栄転、と人は言うが、個人的には今の職場に骨を埋めようとしていた人間を無理矢理別の部署に引っ張るとは何事か、と憤懣やるかたない気持ちで胸が一杯だった。しかし、上からの命令には従っておかなければならない。何故って、社会と言うのは通貨と言うものがなければ何も出来ないからである。
それでも最低限の、生きる事に支障がない程度の収入しか望んでないと言うのに、何故自分はここにいて、息を潜ませているのだろうか。本来ならば、本日付けで配置換えだったはずなのに、古巣の部署の出動に何故か駆り出されている。理不尽だ。従妹の妹と同じく理不尽に怒りが湧く。
使い潰しと蔑まされてきたが、流石に所属から外れた人間を担ぎ出すのは如何なものなのかっ。
とまあ、苦言だけならばいくらでも出るのだが、それは口に出さない事にしている。いつだって、自分は都合の悪いときに引っ張り出され、後始末をする役割なのだ。だからまあ、この程度の手伝い、どうと言う事はない。
耳に装着した愛用の機械式のイヤホンが年季を漂わせる擦過音を鳴らし、通信が入ってきた。
それは、ブリーフィングで聞いていた突入の合図――カウントが始まった。
『3』
一つ深く静かに呼吸をする。
研ぎ澄ました感覚は、ドアの向こうに潜む気配を四つ捉えていた。
『2』
右に握る柄から意識的に力を抜く。落としそうになるぎりぎりまで。
『1』
息を止める。
同時に、両足を縦に広げ、若干体を前に屈ませる。
『――突撃!!』
右の刀を素早く下から上に振り上げた。刃は旧式のドアの蝶番を寸断し、その振り上げの回転に乗って、左足に力を込めて蹴り放った。
景気よく吹き飛んでいくドアは、そのまま対面の壁にぶち当たる。派手な音を立てるドアに気を動転させた魔導師達は、慌てて自らのデバイスを握り締めた所だった。
「ぐあ!!」
「なんだ!?」
「こいつ、いつの間に!?」
部屋の中には三人の人間がいた。それぞれがデバイスを握っている。典型的な杖型のデバイスだ。情報通り、ミッドチルダ式を齧った魔導師なのだろう。ランクはAと聞いているが、迎撃体勢の整っていない今ならば御すことは比較的楽だ。
「てめ、このやぐっ!!」
「ライティ!? このぉ!」
こちらの存在に気付いた三人を倒すべく、踏み込む。全力で踏み込んだ勢いそのままに、進行方向にいた一人に肘鉄を鳩尾に突き入れ、心肺機能を一時的に奪って沈黙させる。一先ずのアドバンテージは取ったが、残り二人は、杖の先端をこちらに向けて詠唱に入っていた。
形振り構っていないのか、残り二人のうちの片方から感じる魔力はこの部屋を吹き飛ばせるほどの量だ。ここが廃墟だからか、遠慮が見えない。攻撃の余波でこの老朽化した建物が崩れ落ちる事を考えていないのだろうか。恐らく考えていないのだろう。
考えなしの無茶な行動ほど周囲にかける迷惑は甚大だ。早々に眠ってもらう。
左の手首に巻いたベルトから、黒く長細い針を三本引き抜き、投げつける。
「ぐっ!」
魔導師の男はシールドを構えようとしていたようだが、それよりも先に針が男の肩口に突き刺さった。さらには、その衝撃で上半身が仰け反らされてしまうほどの速度と衝撃だった。
その間に腰のホルダーから四番鋼糸を引き抜き、男の左腕に絡ませて、自分の間合いに引きずり込んだ。
「ひっ!」
引き寄せられた男は、拳を硬く握っているのを目にしてしまった。それでも本能から身を守るためのシールドを展開させたのは、意外に優秀なのかもしれない。その守りの壁は拳打をしっかりと防いでくれたが、何故か顔面が弾けた。脳を揺さぶられ術式の維持ができなくなる。そうなると、最早ただの人である。
シールドが消えると同時に容赦なく顔面を殴りつけ、あっさりと気絶させると無造作にその辺に放り出す。
最後の一人に目を向ければ、何故か膝をガクガク言わせて、こちらから離れようと壁に背中を打っている。
「く、来るな! 来るんじゃない! 来ないでぇええ!!」
外聞もなく幼稚な言動で拒絶しているが、何分仕事だ。同情はするが、手に持っている力で悪行を働けばこう言う事になることも覚悟するべきだった。世の中は天秤で動いているのだ。美味しい思いをしたいのならば、それ相応の犠牲や痛手を考慮しなければならない。
とは言え、
――まあ、そもそも、魔法が効かないなんて状況、魔導師はあまり考えないからな。
普通ならば自分の力が通用する場所で戦うのが当たり前であり、そんな状況下で戦わなければならない事になる事は失態なのである。今回は、運がなかったと思って貰う他ない、と同情しておく。
一歩、男に近づく。
部屋の隅に自ら下がりきり、もう後がないと言うのに、靴裏を擦りつけながら後ろへ後ろへ逃げようとする。いい加減諦めれば良いものを、と思うが、気絶できないような精神状態なのは見て取れる。
「くく来るなぁ!! 来るなぁ!!」
喧しい。そう感じて、さっさと終わらせるべく、指を揃え、刀を形取ったものを男の首筋に突き込んだ。
「――秘技、地獄突き」
「おぼえぁうをあおおおおおおおお」
全力の突きである。しかも衝撃が拡散するようにわざと徹を篭めていない周到ぶりだ。
喉を潰され喋ることも、満足に呼吸することも奪われた男は、痛みに悶えて気絶した。
「……ふむ」
室内を見渡してみる。十畳ほどの部屋で、ソファーとテーブルに小さな食器棚と簡易キッチンがあるだけの部屋。恐らくは一人暮らし用の部屋だろう。そこを根城にしていたのは四人の男だと聞いている。
一通り見終わると、見計らったかのように壁に身を預けていたドアがずるりと崩れ落ちた。鉄特有の甲高い音を鳴らしながら床に倒れるドアだったもの。その影に、前歯を折った阿呆面を晒している四人目の男がいた。既に最初の一撃目で、一人分潰していたのである。
「状況終了。制圧確認、だな」
確かめるように呟くと、二刀を握る男――高町恭也は手元の無線マイクのスイッチを入れた。
「こちらG班。状況終了。魔導師四人を制圧、確保した」
『本部了解。回収班を回します』
実直な声で答えた男性通信士は、手元の回収部隊に伝令を出す。その命令の声を聞きながら、恭也は付け加えるべき点を伝えた。
「了解。ああ、担架があると楽だぞ」
『承知しています』
あっそう。用意がよろしい事で。
何気に対処マニュアルがしっかりしてる辺り、彼の日頃の行いもすっかり浸透しているらしい。何しろ恭也はバインドなどの捕縛魔法を使わず、打撲などで意識を潰す方法を取っているので、犯人の移送が面倒なのである。普通なら意識のあるまま、自分で歩かせるのが管理局のセオリーなのだが、恭也限定のマニュアルがついに作成されたようである。
「他の班は?」
『既に引き上げています。三〇二分隊で残っているのはあなただけです』
「早いな。大体、班分けに難ありすぎだろ。何で俺だけ一人なんだ。これじゃ班とはとても呼べないだろ」
『編成に関して通信士である私に言われましても。それに既に作戦は終了していますので』
尤もである。尤もすぎて楽しくない。
『ちなみに、当たりはあなただけです。ですので、他の方々は早々に引き上げました』
「……当たるなら宝くじが良い」
『個人的見地から見てあなたに運はないかと』
「容赦ないな、あんたも」
声しか聞こえない通信士に、恭也は軽く溜息を吐いて、気分を変えた。こんな所に長居するのは勿体無い。さっさと帰って報告書書かなきゃならないし。
「これより帰還する」
『了解。転送経路はイミダスを経由します』
手際が良いのか、言った傍から転送の魔法陣が恭也の足元に現れた。燐光に包まれていく中、恭也は疲れとは違う溜息を吐く。
「課開式、出られなかったな」
ミッドチルダの沿岸部、しかし都市部に程近い場所に、それはある。都心からはやや遠く、残念ながら交通機関は隊舎までは伸びていない。車やバイクと言った足が必要なそんな場所に、機動六課は居を構えていた。何故そんな辺鄙な場所にあるか言えば、即応性を求めた結果だった。
武装ヘリの出撃や、魔導師の飛行を妨げず、かつ周辺住民からの苦情も少ないであろうと言う点が大きい。都市部に居を構えている課もあるが、そちらは機動隊ではなく、主に調査隊や治安維持隊なので、対犯罪者戦闘部隊の側面が強い機動隊とは様相が異なってくる。
機動隊はその性質上、大事に頻繁に駆り出されるので、兵装の準備で騒音を立てるなどで周辺住民から苦情が出て以来、出来る限り住民のいない場所、もしくは少ない場所に隊舎、または拠点を建てる事になっている。
現場の人間からすれば、犯罪が起こるのは殆どが都市部なので、郊外に拠点を設けられても、素早い対応が望めないと苦言を呈しているが、そこはそれ、彼等も住民の苦情には渋々ながら納得しているので、この処置は仕方がないものとして受け入れている。ただ、それで市民から対応が遅いと批判されるのだけが、悩みの種であった。
さて、この度新設された機動六課に続く道を、一台のランドローバーが走っている。運転手は高町恭也だ。午前中にケリを着けたテロリストの立て篭もり事件の報告書を出来る限り素早く書き上げ、奇跡的に一発OKを貰った後、速攻で纏めていた荷物を車に詰め込んで、やや飛ばし気味に六課に向かっているのである。
本来なら課開式に出席するはずだったのだが、世の中の大部分の場を弁えない唐突なテロにより、出席が叶わなかった。式その物に出られなかった事は、恭也にとっては大した事ではないのだが、知り合い一同にあーだこーだ言われるのは勘弁願いたいので、出来るだけ早く辿り着こうとしているのである。ちなみに、昼食も摂っていない。それだけ急いでいるのだ。
「ヴィータ嬢に叱られるな、これは」
言動的に面倒事などを避けたがる傾向にある知り合いの守護騎士の一人は、意外にも規律や約束事を破る事を厳しく叱ってくるのである。恭也自身、多少の違法行為が必要なときは躊躇いなくそちらの手段を採るのだが、件の騎士は守るべきものをちゃんと守り、更には目的も遂げてみせる。
力が足りないからこそ裏技で補う恭也からすれば嫌味でしかない。まあ、その真正面からぶつかる姿勢は好ましいものであるし、正直、違反しないのであればそちらを採用するべきだ。それは至極当然の選択と言える。
そんな真っ直ぐを貫ける強さは欲しいとは思わないが、誰かしらが持ち続け、実践し続けて欲しいものだと恭也は願っていた。決して口に出さないが。あれこれと余計な事を喋れたのは若さなのだろうなと、黄昏てみたり。
「……さて、どこに停めれば良いのか」
横に流れていた思考を元に戻したのは、六課の隊舎が見えた時だった。正門を抜けると正面に隊舎、そこから左右に建物が二つ。遠目から見る限り、左手に見えるのは恐らく格納庫だろう。車庫にしてはシャッターが大きすぎるから、ヘリを入れておく場所に違いあるまい。
一瞬、邪魔にならないところに停めて置こうかとも考えたが、その思考を中断した人物がいた。
「お、高町の旦那じゃないっすか。どうしました? こんなところで」
「ああ、ヴァイス陸曹。車庫か駐車場がどこだか判りますか?」
ヴァイス・グランセニック陸曹。首都航空部隊に所属するヘリパイロットである。輸送ヘリから武装ヘリまで、あらゆるヘリの操縦に関して自他共に認める腕を持っている。気の軽い性格をしており、誰とでも打ち解けられる社交性の高い人物だ。密かに恭也はその性格が羨ましいと思っていたりするが、その事実を他人に語った事はない。年下を羨ましがるなど、大人のすることではない、とは恭也の浅からぬ矜持から来る強がりだったりする。
「……毎回思うんすけど、敬語、止めてもらえないっすかね?」
「ヴァイス陸曹、自分は上官侮辱罪で減俸はもうこりごりであります」
「ちょ、あんた別に陸尉だろうと陸佐だろうと不遜な態度しまくりでしょ!?」
ヴァイスが言っているのは、かつて武装隊に所属していた時の事だ。彼が所属していた部隊が恭也が今まで所属していた三〇二隊との合同作戦を展開した時のブリーフィング中、この万年三等陸士はあろう事か、指揮を取っていた二佐にこう進言したのである。
『あんたの頭はおかしい』
と。
その後、採用された作戦が如何に危険で、かつ無謀で、加えて自分の部隊にどれだけ負担がかかるか訥々と説き伏せたのは今でも武装隊の語り草だった。作戦に参加した局員の誰もが思っていたことだったのだ。消耗して来いとか、犠牲になって来いと言うのを、作戦と言う名目で隠していた事に。
それでも局員として、軍人として、上官の命令には従わなければならない。作戦に参加した人間は、とにかく生き残る事を念頭に置こうと決意していたところに、恭也の文句が入ったのである。
「あん時程肝が冷えたことなかったっすよ。独裁で知られるタラスク二佐、いえ、今は一佐ですか、あの人に逆らうってのに」
「必要があったから言ったまでだ。あれは俺達に過負荷がかかりすぎていたしな」
「まあ、そうなんですけどね」
そこが否定できないところである。
合同であたった作戦とは殲滅戦だった。戦局的にかなり絶望感が漂っているものだった。
作戦の内容とは、恭也の知識から見て鹿に似ている野生動物が異常繁殖し、本来ならば需要と供給のバランスが取れていた生態系が崩れ、動物達の食料が激減し、周辺に生息していた動物達は飢餓寸前までいっていた。
彼等が参加したのは空腹を満たすために食料を求めて暴れまわっているのを鎮圧するための作戦だった。動物達に食料を与えると言う案は初めからなかった。増えすぎた動物は減らさなければ、自然界のバランスが取れない。涙ぐましい話だが、そうしなければその種が死滅してしまうこともあり得たのだ。
本来なら作戦の没案としてあった遠距離からの砲撃で事足りたはずだった。しかし、折り悪く砲撃隊は別の作戦に駆り出されていて、一人で百人分の働きが出来る三人娘の方も方々に散っていた。局に残っていたのは、平均的な実力の武装局員だけだったのだ。自然、作戦は地味な物になる。
中でも、三〇二隊――スパイクフォースは、動物達の扇動、及び囮兼打ち洩らしの掃討を命じられていた。一分隊が任される仕事量ではない。それを恭也は進言しただけなのだが、タラスク・コーデック一佐はお気に召さなかったらしく、
「結局仕事量増えた上に給料減らされたんでしたっけ? 確か、四ヶ月ほど」
「六ヶ月だ」
「う、すんません」
別に謝る必要は無いのだが、何故か謝りたい衝動に駆られてしまう。とは言え、作戦は一佐の思惑を超えて、両隊が連携した事で負担は大いに減ったのである。
「でも、旦那が面と向かって言ってくれたおかげで、上層部の作戦を半分くらい無視できましたからねぇ。やっぱ、口に出してもらった事で、意識が噛みあったんでしょうね」
「そうなるように仕向けたんだ。そうなってもらわなきゃ困る」
「ですよねぇ」
恭也一人の減俸で作戦が上手くいくのなら、メリットとしては上々だろう。文官が下手に現場を任されると碌な事がないのは嘆かわしい限りだ。何のためのマニュアルなんだか。ああ言うのを頭でっかちと言うのだろう。必要以上に恭也に対しての罰則が厳しいのは、仮にも文官である高官が、頭の悪そうな一兵士に「あんた頭悪いだろ」と言われたからである。
この辺り、余計な事を口走ってしまう恭也だった。減俸された給料で生きていくのに、かなり苦労したので、基本的に恭也は上官の命令には必要以外逆らう事はしなくなったのである。
とは言え、見知った間柄になると遠慮がなくなっていくのだが。
それはともかく、
「昔話は後にしよう。車を停める場所はどこだ?」
「あっと、すんません。右手のあん中に停めてください。あ、荷物持ちしますよ」
「助かる」
ヴァイスに先導され、恭也は愛車を車庫に納めると、トランクに詰め込んだ荷物をヴァイスと二人で抱え込むように持った。大き目の段ボール箱を一人一つずつ抱えて、そこでヴァイスは首を捻った。
「結構少なくないっすか? もうちょっと多いかと思いましたけど」
「とりあえず今日はこれだけだ。デスクから必要なものだけ持ってきた」
「え? じゃあ着替えとかは?」
「今日は一旦帰る。着替えやらなにやらは明日だ」
「あ、そうっすか」
午前中に出動がなければ着替えを取りに行く時間くらいはあったはずなのだが、予定はあくまで予定だっただけだ。人生は往々にして上手くいかないものだと、いつものように噛み締める恭也だった。
隊舎に入った恭也は抱えた荷物のポジションを替えつつ、きょろきょろと周囲を観察した。元は古い建物だったそうだが、六課設立に当たり全面改修を行ったばかりの隊舎は小奇麗である。新設特有の匂いもまた新鮮だった。
「俺の部屋がどこか知ってるか?」
「すんません。知らないんすよ」
「そうか。受付で聞いてみるか」
「じゃあ、俺が聞いてきますね」
「助かる」
すまなそうに頭を下げる恭也に、ヴァイスは首を振って気にしていない旨を伝える。恭也は荷物を置いて受付に向かったヴァイスの背中を何気なく追いつつ、この後の予定を立て始めた。
まずは部隊長への挨拶と、引き継ぎの仕事があればそれを優先する。まあ、新設された課に引き継ぎがあるのかどうかは解らないが、新設だからこその雑事はあるだろう。今日はそちらを片付ける事に終始しそうだな、と溜息を吐いた。入局から十年経っても、どうしても書類仕事が苦手な恭也には暗い話だった。
そこへ、彼を呼ぶ声があった。ヴァイスではない。少女と女性の境目の、それでいて親しみを込めた声だった。
「お兄ちゃんっ」
「なのはか。久しぶりだ」
「うん、久しぶりー。半年振りだっけ?」
そうだ、と久方振りに会った彼の妹――によく似た他人に頷いて見せた。
高町なのは。若干19歳にして一尉の地位を持ち、教導隊出身の若手のホープである。通り名として「エース・オブ・エース」などと世間では呼ばれているようで、彼女の実力の高さが窺い知れる話だ。
彼女は彼にとって直接の妹ではない。十年ほど前に色々事情が重なり、とりあえず兄妹と言う間柄に納まってはいる。この二人の関係は、中々に特殊なので、ここでの説明は割愛させていただこう。
「今来たの?」
「ああ。奇跡的に書類が一発で通ってな」
「え……? う、嘘だよ。そんなこと……あるわけないよ。だって、だってお兄ちゃんだよ? お兄ちゃんなんだよ!?」
現実を直視出来ないなのはは、震える指先で恭也を指していた。確かに信じられないことであるが、慄きすぎだろうと恭也は遺憾な思いである。もう少し兄を信じてみたらどうだ。
その遺憾な思いを伝える為に、恭也は左の中指を親指に引っ掛けながら言った。
「兄はお前のその認識に対して鉄槌を下そうと思うんだがどうか?」
「いつまでもお兄ちゃんのお仕置きに屈するなはきゅ!?」
「この辺り、まるで成長がないなお前等」
するりと恭也の腕が伸ばされた事に反応できず、なのはの額の前に持ち上げられた恭也の中指が強く弾かれた。額に直撃する中指の衝撃に、なのはは首を仰け反らせ、後に屈みこみ、痛みに耐える事に必死だった。
「こ、今回は徹が篭ってないよぉ」
「たまにはそう言う痛さも必要だろ」
「そもそも痛さなんて必要ありません!!」
「罰には苦痛を。高町家の標語だ」
「ウチの家って、そんなに物騒だったかなぁ」
すりすりと額をすりつつ、思い返してみるがそんなに殺伐としていた覚えはとんとない。あっれー? おかしいなぁ。
そんな二人の掛け合いを、傍から見ていたヴァイスは笑いを堪えつつ、話の区切りを見つけて間に入った。
「お二方の漫才も久しぶりに見ましたねぇ。やー、高町一尉にそんな事できるの旦那しか知りませんよ」
「そうか? ユーノかクロノ辺りは出来るはずだが」
ユーノはなのはが気を許しているから。クロノは実力的に多分出来るだろうと言う予想から。ただ、恭也は知らないが、最近現場から離れつつあるクロノ・ハラオウンの体術は若干の衰えを見せているので、デコピン一つとっても、容易に出来ないようである。いやそもそも、この二人がなのはにデコピンをかます場面など皆無なのだが。
「ヴァイス君、笑うなんて酷いよ」
「そうっすか? 微笑ましいもんですよ? お二人は」
あくまでも笑っているだけのヴァイスに、なのはは疲れたように溜息を吐くのだった。
「私、これから新人達の訓練に行くから、この辺で失礼するね」
「了解」
態々敬礼してみせる恭也に、なのはは苦笑を向けて、足早にその場を去った。それを見て、恭也は引き止めすぎたと胸の内で少し反省する。
「それで、俺の部屋はどこだ?」
「三階です。案内しますよ」
「重ね重ねすまないな」
「ま、ヘリが来るまで、俺ぁ暇ですからね。一服してんのもいいっすけど、退屈は退屈ですから」
「……そうか」
恭也はヴァイスの喫煙を咎めなかった。彼が煙草を手にするようになった経緯を知っているのもあるが、もう体が資本の武装隊ではないことから、口に出すことではないと判断したためだ。
ヴァイスに案内され、通された部屋は三階の一室だった。三〇二号室。偶然にも前の隊と同じ番号が割り当てられたのは果たして偶然なのか。
「部屋の割り振りは誰が決めたんだ?」
「え? そりゃー、部隊長なんじゃないっすか? まあ、全員って訳じゃないでしょうけど、旦那とか高町一尉やテスタロッサ執務官、ヴォルケンリッター辺りは怪しいところっすね」
「身内贔屓万歳だな」
「しゃーないっしょ、必要な面子を集めたら身内だった訳ですし」
身も蓋もないが、事実なので恭也は同意した。
備え付けのベッドとクローゼットに収納。小さいながらもキッチンと冷蔵庫付きだ。正直、今住んでいる自分のアパートより広い。
「いいのか? 俺、ここに住んで」
待遇が良すぎじゃね? と言い知れぬ不安を抱える恭也に、ヴァイスはおかしそうに笑った。
「いーじゃないっすか。割り当てがここってのは間違いないんですし。俺の部屋はここより狭いっすよ?」
キッチンないし、冷蔵庫もなかった、とヴァイスはゴチる。
それを聞いてますます恭也は怪しんだ。待遇的には恵まれすぎている。何か裏があるんじゃないかと邪推してしまうくらいに。
「間違いだとしても、何か言われるまでは使っておけばいーじゃないっすか」
「……はぁ、俺は時々お前のそのいー加減な考えが欲しくなるよ」
「いや、旦那も必要な事以外は相当いー加減でしょうに」
主に書類仕事とか書類仕事とか書類仕事とか。
それは恭也も承知しているのでなにも言わなかった。
ヴァイスは抱えていたダンボールを床に置き、ガムテープの封を剥がそうとしたところで、中身をどうするのか聞いていなかった事に気付いた。
「荷物の中身はどうします?」
「秘匿情報満載の書類ばっかりだぞそれ」
「なんで持ち出してんすか!?」
職務違反じゃね!? と叫ぶヴァイスであるが、恭也はどこ吹く風だった。
「シュレッダーにかけるの忘れててな」
「電子媒体でもないし!?」
「まあ、それは開けなくて良い。自分で処理するさ。こっちもペンやらなにやら、文房具ばっかりだ。荷出しする必要は無いぞ」
「そうっすか。あー、びっくりした」
そして、やっぱ相変わらずのいー加減さは健在じゃないっすかと呟くのも忘れない。
恭也とヴァイスは適当にダンボールを置くと、部屋を出た。
「俺は格納庫の方にいますんで、暇だったら相手してください」
「暇だったらな」
その物言いに、ヴァイスは苦笑を浮かべてしまった。彼にも予想できたのだ。入隊手続きに四苦八苦し、必要書類に首を捻る恭也の姿が。頭が熱くなったら会う事になるだろうなぁと思いつつ、ヴァイスは格納庫に足を向けたのだった。
〜・〜
そわそわしている、と自分の落ち着きのなさは自覚していた。仕方がない。何せ、予定は変更され、更には会える時間も短くなってしまったのだ。それを純粋に惜しいと思い、その思いが八神はやてを落ち着かせてくれなかった。
隣にいる融合型デバイスであるリインフォースUもまた、そんなはやてを見て不安げな顔をしている。内心、はやてをこんな風にした諸悪の根源にパンチとキック、更には凍結魔法をお見舞いしてやろうとしているのだが、勝手に避けて高笑いしているのが物凄く悔しい。
さて、そんな二人がいる執務室をノックする音がした。
がたりと顔を上げる二人の耳に届いたのは、落ち着いた男性の声だった。
『高町恭也です。入室してもよろしいでしょうか?』
「ええよー。遠慮なくどうぞ」
弾むように返事をするはやては、ドアロックを解除する。エア音を鳴らせて、開いたドアの向こうには、見慣れた、しかしやや疲れ気味を本当に親しい人間にしか判らない程度に表面に出している恭也の顔があった。
一巡り室内を見渡す恭也は、はやてとリインフォースUの姿を確認し、はやての執務机の前に進んだ。
「なんや、疲れとるね」
「一仕事してきてるので。――高町恭也三等陸士、ただいま出頭しました」
「はい、ご苦労様。あ、休んでてええよ」
「了解です」
しゃちほこばって敬礼する恭也に、はやてはこそばゆい感覚に襲われた。あの恭也が自分に畏まっている姿が妙に気恥ずかしいのである。
休めの姿勢のままこちらを見る恭也に、はやては自分も多少畏まり、辞令を伝えることにする。こう言うのは格好が大事なのだ。
辞令書を中空に表示させ、一つ咳払いした後、はやては何度も練習した台詞を言った。
「本日より、高町恭也三等陸士は機動六課に配属になりました。これ以降、あなたの力を六課の為に役立ててくれる事を望みます」
「了解しました」
「あと、ここでの高町三等陸士の配置ですが、シュツルム01――シュツルム分隊隊長を勤めてもらいます」
「りょうか――――は?」
「なお、これは高町三等陸士に対しての査定審査の一環で取り決められたものであり、反論、拒否は認められないのであしからず」
「待てや」
「はい? なんです?」
何かおかしいところでもあっただろうか、と真顔で聞き返された。
眉間を解し、耳垢がない事を確認した恭也は、再度はやてに訊ねてみた。希望的観測を抱きながら。
「分隊隊長を命じるとか言ったか?」
「んー? 上官に対しての口の利き方じゃあらへんなぁ?」
「……失礼。自分が分隊長に任命されたと伺いましたが、虚偽ですよね?」
「モノホンや」
「…………………………………………」
「…………………………………………」
「ワクワク、ワクワク」
二人が黙り込む傍ら、展開の行方を何故か絶賛期待中のちっこいのがいたが、残念ながらそれに構う余裕が二人にはなかった。
はやては、これこれぇ、これや! 久しく忘れてた恭也さんプレッシャー! 正直これが物足りなかったんよねっ、とか脳内で喝采をあげていた。
恭也は恭也で、俺に責任を押し付けようと言うのかこの関西弁は! と憤ってて忙しい様子。
最終的に口火を切ったのは敬語をどこかに放り投げた恭也だった。
「何故に俺が分隊長に任命されなきゃならん? そもそも三等陸士が隊長になれるわけないだろ」
「全く以ってその通り。だもんで、恭也さんには部下がおらへんねん」
「……どういう事だ」
部下のいない隊の隊長なんて聞いた事がない。一体全体どう言う事になっているのか、恭也には予想が付かなかった。
「恭也さんが毎回昇進査定で撥ねられてるのに、人事部がいぶかしんでなぁ。正当な評価を受けてないんじゃないかって疑いがあるんよ」
「疑いも何も、評価は正しいぞ」
毎度毎度、昇進時期に舞い込んでくる仕事を『態と』厄介にしているだけで。結局、査定で撥ねられるような内容で仕事を終わらせているだけだ。
この高町恭也と言う男は仕事に責任が被さってくるのを嫌がって、自発的に仕事を失敗し続けているのである。普通の人間からしたら馬鹿丸出しの行動であるが、上に立つ事による責任問題と拘束時間を考えると、剣士としての純度を上げるための修行時間を捻出できない事を事前に調べていたので、昇進したくなかったのだ。
その辺りの裏地情が管理局側には想像しにくいらしく、十年経ってもその考えに至っていないので、恭也はこの問題を手放しで喜び、放置していた。
剣士としての性を説明するのは骨が折れるし、相手が理解してくれるかも微妙だったからだ。なら、こちらから昇進しないようにしていれば、問題はないとしたのである。
が、この手段も通用しない事態を迎えてしまったようだ。
「あんな? 恭也さん。勤務十年の管理局局員が、一度も昇進しないなんてのは世間的に見てどう思います?」
「落ちこぼれ」
「それはその人への評価やね。でも、それだけじゃ収まらへんのよ」
それだけの勤務暦を持っていながら昇進できるように教育できていない管理局は質の低い組織だと見なされてしまう。確かに、どうしたって上に上がれない人間はいるだろう。しかし、それだって一度は昇進し、そこで失敗し、降格されてしまうと言ったケースしかない。あくまでも、誰でも十年あれば一度は昇進しているのだ。その後落ちたにせよ。
「管理局として、恭也さんのケースはあんまりええことじゃないんです。でまあ、ちょっと環境を変えて、別角度から評価しようと言う話にしまして」
「……しまして?」
なんでそこで能動的に言うのだろうか、と思考して、恭也ははっと閃いた。
「お、お前! 仕組んだな!?」
「ありゃ、口が滑ってもうたなぁ」
あっはっは、とか笑っている六課課長。
そう。はやては、恭也を引き込む口実を、今の理由で人事部に持ちかけたのである。人材管理の大御所を直接動かす事で、周囲からの雑音をシャットアウトしてやったのだ。人事部としても、航空部隊のエースや、若手の執務官が在籍している課だ。信用できるとして、はやての案に乗ったのである。
「やけに手配が良いと思ったが、人事部と結託していたとはな!」
「お互いの利益は一致してましたからね。恭也さんの給料もちゃーんと見直してあげますよ?」
「今でも十分やっていけてる」
「えー? かつかつやないですか」
よいしょっとはやてが引き出しから出したのは恭也の通帳残高の推移を綴った帳簿である。
「ちょっと待て関西娘。何故お前がそんな個人情報を入手している!?」
「課長って、なんでもできるんやね?」
誰だこんな奴に権力与えたのは!! 潰すぞ!!
「生活費を差っ引いて、残りの給料の使い道が武器の購入に終始してますねぇ。枯れすぎやね、これは」
「いや、盆栽とか育ててるんだが」
「それかて、最初の出費だけやん。あとは水と肥料代やけど、大した額やないしな」
「…………」
見切られてる。
「あとは、車とバイクの改造費に充ててるみたいやけど、大半が経費で落ちとるね。消耗品は自分持ちなん?」
「ああ、そうだ。作戦で使った時に損傷したら修理費は全部部隊持ちになる」
それを狙って作戦中に態と壊す人間もいるが、そんな余裕がある状況なんて皆無だ。そう言う欲の突っ張った人間は早死にしていく。実力主義の無慈悲さだ。
「ま、ともかく意外に出費が多い恭也さんの給料がかなりええとこまで上がりますんで、喜んでーな」
「今でも十分なんだがな」
「あかんよ? 人は余裕を持って生きなきゃ」
「余裕を持つのは老後で良い」
生き急いどるなぁ、とはやては思う。同時に、そこまで自分を追い込まんでも、とも。
何が彼をそう駆り立てるのか解らないが、はやては少しでも彼に恵まれた環境を提供したい。その一環に給料査定の見直しがあるのだ。
「けれど、こうして辞令がある事だし、拒否は認められてませんので、恭也さんには隊長業務をしてもらいます」
「横暴だ!」
「とにかくやってください。降格にせよなんにせよ、やらないと審査できへんのや」
「く……解った」
一応納得してみせる。まあ、適当に仕事して適当に失敗すれば降格させてもらえるし、いいか、と駄目人間万歳な考えを抱えながらであるが。
それをはやては見抜いていた。ちゃんと評価してあげますからねー、と内心黒い事を考えていらっしゃる。
さて、そんな両者の内面を慮る事が未だに出来ない純真無垢な小さな存在は、ニコニコ顔で恭也の前に飛んで来た。
「隊長とは言っても、おじいさんは三等陸士のままですし、分隊は一人ですから気楽ですよー。なのはさんやフェイトさんもいますし、構える事はなにもないのです」
「――なんだ、いたのか」
「いました! 最初からいました! むしろ目が合いました!!」
「いや、ただの人形かと思って」
「酷っ!?」
ぎゃおぎゃおとなにやら抗議してきているようだが、恭也の聴覚は右から左へ受け流していた。
「副隊長もおらへんけど、解らない事があったら……」
「適当に捕まえて訊くさ。気の置けない連中ばっかりだしな」
「ほうか? じゃあ、とりあえず安心しとこか」
そう言ってはやては席を立った。
「出かけるのか?」
会って早速別れるとは、なにやらはやても忙しくなったものだと、感心する。と同時に、恐らくは自分を時間ギリギリまで待っててくれたのだろうなと、顔にも声にも出さず感謝しておく。
「うん、フェイト執務官と中央管理局に行くんよ。六課の説明にな」
「そうか。管理職は面倒事が多いな」
「これもなのはちゃんたちが自由に仕事できるようにするための大事な仕事や」
「ま、頑張って来い」
「そこまで気合が必要な場面でもないんやけど」
苦笑するはやてに恭也は肩を竦めるだけだった。
「じゃ、行って来ます」
「ああ」
はやては執務室を出ようとして、ちょうど思い出したと言う顔で、恭也へ振り向いた。
「っと、今日は書類仕事とかないから、あちこち見て回っててええよ。恭也さん初めて来たんやし」
「ん? そうか? 後で大量の書類が待ってるとかないよな?」
「始まったばっかりやから、そう急務の仕事はないはずや。まあ、誓約書のサインとかが数枚ある程度だと思う」
「楽できて何よりだ」
「あ、でも業務日誌はちゃんと書いてなー」
「……あれが一番面倒なんだ」
「その気持ち、解りますぅ」
げんなりした顔を見せるリインフォースUに恭也は深く頷いた。仕事が比較的少ない日の業務報告ほどなに書いて良いのか解らないのである。
「ほんじゃな。今日は早めに帰ってこれると思うんで」
「行ってらっしゃいませ」
敬礼で示す恭也にはやてはやっぱり気恥ずかしそうに敬礼を返して、リインフォースUを連れ立って執務室を後にした。後に残った恭也は、居住まいを少々崩し、部屋から見えるミッドチルダを眺めた。
「隊長か……何を期待してるんだか」
とりあえず、自分でやれる事はやっておくかと、恭也は改めて思うのだった。
〜・〜
六課の隊舎から少し歩いたところが六課の訓練場と地図では示されている。しかし、そこに立った人間は地図の間違いを指摘するだろう。訓練場と示された場所は平坦な埋立地が広がるだけであり、何の施設も見当たらない。
そんな訓練場を眺めるなのはは、教導隊の隊服の襟を直し、海風に身を任せる。自分が生まれ育った海鳴とは違う匂い。しかし、穏やかに吹く風は優しいものだ。この海も、きっと良い海なのだろう。
「なのはさーん!」
元気になのはの名前を呼んだのはシャリオ・フィニーノ一等陸士だ。
「シャーリー!」
相性でシャリオを呼ぶ辺り、なのはと彼女の関係は親密なのだろう。走りよってくるシャリオを待つ傍ら、ふと目を向けた先に、息を乱しながらランニングを終えようとしている新人達が目に入る。
さて、これから本格的な訓練だ。気合を入れなければ。何事も初めが肝心なのだから。
「今返したデバイスには、データ記録用のチップが入ってるから、ちょっとだけ大切に扱ってね」
朝方、技術部に預けていたデバイスを抱える新人達四人、スバル・ナカジマ、ティアナ・ランスター、エリオ・モンディアル、キャロ・ル・ルシエの緊張した顔に、なのはは苦笑をかみ殺した。初々しいと言うのはなんとも微笑ましいものだ。自分はこう言う風に改まって訓練を受けのは、少しだけお邪魔した訓練校しかなかった。その前から二つの事件にかかわり、いくつもの修羅場を潜り抜けてきたので、緊張はしなかったのだ。だから、彼女達の表情から内情を慮る事は難しい。それでも、年若い子供が畏まって緊張している姿は、くすぐったいような感覚を抱くものだ。
「じゃあ、メカニックのシャーリーから一言」
「えー、メカニックデザイナー兼機動六課通信主任のシャリオ・フィニーノ一等陸士です。みんなはシャーリーって呼ぶので、良かったらそう呼んでね」
人好きする笑顔を浮かべてシャリオは自己紹介を始めた。
「みんなのデバイスを改良したり、調整したりもするので、時々訓練を見せてもらったりします。……あ、デバイスについての相談とかあったら、遠慮なく言ってね?」
『はい!』
揃って返事をする四人は、少しだけ険が取れた顔つきになった。直接の上官ではなく、歳が近いことが雰囲気を和らげる事に一役買ったのだろう。
それを見取って、なのはは訓練開始を告げた。
「じゃ、早速訓練を始めようか」
「は、はい」
「でも、ここで、ですか?」
なのはの背後は何もない埋立地だ。確かに広い敷地であるが、何もない場所で一体何の訓練が出来ると言うのか。スバルとティアナは同じ疑問を持っていた。それになのはは少し自慢げな顔をしてみる。
「シャーリー」
「はーい」
返事と共にシャリオは空間投影のタッチパネルを叩き始めた。
「機動六課自慢の訓練スペース。なのはさん完全監修の陸戦用空間シミュレーター」
いくつかの項目を打ち込み、展開フィールドを設定する。今回の訓練の趣旨を聞いていたので、お誂え向きの訓練場を選び取った。
「ステージ、セットっ」
最後に実行ボタンを押した。すると、訓練場の様子が一変する。薄い魔力膜に覆われた訓練場の地下からビルが競り上がってきたのだ。いや、この表現は適切ではない。あの埋立地に地下施設など存在しないのだ。この訓練のためだけに、郊外の廃棄都市の一画を間借りしているのである。空間転移技術を応用した即席の擬似戦域を展開できる大掛かりな仕掛けである。
「ふあー」
「凄い……」
圧倒されるキャロとエリオとは違い、ティアナは別の事を考えていた。たった四人のためだけにこの訓練場が用意された事に彼女は気付いた。
いくら新設の、それも重要なポストを任されている機動六課と言えど、この設備の充実さは少々おかしいのではないだろうか。これが十数人の新人教育に使われるのならば話は簡単だ。しかし、実際に訓練するのは訓練校あがりの自分とスバル、そして幼い少年少女だけ。いくらなんでも贅沢が過ぎる。何か意図があるのだろうかと考えてみるが、大凡の予想すら付かない。
ただ、これだけは確実だ。自分たちは期待されている。自分たちが思っている以上に。
「……やってやろうじゃない」
固めた決意を再度握り締めて、ティアナは訓練の準備に入った。
〜・〜
「おお、これは……」
一口飲んでみて解った。これは麦茶だ。ちゃんと地球産の、さらに詳しく言えば日本のスーパーで買えるような麦茶である。
「なんでこれがこんなところに……」
地球の食文化がミッドチルダと近いと言う事で、それなりに料理や食材が流れているとは言え、日本産だと限定できる代物に出逢ったのは、恭也にとってこれが初めてだった。
ただ、その初めてが食堂の無料給茶機だったのは非常に残念なことなのだが、恭也はそこまで考えが至らなかった。それほどまでに感動していたとも言える。
「はやて嬢の我侭かね。まあともかく、懐かしい味だ」
せっかくなのでもう一杯飲むべく、恭也は給茶機のところへ向かうついでに、空にした定食セットのお盆を食堂に返した。
隊舎の見学をする前に遅めの昼食を取る事にした恭也は、廊下にかかっていた地図を頼りに食堂に訪れていた。メニューの大半は食べたことのある代わり映えのしないものばかりだったので、目を瞑ってボタンを押して出てきたのが、日替わり定食の食券だった。適当に食券ボタンを押して出てきたのがそれだったのだ。秋刀魚の照り焼きのようなものと、キャベツの千切りに偽ご飯と本物の味噌汁である。ちぐはぐな取り合わせであるが、味的に問題ないので文句はなかった。
食後の一杯の麦茶を堪能した恭也は、この後どうするかと考え始める。隊舎の見学と言っても、地図を見れば大体の配置は解る。それだけ解れば、態々見回る必要は無い。まあ、誰がどの部屋に入っているのかは確認しておきたいところだが、今は全員職務中だ。部屋を空けているので住人の確認は出来ない。となれば、今後自分が深く関わるであろうメンバーの顔を拝んでおきたいところだ。
「確か、訓練場があったな」
先ほど食堂を確認した地図には訓練場の場所を記されていた。自分の鍛錬場にもなるかと思い、確認のため恭也は席を立った。
地図によれば、隊舎を出て、海沿いに歩いていくと訓練場が見えてくるらしい。それほどの距離もないようだ。
「やや狭いが、人数が人数だしな。このくらいの広さで十分か」
元いた部隊が使っていた隊舎はかなり広かった。まあ、五部隊を抱える大規模な管理局施設だったこともあり、敷地は広大で、移動するならばバイクを使った方が早いと言うほど広いのである。その広さに、昔通っていた大学を思い出した恭也がいたりした。
「ここは、良くて風芽丘くらいか」
何分十年以上前のことなので正確には思い出せないが、その程度の大きさだろうと当たりを付けてみる。別に正確な答えなど求めていない思考の欠片で暇を潰しつつ、恭也は訓練場に辿り着いた。その場に数名の気配を感じていたが、こちらは見学のつもりなので、邪魔しないように段上で眺めるだけにしようと思ったのだが、
「あれ、お兄ちゃん」
「よう」
ちょうどこちらを見上げていたなのはに見つかってしまった。片手で挨拶をしつつ、階段を下りる。途中、準備運動をしていた少年少女たちの視線を感じたが、一先ず放っておく。気になるのなら声をかければ良い。恭也からは干渉しないつもりである。
一方、唐突に現れた中年の男性に、新人達は不審気な視線を向けていた。先ほどの隊開式には見かけなかったのだ。勤務態度がいい加減なのだろうかと、マイナス評価を設けてしまうのは仕方ないところである。目つきも悪いし、デバイスは待機状態のまま腰にぶら下げてるし、だらしないと映ってしまうのだ。
そんな彼になのはが親しげに話している光景は、彼女達に違和感を感じさせるのだった。
「どうしてここに?」
「見学だ。ここのこと、何も知らないんでな」
「あ、そうだっけ。じゃあ、誰か案内つけた方が良いよね」
「そこまでする必要は無いだろ。適当に歩けば大体は解る。迷うほどの大きさでもないしな」
「まあ、お兄ちゃんが前まで使ってた所に比べれば小さいんだろうけど……」
「そう言う事だ」
なんだか仲が良いなのはと恭也に、スバルはこの場にいる全員が持っている疑問を口にした。この辺り、度胸があると言うか、素直な性格は得である。
「あのー、なのはさん、そちらの人って……? お兄さんって呼んでますけど……」
なのはについて、雑誌を読みふけりそれなりに彼女の周囲の事を知っているスバルは、なのはの家族関係はおぼろげに知ってはいる。その中に兄がいることも承知していたが、管理局に勤めているとは聞いた事がなかった。
「あ、皆は知らないんだっけ。シャーリーもだよね?」
「はい。話は度々窺ってますけど、お会いするのはこれが初めてです」
視線を一手に集める恭也はだんまりを決め込んでいたのだが、隣にいたなのはに脇を肘で打たれて、渋々ながら自己紹介した。
「あー、高町恭也三等陸士だ。魔力評価はFランク。コールサインはシュツルム01。何故か第三分隊の隊長に命じられた。この高町なのはの『一応』の兄にあたる。基本的に階級が最下層なんで、別段気構えなくて結構。後、ここには元から来るつもりが毛頭なかったし、来たくもなかった人間だから、尚更遠慮はいらんのでよろしく」
その歯に布着せぬ物言いに、ティアナとスバルはかなりカチンと来た。ここに来たくもなかったと言ったのかこの男は。高町なのは一等空尉やフェイト・T・ハラオウン執務官が在籍し、八神はやて陸上二佐が課長を勤めるこの部隊に招かれると言う事は、一種のエリートと言って差し支えない。新部隊の創設メンバーに抜擢されるなんて、大変名誉なことなのだ。それを、この男は来る気がなかった上に来たくもなかったと言う。
今の発言は聞き流せるものではなく、なのはも今の発言を撤回させようと恭也に食って掛かった。
「ちょ、その自己紹介はないんじゃないかな!?」
「馬鹿者。勝手に引き抜かれたんだぞ、俺は! あっちで満足だったのに!」
「あのね? お兄ちゃん。色々めんどくさがって面倒事から逃げるのは駄目な人がすることなんだよ?」
「俺は駄目な人でいたいんだ!」
「させません! お兄ちゃんはここできっちり更生させます! と言うか、30過ぎて今更こんなことさせないでよー!」
「じゃあしなきゃいいだろ! 俺の生活奪いやがって! なんで三等陸士で隊長なんだ! 平局員でいさせてくれよ、マジで!」
魂の叫びだった。出世にはまるで興味のない恭也にしてみれば、究極的には地位が上がろうが別にどうだって良い。問題は、自己鍛錬の時間が削られることの一点のみである。それだけは譲れない。ここ数年、体力の低下を感じてきているのだから、尚更時間がなくなるのは避けたいのである。
「じゃあ、高町三等陸士に命じます! 隊長業務を全うしなさい! 全力で!」
「ぐ……汚いぞ一尉! 階級を持ち出すな!」
「上官命令です! ついでに今回の訓練にも参加しなさーい!」
「ええええええええええええ!?」
「ちょちょちょ待ってくださいなのはさん! いきなり参加って言われても私達には……」
驚くスバルに命令の撤回を求めるティアナであるが、なのはは取り合わなかった。勢いで言った事であるが、ちゃんと理由があるのだ。
「これからこの人と一緒に仕事するんだし、動きは早いうちに解ってた方が良いんだよ。基本的にこの人、いつも予想の斜め上の方向で動くから」
「いや、待てやそこの異次元妹! 俺は参加を認めてないぞ! 同じ隊長としてその命令は受けら」
「上官命令」
「……ぐ!」
だから、こいつ等に権力を持たせたのは誰だ!! 捻るぞ!!
「異次元妹ってなんのことだろう?」
「さ、さあ?」
かなり重要なキーワードを聞き拾ったエリオだったが、キャロに訊ねた所で答えが出るはずもない。疑問を振られたキャロも困惑気味に首を傾げるしか出来なかった。
「はい、じゃあ、ぱぱっと自己紹介しちゃおうか」
「シャリオ・フィニーノ一等陸士です。通信主任とデバイス点検を担当してます」
「あ、スバル・ナカジマ二等陸士です。陸戦Bランクのフロントアタッカーです」
「ティアナ・ランスター二等陸士。同じく陸戦Bランクです。射撃援護が得意です」
「えっと、エリオ・モンディアル三等陸士です。僕も陸戦Bランクでアタッカーです」
「キャロ・ル・ルシエ三等陸士です。私は陸戦C+ランクで、補助魔法を習ってます」
一気に紹介されて、いきなり脳の記憶野が一杯になった恭也は、確認の為にシャリオを指差してみた。
「あー、シャニオ?」
「シャリオです。シャーリーって皆さん呼んでくれてますから、そっちでいいですよ」
「わかったフィニーノ一等陸士」
「う」
真面目くさって苗字で呼ぶのは恭也流の嫌味である。それを嗅ぎ取ったシャリオはこの人やり辛いかも、と思ってしまった。まあ、事実なので仕方がない。
次に新人の方を一人一人指差しながら記憶と相違ないか、確認を取る。
「で、ナカジマ二等陸士とランスター二等陸士に、モンディアル三等陸士と……キャ、キャ、キャラメル?」
「キャロです、キャロ」
「ああ、キャロね。すまんな、未だにこっちの言葉は聞き取りにくくて。で、君がルシエ三等陸士と」
徹底的に苗字で呼ぶ気である。まあ、彼女達にしても、いきなり名前で呼び捨てにされるのもどうかと思うので、何も文句は言わなかった。
ところで、と恭也はいきなり直面した難問の答えを求めて、なのはに訊ねた。
「なあ、分隊員に階級で負けてる俺はどう言う態度を取ったら良いんだ?」
「隊長としての態度でいいよ」
「偉そうにふんぞり返るのか?」
「間違ってないけど、お兄ちゃんの場合態と間違えるから駄目。普通にしてれば良いから」
「普通ねぇ」
どういうのが普通なのか、寡聞にして知らない恭也は、隊長――つまり人に命令する人間を頭の中に列挙してみた。どれもこれも自分をこき使ってくれた野郎ばかりである。なるほど、これほど同じような人間ばかりなのだから、これがデフォルトなのだろう。
恭也は間違った隊長像に自発的に従う事にした。
「じゃあ、訓練始めるね。皆あっちに移動するように」
『了解』
「あ、高町隊長のデバイス、ちょっと貸して下さいね。データ採取用のプログラム入れますから」
「解った」
〜・〜
さて、六課前衛隊の初の訓練である。
仮想廃都市をフィールドに、各々戦闘準備万端で訓練開始を待っていた。
「午前中に仕事してきたんだが……」
中年男のぼやきは誰にも聞こえなかったようである。悲しいかな。仕事とは来なくて良い時に大量に出てくるものだと、古来より決まっているらしい。
『みんな、聞こえる?』
なのは側の準備が整ったのか、念話による通信が恭也以下、全員に繋がれた。ただ、恭也は念話を受け取る魔力も惜しいので機械式の受信機を使っているが。
『はい!』
「やれやれ」
元気に返事をする四人に、恭也は若いとは武器だったんだな、と過去を振り返りたい気分になった。
『お兄ちゃん、ちゃんと返事してよ』
「階級で呼べ、異次元妹」
『どっちもどっちだと思いますけどね、私』
シャリオの突っ込みに、なのはは苦笑いを浮かべ、恭也はさもありなんと肩を竦める。
『さっそく、訓練を始めるね。まずは軽く十体から』
なのはの指示を受け、シャリオはキーパネルから、今回の訓練目標である『ガジェット』の設定を行う。
『動作レベルG、攻撃精度Dってところですかね』
『うん、そのくらいが良いかな』
ほぼ最低値だ。先ずはこのレベルを踏破してもらわなくては話にならない。出来れば楽勝で通過して欲しい所だ。
『私達の仕事は捜索指定ロストロギアの保守管理。その目的の為に私達が戦う事になる相手は……』
なのはの言葉の途中で、スバル達の目の前に十の魔法陣が出現した。そこから現れたのは楕円柱のような機械だった。
『自律行動型の魔導機械。これは近づくと攻撃してくるタイプね。攻撃は結構鋭いよ』
なのはの言葉を引き継いで説明したのはシャリオだった。メカニックとして、この魔導機械については六課の中でもかなり詳しい人間だ。何より、こういう機能部分を説明したくなってしまう性分なのである。
『――では、第一回模擬戦闘訓練。ミッション目的、逃走するターゲット十体の破壊、もしくは捕獲。十五分以内』
『はい!!』
「やれやれ」
張り切る新人とは対照的に、ベテランの中年は重々しく溜息を吐くのだった。
まずは目標の顔を拝まなければならない。駆け出していく四人の少年少女達の後を、恭也はのんびりと追いかける事にした。一人はローラーブレードのようなものを履いており、直線での移動力はそれなりに高いようだ。ただ、内部に自走モーターが組み込まれているようで、遊戯用として造られているローラーブレードよりも走破性に優れているか、と恭也は内心で評価を記しておく。
後の三人は駆け足だが、一番小さいキャロは若干走るのが辛そうである。まあ、年代が年代である。更には少女とあっては、この訓練に耐え切れるのか少々疑問が持ち上がる。
恭也はデバイスに送られてくる周辺地図をウィンドウに出し、標的が近づいているのを確認する。先行するローラーブレード娘がそろそろ遭遇する頃合だ。
移動している標的は今向かっている三体の他に右手に四体、左手に三体が接近している。さて、どうするかと恭也が悩み始めたところで、スバルが一足先に目の前の路地から出てきたガジェットに向かって飛び込んだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
気合満点に叫びながら、右腕を大きく振り被った。経験が浅いのか、そう言う傾向なのか、攻撃モーションが大きすぎる。スバルの接近を関知したガジェットはひらりと拳からの衝撃波を避けて見せた。
「なにこれ!? 動き速!?」
後詰めに走っていたエリオは槍型のデバイス「ストラーダ」を構える。スバルの攻撃を鮮やかに避ける回避性能を目の当たりにし、ならばと接近戦を挑む。ガジェット達はエリオの接近を内臓カメラから判断し、迎撃の魔力弾を発射してきた。
被弾覚悟、ではないが一発二発喰らっても止まらない覚悟を決めたエリオは、ガジェットたちに向かって駆ける。照準が甘いのか、少年の脇をすり抜けていく魔力弾の合間を縫って、彼は高く飛び上がりストラーダの刃先に溜めていた魔力刃を放った。
先ほどのスバルのそれよりも幾分速い弾速だ。その分だけ威力は落ちるが、装甲の一部くらいは削れるはず――と思ったのだが、
「駄目だ。ふわふわ避けられて当たらない」
これまた躱されてしまった。ガジェットの機動性はかなり高い。直線的な攻撃では捕らえきれない。絡め手を考える必要がある。
「前衛二人、分散しすぎ! ちょっとは後ろのこと考えて!」
『あ、はい!』
『ゴメン!』
現場の指揮を執るのはティアナだった。射撃型であり、執務官を目指している彼女は戦局を俯瞰する訓練を受けている。だが、未知数の相手を前に、効果的な指示を出し切れていないのは、経験が浅いためだろう。前衛を前に出しただけで、次の指示を出す前に、スバルとエリオが突っ込んでしまっている。隊員の制御も指揮官の仕事の一つだ。
ただまあ、こればかりは蓄積された情報と経験が物を言う。
「うーん、まだまだ戦略眼は甘いか。仕方ないんだけどね」
なのはは、様々な局面の戦術シミュレートを追加する必要があるだろうと、訓練スケジュールの調整を行っていた。
「キャロもいるんだから、後方の守りはしっかりしないとね」
そんななのはの評価を他所に、ティアナは直接が駄目ならばと、愛銃をガジェットに向ける。傍にいたキャロにブーストサポートを頼み、強化された魔力弾を撃ち放った。
銃ならではの攻撃速度はガジェットの機体を確実に捕らえた。直撃コースに乗った弾丸を見て、ティアナは右手を強く握り手応えを確信したのだが、高町なのはの教導はそうそう甘いものではない。
「え!?」
発射された魔力弾がガジェットを貫く前に掻き消えた。状況から見るに、シールドかあるいはフィールド系の防壁に阻まれたと予想できるが、それにしたって魔力が分散させられる事はない。一体どう言う事なのか。
「魔力が消された……っ?」
「そんな事があるんですか?」
新人達の疑問に答えたのはなのはだった。
『そう。ガジェット・ドローンにはちょっと厄介な性質があるの。攻撃魔力を掻き消す、アンチ・マギリンク・フィールド――通称AMF。普通の魔力による射撃は通じにくいし、』
「それなら!」
魔力が駄目ならば物理だ! とばかりに、スバルは中空走行路を形成し、ガジェットの後を追いかけた。しかしそれは、仲間のフォローが整わないうちの強攻策だ。
『馬鹿! スバル、危ない!!』
「うおおおおおおおおおお!!」
ローラーを駆動させ、一直線に追いかけるスバルの映像をモニターで見ながら、なのはは続けた。
『それに、AMFを全開にされると……』
シャリオが手動でガジェットの設定を変更する。AMFの効果範囲と魔力の妨害濃度を上げたのだ。
効果範囲に入っていたスバルのウィングロードは、本来ならばビルの屋上を飛び越えた先まで続いているはずなのだが、ビルの手前で道がなくなっていた。
「へ!? あ、や、とととおおおおおおおおおおお!?」
AMFの特性として、有効効果範囲内の魔法は掻き消されるが、範囲外でも多少の影響は出る。魔法を維持する魔力を不安定にさせるのだ。従って、スバルはぐにゃぐにゃに歪んだウィングロードにバランスを崩され、落っこちてしまった。廃ビルの窓を突き破り、どてっと倒れこんだ。
『飛翔や足場作り、移動系魔法の発動も困難になる。スバル、大丈夫?』
「いっつー。な、なんとか」
『まあ、訓練場ではみんなのデバイスにちょっと工夫をして、擬似的に再現してんだけどね。でも、現物からデータを取ってるし、かなり本物に近いよ』
見た目よりも厄介な性能を完備しているガジェット。これが今後の訓練の目標であり、本来の仕事の敵でもある事を考えると、別の意味で頭が痛い、とティアナは思った。魔力が通じないだけならば多少の問題で済むが、あの機動性と相俟って捕まえにくい標的である。
「ち、面倒な機能がついてるじゃない」
『どうしますか? ティアナさん』
「エリオ、スバル、一旦戻って。態勢立て直すわよ」
『了解です』
『解った!』
対抗策を練るためだろう。隊員を退かせるのは、ここではセオリーな選択だ。
(多少は慣れてるかな。でもまあ、状況判断がまだちょっと甘いね)
それもまた訓練で養うしかない。遠距離型は、現場の中でも後方に位置する。全体を見渡せる位置からの射撃での援護と、状況を見据え、仲間にアドバイスや指示を送る事が要となる。なのは自身がそうだからこそ、ティアナには教え甲斐があるとも言えた。
『対抗する方法はいくつかあるよ。どうすれば良いか、素早く考えて、素早く動いてね』
さて、新人達が思いの外ガジェットの機能に驚いている間、高町恭也は不気味に沈黙を保っていた。先ほどから念話にも参加していない。サボってるんだろうかと、なのははシャリオに恭也の状況を訊いた。
「ところでシャーリー、お兄ちゃんは今何してるの?」
「えーっと、あ、出まし……ガジェット三体撃破!? あれ!? いつの間にか反応が消えてた!?」
レーダーを見ていたはずのシャーリーはこの事実に全く気付かなかった。戦局履歴を見るに、三分前に三体が同時に撃破されている。壊されればちゃんと知らせが来るはずなのだが、シャーリーは気付かなかったようである。
『嘘!? ちょ、あれかなり速いんですけど!?』
『魔法が効かないのにどうやって……?』
「と言うか、なんで私、気付かなかったのー!?」
慄くアタッカー二人に自分の失態に驚くシャリオ。
なのはからすれば、恭也はこのくらいあっさり出来ることは知っている。恐らく、ガジェットの行動パターンを本物と同じにし、制限時間を短くしても、問題ないだろうと思っている。なにせ、対AMF戦のキラー要員なんだし。
「早過ぎないですか、これ!? いくらなんでも初見でガジェットを潰すって普通出来ませんよ!?」
「仮にも隊長なんだけどね、お兄ちゃんは」
そうは言っても、並の魔導師ではかなり難しいはずだ。魔法が主体の攻撃方法を取っているだけAMFの特性は死活問題のはずなのに。
一体どうやったのか、レコーダーの解析に入ったシャリオに苦笑したなのはに通信が入った。
『これにノルマはあるのか?』
恭也である。とりあえず、ガジェットの性能を確認した彼は、もう訓練は良いだろ、と言外に言っている。が、なのはは笑顔で不許可を出した。
「ないよ。全部倒すまで頑張ってね」
『……なあ、なのは。俺は午前中に仕事して疲れてるんだが……』
「頑張ってね?」
『……これは新人達の訓練だ。うん、隊長の俺がでしゃばってはいけないよな』
「頑張ってね?」
『……妹よ。兄は給料分働いたと思うんだが』
「もう平局員じゃないんだから、もっと働かないと駄目だよ?」
『――通信終わり』
なのはの迫力ある笑顔を見たくなくなったらしい。恭也は勝手に通信を切ってしまった。こんな不良局員な態度では、そりゃー昇進は出来ないよねぇとなのははさめざめと泣くのだった。
〜・〜
一応、訓練参加者と言う事で、恭也もティアナの召集を受けた。実のところ、集まりたくなかった。訓練は早々に終わって、着替えとか取りに行きたかった。だがまあ、管理局のエースに念押しされてしまったので、仕方なく引き続き参加してやる事にした恭也である。
集まった面々は、憮然とした態度の恭也に注目していた。
いきなりガジェットを三体同時に撃破している恭也を珍獣でも見るかのように疑うスバルとティアナ。エリオは素直に驚いた様子で凄い、と言っていた。
「一体どうやったんですか?」
攻略法があるなら教えてもらおうと、エリオは訊いてみた。恭也は非常に簡単だ、と前置きして説明した。
「近づいて斬った」
「…………あの? 他には」
いくら待っても続きを言わない恭也に、ティアナが先を促してみるが、しれっと一言だけ答えた。
「それだけだが?」
なんですと!?
「斬った!? あのすばしっこいのに斬れるほど近づけたんですか!?」
ひらひら躱されちゃうのに!? とスバルはかなり驚いているが、恭也にしたらあんなの回避運動にもならない。
「すばしっこい……ねぇ。あれは、別に速かないだろ。近づく何かに対して回避行動を取るように設定されてるらしいが、逃げ道塞げば近づくのは比較的楽だ」
「楽って、言われても、その逃げ道を塞ぐのが難しいんですって。誘い込もうとしても逃げられちゃうし」
ティアナの弁解に、恭也はなのはを呼び出した。
「……なのは、なのは! こいつ等の教育はどの辺までやってんだ!? もしかしなくてもやばいのか!?」
その表現の仕方にティアナはまたまたカチンと来た。十年勤続で、そりゃ確かに自分たちに比べて経験はあるんでしょうけど、こちとらあなたより階級が一つ上なんだから、もうちょっと上官に対する態度とかあるでしょ!?
ティアナの内心を他所に、恭也はなのはの回答に耳を傾けていた。ただ、自分に対し、ティアナが良い感情を向けていないのは感じ取っていたが。
『スバルとティアナは訓練学校を出てるよ。他の部隊に少しいた事もあるね。エリオとキャロはフェイト執務官がちょっとだけ教えてたみたいだけど』
「お前、それだけでいきなりこの状況に放り出したのか?」
『全機撃墜が望ましいんだけどね。どこまでやれるかお手並み拝見してるんだよ』
かなりのんびりしている。まあ、初回ならばそれも仕方ないのか、と恭也は無理矢理納得しておく。彼女達が何が出来て、何が出来ないのか、どこまで考えて、何を考えられないのか、それを見定めなければならない。そして、それには一度戦わせる事が一番表面化する。
なら、恭也はその方針に付き合わなくてはならない。これはあくまでも新人達の訓練なのだから。
「……ランスター二等陸士」
「あ、はい、なんでしょう?」
「この状況を打破できる手をいくつ思いつく?」
突然そう問われはしたものの、それを考える為に集まったのだ。ティアナの頭の中にあるのは、二つ。
「私が思いつくのは二つ。ちびっ子――ルシエ三等陸士とモンディアル三等陸士がどこまで出来るか解りませんので、私とナカジマ二等陸士が出来ることを一つずつ提案できます」
ティアナの目配せにスバルは頷いて見せた。それを確認し、恭也は今度はライトニング隊に振ってみる。
「そっちは?」
「僕は二つあります」
「私は三つ、やってみたい事があります」
少しだけ、恭也は四人の評価を改めた。有効かそうではないかは、試して見なければ解らないが、試せる選択肢が一つでもあると言う四人に、感心したのである。
「じゃあ、お前達は作戦を決めろ」
「あの、高町……」
恭也を呼び止めようとして、そこでスバルは言葉が詰まった。恭也をどう呼べば良いのか、解らなくなったのである。恭也の階級は三等陸士。自分より階級は下だ。軍事組織として階級はかなり強い上下関係を持つ。だが、恭也は六課では隊長として在籍しているし、自分よりもかなり年上である。なんと呼べば良いのか、非常に判断に困る。
そんなスバルをフォローしたのはなのはだった。
『隊長でいいよ。三等陸士なんて呼ぶと、この人階級を盾に逃げようとするし』
「余計な事を」
「じゃあ、高町隊長」
素直な事は良い事であるが、なのはに対して素直すぎる傾向のあるスバルに、恭也は「これでフェイト嬢にまで階級云々を言及されたらどうしよう」と悩みを抱えた。
それはともかく、今は訓練の事だ。
「……はあ、なんだ」
「隊長は何をするんですか?」
ガジェットを、難易度を低くしているとは言え一瞬で三機破壊できる恭也の戦闘力は、非常に頼もしいものである。頼りにしようとするスバルに対し、恭也はあっさりと言った。
「なにもしない」
「え?」
その答えに、ティアナは頭に描いていた絵を斬り破られた思いだった。おいおい、何を仰ってるかこの黒尽くめは。
だが、恭也の拒否の意味は正統なものだった。
「これはあくまでもお前たちの訓練だろ。俺はあの機械の特性は理解できたし、多少性能が上がっても対処できると判断できる。そもそも、連携訓練するにしても、まずはお前等自身が強くならないことにはやっても無駄だしな」
ならば、訓練を通してそれを磨いていけば良いのではとも考えられるが、ティアナはそれを口には出さなかった。この男に指示を出すにはまだ付き合いが浅い。それに、自分達自身がガジェットに対し、どこまで出来るのか見極めなければならない。止めを恭也に任せるのは訓練の趣旨に反する。
その証拠に、会話をモニターしているなのははなにも言ってこない。恭也の言っていることは、現時点では間違いではないと言う事なのだろう。そう、あくまでも新人達の訓練であって、急遽参加が決まった恭也の訓練ではないのだ。
「解りました。自分たちで何とかしてみます」
「期待してる」
全然期待してなさそうな口調に、ティアナは血圧が上がる思いだった。くっそ、見てろよ不良局員め、と。
『高町さんの戦闘解析が終わったよー。今からデータ送るから参考に出来るならしてね』
「ありがとうございます。じゃあ、やるわよ、みんな!」
『おう!』
とまあ、ティアナが妙に張り切ったおかげか、はたまた恭也の戦闘データが役に立ったのか、新人四人は見事ガジェットの全機撃墜を成し遂げたのだった。
〜・〜
模擬戦闘訓練の後は、各自の特性に合わせた基礎訓練をするそうで、それに付き合う義理もない恭也は、訓練場を後にした。余計な体力を使ったとなのはに愚痴って見せたが、なのははどこ吹く風である。なるほど、上司はそう言う態度を取って良いのだな、と余計な知恵をつけた恭也は隊舎に戻っていた。
「さて、ヴァイスと駄弁るか」
休憩も兼ねてそうしようと格納庫に足を向ける恭也であったが、前方に見覚えのある人影が二つ見えた。背の高いのと小さいのである。
「よう、凸凹コンビ」
「ちっさい言うな!」
「私は普通の背丈だと思うが」
挨拶代わりの軽口に過敏に反応する小さい方――ヴィータが恭也の足を蹴った。パンプスだし、そもそも力も込めてないので別に痛くない。甘んじて受ける恭也である。
「なにしてるんだ?」
「なんも。アタシたち、手持ち無沙汰なんだよ」
「本来なら新人の訓練に参加するんだが……」
「まあ、あの程度じゃ出る幕はないな」
「そう言う事だ」
シグナムやヴィータの訓練に耐えられるほど、まだ新人達は基礎が固まっていない。昔、魔法の指導を受けた恭也としても、彼女達の実力から見て、まだその段階は早いだろうと思っていた。
「お前は何してたんだ? 課開式にも出なかったし」
「聞いてないのか? 午前中にテロった馬鹿がいてな」
「なんともまあ、間が悪いな」
恭也はシグナムに同意する。ヴィータとしては、約束を破った恭也は許しがたいが、仕事ならば、と納得するしかなかった。本音を言えば、今日付けで配置換えだったのに、なんで前の隊の仕事してるんだ、と文句が出るが、それは我慢しておいた。
「あっちはこっちの事情なんか知らないだろ。仕方ないと言えば仕方ない」
「こっちに来たのは、今か?」
「いや、昼過ぎにこっちにな。さっきまで訓練場にいた」
「ああ、だから新人どもの様子を知ってたのか」
「見学のつもりだったんだが……何故か訓練に参加させられた。疲れてると言うのに」
シグナムとヴィータは今のは嘘だな、と断定した。この男が疲れたなどと弱音を吐いているときは大抵嘘っぱちである。真に疲れているときは、そんな様子も見せない。なにからなにまで大嘘吐きなのである。
「どうだ? 新人たちは」
「さあな。伸び代は、ま、あるだろ。どこまで伸びるか、伸ばせるかは俺は知らん」
「無責任な奴だなぁ。美由希を育てたとは思えないぜ?」
「あれは才能があると解ってたしな。両家の宗家の血を引く奴だぞ。強くならない方がおかしい」
それもそうかと二人は納得する。なのはの実家を何度か訪問している二人は、高町家の住人の大体は把握している。美由希とは直接刃を交えた事はないが、相当な実力者である事は二人も承知していた。正式な指導者も存在しているし、もしかしたら恭也の故郷の美由希よりも強いのかもしれない。
「これからどうするんだ?」
「俺はヴァイスと駄弁ろうかと思ってる」
「ヴァイスって帰って来てんの?」
はやてとフェイトを中央管理局に送る為に出ているはずだ。帰ってきているのだろうかと、ヴィータはシグナムに訊いてみた。
「さっきヘリが見えた。帰ってきているはずだ」
「じゃ、アタシらも付き合う」
「暇だしな」
「呑気なところだな、ここは」
「今だけだ。その内忙しくなる」
巨大な組織の潤滑油になるべく設立した機動六課。だがその真価を発揮するには準備が整いきっていない。隊員全員の錬度が足りていないのだ。だから、今は準備期間。土台を固めるための、隊員たちが仕事の能率を最大限に発揮できる関係を作るための時間が必要だった。
今だけは長閑に行こう。三人の思いは同じものだった。
なんにしたところで、はやてが言う目的を達成するのならば、忙殺される事は明瞭だ。今だけでもゆっくりしていたいものなのだ。
「あ、そだ、シャマルも呼ぼうぜ。あっちも片付いた頃だろ」
「ん? 片付くってなにがだ?」
「医療室だ。医療主任だからな、シャマルは」
「奴に城を与えたのか!? 馬鹿野郎! 怪しげな薬作り出したらどうする!?」
「実験台になるのはお前だから安心しろ」
「むしろ不安になる!」
容赦なく恭也を生贄に捧げようとするシグナムに恭也は力の限り抗議した。
『ちょっと、それは酷くありませんか!?』
ヴィータが通信ウィンドウを開けたらしく、怒り顔のシャマルの映像が恭也に食って掛かった。
『大体、私は怪しげな薬なんて一個しか作ってないじゃないですか!』
「その一個で大惨事になっただろ!」
シャマルが何を作ったかと言うと、『酒』である。少々特殊は製法で精製したもので、リンカーコアと肉体、両方に作用し、酷い酩酊状態にするのだ。何故そんなものを作ったのかと言えば、数年前に海鳴で行われた花見を盛り上げるための一環として、シャマルが張り切ってしまったのである。
参加者の年長組全員が、泥酔し、酔っ払い特有の勢いで魔法を無計画にぶっ放したのである。
「まさかリンディ提督を殴り倒す羽目になるとは思わなかったぞ!!」
暴走するリンディ・ハラオウンにレティ・ロウラン。後、クロノ・ハラオウンもである。この三人が暴れまわったおかげで、海鳴の沖合いの地形が変形し、島が出来たほどである。当時はそれほど重要なポストに立っていなかった事で花見に参加できたユーノが結界を張ったおかげで、表面上何事もないようにできたのは不幸中の幸いである。
そして、暴走する三人の制圧に駆り出されたのが、恭也が所属していた三〇二隊――スパイクフォース隊だったのだ。
「対テロ制圧隊がなんで身内を張っ倒しに行かなきゃならんのだ! 説明を要求するぞ、シャマル!!」
『え、えへ?』
「反省の色なし。今から御神式折檻してやるから、ちょっと来い。と言うか行く」
『こ、来ないでください! って、ああ!? うそ!? もうベランダにいるーっ!?』
中空に灰色の魔法陣を残し、恭也はシャマルが入る医務室に飛び込んで行ってしまった。
「相変わらずの身のこなしだな。危うく見落とすところだった」
「アタシは見えなかった」
どんがらがっしゃーん、とレトロな効果音と少々の悲鳴が聞こえてくるのを尻目に、落ち着き払ったシグナムとヴィータは開きっぱなしの通信ウィンドウに向かって、ヴァイスのところに言ってるとメッセージを残して、その場を後にするのだった。
〜・〜
シャマルに物理的に折檻した恭也は、予定通りヴァイスのところで駄弁っていた。ボロボロの態でシャマルも参加し、どこから聞きつけたのか、整備士とか、本部職員のロングアーチ隊のスタッフも集まってきてしまい、なんだか大事になりつつも、朗らかに談笑は続いていた。
「いやー、高町さんてどんな人なのかって、気になってたんですよ」
そう言うのはアルト・クラエッタ整備士だった。一体どんな先入観を持たれていたのか。
「噂だけは凄いじゃないですか。八神部隊長とはかなり親しくて、なのはさんのお兄さんで、テスタロッサ執務官とも親しいくて、魔力判定はFなのに、武装隊の最前線で十年も勤め続けられるとか」
「前半の三つの凄さがいまいち解らないな。まあ、十年やってきて大きな怪我がないのは幸いだが」
恭也にしてみれば、三人娘がいつの間にか偉くなってしまっただけである。父的存在として、ちょっと寂しいとは思うが巣立っていく娘達を見て、感動していたりもする。すっかり父親気分であった。
「旦那の場合、経歴もそうだけど、知り合い関係が凄いっすよね? 特にあのミス管理局のエリノア・ゲルファウトとか」
「ヴァイス陸曹、『特に』と強調した部分について、ご拝聴願いたいのですが」
「冗談だって、ルキノ。本気にすんなよ」
経理事務兼通信担当のルキノ・リリエ二等陸士の鋭い質問をひらりと受け流すヴァイスは、話の矛先を恭也に戻した。
「何でそう重要人物と知り合えるんすか?」
「別に、狙って知り合ってる訳じゃない。知り合った人間が軒並み偉くなってるだけだ」
「ひょっとして旦那って上げ男って奴ですかね?」
「反比例して、恭也さんは不幸になってますけどね」
シャマルの指摘に、恭也は大いに頷いて見せた。全くである。自分の数少ない運が他人に吸い取られてる気がしてならないのだ。
「十年も局員やってれば、同期やら同僚やらは偉くなってくさ。時間がそうさせてるに過ぎん」
「その割にうだつが上がらないよな、お前」
「ヴィータ、周知の事実を合えて口にするお前をちょっと撫でて良いか? リンゴを握りつぶせる握力で」
「止めろよ! あれ、ホントに痛いんだよ!!」
「当たり前だ。痛くやってるんだ」
「すな!」
とまあ、このようにして、恭也のキャラクターが六課に広く知られていくのである。八神家と称されるはやてとヴォルケンリッターとの間柄は相当に根深いものらしく、殆ど身内と言うか家族的な距離感だ。彼女等が恭也に懐いていると見える部分もある。やはり八神家の父的存在と言うのは紛れもない事実らしい。
そんな折、シャマルは壁にかかった時計を見て、恭也に言った。
「そろそろ夕食時ですけど、久しぶりにご一緒しませんか?」
「前に一緒に食ったのって、いつだっけ?」
「一ヶ月くらい前だった。上手く休暇が重なったときが最後になる」
恭也は、時々飯を作りに来てくれるはやてがその日に有休が取れないかと言ってきたのを思い出した。忙しいだろうに、都合をつけては料理を作ってくれることには甚く感謝している。まあ、休暇を取るように言われた条件と言うか脅迫内容に、「ご飯……どないする?」と壊滅的にいやらしい顔をしたはやてに、恭也は折れるしかなかったのだが。まあ、それは脇に置くとして。その日は幸い、休出もなく、平和に過ごせた休日だったのだ。
「いや、今回はすまんが辞退する。荷物を取ってこなきゃならんからな」
「えー? お前、そこは付き合えよ」
「明日着る服がないんだ。許せ」
そう言って、恭也は席を立った。
「そう言うわけで、俺は帰宅する。明日は……何時だっけか」
「九時に出てきてください。あ、ついでに日程表、端末に送っておきますね」
手元の端末を軽やかにタッチし、データを送信してくれたシャマルに、恭也は感謝の意を表した。
「助かる。はやて嬢によろしく言っておいてくれ。じゃあな」
「ういっす、お疲れさんでした」
「お疲れ様です」
「また明日なー」
各々適当な言葉で恭也を送り出し、再び談笑に戻っていたのだった。
〜・〜
中央管理局での会議は、一先ず問題なく終える事が出来た。なるべく、各方面から不満が出ないように下準備をしていたこともあり、六課の目的とその設立理由には納得してもらえたようだ。初動一日目の大仕事が無事片付いた事に、はやてはヴァイスの愛機であるヘリのシートに深く身を預けた。
その様子を横から見ていたフェイト・T・ハラオウンは少しだけ心配の色を見せる。
「お疲れ様みたいだね」
「まあなあ、ああいう畏まった場所は神経使うて敵んからなー」
「そう言うところ、恭也さんに似てきたね」
「う、あの怠惰万歳人間に? それはちょっとややなぁ」
そう言うはやてであるが、全然嫌そうな顔をしていないのでまるで説得力がなかった。むしろ似てきた事を喜んでさえいるのが見え見えである。
「恭也さんはどうだった? 久しぶりに会って」
「変わっとらんよ。十年前からずっと。ある意味凄いで、あの人」
性格も心構えも――未練さえも。
「六課に来るの、相当不満みたいやから、後数日は不機嫌なままやね」
「げ、あの人が不機嫌だと被害が出ますよ、精神的な」
かつて四日完徹して意識がハイになった恭也に絡まれたことのあるヴァイスとしては、近づきたくない状態である。
「その辺は私も出来るだけフォローするつもりやから、堪忍してな」
「頼んますよ、八神部隊長。あの人を流せるの部隊長しかいないんすから」
ここ数年で、はやては唯一恭也が意識的に発生させる漫才空間――通称恭也フィールドを押さえ込める実力を手に入れたのだ。部隊長を務める前までは特別捜査官として各地に派遣されていた事で、対外交渉の技量が飛躍的に高まったのである。話術ならば恭也を言い負かせられるレベルなのだが、今回は権力に訴えての力任せの抑え付けの手法を採用した。
それは、恭也が馴染み易いように、また部隊の人間が恭也に馴染み易いように取っ掛かりを設けるためだ。
元来、人と関わりを持つ事を避ける傾向にある男なのだ。昔彼はこう語ってもいる。
『剣士は手の内を見せる事を嫌う。知り合いが増えれば、手札をひけらかしてしまう事になる。だから、俺は必要最低限の人間以外はいらないんだ』
寂しい考えであるが、ヴォルケンリッターの将、シグナムは酷く納得していた。それが剣士には当たり前なのだ、と。
だから、友人関係はあまり作らないし、自分が気難しい人間である事を態度で示している。まあ、その態度の評価が変人になるのは、彼の笑いの師匠であるところのさざなみ寮の双璧が最大の原因なのだが。
ともかく、ささくれ立っていると言う事は、それだけとっつきやすいのである。衝突は避けられないだろう。しかし、恭也はあれでも大人なので、最悪の状態になることだけは避けるはずだ。はずだと思いたい。こう言う場合だけは信用がならないところが、実に恭也らしい。
「私も大概黒いこと考えるようになってしもたなぁ」
半分くらいは恭也からの受け売りだが、もう半分は自分が必要だと思って取り入れたものだ。責任は半々である。
「むしろ私はそう言う仕事をまだあんまりしてなかったのに、ああ言う考え方が出来てる恭也さんが凄いと思うんだけど」
「ありゃ絶対地やで地。元から意地悪な人間なんや」
「断言するんすか」
「おうともさ。一緒に住んどったのは一年もなかったけど、あの人の底意地の悪さはよく知ってるつもりや」
「毎日学校で愚痴言ってたものね。やれデコピンされただの、シャマルを暴走させただの、シグナムと斬り合ってテーブル壊しちゃっただのって」
「旦那、なにやってるんですか」
その時って、今の俺よりも若かったんすよね? そんなにはっちゃけてたのか当時から。
恭也に対する評価を改めまくるヴァイスだった。
「まあ、中身は相当面白い人やし、基本的に好い人やから、大丈夫やろ」
「昼間は早速人気者でしたよ。みんな「噂の恭也さん」って奴が気になってたみたいでして」
都市部のビル風を読みながら、ヴァイスは昼間の一件をはやてたちに話して聞かせた。
「旦那節は健在ですね。ヴィータ副隊長とか、シグナムの姐さんもかなり気が緩んでましたし」
「一ヶ月ぶりくらいやからね。みんな寂しかったんよ」
「私となのはは半年くらい会ってないからなぁ。今日は顔を見れなくて残念」
巡り合わせが悪かった、とフェイトは苦笑を浮かべた。
「あ、そうそう。なのはさんと漫才してましたよ、毎度の如く」
「お、早速かぁ。内容は?」
「いえ、軽い挨拶程度でしたから。例の御捻りレベルじゃないっすよ」
「む、最近恭也さん落ち着いてしもうたからなぁ。昔のあのはっちゃけ具合はどこに行ったんだか」
「むしろ俺は、ホントに街中でお捻り貰ってたのか未だに疑わしいんっスけど」
確かに高町恭也と言う男は愉快な人物だ。会話も軽妙だし、何より独特のセンスを持っている。あくが強いとも言えるが、慣れてしまえばこれほど笑わせてくれる人間もいない。しかし、街中で大道芸よりもお捻りをもらえるとは流石に思えないのだが……。
「んー? 管理局の広報部に聞いてみれば解るよ? 恭也さん、大体局員のジャケット着てるから、それで一部の市民に知られてるし」
「前々からあるらしいんだ。「街頭で面白い芸をする局員を教えてください」って内容の電話が」
どう言う質問だ。管理局に入る電話の内容じゃねえぞ!
「……あの人、一体何者なんすか」
「芸人」
「変人」
「ついでに剣士かな」
「魔導師じゃないし!?」
ヴァイスの驚きを、はやてとフェイトは同時に手をパタパタと振って否定した。
「あの人、魔導師じゃないよ」
「管理局が勝手にそう呼んでるだけやって」
「たまたま魔法が使えるだけの剣士って自分で言ってたし」
「今までの戦闘記録見たけど、一度も魔法使ってないまま作戦遂行してるのが六割くらいあったで」
「マジで何者だあの人」
そりゃ確かにその内容なら魔導師って呼ぶのは適切ではない。しかし、ヴァイスには他に彼を呼称する良い名前が思いつかないのもまた事実。
「ま、そんなの気にせんでも、恭也さんがオモロイ事には変わらんから安心しときや」
「いや、その安心のさせ方はどうなんでしょうかね」
「それ以外に言いようがないんだよね」
フェイトの苦笑に、はやてとヴァイスは大きく笑ったのだった。
〜・〜
電車を乗り継いで、恭也は自宅――には向かわず、管理局本局に出向いていた。既に一般業務は終了しており、夜勤組や残業で残っている局員がいるだけの、昼間とは違い閑散としている廊下を歩いていた。
不意に、恭也は立ち止まり、ロックされているドアの暗証番号を入力する。一時間単位で変わるパスワードを武装隊の人間が何故知っているのか、一般の局員が見たら疑問に思うだろう。まあ、そんな疑問を思う外野はいないので、恭也は気にしない。
恭也が入った部屋は通常の空間ではなかった。所狭しと本と本棚が並ぶ広い空間。管理局のデータベース――無限書庫だった。
「あら、今回は間隔が短いですね」
「まあな。配置換えの初日だったんで、割と暇だった」
顔見知りの受付嬢と少々世間話をしつつ、恭也はいつもの用件を伝えた。
「司書長はいるか?」
「はい。134区画におられます」
「また一区画進んだのか」
現在、無限書庫は三チームで書庫内のデータの整理を行っている。交代制の二十四時間体制で、日夜無限書庫の解明に励んでいるのだが、何分データが毎日蓄積していく極めて先の見えない仕事を、この十年、管理局は続けている。ユーノが無限書庫に招かれてから、解析速度は飛躍的に上がった。当時は14区画までしかなかった整理域を、今では134区画まで広げている。ユーノの功績はかなり大きい。
「これでもペースは下がっています」
「ま、昔ほど奴も暇じゃなくなってるしな」
「司書長が不在と言うだけで効率が下がる状況は何とかしたいのですが……」
ユーノの解析能力が高すぎるのだ。他の局員も優秀であるが、ユーノは群を抜いている。
「俺には頑張れとしか言えんな」
戦闘屋には文官の真似事などできないのだ。
「じゃ、行ってくる」
「また明け方まで残らないようにしてくださいね」
「解ってる」
ぶらぶらと手を振って、恭也はユーノがいると言う134区画に向かった。
整頓された地区から無秩序にばら撒かれた本が所狭しと転がる場所に出る。現在解析中の最前線まで恭也はやってきた。周囲を見渡すと、特徴的な尻尾頭を発見する。
ユーノ・スクライアだ。彼は、これまた髪の長い男と共にいた。二人の様子を見るに、仕事の話のようで、邪魔するのは悪かろうと恭也は適当にその辺りを見て回ろうとしたのだが、ユーノはそんな恭也の姿に気付いたらしく、呼び止めてきた。
「恭也さんいらしてたんですか。今回は間隔短くないですか?」
「受付の子にも言われたよ。まあ、今日は異動初日だったしな、割と暇だった」
そこで、恭也はユーノの隣に視線を配る。それに気付いたユーノは彼の紹介を始めた。
「ああ、こちら、査察部のアコース査察官です。今日は仕事の資料を探しに来られたんですよ」
「ヴェロッサ・アコースです。よろしく」
「査察部……あまり関わりたくない部署だな」
本人を前にしてそんなぶっちゃけた意見を言いつつも、恭也は笑みと共に差し出された手を握った。嫌味を真っ向から言われたにも拘らず、ヴェロッサ・アコースは笑顔を崩さなかった。それには理由があった。
「あなたが高町恭也さんですか。話ははやてから聞いてますよ」
「はやて嬢? どういう関係だ?」
「僕の義姉は聖王教会の騎士でして。カリム・グラシアは夜天の王であるはやてと親しい間柄なんです。そのお零れに預かる形で、僕もはやてとは仲良くやらせてもらってます」
「ほう? どうかね、娘は。相変わらずハリセン振り回してるのか?」
「はりせん……とは?」
どうやらあっちでは畏まっているらしい。場を弁えたのか、キャラ的に巻き込めなかったのかは定かではない。と言うか、恭也の「娘」発言を軽やかにスルーしてるのは、事前にはやてが説明しているからだろう。恭也としてはもうちょっと反応を見せて欲しかったのだが。
「気にするな。まあ、あの子がなにも言ってないんだから、問題ないだろ」
「いえ、何も言ってないのはそれなりに寂しいんですが……」
「じゃあ、話題になるように頑張る事だ」
ぽんぽん、と労わるようにヴェロッサの肩を叩いて、恭也は同情的な目を向けた。
「……あれ? 僕、今励まされてる? 励まされてるよね? これ。全く同情される要素ありませんでしたよね? なのになんで僕は彼にあんな視線を向けられてるんでしょう?」
ユーノは意図的にヴェロッサの疑問には答えない事にした。うん、今日もー、恭也フィールドはー、絶好調ですねー。
関わって精神的苦痛を味わうのは勘弁願いたかったので、ユーノは関わる事を止めた。
「今日もいつもと同じ用件ですか?」
「あれ? スルーしてないですか? ユーノ先生!?」
「ああ。それ以外で訪ねることなんてないだろ」
ヴェロッサの取り乱した台詞に覆いかぶさる形で恭也はやっぱりヴェロッサをスルーした。
「いや、少しは僕の近況をなのはにですね?」
「自分で伝えろ淫獣」
「違う!」
ユーノの全力否定にも、恭也は耳を貸さなかった。言われたくなかったら男を見せろってんだ。
その会話の切れ目に、やや強引にヴェロッサは割り込んでみた。
「あの、いつもの用件とは?」
「ああ、えーと、アコース査察官は恭也さんのことどの辺りまで聞いてます?」
「異次元からやってきた漂流者だとは聞いてます」
そこまで聞いているなら話は早い。
「用件ってのは、俺が帰る手段を探す事だ」
「ああ、なるほど。しかし、成果は全く上がってないようですね」
十年かけて探しても見つかっていない。査察部に所属するヴェロッサにその手の話が耳に入らないはずはない。となれば、未だにその手段が見つかっていないのだろう。
「まあな。地道に探してはいるんだが、如何せん用途が特殊すぎる上に技術的に高度らしくて、全然出てこない。似たような記述で書かれてるのは、大体現在の技術で実現できる範囲のばっかりで、ロストロギア級の代物が全くない。くっ、世界はいつも俺に優しくないなっ!」
「ああ、だからそんな荒んだ性格になったんですね」
ヴェロッサの遠慮ない恭也への評価に、ユーノは「知らないって凄いことなんだなー」と感心してしまう。恭也に何かすると、とりあえず嫌味と物理ダメージのどちらかが三倍で返ってくるのである。さらに、恭也が身内と認識した人間に対しては七倍になるキャンペーンが十年前から続いている。最早キャンペーンではなく仕様の域の筈なのだが、恭也自身はキャンペーンだ、と言って憚らない。
まあ、ユーノには、これからヴェロッサは恭也流の洗礼を受ける姿を、容易に浮かべられたと言う話だ。
「……ところで、アコース査察官殿。はやて嬢と親しくやっていると言ったが、周囲へのフォローはしているのか?」
「と、言いますと?」
「とりあえず、最初の難関はシグナムだな。蛇腹剣か、弓矢に気をつけておけばまあ問題ないだろ」
「いえいえ!? 滅茶苦茶問題あるじゃないですか。何気にシグナムの本気モード入ってますよ!? そもそも、僕はそんなこと考えてませんよ!」
「査察官、こんなのは序の口でしょうに。査察官ともなれば、それなりの腕前はお持ちでしょうから、避けきることくらいは出来るでしょう?」
「聞く耳持ちませんね! あとですね、気持ち悪い敬語はよしてください!」
「まあ、シグナムを躱したところで、ザフィーラが立ち塞がるんだがな」
ディフェンスに定評のある自称狼にして八神家の番犬だ。かなり苦戦する事になるだろう。
以前にもこんな話を聞いた事があるユーノは次に立ち塞がる騎士の名前を言ってみた。
「その後がヴィータでしたっけ?」
「正確には、ヴィータとシャマルだな。ヴィータとまともに戦ってるとリンカーコアを抜かれるぞ、結構あっさりめに」
「怖っ!? なんですかその一撃必殺は!? ヴォルケンリッター怖っ!?」
実は鉄壁の防壁に守られているはやてに、ヴェロッサは戦慄した。屈託なく笑うあの笑顔はそうやって守られていたのか。納得できそうである。
「史上最強のはやて至上主義者だからな、奴等。正直、奴等は世界が破滅しようが、はやてが死なない限りはなにもしない人畜無害で好い奴らだぞ?」
「どこがですか!? かなり破綻した主義ですよそれ!?」
「俺はその破綻した主義に七ヶ月付き合ったんだ!!」
厳しい戦いだった。何かすると大体恭也の所為になり、見かねたはやてが恭也を庇おうとするのだが、それが羨ましいらしく、更にいじめが酷くなるのである。はっきり言って、地獄でした。
「ま、はやてと仲良くなりたいのなら、八神家の住人全員をどうにかせにゃならんぞ」
「が、頑張ってみます」
そっかー、彼女達はそんな側面があったのかー、と何気に長い付き合いなのに知らなかった側面を知ってしまったヴェロッサは彼女たちに対するイメージが激変してしまった。
なにか壊れてはいけないものが壊れてしまったらしく、ヴェロッサ・アコース査察官はフラフラと無限書庫の入り口の方へと歩き出した。
「査察官!? 送りますよ!」
「ああ、大丈夫ですユーノ先生。大丈夫、僕は大丈夫です」
全然大丈夫に見えない。憔悴しきった顔を見せてそんな事を言うもんじゃないのだが、頑なにヴェロッサは否定した。
「資料ありがとうございました。またお会いしましょう」
「あ、はい。お帰り、気をつけてください」
「ありがとうございます。では」
口調はしっかりしているが、今にも死にそうな顔である。正直、今すぐ死ぬんじゃないかとユーノは心配になってきた。
「……はあ、恭也さん、初心者にあれはやりすぎですよ」
「全て事実だ」
知ってるだろ、と視線でも言う。
「いや、それはそうですけど、もう少しやり方があったんじゃないですか?」
「あれが一番オブラートに包んだものだったんだがな。撃墜数とか教えた方が良かったか?」
「撃墜数って?」
「はやてに言い寄った男を排除した数」
「ノーサンキュー」
我が娘のウェディング姿はいつだろうなー、と完全に他人事を口走ってやがる。あんた、その撃墜数に何枚噛んでんだ、と問い詰めたいところであるが、君子危うきに近寄らず。余計な突っ込みは死に繋がるので、ユーノは持ち前のヘタレ根性全開で全力無視を決め込んだ。
「それで、新しい区画の資料見せてくれ」
「あ、はい。でも、次元転送系の記述はなにもありませんでしたよ?」
「ホントか? ち、この頃出てこなくなってきたな」
「まあ、たまたまでしょうけどね。まだ無限書庫の三%しか整理できてませんし」
「十年で三%か。百年経っても三十%かよ」
「いえ、毎日増えてくから、どこかでブーストかけない限りは三十%にも届かないかも」
不毛である。誰だ、こんな機能作った奴は!
「……司書長、どうにかならんか」
「僕が後十人いれば、とりあえず速度は十倍になりますけど。つまり、一年に三%ほど進んでいく計算になりますね」
「で、十年で三十%。三十年で九十パーセント……分裂しろ。今すぐ分裂しろ淫獣!!」
「だから昔の事を掘り返さないでくださいよ! そもそも、分裂できませんし!」
「じゃあ、孕ませろ。お前の子供なら望みがでかそうだ。十人分だぞ? 十人分」
「ちょ、なにストレートに卑猥なこと言ってるんですか! 場所を考えてくださいよ! 僕の仕事場汚さないで!」
「知るか! とにかく俺は一刻も早く帰る手立てが欲しいんだ!!」
恭也はずっと探していたのだ、自分の世界に帰るための手段を。読みきれない言語をなんとか読みながら、少しでも早く見つかるように、無限書庫で探し続けている。
「……いい加減諦めたらどうですか? 流石に疲れません? 未練を抱き続けるのって」
「未練だから抱き続けるんだろ。後悔してるから、諦めきれないんだろ。俺は探すぞ、死ぬまで」
「そうですか……」
この人は本当に昔から変わらない。変わらずに、ずっと帰りたいと望んでいる。この世界が嫌なのではない。自分の家と言うものが恋しくて仕方ないのだろう。漂浪の民出身のユーノには少々理解しづらい感情だが、そこまで思い続けているのだから、叶えてやりたいとも思う。
「今日はいつまでいる予定なんですか?」
「三時くらいまでは。明日は九時でいいって言われたんでな」
「じゃあ、頑張りましょうか」
「ああ」
互いに頷いて、未開の本棚へと向かうのだった。
〜・〜
六課隊舎の三階、隊長クラスの寝室の中でも二回りほど大きな部屋がある。なのはとフェイトが共同で使う部屋がそれだ。はやて同様、夜遅くに帰ってこれたフェイト・T・ハラオウンは、ルームメイトであり、新人達の教育官でもあるなのはに昼間の様子を訊ねていた。
「新人達、手応えはどう?」
「うん、皆元気で良い感じ」
「そう。……恭也さんは?」
少しの躊躇いは、訊くか訊かずにいようか迷った所為だった。
「お兄ちゃんは……変わってないよ。昔のまんま。意地悪だし、屁理屈は言うし、言う事聞いてくれないし、すぐにサボろうとするし」
文句ばっかり、とフェイトは苦笑するしかなかった。
「はやても同じ事言ってたよ。恭也さん、変わってないって」
「うん。だから、私もちょっと安心してる。あれからずっと、だったし」
「変わってなかった事に安心した?」
「お兄ちゃんの場合、その辺全部知ってて態と変わってない振りとかしてそうなんだけど……ね」
あ、ありえる……。
そう思えてしまうのは、恭也をよく知るが故の危惧だった。身内には殊更容赦のない男であるが、身内の為に自分の様々な部分を犠牲にしても平然としている男でもある。なのはを気遣って、そう言う演技をしているのではと思ってしまうのは仕方のないことなのか。
「でも、前よりは良いと思うけど。ちゃんと会話してくれてるんでしょ?」
「それが何よりの救いだよ。正直、はやてちゃんに六課の話を聞かされて、お兄ちゃんも六課に入れるって聞いたときは、どうしようかって悩んじゃったし」
「仲直り、出来てよかったね」
「ホントにね」
安堵の溜息を吐くなのはに、フェイトは優しく笑った。
「でもね、ちょっと悩んでもいるんだ」
「悩み?」
「うん。新人達を育てる事は多分問題ないんだけど、お兄ちゃんをどうしたら良いのかって……」
「あー……」
なるほど、それは大問題だ。
「私は射撃型だから、フェイトちゃんから何か参考になる助言とか教えて欲しいんだけど……」
「え、えっと、その…………」
深く考え込んでしまったフェイトを見て、なのははやっぱりと苦笑を浮かべた。
土台無理な話なのだ。魔導師ではなく、剣士であり、しかも独自の方法で、独自の理論で戦う恭也に対して、自分達が指導するべき点が解らないのである。
その様子を見て取ったなのはは、話の方向を少し変えてみた。
「お父さん達が使ってる御神流をね、教導の参考になるかなって思って少し教えてもらった事があったんだけど」
「うん」
「でもね、お兄ちゃんが使ってる御神流と全然違うんだよ」
「……え?」
どう言う事なんだろうか。流派とは、即ち戦い方をある程度方向付け、体系付けたものだ。人によって向き不向き、扱う武器の性質によってある程度使用方法が限定される。恭也が名乗るのは御神流だ。世界が違うとは言え、武装は同じだった。なら、それらの運用は同じになるはずなのだが。
いや、両者の中で一つだけ違うものがある。
魔法だ。
これがあるかないかで、相当動きに違いが出る。きっとそのことだろうとフェイトは考えたのだが、その考えはなのは自身によって否定された。
「多分フェイトちゃんが思ったこととは違うよ。魔法とは関係ないところからして違ってるから。足の運びとか、呼吸の位置とか、教導隊で解析してみた事があったんだけど、全部違うんだよ」
「ど、どう言う事なの?」
なのはがサンプルとして使ったのは、今から十年前の「闇の書事件」で得た映像資料だった。当然、あの時はまだ魔法に慣れておらず、殆ど持ち前の経験と刀だけで戦っていた。その頃のデータを使うならば、解析しても構わないと恭也から許可を貰い、やってみたのだが、特異な結果が出てしまったのだ。
「間合いが違ったり、刀の構え方が全然違ったり、鋼糸の長さと太さがばらばらだったり。それは、個人の好みで大体の差は出るよ? でも、お父さん達が使ってる御神流には出てこない構えとか、戦い方が凄く多いの」
「それって……もう御神流じゃないってことなの?」
「ううん。今言ったのは凄く細かいところばっかりだよ。さっき言ったみたいに個人差に見える範囲。でも、それだったら私のお兄ちゃんも同じようになるはずだよね?」
その口ぶりからすれば、違ったのだろう。なのはの兄と高町恭也の戦い方は。
「それでね、訊いてみたんだ、お兄ちゃんに。どうして、お父さん達とは違うの?って」
「恭也さんは、なんて言ったの?」
「世界が違えば、辿った歴史も違うから、それが表面化したんじゃないか、って言ってた」
なるほど。それならば納得できる。非常に似ている世界からの異邦人であるが、明確に違う世界からやってきている。この世界のように魔法が技術として存在していなかった世界のようだから、確かに辿ってきた道は、似ていたとしてもやはり違う物になっている事は道理だ。
「でもね、それって嘘だったんだよ」
「え……? と言うか、また嘘なの?」
「うん」
だからどうしてそこで嘘吐くんだろう? 必要性があったんだろうか。
相変わらず、恭也の言動が読めないフェイトだった。
「私も一度はさっきの理由で納得したんだけど、あとでお父さん達に色々確認してみたら、聞いたことない技とか、色々あったんだ。それで、もう一度問いただしたらあっさり白状したんだよ」
「ホントに、なんで嘘吐いたんだろう、恭也さん」
あっさり白状するならなんで嘘吐くかなぁ。
溜息は脇に置いて、白状した内容は気になるところである。フェイトは耳を澄ませて、なのはの言葉を待った。
「お兄ちゃんの世界だとお父さんはもう死んでるって言ってたでしょ? それで、お父さんが残してた書きかけのノートと、自分で覚えてる限りの事を身に付けただけなんだって。だから、お兄ちゃんの御神流は未完成だって言ってた」
「あれで!? え、待ってなのは。あれで未完成だって言うの?」
昔――六年ほど前まで、フェイトは接近戦の手ほどきを、シグナムと恭也に習っていた。シグナムには魔法を交えた機動戦を、恭也には接近したときに考えなければならない思考法と体術を少し教わったのだ。六年前の時点まで、フェイトは一度として恭也に参ったと言わせることが出来なかった。無論、魔法を使えばフェイトが圧勝なのは誰もが知っている事だ。
ただ、魔法使用を禁止された条件下では、フェイトは成す術なく恭也に押さえ込まれてしまっていた。確かに、当時はまだ体も小さかった。更には女であり、純粋な腕力には負けるのは道理だ。
しかし、一度も掴めなかったと言う事実は、確かにあった。伸ばした手、振った足、その全てが届かなかった。経験と流派と言う独特な戦闘理論を持っているが故だと思っていたが、その理論が未完成だと言うのか。よしんば経験でカバーしたとしても、あそこまで見事に封じられるとは思えない。
だから、フェイトには恭也の御神流が未完成だとは到底思えなかった。
「うーん、ちょっと違うかな。御神流としては未完成なんだけど、それを補う為に日本中を武者修行したり、大人になってからボディガードとかして、他の人の技を盗みまくったって言ってたよ。だから、色んなのが混じっちゃって、正統な御神流じゃないって」
「納得できるんだけど、ところどころ現実味のない単語がちらほらあるんだけど」
「お兄ちゃんだし」
「伝家の宝刀!?」
その理由説明は問答無用の説得力があるから使っちゃ駄目でしょ!?
「だからね? ホントにお兄ちゃんは自分一人で強くなっちゃってるんだよ。今更私から何か教えるものがあるのかなって悩んでるの」
「…………」
フェイトは押し黙るしかなかった。助言が出来ないのだ。既に確立してしまっている理論を前にして、なのはやフェイトがどうこう言える領域を超えている。魔導師としての助言は、恭也には無用だ。例え必要だとしても、既に彼はその必要なものを手に入れているか代用しているだろう。
また、三十年近くの戦いの蓄積が彼にはある。物心ついた頃には既に刀を振っていた事は、なのはの実の兄がそうであったことから、容易に事実確認は出来る。なのはたちはよく言ってもその三分の一しか経験がない。更に言えば、魔導師としての蓄積しかないのに比べ、恭也は剣士と武装隊で仕入れた魔導師相手の知識を持っている。何かを与える段階は疾うの昔に過ぎていたのだ。
「うー、どうしよう。どうしたらいいんだろーっ」
ベッドの上をばたばたと足をばたつかせて転がりまわるなのはを、フェイトは慌てて止めに入った。
「お、落ち着いてなのは。無理に恭也さんを教導しなくていいんだから、隊長なんだし」
「でも、同じフォワードなんだよ? 連携訓練とかあるんだから、絶対何か教えないと間違いとか起こっちゃうよ」
「何がなんでも教えたいの?」
「そう言うわけじゃ、ないんだけど……」
少々言葉を濁したのは、そう言う考えも多少があると白状しているものだ。フェイトの勝手な考えだが、もしかしたらなのはは恭也に何かを教えると言う事を実は楽しみにしていたのかもしれない。ただ、実際に考えてみるとなにも手を出す必要がないと言う非常に重要な問題に直面してしまい、混乱しているのだろう。
なのはの友人として、共に幼少期を過ごしてきた彼女は、高町家でなのはがどう言う扱いを受けていたか知っている。家族の中の末っ子と言う事もあり、なのはは家族から様々なものを与えられる側だった。それが、教導隊に所属するようになって与えることの楽しみを知った。
与えられる側から与える側へ。
今彼女は、誰かに何かを与えたくてしょうがないのかもしれない。そしてそれは、今まで様々なものを与えてくれた家族にも何かを与えたくて、返したくてしょうがないのだろう。厳密には違うけど、なのはが兄と慕い、恭也も妹として扱ってくれている家族に。
その考えに至った時、フェイトは優しい笑みを浮かべながら言った。
「ねえ、なのは」
「うー、なに、フェイトちゃん」
「無理に恭也さんにお返しする事はないよ? と言うか、そんな無理矢理なお返し、あの人は受け取らないって解ってるでしょ?」
「そうなんだけどさぁ」
「確かに、私達じゃあの人に戦いの事で何かをしてあげられることって少ないと思う。でも、戦い以外の事だったらもっと多くの事をしてあげられるんじゃないかな?」
そう言って、ぱっと思いついたのは、
「例えば……ほら、書類仕事を手伝ってあげるとか」
だった。なんとも情けない話である。そして、そんな情けない話を妹はばっさり切り捨てた。
「駄目、それは駄目。そんな事したらお兄ちゃん良い気になって、お仕事サボろうとするよ、絶対に」
「いや、それを断言しちゃうと話が進まないんだけど……」
このアプローチは駄目か。
「とにかくさ、戦闘訓練に関しては、むしろ私達が教えを請う場合が多いだろうから、別方向から考えるしかないと思うよ?」
「……やっと私から何かしてあげられると思ったんだけどなぁ」
「なのは……実は相当楽しみにしてたの?」
「…………うん」
ああ、それでなんだ、とフェイトは納得した。
恐らく、恭也を教導できると言う事に舞い上がってしまい、問題を想像する段階まで考えが及ばなかったのだろう。今まで良いようにあしらわれたり、からかわれたり、漫才のツッコミ役にいつの間にか仕立て上げられてきただけに、やり返したいと言う思いも強いのかもしれない。……かなり間違った考えのような気がして正鵠を射ていると確信できるのは何故だろうか?
まあ、ともかくだ。
「気になるお兄さんの事も良いけど、エリオたちの事、しっかり育ててね?」
「勿論だよ、フェイトちゃん」
大きな自信を含んで、なのはは頷くのだった。