捨てならないとばかりにティアナは食いついた。

『うーんと、なのはさんとフェイト隊長が有名なのは知ってるよね?』
『まあね。あんたが散々雑誌押し付けたからね』
『う、まだ根に持ってる。ま、まあ、それは置いといて。あの二人は表向きで有名なんだけど、陸士とか現場とかだと八神部隊長たちの噂も結構聞こえてくるんだって』

 スバルの父であるゲンヤや姉のギンガは陸士部隊に所属している。定期的に現状報告をしあっているスバルは、その会話の中で時たま八神家の噂を聞いていたのだ。

『八神部隊長が個人的に抱えてる特別戦力がヴィータ副隊長、シグナム副隊長、シャマル先生、リイン曹長で最後にザフィーラ。全員揃って八神部隊とかって呼ばれてたりするらしいよ』
『高町隊長は入ってないの?』
『あ、そう言えば聞いたことないかも。なんでだろ?』

 あれだけ八神家と関わりが深い、と言うか八神家の父と名乗っている恭也だが、八神部隊としては全く名前が聞こえてこない。一体どう言う事なのだろうか。

「それはですね、お爺さんが家出をしてるからです」
「リイン曹長?」

 スバル達の話を聞いていたらしく、リインが口を挟んできた。彼女の可愛らしい顔に少々不満の色を見せていた。

「リインが生まれる前の事ですから詳しい事はリインも知らないんですが、シグナム達の話を聞くと、大体いつも通りに意固地になってるんです」
「いつも通りに……」
『意固地、ですか』
「そうですよー。お爺さんったらリイン達と一緒にいると堕落するとか、身が持たないとか、訳の解らない理由を並べ立てて家を出ちゃったんですよ!! 一緒に暮らせばもっと生活に余裕が出るのにです!」

 ご飯だって八神家に居れば美味しい物にありつけるし(ただし低確率でシャマル特製の実験料理が出てくる)、家事全般も分担作業になってもっと楽になる。共同生活の旨みがそこにあるのに、恭也は一人暮らしを選択したのだ。
 リインフォースUにはそこが解らない。家族なのだから一緒に暮らすのは当たり前のはずだ。

『じゃあ、高町隊長だけが八神家にカウントされてないのはそう言う理由だったんですか?』
「そうですかねぇ。リインは良く解りませんけど、お爺さんが所属してた部隊自体が忙しいところですから。それにお仕事の内容も表沙汰にできるようなものがあまりありませんですし……」

 テロ対策部隊、またはテロ鎮圧部隊のカテゴリーに含まれる三〇二部隊は、その仕事内容上、一般公開はされていない。テロ対策として彼らの作戦行動と結果 については各部隊に情報を公開しているが、各局員の細かい仕事振りまでは公開していないのだ。なので、ピンで動いている恭也の仕事振りが噂になる事はない のである。
 まあ、公開されたらされたで、恭也の無能振りが知れ渡ってしまうので、この状況は幸運なのかもしれないが。

『高町隊長の実力が知られてないのは解りましたけど……、だとするとなんであの人、この任務に手慣れてるんですか?』
「お爺さんが言うには、管理局に来る前は、護衛や警備の仕事をしてたらしいです。本来はそっちの方が得意って言ってました」
「? じゃあ、なんでテロ対策部隊にいるんですか? 警備部隊に行けばよかったのに」

 スバルの疑問は当然のものだった。彼自身が得意と言っているのなら、その仕事を担当している部隊に行けばよかったのだ。いや、もしかしたら届出は出した が、受理されず今の部隊に配属になったのかもしれない。基本的に、配属先に対する要望は受け付けてもらえるが、実力不足だったり、入隊試験に合格できなけ れば配属は許されない。
 スバルはもしかしたらそう言う事情があったのかと考えたのだが、リインフォースUは否定した。

「いいえ、違いますよ。スパイクフォースに入ったのはお爺さんの希望です。レティ提督と相談して、そこに入る事に決めたって言ってました」
『……なんか、話を聞く限り全くちぐはぐな人生を送ってないですか? あの人』
「あ、あははー……」

 スバルは否定の言葉を持てなかった。そして、リインフォースUは最初からそんなのもを恭也用に用意してはいなかった。

「お爺さんは基本的に出鱈目で出来てるんです。気にしちゃ駄目です」
『それはもう十分承知してますけどね』

 しかし、とティアナは考える。
 出鱈目だろうとなんだろうと、高町恭也と言う男は、あれでも隊長に任命されるほど期待されている人物だ。魔力ランクが最低値を示していても、はやては彼 を昇進させようとしているし、なのはやフェイトもそれには同意見のようだ。彼女達がそこまでして彼を昇進させようとするのはそれ相応の実力があるからだろ う。
 特殊スキルか、固有スキルか、はたまた別の何かがあるのか。それは知らないが、少なくとも何かの才能を持っている事は確かだ。

(この六課で、凡人はあたしだけか……)

 ティアナは自分の周囲を思い返して、何度目かの確認をしていた。
 機動六課はその性質に似合わないほど強大な戦力を保有している。実働部隊の副隊長以上の面々に対デバイス、対人にリミッターをつけてまで同一の隊に留ま らせ、本隊スタッフもそれぞれ士官学校時代から将来を有望視されている面々だと聞かされている。六課に籍を置く全員に共通して言えるのは、誰しもがその道 のエース的存在であり、その評価に違わない仕事振りを発揮しているところだ。
 将来有望、即ち年齢が若い。だが、その若い面々が同じ部隊に所属するのは環境的には働きやすいだろう。歳の近い人間が周囲に居るだけで、仕事の能率やコミュニケーションも取りやすくなる。けれど、それだけの為に、彼らを集める事は不可能だ。
 この部隊には何かある。そして、その何かの為に自分達は集められた。

「……その何かに、私は役立てるんだろうか」

 魔力量は平均で固有スキルがない自分。射撃には自信があるが、教官であるなのはにはまだ及ばない。自分の右手を見つめて思う。自分がここに居る意味が果たしてあるのだろうか。

「――いいえ。そんな事考えなくていい。私は私の力を信じるしかないんだ」

 この手に握る力が自分の意義だ。例え誰であろうと、自分の力が揺らぐ事は許されない。
 譲れないものがあるんだ。
 堅く拳を作って、ティアナは虚空を睨むのだった。

〜・〜

 午後四時四十七分、緊急通信入電。

『――報告! レーダーに反応!!』
『クラールヴィントも感知したわ! シャーリー!』
『現在機影確認中! ガジェット・ドローン一型総計八十一!! 三型十七!!』
『北から西にかけて、扇状に敵機接近! 主に三方向から接近中!』
『データと照合! 三型を中心に一型が五機、または六機編成で進行中!! 航空戦力は見当たりません!!』
『ガジェット・ドローン移動速度時速20km。接敵まで残り30分です』

 地下駐車場にて、一連の報告を聞いたシグナムは作戦内容を具体化させる。
 現状、ここに近づいているのは地上自走の一型と三型。航空戦力がないのなら、まだ対処は比較的ではあるが楽だ。
 一連の報告を受け取ったシグナムは、後ろに連れていたライトニング隊へ振り向いた。

「エリオ、キャロ。私は地上でガジェットを排除する。お前たちはティアナの指揮下に入れ」
「はい!」
「了解です!」
「ザフィーラは私と共に来い」
「心得た」
「え?」
「へっ!? ざ、ザフィーラって喋れたの?」

 意外に落ち着いた声で了承の言葉を口にしたザフィーラに、エリオとキャロは心底驚いた。賢い使い魔だとは思っていたが、まさか人語を解する上に口が利けるとは思わなかったのだ。ここまで高等な使い魔は見た事がなかった。

「我々は前線にいるが、守りの要はお前たちだ。もしもの時は頼むぞ」
「う、うんっ」
「頑張るっ」

 その冷静な口ぶりに、先ほどまで纏っていた緊張感が薄れるのをキャロは感じた。近くであれだけの自信と落ち着きを見ると、自分の気持ちも楽なったような気がする。少女は小さく深呼吸して、この気持ちを保つよう、心がけた。
 キャロがリラックスしようとする間も事態は推移していく。この場の戦闘の方針が徐々に固められてきた。地上を目指しながら、キャロとエリオは通信から流れる命令と報告に耳を欹てていた。

『――前線各員へ。状況は広域防御戦です。ロングアーチと私、シャマルと合わせて総合管制を行います。みんな、怪我のないようにね』
『了解!』
『頑張ってねティアナ』
『勿論です』
『無茶はしないようにねスバル』
『はいっ』
『喜べ、ヴィータ嬢。海鳴で轟かせたゲートボール魂を存分に振るう時が来たぞ』
『その話を今すんのかよ!!』

 一部ノリが違うが、概ね士気は上がっている。前回の出撃よりも報告も円滑になっていた。これははやてが恭也の報告書を参考にマニュアルをブラッシュアッ プしたからだ。一度実戦を経験し、初戦程の緊張を纏わずに肩の力を抜く事が出来ている。良い傾向だ、と恭也は内心の評価書に記しておいた。

『それと、恭也さん。現場責任者はあなたですから、みんなの配置を発表してくださいね』
『……その前に一つ訊いておきたい。――八神部隊長』
『はいな、何か用かな、恭也さん?』
『これは例の考査の一つと考えて良いのか?』
『言うまでもないわな。と言うか、六課にいる間の全ての仕事が対象なんや。普段もしっかりやってもらえると私、めっちゃ助かるんやけど』
『その話は永久にするな。ともかく、この役目如何によって降格の判断材料の一つになるんだな?』

 態々『降格』なんて言葉を選ぶ時点で、昇進することを微塵も考えていない事が伺える。あわよくばさっさと隊長職も辞したいのだろう。だが、一部ではたぬきと呼ばれるほど腹黒く成長したはやてには効かない言い回しである。

『んー、ちと違うなぁ。恭也さんにはあんまり指揮能力は期待してへんから、もし今回の任務を失敗したとしても影響は少ないと思うよ』
『退くも退かぬも同じか……』
『そやねぇ。だから、私としては皆が無事に帰ってこれるように努力して欲しいな』

 恭也は数秒沈黙する。通信モニターに映る彼の表情は厳しかった。普段ならば恭也の不真面目さをつつくティアナも、黙って見守っていた。それほど、彼の雰囲気が重かったのだ。
 そして、剣士は一つ、決断する。

『――いいだろう。興が乗った。今回ばかりは真面目にやろう』
『お?』
『いい加減全力で動きたいと思っていたんだ。やるだけやりつくしてやる。期待しておけ』
『おお?』
『あ、あれ? 黒助がやる気だしてるぜ、シグナム』
『ふむ。久々に楽しい事になりそうだ』
『あー、一人余計なのに火が点いちまった……』
「シグナム副隊長、楽しそうだなぁ……」

 恭也のやる気が伝播したのか、シグナムがいつになくウキウキとしている。こんなシグナム、滅多に見る事は出来ない。エリオ君、これは貴重な光景なのだよ?

『ザフィーラ、お前は北の高台の麓だ。楯を名乗るなら、その程度、全て撃破できるな?』
『愚問だ』
『シグナム、ヴィータ嬢。お前等は先行して大型を優先的に叩け。小型は手が空き次第潰せ』
『おい、それだと防衛線にガジェットが素通りしちまうだろ!』
『お前。何の為に新人共が居るのか考えてないのか? 過保護もいいが、奴等を育てたいなら積極的に戦場に放り込むべきだろう』
『う』

 確かにそうなのだが、それでもやはりヴィータは不安を捨てきれない。その理由を恭也は知っているが、今回ばかりは承知できない。実戦の機会は望んだ時に は中々来ないものだ。危機は、大抵準備不足の時に襲ってくる。万全の体勢で迎え入れる事は皆無と言っていい。それに、戦いは人を否が応にも成長させる。育 てたいのなら、そのリスクとメリットを受け入れなければ育てる資格などない。

『リイン。お前はシャマルとロングアーチの補助だ。雑用だと思ってサボるなよ』
『リインがサボる訳ないじゃないですか! お爺さんじゃないんですからね!!』

 耳が痛いな、と恭也は身内にしか判らない苦笑を浮かべる。

『ルーキー。お前等は北西から西にかけて突っ込んでくるガジェットの迎撃だ。一機たりとも後ろに送るなよ。お前等が最終防衛線だ。その事を強く意識しろ』
『りょ、了解!』
『俺もお前達と同じく防衛線に立つ。出来る限りフォローはする。死なせはしないからそれだけは安心しておけ』

 安心できるようで、安心できない台詞を吐いて、モニター内の恭也は空を――シャマルが立っているホテルの屋上を見上げた。

『シャマル、敵機の動きに変化があれば教えてくれ。また任意で『鏡』の使用も許可する』
『えーと、はやてちゃん?』
『私は全権恭也さんに譲ったよ?』
『そうでしたね。解りました。恭也さんの命令に従います』

 さて、あらかたの準備は出来た。後は戦うだけだ。そのとき、ロングアーチ01から敵情報の報告が入った。

『敵機までの距離残り400です』

 あまり時間がないか。もう少し会話でもして新人達の肩の力を抜いてやりたかったが、仕方ない。勢いだけでも作ってしまおうと、恭也は古巣の隊がいつもやる儀式を始めた。

『――全員、心に刻め。俺達が守るのは高官や政治家、社会の秩序じゃない』

 それは、スパイクフォースが任務を遂行する直前に明示する、部隊理念だった。

『俺達の後ろには失ってはならないものがある。人、建物、場所、絆。人の数だけ大切なものが俺達の後ろにある。それを壊させることこそが俺達の敗北だ』

 スバルはその言葉に震えた。災害救助隊を志望する彼女にとって、今の言葉は自分が志すものに近かったからだ。

『護り抜くぞっ。たとえ血反吐吐き、腕がもがれても、生きている限り護り抜く! それが俺達の使命だ!!』

 暴走列車のときとは違う。この戦闘がどれだけ重いものなのか、ティアナは肌で感じる。そう。あの時は、まだ民間人が傍に居なかった。だからそこまで考え る必要はなかったし、その分の重圧もなかった。だが、今回は人の重さが加わった。自分はこの重さに耐え切れるのか。いや、耐え切るだけでは駄目だ。圧し掛 かる重石を力に変える事が出来なければ、護る事などできはしない。
 ティアナは愛銃を握る。力、力、力だ。全てを跳ね除け、捻じ伏せる力を示す。

『敵機までの距離残り200』
『戦闘――開始!』
『了解!!』

 さあ、今こそ、示す時だ!

〜・〜

「……始まったか」

 アグスタから約二km離れた小高い丘。そこに生い茂る森から、眼下に勃発した戦闘を眺める男が居た。主な戦場は三つ。内二つは強い魔力を感じる。恐ら く、あれが噂に聞く機動六課の実力者達か。遠巻きに見るだけでも、体が震える。あれほどの腕、自分の記憶には見当たらない。感じるままに考えれば、自分と 同格、いやこの小規模な戦闘で全てを見せられるような甘い実力ではないだろう。なら、この崩れ行く体を加味すれば、到底及ばない戦士だ。
 戦えば、命を落とす。その可能性の高さにゼスト・グランガイツは恐怖に震える。その男の背中に、一人声をかける人影があった。

「ゼスト……」
「――来たか」

 ざわりと、ゼストの背筋を先ほどとは別の冷たいものが撫でた。普段は温厚な気配のはずだが、今回はよほど腹に据えかねているらしい。確かに、彼の心情を思えば、この場に居る事は無駄なのだろう。

「今しがたな」
「不服そうだな?」
「当たり前だ。この程度の規模なら俺を引っ張ってくる必要なんてどこにもないだろうに」
「そう腐るな。今回は奴が警戒している機動六課だ。玩具程度でどうにかできるとは流石に考えられない事は明白だ。だからこそ、奴は俺とルーテシア、そしてお前を呼んだんだ」
「過剰戦力だな。正直、俺やゼストが居なくても、あの子一人だけで事足りるはずだ。白天王の存在は、別次元にあるんだから」
「あれは……あの子を酷く消耗させる。出来るなら今後も喚ぶ事はさせたくない」

 甘い、と男は呟いて見せた。それに対してゼストは何を言う資格はない。

「ルーテシアが魔蟲を使って、オークションの出展品からドクターの依頼品を探している。上手く転がれば俺達が闘う事はない」
「やっぱり無駄足だな」
「それでもお前はここに足を運んだ。お前もあの子の事が心配できたのだろう?」
「……否定はしないさ。ずっと引き篭もってたら、それはそれで叱られるしな」

 男には珍しく冗談を言って見せた。外に出て気分が晴れたのか、それとも無駄足をさせられて頭に血が上っているからか。自棄でもなんでもいいか、とゼスト は判断する。彼も、ずっとあの区画から出てこようとしない事に少々気を揉んでいた。あまり思い詰めすぎると何も良い事が起こらない事は、ゼスト自身が証明 してもいる。できれば、自分の二の舞に陥って欲しくないと、四〇絡みの魔導師は願っている。

「ゼスト」
「ルーテシア。どうだった?」

 草陰から姿を現したのは、やや表情に乏しい顔をした少女だった。彼女の両手にはグローブ型のデバイス『アスクレビオス』が嵌められている。
 ルーテシア・アルビーノ。幼いながらも魔導師、それも非常に稀な存在である召喚師だ。その彼女は、ゼストの近くへ足を進めながら、今さっきまでスカリエッティに頼まれていた事をゼストに教えた。

「うん。ドクターの探し物、見つけたよ。ガリューに取りに行ってもらった」
「ガリューなら、まあ見つからんか」

 事隠密行動に於いてガリュー以上に相手に感知されない技能を持っている存在をゼストは知らない。なら、目的のものを速やかに持って来れるだろう。

「どうやら、本当に出番はなさそうだな」
『――いやいや、それがそうでもないんだよ』
「……スカリエッティか」
「ドクター」

 唐突に通信を繋げてきた共犯者に、ゼストは顔を顰めた。ゼストの足元にいるルーテシアは表情を変えずにいる。その事に、ゼストは心内を痛めた。親ではな いが、短い間とは言え親代わりに接してきた彼にとって、ルーテシアが少しでも人間性を取り戻して欲しいと思っていた。社会常識は無論、優しさを与えたいと 思い、そう接しているのだが、あまり効果は見受けられない。
 その事実に若干の落胆を見せるゼストだが、スカリエッティには何故に落胆しているのか知る由もなかった。

「で? なにがそうでもないんだ?」

 沈んだ雰囲気を纏い出したゼストを差し置いてスカリエッティの言葉の真意を問うたのは、赤い兜頭の男だった。

『このままだとルーテシアのガリューが戻ってくる前に、随分早く私の作品が撃破されてしまうようでね。いくら隠密性能が高いとは言え、万が一と言う事もある。ガリューが探し物を無事運び出せるまでの時間稼ぎをお願いできないかな?』
「楽に壊されるものを作る方が悪い」
『これは手厳しいね。言い訳させてもらえるなら、彼女達機動六課自体が、普通の武装隊とは一線を画す部隊なのだよ。基本的に、私の作品たちは平均的な武装隊に対して勝利するように作ってはいるが、彼女達ほどの魔導師となると、壁以外の用途がないんだ』
「物量戦、にしたところで数が足りてないか」
『今はまだ、ね。だから、君達に協力を仰ぎたいと、私は頼んでいるんだ』

 人に頼むにしては、下手に出ていない。まあ、この男が殊勝に頭を下げる姿自体想像の埒外だ。それは今は不問にしておこう。

「その探し物とやらはそんなに必要なのか? 他で代用とか出来ないのか?」
『出来ていれば態々彼女達が居るこの場で手を出したりしないよ。本来、あれはここを経由して第121管理世界へ密輸出されてしまう予定だったんだ。さすが の私もそこまで離れた場所まで運ばれてしまったら手の出しようがない。迂闊に手を伸ばして尻尾を捕まれるのは、この時期では悪手だよ』
「俺に戦略的な話をされても理解できないぞ」
『ふふ、それを考えるのは私の仕事だったね。まあ、ともかくだ。そろそろ君達――うーん、そうだね、どちらか一人が出向いてくれればそれでいいよ。今回はあくまでも時間稼ぎなのでね』

 そう言う科学者の言葉に、ゼストは早くも意見を固めていた。彼は元々、今回のスカリエッティの依頼に関しては、引き受けないつもりで居たのだ。レリック が絡まない限り、ゼスト、そしてルーテシアは協力しない。そう言う取り決めだった。だが、何を思ったのかルーテシアは今回、スカリエッティの『頼み』を引 き受けてしまった。この程度の頼まれ事ならよしとしたらしい。そうなってしまえば、ゼストは強く言う事が出来ない。彼に出来る事は、彼女に危害が加えられ ず、速やかに探し物を見つけ出し、運び出すことを手伝うだけだ。
 だから、ゼストは初めから決めていた。自分がやるべき役割があるのならそれを担うと。

「――解った。その役目俺が引き受ける」
「ゼスト? 何を考えてるんだ? ガリューなら、その機動六課に囲まれても抜け出せるだろう?」
「いや、侮るつもりはない。何事も、油断が混じった瞬間から失敗していくんだ。彼女達を足止めする事で失敗を犯さないのであれば、それに越した事はない」
「…………」

 ゼストの考えを聞いて、兜は黙り込んだ。何を言ってもゼストは考えを曲げる気はないようだと知ったのだ。しかし、だとすれば、と兜の男は懸念に思った事を訊ねる。

「お前、体は大丈夫なのか?」

 そう。ゼスト・グランガイツは身体に欠陥を抱えている。長時間の魔力運用は彼の肉体に深い傷をつける事になる。そして、まだ彼自身は本調子には戻っていないはずだ。

「時間稼ぎ程度ならばな。何も全力で当たるつもりはない。自分の体の事だ、自分で承知しているさ」

 その言葉は、半ば真実で半ば嘘だった。自分の体が長い戦闘に耐えられない事は承知している。可能ならば、適当に敵をあしらってすぐさま撤退するつもり だ。だが、それが許されない状況になれば、例えばガリューが捕縛されたなどとなれば、ゼストは今ある力全てを使って、事態の収拾に向かうはずだ。そうなっ たとき、彼の体は全力に耐えられるだろうか。

 ――無理だ。

 ゼストはランクで言えばS級だ。魔法出力そのものが突出している。それに崩れかけた体が耐え切れるはずがない。
 ここでゼストを失うのは得策ではない。彼をこの場に出して命の危機に晒す事は、戦力的な意味で承服しかねる事だった。なら、取れる方策は一つしか思い浮かばなかった。

「……仕方ない」
「む?」
「俺が行く。あんたはガリューが戻り次第、ルーテシアを連れてここを離れてくれ」
「……しかし」
「確かに、今でも乗り気じゃない。だが、あんたをここで失うような事はしたくない」

 ルーテシアのためにも。
 言葉を切った先にはその言葉があった。だが、それは言わない。言えるはずがない。自分は彼女の願いを半ば裏切る事になるのだ。善意や厚意を寄せてどうすると言うのだ。

「いいのか?」
「しつこいな。まあ、信用しきれないのは仕方ないかもしれないけどな。時間稼ぎ程度なら、構わないよ」
『ふむ……じゃあ、君に行ってもらおうかな、紅蓮の騎士』

 事の推移を見ていたスカリエッティは話がついた頃合を見計らって、そんな軽口を叩いて見せた。

「そんな大仰な名前を名乗った事はないんだが?」
『この先彼女達は何度も顔を合わせそうだからね。名前を名乗るより通り名を名乗った方が、覚えが良いんじゃないかい?』
「子供か、あんたは」
『おやおや、お気に召さなかったらしい。それはそれとして、そろそろ向こうも終わる頃のようだ。早速だけど、行ってくれないかな?』
「解った」

 了解を受け取ったスカリエッティは満足そうに通信を閉じた。
 頭に被っていた兜の納まりを確かめる。これが彼にとって命の要だ。破壊されることも、失うことも死に繋がる。念入りに確認してもまだ不安があるくらいだ。

「面倒をかける」
「そう思うんだったら、もう少しルーテシアに言い含められるようになる事だな」
「努力する」

 ゼストのそんな答えに、彼は口元を歪ませた。とは言え、兜の下で彼がどんな表情をしているのかは、ゼストには解らないことだった。

「じゃあ、行ってくる」
「ガリューが戻り次第連絡する。無事に帰って来い」
「言われなくてもそのつもりさ」

 そう、絶対に帰ってやる。自分には守るべき人が待っているのだから。
 決意を胸に秘めて、赤い兜は蒼天へ舞い上がった。

〜・〜

 時間を少し巻き戻す。
 アグスタに迫ってくるガジェット・ドローン、総計九十八体。それを前にしての防衛戦。その先陣を切るのは、ライトニング02――シグナムとスターズ02――ヴィータだった。

「デカイのを集中的にか。確かに、あれが纏まって突っ込んできたら、今のあいつ等じゃ一溜まりもねーだろうな」
「全く、ウチの三女殿は過保護だな」
「過保護言うな! アタシだって気にしてんだよ!!」

 アグスタ周辺に広がる森を低空飛行するシグナムとヴィータは、眼下にガジェットの編隊を確認した。

「行くぞヴィータ」
「おうよ!」

 目視と同時にシグナムはすぐさま急降下を開始する。ヴィータはその場に留まり、シグナムの援護に回る。近接戦闘向きのシグナムと近中距離をこなせる ヴィータが組むと、大抵はこの陣形になる。シグナムにも中距離での攻撃方法はあるが、なにぶんそれは大技に分類されるものだ。小手先技と言える中距離攻撃 を持っているのはヴォルケンリッターでもヴィータだけなのだ。故に、前衛をシグナム、後衛をヴィータが担う事になる。長年とって来たコンビネーションだ。 シグナムは安心して目前の三型に、大上段からの振り下ろしをぶち込んだ!

「ふむ。装甲強度は前回と変わらずか。この分なら一型も同じだろう」

 真っ二つにかち割られた三型が爆散する。この時周囲に居た一型の動きが止まった。その事にシグナムがいぶかしんだときには、すぐに次の行動に移ってい た。動きを止めていた一型は近辺に居た三型を中心に編隊を組みなおしているのが見て取れた。どうやら、三型には司令塔としての役目もあるようだ。だから司 令塔が破壊され、一時的に行動がストップしたのだろう。
 こんな隙を晒すとなると、この編隊そのものも実験的な部分があると見れる。

「我等相手に実験か。舐めた真似を」

 敵の術中にはまるのは癪に障るが、さりとてどうにかできる問題でもなさそうだ。今は目の前の脅威を排除する事を優先しよう。

「ヴィータ!」
『任せな!!』

 シグナムの呼びかけに答えて、ヴィータの射撃が迸る。上空から撃ち下ろされる弾丸を避け切ることが出来ず、三型と、ついでとばかりに一型二機を貫いた。一型は共に機能停止したが、三型は当たり所が悪かったのか、未だホテルに向けて進み続けている。

「ち、やっぱなのはみてーには行かないか」
『ヴィータ嬢、一型は墜とすなと言ったんだが?』
「げ、黒助」

 今しがたのを見た恭也からの通信。声色が微妙に怒っている事を嗅ぎ分けたヴィータは少し及び腰だった。

「つ、ついでだっての! デカイのは優先するけど、ついでに壊せるんだったら壊してもいいんだろ!?」
『ほう? で、肝心要の三型はご健在の様子だが?』
「うぐっ」
『お前、もう少しあいつらを信頼してやれよ。鍛えたのはお前らだろうに。まあ、俺自身が信じられない原因の一つなんだろうがな』
「お前はゴキブリ並にしぶといから正直言って何も考えてなかった」
『ヴィータ嬢、あとでなのはに折檻してもらうからな』
「なんでだよ!!」

 そこでなのはの名前が出てくる辺り、この男は本当にチキン野郎である。

「ああもう! 解った! ティアナ、スバル、エリオ、キャロ! 後ろは任せたかんな!! アタシは何が起こっても知らねーぞ!!」
『りょ、了解!』
『承知してます!!』

 確かに恭也の言う通りだ。自分が信じないで誰が信じると言うのか。真っ先に信じてやらないで何が教官か。実戦に耐えられるくらいには鍛えたんだ。なら、後は信じるのが教官の務めだろうにっ。

「シグナム! ガンガン行くぞ!!」
『ふむ、いい具合に火が点いたか』

 人を煽るのが異様に上手い。流石は趣味が人をからかうことと言って憚らない男である。人をその気にさせるのも得意と言うわけか。

(案外、奴は指揮官向きかもしれんな)

 剣の騎士は口の中でその言葉を転がし、敵機の殲滅に向かった。
 西側の防衛に向かうシグナム達と勢力を二分するのは、北の防衛を任されたザフィーラだ。アグスタの北側は山岳地帯の入り口になっている。崖や谷、高台が 聳え立ち、一種天然の壁として存在している。北側からアグスタを攻める場合、この山岳地帯を舐めるように進む必要があある。あるいは、山脈を一つ越えての 奇襲となるが、ガジェット達は前述のように進路を取り、真っ直ぐとアグスタへと進んでいる。

「所詮は機械と言う事か。だが、油断はせん」

 戸惑いなく進み出でる機械人形が六機。一つが三型、五つが一型。報告通りの編成だ。北側を通る機影は二十。地形的に森がなく遮蔽物といえば突き出た岩だけの有利でないこの進路をとったのは挟撃狙いだろう。

「――甘い!!」

 ガジェットにとって不運だったのは、待ち構えるザフィーラがガジェット達にとって苦手とする魔法を使う事だ。ガジェットの最大の能力といえるAMFは レーダーで魔力反応を探知し、それに合わせて発動する仕組みになっている。だが、それは地上及び空中からの射撃、または魔導師の魔力を察知して、だ。彼ら に搭載されているレーダーは地中までは探れない。
 故に、

「鋼の軛!!」

 地中から突き破ってきた捕縛条がガジェット達を貫いた! その体を完全に固め、六機全てを捕縛した。
 守護獣はそれに浮かれる事無く、機能停止に追い込むべく止めを指そうと、今一度魔法陣を展開しかけたとき、横槍を入れられる。遅れて到着した残りのガジェットがザフィーラを狙ったのだ。

「ぬ? 後続か」

 遠距離から打ち込まれる魔力弾に気付き、咄嗟にシールドを張った。楯の守護獣を名乗るザフィーラのシールドは、この程度の射撃に崩されるような脆いものではない。余裕の態でガジェットの弾丸を防ぎ、逆に返り討ちにするべく、四肢に力を込め、飛び出した。
 自分の周囲にバリアを形成し、大型のガジェットに突っ込む。ザフィーラのバリアの魔力に反応したガジェット達はセオリー通りにAMFを展開しかけるが、フィールドが広がる手前でザフィーラがガジェット三型に、その鋭い顎を突き立てた。
 装甲を食いちぎられ、中身をさらす三型。これ以上の被害を防ぐべく、三型は目の前に居るザフィーラに向けて二本のマニピュレーターを振り被る。それを援 護すべく、一型がザフィーラに照準を合わせてくる。だが、その何よりも早く、牙で噛み切った装甲の穴に、ザフィーラは爪を抉り込んだ。そのまま、四度、蒼 の獣は爪を振るった。
 コードや正体不明の部品を一緒くたに引き裂き、最後に両足で後ろに蹴飛ばす。そこでようやく一型がチャージを終えて、ザフィーラを狙い撃つ。だが、既に 展開していたバリアの前には意味のない行為だった。直撃する魔力弾の数々は、ザフィーラのバリアを貫く事無く四散していく。それを承知の上で、ザフィーラ は無造作に手近なガジェットに近づき、爪の鋭さを存分に叩きつける。

「この程度の火力で俺を落とそうなど片腹痛い! ここから先へ行きたくば――」

 今まで軛に繋がれていたガジェットたちが一斉に爆散する。

「――この俺を崩す事だ!!」

 ベルカの故事に曰く、「主を持つ獣、その鋼を以って、守護せり」。彼らの持つ牙が、爪が、魔法が、そして意思が折れぬ限り、彼らは何度でも立ちはだかる。敬愛する主の為に、獣は何よりも忠実な楯となって、主君を護り抜く。
 この護りを、量産された機械が突破できることなど叶うはずもなかった。

〜・〜

 一方、絶対防御線に立つ、面々は前線の奮戦振りをモニターで見つめていた。

「なによ、これ……」

 あれだけ苦労した新型である三型。その装甲をいとも容易く切り裂いたシグナム。その威力に驚かされるが、何よりも、ガジェット達が撃ってくる魔力弾に被弾したところで傷一つない防壁に物を言わせて強引に突撃するその戦法に、ティアナは戦慄する。
 高い防御力とは、それだけで実に厄介な代物だ。それを崩すために、策を組み、時には仲間と力を合わせ、その牙城を攻め落とす。だが、どんなに知恵を絞っても乗り越えられない壁がある事を、少女は見せ付けられた。

「ショックを受けてるところ悪いが、これでも奴等にとっては実力の一割も出してないぞ」
「え?」

 いつの間にか、隣に立っていた恭也が、何かを思い出すように少し空を見つめて言う。

「シグナムの紫電一閃は、火龍の首を落とすし、ヴィータ嬢は本来の間合いじゃない。ザフィーラに至っては、この広い戦場は不得手だ」

 ザフィーラの得意とする場所は室内戦だ。その点は恭也と共通している。守護獣である彼は、いつも主を護るため傍に控えていた。時の主達は、大半が城や自 分のアジトを持っていた。主が攻め込まれたとき、ザフィーラが牙を向く場所は常に室内。だから、彼にとっては開けた空間はあまり得意とするところではない のだ。

「そんな……」
「まあ、悲観する必要は無い。ここに居るその殆どが、冗談と常識をどこかに置き去った存在だ。一般のそれと比較すると精神崩壊するぞ」
「は、はあ?」

 気にする事はない、と恭也はティアナの肩を軽く叩いた。

「実力差は当然だ。隊長と隊員だからな。ついでに言えば、あいつ等は入局十年目、お前等は一年目。差がない方がおかしい」
「だとしても差がありすぎな気がします」
「その差を埋める気があるなら遠いだろうな。だがまあ、人間、何でも時間をかければ大体の事は解決できる。気楽になれ」
「……了解です」

 不服そうに言うティアナに、恭也は内心で苦笑を浮かべる。若い故に、その差を埋められるのかが疑問なのだろう。若いとは、その先の未来が多く用意されて いると言う事だが、別の言い方をすれば、先が遠すぎて不安にもなる。自分も陥った問題だからこそ、恭也は共感できた。できたが、人が言って解決する問題で はない。自分で答えを出さなければ納得できないだろう。
 恭也は部下の悩みに答えられない事を早々に放棄し、現状の解決に尽力する事にした。

「ロングアーチ、ガジェットの侵攻具合はどうだ?」
『距離140。最終防衛ラインまで約一分』
「ふむ。じゃあ、フォーメーションを伝える。ナカジマ、お前は一番前だ。俺も協力して向かってくるのを叩く」
『了解!!』
「ランスターは俺達の援護。出来るな?」
「出来ます!!」
「モンディアル。お前は俺たちが取りこぼした奴を確実に落とせ。実質お前が最後の線だ。後逸させたら後はない」
『了解です!』
「カバーする範囲が広いぞ? やれるか?」
『大丈夫です! キャロにブーストもしてもらいますし』
「その言葉を信じるとしよう。ルシエ嬢、モンディアルの言う通り、君達は二人で組んでもらう。もうどうしようもなくなったらフリードに何とかしてもらっても良いぞ?」

 そんな恭也の言葉に、実働部隊は勿論、戦況管制を行っていたロングアーチも息を呑んだ。皆、一様になんて事を言うんだと表情を変えない無遠慮男に不安をぶつけていた。
 だが、遠慮のない言葉を投げられた少女は、にこやかに笑ってみせる。

『大丈夫です。私には皆がついてますから』

 一先ず、二度目の出撃に対して、前回ほどの緊張は見受けられない。それに今の言葉が出てくるくらいに仲間を信頼できているなら、恭也が当初抱いていた問題はある程度緩和されていると見て良いだろう。

「よし、じゃあ、始めよう。シャマル、ロングアーチ共々、レーダーの方は頼む」
『了解です』
『お任せあれ』

 その返事に、恭也は満足そうに頷き、指示を下した。

「戦闘開始」
『了解!!』

 二度目の戦闘。それも四人と一人が一丸となって戦う、初めての集団戦が幕を開けた。
 最初にガジェットに殴りかかったのは、六課の突撃兵――スバル・ナカジマだ。ローラーブーツの機動力は、この遮蔽物の多い森でも遺憾なく発揮されている。

「だあああああああああああああああああああ!!」

 進路方向には三型の一つが控えていた。それを目標にし、加速分を惜しまず己の右拳に集める。大きな仰け反りから腰を使った回転で己の拳を装甲板に叩き付 けた! 思い切り拉げるそれに、追撃の蹴りを見舞う。それは蹴り抜くと言うより、蹴り飛ばすものだった。見事、その機体を後ろに飛ばす。偶然にも、その後 ろで漂っていた一型二機を巻き添えに、そこそこ大きな木の幹に衝突した。電気系統に支障を来たしたのか、ところどころ火花を散らせる一型に、スバルは思わ ずガッツポーズをとった。

「よし!」
「馬鹿スバル! 足を止めるなっての!!」
「え?」

 後方からの射撃。見慣れた魔力光はスバルの相方、ティアナのものだ。次々に飛来する魔力弾がスバルの背後に回りこんでいた一型に襲い掛かり、いくつもの風穴を開けていった。

「あんたねぇ。一機倒したくらいで図に乗るんじゃないわよ」
「う、ゴメン」
「謝ってる暇はない! ほら、そっちからくるわよ!!」
「解った!」

 謝ったかと思えば、すぐさま敵に向かっていくのは彼女の切り替えの速さか。いや、彼女は目的を履き違えてないだけだろう。戦闘中のミスは、戦闘後に反省すればいい。今は、その反省が出来るように仕事をこなす事だ。それをスバルは忘れていないだけのことだった。

「ランスター、お前がカバーできる範囲はどのくらいだ?」

 後ろからのっそり現れた恭也は、腕のバンドの具合を確かめつつ訊ねた。ティアナはシャマルから送られてくるレーダーを横に見ながら、自分が確実にカバーできる範囲を数え――少し広めに進言した。

「大体130です。その範囲なら確実にカバーできます」
「この森でもか?」
「はい」

 何もない場所ならいざ知らず、木々が生い茂るこの視界の悪い場所で、それだけの範囲を面倒見る事が果たして可能だろうか。今ヴィータがやっているように 空中からのカバーであるなら、ある程度障害物は無視できる。だが、ティアナにはまだ飛行技能はない。自然、遮蔽物と相対する地上からの援護になる。

「無理しなくても良いんだが……」
「出来ます」

 事実だ、とでも言うようにティアナは言い捨てた。そこまで言いきれるなら、恭也も任せていいかと判断する。

「じゃあ、行って来る。基本的に、戦い始めたら俺は広範囲での戦況確認は出来ない。その辺り、お前に託すぞ」
「承りました」

 その答えを聞いて、恭也はようやくスバルを追いかけるべく、駆け足になった。
 森の中へと消えていく恭也の背中を少し眺め、ティアナはクロスミラージュのカートリッジ残量と予備のカートリッジを確認した。

「残り78%。カートリッジは12発。私の魔力分を合わせると、大体通常弾260発分。ヴァリアブルだと、100発以下かな」
『Yes』

 クロスミラージュの換算も同じと出た。となると、あまり大技を使う事は出来ない。

「基本は牽制。二人の叩き洩らしを、私が撃墜。これで行く」

 ライトニングには悪いが、今回は後方控えの二人に出番はない。ここで全部落とす!

「さあ、来てみなさい」

 ティアナは静かに、銃口を構えるのだった。

〜・〜

 スバルは奮戦していた。目前から向かってくる一型は、一つ一つは大した事はない。AMFの範囲もそれほど広いものではなく、気を配っていればその範囲に入ることもない。よしんば入ったとしても、今まで加速していた分でその範囲を通り抜けられる。
 機動攻撃。これが、スバルが前回の戦いから得た一つの戦い方だった。シューティングアーツは走り続ける事が要だ。足を止めての攻撃は既に死に体なのだ。 擦れ違いざまの一撃。それも一撃離脱ではなく、間断なく行える事が最大の強みだ。そのためにも、移動を殺す事は命取りになる。最初に師である姉に教え込ま れた理念だった。

「はああああああああああああああああああああ!!」

 リボルバーの動輪が回転する。回転で巻き起こす魔力風に乗せて、スバルは拳に集めた魔力を解き放った。

「リボルバーシュート!!」

 対ガジェット戦の訓練で散々叩き込まれた一つに、AMFは魔力結合を解除するが、物理現象を防ぐ防壁ではないと言うものがある。スバルが持つ近中距離の 射撃魔法であるリボルバーシュートの攻撃核は魔力弾によるダメージが狙いだが、その周囲に巻き起こる突風は物理現象のそれだ。撃墜は出来ずとも、吹き飛ば す事は叶う。
 この一撃で、AMFによる防御陣形を取っていたガジェットは陣形を縦に裂かれ、スバルの真正面に居た一体の体を晒した。

「もらったあああああああああああ!!」

 間髪いれず、その一体に向かって突っ込む。足元のローラーが土煙を巻き上げながらスバルの体を前へ前へと滑り込ませる。一秒にも満たない時間で、スバル は目標の手前一メートルまで進軍していた。振り被っていた右腕を振る。スバルの打撃に、ガジェットはそのフレームごと曲げられ、森の中へ吹き飛んでいっ た。
 それを確認する事無く、スバルは右足のローラーの回転を止める。右足を大地に踏ん張り、無理矢理ブレーキにする。左足は更に回転を続け、先の突撃の勢い がなくなりかけた時には、左直角方向に移動を開始していた。左足のみの走行では不安が残る。即座に、右足のローラーも回転を始め、安定を取り戻した。

「これで五機目!」

 だが如何せん、この戦法はあまり効率的に敵を撃破できない。SAの最大のネックは、対集団戦に向いていないと言う点だ。攻撃手段は使い手によってまちま ちではあるが、基本は己の四肢で戦う。ティアナやなのはのような射撃を主力とする魔導師と違い、相手取るにはどうしても一対一の関係に持ってこなければな らない。敵を一掃する技がないのだ。

「このままじゃ……」

 後ろにティアナが控えてくれているとは言え、それはあくまでも補助であり、落とすのはスバルなのだ。甘えていられない。

「それでも!」

 だが、その程度の事で戸惑ってもいられなかった。効率が悪かろうが、今の自分にできるのはこれだけだ。なら、少しでも回転を速めて、叩くしかない。
 そう決意し、更にローラーの回転を上げようとしたところで、次の目標にしていたガジェットが解体された。

「へ?」
「シグナムの予想通りか。これは本当に編隊編成の実験かも知れんな」
「高町隊長?」
「ほら、足を止めると撃たれるぞ」
「うわ!?」

 言われて、直後にガジェットからの攻撃を受けた。咄嗟にシールドを張って、攻撃を逸らす。ヴィータとの訓練が生きた瞬間なのだが、本人はそんな事を思い返す暇がなかった。

「って言うか、高町隊長も足止めてますよ!」
「ん? ちゃんと歩いてるんだが」
「いや、そう言う意味じゃなくて!!」

 スバルは一旦ガジェット達から距離を取ったが、恭也は常と変わらず落ち着いた物腰でガジェット達が取り囲む中を歩いていた。当然、ガジェットからの射撃を一身に浴びる事になるのだが、

「あ、あは、あはははは、よ、避けてる……」

 最早笑うしかない。
 自分があれだけ苦労して被弾しないように、被弾してもシールドでどうにかして防御していたものを、いとも容易く避けているのだ。ガジェットの射撃性能は 決して低くない。複数のガジェットによる方位射撃はなのはのアクセルシューター並みに厄介な連携となって襲ってくるのだ。それを恭也は散歩気分で避けてい た。本気のなのはの誘導弾を避けきれる恭也にしてみれば、まだまだ穴のある連携だ。この程度の芸当は御神の剣士であれば、出来て当然なのである。何せ、近 代ではマシンガンの渦中を体一つで避けていくのだから。
 この差は、恭也とスバルの戦闘理論が根本的に違うことから来る当然のものなのだが、スバルは鮮やかとも言えるくらいに軽々と避けている恭也を羨ましく思った。自分にもあれくらいのことができればもっと強くなれるのに、と。
 そんなスバルの感心を横に、恭也は歩きざま腕を振る。スバルの目に何かが陽光に反射して煌いたと思うと、ガジェットが粉々にされていた。まるで手品だった。確か、恭也は剣型のデバイスを使う近代ベルカ式の魔導師ではなかったのか。
 そんなスバルの疑問を横に、恭也は更に腕を三度振って、自分の周囲にいたガジェット全てをばらばらにしてしまった。近寄ってガジェットを確認すると、粉 々になった様に見えて、実は鋭い刃物で斬り分かたれたと解る。だが、恭也は一度も腰に差した剣を抜いていない。一体どう言う事なのかと、スバルは訊かずに はいられなかった。

「一体、どうやったんですか?」
「企業秘密だ。ほら、次が来たぞ」

 恭也の指差す方向から、またガジェットの大軍がやってくる。今度は目算で二十機ほどだ。

『ガジェット一型、二十三機接近中』
「シグナム達もしっかり仕事してるようだ」

 言いつけ通り三型を中心に落としてくれてるようである。これなら、新人達の経験値も積みやすいだろう。
 戦況報告のため、恭也は耳元の通信機のスイッチを入れる。ついでに前線の副隊長陣にも連絡を取った。

「さて、仕事するぞ」
「了解です!」

 一人は弾丸のように、一人はやはり歩いて、敵軍へと向かっていった。

〜・〜

 戦局を見つめるエリオは、必死にモニターを見つめていた。
 シグナムとヴィータが撃破していく姿。ザフィーラが粉砕していく姿。スバルが蹴散らす姿。恭也があしらう姿。そのどれもが彼にとっては貴重な糧だ。攻撃 のタイミングと攻撃方法、間合いの取り方、足場の選び方、回避法、隙の出し方見つけ方。どれもが自分にはまだ出来ないことばかりだった。
 戦いたい。
 不謹慎ながらも、少年はそう思ってしまう。自分が幼いから、この場にいる。自分が頼りないからこの場にいる。強くなりたいのに、何故自分がここにいるのか。それが解っているだけに歯痒かった。
 そんなエリオの様子を心配するのはキャロだった。少女にとって争い事は、一種トラウマに近い。人がいがみ合う事は、自分の心を落ち着けてくれないもの だ。それでも、人々が争い合う事はどうしても避けられないものだと言う事も知っている。その板ばさみが、未だにフリードを制御できないと言う現象で浮かび 上がっている。
 でも、できるのなら自分の手でその争いを止めたいと思えるようになった。フェイトとの出会いが、六課との出会いが彼女にそう思わせるようになったのだ。 そして、仲間がいると言う事の意味を知った。前は助けられた。なら、今度は自分が助ける番。キャロはそう思い、エリオに声をかけた。

「エリオ君」
「キャロ?」
「肩に力が入ってるよ?」
「え? あ、これは、その……」

 自分が今まで気負っていた事に気付いた少年は、それを少女に指摘された事に気恥ずかしさを覚えたらしく、頬を赤く染めた。少女にも判るくらい気負っていたらしい。

「ここはスバルさん達を信用しようよ。一番後ろで、絶対に突破されちゃいけないけど、そこまで肩に力が入ってたら失敗しちゃうよ」
「そうだね。うん、リラックス、リラックスしないと」
「あの、それも力入れてやることじゃないよ?」

 なんだか必要以上に気合と言うか、力んでいるエリオを見て、キャロは少し不安になる。この前の出撃からエリオは何かを悩んでいたみたいだし、何を言ったら気持ちを和らげてあげられるのか彼女には解らないが、少しでも明るい雰囲気を出してあげたいと思った。
 そんな少しギクシャクとした二人の間に割り入ったのは、ティアナからの通信だった。

『ゴメン! 三体そっちに行った!! 後頼む!!』
「りょ、了解!」

 慌てて確認すれば、やや北側から来る二機と、南側から回り込んでくる一機が確認できた。
 ――敵が、来た。
 その事実に、エリオの頭がフル回転した。

「……キャロは南から来る奴を頼む。僕は北の二機をやる」
「え、でも」
「動きを見る限り二人固まってたら手が回らない。一機だけの方を二人でやったとしても、二機のほうがホテルに辿り着いちゃうよ。だから、二手に分かれる。これしかない」
「う、うん」

 力強く言うエリオの迫力に負けて、キャロは思わず頷いてしまった。

「キャロ、ブーストをお願い。加速だけで良いから」
「わ、解った」

 エリオの頼みに、キャロは頷いて魔力加速の魔法をかけた。

「ブーストは私から離れると効力が長く続かなくなるから」
「うん、解った。あっちに着くまで持てば良いから、大丈夫だよ」
「怪我、しないようにね?」
「頑張るよ」

 約束を確約できない事にエリオは心を痛めるが、約束を守れる根拠を持ち合わせていない。少年は曖昧に頷くことしか出来なかった。
 キャロの足元に魔法陣が広がる。ミッド式ともベルカ式とも違う四角形の魔法陣。召喚師固有の魔法陣が描かれたのだ。

「ブーストオン!!」

 数少ない強化魔法の一つ、魔力運用を一時的に加速させる術をエリオにかける。通常、魔法に行使する魔力の運用は、一定の手順を踏み、効果を発揮するが、 それには個人差が存在する。この手順がどれだけ手早く行えるかが、魔法における才能を決める一つの基準になっている。そのサイクルが速いと言う事は、一度 に大量の魔力を篭められると言う事に相当する。サイクルの回転率が、魔力の瞬間出力の間隔をどれだけ狭められるかと言う事に繋がるからだ。
 そして、キャロのブーストは、この瞬間出力の間隔を狭める事が出来る。ただし、ブーストとは本来個人が持つ限界以上の事を無理矢理させる。当然、身体への負担は大きい。彼女自身はあまりブーストを使いたくはないのだが、

「ありがとう。じゃあ、行って来る!」
「気をつけてね!」
『Sonic Move』

 少年は満面の笑みで礼を言い、飛び出して行った。あっという間に姿が消えてしまったエリオに若干あっけに取られたキャロだったが、すぐさま自分の役目を思い出し、レーダーで確認しながら自分の赴く場所へ走り出していった。

〜・〜

 再び、戦場を恭也とスバルに戻す。
 あれから40機ほどのガジェットを機能停止に追い込んでいた。打ち砕かれ、斬り裂かれた残骸が森の中に転がっている。その残骸が山と積まれている中で、 スバルはその場に残っていた最後の一機を殴り倒した。これで少しだけだが間ができる。とは言え小休止にもならない時間だが、息をつける暇はあるだろう。

「でも、高町隊長が五機も後逸させるなんて思いませんでした」
「そうか? 俺の場合、有効射程範囲が短すぎるし、追う足もないからな。遠くに逃げられるとどうしようもない」

 先ほど襲ってきた一団。計二十三機のガジェットを前にして、さすがの恭也も手が回らなかったらしく、一番遠方に居た五機を取り逃がしたのだ。一瞬、スバ ルが追いかけようとしたのだが、それよりも残りの方を片付ける事を命令された。後ろに行かせてしまった分は後ろに任せると彼が言ったので、スバルはティア ナ達を信じて、敵の一掃に徹したのだ。

「まあ、さすがのランスターもあそこまで離れてたら手の出しようがなかったみたいだがな」
『と言うか、なんかじりじりと私のカバーエリアから出てますよね、二人して!』
「え!? そうだったの!?」
『あんたはレーダーの確認もしとらんのか!!』
「だ、だって高町隊長がいるから安心かなーって」
『阿呆かあああああああああああああああ!!』
「漫才も良いが、そろそろ次の団体さんが来るんだが……聞いてねえなおい」

 モニター越しに漫才に走るスバルとティアナに、恭也は肩を竦める。お前たちはここを一体なんだと思ってるんだか。

『……む! 今、高町隊長に思われたくない事を思われた気がする』
「え? そなの?」

 意外に鋭いな。センスはあるのかも知れん。
 口にも顔にも出さない辺り、恭也の面の厚さが良く解る。

「何妄想を口にしてるんだ? ほれ、次が来たぞ。そろそろラストになるか?」
『その通りです。次に来る集団が最後になります。今スターズ、ライトニング両02が敵後方より接近中』
「よし、なら楽できるな」
『おい黒助、早速サボろうとすんなよな!』
『そうですよおじいさん!! リインが傍にいないのを良い事に手を抜くなんて言語道断です!!』

 五月蝿いお目付け役がいた事を忘れていた。

「お前等が来たら俺の出番なんてないだろ。いない方がマシだろうに」
『アホ抜かすな! お前仮にも現場指揮官だろ!!』
「うん、仮だな」
『ヴィータちゃん! 迂闊な発言禁止ですー!』
『しまったー!!』

 何でも拾う男高町恭也。自分の利益に繋がることならば、例え一円の価値しかないものでも必ず拾うのが信条である。

「ま、それもこれも戦況次第か。ザフィーラの方はどうだ?」
『全て片付けた。稼動しているものは一機もない』
「じゃあ、念のためモンディアル達の方についてくれ」
『了解した』

 さて、そのエリオとキャロであるが、先ほど逃がしてしまったガジェットをしっかり始末できたようである。今しがた、モニターでエリオが二機同時に槍の餌食にしている。キャロは鎖を魔法陣から生やしガジェットを生け捕りにしていた。
 それを見て、恭也は確認しておく事があった事を思い出した。

「……今更なんだが、ガジェットは全機撃破でよかったのか?」
『ええ。今回は新型もいませんし。捕獲する意味はありませんから』
『装甲の強度も変わっていなかったからな。変わっているのはプログラム程度だろう』

 シグナムの口添えに、恭也はそうか、と頷く。実りがなければ、手元に置くのは邪魔以外の何物でもないか。

「ルシエ嬢。縛り付けてるとこ悪いが、撃破して構わん。思い切りやれ」
『解りました!』
「モンディアルは後方待機。ないとは思うが、別方向からの襲撃に備えろ」
『了解』
「残りの連中は各個撃破。ランスターも自由に動いて構わないぞ」
『了解です』

 そこまで命令したところで、恭也の感覚に引っかかるものがあった。ガジェットではない。もっと何か危険度の高い何かが迫っている事を、往年の勘とも言うべきものが訴えてきた。

「シグナム!」
『――ああ、私も感じる。ち、拙いな』
『センサー感知っ。南西から魔力反応! ランクは……S!?』
「いけるか?」
『解らん。相手の出方による』
『おい! どうすんだよ!?』
「ヴィータ嬢はこのまま俺達とガジェットを叩け。正体不明はシグナムに相手してもらう」
『そんな! シグナムはリミッターが……!』

 シャマルの悲鳴に近い訴えに、恭也はかぶりを振るだけだった。

「出来るだけ時間を稼げ。こっちも撃破したら救援に向かう」
『速攻片付けるからな!』
『期待しないで待っておこう』

 モニター越しに不敵に笑って見せたシグナムは、体を翻してヴィータの傍から離脱していった。それを苦々しく見送るヴィータは、恭也の言葉通り、シグナム を助けに行くべく自身を加速させる。現場に辿り着いたときには、恭也とスバル、そしてティアナが十体のガジェットを追っていた。
 見た限り、ティアナの射撃でどうにかその場に縫い付けているだけだった。移動力はあるが小回りが利かないスバルと、追う足を持たない恭也では、飛び回るガジェットを捉えきる事が出来ないようだ。
 それが、彼女に違和感を抱かせる。気付いた時には叫んでいた。

「黒助! 手前ぇ、こんな時に手ぇ抜いてんじゃねえ!!」
「ヴィータ副隊長?」

 偉い剣幕で怒声を飛ばすヴィータにスバルは呆気に取られかかった。自分が戦場にいなければ素直に呆然としていただろう。

「ヴィータ嬢?」
「お前、こんなときもサボろうってのかよ!? ああ!?」
「ヴィータ嬢、口調が戻ってるぞ」
「うるせぇ!! そんな玩具さっさとぶった斬れ!! んで、ちゃっちゃとシグナム助けに行くぞ!!」

 急降下ダイブしてくるヴィータは目の前に躍り出たガジェット一機に自慢のハンマーを殴りつける。よほど力が集約されていたのか、ハンマーの柄に引っかかる事無く、大穴を開けて破壊していた。どうやら、相当恭也の行動がとさかに来てるらしい。
 そのまま恭也の真横に着陸。何気にブレーキングが完璧だった事にティアナは目を光らせた。

「そこまで焦らなくても、あいつならやられる前に逃げるだろ」
「お前ぇじゃねえんだよ! あの戦闘馬鹿は面白ければずっと斬り合ってるだろうが!」
「その大枠にはやて馬鹿付くだろ。あの馬鹿がはやて嬢を悲しませるような思考回路を有してるはずがない」
「………………………………………………それもそうだな」

 ティアナとスバルが思いっきしずっこけた。

「そこで納得するんですかヴィータ副隊長!?」
「いや、全く以って恭也の言う通りだった」
「フォローすらないんですね!!」

 アタシとした事が、と照れ笑いを浮かべる始末。さっきまでの焦りはどこに行ったんですか。

「まあ、早い事に越した事はないがな。ほれ、残りを片付けるぞ」

 空気を改めて、任務に従事するよう恭也は言うが。最早今までの緊張感を取り戻す事は物凄く難しい作業となっていた。自然、ヴィータと恭也の無駄話が展開される。

「にしても、意外に指揮官出来てんじゃん」
「聞きかじりだ。まあ、十年も下っ端をやってれば、隊長の指揮に不満が出ることもあるさ。俺なりに考えた結論としては、全員好き勝手に動いてくれと言うものなんだが」
「それ、ただの指揮放棄だかんな」

 恭也の言が不満らしい。その不満を発散するかのように、ヴィータはグラーフアイゼンを無造作に振っていた。なんか、まとめて二つくらいガジェットが粉砕されてます。

「興が乗ったと言っただろう。自分から手放す事はしないさ。第一、これでも一応ない頭使ってそれなりに指揮してるつもりなんだが?」
「まあ、今のところミスってねーけどさ」

 意外な事に、本当に意外な事に、恭也はしっかり指揮と言うものが出来ていた。いや、心得があったと言うべきか。日頃、上司に煮え湯を飲まされている彼 は、日々頭の中であーしたらどうだ、こーしたらどうだと考え込んでいたと言う。今回はその鬱積を発散する意味で、指揮を取ってみただけだそうで。

「それだけでこれだけやれるんなら、部隊長位はできるんじゃねーの?」

 ヴィータの疑問に、恭也は中指と薬指で挟んでいた鉛筆大の鉄製の針――飛針をガジェットの射出レンズに投げつける。レンズを割られ、尋常ではない速度で 投げられた衝撃でノックバックするガジェットに、恭也の左腕が霞むかのごとく振られる。すると、いつの間にかガジェットは三枚に下ろされて爆発した。

「今認識したわ。あの二人、間違いなくバケモノよ」
「私、あそこまで呑気に会話する余裕ないよー」

 そう言いつつもガジェットをどうにかあしらっているティアナとスバル。二人も順調にバケモノへの道を歩んでいるようで、なのはにしてみれば満足する結果だろう。

「あほか。何で他人の面倒見なきゃならん。俺は俺の面倒で忙しいんだ」
「甲斐性なしだな」
「それで結構。まあ、一人だけなら何とかなるが、それ以上は無理だ」

 美由希を育てた手前、指導すると言う点は適性があるのかもしれないが、それは御神流に限った話だ。戦術的、戦略的、部隊運用を考えれば、どう見てもはやての方が上である。今後も勉強する気のない恭也としては、指揮官など眼中にないのだった。

「よし、全部片付けたな! シグナムんとこに行くぞ!」
「あー、お前は飛べていいが、こっちは持ち前の足がもう二本しかないんだ」
「ああ? さももっと一杯ありましたみたいな言い方するな!!」
「ええ!? そうだったんですか!? も、もしかして事故とかで足を切っちゃったとか!?」
「重い話をさも軽く驚くなナカジマ。しかし残念ながらヴィータ嬢の言う通り俺は二本しか持ってなかったんだ」
「じゃあ、何が一杯あったんですか!?」
「腕が一杯だったんですよね!」
「ランスター、渾身のボケのところ悪いが寒い」
「やっぱりやっぱり私ってぇ、わたしってぇ!!」
「あああああ、ティア、うん、大丈夫! 私は面白かったから! ね!!」
「そんな苦笑いで慰められたくないわぁ!!」
「って言うか、またフィールド張りやがったな恭也!」
「いや、今回は完全に無意識だった」

 面目ないと素で謝るので今回は本当に意図していなかったらしい。とは言え、意図しないで発生させられるのは本当に困るのだが。それはともかくとして今はシグナムだ。

「ティアナはスバルに負ぶってもらえ。アタシはコイツを担いでいく」
「せめて脇に抱えるとか、手を繋ぐとか」
「良し行くぞ!!」
「担ぐのを辞めてくれたことには多大なる感謝をしてやるがなヴィータ嬢。襟元を掴んで浮くのはどう考えても俺を絞め殺そうとしてると思うんだがそこんところどうなんだ!?」

 あえてその行為に突っ込まないティアナとスバルは、すっかり六課に染まったのだと思われる。それが良い事なのか悪い事なのか、誰にも判らないが。

〜・〜

「――さて、誰だ、と訊ねても良いのか?」
「敵だ、としか答えられないな、この場合は」

 深い森の中で、どう言う偶然が働いたのか、広場がそこにあった。花も苔も生えておらず、雑草が生い茂る平原のような広場だった。
 その中央。そこに二人の剣士が向かい合っていた。
 烈火の将、シグナム。
 赤い兜を被った男。
 その二人が、身を切るような緊張感を纏って睨み合っていた。

「数日前、クラナガンの旧市街の倉庫で火災事件を起こしたのはお前か?」
「ああ。確かにそれは俺の仕業だな」
「目的はレリック」
「正解だ」
「何の目的で集めている?」
「さてね?」
「首謀者はジェイル・スカリエッティだな」
「そこだけは断定か。まあ、間違ってないと言っておこう」

 ようやく犯人を確定できた。これで捜査線を絞り込める。
 シグナムは更なる情報を引き出すべく、険を強くした。

「それで? 態々姿を晒した理由は何だ?」
「時間稼ぎさ。あのホテルに密輸されてる何かを運び出すのが目的だと聞いている」
「なに?」
『密輸品? いえ、ともかく照会を!!』

 ロングアーチが慌ててオークションの主催者に連絡を取る間にも、兜頭は言う。

「それが何かは知らされてない。まあ、それは俺自身には関係ないからどうでもいいんだが」
「その口振りからして、貴様はスカリエッティの部下ではないのか?」
「どちらかと言えば協力者だろうな。ただ、俺は奴に大きな借りがある。実質文句も言えない状態だ」

 つまり、部下と変わらないと言う事か。ならその借りとやらを負担できれば、スカリエッティに与する理由がなくなるはず。もしや、引き込めるチャンスか?
 そう思い、シグナムは交渉を口にした。

「その大きな借り、我々が負担する事は出来るか?」
「無理だ」

 一瞬で、何の迷いもなく断られた。

「どうしてそう言いきれる?」
「管理局の技術では無理だからだ。口惜しいけど、奴の技術力が俺には必要だ」
「目的如何によってはロストロギアの使用も検討する」
「魅力的だけど、確実性がない」
「お前の目的はなんなんだ?」

 そう訊ねて、赤い兜は少しの間を置いて答えた。

「俺のな、女房が目を覚ますことさ」
「なに?」
「これ以上の問答は、さすがに拙い。下手なこと口走りそうだ。ある程度情報も渡した。ここら辺で引き下がってくれないか?」
「まだお前が情報を持っていると判っている以上、こちらが引く理由はない。悪いが、確保させてもらう」
「まあそうなるよな」

 やりきれないと体で表す彼に、シグナムは内心で疑問と憶測を捏ねていた。
 何故、こうまでこちら側に譲歩しているのか。
 何故、こうまで戦闘を忌避するのか。
 あくまで推測だが、この男は戦う事を好まない人間で、今は戦わざるを得ない状況に陥っているだけなのだろうか。
 奥方の治療、あるいは蘇生が目的と言った。それ自体は嘘ではないだろう。虚言を呈したところで今後の状況に影響があるわけでもない。嘘を吐くメリットがどこにもないのだ。ならば、真実と考えて相違あるまい。
 医療技術を専門とするスカリエッティでなければ治癒できない程の状況に陥っていると見るべきか。

「そちらの事情は察した。だが、それでもお前をこのまま帰すわけにはいかん」
「じゃあ、お互い、予想通りに剣を交えようか」

 シグナムはレヴァンティンを鞘から抜いた。切っ先を男の兜に合わせて構える。間合いは凡そ15メートル。一刀足にはまだ遠い。
 対して、男も剣を抜いた。構えられた剣は奇妙な形をしている。反りがない事は珍しくないが、刃の成り方が通常の概念とは違っていた。そう、それは先日恭也が予想した剣の形だった。

「あいつの予想通りか。奴の観察眼には敬服する」

 口の中で言葉を転がしながら、シグナムは間合いをどう詰めるか考えていた。男の剣はただの剣だ。デバイスコアが見当たらない。もしや相当な小型を積んで いるのかとも思ったが、それではSランクの魔力を扱うには力不足だ。ならば、あれはただの剣であり、デバイス自体は別に持っているのだろう。変則的なベル カスタイルと言ったところか。

「レヴァンティン」
『Jawohl!』

 シリンダー内のカートリッジを装填する。蒸気を発して、薬莢を排出した。
 彼我の戦力さは、魔力ランクで差し引けば実に2ランクの差がある。1ランクでも差があれば苦労する場面で、その倍の差があるこの場合、並大抵の技術では凌ぐことも叶わない。
 だが、それでもやらねばならない。そして、シグナムはこのような状況を望んでもいた。

(近年稀に見る劣勢。奇しくも相手は私と同じ直剣の使い手。心が躍るな)

 不謹慎と思われようとも、シグナムはその思いを抱かずにはいられない。恭也以外の、久々の魔導剣士との対決なのだから。
 待ちを決め込むつもりはない。元来、シグナムは攻めを得意とする。なら、隙を待つよりも隙を作り出すべきだ。

「っ!」

 呼気と共に足を踏み出す。二歩目が地を蹴ったのと同時、その身を空へと投げた。

「――――はあ!!」

 低空飛行で迫るシグナムに、男は反応した。フェイントもない突進に戸惑う事無く迎撃の姿勢を見せる。正眼に構えていた剣を頭上に振り上げ、振り下ろす。 たったそれだけの所作だが、振り下ろしの速度は目を見張るものだ。このまま行けばシグナムの脳天を真っ二つにしてくれるだろう。それを読んでいたシグナム は掬い上げの一撃で応対する。
 森に響く剣戟。二つの力の衝突に男の足元にある草が次々に弾け飛んでいく。巻き上がった草塵に気を払う事無く、シグナムは中空で旋回し、薙ぎ払いを仕掛けた。
 これを嫌った男は一旦後ろへと逃れる。それを見たシグナムは右足を地に付け、無理矢理回転を止めて後を追う。それを見透かしていた兜の剣士は体勢を立て直す隙間を狙って、蹴りを放ってきた。

「くっ!」

 回避が間に合わずシグナムは左の手甲で蹴りを受け止めた。しかし威力までは殺しきれず後方に吹き飛ばされる。あの局面で剣ではなく足が出てくる辺り、 真っ当な騎士ではない。いや、実戦を潜り抜けたからこそ出る技だ。思った以上に実戦向きな戦い方をする騎士に、シグナムはこの先の苦戦を予感する。
 再び距離が開く。だが、今度はお互い悠長に間合いを計る事はしなかった。一度火蓋が落ちれば、後は勢いに乗った方が勝つ。それを知っているからこその行動だった。
 今度は示し合わせたかのような右の振り下ろしが、互いの獲物で火花を散らし合った。続けざま表情の見えぬ剣士が切り返しの横薙ぎを繰り出す。それをさせ じと、シグナムは更に間合いを踏み込み、肩から突進した。彼女の肩が胸元に当たり、数メートルほど赤い騎士の体を浮かせる。
 体勢を立て直す暇を与えず、シグナムはレヴァンティンを可変させる。剣から蛇へと姿を変えたレバンティンの刃が、頭部を狙って襲い掛かる!
 間一髪、首を捻ってそれを交わしたが、その無理な行動が更に彼から立て直すための時間を奪った。それを好機と見て、烈火の将は己の魔剣に魔力を篭めた。

「飛竜――」

 中距離での砲撃用の魔法だが、このタイミングならば当たると確信しての選択だ。
 シグナムは腕を振り絞り、レヴァンティンを嗾けた!

「――一閃!!」
『アクティブ1』

 と同時に、どこからか電子音声が戦場に響いた。
 地を抉りながら突き進む刃と炎の乱流を前に、赤の剣士の剣が炎を纏ったのをシグナムは見た。
 竜の翼が巻き起こす火風に飲み込まれる直前、剣士は己が握る剣を腰溜めに構え、抜き放った。斬ると言うよりも、振り払うような剣捌き。その剣閃を後追いして、一陣の炎が周囲に誕生した。
 衝突。
 熱気が一気に倍化し、熱で膨張した大気を押し広げ、二人の体を吹き飛ばした。
 共に着地もままならず、地面を転がる。シグナムはレヴァンティンを突き立て無理矢理回転を止め、騎士もまた剣を突き立てて無理矢理立った。

「ふぅ、危なかったな、今のは」
「必殺だと思ったんだがな」
「おいおい、俺から何か聞きだしたいんじゃなかったのか?」

 その通りだが、力を抑制されている状態では殺しに行かなければ何も出来ないのだ。

「貴様のデバイス、その兜か」
「まあな。ブレイン、と呼んでいる」
頭脳ブレインか」

 AIは搭載していないようだが、それに準じるほどの情報解析能力を持っているようだ。あの局面で、魔導師ではなくデバイスが状況を判断して魔法を展開したのが良い例だ。

「いいデバイスのようだ」
「俺には過ぎた物だけどな」

 しかし、厄介ではある。本人の意思とは関係なしに魔法発動の補助をするデバイス。その持ち主はSランクの魔力量を誇る。機械的な速さで対応されるとなっ ては、迂闊に攻め入る事が難しい。とは言え、今さっきからの攻防を鑑みるに、マスター自身に危機が迫ったときしか動かないようだ。それだけならばまだ勝機 は見える。しかし、それが出来て、通常の戦闘時に沈黙し続けると言う根拠にはならない。

「攻め難いな」

 攻略するには時間がかかりそうだと、再び攻めの姿勢を見せたシグナムに、彼は待てと制止した。

「時間稼ぎは終わった。俺はここらで退く事にするよ」
「逃がす訳がないだろう」
「と言っても、俺としても捕まる訳には行かないさ」

 そう言って、彼は懐から手のひら程度の大きさの機械を取り出した。シグナムはそれに見覚えがあった。今となっては懐かしい、転送魔法の補助装置だ。

「待て!!」
「ああ、最後に一つ言っておこうかな。俺の呼び名はグレンでいいよ。紅蓮の騎士で、グレンだ」

 咄嗟、シグナムは迎撃の可能性を捨て置いて飛び出した。風を切る速度で飛翔するが、しかし、それよりも僅かにグレンがスイッチを押し込む方が早かった。
 次瞬、空を斬ったレヴァンティンが野に突き立つ。急いで周囲の索敵をするが、グレンの影を捉える事は出来なかった。

「シャマル! ロングアーチ! 奴を追跡できるか!?」
『……いいえ、無理ね。きっちり妨害されてるわ』
『こちらもです。転送先にノイズが混じってて判別できません』
「してやられたか……」

 あちらの目的を達成させ、あまつさえあしらわれた。剣士として、この上ない屈辱だった。

『たまの敗北もいいものだろう』

 苛立ちを溜めるシグナムに、そんな皮肉を口にするのはこの部隊では一人しかいない。

「恭也。貴様のその軽い口を縫い付けても構わんのだぞ」
『そしたら労災って下りるのか?』
『おりねーよ』
『そうか……』
『えーと、なんで残念そうなんですか?』
『キャロ、この人に疑問を持っちゃ駄目なのよ』
『僕もあまり深く考えない方がいいと思うよ?』
『あ、うん、そうだったね』
『……黒助、良いのか、あんな事言われて』
『周囲の評価が下がれば昇進しないで済むしな。存分にやってくれ』
『手前ぇら! もう黙れ!!』
『は、はい!』

 やれやれだ。この男が混じると戦う気分じゃなくなってしまう。守護騎士としてなんとも許しがたい状況だが、シグナム自身が気に入っているのが一番厄介な問題だった。どうにも、恭也が絡むと肩の力が抜けすぎてしまう。

『敵勢力の消滅を確認。周囲2000にガジェット反応なし。作戦終了です』
「了解。これより帰還する」
『全員戻るぞ。被害報告は帰ってからな』
『了解』
『オークションは終わってないからな、これで気を抜くなよ?』
『う、そう言えばそうだった』
『これで終わりじゃなかったー!!』
『……言っておいてよかったな、マジで』

 どうにも締まらない締めで、実働部隊はホテル警備へと戻る事になった。
 ちなみに、恭也は被害報告に目を通す時間をどう捻り出すか必死だったりする。書類仕事が苦手な彼にとって、報告書と言う存在がその鍛錬時間をごっそり削 る素晴らしいものであり、今回もまた刀を抜ける程の脅威に遭わなかった事も手伝って、鍛錬時間がどれだけ必要なのかが悩みどころだった。
 隊長稼業はやはり性に合わないと恭也はぼやくのだった。

〜・〜

「おや、おかえり」
「…………何してるんだ?」

 シグナムとの一戦の後、一旦別次元へと逃れたグレンは、当初の取り決め通り、いくつかの世界を経由してスカリエッティが居を構えるアジトへと戻ってき た。戻ってそうそう彼を出迎えたのは、何故か割烹着を着て、三角巾を頭に被り、埃叩きを手に持つ、天才科学者だった。その隣には当然の如く、これまたおそ ろいの割烹着を着たウーノがバケツの上で雑巾を絞っていた。

「見て判らないかい? 掃除をしてるんだよ」

 それくらいは解る。そうではなくて、何故掃除をしてるのかとか、態々そんな格好をする意味があるのかと言う事をグレンは訊ねたかったのだが。

「…………ウーノ?」

 一先ず、一番まともに答えを返してくれそうな存在に真相を確かめてみる事にする。

「プロジェクトの34フェースが終了しまして、丁度今日と明日フリーになったのです。その合間に出来る事を考えている内にドクターが掃除をしようと仰いまして」
「なんでまた」
「いやー、クリーニングは定期的に行っているけどね、何せ毎日使う機材だろう? 週に一度の掃除程度では落ちない汚れが結構あったのだよ。手垢とかが良い例だね」
「その割には埃叩きを手に持ってるのは、興が乗って全面的にやり始めたって事か」
「その通り。自分で掃除して綺麗にすると言うのも中々楽しいね! うむ、今度管理局の私のプロフィール欄に『趣味:清掃』と書き足しておこう」
「止めて下さいドクター。そこで足が付いたらどうするおつもりですか」

 付き合ってられないとばかりに、グレンは天を仰いだ。早々に踵を返す彼に、スカリエッティは思い出したかのように言葉を投げた。

「どうだい? 六課の実力は」
「それなりだな。まあ、苦戦するんじゃないか?」
「ふむ、ありがとう。参考にするよ」
「ああ」
「それと」
「なんだ?」
「ルーテシアお嬢さんに礼を言っておいてくれと頼まれてね。『ありがとう』だとさ」
「? なんであの子が礼を言うんだ? あんたならともかく」
「ん? そう言えば私はまだ礼を言ってなかったかな?」
「その通りですドクター」

 話が摩り替わっていた。その前に質問に答えて欲しいんだが。

「これはこれは失礼した。ガリューが届けてくれたものは無事手に入れられたよ。破損も故障もない。うん、完璧な仕事振りだ。ありがとう」
「依頼だしな。探し物に問題がないのならそれで構わないが、ルーテシアが礼を言う意味が解らない」

 スカリエッティが礼を言うのは筋だが、ルーテシアに礼を言われる根拠が思い浮かばなかった。
 本気で疑問符を浮かべるグレンにウーノは極々当たり前の事だと言って聞かせた。

「お嬢様は、ガリューが襲われる事無く、包みを運べた事に感謝しているのです。あなたが六課の注意を惹きつけてくれなければ、襲われていた可能性がありましたので」
「……ああ、それで」

 一応理屈としては理解できるが、今回の場合、どちらかと言えばスカリエッティに頼まれたからと言うほうが大きい。あくまでもガリューを守る事になったのは依頼を遂行した結果だ。彼を守る為に動いた訳じゃない。だから、それで礼を貰うのは居心地の悪い話だった。
 しかし、訂正するにも礼を言った本人はここにいない。今から抗議するのは些か恥ずかしい面もある。ここは謹んで受け取っておくとしよう。

「解った、礼は受け取っておく。じゃあな」
「ああ。しばらくは大規模な行動予定はないからゆっくりしておくといい」

 その言葉が確かかどうかはどうでもよかった。ただ、スカリエッティがゆっくりしろと言うのなら、自分の出番は当分ないことだけは解る。なら、その間、妻の顔を見守ろう。
 いつもの事だと頷いて、グレンは半ば自室と化したアジトの最奥へ向かうのだった。